乗り鉄歴25年の筆者が語る もう一度乗りたかった追憶の列車たち(東日本編)…北斗星・VSE・きたぐに

乗り鉄歴25年…激変した日本の鉄道

私が本格的に乗り鉄を始めておよそ25年、これまで数々の列車に乗ってきました。鉄道車両の寿命は30~40年ですので、25年前には健在だった車両も数多くが姿を消してしまいました。また、整備新幹線の開業や少子高齢化などによる輸送体系の変化も著しく、中でも夜行列車はほとんどが姿を消し、ほぼ消滅に近い状況にまで陥ってしまいました。

今回は筆者の思い出に強く残る列車のうち、残念ながら今は姿を消してしまったものをご紹介したいと思います。過去の旅行記が残っているものについてはリンクを張っておりますので、ご覧いただければと思います。

憧れの北海道に向かう夢の寝台特急「北斗星」

長年関西や関東で暮らす筆者にとって北海道は憧れの土地であり、北海道へと向かう寝台特急「北斗星」は夢のような存在でした。車両は国鉄時代の改造車ではあるものの、1人用・2人用・4人用の個室寝台車にシャワールーム、食堂車を備え、北海道までの長旅をあっという間に感じさせてくれる列車でした。筆者は2003年と2013年に(なぜか札幌からではなく)函館から上野まで2回ほど利用しましたが、2013年の利用時は食堂車の夕食・朝食を楽しみました。夕食は予約制のコース料理が主体でしたが、夜遅い時間帯は「パブタイム」として予約なしで利用でき、カレーやピザといった食事を摂ることもできました。今や予約不要で利用できる食堂車も日本では消滅してしまいました。

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住民からも忘れられた孤独な終着駅「札沼線(北海道医療大学~新十津川)」

どんなに寂れたローカル線であっても、鉄道駅、中でも終着駅は街の中心部という存在感を持っていることが多いのですが、2020年に部分廃止された札沼線のかつての終点駅・新十津川は終着駅の「オーラ」が全く感じられない不思議な駅でした。2003年、札沼線を乗りつぶすべく筆者は函館本線の滝川駅からタクシーで新十津川に向かいました。賑やかな滝川駅とは対照的に、新十津川の駅は全く人気の無い住宅街の裏手のような所にあり、 タクシー乗車中も「本当にこんな所に駅があるのだろうか?」と思ったほどでした。新十津川から当時一日3本の列車に乗車したのはわずか数人、しかも鉄道ファンばかりでした。

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東日本大震災で消えた長距離臨時列車「リアスシーライナー」

「リアスシーライナー」は1990年代以降、夏季に数日運行されていた臨時列車で、JRと三陸鉄道が共同で運行していました。車両は年によってまちまちで、三鉄車両を使用したり、JRのジョイフルトレイン「Kenji」と起用したりと様々でした。驚くべきはその運行区間で、仙台から八戸までを三陸海岸の各線を貫くように走破し、運行時間は10時間を超えました。それでも全線乗車する鉄道ファンは多く、2009年乗車時に横の席に座った若い女性ファンも八戸から仙台まで「完乗」していました。写真のような荒々しい三陸海岸も見所でしたが、お土産物の配布や駅弁の車内販売、途中駅に設けられた特設の売店など、様々な楽しいイベントも思い出されます。残念ながら2011年の東日本大震災により列車は自然消滅、一部区間はBRT(バス)での復旧となりこの列車の復活は不可能となりました。

日本縦断 夏列車の旅(その2)

車体も車窓もキラキラ…「きらきらうえつ」

2000年代以降、JR東日本は積極的に観光列車の投入を進めており、主要な地方路線をほぼ網羅するぐらい種類が増えました。その一つが羽越本線の「きらきらうえつ」で、見ての通り原色を多用した派手な塗装が特徴でした。羽越本線の村上~あつみ温泉間は「笹川流れ」と呼ばれる本州屈指の絶景区間で、美しい海岸を車窓からたっぷりと眺めることができるのに加え、「きらきらうえつ」には広々としたラウンジが設けられ、売店で購入したお酒やお菓子を楽しむことが可能でした。ある年の8月末の夕刻、ラウンジで一人ぼんやりと車窓を眺めていると、イケメンの車掌さんに「10月になると日本海に沈む夕日が見られるようになるので、ぜひまた来て下さい」と話しかけられました。結局、私は「きらきらうえつ」に再乗車する機会はなかったのですが、後継の観光列車「海里」は健在ですので、いつか10月に乗ってみたいと思っています。

日本縦断 夏列車の旅(その5)

最後の国鉄型電車寝台列車「きたぐに」

電車寝台列車といえば、今や日本唯一の定期夜行列車となった「サンライズ瀬戸・出雲」が思い浮かびますが、それ以前は「581・583系」が唯一の存在でした。この車両は日中はボックスシート、夜間は寝台車として運行できるという画期的なもので、右側の写真は寝台車モードの車内の様子です。昼夜兼用ということで設計には苦心の跡が見られ、下段は寝台の幅も高さもそこそこ広いのに対し、中段や上段は幅・高さともに狭く、中段に陣取った外国人客は寝るのに悪戦苦闘している様子でした。このような車両ゆえにJR化後早々に寝台特急の運用からは外れ、末期は大阪~新潟間の夜行急行「きたぐに」でもっぱら使用されていました。今ではプライバシーやセキュリティの意識も変わり、(個室ではない)開放式の寝台列車自体が過去のものとなってしまいました。

日本縦断 夏列車の旅(その5)

大手私鉄最長の料金不要列車「東武快速」

東武の長距離列車といえば今や「スペーシア」「リバティ」の独壇場ですが、かつては浅草から日光や福島県の会津田島までを走破する快速列車も存在していました。浅草から会津田島までは200km近くもあり、私鉄の料金不要列車としては全国一の走行距離を誇りました。車両は専用の6050系車両が使用され、往年の国鉄の急行列車(これも無くなって随分経ちますが)の如くずらっとボックスシートが並ぶのが特徴的でした。全盛期は1時間おきに運転されており、私も何度となく乗車しましたが、週末の朝の列車はハイキングに向かう中高年の乗客で大賑わいだったのが思い出されます。ちなみに、西武鉄道にも4000系というよく似た車両が存在しており、土日の朝晩は池袋から秩父鉄道の三峰口・長瀞まで直通する快速急行として活躍していました。どちらの列車も今は存在せず、ボックスシートの長距離列車は関東の私鉄では見られなくなりました。

会津マウントエクスプレスに乗る―東武・野岩鉄道・会津鉄道で会津へ一直線
2006年に会津マウントエクスプレスに乗車した旅の記録である。

小田急新宿駅に現れたJR東海の特急車両「371系あさぎり」

「ロマンスカー」といえば小田急電鉄のフラッグシップであり、これまで数々の名車両を生み出してきましたが、その中に1本だけJR東海の車両が混じっていたのをご存じでしょうか?この写真の371系がそれで、新宿~沼津間(今は御殿場までに短縮されてしまいました)の「あさぎり」で使用されていました。塗装はJR東海の看板路線である東海道新幹線のカラーリングを採用しています。丸みを帯びた前面、広い側面窓、そしてそれまでの小田急になかった2階建て車両を組み込んでおり、非常に目立つ存在でした。2階建て車両の2階はグリーン車である一方、1階は2列+1列の通常席となっており、1列席に当たるとラッキーな気分になれたものです。2階建て車両は過去帳入りしてしまいましたが、一部の車両は富士急行に転じて今も活躍しています。

真っ白な外観と展望席が印象的なロマンスカー「VSE」

そして、ロマンスカーといえば2022年に突如として引退表明したVSEについて取り上げない訳にはいかないでしょう。先代のEXEでは不採用となった前面展望を採用し、塗装は白一色の斬新なデザインとしました。さらに、首都圏の私鉄車両では見られなかった前明るくビビッドな内装材の採用や、小田急では初となる個室の採用などの新機軸も、競合他社の車両に大きな影響を与えました。展望席は今だに高い人気を誇り、写真のような狭軌(小田急)と広軌(箱根登山線)の合流という、他ではなかなか見られない線路が見られるのも特徴です。連接台車という特殊構造が寿命を縮めたという説もありますが、まだまだ外観は古さも見られず、惜しい車両を亡くしたものだと思います。

西日本編は以下に掲載しました。

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