2009/8/31
この夏は断続的ながらずっと旅行に出かけていたが、一連の旅行も今回が最後となった。
最後の旅行の行先は、新潟と関西である。この2箇所、一見何の脈略もないが、
両地点を結ぶ列車が存在する。今や日本唯一の電車寝台急行となった「きたぐに」である。
今回の旅行はどちらかというと急行「きたぐに」に乗ることがメインであり、
そのついでという形で、「きたぐに」の起点である新潟まで行く間に、
「リゾートみのり」「きらきらうえつ」という2つのリゾートトレインに乗ることにした。
なお、仙台から新潟までの間は普通列車の旅が続くので18きっぷを使うつもりだったが、
東京〜仙台間、新潟〜大阪間の乗車券を別々に買うのと、
東京〜大阪間を通しで買うのでは額がほとんど変わらないため、
東京から大阪までの普通乗車券を購入することにした。
東京7:36発〜仙台9:17着 はやて3号
朝の東京駅は、通勤客や修学旅行に行く高校生の集団などで混雑していた。
そんな中、東北新幹線のはやて号に乗り、仙台を目指す。
朝食を買い込み、はやて号に乗ると車内は閑散としていた。
夏の行楽シーズンは終焉を迎え、もう秋が近づいている。
おりしも台風が接近し、強い雨が降る中東京を発車する。
通勤ラッシュの只中にある埼京線と競り合いつつ大宮へ。
ここでそこそこ乗客があるが、乗車率は5割弱にとどまったまま大宮を出る。
車内では「深川めし」を食べる。
この駅弁、東京駅では昔から売っているポピュラーな弁当なのだが食べたことはなかった。
味は良いのだが、値段の割に量が少ない気がする。
朝食にはちょうどよい量だったが。
前回はやて号に乗車した時は、遅延のため花輪線に乗り遅れるという憂き目にあったが、
今回は流石にそんな事はなく定刻に仙台に着いた。
東京駅などで販売される「深川めし」。
仙台9:25発〜新庄12:28着 リゾートみのり
仙台駅の在来線乗り場に向かうと、ステンレス製の列車に混じって茶色い列車が停車していた。
この列車は2008年10月に運行を開始した観光列車「リゾートみのり」である。
発車時間が近いので観察もそこそこに列車に乗り込むと、乗客はわずか3人ほど。
夏休みも終わりかけのこの時期だけに、乗車率が低いのは予想していたが、ここまでとは思わなかった。
車内の設備は、「リゾートしらかみ」などJR東日本のリゾート列車共通の仕様となっている。
先頭部は簡単なソファを備えた展望スペースとなっていて、
2号車にはテレビモニタを備えたフリースペースがある。
ちなみに座席のシートピッチはかなり広く、窓も上下方向に大きくて居住性はなかなか良い。
なお、休日などは車内販売が乗り込んでいるようだが、この日は平日とあってか車内販売はなかった。
仙台を発車し、しばらくは住宅街を進む。利府支線と分岐する岩切あたりから徐々に田んぼが目立つようになり、
塩釜を出るとトンネルで丘陵地帯を抜ける。
このあたりは勾配がきつく、元は非力なキハ40である「リゾートみのり」が走るにはやや苦しいようで、
速度ががくんと落ちた。
仙石線としばらく併走し、最初の停車駅である松島に停車する。
品井沼あたりでようやく山地を抜け、あとは水田地帯を走って小牛田に着く。
ここで何人か乗車がある。
小牛田を発車すると、列車はいよいよ陸羽東線に入る。
陸羽東線に乗るのは、実に2001年以来8年ぶりだ。
陸羽東線には鳴子温泉をはじめとした温泉地がいくつかあり、
それらの観光地へのアクセス列車として「リゾートみのり」は運行を開始した。
運転頻度はかなり高く、夏場は最低週5日ほどは走っているようだ。
小牛田を発車すると、引き続き田園地帯を列車は進む。
目の前に東北新幹線の立派な高架駅が見えてくると、古川に停車。
ここでもそれなりに乗客があるが、それでも先頭車の客は5人ほどと少ない。
引き続き水田の中を進み、山が迫ってきたところで岩出山に着く。
この駅で列車交換のためしばらく停車するので、改めて車体を観察してみる。
車体は茶色に金色の帯が入り、なかなか高級感がある。
この茶色、どことなく阪急に相通ずる塗装である。
阪急の9300系あたりにも、「鉢巻」とあだ名されるアイボリーの帯ではなく、
金帯を入れると特急らしい高級感がでると思う。
岩出山の次は有備館。ホームも新しく、最近になってできた駅のようだ。
有備館というのは仙台藩の学問所の名前らしい。
有備館を出ると少し山が迫ってくるものの、引き続き田園地帯を進む。
ここで、仙台で購入した「海鮮常長弁当」を食べる。
「常長」というのが誰なのかよく分からないが、
小魚の入ったご飯が笹にくるまれているなど凝った弁当である。
鯨やほやなど、食べ慣れない食材が使われており、苦手な人はダメかもしれない。
個人的には美味しかったのだが。
やがて、川渡温泉に停車。ここから鳴子の温泉郷に入る。
川を渡り、鳴子御殿湯に停車。しばらく温泉街の裏手の山の中を進むと、やがて鳴子温泉駅に到着する。
駅では観光協会の人だろうか、数人が大きな横断幕を持って列車を出迎えていた。
沿線でも最大の観光地とあって、数少ない乗客の半数ほどがここで下車した。
鳴子温泉では20分以上も停車時間があるので、駅の外に出てみる。
円形劇場のような形をした待合室は健在で、駅前の様子も以前と変わりないようであった。
ただし観光シーズンではないとあって駅前は閑散としている。
あまり見るものもないので、跨線橋の上から周囲の山々を眺めた後、列車に戻る。
長時間停車の後、鳴子温泉駅を発車する。先程の横断幕を持った人たちが再度現れ、お見送りをしてくれた。
鳴子温泉を出てしばらくすると、長いトンネルに入る。
トンネルとトンネルの合間に一瞬外に出て、鳴子峡と呼ばれる渓谷を渡る。
陸羽東線の撮影名所として、鉄道雑誌などでよく出てくる場所だ。
景色が見やすいよう、列車は減速しつつ通過した。
中山平温泉を過ぎると、列車は深い森の中を進む。
しばらく進むうち、エンジン音が急に軽くなった。どうやらサミットを超えたようだ。
この陸羽東線は特にトンネルなどを使うこともなく、太平洋側から日本海側に抜けることができてしまう。
森林地帯を抜け、しばらく田んぼの間を走った後、
瀬見温泉あたりでは小国川の川沿いを進む。
しばらくすると奥羽本線と合流して、やがて終点の新庄に到着した。
「リゾートみのり」の感想だが、車両は新しいものの特に変わったイベントもなく、
それほど特筆すべき車窓もないため、ややインパクト不足かなと感じた。
この列車に乗るためだけに来る客よりは、沿線の温泉へ向かう客をターゲットにしているようだ。
ただ、いくら平日とはいえ、利用率が非常に低いことが気になった。
リゾートトレインには珍しい茶色い車体が印象的な「リゾートみのり」。
車内の椅子のモケットはもみじの模様が入る。
仙台駅で購入した「海鮮常長弁当」。
トンネルの合間に、険しい渓流が見える。
新庄13:08発〜余目13:54着
余目14:03発〜酒田14:17着
新庄には何度かやってきたが、いずれも乗り換え時間に余裕がなく、
駅をじっくり観察する事はなかった。今回は割と時間があるので、駅舎の中を観察してみた。
駅は2階建てになっていて、木材を多用した割と新しい駅舎である。
改札外には、山形の土産物を扱う店がいくつかあった。
ただしこの駅固有の駅弁は無いようで、新幹線ホームで米沢の駅弁を売っているだけのようだ。
新庄からは陸羽西線に乗る。前乗ったのは2003年で、もう6年も前である。
車両はキハ110の2連である。この陸羽西線のキハ110は他線と違い、一人掛けのシートを180度回転できるようになっている。
最上川の流れを見やすいようにとの配慮だろう。
ただしこの椅子、回転するにはコツが必要で、壁に貼られている注意書きを熟読しないとうまく回せなかった。
新庄を発車し、しばらくは田園地帯を進む。枡形、羽前前波と停車し、地元の客を少しずつ降ろしている。
津谷を出るといよいよ最上川を渡り、川沿いを進む。
古口からは目の前に迫ってきた最上川に沿って走る。名物の川下りの乗船場も見える。
最上川は川幅も広く、水の量が多い割にはその流れは速い。
日本三大急流に数えられる理由が分かる気がした。
清川で最上川と分かれ、水田地帯を走って羽越本線と接続する余目に着く。
余目で奥羽本線の列車に乗り換え、酒田を目指す。
キハ110の2両編成に揺られること10分ほどで、酒田に到着する。
酒田は北前舟で栄えた港町で、古くからの建物がいくつもある。
だが、多くは駅から遠く、2時間ほどで見て戻ってくるのは厳しい。
そこで駅前をぶらついてみたが、商店などはあまりなく、あっという間に駅に戻ってきてしまった。
仕方ないので、駅の中にある土産店兼喫茶店のような店で時間をつぶした。
陸羽西線のキハ110。黄色い帯の入った専用塗装である。
最上川向きの座席は、向きを自由に変えることが可能。
酒田16:11発〜新潟18:28着 きらきらうえつ
酒田では時間が余っているので、ホームの待合室で列車を眺める。
この酒田は秋田地区と新潟地区の境目で、北からは701系、南からはキハ110などの気動車が乗り入れており、
特急列車を含めてなかなか賑やかだ。
新潟行きの特急「いなほ」を見送った後、派手なカラーリングの列車が入線してくる。
これから乗る臨時快速「きらきらうえつ」である。
車体には赤、青、黄色と何色もの色がモザイク状に塗られている。
おそらく、日本の鉄道車両でも最も塗られている色の数が多い車両ではないだろうか。
さっそく列車に乗り込んでみる。座席部分はハイデッカーとなっている。
先頭部に展望デッキがあるのは先程の「リゾートみのり」と同様である、
その他、車内には売店とフリースペースのラウンジがあるようだが、それは後ほど行ってみようと思う。
この日は夏シーズン最後の平日運転の日であり、列車は空いていた。
先頭車の客はまたしても5人ほどであろうか。
結局その状態のまま酒田を出発する。
酒田を出てしばらくすると、最上川の鉄橋を渡る。鉄橋には物々しい防風柵が設けられている。
2005年、この鉄橋で強風による脱線事故があった後に設置されたのだろう。
鉄橋の近くには、非常に立派な慰霊施設らしきものもあった。
列車は水田地帯を進み、酒田と並んで荘内地方の主要都市である鶴岡に着く。
鶴岡を出てもしばらくは海から遠い内陸を進む。
そんな風景を見ているうち、白い派手な制服を着た若い車掌が検札にやってきた。
JR九州あたりだと、ここで若い女性の車掌がやってくるところだが、
この列車は「イケメン車掌」である。検札の際は、きらきらうえつオリジナルという検札印を押してくれた。
やがて列車は長いトンネルを抜け、日本海沿岸に出る。
ただし最初のうちはトンネルが多く、ちらちらとしか海が見えない。
五十川を過ぎると、道路を挟んでではあるが日本海が間近に望める。
朝から悪かった天気も、ここに来てようやく少し回復してきたようで、わずかながら日差しも出てきた。
海の向こうには日本海に浮かぶ粟島の姿も見える。
あつみ温泉に停車し、引き続き海沿いを進む。
このあたりでは家々の向こうに海が見える。
小岩川を過ぎると再び列車はトンネルに入ってしまう。
トンネルを抜けると、列車は山形県最後の駅である鼠ヶ関に停車。
ここで下り普通列車と行き違う。羽越本線は複線と単線が入り混じっているので、
時折こんな光景が見られる。
鼠ヶ関を過ぎると沿線の家がなくなり、砂浜の続く荒涼とした海岸を進む。
程なく、府屋に停車。このあたりの駅からは、意外にも地元の人らしき人が乗り込んでくる。
観光列車ではあるが、新潟に安く早く出られる列車として利用されているようだ。
越後寒川を過ぎると、いよいよ名所の笹川流れに差し掛かる。
日本海の荒波に削られた巨岩が随所に見える、奇妙な光景が広がる。
だが意外とトンネルが多く、海にせり出した絶壁を眺められる箇所は案外少ない。
加えて、複線化が行われた箇所では山側の上り線のみが新たに掘られた長いトンネルを進むという箇所が目立ち、
下り線に比べて景色があまり見えないということが分かった。
この列車に乗るなら、どうやら下り列車に乗る方がよさそうだ。
間島を過ぎてしばらくすると、車内の電気が一瞬消える。
デッドセクションを越え、交流電化から直流電化の区間に入る。
やがて海から離れ、三面川を渡ると、列車は村上に到着する。これで日本海とはお別れである。
村上から先は、越後の水田地帯を南へと走る。
車窓も単調なので、ラウンジに行ってみることにした。
ラウンジには赤いシートが特徴的なボックスシートが3つ配置され、テーブルも付いている。
売店では駅弁や和菓子も売っており、ここで飲食することができるようになっている。
ラウンジでぼんやりと車窓を眺めていると、先程のイケメン車窓が話しかけてきた。
「どちらからですか?」と聞かれたので、東京から来た旨を伝えると、
「10月になると日本海に沈む夕日が見られるようになるので、また来て下さい」とのこと。
私は流石に秋にまた来るのは無理そうなので、皆さん是非「きらきらうえつ」に乗車してみて下さい。
10月の数日は臨時ダイヤとなり、海がよく見える桑川駅で臨時停車して夕日を堪能させてくれるそうです。
新発田を出ると一部単線の白新線に入り、やがて夕暮れの新潟駅に到着する。
駅は帰宅ラッシュが始まり、通勤通学客で賑わっていた。
新潟にやってきたのは実に8年ぶりで、前回訪れたのは早朝だったから、
実質初訪問といってよい。とりあえず夕食を取れる店を物色しようと駅前からまっすぐ歩くと、
万代バスターミナルにたどり着いた。ここは新潟市内のバスが集結するターミナルで、
百貨店もあって新潟駅よりは若干賑やかな所だが、あるのはチェーンの店ばかりである。
人の流れも多くなく、80万都市の中心部としてはやや寂しい。
仕方ないので食事は後回しにすることにして、バスターミナルからバスに乗る。
越後線青山駅の南にある、日帰り入浴が可能なホテルに向かうためだ。
バスターミナルを出てすぐ、本町というバス停に停まる。
ここから客がぞろぞろと乗ってきて、立ち客が出るほどの盛況となった。
どうやらこのあたりが新潟の旧市街であるようだ。
風呂に入り、再びバスで新潟駅に戻ってきた。
新潟らしいものでも食べようと駅前を歩いてみるが、あるのは居酒屋ばかりである。これには流石に入りにくい。
仕方ないので、駅前にあるファミレスで侘しく夕食を摂った。
「きらきらうえつ」専用の485系。
海沿いの家々の向こうに、奇岩がそびえる。
車内のラウンジには真っ赤な椅子が設置されている。照明は暗めで落ち着いた車内である。
新潟22:55発〜新大阪6:49着 急行きたぐに
22時半に新潟駅に戻ると、既に急行「きたぐに」は入線していた。
6連以下の短い編成の列車が行き交う新潟駅にあって、
10連という一際長い編成の列車が発車を待っている。
「きたぐに」は、今や日本で唯一583系で運転される定期列車である。
583系は高度成長期の高い夜行需要に応えるため、世界的にも稀有な座席・寝台兼用列車として開発された。
しかし、車両の老朽化や夜行列車の激減などにより、今やこの「きたぐに」が最後の活躍の場となった。
さっそく、編成を端から順に眺めてみる。
先頭の1号車から4号車は自由席で、寝台ではなく座席状態となっている。
こういった自由な組成ができるのも583系ならではだろう。
その後、B寝台1両を挟んでグリーン車とA寝台がある。
グリーン車は他の車両と違い、通常の座席がセットされている。
A寝台は原型の3段式から2段式に改造されている。
編成を眺めるうち、指定された9号車にたどり着いた。
今回は下段を指定しておいたが、ベッドの幅はかなり広く寝心地は上々だ。
2段式の寝台客車よりもこちらの方が良いぐらいだ。
ただし寝台の天井は低く、上体を起こすことはできない。
転じて中段・上段寝台を見てみると、寝台の幅は狭く天井も低く、
頭を起こすことは不可能なほどだ。しかも上段は天井近くの高みにあり、
梯子を2m近くもよじ登らないとベッドに入ることができない。
私の上の寝台には事情を知らないと思われる外国人夫妻が入ったが、寝台の狭さに悪戦苦闘している様子だった。
寝台で着替えたり荷物を整理したりしているうちに、新潟を発車する。
新潟郊外の市街地を快走し、次の停車駅である新津に着く。
流石に11時を過ぎているとあって、駅構内は閑散としている。
と、ここで異変が起こった。停止信号が出ているとかでなかなか発車しない。
しばらくすると放送が入り、「長岡駅手前で人身事故が発生」との一報が入った。
こうなってしまうともはやどうしようもない。
仕方なく、寝台に寝転んでぼんやりとする。30分経ち、1時間経っても運転は再開されない。
隣にはE127系の普通列車が同じく抑止されている。
こっちはいくら遅れても寝台で寝る時間が増えるだけだが、
向こうは家にも帰れず待ちぼうけを食らわされているわけで、
同情の念を感じずには入られない。
抑止から1時間30分、ようやく運転が再開された。
明日の予定を考えると、8時半には何とか大阪駅に着いていて欲しい。
そうなると許容される遅延は1時間半であり、このままの遅れで何とか走りきってもらわねばならない。
再び列車が快走し始めたことを確認し、寝る。
目を覚ますと、列車は敦賀に到着していた。時刻は5時40分頃で、
時刻表と見比べると遅れは1時間ほどに回復しているようだ。
途中の停車時間を削るなどの努力があったのだろう。
しかし、列車は敦賀でしばらく停車している。
どうやら大阪方面に向かう普通列車(米原から新快速)を先行させるようで、
大阪へ急ぐ人は新快速に乗り換えるよう放送が入っている。
しかし、ここから大阪までは新快速といえども2時間以上は掛かる。もう少し寝たいし、
朝のラッシュに突入するであろう新快速に2時間も揺られる気がせず、とりあえず「きたぐに」に乗り続ける。
再び目を覚ますともう6時50分で、列車は米原を出るところだった。
先行の普通列車に道をふさがれ、遅れがやや増しているようだ。
車内放送によると、京都・大阪には後続の新快速が先に着くとのこと。
どうやらこの列車が大阪に着くのは8時50分頃になるらしい。
このままでは予定していた列車に間に合わないことになる。
そうこうしているうちに列車は彦根に着く。
ここで降りれば後続の新快速に乗れるが、降りる準備が間に合わず断念する。
こうなると、あとはこの列車が早く着くのを祈るしかない。
彦根を出た列車は東海道線を快走するものの、草津でホームのない中線に停車するとぱたりと動きを止めた。
新快速などの通勤列車のダイヤに支障しないよう、ここで時間調整をするようだ。
結局10分ほど停車して草津を発車する。
草津を出ると、時折徐行をしつつ京都に到着する。この時点で時刻は既に8時10分。
その後も高槻や茨木の手前で何度か徐行する。先行の快速がつかえているのだろう。
結局、8時40分ごろ新大阪に到着した。
この駅でもしばらく停車するというので、ここで「きたぐに」を下車した。
新潟駅で発車を待つ「きたぐに」。
自由席の車内。今や優等列車では珍しいボックスシートとなっている。
こちらはグリーン車。高い屋根が特徴的。
寝台車の車内は、ピンク色のカーテンがまぶしい。
新大阪に到着した「きたぐに」。日の高い時間帯に撮影できるのは珍しいが、ラッシュに巻き込まれ大きく遅延した。