最終更新日:2021/11/1

ローカルバス乗り継ぎ旅in群馬―関東屈指の長距離バスで秘境旅へ

 現在、日本最長のローカル路線バスと言われているのは奈良・和歌山両県をまたいで走る奈良交通の八木新宮線で、その距離は約167kmに達する。 一方、関東地方に目を転じると、群馬県を走る日本中央バスの奥多野線という路線が最長76.4kmに達し、関東屈指の長距離を誇る。 この奥多野線は高崎線の新町駅を起点に群馬県内を南西へと走り、最深部の上野村に至る路線なのだが、 長野県の佐久地方や埼玉県の秩父地方と接する群馬県南西部は秘境と言っていいほど山深く、 その点でも秘境・十津川村を走破する八木新宮線とよく似ている。
 前々から乗ってみたかった奥多野線だが、長距離ゆえさすがに単純往復というのはしんどい。 そこで救いとなるのが、上野村から長いトンネルを抜けて下仁田町・富岡市に至る「上野村乗合タクシー」というコミュニティバスである。 これを使うことで単純往復を避けられるが、コミュニティバスゆえ本数も多くなく、村民が富岡方面に出ることを考慮したダイヤとなっており、 奥多野線とうまく組み合わせるのはなかなか難しい。唯一、昼過ぎに下仁田から上野村に向かう便を利用するとうまく乗り継げるが、 上野村での乗り継ぎ時間が5分しかない。 それでも、田舎の路線バスが遅れることはそうそう無かろうと若干安直に考え、緊急事態宣言も明けた2021年10月に実行することにした。
 テレビ版「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では、途中のバスの乗り継ぎをいかにうまく考え、かつ的確に実行できるかが最大の見どころである。 今回の旅でも、乗り継ぎで思わぬハプニング、思わぬ展開が起き、ある意味最大の見どころとなった。

 なお、「安全安心な旅」を実現するため(以下同文)

目次

2021/10/15

東京9:44発〜高崎10:40着 あさま607号

 朝ラッシュの終わりつつある東京駅へとやってきた。 そういえばコロナ禍が風雲急を迎えていた8月上旬の、今回とほぼ同じ時間帯にも、外せない所用のため東京駅周辺に来ていた。 その時は新幹線で旅行を、などという気には流石にならず、入場券で新幹線ホームに入って引退直前のE4系Maxを眺めた後、 構内で駅弁を購入してすぐに帰宅した。
 まずはここから新幹線で高崎に向かう。改札を通過して新幹線乗り場へと向かう途中、大きなトランクを抱えた旅行客を結構見かけた。 駅ナカの店で朝食を食べている時も、1人黙々と食べる通勤客に交じって、2〜3人連れの旅行客がちらほらといた。 その数は9月に東海道新幹線を利用した頃と比べ、明らかに増えているように感じた。 このまま旅行解禁ムードが続いてくれればよいと思うが、どうなることか。
 ホームに上がると、車内清掃が終わっておらずしばらく待たされる。発車3分前にようやく乗車できた。 東北・上越新幹線はこういうパターンが多く、コロナ禍前の繁忙期はホームが乗車待ちの客で埋め尽くされる光景もしばしば見られた。 自由席に座ると程なく発車。上野に停車し赤羽付近を通過すると、埼京線と並走する。 そういえば以前に比べ、少し速度が速く感じる。上野から大宮までの区間の最高速度が、この春から130km/hに上がったのを思い出した。 実際乗ってみるとこの区間は細かいカーブが多く、これ以上の速度引き上げは難しいのでは、と感じた。
 大宮で更に客を乗せ、窓側の席が一通り埋まった。今回乗った「あさま」は長野まで全駅に停車する「各駅停車」なので、 熊谷、本庄早稲田にも停車する。本庄早稲田に停車する便に乗るのは初めてだと思うが、その名の通り駅前には早稲田大学の立派なキャンパスがあった。 乗り降りする客はほとんどいなかったが。
 東京から1時間で高崎に到着。群馬県の玄関口だけあって、下車する客はかなり多かった。


東京駅で発車を待つE7系。


乗車日の直前に引退したE4系。(2021年8月撮影)


引退間近のE4系には「ラストラン」のステッカーが。(2021年8月撮影)


足元の乗車位置表示には「Max」の文字がまだ残っていた。

高崎10:53発〜下仁田11:56着 上信電鉄

 高崎から下仁田まで、ローカル私鉄の上信電鉄に乗車する。上信電鉄の乗り場はJRのホームの外れの方にあり、そこそこ長い通路を歩かねばならない。 当然ながらSuicaは使えず、駅改札横の券売機で切符を購入する。 今や新幹線ですらチケットレスで乗車できるようになり、現に東京から高崎まで一度も切符を手にすることなくやってきたので、 現金で切符を買うという行為が何だか新鮮に感じられる。下仁田までの運賃は1130円と、ローカル私鉄だけあってなかなかお高い。
 駅のホームで発車を待っていたのは、同じ群馬地区のJRでかつて使われていた107系だった。 塗装は上信電鉄伝統のタラコ色に変更されている。 107系は座面が妙に低く、長く座っていると腰が痛くなるので今一つ気に入らない車両だったが、久々に乗車することになった。 元トイレとして使われていたスペースの前が車内で唯一クロスシートとなっており、ここに座る。
 高崎を発車し、まずは先程まで乗った上越新幹線に並行する形で南下する。 こういうローカル線に乗るのも久しぶりだったのだが、都会の電車と違って上下左右への揺れが大きい独特の乗り心地に懐かしさを覚えた。 途中の駅では、委託の駅員さんが発車する列車に一礼する光景も見られ、ますます旅情を感じる。 列車はおよそ1kmおきに小さな駅に停車しつつ進む。車内の客は地元のお年寄りがほとんどで、乗車して数駅で下車していく人が多い。 病院通いなど近場への用がある人が多いのだろうか。乗客は多くても10人ほどで、車内は終始空いていた。 電車は山名を過ぎると方向を西へと転じ、富岡方面へと向かう。
 上信電鉄の駅はすれ違いのできない、いわゆる「棒線駅」が多いのだが、その割に行き違い専用の信号所が3か所もある。 今回乗った列車も、上州新屋駅のすぐ手前の信号所で高崎行の電車とすれ違った。どうせなら駅ですれ違った方が利便性も高いはずだが、何か事情があるのだろうか。 やがて、世界遺産の富岡製糸場に近い上州富岡駅に停車する。車内から製糸場は確認できなかったが、駅前には近代的な立派な市役所が立っていた。 11年前に乗車した時はまだ無かったと記憶している。そういえば、以前乗車した時は古びた駅舎や案内看板が結構残っていて感心した記憶があるが、 今回乗ったところ多くの駅舎が建て替えもしくは改装されていて、11年の月日の流れを感じた。
 そこから更に進み、南蛇井あたりまでくると車内の乗客はすっかりいなくなり、私だけが残された。 ここまでは鏑川沿いの平野部を進んできたが、南蛇井からは地勢が徐々に険しくなる。 次の千平を出ると、川が作り出した崖の上を進む箇所もあった。その途中、森の中にいきなり信号所が現れ、ここで高崎行の電車と再度すれ違う。 更に少し進み、終点の下仁田に到着。有人の改札口で駅員さんに切符を渡して外に出る。 降車したのは私一人だったが、次の列車を待つ客が待合室に数人いた。


上信電鉄高崎駅の片隅には、廃車となった車両を用いた待合室があった。


JRから転用された107系。この車両の塗色は上信電鉄の旧型車両で用いられたタラコ色。


車内にはLCD式の案内表示機が設けられ、座席のモケットも更新された。


運転台の構造はJR時代と変わらず。乗務員はワンマン駅での改札のために、毎回乗務員室ドアを開け閉めする必要がある。


下仁田駅には別の塗装の107系車両が停車していた。

下仁田駅前12:15発〜上野村ふれあい館12:45着 上野村乗合タクシー

 全体的に設備の更新が進む上信電鉄だが、下仁田駅の駅舎は昔ながらの古びた建物が健在だった。 駅前には10人以上が座れそうな広々としたバス待合室があり、結構な数のお年寄りがバスを待っている。 そんなにバスの本数が多いのだろうかとバス時刻表を見てみると、 隣の南牧村に向かうバス1本と、下仁田町内各地に向かうバスが実に5本、12時過ぎに相次いで出発するようだ。 列車の到着時刻に合わせているからだろうが、この小さな下仁田駅から実に6本ものバスが同時に出るとは驚いた。 バスは一般の路線バスに近い大型のものから、「ハイエース」を無理やり乗り合いバスに転用したものまでサイズは様々だが、 実際に次々とバスが出ていくのをしばし眺めた。
 しばらく駅前をぶらぶらした後、いよいよ15分発の上野村行きのバスを待つ。 だが、待てど暮らせど一向にバスはやってこない。 もしかして今日は運休日なのだろうか、と不安になってきたところで、8分ほど遅れてようやくバスがやってきた。 途中、富岡市内や下仁田町内の病院などを経由するため、遅れてきたらしい。 車両はハイエースタイプで、「上野村」と書かれた小さなステッカーを張っただけのシンプルな外装で、気を付けないと見落としそうだ。 車内には病院帰りらしきお婆さんが一人乗っていた。「上野村行きですがよろしいでしょうか?」と運転手に声をかけられつつ乗車する。
 乗車したのはいいが、このままの遅れだと「上野村ふれあい館」で次のバスに乗り継げないはずで、果たして間に合うのかが気になる。 それ以前に、そもそも車内には運賃表も路線図も掲示されておらず、料金がいくらかなのかも分からない。 しかし運転手とお婆さんの会話が盛り上がっていて、割り込むタイミングがない。 (ちなみに内容は「○○さん家のご主人がどうのこうの」といった超ローカルなものだった。) 仕方ないので、最悪上野からタクシーで下仁田まで戻るしかないかな、と腹をくくって乗り続けることにした。 上野村にタクシーがいるのかどうか分からないが…
 バスは下仁田町内を出て、まずは南牧村へと進む。途中、村の中心部は一部狭路が残っていたが、それ以外は2車線のそこそこ立派な道が続いた。 南牧村の集落を過ぎると、どんどん上り坂が険しくなる。途中、ヘアピンカーブを使って勾配を稼いでいる箇所もあった。 勾配を登りきったところで、湯の沢トンネルという長い長いトンネルに入る。このトンネル内で工事が行われていて、 トンネルの半分ほどが片側通行になっていたが、運よく待たずに通過できた。(後々の展開を考えると、ここでもし待たされていたら結構まずかった)
 このトンネルを抜けるとようやく上野村に入り、山の中の険しい道を下っていく。 結局遅れは全然回復しないまま、12時53分ごろに上野村ふれあい館に到着した。すると、目の前で奥多野線とおぼしきバスが出て行ってしまった。 しかし、バスは新町とは逆の方向に進んでいった。 どういうことだろう、と困惑しているところで運転手さんに「どちらに行かれるんですか?」と声をかけられた。
 運転手さんに奥多野線に乗り継ぎたい旨を告げると、「道の駅上野まで送ってあげますよ」とのこと。 意外な展開に驚いたが、ひとまず話を聞いてみる。すると、このバスは時刻表上は上野村ふれあい館が一応の終点となっているが、 村内の住民宅までサービスで送り届けてくれるらしく(乗り合わせたお婆さんも、道の駅に向かう途中の国道沿いの自宅前で下車していった)、 その一環で特別に道の駅まで送ってもらえるとのこと。 また、道の駅までバスは旧道を走るため時間がかかる(先程バスが逆走していたのは旧道に入るためらしい)ので、 国道を飛ばせば道の駅で十分追いつけるとのことだった。思わぬ助け舟に感謝しつつ、道の駅まで送っていただくことにした。
 もし今回の乗り継ぎを試そうとする方がおられたら、下仁田からの発車が遅れても回復はほぼ期待できない点は頭に入れておいて頂きたい。 今回のように道の駅まで毎回送って頂けるとは限らないので、ふれあい館での乗り継ぎが微妙そうな場合は、 下仁田からの乗車時に運転手さんに事前に相談しておくのが良いだろう。
 道の駅に向かう途中、国道に上野村内の名所への案内看板が掲示されていたが、その中に「慰霊の園」という表示があった。 この上野村は、1985年に発生した日航ジャンボ機墜落事故の現場であった。 私は当時まだ小学生だったが、当時の報道はよく覚えている。それほどインパクトの大きい事故であった。 墜落現場は村の中心部から10kmも離れた山奥にありアクセスに難があるため、中心部に近い場所に慰霊碑や納骨堂が設けられている。 事故は夕方に発生したのだが、現場の特定に手間取り、救助隊が現場に到着したのは翌日の昼頃だったという。
 「ふれあい村」から道の駅は9kmも離れており、10分ほど移動してようやくたどり着く。 運転手さん曰く、「まだ時間があるはずなので(道の駅を)ゆっくり見て行ってください」とのこと。 時刻表を確認すると、バスが来るまで5分ほどしか残っていなかったのでゆっくり見るわけにはいかないが、道の駅を覗いてみる。 すると、椎茸を20個以上袋詰めしたのが400円と、都内では考えられない値段で売られていた。 さすがにそんなに消費しきれないので、乾燥椎茸を一袋購入した。 思わぬ親切に出会った上野村、今回はわずかな滞在で通り抜けてしまったが、見どころもいくつかあるようなのでまたいつかゆっくり訪れてみたい。 もっとも、バスだとさすがに村内での移動がままならないので、じっくり見て回るならば自家用車で来るのがよさそうだ。


11年前と同じ駅舎が健在だった下仁田駅。


駅の構内も、改札口もレトロ。


駅前には、路線バスのポールが複数立つ。車両は、写真のようなハイエースタイプのものも多い。


バスに40分あまり乗り、巨大看板が目立つ「道の駅上野」に到着。

道の駅上野13:08発〜群馬藤岡駅15:20着 日本中央バス奥多野線

 道の駅の前のバス停で、奥多野線のバスを待つ。バスは上野村ふれあい館を出た時点で3分ほど遅れていたようだが、 道の駅にも3分ほど遅れてやってきた。早速車内に乗り込むが、他に客はいない。 車両は事前に調べていた通り、都市部のコミュニティバスにでも使われていそうな小型の車体で、座席は10席あまりしかない。 比較的前面の眺めが良さそうな最後尾の席に座るが、これが薄いスポンジを敷いただけのような代物で、 2時間以上座り続けるのはなかなか苦痛だった。バスに乗るのが目的のような私みたいな客ならともかく、 一般の客には苦行のように感じられるのではなかろうか。
 バスはしばらく国道を進むが、やおら右に曲がって幅の狭い旧道を進む。 乗用車1台が通るのがやっとというほど狭い道で、小型とはいえバスが通るのが信じられないような道だ。 対向車が来たらどうするんだろうと思ったが、幸いそのようなことはなかった。 途中の停留所での乗降はなく、バスは民家の軒先をかすめながら淡々と進んでいく。 今回乗れなかったふれあい館〜道の駅の区間もずっとこんな感じらしいので、狭路を走るバスが好きな人(いるのか?) にはたまらない路線といえるだろう。
 その後も狭い道と国道を入れ替わりつつ走り、上野村から神流町に入る。 入ってすぐの所に中里という集落があるが、ここは国道の拡幅が進んでおらず1.5車線分の幅しかなかった。 やはり集落の中は改良が難しいらしい。中里から先しばらくは集落もないようで国道を進む。 この辺りは神流川の渓谷沿いを進み、車窓が美しい。渓谷沿いを抜けると、集落が点在する川沿いを淡々と進む。 バス停はかなり細かく設置されているが、乗り降りする人は皆無で、「次は○○です」という放送だけが空しく流れる。
 そういえば衆院選が近いせいか、沿道には候補者のポスターが目立つ。 都会だと家の塀などに張ってあることが多いが、クルマ社会のこの辺りではとにかく自動車から見えないと意味がないため、 主要道沿いの空き地に杭を打ち看板を立てていた。 自民党王国といわれる群馬だが、野党の看板も案外多く、数の上ではほぼ互角のように感じた。
 やがてバスは万場という集落に入るが、ここも集落内の道はやや狭い。 学校や役場、銀行などが立ち並ぶ集落の一角に空き地があり、バスはその空き地に停車した。 ここが「万場」というバス停で、ここで休憩のため14時頃まで停車するという。 バスが到着したのは13時40分過ぎだったので、20分近く休憩ということになった。
 万場バス停周辺には数軒の商店があるほか、真新しい観光案内所や公園・診療所もあった。 神流川の方に出てみると、徒歩専用のつり橋がかかっていて、対岸の山の方まで遊歩道が続いていた。 橋の上から渓流を眺めてみる。河原にはキャンプをする人もいて、ちょっとした観光地になっているようだ。
 バスに戻ってしばらく待つと、発車時刻となった。引き続き淡々と神流川沿いを進んでいく。 しばらく進むと、徐々に川幅が広くなってきた。このあたりからは下流の下久保ダムが作った神流湖というダム湖が広がる。 元々の集落はダム湖に水没したのか、人家は少なくなった。
 下久保ダムの横を過ぎると、ダムの上から下へと一気に高度を下げる。下りきったところにあるのが藤岡市の鬼石という地区である。 バスは国道から外れ、鬼石地区の中を細々と回るが、やはり乗客はいない。鬼石からは比較的開けた所を進むようになり、秘境の旅ではなくなった。 その後は藤岡市の中心部へと県道を進むが、途中で左に曲がって2kmほど進み、高山社跡というところに立ち寄る。 高山社は明治時代に養蚕技術教育の中心となった場所で、富岡製糸場などと並んで世界遺産を構成している。 立派な駐車場も併設されているが、世界遺産のブームの去った今は観光客もほとんどおらず閑散としていた。バスへの乗客もいない。
 高山社跡で折り返し、県道に戻るとようやく中年の女性が乗ってきた。私を除けば、上野村を出て以来このバスの最初の客ということになる。 更に進むと藤岡市街に入り、八高線の群馬藤岡駅前にはほぼ定刻通りに到着した。 当初は新町駅まで乗り続け、奥多野線の完乗を達成しようかと思っていたが、そもそも上野村内で一部区間に乗れなかったので、 群馬藤岡で下車することにした。いい加減尻が痛くなってきた上、先程のようにバスの遅延で電車に乗り遅れてはかなわない。 運賃1720円を支払い、下車する。バスは下車するとあっけなく去っていった。


道の駅上野のバス停。山深い土地ながら意外と本数は多い。


奥多野線の車内。コミュニティ仕様の車両ゆえ非常に狭い。


休憩中に撮影したバスの車体。バス側面にはラッピングがなされていた。


神流町万場のバス停にて、20分近い休憩時間をとる。


バス停の脇には、トイレを備えた待合室があった。


バス停から神流川の方に少し歩くと、徒歩専用のつり橋が掛かっていた。


橋の上からの流れ。自然のままに近い渓流が続く。


神流川ダムを過ぎると、藤岡市の市街に入る。


群馬藤岡駅のバス停。奥多野線以外の系統は乗り入れていないようだ。

群馬藤岡15:44発〜高崎16:00着

 群馬藤岡は昔ながらの駅舎が残る、いかにもローカル線、という風情の駅だった。 時間が20分ほど余ったが、駅前に商店の類はほとんどないので、改札内に入って駅を観察する。 構内を眺めると、「高崎方面のりば」と書かれたホーローの看板、古めかしい鉄骨を使って組み上げた跨線橋、 鳥居型の駅名看板といった懐かしいアイテムが残っており、国鉄時代にタイムスリップしたかのようだ。 線路ぎりぎりまで雑草が生えているのもローカル線らしくてよい。
 しばらく待つと、高崎行きのキハ110系2両編成がやってきた。 学校からの帰宅時間とあってか乗り込む乗客は意外と多く、10人ほどが乗車した。 群馬藤岡を出てまっすぐ走り、高崎線との合流地点の手前で北藤岡という駅に停車する。 すぐ横に高崎線が走っているが、この駅には八高線の列車しか停車せず、短いホームが1本あるだけの小さな駅である。 北藤岡を出て高崎線に合流すると、すぐに烏川を渡るが、この鉄橋付近だけ上下線の線路が大きく離れており、 なぜこのような廃線になっているのか毎回疑問に感じる。高崎線内を100km/hの快速で疾走し、 終点の高崎に到着。高崎駅の八高線乗り場は駅外れの行き止まり式のホームとなっており、 最後は10km/hほどでゆっくりと進入する。


レトロながらも手入れの行き届いた群馬藤岡の駅舎。


駅構内には古めかしい柱、そしてホーローの看板が残る。


八高線は2〜3両程度の短い編成がほとんどだが、待避線の有効長は長い。


構内の跨線橋は、鋼材を細かく組み合わせたレトロなもの。


国鉄時代から残っているとおぼしき駅名標。


久々の乗車となるキハ110で高崎へ。

高崎16:03発〜東京16:52着 はくたか566号

 八高線の列車を降り、新幹線のホームまで走る。直近の「はくたか」への乗り換え時間は3分しかないが、八高線がやや早く到着したため何とか乗り継げた。 ただ車内は予想以上に混んでいて、なかなか空席が見つからない。高崎からの乗客も多かったようで、みな空席を求めて車内をぞろぞろ歩いている。 結局、大宮までは3人掛けシートの真ん中に座るのが精いっぱいだった。
 この列車は高崎から大宮までノンストップで、30分もかからずに到着した。 大宮で車内の混雑も落ち着き、窓側の席に座ることができた。 結局、群馬藤岡を出て1時間余りで東京駅に到着した。長かったバス旅に比べると何ともあっけない。