2014/12/22
新横浜6:00発〜京都8:01着 ひかり493号
京都8:10発〜大和八木9:02着 京伊特急
この日は日帰りで八木新宮線に乗りに出かけたが、東京から日帰りで乗ることは実はかなり難しい。
終点の新宮が東京からかなり遠いことが原因なのだが、東京からだとそもそもいくら急いでも新宮発の便には間に合わない。
結局、始発の新幹線と近鉄特急を乗り継いで八木発の始発便を捕まえるのが唯一の方法で(それより遅いと新宮から東京に当日中に戻れない)、
今回はそれを実行するべく新横浜始発の「ひかり493号」に乗車した。
この後の「のぞみ99号」(品川始発)でも間に合わないことはないが、平日ダイヤでは京都での近鉄との乗り継ぎ時間が5分しかないため、
あまりお勧めはしない。(その後のダイヤ改正で乗り継ぎ時間が8分に延びたので、今なら大丈夫だろう。)
そんな訳で京都から賢島行き近鉄特急に乗る。久々にビスタカーの2階席に乗ったが、座席が新しいものに取り換えられ、新車のようになっていた。
登場から30年以上が過ぎたビスタカーだが、まだまだ使うという意思の表れだろうか。
京都を発車すると、やや混雑した通勤電車と次々にすれ違いながら住宅街を南下する。
車内は通勤客やビジネス客が多く、丹波橋を出た時点で窓側の席はほぼ埋まった。
新田辺を過ぎると、しばらくの間JR学研都市線と並走する。
いわゆる「学研都市」の中核である高の原駅を少し過ぎたところに、同じような形をした団地が20棟近くも並んでいるのが見えた。
この辺はもう大阪からの通勤圏であるようだ。
平城を過ぎ、左に大きくカーブして奈良線と合流して、大和西大寺に到着する。
ここでは後部2両を切り離すということで、しばらく停車する。
その間にも大阪難波行きの通勤電車が次々に発車していった。この駅は大阪・京都・奈良・橿原の4方向への電車が入り乱れ、
見ているだけで楽しそうな駅だ。
西大寺を出ると再び電車は南下を始める。郡山のあたりでは溜池が多くみられ、
名物の金魚を育てるプールも見えた。天理線、田原本線とすれ違い、大和八木の一つ手前の新ノ口に差し掛かったところで電車の速度ががくっと落ちた。
ここから、橿原線と大阪線を結ぶ連絡線を進むのだ。この連絡線は、基本的に京都と伊勢方面を結ぶ特急しか走らず、私も乗るのは初めてだ。
横に流れる川の土手との間には柵もなく、線路も単線で、まるでローカル線のようだった。
そんな所をしばらく走ると大阪線と合流し、大和八木に着く。向かい側のホームには大阪発名古屋行きの特急が停車し、相互に接続を取る。
しかし私はここで下車、バス乗り場へと急ぐ。
八木駅9:15発〜(五條バスセンター) 奈良交通
大和八木の駅前に降り立つと、ちょうど目の前に新宮行きのバスが滑り込んできた。
ひとまず乗車すると、幸いにも運転席のすぐ後ろの席が空いていたので、ここに座ることにした。
この席は速度計や途中の全バス停の時刻が見え、なかなか面白かった。
車両は地方でよく見かける1ドアの4列シート車で、聞いていた通りなかなか年季が入っているが、
前方には運賃や観光案内を表示する液晶ディスプレイがあり、手入れはされているという印象だ。
発車を待っていると、運転手さんとバスターミナルの係の人が何やら話している。
聞くと、五條の方は雪で真っ白なのだそうだ。そういえばこの辺も先程から小雪がちらついている。
これから険しい山道が続くので、やや不安になる。
10人弱の客を乗せ、バスは八木駅を発車する。
いよいよ日本一のバス旅の始まりであるが、最初のうちはごく普通の市街地を走るばかりで、あまり面白くはない。
しかも信号待ちがやたら多く、バスは早くも4分ほど遅れている。
そういえば、この長距離バスをわずか2つ目のバス停で降りる人もいた。「特急 新宮駅」という字幕を見ると、
近場の客は乗車をためらってしまいそうだ。
バスは五條へ向かう国道24号線を、高田市駅、忍海駅、近鉄御所駅で近鉄の各駅に接続しながら進んでいく。
御所を過ぎたあたりから雪が本降りとなってきた。沿道の田んぼにはうっすらと雪が積もっている。
途中、御所駅の先の病院から2人乗ってきた以外、途中のバス停での乗降は全くない。
「かきもみの湯」という温泉施設に立ち寄ったりもしたが、乗降はなかった。
御所を過ぎてしばらくすると、勾配がやや急になる。鉄道にとってはやや厳しい勾配で、
並行する和歌山線はこの辺を避けて東へと迂回している。
峠を越えて坂を下ると、横に和歌山線が並走するようになる。しばらくすると、緑色の電車がバスを追い抜いて行った。
このあたりまで来ると五條に向かう客が何人か乗ってきて、車内は少しだけにぎやかになった。
さらに走ると五條の市街地に出て、五條バスセンターに着く。ここでは10分あまりの休憩時間がある。
このバスは長距離を走るがトイレがなく、休憩場所で用を足しておくことは必須である。
バスターミナルの横には大きなスーパーもあるので食糧調達もできそうだが、乗り遅れの危険があるためやはり乗車前に買っておく方がいいだろう。
車内にトイレがないので飲み物を飲みすぎるのもやめた方がいい。
時間が余ったのでバスセンターを観察していると、ここから十津川温泉まで向かうバスもあるようだ。
八木新宮線の区間運転のようなバスだが、それでもかなりの長距離バスである。
八木新宮線は乗客の減少から自治体の補助金で赤字を埋めているようだが、
並行する鉄道がある八木〜五條間は今後合理化のため廃止される可能性もあるかもしれない。
(五條バスセンター)〜(上野地) 奈良交通
バスは2分ほど遅れてバスセンターを発車し、JRの駅前で3人ほど客を乗せた。
五條からはいよいよ、紀伊半島を縦断する国道168号線に入る。
幅の広い紀ノ川を渡ってしばらく走ると、鉄道の高架橋のようなものが見えた。
これは五條から新宮を目指して建設された、国鉄の五新線の未成線である。
この鉄道は五條近辺の一部で工事が行われただけで未成に終わり、途中の城戸までの区間がバス専用道となっていた(2014年に廃止)。
城戸から先も一部は工事が行われたようで、全く使われないままの高架橋が山中に放置されている光景を見かけた。
しかし、バスで五條から新宮まで険しい山の中を走ってみると、あまりに無謀な計画だったのではないかと感じた。
このあたりからいよいよ山道が険しくなり、途中はるか眼下に谷底を見下ろすような箇所もあった。
しかし、このくらいはまだまだ序の口であることを後々実感させられた。
その悪路を抜けてきた、新宮発八木行きの1本目のバスとすれ違う。一瞬見た感じだと、車内はほぼ無人のようだった。
賀名生という複雑な名前の集落を抜け、雪の降る山中を進むと城戸に到着する。城戸バス停の手前、山の山腹にバス専用道の終点があった。
鉄道が開通していれば、ここが城戸駅となる予定だったのだろう。ちなみに、五條から乗ってきた客はここまでで皆降りてしまい、
残ったのは八木から乗ってきた長距離客ばかりとなった。
城戸を過ぎると沿道に一切集落がなくなり、本格的な峠越えとなる。この峠で紀ノ川水系から熊野川水系へと移るのだ。
バスの車内放送によると、この峠を越えるトンネルができたおかげで、トンネルの先の大塔や十津川へのアクセスは随分良くなったという。
雪はますます激しく降り、木にまとわりついて樹氷のような見かけとなり、美しい。無人の山中を延々と進み、まずは比較的新しい長めのトンネルを通る。
さらに進むと、峠を越える新天辻トンネルに入るが、このトンネルが1.5車線分しかなく、大型の自動車とのすれ違いは困難だ。
すれ違う自動車の中には、木材を運搬するトレーラーが目立つ。林業は十津川の主要産業なのだろう。
トンネル内でトラックと出くわしたらどうするんだろうと思ったが、何とかトンネルを抜け、今度は急な下りとなる。左を見ると、はるか下に集落がある。
この集落に向けて、山肌を縫うようにしてバスは下っていく。下ったところにあるのが阪本という集落である。
集落の中は道が狭く、バス一台が通るのがやっと、という道が続く。対向車が比較的少ないので割とスムーズに通れたが。
そういえば、峠の前に見られた積雪がこのあたりでは見られなくなった。峠を境に気候も変わったということか。
集落を抜けても、引き続き1.5車線の狭い道が続く。しかし、所々改良されて2車線の立派なトンネルができていたりもして、目まぐるしい。
猿谷ダムという大きなダムを過ぎ、また1.5車線の狭いトンネルを抜けてさらに走ると、再びバイパスが現れた。
だが、バスはいったんこれを無視して進み、大塔支所前というバス停が停まる。
ここは五條市と合併した旧大塔村の役場があるところで、八木から乗っていた男性が一人下車した。
バスは今来た道を少し戻って、川の対岸にあるバイパスを進む。
バイパスは途中から仮設の桟橋のようになった。その対岸を見ると、大きな土石流の跡が2つも見えた。
どうやらこれは2011年の大水害の跡で、本来の道が土石流で押し流されてしまったため、仮設の道を作ったようだ。
他にも、深層崩壊といって山がえぐれたような形で崩壊している個所も見かけた。この後も、水害の痕跡を何度も見ることになる。
仮設の道を抜けると、1.5車線の道と2車線のトンネルが交互に現れるようになる。
しかし、バスは一部のトンネルを無視してあえて旧道を進む。別に天邪鬼をしているわけではなく、旧道沿いにある集落へのアクセスを考えてのことだろう。
ただ、途中のバス停からの乗車は全くなかったが。
そうしているうちに、バスはいよいよ十津川村に入る。
このあたりで、八木行きの第二便のバスとすれ違う。今度もほとんど客はいないようだった。
しばらく進むと、長殿というバス停を通り過ぎる。バス停のすぐ近くには、土砂に埋もれたままの軽自動車が放置されていた。
また、このあたりの川沿いには更地のまま放置された土地があった。調べてみると、これも水害の跡であるようだ。
十津川村に入って以来、バスは十津川沿いを淡々と進んでいる。十津川はほとんど平地を形成せず、数軒の集落がたまにある程度だ。
この光景、飯田線の水窪から天竜峡にかけての天竜川沿いの車窓に似ている。ダムがいくつもあるのも天竜川と似ている。
ただ、こちらは同じような光景が延々と続く。その長さは飯田線の比ではない。
相変わらず狭路の目立つ国道を進み、バスは一旦国道を外れる。集落内の狭い道を少し走ったところで、
右手に大きな吊り橋が見えた。谷瀬の吊り橋といい、日本一長い吊り橋であるそうだ。
吊り橋を少し過ぎたところに、上野地というバス停がある。
ここには狭いながらもバスターミナルがあり、25分ほど休憩ができるというので、いったん下車する。
(上野地)〜(十津川温泉) 奈良交通
バス停から少し戻り、谷瀬の吊り橋に向かう。吊り橋は十津川屈指の観光地で、ハイシーズンの休日は結構賑わうそうで、
道すがらには飲食店や土産物店も何軒かある。もっとも、この日は冬場の平日ということで全て閉まっていたが。
時間もあることだし、折角の機会なので吊り橋を渡ってみる。
以前、大井川鉄道に乗って塩郷の吊り橋に行ってみたことがあるが、
あれよりも長さも高さも一回り上である気がする。
歩いてみると、床板がギシギシとたわむ。まずないことだが、床板が抜けたらどうなるだろうか、と考えると恐ろしい。
加えて、この日は風が強く、他の歩行者もいることから橋が左右にたわんでいるのが分かる。こういうのは立ち止まるとかえって恐怖を感じるので、
停まらずに歩く方がいい。時間もないので、対岸へと速足で歩く。それでも、渡り終えるのにかなり時間が掛かった。
渡った先には一軒の茶店があり、紀伊半島名産のめはり寿司があったので一個購入する。
一応食料は持ってきていたのだが、こんな山奥で食料が買えるとは思わなかったのでつい買ってしまった。
再び長い吊り橋を渡り、バスに戻ると運転手さんが運転席で昼食をとっていた。この運転手さんは、八木からここまでの悪路をたった一人で走り通している。
乗っているだけでも疲れてきているのに、運転するのはもっと大変だろう。かなりの激務である。
休憩時間が終わり、上野地を発車する。そういえば、八木を出て以来ずっと先頭の席に座っていた男性の姿がない。
てっきり新宮まで乗りとおすバスマニアかと勝手に想像していたのだが、下車してしまったらしい。
これで乗客は5人にまで減った。上野地のバス停の前は集落の生活道路で、バス一台が通るのがやっとという狭さだ。
冷静に考えるとこんな道をバスが走るのはすごいことだが、だいぶ感覚がマヒしてきているせいか何とも思わないようになった。
上野地からも引き続き、1.5車線の道が続く。しかし、風屋ダムを過ぎてまたも1.5車線のトンネルを通過したあたりから道が良くなった。
このあたりで、八木行きの3本目、すなわち最終のバスとすれ違う。今度のバスは高校生が多数乗っていて、混雑しているようだった。
しばらく快走したところで、沿道にだんだんと建物が増えてきた。十津川村の村役場の近くで、ついに目の前に信号が現れた。
五條市街地以来、実に2時間ぶりの信号である。役場前のバス停からは3人ほど客が乗ってきた。これも五條駅バス停以来のことである。
役場を過ぎてもしばらく高規格のバイパスが続くが、バスはそれに背を向けるかのように旧道を進む。この道がまた狭く、
バス1台が通るのがやっとという状態だった。バスは一旦バイパスに戻ってトンネルを進むが、その後諦め切れないかのように旧道を逆走し、
集落に立ち寄ったりもした。折立という集落からは再び道が狭くなる。沿道には家も多く、路上駐車があったりして運転は大変そうだ。
込の上というバス停の前には十津川高校があり、ここで5人ほど高校生が乗ってきた。静まり返っていた車内がようやく賑やかになる。
案内放送によると、十津川高校は江戸時代末期に開校し、奈良県で最も古い歴史を持つ高校なのだそうだ。
込の上から先も住宅が点在する中を進み、3度目の休憩場所となる十津川温泉に到着する。
十津川温泉は塩瀬の吊り橋と並ぶ十津川村の観光地で、バス停の横には商店もあるなど賑やかな所だ。
この商店では弁当も売っているので、バス旅での食料の調達にも使える。また、バス乗り場の横には温泉が流れており、
60℃の源泉が噴出している。手に取ってみると硫黄のような匂いがした。
(十津川温泉)〜新宮駅15:40着 奈良交通
休憩を終え、バスは十津川温泉を発車する。ここからは終点の新宮まで約2時間をノンストップで走破する。
十津川温泉を出るといきなり狭い橋があって、すれ違う村営バスを待たせながら渡る。
しばらく走ったところでバスは横道にそれ、バス1台が通るのがやっと、という狭い道を進む。
後で調べるとこの道は国道425号線で、一応国道であるにもかかわらずこんな道が延々と続くそうだ。
しばらく走ったところにあるのが、
おそらく十津川村で最も大きな宿泊施設であろう「ホテル昴」である。駐車場も広く、
平地の少ない十津川でよくこんな広い土地を確保したな、と思ってしまう。
しかし、わざわざ立ち寄ったにもかかわらず乗客なしで通過。自家用車は結構停まっていたので、
そこそこ客はいるのかもしれない。
ここから先は再び集落がなくなり、道も所々狭くなる。あまりにも同じ光景が続くので、さすがに飽きてきた。
だが、そんなムードを打ち破るかのように、いきなり道が立派になった。
見ると、川沿いの急斜面に杭を打ち、その上に高架橋を作っている。まるで空中を走っているかのようだ。
そんな道をしばらく進むと、いよいよ広い広い十津川村を出て、和歌山県田辺市(旧本宮町)に入る。
国道168号線は和歌山県内の方が整備が進んでいるようで、ここから先はこれまでのような1.5車線道はほぼなくなった。
バイパスも整備されているが、このバスはやはりそちらに背を向けて旧道を進む。
なお、和歌山県に入るとバス停が奈良交通のものから熊野交通のものに変わり、
紀伊田辺からやってくる龍神バスのバス停も見られるようになる。
険しい山中というより普通の田舎道といった風情の道を進むと、やがて本宮大社前バス停に着く。
ここはその名の通り熊野本宮大社の最寄りバス停で、八木から乗ってきた客や十津川高校の生徒が残らず下車し、
車内には誰もいなくなり、期せずして貸切状態となってしまった。
本宮大社前を出てしばらくは国道を進む。道沿いには五條以来久々に大きなスーパーも見られた。
だが、バスはやおら方向を変え、裏通りのような道を進み始める。
すると、その道沿いにいきなり「熊野本宮」というバス停が現れた。どう考えても本宮大社前バス停よりも本宮には遠く、
どうしてこんな名前なのか謎である。
このバス停を出ると、バスは急に悪路を進み始めた。湯の峰温泉に立ち寄るためらしいのだが、
これが今までで一番ひどい悪路で、電柱もガードレールもろくになく、バスが通るのが信じられないような道だった。
しかも、途中には採石場か何かがあるらしく、大型トラックと何度もすれ違う。幸い待避所でやり過ごすことができたが、
バスは崖ぎりぎりまでせり出し、見ていてひやひやした。以前乗車した、阪急田園バスの武田尾付近に匹敵する激しい道だった。
バスは峠を越えるとヘアピンカーブで標高を下げ、湯の峰温泉に入る。ここの温泉街の道がまた狭く、
民家の軒先をこすりそうになりながら進む。そこを抜けると今度は長いトンネルに入り、
川湯温泉へと向かう。熊野川の支流沿いに開けた小さな温泉街で、
「かめや前」「ふじや前」という旅館名そのままのバス停があるのが面白い。
この川湯温泉で男女連れの客が乗ってきて、貸し切り状態ではなくなった。
川湯温泉を過ぎると請川バス停で168号線に戻り、ここで田辺市から新宮市に入る。
ここから先は、並行する熊野交通のバスに比べて停車するバス停の数が少なくなる。
行先字幕に書かれていた「特急」の文字がようやく真価を発揮するわけである。
途中、集落を求めて旧道を進むこともほとんどなくなった。
特に、神丸バス停を出てからは新宮市街まで20分以上も、熊野川沿いの道をノンストップで走る。
このあたりの168号線は走りやすく、途中何回か後続車に道を譲りながらも、ラストスパートとばかりにバスは快走する。
168号線は国道42号線と交わったところでおしまいとなり、あとは車の多い42号線を進む。最後は新宮城址の脇をかすめて、
終点の新宮駅に5分あまり遅れて到着した。
特に乗車券などは事前に購入していなかったので、「八木からです」と言って運賃5250円を支払う。
ワンマンバスで降り際に5000円超を支払うことなど、今後まずないだろう。
長旅を終えた運転士さんは「ありがとうございました」とそっけなく言い、
無人となった車内を軽く点検した後、バスをどこかへと回送して行った。
新宮15:56発〜多気19:19着
新宮からは、2002年以来実に12年ぶりとなる紀勢本線の非電化区間に乗車し、名古屋へと向かう。
17時過ぎに出る特急に乗ればその日のうちに東京にたどり着けるが、その前の普通列車で多気まで向かうことにする。
その方が少しでも長く車窓を見ていられるし、特急料金も節約できる。
ホームに向かうと、既に列車が停車していた。JR東海オリジナルのキハ11の2連である。
列車に乗り込むと、ちょうど紀伊田辺方面からの普通列車がやってきて、
いかにも18きっぷで延々と乗ってきました、という風な客もこちらに乗り継いできた。
そういう自分も、前回紀勢本線を乗りつぶしたときは18きっぷ利用であった。
海側のボックス席に座り、新宮を発車する。新宮を出てすぐに、バスでずっと寄り添うように走ってきた熊野川を渡る。
その後は、国道や住宅の向こうに時折太平洋が見える、という風景が続く。
途中の神志山では、対向列車が遅れているとかで10分近く停車したりもしたが、
元々熊野市で10分ほど停車する予定だったので、あっさり遅れを吸収してしまった。
熊野市を出ると、志摩半島まで続くリアス式海岸を進むようになる。そのため三陸海岸の各路線と同じく、駅と駅の間はひたすらトンネルで、
駅の付近だけは外に出る、という車窓が延々と続く。途中の駅周辺にはいずれも小さな漁港があり、漁船が帰ってくるのが見えた。
リアス式の区間を終え、尾鷲に着く頃には日が暮れた。尾鷲でも対向列車の遅れで5分以上も停車した。
どうも今日は強風の影響でダイヤが乱れていたようだ。そういえば、八木新宮線でも橋の上などで時折強風にあおられる箇所があった。
尾鷲で学生がたくさん乗ってきたが、紀伊長島でみな下車してしまい、再び列車は静かになった。
紀伊長島からは荷坂峠越えの区間があるが、すっかり日が暮れてしまい車窓は全く見えない。
仕方ないので、今日の旅行の記録を書くなどして多気までの時間をつぶした。
多気19:29発〜名古屋20:48着 ワイドビュー南紀8号
多気は多くの列車が折り返す運転上の拠点ながら、駅の周囲には大きな町はなく、途中下車してみたものの駅前は閑散としていた。
仕方ないので、名古屋までの特急券を窓口で買ってホームへ戻る。
やってきた特急「ワイドビュー南紀」に乗り、名古屋へ向かう。
この特急に使われているキハ85の運転台の後ろはガラス張りとなっていて、夜間でも全面展望が楽しめる。
名古屋行きの列車ではこの部分が自由席となっており、前から2列目がたまたま空いていたので、座ってみる。
夜間なので車窓はあまり分からなかったが、信号の様子はよく分かった。
松阪から先は近鉄が並行しているのでほとんど乗客はないだろうと思っていたが、
意外にも津、四日市、桑名から乗ってくる客は多かった。近鉄の方には無料の急行も頻発しているので、
わざわざ特急料金を払ってまでこの列車に乗る理由は謎である。
この日は関西本線も数分ほど遅れが出ていたようで、臨時に行き違い駅が変更されるなど、ダイヤ整理にかなり苦労しているようだった。
そもそも、このあたりの関西本線は列車本数が多いにもかかわらず単線で、
ちょっとでも列車が遅れるとすぐにほかの列車に波及してしまう。
結局、5分ほど遅れて名古屋に到着。名古屋で遅い夕食を取った後、新幹線で東京へ戻った。