2008/12/21
この日は、2001年に乗車して以来7年ぶりに水郡線と磐越東線に乗ることにした。 これらの路線、確かに乗車したのだが途中の車窓の記憶がほとんどない。 特に見るべきものがなかったということだったのだろうか? それを一度確かめてみたいと思い出かけることにした。
上野7:03発〜水戸9:06着
ようやく構内の店が開店し始め、少しずつ眠りから覚めようとする朝の上野駅から、
常磐線の普通列車勝田行きに乗車する。常磐線の中距離列車にはグリーン車が連結されており、
何年か前から、乗車券が18きっぷでもグリーン料金さえ払えば利用できるようになった。
このJRの営業戦略に見事にはまったというか、
このところ首都圏の普通列車で長距離の移動をする際には、グリーン車を利用せずにはいられなくなっている。
今回も上野から水戸という長距離移動をするため、グリーン車を利用することにした。
が、今回のグリーン車利用はかなり不本意な形となった。
なぜなら、これから乗る列車は基本編成が土浦止まりとなり、土浦から先はグリーン車のない付属編成のみで運行される。
つまり、土浦までしかグリーン車に乗れないわけだ。
本当はこの1本前の、水戸までグリーン車を繋いでいる列車に乗るつもりだったが、
途中乗った中央線が線路立入か何かで駅間で数分間緊急停車し、タッチの差で乗り遅れてしまった。
そんな訳でやや不本意ながら、朝食を片手に列車に乗り込む。グリーン車は終始空いていて、
本来一番混む2階席に乗り込む客も最大3人ほどという状態だった。
上野で買った駅弁を開き、流れる景色を眺めていると、
とても18きっぷで貧乏旅行をしているとは思えない贅沢な気分になる。
北千住を出ると松戸、柏、我孫子と快速運転で駆け抜け、利根川を渡ると取手に着く。
利根川には霧が立ち込め、鉄橋の上だけは雲の中のようだった。
取手を出るといよいよ交流区間に入る。2階からだと、デッドセクション部分の死電区間独特の架線をしっかり確認できた。
そうこうしているうちに、あっという間に土浦に着く。慌てて弁当を食べ終え、座席を求めて前方の付属編成へと移動。
幸い列車はそれほど混んでおらず、席は余裕で確保できた。
土浦を出たところで、霧がだんだんと出てきた。最初はそれほどでもなかったが、
少しすると10メートル先もろくに見えない状況になってきた。この先遅れなく運転できるか、やや心配になる。
それでも列車は速度を落とすこともなく高浜に到着。ここで特急待避のためしばらく停車する。
暇なので外に出て通過する特急列車を眺める。特急が通過するとすぐに発車するかと思いきや、なかなか発車しない。
しばらくして、側面にイルカのイラストの入った、勝田区の波動用の485系が通過した。
字幕を見ると「快速」とある。後で調べると、この日だけ運転の臨時快速であったようだ。
今日の行程をプランニングする際見ていた時刻表が4月発行の古い時刻表であったため、全く存在に気付かなかった。
これに乗る手もあったなと、ひとしきり後悔した。
高浜を出ると、臨時快速の待避で遅れた分を取り返すかのように列車は飛ばし始めた。
運転台を見ると、速度は130km/hを伺おうかというほどで、制限のない区間では常時120km/hを出していた。
何てことない車両と思っていたE531系だが、実は西の223系に匹敵するぐらいの俊足を誇るのだった。
高浜から数駅走ると、霧も晴れてきた。休日の朝だけあって、顕著に混雑することもなく水戸に到着。
ここで水郡線に乗り換える。
霧の高浜で発車を待つE531系。
上野駅で購入した「薩摩No.1弁当」。
都内でなぜ薩摩の弁当を売っているのかという疑問はさておき、味はまずまずだった。
水戸9:23発〜郡山12:33着
水郡線に乗るのは、JR乗りつぶしをしていた2001年以来7年ぶりだ。
あの時と変わった点として、車両がキハE130という新型になった点、
そして常陸太田で接続する日立電鉄が廃止となった点が挙げられる。
ただし今回は常陸太田支線には乗らず、直接水戸から郡山に向かおうと思う。
常磐線から乗り換えると車内は既に結構混んでいて、3両編成ながらボックスシートは全て埋まっていた。
このキハE130、水戸付近でのラッシュに対応するため3ドア両開きの通勤仕様になっていて、
以前のキハ110に比べてボックスシートが減っている。仕方ないので、先頭部の2人掛けのロングシートに座った。
この選択は結果的に正解で、ロングシートなので長距離客は寄り付かず、
短距離の客も2人掛けで席が狭いので寄り付かない。しかも前面もそこそこ見える。結局最後までこの席に座り続けた。
水戸を発車し、最初は非電化の線区とは思えないほど頻繁に停車する。ちなみに水戸を出て数駅で、
周囲に田んぼが広がるようになったのには驚いた。福井から越美北線に乗ったときも同じ感想を抱いたが。
上菅谷で常陸太田支線と分かれ、左に大きくカーブする。しばらくのどかな丘陵地帯を走った後、
山方宿あたりから久慈川に沿って延々と走る。久慈川は険しい渓谷ではなく、かなり幅の広い平地を形成している。
周囲に山も大して高くなく、山並みは平凡だ。したがって、車窓を見ていてもあまり印象に残るものがない。
7年前に乗車した時、水郡線の車窓の印象があまりなかったのはこういう理由だったか、と思う。
先頭から車窓を見ていると、「貨10」と書かれた停車目標が目に付いた。
水郡線でいまだに貨物扱いなんてやってるんだろうか、とやや疑問に思っていると、
途中の西金駅にバラストの積み出し基地があるのを見つけた。
ここから水戸まで、バラストを輸送する貨物列車が走るのだろう。
列車はやがて袋田に着く。袋田の滝の最寄り駅で、駅前にはバスが待機している。
先日、滝の全貌を見られる展望台ができたとかで、下車する観光客は結構多かった。
その次の駅が常陸大子。水郡線の要となる駅で、この駅で後部の1両が切り離される。
7年前も、この駅で後ろの車両が切り離されたことを記憶している。
停車時間があるので出口の方に歩くと、階段の前にビニール袋を下げたおばちゃんがいた。
ここ常陸大子では、地鶏を使った駅弁が名物となっている。今回は事前に電話予約しておいたので、
列車まで届けてくれたようだ。950円を支払い有難く受け取る。
ちなみに、改札口の方から同じ袋を下げて戻ってきた人がいたので、駅の売店でも一応販売はしていると思われる。
駅弁を食べつつ、常陸大子を発車。一瞬山深くなったが、すぐに川沿いの平野に戻る。
車窓にあまり変化がないまま福島県に入り、矢祭山に停車。
7年前は変わった駅名だなとしか思わなかったが、矢祭町は「合併しない宣言」をしたことで近年結構有名になった。
さらに走り、磐城棚倉に到着。ここから白河までかつて白棚線という路線が延びていて、
その廃線跡を使った路線バスが今でも走っている。プラン中に乗ろうかとも考えたが、
列車との接続が悪く断念した。
磐城棚倉を出たところでようやく久慈川の水系を離れ、やや山深くなる。丘陵を縫うように走って、
磐城石川に着く。ここでは学生なども乗ってきて、車内が賑やかになった。
途中の駅からはぽつぽつと乗客が乗ってくるようになってきた。郡山の経済圏に入ったのだろう。
磐城石川から郡山まではあと数駅だが、このあたりは駅間が長いので30分以上掛かった。
安積永盛で東北本線に合流し、本線の線路をすべるように走って、終点の郡山に到着。
到着したホームは駅の外れの行き止まりのホームで、乗り換えにはやや時間が掛かる。
似たようなロケーションのホームとして、富山駅の高山本線乗り場を思い出してしまった。
JR九州の車両かと見紛うほど派手なカラーリングのキハE130。
常陸大子駅の「奥久慈しゃも弁当」。
容器に肉やご飯がぎっしりと詰まった良心的な弁当だ。素朴な味で、水郡線の車窓によく似合う。
郡山13:18発〜いわき14:52着
郡山は東北本線の他に水郡線・磐越西線・磐越東線が分かれる古くからの鉄道の要衝である。
駅構内には今でも側線が多くあり、石油を積んだタンク車などが停車している。
ホームでしばらく待つと、磐越東線のいわき行きが3両編成で入線してきた。
ただし乗客は結構多く、またもロングシートに座る。結局、学生などでほとんどの席が埋まった状態で発車。
ローカル線にしてはなかなかの盛況だ。
車窓は、先程まで乗ってきた水郡線と大差なく、阿武隈高地沿いの丘陵をうねうねと進む。
ただし、水郡線よりは周囲の山がやや険しい気がする。
そんな所を淡々と走りつつ、途中の駅で少しずつ乗客を吐き出しつつ列車は進む。
駅のホームは案外長く、10両分ぐらいあるかもしれない。今では地味なローカル線に転落してしまい、
兄弟路線である磐越西線との格差が大きくなってしまった感のある磐越東線だが、
かつてはそれなりに重要な幹線だったのだろう。
車窓から時折見える磐越自動車道が、今ではこの地域の動脈と化している。
しばらく走ると車内も落ち着いてきたので、前方のボックスシートに移る。
やがて列車は神俣駅に到着。ここでは対向列車と行き違ってすぐに発車する予定なのだが、
停車したきりなかなか発車しない。車内放送によると、対向列車が異音を検知したため駅手前で緊急停車しているという。
このあとの常磐線との接続には余裕があるので少々の遅れなら問題ないが、やや心配になる。
10分ほどしたところで、ようやく対向列車が動き出した。対向列車が到着してもなかなか駅を発車せず気を揉んだが、
何とか15分遅れで発車。このままの遅れで行けば予定の列車との接続には問題なさそうだ。
この先は行き違いもないので、遅れが増すことはないだろう。
次の小野新町は、郡山からの列車の多くが折り返す駅だ。この先いわきまで行く列車はぐっと少なくなる。
夏井を出ると、周囲に山が迫ってきた。夏井川の険しい流れと、
併走する一車線の細い道路と絡むように線路は引かれている。
途中に通り過ぎるトンネルは、石積みでどれも古びている。中には坑口が水で濡れているものもあり、不気味だ。
こんなところを走っていると、東北の秘境路線である岩泉線を思い出す。
ただ、岩泉線と違ってこちらは時折沿線に家が現れる。
そんな景色は、川前、江田と途中駅を通り過ぎてもまだ続く。ようやく市街に降りてきた所で、小川郷に停車。
いわき方面への始発列車もある駅だが、車窓を見ているとそんなダイヤになっている理由がよく分かる。
あとは市街を走り、最後は常磐線と併走していわきに到着。結局10分ちょっと遅れての到着となった。
異音検知のため、神俣駅で発車を待つキハ110。
いわき15:12発〜勝田16:37着
いわきからは常磐線で東京へ戻る。まずは水戸まで戻るのだが、やってきた車両は何と4ドアロングシートのE501系だ。
交流機器とトイレが付いている以外、京浜東北線などの209系と何ら車体構造は変わらない。
これが土浦以北の常磐線内を走っていることは一応知っていたが、実際目の前に現れると驚かされる。
5両編成とそこそこ編成は長いが、発車までにほとんどの席は埋まった。
いわきを出て、いくつか駅に停車すると乗客は次第に降りていき、やや車内は空いてきた。
しばらくうとうとしていると、列車は勿来に着いた。いわき方面から来ると福島県最後の駅である。
ここから磯原にかけては、常磐線にしては珍しく海がよく見える区間だ。松林の向こうに大海原が見える。
常磐線はずっと太平洋に沿って走るのだが、全線を通じても海が見える箇所は数えるほどしかない。
磯原、高萩と過ぎ、やがて列車は日立に到着。日立製作所の本拠地で、乗降客も群を抜いて多い。
日立駅は高台の上にあるようで、駅を出てすぐにちらりと海が見えた。
日立から先は、東京ドームが何個入るのだろうというほどの大工場が沿線にいくつも見える。
工場に勤める人の住居も目立つ。一気に都会に戻ってきた気がする。
と、ここでまたしてもハプニングが起きた。大甕駅停車中にATSの故障が発生したという。
最後尾に座っていたので、列車無線を通じ、「ATSを再起動してください」などと指示が来るのが聞こえる。
が、なかなか故障は直らない。今日既に3度目のトラブルで、いい加減うんざりしてくる。
幸い10分弱で故障は直ったが、次の東海で臨時に特急を待避したため勝田には12分ほど遅れて到着した。
ちなみに勝田で臨時に車両交換を行うため、水戸方面に行く人は勝田始発の上野行きに乗り換えるよう指示があった。
水戸に行く人はトータルで20分ほど到着が遅れることになる。
いわき駅で待っていたのは、4ドア通勤型のE501系。
勝田16:58発〜北千住19:05着
本来のプランだと、水戸から後続の特急(実は先程東海で抜かれた列車)に乗り換えて土浦に急ぎ、
土浦からは普通列車に乗るつもりだった。が、結局特急には乗り換えられなかったので、
勝田から素直に普通列車で東京に戻ることにする。勝田から2時間、じっくりとグリーン車に腰を落ち着けることができるので、
まあ納得のプランではある。今日は何度か遅延に巻き込まれたが、いずれも致命的なものではなかったのが幸いだった。
今度は夜なので、2階建て車両の1階に座った。1階にわざわざ来る人はあまりいないようで、
ずっとがらがらであった。グリーン車の客はみな長距離を乗りとおすのかと思っていたが、
案外短距離(石岡→土浦、我孫子→上野方面など)の客が多かったのが意外だった。
北千住に着くともう夜7時であった。さすがに一日乗りまくったという感がする。
2008/12/28
この日は、中央本線の普通列車で上諏訪に行き、上諏訪から飯田線を経由して豊橋まで行く長距離普通列車に乗ることにした。
このプラン、実は2006年の11月に一度実行したことがある。
まだ2年前なのでダイヤ等もほとんど変わっていないのだが、唯一大きく変わった点として、
飯田線の車両が新型の313系に置き換わったことが挙げられる。
新型車両の乗り心地はいかばかりか、少し興味がある。
とはいえ、上諏訪から豊橋まで6時間以上も乗りとおすのはしんどい。前回も、本長篠あたりからは景色が平凡になり、
さすがにうんざりしてきたのを覚えている。そこで、今回は一工夫し、途中からバスと遠州鉄道で浜松に出ることにした。
高尾6:14発〜上諏訪8:55着
まだ日も明けきらぬ高尾にやってきた。高尾からは松本行き普通列車に乗って長野県を目指す。
こうやって高尾や八王子から松本行き普通に乗るのは何度目だろうか。
高尾から二つ目の藤野で夜が明けた。ただ、このあたりは周囲を山で囲われているので太陽は見えない。
鳥沢の鉄橋、初狩や笹子のスイッチバック跡、勝沼ぶどう郷のあたりから見える甲府盆地など、
沿線の見所はもう何度となく見ているが、それでも見ていると時が経つのを忘れてしまう。
気付くともう列車は甲府盆地に降りてきていて、塩山、石和温泉などに停車するうちに甲府に到着。
甲府では時間があるので、何か朝食になるものを、と駅弁売り場に行く。
が、適当なものがなく、3個入りの柿の葉寿司を買って腹の足しにする。
甲府からは通学の生徒なども乗ってきてやや客が増えた。韮崎を過ぎると、右手に八ヶ岳、左手に南アルプスの山々が見える。
今日は晴れているのでさぞや綺麗に見えるだろう、と思っていたら、どちらもガスが掛かっていて今ひとつだった。
ただ、山並みの向こうに富士山が頭だけ覗かせているのが見えた。
列車は標高を上げ、高原の気配が漂ってきたところで小淵沢に到着。
信濃境でサミットに達すると、あとはぐんぐんと下って茅野に到着。ここまで来ると上諏訪はもうすぐだ。
しばらく走ると、途中で線路が複線から単線に変わった。列車密度の低い茅野以東が複線で、
列車の多い上諏訪から岡谷が単線という配線、何とかならないものかと思う。
列車は8時55分、定刻通りに上諏訪に着いた。高尾からは3時間近く掛かっているが、随分短く感じられた。
上諏訪9:20発〜中部天竜14:07着
上諏訪に降り立つと、向かいのホームに飯田線の豊橋行きが停車していた。
噂に聞いていた通り313系、しかも中京地区の新快速と同じ転換クロスシート車である。
御殿場線や身延線に走っているようなセミクロスシートの車両かと思っていたので意外だった。
失礼ながら、飯田線には過分な設備と思わなくもない。
が、よくよく考えると飯田線北部には優等列車が走っておらず、都市間移動をするには普通列車に乗らざるを得ない。
(御殿場線・身延線には一応特急列車が走っている。)
そのため、18きっぷで普通列車に乗り続ける鉄道マニアを除外しても、長距離
(例えば岡谷→駒ヶ根、駒ヶ根→飯田など)を乗り通す人は案外多かった。
その意味では、転換クロスシートというのは案外妥当な選択なのかもしれない。
ちなみに、現在の飯田線の主力である119系も近く新型に置き換えられる計画があるという。
その際は、是非転換クロスシート車を入れてもらえると有難いと思う。
前置きが長くなったが、列車は上諏訪を発車し、下諏訪、岡谷と停まる。岡谷では上り列車の遅れの影響で発車がやや遅れた。
もっとも、この列車は辰野で長時間停車するダイヤになっているので、問題ないだろう。
まだ細い流れである天竜川の源流と並行して進み、辰野着。ここで早くも乗務員が交代する。
辰野から飯田線に入ると、急に駅の間隔が短くなる。列車は丹念に一つ一つの駅に停車する。
313系というと東海道線の新快速で爆走しているイメージがあるので、やや違和感がある。
どんな小さな駅でも、一人か二人は乗り降りがあった。
そのたびに車掌はホームを走って、下車客から切符を回収する。そのため、飯田線ではドア扱いは運転士が行う。
また、走行中は車掌は車内を常に巡回し、無人駅からの乗客に切符を販売する。
飯田線に配属された車掌は大変だなと思う。
列車はのんびりと走り、伊那松島でまたも乗務員が交代する。その後も相変わらずのんびりとしたペースで伊那北へ。
ここと伊那市はどちらも街の中心に近いようで、降りる人が多かった。さらに走って、
駒ヶ根からは子連れの家族などが乗ってきて、車内は賑やかになった。
駒ヶ根からは線路のカーブがきつくなり、ただでさえゆっくりだった列車がさらに遅くなった。
「オメガカーブ」と呼ばれる、渓流を遡って川を渡り、再び渓流を下る箇所があるのもこのあたりだ。
「蝿が止まりそう」といっても過言でないほど列車はゆっくりゆっくりと走る。
あまりに遅いので列車の先頭部で運転を見てみると、カーブの制限速度を示す標識はなかった。
カーブの半径により制限速度が別途定められているのだろうか。
伊那大島あたりでようやく平地に降り、飯田に到着。ここで家族連れなどはほとんど下車した。
特急「伊那路」を先に通すため、10分少々停車する。この間に改札外の売店に行ってみる。
何か食べ物が売っていないかと思ってみていたが、ごくわずかな菓子とパン、
あとは「イナゴ」「ざざ虫」の佃煮ぐらいしか売っていなかった。
さすがにイナゴやらざざ虫を車内でかじる気はしないので、すごすごと退散する。
以前は構内に駅そば店があったはずなのだが、なくなってしまったようだ。
飯田を出て、しばらくは天竜川沿いの平地を走る。天竜峡で辰野から続いた伊那盆地が尽き、
天竜川沿いの渓谷を進む。飯田線でも一番の見所だ。2年前は、天竜峡からバスツアー客がぞろぞろ乗ってきて辟易としたものだが、
今回はそんなことはなかった。車内の客は、上諏訪や辰野から延々と乗ってきている鉄道マニアばかりである。
天竜峡から先は、温田や平岡など一部の駅を除き、駅前に家が数軒か、もしくは全くない駅が多い。
トンネルが結構多く、川の見える区間は案外少ないが、それでも天竜川の渓流の眺めは素晴らしい。
道路などの人工物が少ないのもよい。また、このあたりの人気の少ない「秘境駅」はマニアの間では人気があり、
中井侍からは2人、小和田からは数人が乗車してきた。
大嵐を出ると、列車は長いトンネルで天竜川を離れて水窪に向かう。
水窪からは水窪川に沿って下るが、併走する国道は非常に道が狭い箇所も見られる。
この後乗るバスはこの道を走っているはずだが、本当にこんなところをバスが通うのかと思ってしまう。
列車は再び長いトンネルに入り、佐久間ダムを見つつ中部天竜に到着。
前回はこの先豊橋までこの列車に乗り続けたが、今回はここで下車する。
それでも乗車時間は5時間近くなり、流石にお尻が痛くなった。
2008年に製造されたばかりの、新車313系で飯田線の旅が始まる。
車内では、上諏訪駅で買った「牛肉弁当」を食べる。
肉の質は普通だが量は多く、千円を切る値段の割りに食べ応えがあった。
田本駅のホーム上には、壁からはみ出した巨岩がせり出している。
中部天竜15:13発〜早瀬15:20着
この後は、水窪から浜松の北の西鹿島に向かう遠州鉄道バスに乗って南下することにしている。
だが、バスとの接続が悪く、水窪で降りると時間が余りすぎるため、
このあたりでは比較的大きな集落と思われる中部天竜で下車してみた。
中部天竜の駅構内には、佐久間レールパークという鉄道博物館があり、
時間つぶしにはうってつけなのだが、残念なことにこの時期は冬季休業中である。
仕方ないので駅前をぶらついてみるが、駅前の商店街は人気もなく、年末だからか店もあまり開いていない。
飲食店があれば入って休もうかと思ったが、それっぽい店はことごとく休業している。
加えて、この日は風が強く寒い。この日は北に低気圧がきており、羽越本線などは終日列車が運休したほどだったという。
幸い飯田線はダイヤ通り走ったが、車内で見ていても風は強そうだった。
そんな訳で15時前にはやることがなくなってしまった。
駅の待合室にいても仕方ないので、暇つぶしを兼ねて一度豊橋行きの列車に乗り、
水窪に向かう列車を「迎え」に行くことにした。
他に誰も客のいない119系で2駅走り、早瀬で下車。小さな待合室と、ホーム一本があるだけの本当に小さな駅だった。
ホームは駅前の道路と低い柵で区切られているだけである。
ホームではおばちゃんが立ち話をしている。
あまりに何もないので、所在無くホームに立っていると、通りがかったお婆さんが
「こんにちは、今日も寒いですね」と挨拶して去っていった。
何もない駅で下車してホームに立っている、傍目からは不審な人物である私にも警戒するそぶりはまるでなかった。
ああ、これが「田舎」なのかと、田舎暮らしをした事のない私は妙に感心してしまった。
中部天竜の駅周辺は静かな集落であるが、
周囲は険しい山間部であるためその規模以上に大きな町に見える。
レールパークに並ぶ車両。
飯田線にゆかりのある車両なのかどうかは分からない。
早瀬15:27発〜城西15:46着
水窪方面に向かう列車は3分ほど遅れてやってきた。中部天竜を通り越し、再び長いトンネルを抜ける。 このまま水窪まで行ってバスに乗ろうとするとわずかに間に合わないため、 途中の城西で下車する。城西は周囲に数件の民家があるだけの小さな駅だが、 待合室の他に駅舎もあった。寒いのでドアを締め切り、バスを待つ。もちろん、他には人はいない。 先程の早瀬といい、まるで無人駅めぐりをしているかのようだが、今後こういった駅で降りる機会もないだろうし、 ある意味貴重な経験だと思う。
城西駅前16:02発〜西鹿島17:30着 遠鉄バス
バスは時刻どおりに駅前にやってきた。誰も乗っていないのではないかと思ったが、先客は5人ほどいた。
浜松市に属する水窪から浜松市中心部へ出る唯一の交通機関なので、それなりに需要があるのだろう。
城西を出たバスは、一車線分しかない川沿いに道を走る。バスはマイクロバスサイズではなく、普通のサイズである。
対向車が来たらどうするのだろうと思ったが、双方とも案外器用にすり抜けていた。
この辺の人はもう慣れているのだろう。この道は一応国道152号線という国道なのだが、
道の状況を見ているととてもそうとは思えない。
しばらく走ると、急に二車線になり真新しいトンネルが現れた。一応国道なので、
少しずつ整備が行われているのだろう。が、バスはそれには入らず、旧道を走った。
こちらは相変わらずの狭苦しい道だ。
新道と合流し、相月駅前を通過。ここで飯田線とは別れる。その後も一車線の道が続く。
ようやく2車線になったところで、西渡というバス停に到着。ここで天竜川と合流する。
その後は天竜川に沿って下るが、川幅が狭い割に川沿いにほとんど平地はない。
先程まで乗ってきた飯田線と似たような状況が続く。
そんな道を延々と20kmほど走り、横山という集落に着く。ここで数人の客を拾った。
横山を出ても、まだまだ無人の山間部をバスは進む。そろそろ日も暮れてきた。
こんな山の中をさまよっていて、本当に今日中に東京に帰れるのか、という気がしてくる。
それでも、しばらく走るとようやく市街地に出た。天竜浜名湖鉄道の二俣本町駅に近い市街を抜け、
西鹿島駅前に着いたのはちょうど5時半であった。
昔は駅員もいたと思われる城西駅。
西鹿島17:36発〜新浜松18:08着 遠州鉄道
西鹿島からは、遠州鉄道に乗り継いで新浜松に出る。遠州鉄道の新浜松駅はJR線からよく見え、
前からその存在は気になっていたのだが、こんな形で初乗りをすることになるとは思わなかった。
券売機で切符を購入し、改札を通る。改札は自動化されておらず、鋏が健在であった。
また、車内では車掌ががま口を首から下げて切符を売る光景も見られた。
その一方、遠鉄はバスと共通のICカードも導入している。
そのため、改札口にはICカードリーダーと鋏が共存するという妙な光景が見られた。
早速列車に乗り込むと、2段窓ながら割と小奇麗な列車が待っていた。
編成は2両と短いが、ほぼ終日に渡って12分に一本のダイヤが維持され、利便性は高い。
ちなみに線路は全線が単線だが、交換待ちは全くなく、効率的なダイヤが組まれている。
西鹿島を発車すると、床下からはVVVFインバータ音が聞こえた。
小田急の2000系と似た音である。いくら綺麗な車両とはいえ、
せいぜい古い車の走行機器を流用した車体更新車だろうと思っていたので意外だった。
西鹿島を出て、列車は軽快に進んでいく。夜間に浜松方面に向かう列車なので空いているかと思いきや、
途中駅からどんどん人が乗ってきて、最後は立つ人も多くいた。
途中の八幡駅からは高架に上がる。向こうの方に浜松駅前のビル群が見える。
新浜松の一つ手前、第一通りでかなりの客が降りた。
この辺に来ると駅の間隔は短く、わずかに走っただけで終点の新浜松に到着。
イルミネーションのきらびやかな西鹿島駅。
列車が到着するたびに賑わいを見せる。
浜松18:19発〜静岡18:45着 こだま572号
新浜松の駅を出て、きらびやかな遠鉄百貨店や噴水広場の脇を抜け、JRの浜松駅に急ぐ。
構内の通路を小走りに駆け抜け、新幹線の乗り場に到着。予定していた18時19分のこだまに間に合いそうだ。
18きっぷの旅であるので、本来ならば普通列車で静岡方面に向かうべきなのだが、
浜松から静岡にかけてはロングシートの車両しか走っておらず、時間も結構掛かるのであまり乗る気がしない。
そこで、この区間は新幹線に乗って楽をすることにした。
やってきたこだま号は意外にも700系であった。がらがらの自由席に座り、買ってきた駅弁を食べる。
食べ終わると、もう列車は掛川を発車していた。静岡までは所要わずか26分、
この旅では群を抜く高速移動は実にあっけなく終わった。
浜松駅「一豊御膳」。小ぎれいな幕の内だ。
静岡19:29発〜横浜22:15着
静岡で新幹線を下車し、高架下のショッピングモールをぶらつく。
ここは色んな弁当や寿司が売られているので、18きっぷでの移動途中の食料調達には便利だ。
この日の最終ランナーは、静岡発東京行普通列車である。
この列車は「ムーンライトながら」でおなじみの373系で運転される乗り得列車としてよく知られている。
「ムーンライトながら」用の車両を静岡の車庫から東京に送り込むために運転されているもので、
18きっぷで帰省をしていた頃はよくお世話になった。
だが、この列車は2009年3月のダイヤ改正で廃止される可能性が高い。
というのも、この改正で「ムーンライトながら」が季節列車化されるからだ。
そうなると「ムーンライトながら」用車両の回送という意義が失われるため、一般型車両に置き換わる可能性が高い。
ただ、JR東日本と東海の車両キロ数調整のために送り込み列車だけ残される可能性もなくはないので、
断定はできないものの、風前の灯であることは否定できない。そこで、
今回は惜別の念も込めてこの列車に乗ることにした。
18きっぷ期間は混むといわれるこの列車だが、小田原までは空いていた。
ただ、この列車の存在を知るマニアはいるようで、車端のセミコンパートメントに陣取って酒盛りをする客も見られた。
小田原からはさすがに混んできたが、特急型シートでくつろいでいるとやっぱり楽だ。
横浜までは3時間近くかかるが、時間を感じなかった。
なお、この列車は「ながら」廃止後も373系で引き続き運転されているようだ。 とはいえ「ながら」送り込みという運用上の都合はなくなったわけで、 今後いつ無くなるかは分からない。
静岡駅で発車を待つ373系。
ここから普通列車として発車するのもあとわずかかもしれない。
静岡駅の鯛めし。
ちょうど米沢の牛肉弁当の肉を魚に置き換えたような弁当だ。750円と安いが、
米がぎっしりと詰まっていて腹が膨れる。静岡でも伝統ある駅弁らしい。
2009/1/12
この日は、普通列車に乗って成田に出かけた。成田といえば成田山新勝寺、そして成田空港があるが、 そのどちらに向かうわけでもない。そんな中、成田に向かった理由は後で種明かしをする。
錦糸町14:13発〜千葉14:43着
千葉15:01発〜成田15:32着
都心で雹が降る妙な空模様の中、昼下がりの錦糸町にやってきた。
ここから、まずは千葉行きの総武快速のグリーン車に乗る。
成田空港直行の列車だと、空港利用者で混んでいそうだからという理由だ。
期待通り、列車は空いていた。1階席でのんびりくつろぎつつ、千葉へ。
千葉から、成田空港行きに乗り換える。進めば進むほど周囲が寂れていくのを見ていると、
遠くに来たんだなと実感する。
成田に着いたところで下車。車内放送では、銚子方面への乗り換えも案内されていた。
本当はもうちょっと早起きして、久々に銚子の方まで行ってみようかと思っていたのだが、
寝坊してしまい断念せざるを得なかった。
成田15:50発〜八王子18:16着
成田駅で下車すると、1番線には国鉄色の183系8連が停車している。
この列車は「成田山初詣高尾号」といい、成田と中央線の高尾を結ぶ臨時列車だ。
この時期、有名な成田山に通う初詣客を輸送するため、成田には多種多様な臨時列車が行き来している。
この列車のユニークな点は、成田を出ると三鷹まで無停車で行ってしまう点。
臨時列車とはいえ、普通ならば東京なり新宿なりの都内の主要駅には停車しそうなものだが、
この列車は停車しない。
列車に乗り込むと、車内はそこそこ賑わっていた。年配の団体客が多い。酒盛りをしている団体客もいる。
成田を発車し、まずは成田線を順調に走る。
佐倉で総武本線と合流してもそこそこのスピードで走るが、四街道駅で副本線に入り、運転停車した。
しばらく待って、成田エクスプレスを先行させてから発車。
やがて、列車は千葉に到着。ここでも運転停車し、乗務員が交代したようだ。
千葉を発車して総武快速線に入ると、列車はさらにスピードを上げた。
車窓には夕日が輝き、高架線からは富士山のシルエットも見えた。
しばらく順調に走ったが、市川あたりで先行の快速列車に「当たった」せいか、時折徐行するようになった。
しばらくのろのろ運転をしつつ、錦糸町を通過。ここで車外に目を凝らす。
ここから先、どのルートを進むかが気になるからだ。
総武線から中央線に入るルートとしては、錦糸町から総武緩行線に入り、御茶ノ水から中央線に入るルートと、
東京地下ホームから品川、大崎を経て山手快速線に入り、新宿に至るルートが考えられる。
当初は、武蔵野線経由ではないかと思っていたが、よくよく考えるとこの列車は三鷹に停車するので、
それは有り得ないのだった。
列車は相変わらずノロノロ運転で、やはり緩行線に転線するのかと思ったが、結局快速線をまっすぐ進み、
両国から地下に入った。どうやら品川経由のようだ。
やがて、東京駅で再度の運転停車を行い、乗務員交代を行う。
東京駅のような大きな駅で客扱いしないのは珍しく、ホームの客も好奇の目線でこちらを見ている。
駅の放送では「この列車は団体専用です」と言っているが、それはちょっと違う気もする。
東京を出て地下線を飛ばし、品川を出ると今度は徐行して山手貨物線への連絡線に入る。
成田エクスプレスなどが主に利用する線路だ。大崎を出ると、再び山手貨物線を快走する。
この列車、ノロノロ運転になったりえらく飛ばしたりと変動が激しい。
新宿駅手前で再び徐行し、ゆっくりと7番線に入る。
横には中央快速線の東京行きが停車している。ここでまた乗務員が代わる。
特急「あずさ」を先に出すためしばらく停車した後、発車。ここからは中央快速線を進むだけなので、
特に珍しくはない。ただし、八王子まで先行する快速を抜くことはないため、速度は出ない。
やがて、列車は三鷹に停車。降りる人はほとんどいなかった。
立川を出たところで、ようやく車内改札がある。
この列車はおそらく八王子支社が企画しているものと思われ、
車内改札は八王子支社の乗務員が担当することになっているのだろう。
立川を出ると再びスピードが出て、あっという間に八王子に到着。
成田から2時間あまり、国鉄型車両の乗り心地を満喫したのだった。
臨時快速に運用される、田町区の183系8連。