中央本線 高尾発松本行 427M
飯田線を全線走破する列車は一日数本あるが、日のある時間に走り切る列車となると数は限られる。
結局、辰野を10時に出る列車に乗ることにした。この列車の始発は上諏訪なので、
まずは中央線の普通列車で上諏訪に向かう。
その普通列車に乗るため、まだ夜も明けきらぬ八王子駅に降り立った。
11月下旬の早朝で、しかも晴れているので寒い。
この八王子駅は地平にホームがあり、しかも側線ではDLが動いていたりするので、
首都圏の駅という感じがせず、まるでどこかの地方都市の駅のようだ。
時間があったので、八高線の209系を写してみた。りんかい線から移籍してきた代物だ。
八王子から高尾まではオレンジの201系に乗る。
高尾が近づくにつれ、町並みの後ろに山が迫ってきた。これから延々と続く山越えの旅の入口である。
高尾駅で、長野色115系6連に乗り換える。201系から乗り換えると、同じ線とは思えないぐらいムードが違う。
高尾を出ると、列車はいきなり急勾配に差し掛かる。第一の難所である小仏峠を越えるためだ。
列車は、先程まで大都会の八王子にいたのが信じられないほど鄙びた渓流沿いの土地を進む。
このギャップが中央線の旅の第一の魅力といえるだろう。
長い小仏トンネルを抜けると、相模湖に着く。ここからしばらくは相模川の上流に沿って進む。
相模湖駅のあたりで大分明るくなってきたのだが、霧が立ち込めていて遠くはよく見えない。
あたりは山の中でローカルムードが漂うが、上野原のように駅から見えない山の上にニュータウンが開発された所もある。
やがて、列車は桂川を大きな鉄橋で渡る。桂川とその脇の田畑を一気に越える長大なもので、高さもあって眺めがよい。
このあたりは大分紅葉が進んでいる。今はそれほどではないが、もう少し時間が経てば中央線も観光客で混雑するに違いない。
桂川橋梁を渡ると、まもなく大月に着く。
ここでは201系の10両編成が何と2本も待機していた。それにしても、こんな山の中に201系の長大編成は似合わない。
大月まで来ると、車内はハイキングに行く登山客や折りたたみ自転車を持った若者、合宿にでも行く学生の集団など、
「遊び」の客ばかりとなる。中央本線らしい行楽ムードが漂う。
大月を出た次の駅は初狩。駅の横に妙な引込み線があるが、 これは形状から見てかつてのスイッチバックの跡だろう。笹子の駅を過ぎると、 列車は右にカーブして笹子トンネルに入る。このトンネルは完成時、日本最長を誇った。 今ではこの程度の長さのトンネルは珍しくないが、 それでもやはり長い。しかも、トンネルの中ほどで何故か徐行したりするので、余計に長く感じる。
笹子トンネルを抜けると甲斐大和に着く。山間の人気の少ない駅で、
「武田家終焉の地」という看板が余計に侘しさを醸し出している。ここでハイカーが何人か降りていった。
この甲斐大和は甲府盆地の一番隅にあり、ここから甲府盆地へは、大きくカーブして距離を稼ぎながら降りていく。
トンネルや木々の間に、はるか低い場所にある甲府盆地が垣間見える。
勝沼ぶどう郷もかつてはスイッチバックの駅だったが、今は急な勾配上にホームが造られている。
駅の名の通り、辺りにはぶどう棚が広がっている。が、ぶどう棚は勝沼周辺にしかないわけではなく、
もっと平野部に降りても結構見られた。
塩山や山梨市辺りからは部活にでも行くと思われる学生が乗ってきて、都市近郊の様相を呈してきた。
その学生たちは甲府の手前の酒折で下車していった。甲府やその次の竜王では再び学生が乗り込んできた。
韮崎では甲府盆地から再び山へと差し掛かる。そのため非常に急な勾配の上にホームがある。
座っていても列車が傾いているのを感じるほどだ。
この駅で学生の多くが下車していった。
韮崎からは甲府盆地を離れ、八ヶ岳の麓をぐいぐいと登っていく。車窓右手には八ヶ岳が見えるが、 列車が進むにつれ山の姿がどんどん大きくなっていく。
一方左手には、南アルプスの山々が見える。山の頂上の方は白く冠雪しているのが見えた。 列車はますます高度を上げ、中央東線の最高地点である富士見を目指して進む。この辺りまで来るとかなりの標高で、 夏場などは東京に比べて明らかに空気が冷たいのが分かる。
やがて列車は小海線との分岐点、小淵沢に到着。小海線はJR最高地点の野辺山や清里を通る風光明媚な線だが、 列車の本数が少ないのが難点だ。小淵沢を出ると、中央線最高地の駅である富士見を過ぎ、 複線化で放棄された古い橋梁を見やりつつ列車は高度をどんどん下げる。ユニークな駅名のすずらんの里を出て、 茅野に着くと家並みが目立つようになってきた。
飯田線 上諏訪発豊橋行 544M
到着した上諏訪駅は、構内に無料の温泉がある駅として有名だった。
今は温泉から足湯に変わっている。ちなみに、足湯がある駅というのは結構あり、
釧網本線の摩周駅にあるのを見たことがある。
上諏訪からは飯田線経由の豊橋行き列車に乗る。飯田線といえば専用車の119系の印象が強いが、
JR東日本への直通運用を中心に一部は115系で運転されており、これから乗る列車も115系である。
車内は至って普通だが、蒲郡とか名古屋辺りの施設の広告がある辺りに違和感を感じる。
上諏訪辺りで蒲郡の広告を見ても普通の人は「?」と感じるだろう。
上諏訪を発車し、列車は諏訪湖を左手に見ながら走る。
この辺りは中央東線でも数少ない単線区間で、特急列車や松本行き普通列車だけでなく、
この列車のように飯田線からも乗り入れがあることからダイヤ上のボトルネックとなっている。
下諏訪や岡谷で乗客を乗せ、塩嶺トンネル経由へ塩尻へ抜ける中央東線と分かれ、単線のか細い線路を行く。
頭上を自動車道の高い高架が通り抜けていく。
岡谷を出て最初の駅は川岸。この駅は飯田線の駅ではなくまだ中央本線なのだが、 みどり湖経由のルートができて以来没落し、運転系統的には飯田線の一部と化している。 線路の横には諏訪湖から発した天竜川が流れている。この辺りの天竜川はごくごく普通の川で、 これが後で見る大河に変貌するとは思えない。
辰野駅に到着した列車は、この駅で何と14分も停車する。
まあ、豊橋まで7時間も乗り続けることを考えたら、15分などものの数ではないのだが。
辰野駅はかつては特急が行き交う駅だったが、今は没落し普通列車がわずかに行き交うのみだ。
木製の陸橋がいい味を出している。
長時間停車の後、辰野駅を出発する。
だが、少し加速したかと思うとすぐに惰性運転となり、
ブレーキがかかって民家の裏庭のような所で停車してしまった。何だろうと思っているとそこが最初の停車駅、宮木だった。
さすが元私鉄だけあって駅間が短い。今走ってきた川岸あたりは駅間も長く、腐っても幹線であったことを実感した。
しばらく駅間の短い区間が続いたが、沢を出るとやや長くなった。
沢の次の伊那松島は古くから車庫が置かれた拠点駅。車庫の横には今も「伊那松島運輸区」の看板が立っている。
その一隅に、見慣れない車両が置かれていた。名古屋地区や御殿場線で見かける313系の3両編成だ。
最初に見た時は一体何なのだろうと思ったが、後で調べるとこの313系が今乗っている115系を置き換えるようだ。
おそらく試運転のために伊那松島に来ていたのだろう。
この辺りの中心駅である伊那市で多くの客が下車し、
車内は大分静かになった。伊那市を出てしばらくは起伏のない田園地帯を進んでいたが、
沢渡の辺りから起伏が激しくなってきた。JRで最も急な40パーミルの勾配があるのもこの辺りだ。
線路は次第に天竜川から離れ、集落をやや見下ろす高台を進むようになった。 列車か駒ヶ根駅に到着。駅の横の側線には列車が留置されている。 この駅で辰野方面や飯田方面へ折り返す列車も設定されているからだろう。 ここまでは比較的起伏の少ないのどかな車窓が続いたが、ここから飯田にかけては地形が険しくなる。
伊那福岡駅を出ると、列車は右に急カーブする。 車窓の下の方には谷が広がっている。その向こうに架線柱が見える。どうやらこれから通る線路のようだ。 川沿いをしばらく遡り、左にカーブして川を渡る。
前後に急カーブがあるため、列車はのろのろと鉄橋を渡る。 川には大きな石がごろごろしている。駒ケ岳から流れを発し、一気に流れ降りてくるのだろう、 かなり荒々しい川のようだ。そして列車は再び左にカーブし、先程見えた線路を行く。
このように、今まで通ってきた線路が見える。
こんなにまだるっこしいルートを取るのは、川が険しく谷が深いという理由もあるが、この飯田線が元私鉄で、
建設予算が限られていたため線路の規格が低いという理由もあるのだろう。
このことが飯田線をローカル線に転落させた理由なのかもしれない。
飯田線北部はそれなりに都市が多く、国鉄時代には急行も多く走っていた。だが、並行する中央高速ができると、
飯田線は高速バスに比べて時間が掛かりすぎるため競争力を失ってしまった。
妙にホームの幅の狭い田切を過ぎ、飯島を過ぎると同じようなΩカーブが再び現れた。
低速でΩカーブを通過。しかし、その後も急なカーブが続きしばしば減速を強いられる。
気動車と違って普段比較的高速で走ることの多い115系に乗っているだけに、余計にもどかしい。
高遠原の駅からは、雪を抱いた中央アルプスの山々が見えた。この辺りの駅は実に静かな農村の中にあり、
駅前には商店も無い。ただ、稲刈りを終えた田んぼとりんご畑が広がるばかりである。
農村の中を急カーブで抜け、市田の駅で交換待ちのためしばらく停車する。
この辺りからは飯田を目指す客が乗ってくるようになり、静かだった車内に少しづつ活気が出てきた。
ここからは勾配が少なくなり、田園地帯が広がるようになった。市田の辺りで天竜川に久しぶりに近づいたが、
再び川からは離れてしまう。天竜川はこの辺りで河岸段丘を形成しているのか、
写真のように天竜川をはるかに見下ろすシーンもあった。
列車は桜町という、飯田市中心部から少し離れた駅に停車。
駅の雰囲気といい駅前の小さな商店街といい、実に私鉄らしい駅だった。
そして上諏訪から走ること3時間弱、
ようやく中間地点の飯田に到着。当然ながらここで乗客が一気に入れ替わる。しばらく停車するので少しだけ下車してみたが、
駅構内の蕎麦屋でおにぎりなどを売っているぐらいで、駅弁などは売っていない様子だった。
この列車で飯田線を乗りとおす場合、事前の食料調達は必須のようだ。
飯田の町をぐるりと迂回するように走った後、
再び天竜川に沿って走るようになる。ここから先はずっと天竜川に沿って走ることになる。
やがて列車は天竜峡の駅に到着。車内の多くの乗客はここで下車するようで、一斉に席を立った。だが
ここで、予想外の事態が起こった。
天竜峡のホームで待っていたのは、団体ツアーの軍団であった。
夏の餘部、先月の大井川に続き3度目である。またか、というのが正直な感想だった。
車窓をじっくり眺めるには基本的に列車が空いている方がよいし、
景色が良い鉄道路線のみを「つまみ食い」するように乗車する観光ツアーははっきり言って感心しない。
だが、こんなに景色のいい飯田線の車窓を、鉄道マニアだけしか見ないのはもったいないし、
日本の隅々のあらゆる所にまで進出している観光ツアーが利用するのは当然だといえるだろう。
そう思い、我慢することにした。漏れ聞こえた話だと、一団は為栗まで乗車するようだ。結構先だ・・・
列車は天竜峡を出てトンネルを1つ抜けると、一気に何もない渓谷を走るようになる。
ここからはずっとこんな景色が続く。
併走する道路も無い渓谷をひた走る。11月下旬とあって山々は大分紅葉が進んでいる。
千代、金野、唐笠と寂しい駅が続く。その間、トンネルの合間から見える渓谷はもちろん絶景だ。
途中の田本の駅は、見ての通りの絶壁の真下にある。この駅は急カーブの上にあり、列車は傾いて停車する。
壁の上には山が続くのみで、一応駅から山道のようなものが伸びているものの、この駅から脱出するのは非常に大変そうだ。
そんな駅でも下車する客がいたのは驚いた。鉄道マニアだろうか?
田本の次の温田は小さいながら集落が広がっている。
ずっと人工の建物を見ていなかったので、大都会のように見える。
その次の為栗で、ツアー客のほとんどが下車していった。
駅前には吊り橋のようなものがある。ここを観光した後、バスで戻るのだろうか?この為栗の辺りは山が急すぎるせいか、
トンネルが多い。眼下の天竜川は流れが無くなってきた。ダムの影響だろう。
列車は平岡の駅に到着。ここは天竜村役場のある所で、この辺りの駅では指折りの大きな集落である。
ホームの横には3階建ての駅舎兼温泉施設も建っている。これまでが険しい山奥だっただけに、
まるで砂漠の中野オアシスのような光景だ。
列車交換のためしばらく停車した後、発車。まもなく、
近年線路付け替えのため造られたと思われる長いトンネルを抜ける。鶯巣、伊那小沢と停車。
どちらも少ないながら家があり、比較的生活感があった。
その次の駅は中井侍というユニークな名前だ。駅の上の山の中に、3軒ほどの民家がある。 反対側は天竜川が迫っており、何もない。プライベートビーチならぬ、「プライベートホーム」といった様相だ。 なお、この駅が飯田線では長野県内の最南端に位置していて、ここから先は静岡県となる。
その次の駅は、田本と並びクルマでの到達が不可能な秘境の駅として知られる小和田である。
この駅は長野・静岡・愛知の県境に近く、そのことを示す碑がホームに建っている。そんな日本一の秘境駅ではあるが、
木造の古い駅舎が廃屋にもならず真っ直ぐ建っている。また、面白いことに駅名標には「静岡県浜松市」と書かれている。
広域合併の影響だろうが、こんな所が浜松市だと言われてもにわかには信じられない。
この辺りは、飯田線でも最も地勢的に険しい所のようで、
トンネルが連続する。次の駅の大嵐は、駅前にはほとんど家が無いものの、駅前に立派な吊り橋があり対岸へと通じている。
そのため、対岸の旧富山村への玄関口という役割を果たしている。この駅を出ると、
佐久間ダムのダム湖を避けるため列車は一旦天竜川から離れ、長いトンネルに入る。
トンネルを抜けると、眼下には集落が広がる。水窪の集落だ。
町の規模としては平岡よりも大きいだろうか。乗車している車両は客も少なく、
長らくがらんとしていたが、水窪からは地元の学生が何人か乗車してきた。
次の向市場と城西の間には有名な「渡らずの鉄橋」がある。弱い地盤を避けるためにやむなく造られたものだが、
鉄橋の上でカーブを繰り広げるのが面白い。次の相月を出ると、再び長いトンネルに入る。
トンネルを抜けると、佐久間ダムで知られる佐久間の町に出る。 車窓からは、ダムを利用した巨大な発電所が見える。発電機の下では水が煮えたぎっているかのように泡立っている。
また、佐久間には「佐久間レールパーク」という施設があり、 古い車両が保存されている。車内からは、関西で優等列車として使われた後、飯田線で活躍した車両が見えた。 レールパークの横には中部天竜の駅がある。この辺りの拠点駅の1つで、ここから豊橋へ折り返す列車もある。 この中部天竜からは、長らく併走してきた天竜川を離れ、その支流を遡る。
中部天竜からしばらく走り、浦川という小さな集落にある駅に到着。
ここで、ワイドビュー伊那路とすれ違う。暇だったので列車を撮影してみたが、列車は低速で通過していったので
手持ちのコンパクトデジカメでもブレずに撮影できた。
列車はさらに登り続け、東栄という駅でいよいよ愛知県に入った。
その次の池場はひっそりとした寂しい駅だった。池場を過ぎると長いトンネルで分水嶺を抜ける。
分水嶺を過ぎると、鳳来湖に流れを発した渓流に沿って走る。
列車は渓流のすぐ横を走るため、様子がよく見える。この渓流は川のそこが一枚岩のようになっており、水の流れが実にきれいだ。
飯田線のハイライトである天竜川〜大嵐の区間を抜け、少し疲れ気味であったが、この景色には目を奪われた。
この渓流沿いの区間はかなり長く続くため、ゆっくり観察することが可能だ。
「さわやかウォーキング」開催中の三河槙原辺りから観光客が徐々に乗ってきて、車内は賑わってきた。
湯谷温泉辺りを過ぎると、先ほどの渓流が深い谷を刻むようになった。車窓から深い谷が眼下に見える。
やがて、本長篠駅に到着。駅の近くにある(といっても数キロ離れているが)
鳳来寺山でもみじ祭りが行われているようで、多くのハイカーが乗車してきた。
話を聞いていると、色んな所から人が来ているようで、中には関西方面の人もいたようだ。そんなに名所なのだろうか。
行き違いのため停車時間が長かったので、ここまで付き合ってきた115系を撮影してみた。
観察してみると、この写真の車両は古いものの、他の2両は1000番代ということでまだ新しいのだが、
どうやら新車に置き換えられてしまう運命のようだ。のんびりした飯田線の旅には国鉄型が似合う気がするが、
これも時代の流れなので仕方ないであろう。ピカピカの新車で同じ行程を旅したら、何か違った感想が得られるのだろうか。
本長篠から先は目立った景色も無く、ごく普通のローカル線だ。途中駅からは次々に客が乗ってくる。
特に新城からはスーツ姿のビジネスマンなど多くの客が乗ってきて、もはやローカル線の旅ではなくなった。
立派な橋上駅の豊川を過ぎ、小坂井駅を過ぎて名鉄と合流すると、
豊橋はもうすぐだ。途中、下地・船町の両駅を通過する。上諏訪以来、唯一の通過駅だ。
そして、上諏訪から実に6時間半をかけ、ようやく豊橋駅のホームに列車は滑り込んだ。少なくとも自分のいた車両に関しては、
最初から最後まで乗り通したのは自分一人だと思う。運転手や車掌ですら途中3回は交代していた。
この長時間を走りぬいた車両と共に、自分にもお疲れさんと言ってやりたい心境だった。
駅のホームで列車を撮影していると、自分以外にも何人かカメラを向けるマニアがいた。
どうやら、115系の横に停まっている313系を撮っているようだ。飯田線に313系が入るのはそんなに珍しいことなのだろうか。
豊橋からはJR東海・西日本各社の新快速を乗り継いで大阪へ向かった。所要わずか3時間20分。
飯田線に比べれば短いものだ。