大鉄の玄関口、金谷を目指す
早朝にもかかわらず乗客の多い小田急の急行で新松田駅に降り立った。
ここから普通列車で東海道線の金谷を目指す。金谷までの往復に利用するのは「休日乗り放題きっぷ」という、
JR東海の静岡支社管内の路線が乗り放題の切符である。
この切符が購入できる駅で最も東に位置するのは御殿場線の松田なので
(国府津は東日本管轄の駅なので多分無理)、わざわざ松田までやってきたのだった。
御殿場線の松田駅は、町の中心部にある「表口」と、小田急新松田駅に近い「裏口」とがある。
その「裏口」の方はこじんまりしているものの、みどりの窓口もちゃんとあり、無事切符を買うことが出来た。
ホームに上がってみると、10両ぐらいは余裕で停まれるぐらいホームが長い。
この駅に来る列車は特急「あさぎり」を除けば普段は2両、長くても4両にも関わらずである。
やってきた御殿場行きの列車は115系3連だった。この列車も313系での置き換えが近く、
余命は長くない。松田を出て、東山北、山北とどんどん登っていく。山北駅はかつて御殿場線が東海道本線の一部だった頃、
補機の付け替えをやっていた駅で、駅構内は広く使われなくなった側線の跡などがある。
が、さすがに側線が廃止されて長いからか一部の土地が町の施設などに転用されている。また、現在単線の御殿場線はかつて複線で、
廃止された線路の跡がずっと並行しているはずだが、道路用地に転用されたり線路際の盛り土が崩れたりして、
意外なほど痕跡が残っていなかった。もし複線に戻そうとしても、即座にやるのは難しいだろう。
山北を出て、東名高速や246号線と併走しながら御殿場へと登っていく。登るにつれて霧が立ち込めてきた。
特急「あさぎり」の名の通りだ。御殿場で、沼津行きに乗り換える。御殿場駅には、左の写真のように113系4連が待っていた。
この車両は普段は静岡あたりを走っているはずだが、朝の通学輸送用の助っ人として御殿場線に来ているようだ。
御殿場折り返しなのは、山越えが不可能だからだろうか。
御殿場を発車し、沼津へと坂を下って行く。霧も晴れ、富士山がよく見える。
富士山の山すそは黄色っぽい空き地になっている。東富士演習場だろう。
この列車は御殿場線にしては4連と長いのだが、御殿場線の駅はことごとく改札が後ろよりにあり、
今乗っている先頭車には全然人が乗ってこない。祝日で学生が少ないというのもあるが、
自分の座ったボックス席はほとんどずっと自分ひとりしか客がいなかった。
途中、特急「あさぎり」とすれちがった。
この時刻の「あさぎり」はJR東海の371系で運転のはずだが、やってきたのは小田急のRSEだった。
371系が検査中なのだろう。そういえば沼津かどこかでも、
普段371系で運転されるホームライナーを一般車両で運転する旨の掲示があった。
沼津で弁当を買い、今度は浜松行きの普通列車に乗る。 しかし、この列車で金谷まで行ったのでは、乗車予定の大井川鉄道の列車に間に合わないため、 富士からは特急「東海」で先回りする予定だ。列車はオールロングシートの211系の6連だが、 東京からやってきた沼津行きの列車と接続したため、車内はそれなりに混んだ。 富士駅で特急に乗り換えようとしたとき、写真のような表示を見つけた。消した跡は見られるものの、「さくら」や「瀬戸」はおろか、 「みずほ」まで残っているとは凄い。
やってきた特急「東海」に乗り込んだ。この373系というと、「ムーンライトながら」の印象が強く、
混んでいる印象があるのだが、この日は席も選び放題で、普段座る機会の無いコンパートメント席に座ってみた。
しばらくして車掌が回ってきた。自由席特急券を買うと、なんと730円もかかってしまった。
何となく500円ぐらいかと思っていたが、普通にA特急料金を取られてしまった。後で調べると、500円で済むのは東日本管内だけだった。
富士から蒲原のあたりは、海沿いを走るため東海道線でも比較的景色が良い。そこで、先ほど買った駅弁を開いてみた。
買った駅弁は「港あじ寿司」で、酢でしめた鯵をにぎりや太巻きにしている。
この駅弁には生のわさびが添えられていて、自分でおろすようになっている。おろしたてのわさびにつけて食すと、
風味があって旨い。握りには帯状の紫蘇が巻かれていて、これが鯵の生臭さを消す効果がある。
また、握りだけでなく、大葉巻きや太巻きにして食感を変えているのも良い。なかなか良い弁当だ。
静岡までの30分弱の間に弁当を食べつくし、静岡からはまた普通列車に乗る。今度も211系で、しかも3連と短い。
何とか席に座ることは出来たが、途中駅から結構な人が乗り込んできて、立つ人も目立つようになった。
休日とはいえ、もう少し増結して欲しいところだ。だが、途中駅ですれ違った静岡方面行きはもっと深刻で、
静岡からやや離れた藤枝あたりでもう通路がびっしりと立ち客で埋まるほどの混雑だった。
以前東海道を普通列車で下ったときは、今乗っているあたりは随分田舎に見えたが、
改めて見てみると車窓からは住宅が途切れることなく続いているのが見える。
ロングシートだし、まるで小田急線に戻ってきたかのようだ。
ただ、最高速度は110km/hと小田急線よりは速い。
金谷には10時8分に着いた。
列車で大井川鉄道にアクセスする人は意外と多いようで、乗り換え客はそれなりに多かった。
金谷から千頭へ、長閑な旅路
JRの改札を抜け、大井川鉄道の乗り場へ行く。駅舎はそれほど大きくないものの、
中には切符売りの係員や改札係、売店のおばさんなどがいて
活気がある。切符売り場で井川までの乗車券を買う。しっかり硬券が出てくるあたりが観光鉄道らしい。
そして売店を覗くと、弁当が山積みになっている。
竹篭に入った弁当を買おうとすると、同じ容器・掛紙の弁当でも中身が2種類あるとのこと。
桜海老ご飯の入ったものとおにぎり弁当があるとのことなので、後者を買う。
改札口を抜けてホームへ行くと、間もなく列車が入線してきた。
濃淡の緑色で塗り分けられた、元南海電車の車両だ。
南海電車についてはあまり詳しくないのだが、車体が小さいので、高野線の山越えで活躍した「ズームカー」だろうか。
正面はいわゆる「湘南型」で、昭和30年代に流行した顔である。
車内に乗り込むと、何ともレトロな転換クロスシートが並んでいた。
昭和30年代といえば、ごく限られた列車以外はボックスシートが基本だったから、
転換クロスシートは破格の装備だったに違いない。乗り心地も未だ良好だ。
ただ、座面が低い気がするが、これは日本人の体格向上を反映しているのだろう。
列車には次々と観光客が乗り込んできて、発車までにはかなりの席が埋まった。
金谷を発車すると、列車はしばらく東海道線と並行して走る。
低速にもかかわらず、列車は大きく揺れる。線路を見てみると枕木は木製で、線路も細い。
東海道線の211系からこの列車に乗り継ぐと、
車でアスファルトから砂利道へ降りたような気分になる。
金谷の街を抜け、新金谷に着く。ここは大鉄の車庫と本社がある。
側線にはSL列車用の旧型客車が停まっている。SLも希少だが、この旧型客車も今や希少だ。
この新金谷には観光客用の駐車場があり、車で大鉄にやってきた客はここから乗車することになる。ここでも結構な乗車があった。
SL列車の直後を走る列車に乗ったので空いているかと思ったが、意外に乗車率が良い。
新金谷を出て数駅は駅間も短く、金谷の市街地の延長線といった感じである。途中駅からも、少ないながら乗車があった。
観光鉄道としてだけでなく、地元の足としても大鉄が利用されていることを実感する。
途中、五和駅では元京阪特急の3000系とすれ違った。 乗車中のズームカーよりは向こうの方が車両は新しく、京阪にはまだ現役で活躍する車もいるぐらいである。 このように大鉄には南海、京阪、近鉄などの譲渡車が走っている。関西の私鉄ファンからすれば、 SLよりも一般車の方が「お宝」かもしれない。
やがて市街地が尽き、大井川が形成した険しい崖を削った所を進むようになる。
が、対岸を見てみるとこちらと違って平地があり、家や畑もある。
あちらに線路を通した方が工費も安く済み、住民の利便性も高い気がするが、
橋梁が高価だった時代に天下の大井川に架橋するとなると多大な費用が必要となるため、
崖を削る方がベターだと判断されたのだろう。
途中にある横尾駅の手前には、大きながけ崩れの跡があった。
このがけ崩れでは、しばらく鉄道が不通になった。
険しい崖を抜け、沿線にやや平地が開けるようになった。
少しでも平らな場所には必ずといっていいほど茶畑が広がっている。この大鉄沿線は茶の産地として有名である。
確かに、茶は少々険しい所でも栽培できるので、山の険しいこの土地には向いているのかも知れない。
やがて、川根町の中心部にある家山駅についた。ここでは何と10人近い乗車があった。観光客が増え、車内はより賑やかになった。
抜里を過ぎると、大井川本流を初めて橋で超える。
この橋はとても長く、また古めかしい形であることからSL撮影の名所となっているらしい。
橋を渡ると、川根温泉笹間渡に着く。ここでは温泉に行くと思われる観光客が20人ほど一気に下車した。
ここから地名までは大井川が激しく屈曲しているため、トンネルの区間が多くなる。
途中、地名駅で交換待ちでしばらく停車したためホームに下りてみる。
すると、前方に妙なトンネルのようなものが見えた。駅ホームの説明板を見てみると、かつて藤枝から千頭までロープウェイが通じていて、
あのトンネルの上を通過していたという。つまり、あのトンネルはロープウェイの防護用だったのだ。
藤枝からこの土地までというと、かなりの長距離だ。そんな長距離を結ぶロープウェイがあったとはにわかに信じがたいが、
現存していたならば乗ってみたかった気もする。
ホームを見上げると、黒ずんだ木製の街路灯が立っていた。
今や、木製の街路灯など目にすることはほとんどないが、大井川鉄道には結構残っている。
そういえば、架線柱もほとんど木製だ。
こういった細かなアイテムに至るまでレトロな鉄道というのは珍しく、
これが大鉄独特のレトロな雰囲気を生んでいるのではないかと思う。
ただ、何でもかんでもレトロなままというわけではなく、途中の線路ではポイントや枕木の交換が随所で行われていた。
鉄道の安全性確保という観点では、必要最低限の部分を更新することも必要なのだろう。
次の塩郷駅はホームが砂利敷きだった。駅の近くには、大井川を渡る吊り橋がある。
人が通行する敷き板の幅は50cmぐらいしかなく、橋の上で人がすれ違うのは難しいほどだ。
途中の下泉駅には、駅名標もレトロな木造駅舎があった。
もっとも、このような木造駅舎は大鉄では珍しいものではない。もちろん、この木造駅舎もレトロさを生む貴重なアイテムだ。
ただ、駅前には4階建てのマンションが建っていて、駅の中とは別世界のようだ。
途中の青部駅のあたりには、廃分校の建物があった。
ここまで来るととさすがに平地はなくなり、蛇行する大井川をトンネルを使いつつ縫って進むようになった。
川沿いにはほとんど平地がない。大井川の本流を何度も渡る。こんな上流でも大井川は広く、川幅はそれなりにある。
やがて、広い構内を持つ千頭の駅に到着。ホームは頭端式となっており、都会の私鉄ターミナルのようだ。
そんな千頭の駅を、元近鉄特急車が発車していく。近鉄といえば標準軌だが、この車両は狭軌の南大阪線を走っていたものなので
大きな改造を受けずに入線することができた。これもクロスシート車のはずで、
この日の大鉄の一般車の座席はクロスシートで統一されていたことになる。
大混雑の井川線で最深部を目指す
千頭から先、井川までの区間は軽便鉄道として開通した区間で、
今までの区間よりもぐっと山深くなり、秘境といえる土地を走る。が、千頭駅は想像を超えた状況となっていた。
先行するSL列車で千頭にやってきた人たちで駅構内はごった返している。SLの前には記念撮影しようとする人たちが群がり、
近づくのも困難なほどだ。
井川線の乗り場は今まで乗った本線とは分かれている。12時発の列車に乗る予定だが、
その乗り場へ急ぐと、まだ乗車は始まっていないようだ。
とんでもない数の人々がホームの手前で行列をなしていた。もう席を選ぶとかそういうレベルではなく、
乗れるかどうかが問題な気がしてきた。
発車の10分ほど前になって、ようやく乗車が始まった。観光のピークだけあって編成はかなり長く、
端の方はホームから半分はみ出している。そのはみ出した車両に乗り込み、何とか席を確保できた。
他の車両はクロスシートなのだが、この車両は増結用だからかロングシートで、景色は見にくい。
が、この状況では贅沢は言っていられない。
結局続々と客が乗り込んできて、数人立ち客が出る状態となった。一番端でこの状況なのだから、
中ほどの車両はもっと混雑しているのだろう。
周りを見回すと、ほとんどが団体ツアーの観光客のようで、個人で乗っているような人は少なく、
増して一人で乗っているのは自分だけだ。
やれやれ、と思う。
そんな状況で千頭を発車。列車は急カーブを描いて駅を離れる。普通の鉄道ではあり得ないほどの急カーブだ。
列車はかなりの低速で進み、川根両国駅に着く。駅前にはマンションがあり、秘境の感はしない。
次の沢間は10軒ほどの集落の中にあり、先程見たものほど長くはないが吊り橋もある。
この駅のホームは低い砂利敷きのもので、ホームと言っても高さは50cmぐらいしかない。
そのため、乗り降りにはステップが欠かせない。この井川線の車両は自動ドアではなく、車掌が各車両のドアを閉めて回る。
そのため、発車時には車掌は車両間を走り回る必要があり、大変そうだ。また、車内の観光案内も観光バス風で、
絶景ポイントでは減速もしてくれる。
しばらく走ると、大井川と寸又川、もう1つの沢が合流する地点に出た。写真では分かりにくいが、
3つの川が合流する様子が良く見えた。
次の土本はわずか4軒の民家とわずかな茶畑しかない。この集落には最近まで道路が通じておらず、
この鉄道が唯一の交通機関だったそうだ。
列車は川の流れに寄り添うように180度以上大きくカーブして進む。
次の川根小山では列車交換がある。が、こちらの編成はこの駅の有効長よりも長いらしく、
駅構内からややはみ出して停まった。対向列車は有効長に収まっているのですれ違いはできる。
今乗っている編成は何と9連で、井川線としては異例の長さなのだろう。
何せ客車だけで7両、機関車は2両で、機関車のうち一両は一番後部、もう一両は何故か編成の真ん中に挟まっている。
次の奥泉は道路に面しておりちょっとした集落になっている。が、ここでまたバスツアー客が大量に乗車してきた。
ロングシートの通路は人で埋まり、窓の向こう側が見えないほどだ。流石にこれだけ混むとうんざりしてくる。
さらに大井川を遡り、アプトいちしろに到着。ここの駅には側線があり、 ここから先のアプト式区間を走行するための電気機関車が停車している。 写真はややずれてしまったが、その機関車を撮影したものだ。 この駅では連結作業のためしばらく停車する。列車にはトイレがついていないため、停車中に駅で済ませるよう指示される。 ちなみに、この駅には駅周辺には何もない。いわゆる秘境駅だが、これから先はそんな駅がほとんどだ。
後部に電気機関車2両を連結し、実に11両編成で発車する。
車体は小さいものの、この山奥では信じられないほどの長大編成だ。
いよいよ日本で唯一のアプト式区間に入る。
大鉄としても「アプト式」を井川線の特徴として前面に押し出しているし、アプト式を目当てにやってくる客も多いはずだが、
乗り心地や速度に格段の差はない。それでも勾配はさすがに急だ。客車に乗っていても勾配を感じる。
線路は長島ダムの建設に伴い造られた新線で、長島ダムを超えられるようアプト式でぐいぐい登り、
勾配を稼ぐ。そのため景色も良いが、この景色は向かって右側に座らないと見ることができない。
井川線全体にいえることだが、右側の方が景色が良いのでこちらを選んで座るべきだろう。
やがて、巨大な長島ダムがその姿を現した。流域の他のダムが発電用なのに対し、 この長島ダムだけは発電用ではない、というようなことが車内放送で流れる。 また、長島ダム建設により廃止になった旧線の跡も見ることができた。
長島ダムの横は、芝生が植えられた堤防のようになっている。 この堤防の上には長島ダム駅があり、いくつかの団体はこの駅で下車した。
この長島ダム駅で、電気機関車を切り離す。手前のディーゼル機関車に比べ、 電気機関車が大きく立派なのが分かる。ちなみに、長島ダム駅構内にはアプト式のラックレールは見当たらない。
長島ダムから先は、新線らしくトンネルが多くなる。 トンネルの合間から見える長島ダムが美しい。 次のひらんだ駅は、駅前に集落どころか道路すらない。一応、山道をたどれば集落に行けるようだが。
列車はトンネルを抜け、右にカーブを切るとダム湖の上を鉄橋で越える。
車内の人は皆、窓を全開にして窓から顔を出したり写真を撮ったりしている。
奥大井湖上駅は、ダム湖に張り出した尾根の上に作られた駅で、ちょっとした公園がある以外何もない。
ハイキングに行くと思われる人が何人か下車した。
もう一度川を渡ると新線区間が終わり、接阻峡温泉に着く。
ここで半分ぐらいの客が下車し、ようやく車内が落ち着いた。ここでも列車交換がある。
車内が空いた所で前の車両を見てみると、開放式のデッキが付いている。あそこに立って景色を眺めるのも良かったかなと思う。
接阻峡温泉を出ると勾配を登り、大井川をはるかに見下ろす位置を進む。
周りは深い山並みで、木々の間からわずかに川面を望むことができる。
やがて、大鉄でも最も秘境に位置することで名高い尾盛駅に着く。この駅にはホームがあるのだが、ホームの前には線路がなく、
列車はホームも何もない線路の上に停まる。駅にはプレハブの駅舎と、
ボロボロの木造の建物があるだけで、他の人工物は何もない。
実際、この駅の周りには集落もなければ駅に通じる山道すらないらしい。
尾盛を過ぎると、私鉄で最も高い(100m)という関の沢鉄橋を通過する。
ちなみに、日本一高い鉄橋は高千穂鉄道の高千穂橋梁だったはずだが、高千穂鉄道自体が廃止されてしまったので、
実質関の沢鉄橋が日本一だろう。鉄橋の下に見えるのは大井川の本流ではなく支流の沢なので、
水の流れはわずかしか見えない。
また、沢の周りには木が茂っていて、100mという高さをあまり実感することはなかった。
もっとも、ここまで井川線でずっと絶景を眺めてきたので、感覚が麻痺しているだけかもしれないが。
写真にしてみると、沢が流れている様子は全く分からなくなってしまった。
鉄橋では大きく減速するので、写真を心行くまで撮ることができる。 左の写真は列車から後ろを見返した光景だが、枕木は古びているし、トラスも一部さびていたりして、ある意味迫力があった。
大井川はこのあたりで接阻峡という渓谷を形成しているが、 列車からはあまり見えずに閑蔵の駅に着く。ここでも行き違いをするが、相変わらず交換施設に列車が収まっていない。 写真でも分かるように、周りは鬱蒼とした杉林である。
いよいよ、終点の井川まであと一駅となった。が、ここからが結構長い。 車窓は相変わらずトンネルと鬱蒼とした杉林の繰り返しだ。しばらく進むと、小さなダムが見えてきた。 これは奥泉ダムというが、大井川に存在するダムの中では小さい方だ。
屈曲する奥泉ダムのダム湖を望む。水の色がなかなか美しい。 ここまで奥地に来ると、11月初旬ながらもう紅葉が始まっていた。まだ見頃というには早かったが。
このあたりでは大井川が屈曲しているため、写真のように山が九十九折に重なって見える。 こういった撮影ポイントではしっかり減速し、案内放送が流れるため撮影は容易だ。
やがて、車窓には井川ダムが見えてくる。先ほどの長島ダムと同じぐらい巨大だ。 これが見えると終点の井川はもうすぐだ。
秘境から都会へ、バスで戻る
終点の井川駅のホームは、写真のように大きくカーブしている。 他の客が降りてくる前に、ここまでお世話になった機関車を撮影した。 他の機関車には一台一台異なるヘッドマークがついていたのだが、 この車両にはついていない。増結用の編成だからだろうか。
駅舎から右側を見ると、ホームへ向かう線路とは別に謎の引込み線が延びていた。 地図を見るとダム湖に沿ってもう少し奥まで線路が延びているようだ。ダム建設に使われた線路の名残だろうか。
時間がないため、井川からは静岡行きのバスで戻る。
バス停は井川の駅前にある。駅前と言っても土産物屋が2軒ほどある以外は何もない。
また、駅前の道路もバスが通るとは思えないほど狭いもので、バスと車とのすれ違いには難儀しそうだ。
列車にはあれほど大量の観光客がいた割に、バスに乗る人は少なく、
10人ほどであった。まもなく、上流側から観光バスタイプのバスがやってきた。
このバスは井川の中心集落である井川本村を経由し、
そのはるか向こうの畑薙第一ダムまで通じている。井川線に乗ってきた身としては、
ここ井川駅でさえかなりの僻地だと感じるのだが、
そのはるか奥にまでバスが通じているのは凄い。畑薙ダムまで行くのは観光客だけだからまだいいとして、
井川本村にはちゃんと人が住んでいるから驚きだ。井川本村まで行くのは一日一、二本のこのバスだけで、
あとは井川駅まで出てきて低速の井川線を利用するしかない。
ここで生活するのはさぞ大変だろうと思う。
バスからは数人のハイカーが降りたものの、全員井川駅のバス停で降りてしまった。
紅葉シーズン出しこんでいるかと思ったが、結局客は井川駅から乗った10人だけであった。井川駅を出るとダム本体の上を通り、
一車線の山道を進む。このバスには女性の車掌が乗っているが、車掌なしでは切返しなどが困難だからだろう。
実際、他の車との行き違いに2分ぐらい掛かるシーンもあった。
井川線の車内があまりに混んでいたため、
金谷で買った駅弁を食べるどころではなかったので、このバスでようやく包みを開いた。入れ物が田舎風になっているが、
中身もそれに見合った素朴なもので、なかなか美味かった。SLの絵葉書がおまけで付いてくるのも良心的だ。
ただ、魚の甘露煮から酸っぱいにおいがしたのが気になった。混んだ車内に長時間置いていたせいで悪くなってしまったのだろうか。
(食っても何ともなかったが)
バスは一車線の山道を延々と進む。井川線も険しい道のりだったが、
こちらの道もそれに勝るとも劣らない悪路だ。途中に集落など無い所を一時間ほど走ると、ようやく横沢という集落に出る。
ここには駐車場とトイレがあり、10分ほどトイレ休憩となる。一応売店もあるが、購入する人は誰もいなかった。
横沢から先はちょくちょく集落も現れ、ようやく人里に戻ってきた心地がする。しばらく眠っていると、
周りはもうすっかり静岡の市街だった。
井川から2時間弱で静岡駅前に到着。多くの買い物客が行き交う町並みに降り立つと、
何だかほっと気分になった。