夏の北東北の旅

 2002年の夏休みがやってきた。 まとまった休みが取れたので、関西への帰省とは別に3日ほど乗りつぶしに行こうと思う。 この時点でいまだ手付かずなエリアは北東北、中国、四国、九州などがあるが、 その中でも3日程度で出かけられ、かつ魅力的な路線が多い北東北に出かけることにした。
 北東北には山田線、花輪線、五能線など風光明媚なローカル線が豊富にあり、 観光用のリゾート列車も多く走っている。 今回の旅もなかなかの強行軍ではあったが、それらのリゾート列車が旅に花を添えてくれた。
 ちなみに、出発までの過程は例によって実に慌しいものだった。 最終的に東北に行こうと決めたのは出発の2日ほど前で、 初日の仙台までの夜行バスを予約したのは何と当日の夕方だった。 それでも主に利用するのが青春18きっぷだったので、 わずらわしい乗車券類の購入がほとんど必要なかったため何とかなった。

 なお、今回旅した路線の多くは、その後再度乗車する機会に恵まれ、 旅行記として執筆済みである。詳細な記録はそちらを見ていただくことにし、 この旅の記録は少し簡略に書こうと思う。

目次

2002/8/7

 この日乗車した釜石線、山田線は 2006年4月29日に再度乗車しております。 詳細な記録はそちらをご覧ください。

■ 東京八重洲口23:55発〜仙台5:36着 東北急行バス

 まずは東北地方の中心地・仙台を目指し、夜行バスに乗る。 夜行バスの出発場所は東京駅の八重洲口と聞いていたので、八重洲南口のバスターミナルに向かった。 だが、いくら探しても仙台行きの乗り場はない。 よくよく考えると、このバスターミナルはJRバスのものだが、 これから乗るのは非JR系の東北急行バスでなので、ここから出発するはずはないのだった。
 とりあえずあたりをうろついてみたが、それらしきバスは見当たらない。 一口に八重洲口といっても広いので、そう簡単に見つかるはずもない。 そうこうするうちに出発時刻が迫ってきた。泣きそうになりながら、 ダメ元で東京駅の改札に行ってみた。もしかしたらバス乗り場について知っているのではないかと思ってのことだ。
 果たして、聞いてみると慣れた口調で乗り場を教えてくれた。 きっと同じように乗り場が分からなくなる客が多いのだろう。 地下街をダッシュして教えてもらった場所に向かい、何とか間に合った。
 指定された2号車に乗り込むと、夜行バスとしては狭い4列シート車であった。 ちょうど仙台の七夕の時期なので臨時に2台目のバスが走ることになったが、 そちらには設備の劣るバスが割り当てられたのだろう。乗車直前の予約とあってはやむをえない。
 しかし乗客の集まりは悪く、結局発車時刻を過ぎても現れなかった人もいて、 わずか10人ほどの客を乗せてバスは発車した。 自分の席の隣にも客はいない。こうなると2席を占領して寝られるので楽だ。 首都高を通り、東北道に入ったところで寝た。

■ 仙台6:20発〜利府6:36着 4421M 455(6)

 目が覚めると、バスは既に東北道を降りていた。程なく、仙台駅前に到着。ほぼ定刻の到着である。
 先に書いたとおり、折りしもこの日は仙台七夕の真っ最中である。 時間が余ったので駅前の商店街を歩いてみると、巨大な七夕飾りがいくつもぶら下がっている。 早朝だけに閑散としており、ゆっくりと飾りを眺めることができた。昼間はもっと多くの人で賑わうのだろう。
 この日最初に乗るのは、岩切から利府へと伸びる東北本線の支線である。 長い長い東北本線のうち、今はこの支線が唯一未乗となっている。 まだ朝のラッシュを迎えておらず、構内は閑散としている。
 古びた455系普通列車に乗り、仙台を後にする。ラッシュと逆方向なので車内は閑散としている。 岩切を過ぎると列車は水田地帯を進む。しばらく走ると、水田の中に巨大な車両基地が見えてきた。 東北新幹線車両の保守を一手に引き受ける仙台総合車両所である。 その脇に、短いホームが一本あるだけの新利府駅がある。 周囲は水田ばかりなので、おそらくこの駅は車両基地職員の専用駅なのだろう。
 そんなところを進むと、やがて住宅街が現れ、利府に到着する。 利府駅は行き止まりの駅であるが、その行き止まり部分に廃車となった交流電機が留置されている。 どれも貴重な車両らしいが、行く当ても無く放置されているため荒れており、 赤い車体がピンク色になりかかっていた。


仙台駅の七夕飾りに見送られ、旅をスタート。


仙台車両基地には保守用車両「east-i」の姿も。

■ 利府6:42発〜岩切6:48着 4418M 455(6)

■ 岩切6:57発〜一ノ関8:32着 523M 701(6)小牛田まで+701(2)

■ 一ノ関9:00発〜花巻9:50着 1531M 701(2)

 利府からは、乗ってきたのと同じ455系で折り返す。 行きはがらがらだったが、今度は仙台への通勤通学客で混んでいた。
 岩切で、東北本線の下り列車に乗り換える。 このあたりにしてはかなり長い8連という編成のため、車内は空いていた。 ただし、後ろの6両は途中の小牛田で切り離しとなるため、 小牛田からは一転して2連と短い編成に変わる。それでも座れないほどの混雑ではなかった。
 列車は水田地帯をひた走り、一ノ関に着く。ここでまた乗換えとなる。 列車は同じ701系ではあるが、一ノ関を境に南は仙台支社、北は盛岡支社の管轄となるため、 車両の帯は緑色から紫色に変わった。引き続き水田地帯を進み、花巻に着く。


小さな終着駅、利府。朝は仙台への通勤客で賑わう。

■ 花巻10:32発〜宮古14:36着 1637D キハ100(2)

 花巻からは釜石線に乗る。釜石線は北上平野から太平洋に向かうローカル線である。 同じような路線として山田線があるが、釜石線の方が沿線が開けていて列車の需要が多いため、 山田線に比べ本数が多い。山田線には後ほど乗車する予定である。
 花巻を発車し、列車はのどかな農村地帯を進む。 新幹線と交わる新花巻を過ぎたあたりで、眠くなってきた。何せ夜行明けなので眠りは深く、 河童で有名な遠野を過ぎてもまだまだ寝続け、釜石線の見所であるΩカーブも見逃してしまった。
 列車は釜石を過ぎると山田線に入り、海沿いに北上して宮古を目指す。 ただし海岸線は険しいリアス式海岸となっているため、線路が海に近づくことはあまり無かった。


小ぶりなキハ100に乗って一路太平洋岸を目指す。

■ 宮古14:46発〜岩泉16:23着 685D キハ52(1)

 宮古に到着すると、今度は岩泉行きの普通列車に乗る。 岩泉は一日3本しか列車が走らない究極のローカル線として名高い岩泉線の終点で、 これから乗るのはその貴重な列車のうちの一本である。 この岩泉線が今日最大の見所といっていい。
 宮古を出た一両編成の列車は、閉伊川の渓流に沿って坂を上り、茂市に到着する。 茂市は川沿いにある小さな集落であるが、ここが岩泉線の起点である。
 茂市からいよいよ岩泉線に入ると、岩手和井内あたりまでは駅前を中心に集落が見られたものの、 やがて車外は完全な無人地帯となる。 列車はエンジンをうならせながら、押角峠を目指して坂を駆け上がっていく。 並行する道路は幅5mほどの細いもので、 並行道路の未整備を理由に岩泉線が廃止を逃れたというのがよく分かる。 冬場などは、道路は完全に閉ざされるのではないかと思う。
 やがて、列車は押角に着く。無人の山中に板切れのホームがあるだけの駅で、 その存在の意味がまったく分からない駅である。 その後、サミットの長いトンネルを抜け、今度は転がり落ちるように列車は下っていく。 途中の浅内からは、お年寄りが乗車してきた。列車の乗客は大半が鉄道マニアと見受けられるが、 一般の利用も一応はあるようだ。二升石というユニークな名前の駅を過ぎると、終点の岩泉に着く。


宮古からは、赤い前頭部が特徴的なキハ52に乗車。

■ 岩泉17:20発〜茂市18:12着 686D キハ52(1)

 岩泉は一日3本しか列車が来ない駅だが、 予想に反して駅舎はコンクリート2階建ての立派なものだった。 また、委託ながら駅員も常駐しているようだ。
 岩泉では1時間ほど時間がある。駅から少し離れたところに龍泉洞という有名な観光地があるのだが、 さすがにそこまで行く時間は無いので駅前をぶらついてみる。 駅前の小さな商店街を歩いていると、「歓迎 ○○大学□□部(部活動の名前)合宿」という看板が目に付いた。 そんな地味なものを歓迎するのか、と思ってしまった。
 結局駅近くには目ぼしいものは無く、駅舎のベンチに座る。 駅舎の中では、委託駅員の老人が蝿叩きを片手に蝿を追い掛け回しているのが妙に印象的だった。
 発車時間が近づき、列車へと戻ろうとすると、茂市の方向に出発信号機が無いことに気づいた。 岩泉線は茂市以外の駅全てが「棒線駅」であるため、線全体が一閉塞区間として扱われる。 そのため、信号機は茂市駅構内にしかないようである。
 茂市を発車し、今来た道を折り返す。車内はやはりマニアばかりで、途中駅での乗り降りは無かった。


列車本数の少ない岩泉線は、時刻表もシンプル。

■ 茂市18:31発〜盛岡20:41着 649D キハ58(2)

 茂市で山田線の列車に乗り換え、盛岡を目指す。 まだ18時半なのだが、何とこの列車が盛岡方面行きの最終列車である。 このあたり、いかに列車本数が少ないかを端的に現している。
 日の長い夏場といえども、この時間になると日が暮れかかってきた。 やがて外は真っ暗となり、何も見えなくなった。 途中いくつかある交換可能駅では、赤旗を振る駅員を見かけた。 今は駅の無人化が進んだため、貴重な光景である。
 闇の中を進むこと2時間、列車は盛岡に到着した。 今日は盛岡に宿泊する。名物の冷麺を食べた後、宿へと向かった。

2002/8/8

 この日乗車した奥羽本線(大館〜東能代・川部〜青森)、五能線は 2009年7月28日に再度乗車しております。 詳細な記録はそちらをご覧ください。

■ 盛岡7:04発〜大館10:00着 1927D キハ58(2)

 宿を出て、朝の盛岡駅へと向かう。 この日最初に乗りつぶすのは花輪線である。 花輪線は盛岡の少し北の好摩から、奥羽本線の大館を結ぶ路線である。 花輪線という路線名は途中駅である鹿角花輪から来ているが、 あまり有名な都市ではないので、路線名だけ聞くとどこを走っているのか分かりにくい。
 盛岡駅から、キハ58の大館行き普通列車に乗る。 最初は東北本線を北上していく。この日はあまり天気はよくなく、岩手山などの山並みはほとんど見えない。 好摩から花輪線に入るが、最初のうちは車窓には田畑や住宅などが目立つ。 大更、平館と進み、松尾八幡平に着く。有名観光地である八幡平を冠している駅だが、 駅の周囲はほとんど民家も無く、おおよそ観光地の玄関口とは思えない駅だ。
 松尾八幡平を出ると、列車は一転して寂しい山の中を進んでいく。 周囲の山々には針葉樹が目立ち、およそ本州の風景とは思えない。 まるで北海道のようだ。わずかに集落のある荒屋新町を過ぎると、 いよいよ峠越えに挑む。キハ58はエンジンをうならせながら坂を登っていく。
 峠を過ぎ、温泉街のある湯瀬温泉駅を過ぎると、やがて鹿角花輪に着く。 先ほど述べたように線名の由来となっている駅だが、 それだけあってそこそこ立派な街である。駅舎は平屋の古めかしいものが健在だった。
 引き続き市街地を進み、十和田南に着く。この駅は線形の都合か、 スイッチバック構造になっているのが特徴である。スイッチバックというと普通は山の中にあるものだが、 こんな平地にあるのは珍しい。十和田南を出るとあとは米代川沿いに進み、終点の大館に着いた。


盛岡地区のキハ58は白ベースの塗装に変更されている。

■ 大館10:04発〜東能代10:41着 3644M 701(3)

 大館に着くと、すぐに奥羽本線の列車がやってきた。 この列車は東能代でもわずか3分で五能線と接続するという絶妙なダイヤで走るため、 今日の行程のキーポイントといっていい。 奥羽本線のこのあたりは列車の本数があまり多くないので、貴重な列車である。
 その貴重な列車で、東能代へと向かう。引き続き米代川に沿って進み、30分あまりで東能代に着く。

■ 東能代10:44発〜深浦12:10着/13:54発〜川部15:37着 8527D-8529D リゾートしらかみ キハ48(4)

 東能代からは五能線に乗る。五能線は秋田から青森にかけての日本海岸を走るローカル線で、 その景色の良さで以前から知られている。 そのため、「リゾートしらかみ」という観光列車が一日一往復走り、 観光客で結構盛況であるらしい。今回はその列車を利用する。
 この列車は全車指定席なので、指定された席へと向かう。 ところが、その席はドアや壁で仕切られた個室であった。 4人定員の個室には既に3人の親子連れが座っている。 とりあえず空席に座ってはみたが、他人の茶の間に乱入したかのようで居心地が悪くて仕方ない。
 結局、その個室を出て、編成の先頭部にあるフリースペースに座った。 ただ、そこにあるのは簡易的な椅子なので座り心地は良くない。 そこでさらに移動し、車両の一番端にある空席に座った。 その後誰も席には来なかったので、おそらくそこは調整席であったのだろう。
 列車からは日本海岸の美しい海岸線がよく見える。 途中の十二湖などの観光地では、観光のために乗客が下車していく。 五能線の主要駅である深浦に着く頃には、車内はがらがらになっていた。
 当時の「リゾートしらかみ」はユニークなダイヤを組んでおり、 深浦間で到着した後、途中下車した観光客を迎えに行くために一度回送列車として折り返すのだ。 「蜃気楼ダイヤ」という通称もあったが、リゾートしらかみの増発によりその後行われなくなった。
 深浦ではしばらく時間があるので、北前船の港町だったという市街を歩いてみる。 坂の多い街を歩き、歴史のあるという寺などを見て歩いたが、雨が降ってきてしまった。 仕方ないので駅に戻り、ベンチで少し休む。
 少しうとうとして目を覚ますと、もう列車が深浦に戻ってきていた。 あわてて列車に乗り込むと、すぐに発車。危うく乗りすごすところだった。 その後も日本海沿いを列車は進む。 さすがに車窓にも飽きてきたところで、フリースペースでの津軽三味線の生演奏が始まった。 車内放送を通じて演奏が流れるので、自席に座りながら聴くことも可能だ。
 やがて列車は日本海岸を離れ、奥羽本線と合流して川部に到着した。


当時は一編成しかなかった「リゾートしらかみ」。


坂の多い深浦の町並みを歩く。

■ 川部15:46発〜青森16:24着 653M 701(3)

 リゾートしらかみはこの先奥羽本線を南下して弘前へと向かうので、 川部で青森行き普通列車に乗り換える。再び701系に揺られ、青森へ。
 青森では時間があるので、しばらく駅構内をぶらつく。 まず見つけたのは、大阪行き寝台特急「日本海」。昔ながらのブルートレインである。 また、今は無き快速「海峡」も見かけた。夏休みということもあって、 予備車をかき集めて10連ほどにまで増結がなされていた。 牽引機や客車には観光客向けに「ドラえもん」のラッピングが入っている。


「ドラえもん」のイラストの入った快速「海峡」の牽引機。

■ 青森17:18発〜野辺地18:04着 580M 701(2)

■ 野辺地18:31発〜大湊19:31着 735D キハ100(2)

 青森から再び普通列車に乗って、野辺地に向かう。 野辺地からは、この日最後の未乗線区である大湊線に乗る。 車両は、JR東日本ではおなじみのキハ100だ。 車内は学校帰りの生徒などで案外賑わっている。
 野辺地を出てしばらく走ると、列車は陸奥湾沿いの海岸線を延々と走る。 海との間には建物はほとんど無い。大味というか、日本離れした車窓だ。 やはり北東北は車窓が北海道に近いな、と思う。
 しばらくそうやって海岸を眺めていたが、だんだんと日が暮れてきてしまった。 いくら真夏といえども、もう時刻は7時近いのでやむをえないだろう。 沿線の主要駅である陸奥横浜に着く頃にはすっかり日が暮れていた。
 その後も海岸沿いの真っ直ぐな線路を列車は快走し、やがて下北駅に着く。 かつては、さらに北の大畑に向けて走る大畑線が分岐していたが、既に廃止となってしまっていた。 下北から一駅で、終点の大湊に到着した。

■ 大湊19:38発〜野辺地20:38着 740D キハ100(2)

■ 野辺地20:57発〜八戸21:44着 584D 701(2)

 乗ってきた列車ですぐに折り返し、大湊を後にする。 野辺地で東北本線の普通列車に乗り継いで、八戸目指して南下する。 八戸に到着し、予約していた宿に向かうが、ホテルへの道すがらには飲食店はおろかコンビニすらない。 八戸の中心市街は八戸線の本八戸周辺にあるため、 八戸駅のあたりはあまり店などは無いようだ。とはいえ遊びに出かける元気も無いため、 宿に入るとあっさりと寝る。

2002/8/9

 この日乗車したリアスシーライナー、大船渡線(盛〜気仙沼)、気仙沼線は 2009年7月29日に再度乗車しております。 詳細な記録はそちらをご覧ください。

■ 八戸7:42発〜盛13:25着 9427D-9110D-9634D-9214D リアスシーライナー 36(2)

 翌朝、宿を出て八戸駅に向かうと、見慣れない気動車が停車していた。 三陸鉄道所属の青い気動車である。車内は転換クロスシートに交換されている。
 これから乗車するのは臨時快速「リアスシーライナー」である。 八戸から三陸鉄道を経由しつつ太平洋岸を南下し、仙台まで長距離を走る。 毎年夏に運転されており、この年は10日間程度運転された。 鉄道マニアを中心に、窓際の席がほとんど埋まる程度の混雑で八戸を発車した。
 列車は八戸市街を抜け、太平洋岸の漁港を眺めつつ進む。 最初に走るのは八戸線という非電化のローカル線で、 JRで最後まで腕木式信号機が残る路線としても知られる。 逆に言えば、それだけ近代化が遅れているともいえるのだが。
 列車は快速運転で八戸線を走り抜け、久慈に着く。 ここからは三陸鉄道のリアス北線に入る。 久慈からは三陸鉄道の社員の人が乗ってきて、列車のパンフレットなどを配布した。 パンフレットによると、この列車の後ろを「シーライナーサポート号」という列車が一時間ほどの間隔で走るため、 途中駅で下車観光もできるようになっているそうだ。
 また、久慈からは車内販売員も乗車してきた。 車内では弁当の販売もある。弁当にはいくつかランクがあり、中程度のランクのものを買い求めた。 三陸鉄道は国鉄末期に建設された比較的新しい路線のため、トンネルが多い。
 宮古に到着し、ここから先は再びJR線を走る。2日前に乗ったばかりの山田線である。 宮古の先の釜石からは、今度は三陸鉄道南リアス線を走る。 するとまた長大トンネルが増えた。見るからに建設された時代が違うことが分かる点が面白い。 やがて、三陸鉄道の終点である盛に到着した。 ここまででも6時間弱かかったが、それでもまだリアスシーライナーの行程の半分超であり、 列車はこれより先仙台まで延々と走る。列車もすごいが、それに乗り続ける方も大変である。


日本屈指の長距離昼行快速「リアスシーライナー」。

■ 盛13:28発〜気仙沼14:27着 3336D 快速スーパードラゴン キハ100(2)

 リアスシーライナーは、後続のシーライナーサポート号を待つため盛で1時間ほど停車する。 この先普通列車で東京まで戻ることを考えると、先を急ぎたい。 そこで、盛でリアスシーライナーを降り、先行の普通列車で先を急ぐことにした。
 キハ100の快速スーパードラゴンで大船渡線を南下する。 最初のうちは高台から小さな入り江を眺めつつ進む。 三陸鉄道よりも歴史の古い鉄道だけあって、途中からは急勾配で山を越えるようになった。 1時間ほどかけて気仙沼に到着し、気仙沼線に乗り換える。 大船渡線の一ノ関までの区間は乗り残したので、また乗りに来なければならない。

■ 気仙沼14:33発〜小牛田16:37着 2942D キハ48(2)

 気仙沼線の車両は、国鉄型のキハ48だった。 この辺のキハ48は、車内のボックスシートの半分が1人がけになっているのが特徴的である。
 列車は引き続きリアス式海岸に沿って南下する。 気仙沼線の本吉から南はできたのが比較的新しく、トンネルが多くなる。 三陸鉄道とあい通じるものがある。
 志津川を過ぎたあたりではトンネルの合間から太平洋が見えた。 このあたりが最後に海沿いを進む区間で、 列車はトンネルを抜けると長らく走ってきた太平洋岸を離れ、内陸部に出る。 前谷地で石巻線と合流し、しばらく走ると小牛田に到着する。


キハ48の普通列車でラストスパート。

■ 小牛田16:40発〜仙台17:26着 1574M キハ701(6)

■ 仙台17:40発〜福島18:10着 142B Mやまびこ142号 E4(8)

 小牛田からは普通列車で仙台に出た。 あとは普通列車を乗り継いで東京に戻るのみだが、 仙台から福島までは普通列車の本数が少なく、素直に乗り継いでいてはその日のうちに帰れない。 そこで、福島までは新幹線を利用することにした。

■ 福島18:28発〜郡山19:15着/19:40発〜黒磯20:47着 588M/2152M 455(6)

■ 黒磯20:50発〜大宮23:11着 688M E231(10)

 福島からは郡山行き普通列車に乗る。列車は元急行型の455系で、ボックスシートが並んでいる。 福島を出てしばらくすると、車内はすっかり空き、ボックス席を丸々占領できるようになった。
 やがて列車は終点の郡山に到着。ここで乗換えかと思いきや、乗ってきた列車が黒磯まで直通するらしい。 乗り換える手間が省けた。郡山からの乗車もそれほど多くなく、落ち着いた状態で黒磯着。 黒磯から先はE231系で締めくくった。

JR線乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
東北本線岩切〜利府13.8
釜石線花巻〜釜石90.2
岩泉線茂市〜岩泉38.4
山田線盛岡〜釜石157.5
花輪線好摩〜大館106.9
五能線東能代〜川部147.2
大湊線野辺地〜大湊58.4
八戸線八戸〜久慈64.9
大船渡線盛〜気仙沼43.7
気仙沼線前谷地〜気仙沼72.8
合計784.2

累積乗車キロ数

 総キロ数走破キロ数走破率総路線数走破路線数路線走破率
旅行前19860.911095.355.87%1717141.52%
旅行後19860.911879.559.81%1718046.78%

私鉄乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

会社名路線名乗車区間キロ数
三陸鉄道北リアス線宮古〜久慈71.0
南リアス線盛〜釜石36.6
合計107.6