最終更新日:2021/5/5

3セクと駅弁で巡る東北・北海道:一日目―板谷峠、笹川流れと由利高原鉄道

 2006年のゴールデンウィークがやってきた。このGWは、東北の3セク線を乗り歩くとともに、 乗りつぶしはしたもののまともに車窓を見られなかった 山田線・釜石線・宗谷本線や、長いことご無沙汰している羽越本線・石北本線などに乗ることにした。 きっぷは、北海道の路線に乗りまくるべく周遊きっぷ北海道ゾーン利用とした。 帰りは飛行機を利用したが、行きは米坂線・羽越本線・山田線などを複雑に経由するためきわめて経路がややこしく、 対応してくれたびゅうプラザの係員の女性を大いに困惑させた。 4月28日に東京をスタートし、5月2日に釧路にゴールするという、久々の大旅行の始まりである。

目次

2006/4/28

東京6:28発〜福島7:57着 つばさ101号

 早朝の東京駅、これから北海道へ行くというのに何故か山形新幹線つばさ号でのスタートである。 しかも、このつばさ101号は通常のつばさ号と違い、 やまびこ号を連結しない特異列車ときている。連休の初日とあって、 混雑を心配して指定席を取ったのだが、自由席の車内を覗いてみると大量に空席があった。 時間があまりにも早いため流石に客が少ないようだった。 ただ、あくまで東京駅発車時点での話なので、大宮からどうなったかは知らない。
 列車は大宮を出ると快調に関東平野を北上する。意外にも郡山すら通過し、あっという間に福島に着いた。


新庄開業向けに増備されたE3系。つばさ号で見かけることは結構珍しい。


E3系の側面には翼を描いた大きなロゴが。

福島8:31発〜米沢9:21着

 これからの予定は、米沢から米坂線で日本海側に出ることになっている。 乗ってきたつばさ号に乗り続ければ米沢に行けるが、 わざわざ福島で下車して後続の普通列車で米沢へ行くことにした。米坂線への接続を考えると、 つばさ号では米沢で時間が余り過ぎるというのもあったが、普通列車でじっくり観察しながら 板谷峠を越えてみたいというのもあった。
 新幹線を降りて駅弁を買い、 奥羽本線の在来線ホームへ行く。奥羽本線は標準軌化されているから、 専用ホームからの発車である。ホームには先発の庭坂行きがまだ停車していた。 その横の米沢行きの列車にはまだ誰も乗っていなかったので、 運転席後ろのロングシートに座る。これで展望はバッチリだ。
 10人弱の客を乗せ、福島発車。しばらく福島盆地を走り、庭坂へ。 構内には先行した庭坂止まりの列車が停まっている。 駅前には工場があるぐらいで、目だったものはあまり無い。 が、目の前には山が迫っており、列車は大きくカーブを描きながら山をかき分けて登っていく。 列車は松川の渓谷を走る。斜面の日の当たらないところにはまだ雪が残っている。
 赤岩、板谷、峠、大沢と、かつて4連続スイッチバックとして知られた 山岳駅が続々と登場する。普通列車はそれらの駅にも淡々と停車する。 乗り降りはほとんどない。赤岩以外は全て雪覆いの中にホームがあり、独特の雰囲気となっている。 どの駅も今はスイッチバックは廃止になり、普通の駅になってしまっているが 、よく見ると加速線の跡や雪覆いの形など、痕跡は至る所に残っている。 普通列車は特急と違って長く停車するので、じっくり観察できる。
 なかでも、板谷トンネルを抜けたところにある峠駅は、「峠の力餅」の立ち売りを、 一日数本のわずかな普通列車相手に未だに続けていることで知られる。 峠駅に着く直前、「峠駅で力餅の販売を行っております」とわざわざ車掌さんが放送したので (立ち売りの案内放送は初めて聞いた)、買い求めることにした。 販売員はてっきりおじさんだろうと思っていたが、意外にも女性だった。 1000円の餅を買う。他にも数名購入していたようだ。
 大沢を出ると山を下り、集落も見えてきた。関根からは何故か単線となり、米沢に到着。


狭軌仕様の719系。塗装など外見は標準軌仕様とほぼ同じ。よく見るとスノープラウの形がやや違う。


標準軌仕様の719系。福島−米沢間は必ずこの車両がやってくる。


719系など国鉄初期の車両は妙に前面展望の良い車両が多く、この車両も大型窓を通して車窓を満喫できる。


窓の向こうには方向幕の設定装置が。特に目新しい表示内容はなかった。


福島を出て、庭坂あたりまでは平坦地が続くが、その後ろの奥羽山脈越えはかなり厳しそう。


秘境駅とされる赤岩。草生したホームに駅名標がぽつんと立っている。


板谷駅は駅ホーム全体が屋根に覆われていて、自然の厳しさを実感する。

(米沢駅&周辺観察)

 米沢駅は標準軌の山形新幹線・山形線が構内を大きく占める一方、 狭軌の米坂線は駅の片隅に小さく追いやられている。 その米坂線ホームには、国鉄色に復元されたキハ52が停車していた。昔ながらのサボも健在だった。
 米沢では一時間も待ち時間があるので、カバンをコインロッカーに入れて 街を探索に出かけた。お城まで行くことは出来なかったものの、 古くからの城下町らしく昔ながらの建物が至る所に残っていた。 米沢はちょうど桜が満開を迎えつつあった。また、街を流れる川をまたぐように 長い鯉のぼりが掛けられていた。鯉のぼりと桜を同時に眺められるのは東北ならではだ。
 駅に戻り、まずは構内の駅弁屋で駅弁を購入。まだ先程の力餅が残っているが、 米沢駅は2軒の駅弁屋が競うように多数の牛肉弁当を売っていて、思わず1つ購入した。
 米坂線乗り場へ行くと、3両編成の気動車が停まっていた。 先程見たときは国鉄色のキハ52が停まっていたが、その編成とは違うようだ。 とはいえ、これから乗る編成もキハ52、キハ58、 キハ40という国鉄型トリオで構成される豪華(?)なもので、 今回は2両目のキハ52に乗り込んだ。


米沢では標準軌用の701系を発見。雪かきが在来線用よりもごっつい。


米沢駅には、国鉄色に復元されたキハ52が停車していた。


側面には昔懐かしいサボも健在。


城下町・米沢の風情を残すお寺の桜も満開だった。


米沢市内を流れる最上川の上を、多数のこいのぼりが泳いでいた。


これから乗車する米坂線の列車は新潟色の3両編成で、先頭はキハ40である。


側線に停車していた、新潟色のキハ52。


同じく新潟色のキハ58。


サボは「今泉⇒米沢⇔羽前椿」という複雑なものが差さっていた。

米沢10:28発〜坂町12:23着

 米坂線は米沢駅を発車すると、米沢市街の周囲をぐるりと回るように走る。 南米沢、西米沢とも市内にしては静かな駅だった。やがて街を抜け、田んぼの中を進む。 この列車は快速なので、一部の駅を通過して進む。 が、快速と行っても通過するのはこのあたりだけで、今泉からは各駅に停まる。 それにしても、連休初日というのに乗客が少ない。同じ車両には5人ぐらいしか乗っていない。
 今泉駅では山形鉄道と並びのホームに停車する。 2面4線という首都圏の私鉄駅のようなホーム配置だが、客はあまり見当たらない。 今泉からは山形鉄道と合流する。しばらく走り、川を渡ると 山形鉄道が右に分岐して行った。元は同じ国鉄同士とはいえ、やや驚いた。
 しばらく走り、羽前椿で対向列車と交換する。ここが米沢盆地の限界といったところで、 これから先山越えとなる。細い沢に沿ってしばらく走り、宇津峠をトンネルで越える。 普通、峠を越えると違う県になることが多いが、面白いことに この峠を越えてもその先はまだ山形県である。トンネルを越えると今度は沢沿いに下る。 窓の下のほうに小川が流れている。 とりたてて絶景ではないが、素朴な自然の光景が続く。
 小国は、今泉に並ぶ米坂線の拠点駅で、かなり乗客が入れ替わった。 それでも、列車は相変わらず空いている。 小国を出ると、先程の小川が水量の多い流れとなり、狭い渓谷いっぱいに流れている。 このあたりの渓谷が米坂線内でももっとも険しく、山形県と新潟県の県境もここである。 その難所を抜けると越後下関で、川沿いの平地に街が広がっている。 これで坂町まで難なくいけるかと思いきや、また川ぎりぎりまで崖が張り出している箇所があり、 崖沿いをするすると走る。最後の難所を抜け、やがて列車は、坂町駅のホームに到着した。


越後下関付近では川沿いぎりぎりの所を走行する。

坂町12:49発〜村上13:01着

 坂町では、次の特急が来るまで50分もある。駅前に出てみるが、 小さなバス乗り場があるぐらいで、時間が潰せそうな商店などはあまりない。 トイレに行き、売店でジュースを買うともうすることがなくなってしまった。 仕方ないので、先行する普通列車で村上まで行くことにする。 やってきた列車は新新潟色の115系5連だった。編成が長いのでがらがらだった。 直流電化の北限・村上で下車する。およそ10年ぶりの訪問だ。とはいっても前回は、 乗り換えのためすぐ立ち去ってしまったが。村上は近年、 城下町として観光地化が進められており、駅も小奇麗に改装されていた。


交流・直流電化区間が入り混じる羽越本線では、EF81が貨物列車牽引に活躍。


115系普通列車で坂町から村上へと向かう。


新潟地区の115系は座席が換装され、座り心地が向上しているのが特徴。


村上以北は直流から交流電化に変わるため、普通列車は気動車が活躍。 写真のキハ40 587は車内がロングシートに改造されていた。


村上駅前を発着する路線バス。車両はかなり年季が入っている。

村上13:22発〜羽後本荘15:42着 いなほ5号

 村上でもたっぷり20分待ち、ようやく特急「いなほ」秋田行きを迎える。 この列車、出発の一週間前に空席状況を調べたところ、ほとんど空席が無いことが分かった。 ゴールデンウィークだし混んでいるのだろうと思い慌てて指定席を取ったが、 窓側の席は取れなかった。が、村上で自由席を見てみると窓側に十分空席がある。 しかも村上で降りる人も多く、日本海側の窓際の席が楽々確保できた。 指定席料金が勿体無いが、こちらに座ることにする。
 村上を出ると、すぐに上下線が大きく分かれる。単線のところに後から 複線にした線区ではよく見かける光景だ。列車は日本海沿いに出る。 以前ここを通ったときは真冬で、空はどんより雲って海も荒れていて、 何と荒涼とした海だろうと感じた。今日は天気もよく、波も穏やかで水も澄んでいる。 ここから先、列車は海沿いをずっと進む。山と海に挟まれた狭い土地にぽつぽつと住宅がある。 線路の海沿いには国道が走っているが、線路の方が高い位置にあるため 景色は良い。所々、巨岩が海まで突き出していて、その下をトンネルで通過する。 ここがいわゆる「笹川流れ」の景勝地で、巨岩をじっくりと眺めることは出来ないが 横からは見ることが出来る。
 羽越本線のこの区間は、 何度か災害に見舞われており、つい先日も土砂崩れで1ヶ月以上不通となった。そういえば、 特急列車が強風で飛ばされ死者が出る事故もあった。そんな難所だけあって、 日本海縦貫線の一部を構成する線ながら複線化はパッチワークのように行われているだけで、 複線区間と単線区間がめまぐるしく入り組んでいる。村上からあつみ温泉までは、 ほぼ一駅ごとに入れ替わっている状況だ。
 特急は村上を出ると、府屋、あつみ温泉と停車する。どちらも特急停車駅とは思えないほど寂しい駅だった。 あつみ温泉を出ると、険しい海岸とはもう付き合っていられないとばかりにトンネルが増える。 そして、トンネルで一気に内陸へ抜ける。 久しぶりに見る広い田んぼの間を抜け、鶴岡に着く。余目に停車し、例の事故が起きた鉄橋を通過して酒田に着いた。
 酒田では、自由席に座っていた客がほとんど降りた。 乗ってくる人はほとんどおらず、同じ車内に残ったのはわずか数人ほど。 この区間の需要がこれほど少ないとは思わなかった。 確かに、酒田から先昼行特急はわずか3往復しか走っていない。
 しばらく走り、吹浦を過ぎると再び日本海側に出る。とはいえ、 先程まで走ってきた所に比べて地形はやや緩やかで、田畑や森の向こうに海が見える形になる。 列車はやがて象潟に着く。象潟は、かつて松島のような多島海だったところが隆起し陸地になっていて、 田んぼの間に小さな丘が隆起している。 象潟を過ぎると、人の気配の少ない森林の間を行く。 もう秋田県に入っており、このあたりまでくると人の手の入らない自然が増えてくる。 まもなく、羽後本荘に到着。この列車は秋田まで行くが、羽後本荘で由利高原鉄道へ寄り道することにした。


485系リニューアル編成。現在は「いなほ」「北越」等新潟ローカル特急で活躍。


列車は村上を出ると程なく海沿いへ。


こんな風光明媚な海岸を見ながらの旅が続く。

羽後本荘15:50発〜矢島16:28着 由利高原鉄道

 由利高原鉄道は、羽後本荘から内陸部の矢島を結ぶ旧国鉄矢島線を転換した鉄道だ。 しかし、この線は全国の3セク線でももっとも地味な部類の線で、 鉄道雑誌などでも話題にまず上らない。そもそも、由利とか矢島といわれても、 秋田県外の人はどこにあるのかさっぱり分からない。 例えば「鳥海山ろく鉄道」とか、もうちょっと派手な名前にしたほうが良いのではないだろうか。
 その由利高原鉄道は、羽後本荘駅の一番外れのホームから発車する。 秋田方面からやってきた高校生や、逆に秋田へ向かう高校生などでホームは混んでいる。 単行の矢島行きディーゼルカーにも高校生が乗り込んできた。
 羽後本荘を出て、羽越線沿いに逆送する格好でしばらく走る。羽越線から別れかけるところで 最初の停車駅・薬師堂に着く。この駅、周りに家などは一切無く、 駅舎も崩れかけの木造の掘っ立て小屋だった。 その後は子吉川沿いの田園地帯を淡々と進む。 遮るものが無い田んぼの真ん中では風が強いのか、線路沿いに鉄製の防風柵が作られている。 集落がある前郷以外は総じて周りに人家の少ない駅が多い。 最後の方は子吉川沿いの平地も尽きてきて、川沿いぎりぎりのところを通ることもあった。 淡々と30分強走り、終点の矢島に着いた。


羽後本荘駅に停車する由利高原鉄道の列車。「おばこ」のヘッドマークを常に掲げている。


薬師堂駅の駅舎は相当年季が入っている。


次の子吉駅の駅舎のドアは、一般民家にあるようなタイプ。

矢島16:45発〜羽後本荘17:24着 由利高原鉄道

 矢島駅は、屋上に時計台の付いた新しい駅舎に建て替えれられていた。 建物はローカル線の終点にしては大きく、中は地元の人のための公共スペースになっていた。 駅を出て、周りを見回すと線路沿いに古い建物があった。 どうやら古い駅舎のようで、今は倉庫として用いられているようだ。 さらに歩いて車止めを見てみる。頭上に桜の花が咲いている。 米沢とおなじく、ここも桜が満開だった。 駅に戻って、改めて中を見てみる。片隅にパソコンが置いてあり、自由にネットが出来るよう開放されている。 少し使いたかったが、学校帰りの中学生に占領されており断念した。
 帰りはその中学生達に混じって列車に揺られた。 あの廃屋のような薬師堂駅を撮影したりしながら、羽後本荘に戻る。


近年新築されたと思われる矢島駅舎。


新駅舎の脇には、使われなくなった旧駅舎がまだ残っていた。


車止めのあたりに咲く桜。東北地方は桜の季節を迎えていた。

羽後本荘17:43発〜秋田18:32着

 羽後本荘駅に戻ると、701系の2両編成が停車していた。 これが当駅始発の秋田行きで、車内は空いていた。羽後本荘を出ると、海沿いの線区のはずなのにちょっとした峠越えとなる。 その途中にある折渡は集落も少なく、一部の普通列車は通過する。 この列車も通過してしまった。峠を越えると、再び海沿いに出る。 まっすぐで何も無い海岸を701系電車は軽快に走る。海岸に発電用の風車が立っているのが見える。風が強いのだろう。
 しばらく走ると、日が暮れてきた。 海岸の松林の向こうに、沈もうとする真っ赤な夕陽が見える。今日は存分に海を眺めることが出来た。 列車は乗客が少ないまま秋田に到着した。


日本海に夕日が沈もうとしている。

秋田18:42発〜大館20:34着

 秋田からは当初、19時30分発の特急で宿泊地の大館に行くつもりでいた。 が、秋田で10分の待ち時間で接続する普通列車がある。 普通列車のほうが特急より20分早く着くし、特急料金も要らない。 持っている周遊きっぷの行き券は秋田から北上線・釜石線・山田線経由で盛岡に向かうルートとなっており (釜石・山田線を片道ルートに入れるため乗りもしない北上線をルートに入れたのだ) 大館までは切符が無いため券売機で大急ぎで切符を買い、夕食の駅弁も買ってホームへと向かった。
 大館行きの普通列車に乗ろうとすると、そこには予想外の光景が広がっていた。 東京のラッシュ時間帯かと思うほど混んでいるのだ。 701系2連の列車は通勤・通学客で通路まで満員だった。 701系が秋田地区でいたく不評だった理由として、 客車時代に比べて編成が大幅に短くなった点が挙げられていると聞いていたが、それを実感させられた。
 それでも仕方ないので乗り込み、吊革につかまりながら移動する。 次の土崎辺りでいくらか降りてくれないかと思ったが、 よく考えると秋田駅でこの列車の数分前に男鹿行きの気動車が先に発車していくのが見えた。 そちらは5両ぐらいの長い編成だったため、土崎に行く客のほとんどはそちらに乗るだろう。 案の定、土崎や上飯島での下車はほとんどなし。 それどころか、追分からは先行列車の客がこちらに乗り移ってきて更に混んできた。 絶望的な気分でしばらく進むと、次の大久保で結構な下車があり あっさり座れてしまった。その後もどんどん下車し、 八郎潟では一気に客が減り立つ客がほぼいなくなった。 これだけ客が減るのが早ければ2連での運用というのも分からなくはないが、 秋田で首都圏並みに列車が混むというのはやはりいかがなものかと思う。
 その後はほとんど乗ってくる客は無く、 東能代でバスケットで有名な能代工業の生徒が乗ってきたぐらいだった。 最後の方はがらがらで、ロングシートで駅弁を広げる余裕すらあった。
 大館に着き、駅近くのホテルへ向かう。途中に踏切があり、 何かと思ったがどうやら小坂精錬の貨物線らしい。旅客線は廃止となったが、貨物営業はまだ行っているようだ。