中・四・九 夏の海(その1)

 2006年の夏休みは、幸運にも3日間用事の無い日ができたため、 どこかに出かけることにした。出発は8月10日の朝、 タイムリミットは13日の昼に大阪着。この年のGWは北の方に出かけたこともあり、 行き先は西日本とすんなり決まった。
 次に乗りたい路線を列挙してみると、まずは未乗3セク線の北近畿タンゴ、若桜、土佐くろしお、井原、錦川の各鉄道に、 JR完乗時に寝ながら通過し、その後乗車機会の無い日豊本線南部と肥薩おれんじ線区間と山陰本線東部、 2004年に台風の影響で乗りそびれた島原鉄道、 何度乗っても楽しい肥薩線や木次線、余裕があれば熊本電鉄や広電・一畑電鉄等の私鉄。 あと、宿泊地は博多や広島・鹿児島といった都会に設定し、 日が暮れた頃には宿泊地に着くようにして夜は街をぶらぶらして美味いものでも食いたい、と思っていた。
 ところが実際にプランを練ってみると、3セク各線に島鉄・日豊線ぐらいで手一杯で、 しかも宿泊地に着くのは深夜といういつものパターンになってしまったのだった。
 さらに頭を悩ませたのが切符で、周遊きっぷの九州ゾーン券を使おうとしたが、 九州へは四国から船で渡るので使用不可。特急を多用せざるを得ないため18きっぷもダメで、 普通切符を経路どおりに延々と買うしかなかった。 (このおかげで、前章に書いた会津若松行きが実現した訳だが) もっとも、JRの乗車券は遠距離逓減制のため、JRの運賃は東京-大阪間を単純往復する場合の倍程度で済んだが、 それ以上に痛かったのが途中に乗る各私鉄の運賃で、 ボディーブローのように財布の所持金を奪って行ったのだった。

目次

2006/8/10

■ 新横浜8:10発〜京都10:11着 のぞみ9号

 8月10日朝の新横浜駅は、帰省客と出張客とが入り乱れごった返していた。 この駅の改札横の駅弁売り場はただでさえ狭くて人が多いのだが、 この日は売り場に辿り着くのも困難なほどの混みようだった。まるでバーゲンセールのようだ。
 混雑したホームから新幹線に乗りこむ。到着したのは500系で、 独特の先頭形状と円形の車体断面が特徴だ。 しかしその円形の断面ゆえ、車内の快適性には難があるというのが定説となっている。 窓ガラスもカーブしており、酔いやすいという声もある。 が、今回たまたま乗り継ぎのタイミングが合い、 普段乗る700系に飽きていたというのもあって乗車してみることにした。これが2度目の乗車だ。
 指定されたのはA席で、3列席の窓側だ。 B席とC席は既に埋まっている。自分の席まで行き、荷物を網棚に上げようとした。 が、500は断面が丸いゆえ、網棚が大きく内側にせり出している。 しかも隣の席には人が座っている。ということで、荷物を上げるのに 背中を大きくそらさねばならず、腰を痛めそうになった。
 何とか荷物を置き、購入した駅弁を賞味する。 買ったのは「日本の味博覧」。愛知万博の記念弁当として発売され、 気に入っている弁当だ。おかずは純和風の繊細な味付けで、季節感のある食材を使っているのが良い。 ご飯の量が少なめなのに対し香の物が豪華なのが特徴で、 この日は大きな南光梅と新生姜が入っていた。


新横浜駅で購入した「日本の味博覧」。

■ 京都10:25発〜宮津12:18着 はしだて3号

 ちょうど2時間で京都駅に到着。混雑するコンコースを抜け、 駅ビル西側の山陰線のりばを目指す。思えば、かつて関西に住んでいて、 これだけ全国の鉄道に乗っているにもかかわらず、この乗り場から乗車するのはわずか二度目だ。 大阪に住んでいると福知山線という選択肢もあるので、 亀岡や園部にでも用が無い限り、京都口の山陰線は縁がない路線だ。
 ホームに着くと、これから乗る「はしだて3号」は ようやく車内清掃が終わり乗客が乗り込み始めたところだった。もう発車まで5分ぐらいしかないのだが、随分慌しい。 山陰線は京都市内が未だに一部単線で、ダイヤに余裕が無いのだろう。
 停まっている電車は183系直流型特急車だが、 「あずさ」や房総特急で走っていたような生まれながらの直流車ではなく、 交直流車の485系から交流機器を取り除いた改造車だ。 その証拠に、屋根上のパンタグラフを支える碍子が巨大で、元交直流車であったことが分かる。 そんな訳で、外装は塗り替えられているものの車内は相当年季が入っている。
 帰省客が多いためか、指定席はほぼ満席の状態で京都を発車した。 京都を出ると山陰線はすぐ単線となる。複線化を目指しているというが、 京都駅構内から東海道線との分岐点辺りまでは線路の両側にビルが建て込み、用地が確保された形跡もない。 線路を2層式にでもしないと複線化はまず無理な気がする。 東海道線と離れ、梅小路の電車区からの連絡線と合流すると丹波口までは複線で、 丹波口〜二条間は単線であるものの既に複線化工事が始まっているようだった。 丹波口から二条にかけては高架区間となっており、京都の町が良く見渡せる。 京都の中心部を高架で走るのは私鉄を含めてもこの区間だけなので、独特の眺めだ。
 地下鉄と接続する二条で多くの客が乗り、席がほぼ埋まった。 二条から花園までは複線で、花園から嵯峨嵐山までは高架複線化工事がたけなわであった。 嵯峨嵐山を出てしばらく嵯峨野観光鉄道と線路を共有した後、長いトンネルに入る。 トンネルのわずかな明かり区間に保津峡駅があり、 保津川の渓谷に張り付くように設けられた旧保津峡駅がある。(こちらは現在嵯峨野観光鉄道の駅となっている。) そのロケーションや駅の構造が、福知山線の武田尾駅にそっくりだと感じた。
 トンネルを抜けると、のどかな盆地の風景となる。 盆地の中心にあるのが亀岡駅で、こちらもロケーションが福知山線の三田駅とそっくりだ。 だが、三田駅ほどベッドタウン化が進んでいないためか、やや野暮ったい印象を受ける。 亀岡を出ると山々の間の狭い耕地を縫うように進む。 あたりはすっかり田園風景だが、そんな中でも所々で複線化工事が行われている。 どうやら計画だと園部までの複線化を目指しているらしく、 実現すればこのあたりも家が立ち並ぶかも知れない。
 そんな所を30分ほど走ると、園部に到着。一部の列車を除き、 この駅を境に京都側と福知山側で車両の運用が分かれている。 そんな運転上重要な駅だが、普通列車がとなりのホームに2本停まっているものの、人気はまばらだ。
 この園部から先は、つい10年ほど前に電化されて区間で、 編成も2連と短い列車が多い。線路沿いの平野も狭くなり、 人跡も少なくなってきた。大きな建物としては、 鍼灸大学前という駅の前に立派な大学のキャンパスができていたぐらいだった。
 さらに進むと、渓谷が随分急になった。車窓からは川面がはるか下に見える。 こんな絶景が見えるとは予想外だった。渓谷沿いの区間はしばらく続いた。
 それにしても、今乗っている区間と福知山線は似ている点が多い。 大阪や京都を出ると、最初は街中を進み、街を抜けると渓谷(武庫川・保津川)沿いの区間を付け替えたトンネルに入り、 途中に秘境駅(武田尾・保津峡)があり、それを抜けると小都市(三田・亀岡) があり、しばらく盆地を走り、運転の拠点駅(篠山口・園部)をでると渓谷沿いに走り、 福知山に抜ける。どちらもこんな感じだ。 もっとも、両方の線は近い所を並行して走っているので、ある意味当然なのかもしれない。


年季が入った特急「はしだて」「まいづる」。 写真には「まいづる」編成の方が写っている。

 新幹線で弁当を食べてからそんなに経っていないが、京都で買った駅弁を食べ始める。 買ったのは2段重ねの幕の内弁当だったが、 おかずの味付けが妙にしょっぱい。まるで、保存料の発達していなかった時代の弁当のようだ。 見てみるとおかずの構成も何となく古臭い。 完全に昭和を感じさせる弁当で、今時ある意味貴重なのかもしれない。唯一京都らしい物として麩まんじゅうが入っており、 その由来などの薀蓄を記した紙片も入っていた。
 そうこうしているうちに、舞鶴線との分岐点である綾部に到着。 この列車は後部に「まいづる」号を連結しているため、 この駅で切り離しとなる。切り離し作業を見に行くと、 「まいづる」側の先頭車はかつて「スーパー雷鳥」に組み込まれていた改造先頭車だった。 この福知山界隈には妙な改造先頭車が多いが、この車両も一角を占めている。
 舞鶴から4連になった列車は、つい先日高架化された福知山駅に到着。 しばらく停車した後、いよいよ北近畿タンゴ鉄道宮福線に入る。 福知山を発車すると地上に降り、高架化から取り残されたタンゴ鉄道の普通列車専用ホームからの線路と合流する。 普通列車だけ冷遇されているようで何だか可哀想だが、何年か後にはこれも高架化されるとのこと。
 列車は高規格の線路を今までにない高速で走る。 宮福線は20年ほど前にできた比較的新しい線で、かなりの高規格を誇る。 2両分ぐらいしかホームがない小さなローカル駅をいくつか過ぎると、長いトンネルに入る。 この山が福知山と宮津を遮ってきた大江山だ。トンネルを抜けると宮津までは田畑の広がる川沿いの土地を進む。 短いホームのローカル駅をびゅんびゅん通過するうちに、国鉄時代と変わらない古びた姿の宮津駅に付いた。


京都駅の山陰線乗り場売店で購入した幕の内。

■ 宮津12:21発〜西舞鶴12:53着 北近畿タンゴ鉄道

 「はしだて」号はその名の通り宮津の次の天橋立まで行くが、 北近畿タンゴ鉄道の宮津線を乗りつぶすため宮津からは西舞鶴行きの普通列車に乗り換える。
 陸橋を渡って駅舎横のホームへ行くと、水色の一両編成の気動車が停まっていた。 車内は転換クロスシートが並んでおり、ローカル線の普通列車としてはなかなか立派な装備だ。 乗客は10人程度で、土地の人らしい老人が多い。
 3分の連絡で宮津を発車すると、まもなく車窓に若狭湾が広がる。 砂浜ではないもののきれいな海で、浜辺で遊んでいる人もいる。 宮津からしばらくは海水浴に適さない入り組んだ海沿いを走るが、 しばらくすると200m程のビーチに沢山の人がいる光景が目に入った。 まもなく丹後由良の駅に到着。あのビーチは由良海岸といい、海水浴場としてそこそこメジャーなようだ。
 丹後由良を過ぎると線路は海岸線から離れ、川を遡るように走る。 途中駅では2、3人づつ人が乗ってくる。夏休みだけあって、老人だけでなく中高生の姿も目立つ。 いくつかのトンネルを抜け、やがて舞鶴線が寄り添ってきて、西舞鶴駅に到着。


北近畿タンゴ鉄道の普通列車用車両。

■ 西舞鶴13:03発〜天橋立13:44着 北近畿タンゴ鉄道

 西舞鶴では一度出場し、最近建てられたと思しき立派な駅舎の写真を撮ったあと、 改めて天橋立までの切符を購入して入場した。 駅に入って気付いたが、どうやら今乗ってきた車両が折り返すのではなく、 車庫から出てきた別の車両が今度の列車になるようだ。 乗車してみると、舞鶴線から乗り継いできた観光客らしい若い女性などで混んでいて、 3分の2ぐらい席が埋まっていた。
 西舞鶴からは何事もなく今来た道を折り返す、と思いきや予想外の事態が起こった。 乗車していると、さっきの特急列車に比べて妙に車内が暑いことに気付いた。 最初はエンジンの直上に乗ってしまったせいだと思っていたが、 やがて車内放送があり、冷房装置が起動しないとのこと。仕方なく乗客は窓を開け始めた。 こんな所で非冷房車に乗る羽目になるとは思わなかったが、窓を開けると案外涼しい。 特にトンネル走行中に入ってくる冷気は冷房の風より冷たく、非冷房車も案外つらくないものだと感じた。 ちなみに、宮津の手前あたりで冷房はようやく復旧した。
 車内は丹後由良で観光客が降り若干空いたものの、 宮津で大量に中学生が乗ってきて通路まで埋まってしまった。この列車は豊岡行きなので、 このまま豊岡まで乗り続けてもいいが、車内は混んでいるし、 今まで行ったことのない天橋立にも立ち寄りたいので、 予定通り天橋立駅で途中下車することにした。
 そんな訳で駅の周辺を30分ばかり歩いてみたが、 あまりに暑いので旋回橋を越えて天橋立の入口あたりまで歩いただけで戻ってきてしまった。どうやら天橋立の全貌を見るには、 ケーブルカーなどで山の上に登らねばならないようだが、そこまで行く時間も気力もなかった。

■ 天橋立14:30発〜城崎温泉15:46着 タンゴディスカバリー1号

 天橋立駅で珍しい硬券の特急券と乗車券を買い、ホームに行く。 ホームには「タンゴエクスプローラ」が留置されていた。しばらく待ち、やってきた列車に乗り込む。 やってきたのは京都から西舞鶴経由でやってきた2両編成の特急「タンゴディスカバリー」号で、 北近畿タンゴ鉄道の新型気動車で運転される。 この車両に乗るのは、以前新大阪から三田まで乗車したとき以来2度目だが、 青緑色の独特の塗装で、JRのボロ特急より内装・外装共にはるかに立派だ。 車両の先頭部がガラス張りになっており、前方・後方の車窓がよく見渡せるのが特徴だ。
 自由席車両乗り込んでみると、帰省客が多いせいか混んでいる。 窓側の席は全然空いていないので、仕方なく通路側に座った。 タンゴ鉄道宮津線は、これから先急峻な海岸線を避けて内陸を進む。 そのため、ここから先は山越えが多くなる。
 天橋立を出た列車は、1駅通過して野田川、丹後大宮、峰山、網野と立て続けに停まる。 もはや特急列車とは呼べない停まりっぷりだ。 野田川駅などは、駅前に田んぼが広がっている。特急停車駅とは思えないのどかな駅だ。 峰山や網野では続々と帰省客が降り、混んでいた車内は一気にがらがらになった。
 列車は久美浜から快速となる。京都府と兵庫県の境となる峠を越え、 数年前に大氾濫を起こした円山川を渡ると、山陰本線が合流してきて、 タンゴ鉄道の終点・豊岡に到着。乗ってきた列車は豊岡から進行方向を変え、 城崎温泉まで直通する。豊岡までは列車の最後尾に座っていたので、期せずして最前列の席を確保することができた。 次の列車は豊岡始発なので、当初は確実に座るために豊岡で降りようかと思っていたが、 計画を変更して城崎温泉までこの列車に乗ることにした。
 豊岡で地元客を乗せ、車窓に113系3800番台の珍妙な顔を見ながら発車。 途中唯一の通過駅である玄武洞で運転停車をし、終点城崎温泉に到着した。
 待ち時間の間に駅弁を買い、駅前をうろついてみる。 駅のすぐ横に外湯があるが、この日は定休日だった。湯治場らしく浴衣姿の人も結構居たが、 慣れない服装のせいか財布を落としている人がいて、拾って渡す一幕もあった。


北近畿タンゴ鉄道の看板特急、 タンゴエクスプローラ(上)とタンゴディスカバリー(下)。

■ 城崎温泉16:11発〜餘部16:55着

 これから乗る列車は豊岡始発で、席があるか不安だったが、 何とかドア横のロングシート部分に座ることができた。 城崎温泉から先の山陰本線は、はるか先の米子付近まで非電化区間が続く。 何故電化区間が城崎温泉で途切れているのか前から疑問だったが、 駅を出るとすぐに口径の狭そうな古いトンネルが立て続けに現れた。 電化するにはトンネルを改修する必要がありそうで、疑問が何となく解けた気がした。
 ローカル駅に停まるごとにぽつぽつと下車があり、 車内が落ち着いてきた所で本日3個目の駅弁を食する。 買ったのは山陰線にありがちなカニ寿司だ。 食してみると、ご飯は酢飯、カニ足のむき身が乗り、塩昆布が添えてあるというオーソドックスなもので、 味もそこそこ良かった。
 やがて、沿線で比較的大きな町である香住に到着。だが、ここで予想外の事態となった。 何と某旅行会社のツアー客が退去して乗ってきたのだ。 2連の気動車はたちまち通路にまで立ち客があふれるほどの混雑となった。 おそらく香住から餘部駅まで乗車し、餘部鉄橋を見学するのだろう。 最近は餘部鉄橋も廃止が近づき、報道される機会が増えているのかもしれないが、 観光ツアーが押しかけるようになっているとは思わなかった。
 香住から2駅走り、その餘部鉄橋を通過する。 橋の下には餘部の集落が見渡せる。瀬戸大橋など、最近作られた巨大な橋に比べるとその高さはそれほどでもないが、 明治時代にこれほどの橋が造られたというのは驚きだ。
 結局、餘部駅でツアー客は全員下車した。 ワンマン運転なので全員が先頭車から下車するため、かなり時間を食った。
 餘部駅は集落から離れた山の中にある静かな駅として知られているが、 降りてみると先ほどのツアー客がホームに集結し、ガイドの解説を聞いている。 こんな状況では山間の長閑な雰囲気などあったものではないので、 一団が移動するまでしばらく待合室で待つことにした。
 しばらく待った後、集落への坂を下りてみる。 駅と集落を結ぶ重要な道のはずだが、ハイキングコースと同レベルの道で、 道の横の斜面が所々崩れていたりする。勾配もかなり急で、お年寄りにはかなり厳しい道だ。 しかし、道からは餘部鉄橋の構造をじっくり見ることができる。鉄橋を横から見ると、 まるで寄木細工のように鉄骨を組んでいる様が分かる。坂を降り切った所の民家の軒先では、 餘部鉄橋を撮影した写真を無人販売していた。民家の横には、鉄橋の橋脚が立っている。 近くで見ると、その鉄骨は意外なほど細く、よくこんな大きな橋が支えられるなと思った。 しかし、その鉄骨にはかなりの傷みが見られ、建て替えの必要性があるというのも分かる気がした。
 橋に沿って少し歩くと、観光バスが2台停まっていて、先ほどのツアー客が乗り込んでいる。 どうやらここで客を回収するらしい。集落から駅への坂はかなり急なので、 ある意味合理的な行程だといえるだろう。その後、橋が見渡せる位置へ行き、 列車を撮影するなどした後、あの急な坂を上って駅へと引き返した。


城崎温泉駅の「かに寿司」。


最近では観光名所となりつつある餘部鉄橋。


普段は静かなはずの餘部駅だが、観光ツアーの客でごった返す。


橋梁を横から見る。寄木細工のように精密に組まれた鉄骨が美しい。


餘部鉄橋を渡る上り列車を地上から撮影。 こうして見ると随分高いところを走っていると感じる。

■ 餘部17:51発〜浜坂18:08着

 餘部駅に戻り、「お立ち台」と呼ばれる橋を見渡せる撮影名所で写真を撮った後、やってきた列車に乗り込む。 今度の列車は観光客も少なく、空いていた。 列車は峠を長いトンネルで越えると、浜坂へ向けて下っていく。


お立ち台から見た鉄橋全景。

■ 浜坂18:18発〜鳥取19:04着

 浜坂は兵庫県内では最後の拠点駅で、普通列車は全てこの駅で系統分離されている。 ここからは、今や鳥取地区でしか見られない貴重なタラコ色(国鉄色)のキハ40に乗車する。 今度の列車は前の列車よりさらにガラガラで、2両目には自分以外に1人しか客がいない。
 浜坂から2駅目に居組という山間の秘境駅があり、昔ながらの木造駅舎が残っているが、 大分日が暮れてきたこともあり、お化け屋敷のように見える。 乗降客もないまま居組を発車。この居組が兵庫県最後の駅で、ここから先は鳥取県となる。 が、ガラガラの車内で足を伸ばしていると眠気が襲ってきた。 気付くと街中を高架で駆け抜けていた。鳥取駅の目前まで来てしまったようだ。

■ 鳥取19:53発〜郡家20:06着

 鳥取駅では次の列車まで50分もある。実は餘部で途中下車せずまっすぐ鳥取まで来れば、 18時13分発の「スーパーいなば」に乗れて、 20時には岡山に着けたのだが、若桜鉄道に乗ろうとすると、 これから述べるような厳しい行程を取らざるを得なかった。
 鳥取駅で弁当を買い、待合室でテレビを見るなどして時間をつぶした後、智頭急行の大原行き普通列車に乗る。 学校や会社帰りの客を乗せて3駅走り、郡家で下車する。

■ 郡家20:10発〜若桜20:40着 若桜鉄道

 郡家駅では、ホームの向かい側に若桜行きの単行列車が待っていた。 今乗ってきた列車から十数人が若桜鉄道の列車に乗り継いだ。郡家を発車してすぐ、八頭高校前駅に停車する。 若桜鉄道の利用客を増加させるために新設された駅で、郡家からの運賃は60円と鉄道の運賃としては日本一安いそうだ。
 もはや真っ暗で車窓はほとんど見えないが、川沿いに田んぼが広がっているのは分かる。 しばらく進むと、後ろの山が高くなり、川沿いの田んぼの面積が狭くなってきているのが分かる。 谷が次第に急になっているのだろう。 駅に停まるごとに人が降り、終点の若桜まで残ったのはわずか3人だった。運転士に運賃を払い外に出る。

■ 若桜20:46発〜郡家21:16着 若桜鉄道

■ 郡家21:20発〜鳥取21:34着

 外に出て駅舎を見てみると、なかなか古めかしい。 国鉄時代から全く変わっていないのだろう。入口に大きな時計がかかっているのが特徴だ。 写真を撮り、乗ってきた列車に再び乗り込む。すると、駅員さんに奇異の目で見られてしまった。盲腸線の乗りつぶしでは、 わずか数分で折り返すような乗り方をしばしばしなくてはいけないのだが、 そうすると駅員や乗務員に変な目で見られてしまう。 こればかりはなんともしようがない問題だ。
 若桜からの車内ではもはや見るものもない。窓を開ければ、 窓ガラスの反射がなくなりもう少し景色が見えるかと思い開けてみたが、 あまり変わらないばかりか風が冷たいので、やめてしまった。 結局、終点まで誰も乗ってくることはなかった。

■ 鳥取21:47発〜岡山23:40着 スーパーいなば92号

 再び鳥取駅に戻り、岡山行きのスーパーいなばに乗り込む。 この列車は06年3月改正から走り始めたのだが、 その経緯には寝台特急「出雲」廃止が深くかかわっている。「出雲」を廃止する際、 廃止以降も残る「サンライズ出雲」が通らない鳥取県や兵庫県北部の自治体が「東京行きの夜行列車がなくなると困る」とJRに抗議した。 仕方ないので、JRは「サンライズ出雲」と鳥取県を結ぶ連絡列車を走らせ、「出雲」の代替とすることにした。 その連絡列車がこれから乗る「92号」なのだ。 鳥取駅にも、この92号とサンライズ出雲を乗り継いで東京に行ける旨を記したパンフレットが置かれていた。
 そんな訳で、この列車の利用者に自由席を飛び乗りで利用しようとする人などほとんどおらず、 自由席はガラガラだった。乗っていたのは、中年の男性と2人連れの外国人だけ。 関係ないが、この旅行中外国人観光客が列車に乗っているのをしばしば見かけた。 JAPANレールパスを片手に、乗り鉄をやる外国人マニアが押しかけているのだろうか?(そんなはずないか)
 岡山に着いたのは夜11時40分。駅は既に閑散としていた。駅から徒歩5分のホテルに泊まり、 速攻で眠りについた。明日は5時半の列車に乗らねばならない。


深夜の鳥取駅で発車を待つ「スーパーいなば」。 2連のコンパクトな編成だ。


閑散とした車内で、鳥取で買った弁当を開く。 ごく普通の幕の内だが、味は良かった。デザートの皮付きの梨のコンポートが鳥取を主張している。

2006/8/11

■ 岡山5:34発〜清音5:58着

 5時に目を覚ますと、朝なのに異様に室内の温度が高い。ホテルの建物が安普請のせいだろうか? ともかく、時間がないので大急ぎで出発の準備をし、駅へ急ぐ。早朝の岡山駅は人気がなくがらんとしている。 朝まで遊んだ若者のグループが一組いるぐらいだ。 駅弁屋も開いていないので、飲み物だけを購入して列車に乗り込む。
 やってきた列車は、赤穂線方面からやってきた2連の列車だ。 クリーム色を基調としたJR西日本のリニューアル車共通のカラーリングだが、 車内は昔ながらのボックスシートのままである。 前面の運転台は後から取り付けられたもので、103系のような切妻型となっている。 この列車はこの先伯備線に入り、米子まで延々と走る長距離列車である。
 岡山を出て、まずは山陽本線を快走して倉敷に着く。 倉敷からは山陽本線と別れて伯備線に入るが、いきなり街中から風景が変わり、 高梁川と山に挟まれたがけっぷちの様なところを走る。 土地が狭いからか、上下線で大きく線路の位置が違う(片方がトンネルを通過する) 箇所もある。山陽道や山陽新幹線をくぐり、左から井原鉄道の橋梁が合流すると清音に着く。


切妻型の変な前面の115系。

■ 清音6:07発〜神辺7:15着 井原鉄道

 清音は井原鉄道と伯備線の分岐点だが、 井原鉄道の列車は基本的に清音の先の総社まで乗り入れるため、清音を始発とする井原鉄道の列車は少ない。 今回はその数少ない清音始発の列車に乗る。 既に列車は到着していて、部活で学校に行くと思われる高校生など3、4人が既に車内にいた。 車両の外では、運転士さんが自ら雑巾で窓などを拭いていた。 さすが3セク線の運転士はJRと違い何でもやる。
 清音駅を出ると、伯備線より一段高い位置まで上った後、先程見た鉄橋で一気に伯備線と高梁川をまたぐ。 川を渡ってすぐの所に川辺宿の駅があるが、辺りは水田が多く人家はあまり無い。 列車は真新しい高架を進み、吉備真備駅へ。吉備真備といえば、 遣唐使で唐に渡った人物だが、ここはその出身地なのだろう。
 列車はその後も小田川沿いの田園地帯を淡々と進む。 線路は基本的に新しい高架橋の上に作られているが、所々盛土の上を進んだりもする。 また、トンネルや擁壁のコンクリートは、高架橋のそれに比べて黒ずんでいる。 この井原線は、国鉄時代に工事が開始されながら国鉄再建に絡んで途中で工事が中断した路線なので、 建設時期の違いが工法やコンクリートの色づきの違いに現れている。
 しばらく走り、矢掛駅に到着。駅前には日本家屋のような立派な駅舎がある。ここは矢掛町の中心で、 高架橋からは家並みの広がる町内の様子が見渡せる。 だが、わずかな高校生が乗り降りするだけで相変わらず車内に客は少ない。
 その後も時折トンネルを交えながら川沿いをさらに進み、早雲の里荏原駅へ。 ここには井原鉄道の車両基地が設けられている。 この列車もここでしばらく停車し、1両増結を行う。 停車時間に駅前をうろついてみたが、駅前にいくつかオブジェが置かれているぐらいで、 駅前に人の気配はない。ここまではワンマン運転だったが、この駅から車掌が乗り込んできた。
 一駅走り、井原に到着。ここは井原線最大の駅で、駅舎も大きく立派なものだ。 ここでも時間調整のためにしばらく停車した。どれぐらい乗ってくるのかと思っていたが、せっかく増結したのに乗ってくる客はまばらだ。 おそらく学校期間中は福山に通う学生で賑わうのだろうが。
 井原を出ると、いずえ、子守唄の里高屋とユニークな駅名が続く。 相変わらず列車は山間の田園地帯を高架で直線的に進む。 駅はどれも高架橋の上に作られているが、どれもホームは短く簡易な造りだ。 同じような時期に作られた宮福線やほくほく線の駅とよく似ている。
 湯野を出ると、左に大きくカーブし福塩線と合流して神辺に到着。 神辺駅には井原鉄道とJR線との乗換え口があるが、早朝は開いていないようで、 一旦外に出てJR線の乗り場まで回り道をする必要があった。 その時、井原鉄道の改札でJR線の切符を買ったのだが、食堂の食券のような切符が出てきて驚いた。 3セクでは時折見かけるが、こんな切符でJR線に乗れるのか不安になった。


井原鉄道の列車は単行ワンマン、車体はJR西日本のキハ120にそっくりな軽快気動車で、 車内はセミクロスシートとなっている。

■ 神辺7:23発〜福山7:36着

 神辺駅にやってきた列車は105系の4連。黄色と青の派手なカラーリングが特徴だ。車内は通勤客で結構混んでいる。 もうお盆休みに近い時期だが、会社に行く人はまだ結構多いようだ。その割に井原鉄道では通勤客を見なかったが・・・
 列車は神辺の次の横尾を出ると、川沿いの狭苦しい所を行く。先程乗った伯備線と風景がそっくりだ。 並行する道路には車が多い。通勤の車なのだろう。福山は人口45万を擁する大都市なので、通勤する人の数も地方都市の割に多い。
 終点の福山駅は、新幹線と在来線が2層に重なった高架駅となっている。東京で言えば赤羽駅のような構造だ。


高架ホームからは、福山城が間近に見えた。駅からこんなに近い所に城があるというのは珍しい。

■ 福山8:11発〜岡山8:28着 ひかり444号

 福山駅では30分近く時間が余ってしまった。だが、早朝ということで店もほとんど開いておらず、 構内の椅子にぼんやりと座って慌しい通勤通学客を眺めるぐらいしかすることがない。
 福山からは新幹線で一気に岡山に戻る。 岡山までは普通列車でも1時間と少ししか掛からないので、 至近の普通列車に乗れば8時48分に岡山に着き、これから乗る「南風3号」に辛くも間に合う。 だが、岡山まで新幹線に乗れば、南風の特急料金に乗り継ぎ割引が適用され半額となるため、 トータルの費用は変わらない。そこで、今回は新幹線利用とした。
 朝から2時間以上掛けて岡山から福山まで辿り着いたが、 新幹線だとわずか17分で戻れてしまう。まるで今まで見ていたビデオテープを一気に巻き戻しているかのようだ。 先程通った伯備線の線路をちらりと見ると、間もなく岡山に到着。


岡山に到着した「レールスター」こと700系。

■ 岡山8:50発〜宿毛13:56着 南風3号

 岡山からは特急「南風」に乗り換え、高知県の西の果ての宿毛を目指す。 5時間を越える長旅となるため、弁当やお茶を買い込んで旅に備える。 出雲市行き特急「やくも」や高松行きマリンライナー、 津山線の気動車など雑多な車両が停まる岡山駅の一角に、南風号は停車していた。
 指定された席は1号車だが、この車両はグリーン車と普通車の合造車で、 普通席は5列ほどしかなくやや狭苦しい。 シートは特急列車としては珍しくレザー張りとなっていた。 これは合造車のみの特徴であるらしい。
 お盆だけあって、指定席はほぼ完全に埋まった状態で岡山駅を発車。 岡山駅を出るといきなり単線となって、山陽本線とオーバークロスする。 これから走る宇野線は一部を除いて未だに単線で、 四国への直通列車の増発に伴いダイヤは飽和状態となっている。 そのため、この特急も通過駅で運転停車を強いられた。 岡山からしばらく離れると、田んぼのど真ん中を走る区間も多く 部分複線化は容易だと思うのだが、特に工事をしている様子は見られなかった。
 そんな景色を見ながら弁当を広げる。買ったのは岡山名物の「祭ずし」の豪華版で、 箱が高級感漂うものになっているほか、中身も若干豪華になっているらしい。 そう言われれば、通常版には殻つきの海老なんて入っていなかった ような気もする。味や風味は通常版となんら変わらない。
 茶屋町からは宇野線と離れて瀬戸大橋線に入る。 ここからは瀬戸大橋開業と共に新規に作られて路線で、線路規格もよく当然複線である。 列車は人が変わったように飛ばし始めた。それにしても日差しが強い。 カーテンを開けて外を見ていると顔が焼けてしまいそうだ。 児島でJR西日本から四国へ乗務員交代し、高速道路と合流して鷲羽山トンネルをくぐると、いよいよ瀬戸大橋だ。
 瀬戸大橋は大小様々な島を踏み台にして海を渡るが、 島の中には与島のように駅を設置してもいいのではと思うほど大きなものもあれば、 はるか眼下にわずかな土地が小さく見えるだけのものもある。真っ青な海には船が行き交っている。
 橋の構造を見てみると、線路の左右には 微妙なスペースがある。瀬戸大橋は将来新幹線を通すことができるようスペースが確保されていると聞いたことがあるが、 そこまでのスペースがあるようには見えなかった。
 瀬戸大橋を渡り終えると、工場地帯が続く埋立地を走る。 ここで、坂出方面に向かう線路と宇多津・多度津方面に向かう線路に分かれる。 高松から多度津へ向かう予讃線と合わせ、京葉線の二俣新町付近のようなデルタ線を形成している。
 このデルタ線は、実は前から気になっていた。JRの乗りつぶしをする際、 このデルタ線のうち児島〜坂出と坂出〜宇多津は乗ったが、児島〜宇多津は乗車していなかった。 が、このデルタ線全体が戸籍上は宇多津駅構内の扱いとなるため、 時刻表巻頭の路線図を乗りつぶしの規準としていた私は、この近辺を完乗扱いとしていた。 実際に乗ってみて、このデルタ線の全景を車窓から見届けたので問題ないと思っていたが、 児島〜宇多津にも乗らないと完乗と見なさない流儀の人もいて、やはり気にはなっていた。
 その疑惑の区間をあっさりと通過し、宇多津に到着。 宇多津ではしばらく停車し、高松から来た編成を後部に連結する。 丸亀に停車し、高架を降りると多度津に到着。このあたりは主要駅が多いため、立て続けに停車する。 多度津は松山方面へ向かう予讃線と高知方面に向かう土讃線を分ける重要な駅だが、 昔ながらの平面交差となっている。 田んぼが広がりのんびりとしたムードの讃岐平野を南へ進み、琴平着。
 琴平からは非電化となり、地勢もやや険しくなるが、 まだまだ本格的な登りという感じはしない。 だが、讃岐財田駅を過ぎた辺りからいっそう山深くなった。 香川と徳島の県境を長いトンネルで一気に超える。トンネルを越えて少し行った所に、 スイッチバックの駅として名高い坪尻駅があるが、 2000系気動車はカーブや勾配をものともせず突き進んでいくため、 駅やその周辺の様子をよく確認できぬまま通過してしまった。
 坪尻を出ると列車は一気に吉野川沿いの平地まで駆け下りる。 車窓から、吉野川とその沿岸の町が見える。線路は「つ」の字のカーブを描くようにして、 吉野川沿いに徳島から延々と登ってきた徳島線と合流して阿波池田に至る。 阿波池田を出ると、吉野川の渓谷沿いを走る。 大歩危・小歩危あたりの険しい渓谷も当然見事だが、とんでもない斜面の上に作られた集落も見事だ。 傾斜40度はあろうかという斜面の上に田畑や家を作り暮らしているのだが、 なぜわざわざそんな所に、と思ってしまう。
 そんな渓谷の様子を眺めようと思っていたが、列車はしばしば川を渡るので、 川の位置が車窓の右へ左へと移動してしまう。そこで、デッキに出て車窓を見ていたのだが、 デッキの屋根に大きなカマキリが2匹も止まっていた。いったいどこから入ったのだろう。
 大歩危を過ぎると、一旦川沿いを離れて長い大歩危トンネルで難所を抜ける。 土砂崩れが多すぎて川沿いに線路を通しておくのは危険だと判断されたのだろう。 その後も延々と渓谷を走り、大杉に着く。 今日の南風は宇多津からの増結車を含めて6両の長い編成であるため、 今いる一号車はホームにかからずドアカットされていた。
 大杉からはますます山が険しくなり、トンネルが続く。 川の上に駅がある土佐北川や繁藤を通過すると、ようやく吉野川から離れる。 その次の新改駅も坪尻と並ぶ秘境として知られるが、よく分からぬまま通過。 しばらく走ると、はるか下に町が見えてきた。 一気に坂を駆け下り、土佐山田に到着。ここまでずっと山奥を進んできたが、ここからようやく平地となる。 ごめん・なはり線との合流駅の御免を過ぎ、まもなく高知に到着。

 高知では多くの客が降りたが、乗ってくる人もそれなりに多く、 自由席はごった返している。ここでは4分停車するので、 駅弁でも買おうかと思って外に出たが、この日は列車が遅れており、 宇多津で増結した後ろ2両を切り離すとすぐに発車ベルが鳴った。 ホームも混雑しており、結局売店に辿り着けず、何も買えなかった。
 高知を出ると、しばらく平地が続くのかと思っていたが、 朝倉の辺りから周りを山に囲まれるようになった。 同時に、高知市内から伊野へ至る土佐電鉄の線路が寄り添うようになった。 あちらの軌道は単線で、古びていて頼りない。 伊野を過ぎると、山の間をしばらく進み佐川に着く。高知から窪川、 宿毛へ至る線路は海沿いに引かれているものと思っていたが、 実際は海沿いを進む区間はほとんどない。それだけ、海岸線は地勢が急なのだろう。
 佐川を過ぎると、長いトンネルを抜けて須崎に着く。 須崎は海沿いの街だが、海沿いを走るのはこの辺りだけで、列車は再び山に入る。土佐久礼を過ぎると、 道路も家もない寂しい山の中を進む。この辺りで夕立が降り始めた。強い雨が降り、 遠くの方に雷が光っているのも見える。山越えを終えるとまもなく窪川に着く。 この駅に着く頃には夕立はやんでいた。帰省の客が何組も下車していく。 この駅では12分も停車するので、駅舎の中の売店へ行きお菓子と飲み物を購入した。

 窪川で長かった土讃線が終わり、土佐くろしお鉄道に入る。 若井までは四万十川と並行して走る。若井を出てしばらくすると、山の中でいきなり線路が分岐する。 ここは予土線が分岐する信号所で、向こうは四万十川に沿って進むのに対し、 こちらはループ線で一気に高度を下げる。 ただし、ループ線はほぼ全体がトンネルの中にあるためその様子はよく分からなかった。
 土佐佐賀駅は無人駅のようだったが、全ての特急が停車する。 そのため、特急列車にしては珍しく車掌が切符の回収を行っていた。 土佐佐賀を過ぎると、久しぶりに海が見えてきた。黒っぽいごつごつした岩が波に洗われる、荒々しい海岸だ。 途中、「海の王迎」という妙な名前の駅がある。くろしお鉄道は、駅名標が全て木で作られているのが特徴だ。
 再びトンネルを抜け、しばらく走るとようやく中村に到着。 岡山から実に5時間近くを要した。大きな町だけに、ここでかなりの客が下車する。 隣の席に岡山からずっと座っていた親子連れもここでようやく下車した。 鉄道マニアならともかく、一般人が5時間も列車に乗り続けるのは辛いだろうと思う。 しかし、この中村には空港もなく、この特急ぐらいしか交通手段はない。
 中村を出て、近年開業した宿毛線に入る。乗車時間も5時間を越え、流石に早く着いてほしいと思うようになってきた。 宿毛線は新しい線だけあって、高架とトンネルで直線的に線路が引かれている。 長いトンネルを抜け、東宿毛駅を通過するとようやく、終点の宿毛に到着する。


南風号は 2000系気動車の4両編成だが、車体にはアンパンマンのキャラクターがド派手にペイントされている。


岡山を代表する駅弁「祭ずし」。


瀬戸大橋から眼下に見える瀬戸内海。


宿毛駅は特徴的な形の駅舎を持つことで知られていたが、2005年の列車衝突事故で駅舎は失われてしまい、 今は平凡な終着駅となってしまった。

■ 宿毛駅14:00発〜片島岸壁14:12着

 宿毛駅の滞在時間は5分しかないが、この先食料が手に入れられる場所はないため、 大慌てで食料を買う。駅の高架下で農協か漁協の直売会をやっていたので覗いてみる。 野菜や魚に並んで、アジの姿寿司を売っていたのでこれを買う。 駅前のバス停に行くと、片島岸壁の表示を出したバスがやってきた。 このバスは佐伯行きのフェリーが発着する岸壁に行くバスで、数名が乗車した。
 バスはしばらく2車線の道を走るが、 やがて1車線の怪しい道を進むようになった。 バスから見た限り、宿毛の町はあまり大きくないように感じた。(町全体を見たわけではないので分からないが)

■ 宿毛港15:00発〜佐伯港18:00着

 宿毛のフェリーターミナルは、プレハブの掘っ立て小屋のような簡素なものだった。 乗船券を買い、その掘っ立て小屋でフェリーの乗船時刻を待つ。 この佐伯行きのフェリーは、親会社の倒産などの事情により、 しばらく運休していた時期があった。 最近復活したものの、本数は以前ほど多くなく、船内サービスも削減されたようだ。 かつては宿毛を深夜に出て佐伯に未明に着く便は、 夜明けまで船内で休憩できたのだが、そのサービスも無くなってしまったようだ。
 乗船時刻になり2等船室に乗り込む。それほど混んではいないものの、 帰省する家族連れなどでそこそこ賑わっている。桟敷にごろ寝して、3時間をぼんやりと過ごした。
 宿毛港に着き、下船口に行くと既に下船を待つ人が並んでいた。 実は、今度の延岡方面行き特急は18時16分発で、乗り継ぎ時間に余裕がない。 みんなそれに乗り継ごうとして急いでいるのだろう。 18時ちょうどに出口の扉が開くと、客が一斉に走り出した。 客たちは船の前に止まっていたタクシーに向かって走り出した。
 が、事前に道を調べておいた私は小走りで駅の方に向かった。 途中道に迷いそうにもなったが、発車5分前には無事駅に到着した。

■ 佐伯18:16発〜延岡19:16着 にちりん21号

 佐伯からの特急券を買い列車に乗ろうとすると、大雨のため5分以上列車が後れている旨放送があった。 確かに先程から街中を見ていると、路面が非常に濡れている。せっかく港から急いだのに意味がなかった。
 遅れてきた特急列車に乗り込む。 列車は485系3連で、JR九州らしく真っ赤に塗られている。車内はシートの柄が派手なものに取り替えられているなど、 原形はとどめているものの随所に九州らしさが現れている。 自由席車は帰省客が多かったが、何とか窓側の席に座ることができた。
 佐伯を出ると、列車はぐんぐん山の中へと入っている。 佐伯から延岡までの県境越え区間は「宗太郎越え」とも呼ばれているが、 途中駅の利用が少ないため普通列車の本数は少なく、区間運転を除けば普通列車は一日3本しかない。 それゆえ車窓は人里離れた山の中が続く。 直見、直川といったあたりまではまだ所々家があるが、 そこを過ぎると国道が併走する以外人工物は何も見えなくなる。特に宗太郎駅付近は何もないところに忽然と2面のホームが現れ、 雨の降った直後ということで霧も立ち込めており、何だか不気味だった。
 何もない山中を長々とさまよい、北川ぐらいまで来るとようやく人の気配がしてきた。 と同時に、日も暮れてきた。延岡に着く頃にはすっかり日が暮れていた。
 2003年春以来、3年ぶりに降り立った延岡の駅前では 盆踊りが行われていた。この盆踊りが何だか妙で、何度か前を通りかかったとき常に同じ曲で踊っていた。 しかもその曲は関西や関東では聞いたことのない曲であった。 この辺りではこの曲でずっと踊り続けるのが流儀なのだろうか。 ホテルに荷物を置き、食事を求めて延岡の町をぶらぶら歩いたがめぼしい店がなく、 結局その日は盆踊り会場の屋台でフランクフルトと焼きそばを買って部屋で食べるという妙な夕食となった。