2001/9/2
東京5:59発〜佐倉6:55着 533F E217(15)
東京駅からは、総武線の佐倉行きに乗る。車両は横須賀総武線用E217系。
この頃はもう既に113系は引退していたように思う。
列車は錦糸町で地上に出て、住宅地を高速で進む。東京のJR線は関西に比べて遅いと言われるが、
この総武線快速は健闘している方だと思う。E217系の最高速度も120km/hで、一部では120km/h運転をしているようだ。
津田沼の広大な電車区を過ぎ、内房線との分岐点を過ぎると千葉に到着。千葉駅は、駅構内で総武線と内房線が別れる妙な駅だ。
昔は東京駅から内房線方面に向かうとスイッチバックしないといけなかったのを解消したら、このような形の駅になったそうだ。
懸垂式の千葉都市モノレールを見ながら千葉を発車。モノレールとの乗換駅の都賀を過ぎると、車窓は急に田舎びてくる。
やがて、成田線と総武線が分岐する佐倉に到着。
佐倉7:03発〜佐原8:00着 427M 113(6)
佐倉からは千葉県のローカル区間の顔・113系に乗る。佐倉を出ると、複線の成田線と単線の総武本線が併走する。
総武本線は一応「本線」なのだが、これではどっちがどっちか分からない。
列車は複線の方を進み、この地域独特の、平らな地面に丘がぽこぽこと突き出たような地形の中を、
丘を縫うようにして進む。
成田駅を出てもしばらくは複線だが、
2、3分走ると信号所が現れ、佐原方面行きと成田空港方面行きとが2本の単線となって分かれる。
成田線は空港アクセスのためここまで複線化されていたが、この信号所を過ぎると単線となり急に鄙びてくる。
佐倉から一時間ほどで佐原に着いたが、佐倉や成田と比べるとタイムスリップしたかのような古めかしい駅舎だった。
千葉以東のほとんどの普通列車は113系での運転。座席の改造など派手に手を加えられた車両も。
佐原8:15発〜鹿島神宮8:37着 527M 113(4)
駅前のコンビニで朝食を買い、駅舎横の切り欠きホームから発車する鹿島線の列車に乗る。
鹿島線は佐原の次の香取から分岐する。
香取を出ると成田線と別れて90度カーブし、利根川を長い鉄橋で渡る。
鹿島線は鉄建公団によって造られた比較的新しい線で、
全線高架で踏み切りはない。途中のローカル駅も都会で見られるような高架駅だが、
単線でホームが短いあたりが何ともアンバランスだ。
潮来を過ぎると、北浦の端を先程より長い橋で渡り、終点鹿島神宮に到着。
ところが、この鹿島神宮駅は鹿島線の終着ではあるが終点ではない。
鉄道マニアには有名な話だが、この鹿島線の末端部はやや複雑な様相になっている。
鹿島神宮駅からは、鹿島臨海鉄道という第三セクターの路線が延びていて、水戸まで繋がっている。
その一駅目に、鹿島サッカースタジアムというサッカー開催時のみ営業の臨時駅がある。
ところが、鹿島神宮〜鹿島サッカースタジアム間は戸籍上JRの路線となっていて、
運賃制度上もこの区間に乗るとJRの運賃を取られることになっている。
つまり、鹿島臨海線で鹿島神宮まで行くと、自動的にJR線の初乗り運賃を取られることになる。
要するにJRを完乗するには、鹿島神宮まで乗るのでは不十分で、
鹿島臨海線で鹿島サッカースタジアム(臨時駅なので通常は通過)を通り過ぎ、その次の荒野台まで乗らねばならないのだ。
この辺は個々人の流儀によるだろうが、少なくともJR時刻表の路線図に拠っている私は乗らねばならない。
そもそも、なぜ鹿島サッカースタジアムなどという中途半端な臨時駅がJRと鹿島臨海線の境界になっているのかが疑問だが、
これは鹿島線や鹿島臨海線の成立の歴史に起因すると思う。
両線はもともと国鉄時代には1つの線として計画されて、工事が進められた。
そして香取から鹿島神宮までが先に開業したのだが、鹿島神宮の少し先の北鹿島という貨物駅で鹿島臨海鉄道の貨物専用線
(現在の鹿島神宮〜水戸の区間とは異なるり、北鹿島から南に延びている)と接続するため、
鹿島神宮を少し過ぎて北鹿島まで開業した。
ここで国鉄の赤字問題が深刻となり、全ての新線建設がストップしてしまった。残る北鹿島から水戸までは結局第3セクターの
鹿島臨海鉄道として開業することになった。
この北鹿島が現在の鹿島サッカースタジアム駅で、
Jリーグ発足時にサッカー観戦客の便宜を図るために
臨時駅へ格上げされた。元が貨物駅なので未だに臨時駅という半人前の扱いとなっている。
この区間にはそんな複雑な背景があるのだが、
当時は「JRの列車にさえ乗っておけばいいだろう」と判断し、鹿島神宮で折り返してしまった。
路線図にはきちんと鹿島サッカースタジアムまでがJRの地方交通線を示す青い太線で描かれている。
鹿島神宮9:03発〜香取9:20着 528M 113(4)
乗ってきた列車は鹿島神宮駅で鹿島臨海線の列車に接続し、 さらに鹿島臨海線からの列車に接続してから発車する。今度は佐原まで行かず、 成田線との接続駅の香取で下車。香取は貨車が待合室代わりに置かれた典型的なローカル駅で、 券売機はなく乗車証明証が置かれていた。
香取9:39発〜銚子10:18着 433M 113(4)
何もない香取駅で20分潰した後、成田線の残り区間に乗る。このあたりは利根川と並行している。
やがて、これから乗車する総武線との合流地点の松岸に到着。
しかし、乗り潰しを目指しているので当然銚子まで乗車。
銚子駅のプラットホームの端には、せんべいや鯛焼きの副業で有名な銚子電鉄の乗り場があった。
ただ、列車は来ておらず見ることができなかった。
銚子10:37発〜成東11:30着 348M 113(6)
銚子からは総武本線の列車で成東まで戻る。成東までは1時間弱だが、成田線に比べると利根川から離れることから、 こちらの方が少しだけ地勢が険しい気がする。成東で東金線の列車に乗り換える。
成東11:34発〜大網11:52着 642M 113(4)
東金線は、両端を含めてわずか5駅の短い線で、JRの路線でもひときわ地味な線だ。
この千葉地区はただでさえ路線が錯綜しているので、
東金線の場所を正確にイメージできる人は鉄道ファンでも少ないのではないだろうか。
車窓も取り立てて書くほどのものは何もない。
4両編成の列車は成東駅をガラガラの状態で発車した。このまま誰も乗ってこないかと思いきや、
2駅目の東金を中心にかなりの乗客があった。
この日は日曜日で、大網から外房線で千葉や東京に出る人が多いのだろう。成東に出ても東京方面には行けるが、
大網経由の方が時間も早いし本数も多い。
大網駅の東金線ホームは外房線のホームから少し離れていて、外房線とは
ホームを通り過ぎた所で合流する形となっている。私鉄ではよくある構造だが、JRの路線では珍しい構造だ。
昔は大網で外房線がスイッチバックしていたのを解消した経緯があるからだろう。
大網11:58発〜勝浦12:57着 251M 113(8)
大網からは外房線でさらに南下する。やってきたのは当然ながらまたも113系。
いい加減飽きてくるが、今度は8連と妙に長い編成だ。
外房線というと、太平洋岸を走るイメージだが、海は特に見えない。しかも早起きの影響からか乗車してすぐに眠ってしまった。
目が覚めると、もう勝浦の1駅手前らしく、海が少しだけ見えた。
地図で調べると、どうやら大網〜勝浦間で海が見えるのはこのあたりだけのようだ。
勝浦ではすぐの接続で安房鴨川行きがあるが、敢えて見送って勝浦駅で時間を潰す。
駅から少し歩いた所に有名な温泉旅館があり、
日帰りでも大浴場に入れると看板に書いてあった。しかし、タオルも何も持っていないし、結構な値段なので入らなかった。
結局、漁港や町並みを一通り見ても時間があるので、駅前のファーストフード店で飯を食いつつ時間を潰した。
この店は日曜の昼間にもかかわらずガラガラだったが、まだ残っているだろうか?
勝浦14:40発〜安房鴨川15:09着 5261M 183(8)
勝浦で1時間半ほど潰し、やってきた特急「わかしお」に乗り込む。
18きっぷでは特急乗車不可・・・といいたいところだが、
この特急は勝浦〜安房鴨川間が普通列車扱いとなるため、18きっぷでも乗車可能だ。
この列車に乗るため、わざわざ勝浦で1時間半も待っていたのだ。
勝浦を出ると、これまでとはうって変わって険しい海岸沿いを走り始める。少し平地が開けると
民家と漁港があったりする。ようやく房総半島らしいところに来た。
途中、行川アイランドという駅がある。かつては同名の観光施設があったのだが、
房総半島自体の観光需要の衰えからか閉園してしまい、そもそも駅周辺には集落もないことから非常に寂れてしまっている。
勝浦から鴨川まではわずか30分。そこまで特急にこだわる必要があるのかという気もするが、
実はこの乗り継ぎだと、この後もう一度特急に乗れるのだ。
安房鴨川15:12発〜館山15:57着 730M 113(4)
鴨川から線名は内房線へと変わる。鴨川はぱっと見ただの中間駅だが、
鴨川で内房線と外房線が直通することは基本的にないため、
全列車が折り返すターミナルとなっている。
鴨川からは相変わらず113系。車窓はこれまでと同じく、海沿いをくねくねと曲がりながら進む。
まもなく城下町として知られる館山に到着。
館山16:01発〜君津16:59着 5168M 183(8)
ここでは4分の連絡で、君津より特急「さざなみ」となる普通列車に乗り込む。今度は君津まで約1時間と乗車時間も長い。 館山からは太平洋岸から離れ、東京湾沿いを進む。ところが途中には、 鋸山や富津岬へと延びる山脈など、越えなければならない山が多いため、 意外にもトンネルが多い。それでも浜金谷のあたりなど、ところどころでは東京湾を見渡せる。 普通列車区間の終点となる君津で下車する。
君津17:06発〜木更津17:13着 2130M 113(8)
この後は木更津から久留里線に乗るため、わずか1駅だが普通列車に乗り換える。 これまで単線だった線路も君津からは複線になり、一気に東京に戻ってきた気がしてくる。 京葉線や総武線から内房線へ直通する列車の多くが「君津行き」なので、東京でもよく目にする駅名だ。 君津と木更津の間では山越えをするらしく、結構長いトンネルを通るし、駅間も長かった。
木更津17:31発〜上総亀山18:34着 943D キハ38(4)
木更津からは久留里線に乗る。久留里線は首都圏から最も近いローカル線の一つで、
今や日本でも残り少なくなった通勤型気動車キハ30などが用いられている。
路線自体もそれほど長くないためシートはロングシートとなっている。
発車が近づくと、乗客が続々と乗ってきてロングシートがほとんど埋まるほどになった。中でも私服姿の中高生が結構多い。
千葉などに遊びに行った帰りだろうか。
木更津を発車すると、列車は田園地帯を進む。
小さな集落が現れると、片面ホームのみの簡易な駅が現れ、
少しづつ人が降りていく。そんな光景を繰り返し、途中の久留里に着く頃には随分乗客が減っていた。
ここからは日が暮れてしまい外がよく見えなかったが、列車は渓谷を進んでいるようだった。
千葉県の奥の方には、養老渓谷など結構立派な渓谷がある。
今進んでいる所は養老渓谷ほど険しくないが、それでも房総半島にこんな所があるとは意外に思える。
木更津から1時間で終点の上総亀山に到着。この線は計画では、ここからいすみ鉄道の上総中野に進み、大原へと進む予定だった。
いすみ鉄道は国鉄時代、国鉄木原線と呼ばれていた。言うまでもなく、木原の「木」は木更津、「原」は大原を現している。
上総亀山では、わずかな地元の人が去ると、駅舎に4人ほどの男が残った。
おそらく自分も含め、久留里線に乗りに来た鉄道マニアだろう。
こういう時はお互いに気まずいもので、仕方なく駅舎を出て意味もなく外を歩き回った。
上総亀山18:52発〜木更津20:02着 946D キハ38(4)
今乗ってきた列車が折り返し木更津へ行くので、これに乗る。上りは流石に乗客が少なく、木更津までガラガラだった。
木更津20:13発〜千葉20:54着 2148M 113(8)
木更津から本日最後の113系で千葉へ。千葉から東京まで戻ると、今日朝からの総乗車キロは300kmを超える。 東京から豊橋ぐらいに相当する距離だ。房総半島は広かった。