2001/9/5
東京5:20発〜国府津6:37着 323M 373(9)
東京駅からの東海道線は5時20分が始発である。
(前の2本は品川始発)この列車は「特異列車」として、知る人には知られている。
何が特異かというと、この列車は上り「ムーンライトながら」の車両を静岡の電車区に回送する意味合いがあり、
「ながら」の車両が使用されているということだ。
そのため、普通列車でありながら無料で特急型車両に乗車することができる。
この列車には帰省などで何度もお世話になっているが、普段なら静岡まで乗車するところを、今回は国府津で下車する。
国府津で下車するときは、せっかくの特急型なので何だか名残惜しい気がした。
国府津6:39発〜沼津7:58着 2525M 313(2)+211(2)
国府津からは御殿場線の沼津行きに乗る。普段は新型の313系2連によるワンマン列車で運転されているが、
沼津付近では朝ラッシュに差し掛かるためか、この列車は詰め込みの利く211系ロングシート車を増結している。
国府津を出ると、しばらく複線を進む。複線とはいっても、
実は国府津電車区への線路が横を並行して走っているだけで、実質は単線だ。
国府津電車区からは、朝ラッシュの東京へと向かう113系が続々と出庫していて、連絡線で列を成して出番を待っている。
広大な国府津電車区を過ぎると、田園の中を単線で進むようになる。
この御殿場線はかつて東海道本線で、その当時は複線だったが、
熱海経由の短距離で勾配の少ない線が開通すると、ただのローカル線に転落した。
そのため窓の下には使われなくなった路盤が見える。
やがて小田急線の上をまたぐと、右側から単線が合流してくる。
これは小田急線から御殿場線に直通する特急「あさぎり」が使用する線路だ。
その線路が合流すると松田駅の長いホームに滑り込む。
今では2連かせいぜい6連の列車しか通らないのに、やたらと長い。過去の栄光の遺物だろうか。
ちなみに「あさぎり」は、連絡線に通じる専用のホームに停車するようで、案内板にもそのような記述が見える。
松田を出ると、次第に山深くなってくる。松田の先の山北からはさらに山が険しくなる。
かつては山北で山越えに備えて機関車の増結を行っていたそうだ。
山北を出てしばらくすると渓流に沿って走る。この眺め、どこかで見たことがあるなと思っていると、
山の上の方に東名高速が走っている。東名高速の下り線、右ルートと左ルートに分かれるあたりがこんな眺めだったなと思い出した。
東名高速との併走は御殿場あたりまで続くが、こちらの方が視点が低い分、川の流れはよく見える。
その後も渓流沿いに進み、駿河小山を過ぎて御殿場まで行ったあたりでようやく地形が開けてくる。
静岡県に入ったあたりから、高校生が続々と乗ってくるようになる。
大都市圏を除き、一般に高校生は県をまたぐ区間にはあまり乗ってこない。
学区は県内で閉じているから、当然といえば当然だが。
御殿場を過ぎた列車は、坂を勢いよく下る。そして途中駅からは続々と高校生が乗ってくる。
まるで支流からの流れを集めてどんどん太くなっていく川のようだ。沼津に着く頃はかなりのラッシュとなった。
沼津8:06発〜富士8:24着 325M 113(8)
身延線に乗るため、東海道線で富士へ向かう。
朝ラッシュだけあって、列車は8連とこの地区ではかなり長い編成だった。
富士の駅来構内には駅弁や普通のコンビニ弁当を扱う店がある。
そこで300円ぐらいの安い弁当を買い、身延線の列車に乗り込む。
富士8:37発〜身延9:44着 3531G 313(2)
身延線の列車も313系の2連だった。この313系は名古屋地区にも走っているが、
そちらは転換クロスシートなのに対し静岡地区は
昔ながらのボックスシートなのが残念だ。
とはいえ、新車だけに座り心地は悪くない。今度はラッシュと逆方向なので空いている。
富士を出ると90度方向を変え、富士山麓の富士宮を目指して北へと進む。このあたりは駅の間隔が短く、地方私鉄のようだ。
その分富士宮までは需要が多く、
荷物電車を改造した123系が富士と富士宮の先の西富士宮の間をピストン輸送している。
やがて列車は富士宮に到着。ローカル線の駅とは思えないほどホームが長く、
ホームの屋根も立派だ。使われていない団体専用改札口もある。
この富士宮は、駅近くの寺を訪れる某宗教団体の信者の輸送で大いに賑わったそうだ。東京からの直通列車を通すべく、
富士駅付近のルート変更まで行ったが、最近は団体輸送は行われていないようだ。
そういえば以前、富士宮のあたりを車で通ったときに
不気味なほど立派な寺院が見えた。その宗教団体の人たちはその寺を目指していたのだろうか。
これまで北に進んできた列車は、富士宮を出るとなぜか南西の方角に進みだす。
何故こんな迷走をするのか謎だが、おそらく勾配の関係だろう。
それを示すかのように、カーブの途中に富士宮の市街が一望できるスポットがあった。
ここは身延線でも屈指のビューポイントだろう。
やがて列車は北へと向き直し、富士川に沿って進むようになる。この富士川は比較的まっすぐな川で、広い河原に沿って
国道と身延線がまっすぐに進んでいく。所々に集落があり、駅がある。川に沿って走るローカル線の典型だ。
富士から一時間で、線名の由来となった身延に到着。ここでは40分ほど乗り継ぎ時間がある。身延には久遠寺という有名に寺院があり、
主要な観光地となっているが駅から遠いため行くことはできない。
駅前にはさしたるものもないので、仕方なく駅のベンチで列車を待った。
身延10:21発〜甲府11:29着 3735G 313(2)
身延からも313系のワンマン車だ。ここからは富士川の流れが若干急になるのか、川から離れて線路が引かれている箇所もある。
下部温泉、鰍沢口、市川大門と身延線の主要駅を通る。この日は平日だからか、
乗っているのは地元の人ばかりで観光客は見当たらない。
市川大門を過ぎると甲府盆地に入る。やがて中央本線と合流。合流してしばらく走ると、甲府のひとつ手前の金手駅があるが、
身延線だけにホームがあり、中央本線にはホームがない。前者は元私鉄、後者は官設鉄道という起源の違いからだろうか。
やがて甲府駅に到着。身延線ホームは甲府駅の隅の方にあり、改札口までは少し遠い。
JR東海の路線なのでJR東日本の支配する甲府駅に冷遇されているかのようだ。
(実際は国鉄時代からこの配置だろうから、そんなことはないと思うが)
甲府11:44発〜小淵沢12:29着 437M 115(6)
甲府からは中央本線で小淵沢に向かう。中央東線はこれまで何度も乗っているが、好きな路線の1つだ。
甲府を出てしばらくは甲府盆地を走るが、数駅ほど走った韮崎からは急な山登りとなる。韮崎駅は急勾配の築堤上にあり、
席に座っていてもかなりの勾配を感じる。
蒸気機関車ではこんな勾配から発進できないだろう。この駅はかつてはスイッチバックだったそうだ。
韮崎からは無人の高原を進む。登り勾配が延々と続き、一体どこまで登るのかと思ってしまうほどだ。
甲府から45分で小淵沢に到着。八ヶ岳・清里への玄関口で、東京に比べて空気がひんやりしているのが分かる。
駅舎はそれほど立派なものではないが、観光地の玄関口らしい華やぎや非日常感があり、
好きな駅の1つだが、平日だけあって観光客はいない。
次の小海線までは40分もあるが、小海線は本数の少ないローカル線なので接続はまだいい方だろう。
小淵沢13:09発〜小諸15:21着 229D 110(1)+(2)中込から
小海線は中央本線から離れた4・5番線から発車する。
このホームへの跨線橋は中央本線のホームから延びており、
駅舎から小海線乗り場へ行くには中央本線ホームを通らねばならないという妙な構造になっている。
特急「あずさ」から乗り込んだ観光客を乗せ、列車は発車する。
小淵沢を出た列車は中央本線から離れ、右に急カーブを描きながら急勾配を登っていく。
深い森の中を気動車はぐんぐん登る。高性能のキハ110のエンジンが唸りを上げている。
やがて1駅目の甲斐小泉に到着。八ヶ岳の別荘地・ペンションの最寄り駅で、かなりの数の観光客が降りていく。
ローカル線の小駅ながら、立派な駅舎があり駅員もいた。
甲斐小泉を出て深い森をまた進む。次の甲斐大泉も別荘地の駅だが、
こちらは甲斐小泉ほど降車客はいない。甲斐大泉を出てしばらく走ると、
列車は左に曲がる。この先に2本の深い沢があるため、
それを迂回するためだ。1本目の沢を渡るとトンネルに入る。このトンネルを抜けてすぐに2本目の沢を渡るのだが、
これがかなり深い沢でなかなか迫力がある。
やがて列車は清里に着き、また観光客を吐き出す。小淵沢では席が全て埋まるほど乗客がいたが、
大分空いてきた。清里を出ても列車は上り続け、山梨県と長野県との境界付近でJR線の標高最高地点となる。
このあたりは平地が開けており、独特の植生もあいまってまるで北海道にいるかのようだ。
清里の次の野辺山はJR駅の中でも最も標高が高く、
それを示す碑が駅に立っている。野辺山からは下り勾配になり、千曲川の渓流に沿って進むようになる。
北海道から日本に戻ったかのようだ。駅の間隔も狭くなった。
途中には海ノ口という駅がある。こんな山の中で海という字のついた地名があるというのも妙だ。
車両基地のある中込で通学輸送用に2両増結し、さらに下る。佐久の盆地に入り、
周りが開けてきたところで線路がいきなり高架になる。
地平を走る長野新幹線を乗り越すためだ。新幹線と草する佐久平駅では、新幹線が地平、
小海線が高架という妙な配置になっている。新幹線の駅だけあって、周りにはショッピングセンターもあり開けている。
佐久平からしばらく走ると、しなの鉄道線と合流し小諸に到着。
小諸15:25発〜軽井沢15:48着 768M しなの鉄道
小諸からはしなの鉄道線で軽井沢まで行く。この区間には信越本線だった時代に乗ったことがある。
あの時は横軽が廃止になる直前で、
鉄道マニアや18きっぷ旅行者で、地方都市のラッシュ並みに混んでいた。しなの鉄道になってからは初めての乗車だ。
それにしても、小諸にはかつて特急「あさま」が停車していたのだが、今は第三セクターの途中駅に転落してしまった。
整備新幹線の開業には、このような弊害も存在する。小諸から20分、5駅で軽井沢に到着。
軽井沢16:15発〜万座鹿沢口17:22着 西武高原バス
軽井沢からはバスで、吾妻線の万座・鹿沢口に行く。新幹線開業で真新しくなった駅前広場に行くと、
小雨が降っており人はまばらだった。前に軽井沢に来たときは夏休みとあって観光客が多く、
いかにも観光地らしかったのだがこの日は別の駅のようだ。
軽井沢からのバスは西武高原バスという会社で、
軽井沢の観光開発を西武グループが牛耳っていることが分かる。
軽井沢を出発すると、バスは一旦中軽井沢を経由して山を登っていく。しばらく一般道を走り、
観光地の鬼押出しを通る有料道路に入る。コースがコースだけに観光客が目当てのバスなのだろうが、
平日とはいえ乗客は5人に満たない。
鬼押出しから観光客が数人乗ってきて、ある意味ほっとした。
軽井沢から1時間で万座・鹿沢口駅に着いたが、
吾妻線を乗りつぶすには一度終点の大前に行く必要がある。万座・鹿沢口と大前の間は1駅ながら本数が少ないことで有名で、
大前へ行くには1時間ほど待つ必要がある。駅で待っているのも退屈なので、大前まで歩いてみることにした。
大前までの営業キロは3.1kmで、すぐ横を国道が走っているのでほとんど迂回の必要はなさそうだ。幸い雨もほぼやんでいる。
歩いてみると、国道とはいえ沿道に住宅はほとんどなく、時々空き地があるぐらいで寂しい。しかもこの国道は上田や菅平
に抜ける道なので交通量が多く、ダンプカーが飛ばしていたりして怖い。そんな道を延々と歩くと、嬬恋村の役場が見えてきた。
ここまで来るともうすぐで、国道から左へ折れる細い道を歩くと駅が見えてきた。
大前18:43発〜高崎20:28着 544M 115(3)
列車本数が極端に少ない大前駅とは一体どんな所かと思っていたが、
駅前にはアパートなどもあり秘境というわけではない。
古びた待合室でしばらく待つと、大前着の列車がやって来た。数人の中高生が降りてきた。
折り返しの列車で大前を後にする。この頃には日が暮れていて、渓谷美が美しいであろう車窓を堪能することもできず、
ただ寝て過ごすしかなかったのは残念だ。いつか昼間にもう一度乗りに行きたいと思いつつ、
東京近郊だからという油断もあって未だに乗りにいけないでいる。
2001/9/30
立川〜青梅〜奥多摩
この日は、ホリデーパスを使用して青梅・五日市線の乗りつぶしに出かけた。
まずは立川から青梅行きに乗る。途中の河辺あたりまでは中央線の延長線といった感じで、
ごく普通の住宅街を通る。青梅の1つ手前の東青梅からは、突如単線となる。
青梅以東のうち、なぜこの一駅間だけ単線なのかは謎。
青梅駅の側線には車両が留置されており、昔ながらの典型的な拠点駅の構造となっている。
あたりはいつの間にか山深くなりかけており、
留置線の裏側には山が迫っている。
青梅で短い4連に乗り換える。ここからは山間のローカル線といった趣で、
こんな通勤電車が走っているのも妙な感じがする。
終点の奥多摩は、ホームが急カーブしており、扉とホームの間が場所によっては30cmぐらい開いている。
休日の朝ということで、ハイカーが多い。
奥多摩〜青梅〜拝島〜武蔵五日市〜拝島
奥多摩からすぐに折り返して拝島まで戻り、五日市線に乗り換える。こちらも青梅線の前半同様、平凡な住宅地を進む。 ただ、青梅線と違って単線で、開発の進み方も何となくこちらのほうが遅い気がする。 武蔵五日市駅は、青梅駅と同じく山に分け入るる手前といった場所だったが、青梅駅と対照的に真新しい高架駅だった。