2001/8/17
大阪7:44発〜奈良8:39着 314Y 区間快速 103(?)
奈良8:50発〜加茂9:03着 128K 221(?)
大阪から乗った関西線直通の区間快速はウグイス色の103系だった。221系を期待していたのでちょっとがっかり。
午前中だったので天王寺を過ぎるとがらがらだった。天王寺を出てしばらく走ると、東部市場前という駅があり、
その周りに広いヤードのような空き地が広がっている。
さらにしばらく走ると、久宝寺という駅の周りにも空き地が広がっている。
昔の国鉄の頃から土地の使い方が変わっていない感じだ。
八尾を過ぎると、次第に山が迫ってくる。大阪から奈良に行くには、必ず生駒山脈を越えなければならない。関西線は近鉄のように
長大トンネルで超えたりはしないが、険しい川沿いを縫うように走る。
途中の河内堅上あたりは大阪の近郊とは思えないほどのどかな所だ。
生駒山を超えると王寺・法隆寺を通って奈良着。奈良は高架化工事前でまだ古臭いホームだった。
奈良から221系の加茂行きに乗り換える。奈良を出ると平城京の遺跡でもあるのかすぐに空き地が広がる。
加茂の手前には、古いレンガ積みのトンネルがあった。関西鉄道の頃からあるトンネルを電化の時に掘り下げたものだろうか。
加茂駅は、阪急の三宮駅や川越線の川越駅のような、中線をホームで挟んだ2面3線で、
乗換えがしやすいよう考慮されているようだった。
加茂9:10発〜亀山10:40着 232D キハ120(1)
加茂からはいよいよ非電化区間に入る。列車もキハ120単行となり一気にローカル線に変わる。
加茂を出た列車は木津川の渓谷沿いを走る。周りに人家は少ない。
しばらく走ると盆地のような所に出る。それにしても各駅のホームはローカル線にしては長い。
SLの時代は幹線として長大編成が行きかった名残だ。
しかし今は単行かせいぜい3両程度の列車しか通らず、橋の方のホームは雑草に埋もれている。
伊賀上野に着く。ここは上野市の中心からは外れていて、近鉄伊賀線がこの駅から中心部に通じている。
列車が対向待ちをしていると、ちょうど近鉄の列車が到着した。一応相互に乗継の便が図られているようだ。
田畑や丘陵の広がる土地を延々と進むと、横から電化された線路が現れる。
何かと思ったら草津線だった。こんなところで電化線区に出会うとは意外だ。
草津線との乗り継ぎ駅の柘植に着いたが、わずかな乗り換え客がいるぐらいで駅の周りに人気は無さそうだった。
柘植でしばらく停まっていると、反対側から急行「かすが」が現れた。「かすが」は今や絶滅寸前の昼行急行である上、
一日1本しか走っていないレアな列車だ。
車両は快速「みえ」と共通のものを使用していて、中は転換クロスシートが並んでいる。
柘植を出るといよいよ峠越えになる。昔はSLの難所だったという加太トンネルを難なく越える。
しばらく行くと、駅というにはあまりにこじんまりしたホームと小屋のようなものが現れ、
列車は急に速度を落としポイントをまたいで側線に入った。
実はこの時は知らなかったのだが、ここは中在家信号所という、いまや貴重なスイッチバック式の信号所なのだった。
列車が止まると、今度はバックしてさっきのポイントを通過し、別の側線に入る。
しばらくすると、反対側から加茂行きのキハ120が現れた。この信号所での交換は最近めっきり減っているらしいので、貴重な経験だった。
信号所を出ると、列車は一気に下り亀山に着いた。亀山は乗客が少ない割にホームも通路も立派で、ここでも過去の栄光が垣間見えた。
亀山10:43発〜名古屋11:55着 1328G 313(2)
亀山からは再び電化区間に戻る。列車は313系2連で、ワンマンカーだった。
大都市の名古屋にワンマンカーが乗り入れているのも変な感じがする。
関西線は並行する近鉄に乗客を奪われてしまっているから、ワンマンで賄えるのだろう。
やはり途中までは乗客は少なかったが、名古屋の手前まで来ると急に混んできて、
立ち客まで出るようになった。特に、信号所を最近格上げしてできた春田では、かなり乗ってきた。
名古屋からは、いつもどおり東海道線を乗り継いで東京に帰った。