2015/4/12
東京6:16発〜富山8:26着 かがやき501号
日曜日の早朝、東京駅へとやってきた。まだ6時だが、スノーボードを抱えた客などで駅は賑わっている。
朝食の駅弁を抱え、始発「かがやき」に乗り込む。
開業日は始発列車の指定席が数十秒で売り切れたというが、開業から1か月経ち、当初のフィーバーも落ち着いてきたのか車内は空いていた。
東京駅を発車し、上野東京ラインの高架下を進みながら上野へ向かう。
実は上野へ向かっていたまさにその時、並行する山手線で架線柱が崩れる事故があり、長時間運転が止まるなど大騒ぎになった。
今思うと、これから起こる波乱の予兆だったのかもしれない。
上野を出て、埼京線と並走しながら大宮へ。大宮からは本気の走りとなり、車窓左手に富士山や秩父の山々、右手に赤城山を見ながら関東平野を快走する。
高崎を通過したところでややスピードが落ち、ポイントを左へ曲がる。ここで上越新幹線と分かれ北陸新幹線に入る。
榛名山を右に見ながら西へと進路を取り、相変わらず駅前に何もない安中榛名を通過。「横軽」を越える長いトンネルに入る。
トンネルの出口付近で大きく減速し、軽井沢をゆっくりと通過。どうやら、軽井沢駅のホームにホームドアがないため、
徐行を強いられているらしい。ケチらずにホームドアをつけ、速度を落とさずに通過してほしいものだ。そうすれば1、2分は短縮できるに違いない。
周辺の駅にはホームドアが既にあるのだから、技術的にできないことはないはずだ。
(注:あとで調べたところ、軽井沢駅で徐行するのはホームドアがないからではなく、
駅手前に急カーブがあるからだそうです。)
浅間山を左手に見ながらしばらく進むと、トンネルに入る。ここから先は山国・長野らしく駅周辺以外はずっとトンネルが続く。
篠ノ井あたりでようやく外に出て、千曲川を渡ると減速、長野駅に着く。
この日は善光寺の御開帳をやっていて、半分近くの客が下車した。
長野で乗務員がJR東日本から西日本に交代し、いよいよ新線区間に入る。廃車になった115系や189系が留め置かれている在来線の車両基地の脇を抜け、
しばらく長野市の郊外を進む。この辺りは長野開業時に新幹線の基地への引込線として建設されたため、線路自体は昔からあり、高架橋もやや古びている。
その車両基地を過ぎたあたりから高架橋が新しくなった。程なく長いトンネルに入る。
トンネルを抜けると千曲川の川沿いの狭い平野に出る。程なく、飯山を通過。
駅周辺は防音壁に取り囲まれており、地上を走っているはずの飯山線の線路は見えなかった。
飯山を通過するとまた長いトンネルに入り、それを抜けると左手に雪をかぶった北アルプスの山々が見えてきた。
しばらくすると単線の線路が合流してきた。「えちごトキめき鉄道」という妙な名前に変わった旧信越本線で、
直江津や高田の南方にある旧脇野田駅が「上越妙高」駅に改名され、新幹線と連絡している。
ここを過ぎるとまたしても長いトンネルに入る。
トンネルを抜けると右手に日本海が見えてきた。何でも、新幹線から日本海が見えるのは北陸新幹線が初めてらしい。
山陽新幹線の小倉あたりで見えなかったかなと思うが、忘れてしまった。
ともかく日本海沿いを進み、糸魚川を通過。しばらく海沿いを走った後、親不知の難所を抜けるため、またしてもトンネルに入る。
トンネルを抜けると富山平野に突入する。富山平野は起伏が少なく、車窓からはかなり遠くまで見渡せる。
線形も良いことから、あまりスピード感がない。一応260km/hほど出ているはずなのだが。
住宅密集地をぐねぐねとカーブしながら進む東海道新幹線に乗りなれると、ずいぶん違うなと感じてしまう。
富山地方鉄道本線との交差地点にある黒部宇奈月温泉を過ぎ、富山平野を快走すると、左手にそびえる立山連峰に関する案内放送が入る。
海抜100mもない富山市内から、3000m級の山々がくっきりと見えるのだから、ある意味すごいことだ。
放送が終わるとまもなく富山に到着。ここでいったん下車する。
富山8:36発〜高岡8:54着 あいの風とやま鉄道
富山駅は新幹線開業を気に一変し、かつては狭苦しかった駅前も非常に広くすっきりしたものとなった。 そんな駅前の見学もそこそこに、JR北陸本線から転じた「あいの風とやま鉄道」に乗って高岡に向かう。 車両はJRから譲渡された521系だが、これが案外混んでいた。日曜の朝8時台というのに立ち客が出るほどで、 座り心地の悪い補助席(223系などと同じもの)に座る羽目になった。 折しも北陸は桜が見ごろで、時折現れる桜の木を眺めたりしているうちに、高岡に到着。
高岡駅9:00発〜末広町9:02着 万葉線
高岡に来るのはおよそ5年ぶりだが、こちらも富山と同じく駅前がきれいに再開発され、立派な駅ビルも建っていた。
わざわざ高岡に来た理由は、その再開発と大きく関連している。
駅前再開発の一環として、かつてJRの駅から少し離れたところに起点があった万葉線が少しだけ延伸され、JR駅のすぐ脇から発着するようになったのだ。
延びた距離はわずか数十mで、しかも書類上はルート変更扱いであることから、新線の扱いにはならないのだが、
全線完乗者としては何となく気になるため、再度乗りつぶしに来たのだ。
駅前にはかなり年季の入った電車が停車していた。9時ちょうどに発車すると、135度ぐらいぐるっと右にカーブして、駅前の大通りに入る。
少し走ったところで、最初の電停である末広町に到着。その距離わずか400mほどで、どう考えてもわざわざ金を払って乗車する距離ではないため、
気恥ずかしい気分で下車する。その後は歩いて駅に戻る。
高岡9:27発〜富山9:46着 あいの風とやま鉄道
電鉄富山駅・エスタ前9:57発〜新富町10:05着 富山地方鉄道
高岡駅から、再び521系に乗って富山に戻る。この時乗った521系の車体には「Ishikawa Railway」の文字があった。
こうやって乗っている分にはあまり意識しないが、今やこの区間はJRではなくなり、「あいの風とやま鉄道」という三セクへと移行してしまった。
ただ、JRに先駆けてICOCAを使えるようにするなど、何とか地域の足として生き残ろうという心意気は感じられる。
実は富山でも、新幹線開業に合わせて路面電車の延伸が行われた。
富山駅前を走る路面電車が、新幹線の高架下に乗り入れるようになったのだ。
こちらも新しい区間は数十mしかないが、「富山駅」という名の新駅も作られ、一応延伸という形になるようだ。
しかし、市電の電停の移設の度にわざわざ乗りに行くのは面倒くさい。ここ富山ではJR在来線の高架化完成後、
駅南側の市電と北側の富山ライトレールを直結する工事が予定されているのだが、
100mにも満たない新線に乗るためにわざわざ富山まで来る気がするかどうか微妙なところだ。
ともかく、新駅の前後の区間に乗ることにする。まずは「電鉄富山駅・エスタ前」(旧・富山駅前)電停に向かい、
年季の入った電車に乗る。駅前を少し走り、右に曲がって新幹線の高架下に入る。
ここで5分ほど停車した後、反転して駅前通りをまっすぐ進み、最初の電停である新富町に到着、ここで下車する。
5分ほど歩いて富山駅に戻る。
ここから、本来は10時25分発の「はくたか」に乗るつもりだったが、もたもたしている間に乗り遅れてしまった。
具体的には、富山から金沢、そして名古屋までの自由席特急券(在来線部分は乗継割引)を「えきねっと」で予約していたのだが、
券売機でいくらやっても発券できない(ちなみに、北陸地方のJR西日本の主要駅では、この春から「えきねっと」で予約したきっぷを発券できるようになった)。
結局、混雑した窓口に並ぶ羽目になり、駅員さんに確認してみると「JR東海部分を含む特急券は西日本管内では発券できない」とのこと。
知らんがな。。。 富山とか金沢から「しらさぎ」や「ひだ」で名古屋まで行く人は少なくないと思うので、ご注意頂きたい。
図らずも富山で時間が余ったので、駅前をぶらぶらしてみる。新装なった駅には土産物などを売る店が多数あり、
お土産や駅弁などを購入して時間を潰した。
富山11:13発〜金沢11:36着 はくたか555号
新幹線のホームに上がると、自由席の乗り場に多くの人が並んでいた。単純に金沢に出る客が多いというのもあるだろうが、
客層を見ると子供がやたら多く、新幹線に試乗しにきた家族連れが多い印象だ。
自分の街に初めてやってきた新幹線にワクワクする子供も多いことだろう。
富山から乗った「はくたか」は空いていた。富山を出て引き続き富山平野を進み、程なく新高岡に到着。
ここからの乗車も案外多かった。やはり金沢へ買い物などに繰り出す人が多いらしい。
新高岡を出てしばらくすると、倶利伽羅峠を超えるトンネルに入る。トンネルを抜けるとすぐに、到着放送が入る。前方を見ると、金沢のビル群が見えてきた。
最後は在来線と並行し、金沢に到着。これで北陸新幹線を無事乗りつぶした。
金沢11:48発〜米原13:44着 しらさぎ8号
富山駅でもたついたせいで、金沢には10分余りしか滞在できないことになってしまった。それでも少しでも様子を見ようと、
駅正面の方に出てみる。すると、駅前の広場やバスターミナルは観光客でごった返していた。まるで観光シーズンの京都のようだ。
富山駅では観光客の姿はあまり見られなかったのだが。さすが金沢、と思うと同時に、こんなに混んでるのなら来なくて正解だったな、と思う。
金沢からは特急「しらさぎ」で名古屋に向かう。車両は新幹線開業まで北越急行経由の「はくたか」で走っていたもので、
その名残か一部の車両のシートモケットがほくたか独自の赤色だった。また、しらさぎは普段は6連なのだがこの日は9連に増結されていた。
そのおかげか、自由席は空いていた。
金沢を発車し、しばらくは北陸新幹線の白山車両基地に向かう高架橋と並走する。新幹線の福井への延伸時には、もちろんこの線路が本線となる。
その新幹線延伸だが、白山車両基地と福井駅付近を除くと工事をしている様子は全くなかった。加賀温泉、芦原温泉には新幹線の駅が作られる予定だが、
駅周辺は工事どころか用地取得もろくに行われていないようだった。福井延伸は2022年完成の予定を2020年に前倒ししようとしているが、
5年後どころか7年後に完成するのすら難しいのでは、と思ってしまう。
そうやって車窓を眺めているうち、列車は突如急停車した。場所は福井駅の少し手前であった。
踏切の安全確認か何かだと思っていたら、車掌さんは放送でこう言った。「この列車で人身事故が発生しました」。
思えば、私が過去北陸に来ると必ずといっていいほど事件が起きた。
2007年に来た時は翌日震度6強の地震が起きたし、2009年に「きたぐに」で北陸を通った際は人身事故で到着が2時間近く遅れた。
2010年に私鉄の乗りつぶしに来た際は列車を乗り間違えて当日中に帰れなくなる危機に陥った。
さらにいえば、JR完乗のトリを飾らせようと残しておいた越美北線が豪雨で3年間も不通になるという出来事もあった。
ここまで続くとは、北陸という土地とよっぽど相性が悪いのだろうか、と考えてしまった。
ともかく、起きてしまった以上はひたすら待つしかない。復旧までは最低でも1時間かかるという。
付近にはパトカーやレスキュー車や集まり、車内を警官や消防士がずかずか駆け抜けるなど現場は騒然としてきた。
唯一の救いは列車が空いていることで、椅子を転換して「ボックス席」を作り、足を伸ばして待っていることができた。
先ほど乗った521系の補助席で1時間以上待たされたら腰をおかしくするところだった。
待っている間に、携帯電話でエクスプレス予約の変更をした。本来はのんびり名古屋まで「しらさぎ」で行って、名古屋から「のぞみ」で帰るつもりだったが、
こうなった以上なるべく早く帰りたい。そこで、
米原から新幹線で帰ることにする。14時58分発の「ひかり」に乗れれば、と思っていたが、
これはタッチの差で乗れなさそうだ。そこで、1本後の「こだま」(名古屋でのぞみに乗り換え)を予約した。
予約変更をしていて気付いたのだが、エクスプレス予約だと米原〜新横浜間は異様に安く、名古屋〜新横浜間と20円しか差がない。
(普通に切符を買うと440円差)
最初はシステムのバグかとすら思ったが、どうやら本当にそうらしい。ちなみに、品川・東京まで乗っても同額である。
何でそんな価格設定になっているのかは謎である。
結局、80分ほど遅れて列車はようやく発車。福井から先は特に徐行したりすることもなく、順調に進んだ。
列車は本来名古屋行きだが、ダイヤ乱れのせいで今日に限り米原止まりになるという。
結局、15時過ぎに米原に到着した。
米原14:58発〜新横浜16:52着 ひかり524号
米原駅に着くと、もう発車したはずの「ひかり」がまだホームに停車していた。
慌てて新幹線乗り場に向かうと、どうやらこの列車からの乗り継ぎを待ってくれているらしい。
駅員さんが「急いでください」と声を張り上げる中、慌てて携帯電話で予約を変更し、切符を受け取って改札を通る。
その間に発車してしまったらどうしようかと思ったが、何とか間に合い、首尾よく窓側の自由席を確保できた。
その後も列車は乗り換え客を待ち続けてなかなか発車できず、10分近く遅れて米原を発車した。
あとは東海道を快走し、一路新横浜へ向かう。途中、待避時間を削ったり回復運転を行うなどしたおかげで、新横浜には定刻通り到着した。
あれだけ長い間抑止されていたにもかかわらず、当初予定の30分遅れで帰ってこれたのは不幸中の幸いだった。