2003/12/30
岡山5:49発〜総社6:15着 825M 115(2)
翌朝、この日も早朝に無理やり目を覚まし、慌しく支度をして岡山駅に向かう。
空気は冷え切っており、寒さを我慢しながら駅へと向かう。
今日は夜から京都で用があるので、姫路17時発の新快速に乗らねばならない。
そこから逆算すると、鳥取11時48分発の普通列車に乗り、
因美線・姫新線を乗りつぶして姫路に向かうことになる。
このタイムリミットまでに、
岡山近辺に残る吉備線・宇野線茶屋町以南・伯備線新見以南の3線区を乗りつぶしたい。
これら全てに乗る方法を散々考えたのだが、どう頑張っても全部に乗るのは無理で、
伯備線を諦めることにした。伯備線は特急が走る幹線であるし、
今後山陰本線の江津以西に乗るついでに通ればいいやと思ったからである。
やはり、普通列車しか走らないローカル線や盲腸線など、乗りにくい路線から攻めるというのが鉄則である。
そんな訳で、まずは吉備線の終点である総社を目指し、伯備線の米子行きに乗る。
こんな朝早い列車だというのに、岡山始発ではなく赤穂線からやってくる列車のようで、
岡山に到着した時点で車内には乗客がいた。車両は115系の2両編成で、
片方の運転台は103系のような切妻、もう片方は原型という妙な編成である。
また、リニューアル色でありながら車内は転クロではなく、普通のボックスシートのままだ。
そんな列車に揺られ、まずは山陽本線を倉敷まで走る。倉敷までは3駅しかないのだが、
やたらと駅の間隔が長く、随分時間がかかった。倉敷を出ると伯備線に入り、2駅で総社に着く。
まだ日は明けておらず、真っ暗である。
切妻運転台を持つ115系で最終日の旅がスタート。
総社6:17発〜岡山6:51着 722D キハ47(2)
総社からは吉備線に乗り岡山に戻る。吉備線は距離も短く、目立った特徴もない地味な線区である。
電化はされておらず、ホームではリニューアル色のキハ40が発車を待っている。
暗闇の中、総社を発車する。相変わらず車窓は見えない。
とはいっても、このあたりは山地でもなく、
岡山にも近いのできっと車外には住宅が立ち並んでいるのだろう。
平日ならば気の早いサラリーマンや、部活の朝練なんかに行く学生が乗ってきたりするのだろうが、
今日は大晦日の前日、乗客は少ない。
ようやく夜が明けてきたところで、終点の岡山に到着した。
結局、車窓はほとんど見られなかったが、やむを得ない。
岡山地区で幅広く見られる、リニューアル色のキハ40。
岡山7:10発〜茶屋町7:25着 3127M マリンライナー7号 223(5)
さて、これからは一転して南を目指し、宇野線の末端部に乗ろうと思う。
瀬戸大橋開通前、宇野駅は高松への連絡線の乗り場として大いに繁栄し、
東京からの寝台特急も乗り入れていたのだが、瀬戸大橋開通で状況は一変した。
宇野線の北半分は四国へのルートの一部となったが、南半分は普通列車しか走らない盲腸線と化してしまった。
岡山近郊という事で列車本数が比較的多いのが救いだが、凋落振りは著しい。
その哀れな区間が現状未乗車となっている。
まずは、快速マリンライナーで茶屋町へ向かう。
マリンライナーに乗るのは数年ぶりだが、その間に車両が213系から223系(JR四国分は5000系)に変わった。
岡山県内での朝の混雑がひどく、2ドアの213系から3ドアの223系に代わったらしい。
先頭車のダブルデッカーが最大の特徴で、この部分は指定席もしくはグリーン車となっている。
観察すると、車体構造は東日本のE231系のグリーン車にそっくりだ。たぶん設計を流用しているのだろう。
列車は岡山を発車し、単線の線路を進む。時折行き違いのため長く停車するなど、もどかしい。
ここを通るたびに、何とか複線化できないものかと思ってしまう。
15分ほどで茶屋町に到着。この列車はここから宇野線を離れ、瀬戸大橋線へと入ってしまうので、乗り換える。
JR四国の5000系の先頭車は2階建てとなっている。
茶屋町7:28発〜宇野7:51着 1637M 115(3)
茶屋町駅は瀬戸大橋開通と同時に高架化された駅で、隣のホームに宇野行きの列車が待機している。
車両は115系。車内はリニューアルされ、転換クロスシート化されている。
宇野を発車した線路は、瀬戸大橋線と離れて地上を進む。
周囲は田畑か雑木林で、家は少ない。途中の駅はどこもホームや行き違い設備の有効長が長く、驚かされる。
かつては長編成の列車や、貨物列車が行き交っていたからだろう。
今はホームの端の方は全く使われておらず、哀愁を感じさせる。
列車はちょっとした峠を越え、終点の宇野に着く。
宇野駅は連絡線との接続駅として非常に広い構内を持っていたはずだが、
今やホームは2線しかなく、駅舎も小さなものに建て替えられていた。
過去の栄光を忍ばせるものは何も残っていないようだ。
宇野線の終点・宇野駅の駅名標。
宇野7:53発〜茶屋町8:22着 1640M 105(2)
駅を観察しているうちに、次の列車の時間が迫ってきた。
何せ宇野駅での滞在時間は2分しかない。慌てて茶屋町に折り返す列車に乗る。
今度の列車は、おととい福塩線で乗った黄色い105系であった。
最近は福塩線での運用ばかりでなく、宇野線での運用も受け持っているようだ。
ロングシートに座り、今来た道を折り返す。
茶屋町8:29発〜岡山8:46着 3132M マリンライナー12号 223(7)
茶屋町からは再びマリンライナーに乗る。 朝のいい時間帯の列車だからか、列車は混んでいて座れなかった。 仕方ないので、運転台の後ろに立って線路を眺めた。
岡山9:15発〜鳥取10:54着 71D スーパーいなば1号 キハ187(2)
三たび岡山駅に戻ってきた。これから、特急「スーパーいなば」で一気に鳥取へと向かう。
「スーパーいなば」は、岡山から上郡に向かい、上郡から智頭急行線を経由して鳥取に向かう。
上郡から先の経路は、関西発の「スーパーはくと」と同じである。
以前は古い気動車を使っていたので、スーパーはくとに比べてスピード面で劣っていたのだが、
何年か前に新型気動車に置き換えられ、遜色ないスピードを出せるようになった。
朝食がまだなので、弁当を買い込み列車に乗る。
車両はキハ187で、山陰特急の「スーパーおき」などと同型だ。
編成は2両と特急にしては非常に短いが、それで十分間に合うほどの乗客数だ。
岡山を発車し、まずは山陽本線を東に向かう。
山陽本線は建設されたのが非常に古く、急勾配やトンネルを極力避けているためカーブが多く、
幹線でありながら案外スピードは出ない。時折カーブで減速を強いられていた。
列車は上郡に到着。この駅でスイッチバックし、智頭急行線に入る。もちろん乗車するのは初めてだ。
智頭急行線に入ると、列車は人が変わったようにスピードを上げた。
上郡を出てすぐにトンネルの連続となり、列車の速度が速いこともあってどこをどう走っているのか分からない。
上郡からわずか10分で佐用に着く。佐用は姫新線との乗換駅で、また後ほど通ることになる。
佐用を出ても列車は速度を落とさずに進む。
途中には「宮本武蔵」というユニークな駅名を持つ駅もあるのだが、
一瞬で通過してしまい駅名標を読む間もない。
次の停車駅の大原付近は兵庫・岡山・鳥取の県境地帯であり、再びトンネルの連続となる。
結局、わずか40分ほどで智頭急行線を駆け抜けてしまい、智頭に到着した。
智頭からは、因美線を進む。因美線内は旧態依然とした線形となっており、
列車は一転してのろのろと進む。
山深い渓流を駆け下り、平地が目立ってきたところで郡家に着く。
ここは若桜鉄道という、旧国鉄の盲腸線を転換した第三セクター線の分岐駅だ。
郡家から10分ほどで、近代的な高架駅である鳥取に到着。一昨日以来の訪問だ。
鳥取駅は首都圏にありそうな高架駅ながら、駅構内に架線が全く張られていないのが面白い。
鳥取11:48発〜智頭12:30着 635D HOT3500(2)
鳥取駅からは、因美線で津山へと向かう。
ただし全線を直通する列車はなく、必ず智頭で乗換えとなる。
智頭行きの列車は、青い帯を巻いた見慣れない気動車だった。
見ると、智頭急行所属の車両のようだ。因美線の鳥取口は、
智頭急行と若桜鉄道の2つの三セク線が乗り入れる、全国的にも珍しい区間である。
今度の列車は全区間JR線内を走る列車ながら、
キロ数調整のために智頭急行の車両が「アルバイト」しているようだ。
先程「スーパーいなば」から眺めた車窓を再度眺めつつ走ること40分、智頭に到着した。
因美線の列車は時として智頭急行の車両で運行される。
智頭12:40発〜津山13:48着 679D キハ120(1)
智頭は山間の小さな駅ながら、因美線と智頭急行が分かれ、特急が停車するジャンクションである。
そんな智頭駅でも影が薄いのが、因美線の津山方面行である。
かつて、関西や岡山から鳥取に向かう急行列車の多くが、津山から因美線を経由していた。
だが、バイパスともいえる智頭急行ができると状況は一変、
津山〜智頭間は普通列車が細々と走るローカル線に転落した。
それを象徴するかのように、車両はキハ120の単行。乗客の少ない路線は決まってこの車両である。
智頭を出て、しばらく山間を走ると列車は長いトンネルに入る。
このトンネルで日本海側と太平洋側の分水嶺を越える。
こうやって山陽と山陰を行き来するのはこの旅行で実に6度目となる。
せっかくの長いトンネルだが、行き来するのはわずかな普通列車ばかりで、
今やその設備を持て余している感がある。
あとは、津山へ向けて山を下っていく。周囲はすっかり雪景色だ。
途中の駅はどれも小さく、乗り降りする人はほとんどいない。
所々、昔ながらの木造駅舎が残っているが、どれほど利用客がいるのかと思う。
ようやく平野に下り、街が見えてきた。中国山地でも最大の都市である津山に到着した。
津山では40分ばかり時間があるので、駅前の川を越えて市街を散策してみる。
津山は古い街で、昔ながらの古い民家や狭い路地もよく残っている。
そんな街のど真ん中に、10階建てぐらいの巨大なビルが見える。
行ってみると、再開発によってできた商業ビルだった。
新しいビルと、周囲の古びた路地との対比が妙であった。
津山14:32発〜佐用15:29着 2830D キハ120(1)
いよいよこの旅も佳境を迎えた。残すは津山から姫路までの姫新線である。
これから乗る佐用行きはまたしてもキハ120。さすがにこれだけ乗っていると飽きてきた。
津山を発車し、津山の市街を出ると列車は山間部を走る。
車窓には田畑や雑木林、その後ろにはそれほど高くない山地が広がる。
前にも感じたことだが、中国山地にはそれほど険しい地形はないようで、
車窓はあまり変化がない。同じところを延々と走っているような感覚に襲われる。
そんな車窓を眺めること1時間、先程も通った佐用に到着する。
佐用はもう兵庫県内であり、3日間旅した中国地方をついに抜けたことになる。ゴールまでもう少しだ。
佐用15:40発〜播磨新宮16:12着 3854D キハ40(1)
佐用から先は、姫路地区に所属する車両による運転となる。
クリーム色に朱色の帯という、独特のカラーリングのキハ40がこの付近の主役だ。
今度の列車は播磨新宮行きである。佐用から播磨新宮までは5駅しかなく、
非常に走行距離の短い列車だ。
佐用を発車すると、先ほどまでと似た車窓が続く。
だが、都会に近づいてきたせいか心なしか住宅や工場が目立ってきた気がする。
途中駅で徐々に乗客を拾いつつ、播磨新宮に到着。
播磨新宮16:17発〜姫路16:54着 1854D キハ40(2)
播磨新宮では、隣のホームに姫路行きの列車が停車していた。
この列車が、このたびの最後を締めくくる列車となる。車両はまたしてもキハ40だ。
今回の旅では、この車両にも嫌というほど乗車した。
播磨新宮を出ると、沿線にはますます住宅や工場が増えてきた。
本竜野あたりからはどんどん客が乗ってきて、もはやローカル線の旅ではなくなった。
このあたりはラッシュ時に混雑するので、電化すら検討されているという。
姫路に近づくにつれ、だんだんとビルが増えてきた。
山陽本線と合流し、新幹線と山陽電車の高架をくぐると、終点の姫路に到着である。
これで3日間に渡る旅は終わった。余談ながら、この後新快速で京都に向かい、
忘年会と称して翌朝まで飲んだのだった。この頃は若かった。
3日間列車に乗りまくったことにより、実に1400km近い未乗線区を消化した。 山口県内の路線には乗れなかったものの、その他の中国地方4県の路線はほとんど制覇した。 走破率も9割5分となり、いよいよゴールが見えてきた。