最終更新日:2021/1/4

JR九州完乗:一日目―18きっぷで山陽本線を西へ、引退間近のクモハ42に乗る

 前回の北海道旅行からわずか数日後、今度は九州を乗りつぶすべく西へと出かけた。
 3月9日の夜、別の用事を済ませた後に新快速で姫路まで移動し、姫路のカプセルホテルに宿泊した。 何故大阪でも岡山でもなく姫路に宿泊したのかはあまり覚えていないが、大阪だと翌日関西地区のラッシュに引っかかるし、 9日中に岡山までたどり着くのは厳しかったためだと思う。
 九州までの移動には18きっぷを、九州内での乗りつぶしには今は無き「豪遊券」を使用した。
 3月10日から13日までおよそ100時間、風呂にも入らず(反省・・・) 電車に乗りっぱなしという過酷な旅行だった。今思うとこんな旅行は二度とできないし、 したくも無いと思う。しかし、今では忘れられない思い出となった。

目次

2003/3/10

姫路10:04発〜相生10:22着 1413M 115(4)

 姫路から岡山に向かう方法として、(1)新幹線、(2)在来線、(3)相生まで在来線、相生から新幹線、の3案を前もって立てていた。 その日起きた時間によってどの案にするか決めようと思っていたのだが、結局3番目の案に落ち着いた。 この案だと新幹線のみで行くより姫路を30分早く出ないといけないのだが、特急料金がかなり安く済むというメリットがあった。 新幹線の自由席特急料金は、100キロを過ぎると急に跳ね上がるからだ。
 姫路から赤穂線経由で岡山に向かう列車に乗る。途中の網干では223系や221系などの関西圏の通勤電車の車庫が見えた。 ここを過ぎると関西圏を離れ、中国地方という実感がぐっとしてくる。
 わずか18分で下車し、新幹線に乗り換える。


40Nリニューアル塗装が施された115系で、5日間に及ぶ長旅が始まった。

相生10:47発〜岡山11:07着 617A こだま617号 0(4)

 相生は、新幹線停車駅とは思えないほど静かでこじんまりとした駅だった。この日使用していたのは18きっぷだったため、 いったん改札を出て新幹線の乗車券・特急券を券売機で購入する。
 ホームでしばらく待つと、0系の4連がやってきた。東海道新幹線ではこだま号でも何でも必ず16両、 東北新幹線でも最短の編成はMaxの8連だから、ずいぶん短く感じられる。 乗車すると、座席はグリーン車から捻出したと思われる2&2シートに換装されていた。 東海道新幹線ではとっくに引退した0系も、山陽ではまだまだ現役で頑張りそうだ。 座ってみると座席は元グリーン車だけあって広々としており、肘掛も広く座り心地は抜群だったが、 折角の豪華なシートを味わう暇もなくわずか20分で岡山に到着した。

岡山11:11発〜小郡16:29着 5351M 115(4)

 岡山ではわずか4分の乗換えで在来線の列車に乗り継がねばならない。 目的の列車は在来線改札のすぐ横の6番線発だから、 新幹線ホームからは割と近いものの、あまり駅構造を把握していない駅なので油断できない。 到着の随分前からドアの前に居座り、ドアが開くや否やかなりの速さでダッシュした。 途中在来線への乗り継ぎ改札がわからず戸惑ったが、何とか発車2分前ぐらいにホームにたどり着いた。
 ホームで待っていたのは115系3000番台だった。この車両は115系でありながら117系のような2扉転換クロスシート構造となっている。 これから乗る列車で小郡まで延々5時間強揺られることになるので、どんな車両が来るか心配していたのだが、本当にラッキーだった。 この車両なら5時間乗り通しても全然苦痛ではない。
 座席の3割ぐらいが埋まる程度の乗りで岡山を出発。わずか3駅ながら20分近く要して倉敷着。 実は倉敷までは高校生の頃に乗車したことがある。 その時は大阪梅田の金券屋でばら売りの18きっぷを買い、在来線で岡山と倉敷に行ったのだった。 その時は倉敷の美観地区をぶらぶらした記憶がある。そのため、山陽本線は倉敷から先が未乗となっている。
 山陽本線は神戸から下関まで瀬戸内海沿いを走るが、 海がまともに見られるのは須磨から明石の間や、宮島口から徳山までの間などわずかである。 倉敷を過ぎると新幹線乗換駅の新倉敷、金光教の総本山の金光などを通るが、見えるのは何の変哲もない平野ばかりだ。
 単調な平野をしばらく走るといきなり線路が高架になり、福山に到着。 この駅は新幹線の高架が在来線の上に覆いかぶさるように 2層式の高架となっている。京成線の青砥駅と同じような構造だ。 赤羽の埼京線ホームも新幹線の高架下にあるが、このような構造は新幹線停車駅では唯一の存在ではないか。 駅を発車すると、駅の横に福山城があった。城の横というのは江戸時代から市街地化していて、 SLの騒音や煙に対する懸念から線路を引くことに対し反対運動が起き、 結局線路が城付近を大きく迂回することになるケースが多い。 その結果駅付近が栄え、城の周りの市街地が衰退することが多いのだが、福山の人は先見の明があったのだろう。
 福山では快速サンライナーからの乗り換え客が乗車した。 福山を過ぎても海は見えず、単調な風景に飽きてきた頃ようやく海が見えてきた。 右手に山、左手に海という場所をしばらく走ると、尾道駅に停車した。 尾道には来たことがなかったが、「坂の町」と言われる理由が分かった。結構急な斜面の上に町ができているのだ。 尾道から一駅で糸崎着。糸崎は留置線などがあり運転の拠点駅のようだが、 町の中心はあくまで尾道であり、糸崎駅の周辺はかなり寂しい。 糸崎の次は三原に停車。ここも高架駅で、呉線が分岐していく。この駅でしばらく停車した。


この日乗車したのは広島オリジナルカラーの115系(右)。三原駅で撮影。

三原から先は、海沿いの土地を呉線に明け渡して、山陽本線は山の中を走り出す。川沿いの狭い平野を縫うように走る。 同じ中国地方の芸備線や伯備線の南部に似た車窓だ。途中、山陽新幹線の高架と直角に交差する。 こちらは川の形に忠実に曲がりくねって線路が引かれているが、 新幹線は地形を無視して真っ直ぐに線路が引かれているからだろう。
 山の中の開けた盆地のような所に出ると、西条の町に到着。最近は広島のベッドタウンとなっているようだ。 西条を過ぎ、八本松から瀬野にかけては急勾配が続く。 「セノハチ」と呼ばれ蒸気機関車の難所として知られたが、電車からだと大した勾配とは感じられなかった。 海田市で呉線と合流し、ようやく広島に到着。ここでほとんどの乗客が入れ替わる。 列車もいつの間にか快速になっていて、広島周辺の数駅を通過していた。
 広島を出るといくつかの川を渡りながら走り、横川着。ここで可部線が分岐するのが見えた。 横川を過ぎ宮島口に近づくと、広電の線路と海が見えるようになって来た。 宮島口のあたりではしばらくの間海岸線を走る。いったん海から離れ、岩国着。 ここで快速区間は終わり、乗客も減った。岩国では岩徳線と分岐する。昔は岩徳線のほうが山陽本線を名乗っており、 今の柳井周りの山陽本線は岩徳線の勾配を避けるためのバイパスとして後から作られた。 赤穂線や呉線も同じ経緯で作られたはずだが、柳井周りのバイパス線だけが何故か山陽本線を名乗るようになり、 岩徳線は支線に転落してしまった。
 そんな経緯から、岩国から徳山にかけては山陽本線で数少ない海が見られる区間になっている。 ただ、自然のままの海岸は少なく、海沿いの巨大な工場の方が目に付く。中には煙突から赤い炎を出し続けているものもあり、 爆発しないだろうかと心配になる。
 徳山を過ぎると、この列車の旅もラストスパートとなる。5時間余りをかけ、ようやく小郡に到着した。 しかし、中には小郡どころか岡山〜下関を走破する普通列車もあるというから凄い。


広島を過ぎると海が見える場所が結構ある。

小郡16:54発〜宇部新川17:40着 1849M 105(2)

 小郡では山口線の列車を見るなどして時間をつぶした後、宇部線の列車に乗る。 学校の合宿か何かがあるのか、旅行姿の学生が多い。 線路図を見ると宇部線は海沿いを走るかのように書かれているが、 実際は海は見えず、山とも平野ともつかない丘陵を列車は淡々と走る。
 宇部線の列車はワンマン仕様の105系だが、このワンマン改造がえらく大胆で、 乗務員室扉の1mぐらい後ろに運賃箱が置かれている。 新製のワンマン列車は、乗務員から運賃箱が見えるよう乗務員室のすぐ後ろに乗降扉を設置するが、 この105系は国鉄時代の車のため、運転台と扉の間に2席分ぐらい座席があったものと思われる。 その座席も撤去されている。 しかも、車内の暖房が異様に暑く、尻が低温やけどするのではないかというほどだった。 足の下にかばんを置いていたのだが、 熱でビニールの部分が柔らかくなっており、少し変な匂いがした。
 そんなぱっとしない車に小一時間揺られ、居能に着く。 ここからは次に乗る小野田線が分岐しているが、このあたりの中心駅である宇部新川まで一旦行くことにした。


小郡駅では山口線のキハ40を目撃。

宇部新川17:45発〜雀田18:00着 1241M 123(1)

 宇部新川からは123系という元荷物電車を改造した1両編成の列車に乗る。この123系はJR東日本や東海にもいるが、 JR西日本の車両はドアが車体の前方と中間の2箇所に偏っている妙な配置だった記憶がある。 しかし、乗った車両はちゃんとドアが車端にあった。よく見ると窓枠もプラスチック製の新しい物に交換されているし、 きっと最近リニューアルされたのだろう。 3月15日のダイヤ改正以降は、この123系が後で述べるクモハ42を置き換える予定となっている。 車窓は宇部線と代わり映えしないまま雀田着。


ダイヤ改正以降、クモハ42の代わりに本山支線を走る123系。

雀田18:02発〜長門本山18:07着 1329M 42(1)

 雀田駅では、三角形のホームを挟んだ反対側に長門本山行きの列車が停まっている。 このホームの雰囲気、鶴見線の浅野駅とそっくりだ。 小野田線と鶴見線は運行形態といい雰囲気といいよく似ている気がする。
 長門本山行きの車両はクモハ42という形式で、今や全国のJRで唯一現役の戦前生まれの電車だ。 前にも書いたように、この車両は3月14日をもって引退することになっている。 実はこのクモハ42に乗ることが、九州完乗と並んで大きな目的だった。 引退数日前とあって、平日ながらかなりの数の鉄道ファンが集結していた。 車体の写真を撮りまくる者、走行音を録音する者など、皆思い思いに行動していた。
 列車は2分の接続ですぐに発車する。釣り掛け式独特の重厚なモーター音を響かせてクモハ42は動き出した。 そういえば、この車両が引退すると、JRの線路から釣り掛け式の電車が消えることになる。 (電気機関車だと残っているのかもしれないが) 列車は松林や田畑の中を進み、わずか5分で長門本山に到着した。


数日後に引退を控えたクモハ42。綺麗な茶色に塗装され、大事にされているのが分かる。


長門本山の車止めから車体を眺める。

長門本山18:35発〜雀田18:40着 1242M 42(1)

 長門本山ではしばらく折り返し時間があるので、改めて車内を観察してみる。 当然製造された頃と比べると色々改造がなされているが、 椅子が木製であったり、内装に使われる金具が古めかしかったりして、やはり戦前の車両なんだと感じる。 駅に張られていたクモハ42の紹介文を読むと、この車両は関西の急行電車(今で言う快速)として活躍していたそうだ。 ということは、今の221系や223系のご先祖(?)に当たるということか。次に長門本山の駅前を観察してみる。 が、駅前には質素な駅舎(というか屋根)と傾きかけた小さな商店があるだけで、あとは普通の民家ばかりである。
 長門本山に到着した鉄道ファンの集団は、ほぼ全員折り返しの電車に乗るようだ。 また、長門本山駅や沿線の田畑などから車両を撮影していた人もいるようで、 折り返し便の方が混雑していたかもしれない。そういった人たちに混じって、 ごくわずかだが高校生など地元の人も駅を利用していた。きっと普段は乗客もまばらで静かな路線なのだろう。
 そうこうしている間に発車時刻となった。ちなみにこの列車が本山支線の最終列車となり、 車両の入庫のため宇部新川まで行くのだが、小野田線の残り部分を完乗するため雀田の駅で乗り換えた。 雀田で乗り換える鉄道ファンはわずかだった。



車体にはリベット、車内には木製の椅子。どちらも今や貴重なアイテムだ。


半室しかない運転台もレトロである。

雀田18:42発〜小野田18:59着 1243M 123(1)

 雀田からはまた123系に乗る。もうかなり日が暮れてきており、外はよく見えない。 小野田線はどの駅も駅間が短く、都会の私鉄のようだ。 雀田から小野田までは約7km、15分で到着した。

小野田19:16発〜小郡19:43着 3558M 115(4)

 小野田からは山陽本線で一旦小郡まで戻る。 九州方面に行くなら直接在来線で下関に向かう方が早いが、山陽新幹線の小郡以西が未乗のため、 これに乗車するため一旦小郡まで戻る。やってきたのは115系4連、この辺の標準の車両だった。

小郡20:03発〜博多20:41着 389A ひかり389号 700(8)

 小郡からは今日2度目の新幹線に乗車。やってきたのはJR西日本ご自慢の「ひかりレールスター」だ。 この車両は大阪〜福岡間の航空機に対抗するため投入され、指定席は全て2&2シートになっている他、 ACコンセントの付いた席があったりする。 しかし、この日は自由席に乗車したため、シートの幅は通常の700系と同じであった。
 すっかり日が暮れてしまい、あたりは真っ暗だ。そういえば、山陽新幹線の小郡以東の区間に乗車したのも夜だった。 山陽新幹線といえばトンネルが多い。何個かトンネルを通過するうちに、 新下関を通過。駅を通過した直後から長い新関門トンネルに入り、トンネルを抜けると小倉に停車。 小倉を過ぎ、九州でも人口の多い地域に入るが、相変わらずトンネルは多い。 同じ山陽新幹線の新神戸〜新大阪間のようだ。しかしさすがに新幹線は早く、小郡からわずか30分余りで博多に到着。 岡山から小郡まで5時間も掛かったのが嘘のようだ。


先ほど乗車したクモハ42と対照的なハイテク車両、700系レールスター。黄色い塗装が 従来車との違いとなっている。

博多20:48発〜香椎20:57着 3366M 813(6)

 姫路からはるばる博多まで到着したが、のんびりはしていられない。 これから3日間豪遊券を使うが、それだけの期間では九州全土を乗りつぶすことはできないため、 残りは前後の2日で消化しておく必要がある。今夜は博多から「ドリームつばめ」に乗車するが、 それまで3時間ほどあるため、まずは手近な香椎線を乗りつぶすことにする。
 香椎線は香椎で鹿児島本線と、長者原で篠栗線と接続している。そこで、 ラッシュで混雑する(と言っても東京や関西ほどではないが)鹿児島本線の快速でまずは香椎へ向かう。

香椎21:01発〜西戸崎21:19着 752D キハ47(2)

 香椎駅の香椎線乗り場は鹿児島本線と別ホームになっており、跨線橋で乗り換える。 ホームにはすでに列車が到着しており通勤客が乗り込んでいた。 香椎線のうち香椎〜西戸崎間はすべて福岡市内で、ベッドタウンとなっているのだろう。
 香椎線は鹿児島本線の山側をしばらく走った後、鹿児島本線を乗り越えて海側に出る。 その間に九産大前という鹿児島本線の駅があり、 それが時刻表の路線図にもきちんと描かれているのが面白い。列車はしばらく走ると海ノ中道と呼ばれる砂州を走り出した。 外は暗いが、目を凝らすと両側が海になっているのが確認できた。 西戸崎に到着すると、沢山いたはずの通勤客はほとんど下車してしまっており、車内に人影はまばらだった。

西戸崎21:24発〜宇美22:13着 757D キハ47(2)

 西戸崎の駅前は人影もまばらで、真っ暗だった。駅前をちらりと見ただけで折り返しの列車に乗ったが、他に客はいない。 列車は海を離れ、内陸部へと進んでいく。香椎線は元々、沿線の炭鉱で掘り出された石炭を西戸崎へ運ぶために作られた路線だ。 これからは運炭のルートとは逆に進むこととなる。
 しばらく車内は閑散としていたが、他線と接続する香椎・長者原では通勤客が乗り込んできて、数駅で下車していく。 終点の宇美駅も、ごく普通のベッドタウンの駅という趣だった。

宇美22:28発〜長者原22:44着 5766D キハ47(2)

 宇美からは再び折り返す。このように起点・終点とも他の線との乗換えがない線はJRでは香椎線だけだろう。 長者原駅では香椎線と篠栗線が立体交差しており、線路は繋がっていないようだ。

長者原22:46発〜博多22:58着 6569H 817(2)

 篠栗線の列車とは2分の接続なので、急いで乗り換える。半年前に乗ったばかりの篠栗線で博多に戻る。
 博多駅では1時間強待ち時間があったが、博多駅は待合室がなく、この時間では店も開いておらず、ホームに出ると寒いので、 仕方なくコンコースをぶらぶらした。さすが九州の中心地だけあって、この時間でも雑踏していた。


夕闇に馴染むブラックフェースの817系。