2003/3/12
■ 博多6:32発〜原田7:04着 2325M 415(4)
前日までの疲れからか、ドリームにちりんの車内では実によく眠った。途中、小倉で方向転換するときと、
数年前新線に切り替わったスペースワールド付近を通過する時に目を覚ましたぐらいで、あとは全く記憶が無い。
そんなわけで朝6時過ぎに博多駅に降り立ったが、休む間もなく次の列車に乗る。
まずは筑豊本線の乗り残し区間を消化するため、鹿児島本線の普通列車で原田に向かう。
■ 原田7:07発〜桂川7:33着 6622D キハ125(1)
やや古びた原田駅のプラットホームに降り立つと、目の前に単行の気動車が停車していた。
筑豊本線の桂川行きである。「原田線」とも呼ばれる筑豊本線のこの区間は列車の本数が非常に少なく、
乗りつぶしプラン作成のちょっとしたネックとなった区間だ。
ただ、昔から寂れていたわけではなく、昔はこの区間をブルートレインが走るなど、
筑豊本線の一部として機能していたようだ。だが、筑豊の炭鉱が寂れた上、
筑豊と博多を直結する篠栗線が開業して以来、この区間は貨客の流動から外れてしまい、今の形になったのだろう。
原田を発車し、人気の少ない山中を走る。途中の駅もホームは長いものの屋根も無く、うらぶれた感じが出ている。
やがて、冷水峠をトンネルで通過する。朝もやのせいか、トンネルには水蒸気がたまっている。
原田から30分足らずで桂川に着いた。
■ 桂川7:46発〜新飯塚7:56着 2622M 813(3)
山間の小駅といった感じの桂川駅で少し待ち、筑豊本線で東へ向かう。 今度の列車は通勤通学の人たちでそこそこ賑わっており、今まで乗ってきた原田線の閑散ぶりが嘘のようだ。 新飯塚の駅で再び乗り換える。
■ 新飯塚8:18発〜田川後藤寺8:42着 1541D キハ140(1)
新飯塚からは後藤寺線に乗る。
かつて筑豊には、筑豊本線、鹿児島本線、日田彦山線に絡まるように無数の支線が存在した。
炭鉱の衰退と国鉄改革によりそのほとんどが姿を消すか三セクに転換したが、
後藤寺線はその支線群の数少ない生き残りとしていまだ健在である。
おそらく、主要都市である田川と博多方面を短絡する路線として重要性が認められたからだろう。
新飯塚を出て、しばらくは丘陵の合間をとぼとぼと進む。が、路線の半分ほどまで来た所で短いトンネルを抜けると、
異様な光景が目の前に現れた。巨大なセメント工場が山を削り、あたり一面がセメントの粉で真っ白になっている。
しばらく走ると工場に隣接して駅があるが、駅舎やホームも何だか白っぽいように見えた。
周囲に民家などはあまりなさそうだったが、公害などの問題はないのかと思うほど異様な光景だった。
平凡な路線に突如そんな光景が現れたので、妙に印象に残った。
■ 田川後藤寺9:13発〜日田10:17着 933D キハ147(2)
田川後藤寺では少し時間があるので、構内をうろついてみる。駅舎は小ぶりながら新しく、
液晶ディスプレイを用いた発車案内板もあった。プラットホームは昔ながらで、
普段せいぜい2連ぐらいの列車しか来ないであろう日田彦山線のホームは非常に長く、かつての栄光がしのばれる。
また、この駅は日田彦山線、後藤寺線だけでなく第三セクターの平成筑豊鉄道も乗り入れており、その専用ホームもあった。
やがて2両編成のキハ40がやってきたので、乗る。午前の中途半端な時間帯だけあって車内は空いていた。
列車は筑豊に別れを告げ、南へと進む。彦山川に沿ってどんどん上っていき、彦山駅に着いた。
彦山駅は彦山神社という由緒ある神社の玄関口で、駅舎が朱塗りになっているなどその雰囲気を醸し出している。
が、駅には全く人影が無く、朱塗りの建物が何だか不気味に見えた。
彦山を出ると川はより険しくなり、山が迫ってきた。やがて、長い長いトンネルに入る。
この区間が開通したのは戦後になってからのことなので、トンネルも長大である。
このトンネルの開通で日田彦山線が全通し、北九州と日田地方が結ばれたのだが、
やはり九州の中心である博多を経由しないせいか流動が少なく、どちらかというと地味な線区となっている。
トンネルを抜けると、今度は一気に下りとなる。途中、大行司、宝珠山、夜明とユニークな駅名が続く。
夜明から久大本線に乗り入れ、日田へ。下車した客は病院通いのお年寄りなどが多い。
日田では20分ほど待ち時間があったが、急遽東京に電話したりせねばならず、落ち着かなかった。
■ 日田10:40発〜湯布院11:33着 7001D ゆふいんの森1号 キハ72(4)
日田駅のホームで待っていると、「ゆふいんの森」号が入線して来た。
この列車に使われる車両は、国鉄末期からJR初期に流行した「ジョイフルトレイン」の流れを汲んでおり、
ハイデッカー、木張りの内装、パーサー乗務、売店コーナーつきと、とにかく豪華な列車となっている。
このような豪華車両が定期列車として用いられている例は他社ではあまり無いが、
JR九州では他にもいくつかこのような観光列車を走らせている。
そんな列車に乗り込むと、車内だけでなく貫通路部分もハイデッカーになっているため、
ドアの目の前に高さ数十センチの通路が現れる形となる。こんな列車に乗るのは初めてだ。観光客の目立つ車内に乗り込み、
筑後川沿いに走る線路から車窓を眺める。もっとも、車両のインパクトが強烈過ぎて、
車窓はあまり印象に残っていない。ちなみにこの列車は全車指定席となっており、
指定席券が無いと乗車できない。そのため、夜行列車の座席と共にこの列車の指定席は真っ先に確保した。
この列車に乗りそこなうと、このあとのプランががたがたになってしまうのだ。
トンネルで分水嶺を抜けると、この列車の終点の由布院に着く。日田からは一時間弱だった。
途中車内を色々覗いたりしていたので、列車の乗り心地を十分満喫とはいかなかった。
■ 湯布院11:40発〜大分12:40着 4853D キハ31(1)
由布院駅からは普通列車で大分を目指す。今度の列車はキハ31の単行。国鉄末期に投入された車両で、
新幹線0系から流用した転換クロスシートを備えている。さっきの特急はそこそこ客がいたが、
みな由布院を目指していたようで、こちらに乗り継いでくる人はあまりいなかった。
由布院を発車した列車は、S字を描くように蛇行しながら下っていく。
途中、正面に雄大な由布岳が見える場所もあった。しばらく下り、南由布を過ぎるとあとは大分川沿いに淡々と下る。
ちょうど一時間で大分に着く。今日は1時間程度の短い乗車ばかりで乗換えが多く、せわしない。
■ 大分13:11発〜熊本15:51着 74D あそ4号 キハ185(3)
大分駅で駅弁や土産を買った後、別府からやってきた特急「あそ」に乗り込む。
車両はJR四国から購入したというキハ185で、グリーン車はついていない。
せっかくグリーン車に乗り放題の切符を持っているのだが、
昨日も今日も夜行列車以外グリーン車に乗る機会が無く、勿体無い。
朝から何も食べていないので、発車するとまず駅弁を食べる。買ったのは椎茸弁当で、
その名の通り大分名産の椎茸を中心とした弁当なのだが、椎茸のぬか漬けというのが入っていて、これが妙な味がした。
駅弁を食べると、夜行続きで睡眠不足が続いているため、急激に眠気が襲ってきた。
途中、「荒城の月」のテープが停車中に延々と流れる豊後竹田あたりまでは辛うじて記憶があるが、
その後はずっと夢の中で、目が覚めると阿蘇山や立野のスイッチバックはとうに通り過ぎ、
もう熊本の近くだった。豊肥本線でも最も景色の良い区間を見事に見逃してしまった。
■ 熊本16:06発〜三角16:54着 541D キハ47(2)
熊本からは三角行きに乗車する。これから乗る三角線は短いながらもプラン作成上結構厄介で、
主に八代方面への接続が悪く大いに悩まされた。今回のプランのように久大本線、豊肥本線、
肥薩線と九州横断路線を走破する途中に三角線を持ってくるのが一番効率がいいのだが、組み込むのに大いに苦労した。
学校帰りに生徒を乗せて熊本駅を発車し、まずは鹿児島本線を宇土まで南下する。
宇土でいよいよ三角線へ入り、西へと方向を変える。しばらくすると海沿いぎりぎりの所を走り出した。
このまま海沿いを進むのかと思っていたら、途中からいきなり高度を上げ始めた。
海からやや離れた山の中にある赤瀬駅を出るといきなりトンネルに入る。
こんな小さな半島を進む路線で峠越えを経験するとは思わなかった。次の駅は石打ダム。
確かにダムがあってもおかしくない山の中だ。あとは坂を駆け下り、再び海沿いに出ると終点の三角に到着。
三角は天草への玄関口となる港町だ。最近は天草まで道路が開通し、
玄関口としての機能は低下しているようだが、駅前には客待ちのタクシーが何台も待機し、
運転手が列車を降りた客に声をかけている。こんな光景は最近なかなか見られなくなった。
そんな玄関口らしい光景をしばし見ていたが、折り返し時間はわずか6分しかない。
駅員さんにやや気恥ずかしい思いで豪遊券を見せ、列車に戻った。
■ 三角17:00発〜宇土17:37着 542D キハ47(2)
今乗ってきたのと同じ車両で、宇土まで引換す。同じ光景をまた見なければならないというのが盲腸線乗りつぶしの宿命だ。 ぼんやりと島原湾を眺めていると、日が暮れてきた。
■ 宇土17:51発〜八代18:12着 5361M 815(2)
夕暮れが迫る宇土駅でしばらく待つ。この駅は昔ながらの駅舎がまだ残っており、
そこを学生たちが時折通過していく。
やがて、八代行きの普通列車がやってきたので乗り換える。
やってきたのは815系で、車内はロングシートだ。乗車してみると車内は真新しく、
内装もJR九州の他の新型車両と同様非常に凝っていて、関東や関西の通勤電車に乗りなれていると非常に斬新に見える。
だが、ロングシート車が熊本近辺の割と長距離の普通列車の大半を占めているのは事実で、
苦情は出ないのかなと思う。同じくロングシート主体の、東北地方の701系は色々言われているのに対し、
この815系に対する不評は全くといっていいほど聞かないが。
八代に着く頃には6時を過ぎ、すっかり暗くなっていた。
■ 八代18:16発〜人吉19:33着 1245D キハ140(1)
八代駅の肥薩線乗り場は、駅舎から妙に離れた場所にあった。乗り換え時間が少ないので、急ぎ足になる。
八代を発車し、しばらく鹿児島本線の海側を走る。そのうち、単線の鹿児島本線が肥薩線を乗り越していった。
肥薩線のほうが鹿児島本線より先輩格にあたることの何よりの証拠である。
やがて、列車は谷いっぱいに流れる球磨川の崖っぷちを走る。
もう暗くて風景は見えないが、対岸には明かりは全くといっていいほど無い。時折集落が現れると、駅があって列車が停車する。
こんな球磨川の渓谷を1時間以上も延々と走り、人吉に着いた。
■ 人吉19:38発〜吉松20:38着 1247D キハ31(1)
人吉では、先ほど久大線で乗ったのと同じキハ31が待っていた。
ただ、今度の列車は転換クロスシートの部分に畳を敷き、簡易お座敷列車になっている。
この区間は乗客は少ないものの、車窓は素晴らしいためこのような仕様になっている。
わずかな地元の人と、数名の鉄道マニアを乗せ人吉を発車する。
最初の停車駅は大畑。スイッチバックで有名な駅だ。少し停車するので駅舎を見に行くが、
闇夜に浮かぶ古い駅舎は幽霊屋敷のようでなんとも不気味だった。
車内では観光列車らしく、自動放送で沿線の観光案内が流れる。
日本三大車窓と呼ばれる眺望についても説明があったが、闇夜で見られないのが残念だ。
途中、山の神トンネルというトンネルの解説があった。
終戦直後、ここでは列車事故があって復員軍人がトンネル内で多数犠牲になったという。
こんな夜中にそんな話を聞かされ、何だか背中が薄ら寒かった。
■ 吉松21:04発〜西鹿児島21:56着 2937D キハ58(2)
吉松でしばらく待ち、西鹿児島行きに乗り換える。もはや外は何も見えない。 がらがらの車内で、ただひたすら西鹿児島に着くのを待つ。
■ 西鹿児島23:45発〜博多5:46着 92M ドリームつばめ 787(7)
西鹿児島に着いた時点では、これからの行動をどうするかをまだ決めかねていた。
案としては2つあり、一つは西鹿児島で宿泊する案。ただし、これだと明日の予定がかなり詰まってしまう。
もう一つは、この後のドリームつばめで寝ながら博多へ向かう案。疲労はたまるが、明日の予定には余裕が出来る。
かなり悩んだが、体力的にまだ大丈夫そうなのと(若いな)、
宿代がもったいないというのもあって、結局夜行に乗ることにした。
ということで、2度目のドリームつばめに乗る。
西鹿児島を出て伊集院に着いたところで、昨日乗り残した鹿児島本線の末端区間を完乗した。
それだけ確認し、眠りにつく。
2003/3/13
■ 博多6:27発〜筑前前原7:04着 425C 1000(6)
朝の博多駅に降り立ち、一旦JRの改札口を出る。
これから福岡市営地下鉄で姪浜に向かい、筑肥線を乗りつぶす。肥薩線は、かつては博多駅に直接乗り入れていたが、
博多への通勤線化されるに当たって、姪浜から先が地下鉄に移管された。
地下鉄の車内は、ラッシュの流れとは逆方向ということで空いていた。
福岡の中心地・天神を通り抜け、代々木上原と似た構造の姪浜駅に到着する。
姪浜からJR線に入る。このあたりは福岡の郊外で住宅も多いが、時折海も見える。すれ違う列車は福岡に向かう客を多数乗せ、
混んでいる。完全にラッシュの光景だ。筑前前原で乗換えとなる。
■ 筑前前原7:08発〜唐津7:52着 325C 103(3)
筑前前原からは単線となる。車両も地下鉄のステンレス車両から、
塗色のどぎつい103系3連に変わり、ローカルムードが出てくる。
ここの103系は国鉄末期に増備された車両で、車体の内装は同時期の201系に準じていて、あまり古臭い感じはしない。
筑前前原からは、博多湾に面した海岸を走る。3月の朝はまだ肌寒く、海も寒々しい。
そんな海岸線の狭い土地にこじんまりと駅があり、
103系が似つかわしくないようなローカル線の光景が広がる。先ほどまでの賑わいが嘘のようだ。
それでも、唐津に近づくにつれて通学の生徒などが乗ってきた。
東唐津からは高架となり、松浦川を渡ると唐津に着く。
■ 唐津7:56発〜西唐津7:59着 5823D キハ40(2)
唐津は2面4線の、関東郊外の私鉄駅のような高架駅だった。そんな駅に似つかわしくないキハ40が停車している。
これから乗る西唐津行きだ。唐津から西唐津までは筑肥線ではなく唐津線となるが、
西唐津に肥薩線の電車の車庫があるため電化されている。
唐津を発車し、高架線を降りて車庫の横を通り過ぎると、西唐津に着く。ホーム1面1線のシンプルな駅だ。
西唐津は今はただの終着駅だが、ここから先の呼子まで新線を作る計画があった。工事も随分進んでいたようだが、
国鉄再編に巻き込まれ、開業できぬまま終わってしまった。東唐津からの高架線も、当初は呼子線の一環として作られたらしい。
かつての筑肥線はの唐津を経由せず、東唐津から直接山本に向かっていたが、複雑な路線変更を経て今の形となった。
■ 西唐津8:10発〜伊万里9:10着 2525D キハ125(1)
西唐津から、伊万里行きの列車に乗って折り返す。唐津を通り過ぎ、唐津線と筑肥線の分岐点・山本に着く。
山本を出ると伊万里方に向かって筑肥線が左側、唐津線が右側を走る形で併走する。しばらく走ると、本牟田部の駅があるが、
唐津線にホームがあるものの筑肥線にホームは無い。本牟田部を出ると、筑肥線は唐津線を乗り越して右へカーブし、
肥前久保に着く。時刻表の路線図にもそのあたりの線形がきちんと描かれているのが面白い。
唐津より西の筑肥線は非電化で、唐津より東側との直通列車は今は無く、途中で路線も分断されている事から
事実上別路線である。車窓は低い山と田畑が広がり、見るべきものはあまり無い。
それにしても、車内を眺めると乗客は見事にお年寄りばかりである。
通勤通学時間帯を過ぎ、平日なので観光や遊びに行く人もいないのでこんな感じなのだろう。
ローカル線に乗ると、免許の無い未成年者を除けば、客層の多くをお年寄り、特にお婆さんが
占めていることがわかる。次に多いのが中年ぐらいのおばさん、その次が若い女性と中年男性で、
自分と同じ年代である20〜30台の男性はほとんど見かけない。たまに乗っていたとしても、その多くが趣味者である。
列車の利用率とクルマの利用率とが反比例していると考えれば分かりやすいが、同年代がいないというのはやや寂しい。
そんなことを考えているうちに伊万里駅に到着。ホーム一本のシンプルな駅だ。おとといの志布志駅を思い出す。
■ 伊万里9:46発〜山本10:23着 2526D キハ125(1)
伊万里駅の駅舎はつい最近建て直されたものらしく、まだ真新しい。道路を挟んだ反対側に松浦鉄道のホームがあり、
JRの駅舎とは歩道橋でつながっている。昔はどちらも国鉄の路線で、線路もつながっていたはずだが、
今は道路によって完全に分断されている。かつては博多から筑肥線を通って伊万里まできた後、
今の松浦鉄道に乗り入れて松浦半島を一周し、
佐世保に至る急行も運転されていた。
しかし、今では筑肥線は博多に乗り入れなくなり、伊万里でも線路が分断されてしまったため、
このような経路の列車を運転することは不可能となってしまった。
時間が余ったので、焼き物の町らしく陶器のパネルがあしらわれた駅を観察し、列車に再び乗り込む。
唐津線の残り部分を乗りつぶすため、30分ほど掛けて山本へ戻る。
■ 山本10:25発〜佐賀11:30着 5830D キハ47(2)
山本では2分しか乗り継ぎ時間が無いため慌てて乗り換える。次の列車は既に到着していた。
山本を出て、先ほどの筑肥線と似た光景を進む。県都・佐賀と唐津を結ぶ路線だけあって、筑肥線よりは客が多い。
沿線の中心駅、多久を出てしばらく行くと佐賀平野に出る。しばらく走り、久保田で長崎本線と合流する。
久保田からは直接肥前山口に向かっても良いが、肥前山口での特急との接続が悪いため一旦佐賀へ行く。
田んぼの広がる佐賀平野を東へ向かう。このあたりは平らなため、毎年熱気球の大会が開かれていて、
アクセス駅としてバルーンさが駅が開設される。
高架の佐賀駅に到着し、列車を待つ。駅を観察していると、
廃止された佐賀線のホームがまだ残っていた。
■ 佐賀12:02発〜佐世保13:08着 4009M みどり9号 783(4)
佐賀から乗車するのは佐世保行きのみどり号だ。この列車はかもめ号、ハウステンボス号と連結する3階建て列車である。
3階建てというのは今のJRではおそらく唯一の存在ではないかと思う。
みどり号のグリーン車に乗り込む。
昼行特急のグリーン車に乗るのは今回の旅行で初めてだ。783系グリーン車の椅子はどっしりしていて安定感がある。
佐賀平野を快走し、肥前山口に着く。ここで長崎に向かうかもめ号を切り離し、佐世保線に入ると単線となり、速度も落ちる。
温泉地として有名な武雄温泉に到着。が、人気が少なく観光地の玄関口としてはやや寂しい。
しばらく山間を走り、有田へ。有田では先程見かけた松浦鉄道の路線が分岐し、伊万里へ向かっていく。
やがて早岐に到着し、ハウステンボス号を切り離す。ここで進行方向が変わるので、座席を転換する。
このあたりまで来るとグリーン車も閑散としている。時折海を見ながら進み、海が目の前に見える佐世保駅に到着。
高架の真新しい駅だった。
■ 佐世保13:26発〜諫早14:42着 3229D シーサイドライナー9号 キハ200(2)
佐世保からは快速シーサイドライナーに乗る。新型のキハ200は転換クロスシートで、なかなか快適だ。
諫早まで戻り、まもなくハウステンボスに着く。駅前に建つヨーロッパ風の外観のホテルがまず目に入る。
数年ぶりに来たが、駅周辺の様子は特に変わっていないようだった。ハウステンボスを出ると、海沿いに進む。
大村湾は、西彼杵半島にぐるりと囲まれ、ほとんど湖のような地形である。そのため、海面に波はほとんど無い。
しばらく走ると、大村に着く。大村駅近くの海上には長崎空港がある。
立地的には「大村空港」と名乗ってもよさそうなぐらいだが、
この空港は他の海上空港である関空などと違い、既存の島を拡張したものだ。大村まで来ると、乗換駅の諫早はもうすぐだ。
■ 諫早15:20発〜長崎16:14着 239D キハ200(2)
諫早から長崎に向かう線路は、旧線と新線に分かれている。そのうち旧線のほうにはまだ乗車していないので、
旧線経由の普通列車を待つ。今日の行程ではもっとも長い40分の待ち時間があるので、駅前をうろついてみるが、
ごく普通の商店街やスーパーがあるぐらいで大したものは無い。
やがて列車が来たので、乗る。喜々津で新線と別れ、海沿いを走る。
山の傾斜は険しく、長崎半島の地勢の厳しさが感じられる。
トンネルで峠を抜けると、本川内に着く。本川内はつい最近までスイッチバックが残っていた駅で、
最近になってスイッチバックが廃止になったもののまだホームが真新しい。
あとは山を下り、長崎のベッドタウンを進む。西浦上を過ぎると市電が見え、平和公園の脇を進む。
ビルの立ち並ぶ長崎の町を南下し、長崎駅に着いた。
■ 長崎16:30発〜博多18:17着 2034M かもめ34号 885(6)
長崎を訪れるのは久しぶりだが、駅ビルが建て替えられ、雰囲気が一変している。
さすがは県庁所在地だけあって街の新陳代謝が早い。
さて、これから乗る特急「かもめ」が、3日間の豪遊券の旅のフィナーレを飾る列車となる。
乗るのはJR九州の特急列車でも最新の885系、しかもグリーン車だ。トリを飾るのにふさわしいといえよう。
その名も「かもめ弁当」という駅弁を買い、列車に乗り込む。
最後尾の半室グリーン車に乗り込む。入り口には巨大な「書」や、赤いイルミネーションがあり、独自の世界が広がっている。
室内は885系の売りである革張りシートが並んでいる。一見するとオフィスの椅子のようだ。
椅子にはいくつかレバーがあり、椅子の高さや背ずりの角度を変えることが出来る。また、テーブルは前方の椅子の背面ではなく、
床から突き出した「ポール」に設置されている。運転台との間は一面ガラス張りになっていて、運転席が良く見渡せる。
博多方面行きだと逆方向となってしまうが。
長崎を発車し、諫早を出ると、列車は長いトンネルに入る。
長崎と諫早の間の山地を一気に抜け、諫早駅に戻る。諫早から先は長崎本線でも閑散区間となる。
列車は振り子式走行装置をフル活用し、
曲がりくねった線路を快速で駆け抜ける。途中の小長井あたりからは、海沿いを走る。おそらくこの旅で
最後となる海を眺めながら、先程買った弁当を食べる。
肥前鹿島からは佐賀平野に戻り、肥前山口に着く。
あとは今来た道を戻るのみだ。肥前山口からは走行速度でまっすぐな線路を飛ばす。
このグリーン車に乗車した感想だが、設備的には申し分ないものの、
椅子をポール一本で支えているだけなので足元に風をさえぎるものが無く、足元がスースーするのが気になった。
そんなことを考えているうちに、博多に到着した。
JR九州ご自慢の最新車両、885系。783系と区別するため「白いかもめ」と呼ばれている。
885系の内装。グリーン車は3列シート。背面のガラスは今は曇っているが、先頭に立つときは曇りが取れ
前面展望が可能。デッキは鉄道車両とは思えない独自の雰囲気を醸し出す。
■ 博多20:00発〜博多南20:10着 639A 0(6)
博多駅近くのホテルにチェックインし、少し休憩した後、再び博多駅に戻る。
これから、九州で唯一JR西日本所属の在来線である博多南線に乗る。在来線とはいっても、
使用する車両は新幹線車両で、乗車の際は特急料金100円が必ず必要である。
この線は新幹線の回送線を活用していることで良く知られている。
余談だが、九州新幹線が博多まで開通した折にはこの線が本線となる予定である。
その後の博多南線の扱いがどうなるかが気になる。
切符を買い、新幹線ホームへ上がる。しばらくして小倉方面からのこだま号が入線してくる。
停車するとすぐに字幕が「博多南」に変わる。ホームにいた通勤帰りの客が次々と乗り込み、発車となる。
列車は新幹線らしからぬ低速で進む。特に博多南駅付近は複雑にポイントを通過するせいか、ノロノロ運転となる。
終点の博多南駅は、新幹線の基地の真横にある。昼間だと新幹線の車両がよく見えるかもしれない。
改札を出ると、ごく普通の住宅街が広がっている。来た道を折り返すのもつまらないので、
駅前に停車中の西鉄大橋駅行きのバスに乗車する。
15分ほどで大橋駅に着く。ここから初乗車となる西鉄で天神へ行き、天神の繁華街やキャナルシティ、
中州の屋台街などをのぞきながらホテルに戻った。
2003/3/14
■ 博多10:07発〜鳥栖10:35着 4321M 811(4)
長かった旅も残りあと一日となった。ここまで予定通り行程を消化できたため、この日は遅めに駅へ向かう。
豪遊券の効力は既に切れたため、18きっぷで駅に入る。ホームに上がり、JR九州の車両をしばし観察する。
すると、東京から遠路はるばるやってきた「はやぶさ・さくら」号がやってきた。東京を昨日の夕方に出て、
10時前に博多に着くダイヤだ。飛行機の運賃が安くなり、新幹線もスピードアップした現代ではやや時代遅れな列車だが、
一度東京から九州まで乗ってみたいものである。
しばらく列車を観察した後、鳥栖へ向かう。
豪遊券が無いのでもう特急には乗れないため、快速列車に乗る。
鳥栖に着くと、先程のさくら号が停車していた。この駅で切り離しを行うためさくら号は長時間停車するのだが、
それにしても快速に追いつかれる特急というのも珍しい。
■ 鳥栖10:58発〜夜明12:00着 1837D キハ125(1)
鳥栖は、国鉄時代の佇まいをそっくりそのまま残している駅だ。
古びた地下通路、昔ながらの屋根、嵩上げされていないプラットホーム。
有名なシュウマイ弁当を買い、次の列車に乗る。これから乗るのは久大本線の普通列車だ。
久大本線は鳥栖の次の久留米が起点だが、古くからの要衝である鳥栖に敬意を表すかのようにここまで乗り入れてくる。
車両は新型気動車であるキハ125単行で、昼前の中途半端な時間ながら7割方席が埋まっている。
この車両、新しいのはいいがトイレが付いていないのが気になる。
鳥栖を発車して久留米まで2駅だけ鹿児島本線を走り、いよいよ久大本線へ入る。
しばらくは筑後川沿いの平野部を走る。田主丸、うきはなど、やはりこのあたりは妙な名前の駅名が多い。
うきはを過ぎると、筑後川沿いの平野はなくなり、渓谷に沿ってうねうねと進む。やがて、2日前に通過した夜明駅に到着。
夜明は、山と筑後川に挟まれた狭い土地にある駅だ。駅前には国道とわずかな商店や民家があるだけで、
2路線の交わる駅としては寂しい。
■ 夜明12:28発〜城野14:09着 952D キハ147(2)
古い駅舎でぼんやりと列車を待つ。30分ほどして日田彦山線の列車がやってきたので、乗る。
昨日通った釈迦ヶ岳トンネルを抜け、田川後藤寺まで戻る。車内は今日も空いていて、
ボックス席を占領して鳥栖で買ったシュウマイ弁当をのんびりと食べる。
田川後藤寺を出て、いよいよ九州島内最後の未乗線区に乗り入れる。
次の停車駅は田川伊田。田川市の第2の中心駅だ。このあたりは平成筑豊鉄道の路線が複雑に絡み合い、
なんとも複雑な路線網を形成している。しばらく走ると、採銅所という駅がある。駅名からも分かるように、
この辺は資源の宝庫なのだろう。炭鉱がなくなっても、石灰石などを取る鉱山が沿線でまだ稼動している。
トンネルを再び峠を抜けると、終点の城野へ向け下っていく。途中の志井公園では、北九州モノレールの線路が見えた。
もう北九州の都市圏に入ったようだ。車内の乗客も増えてきた。
そして、この列車の終点・城野に着いた。
この時点で、九州島内のJR路線すべてに乗車したことになる。
■ 城野14:10発〜小倉14:19着 5556M 415(4)
城野駅で下車すると、向かい側のホームに415系の普通列車が滑り込んできた。
完乗の喜びに浸る間もなく乗り込み、小倉へ向かう。
実はこの時点で、帰りの交通手段の手配を何もしていなかった。高速バスで帰ることは決めていたが、
このあたりからだと高速バスは博多、下関、徳山、岩国、広島などから出ている。
その中でも、発車時間のもっとも遅い岩国発のバスを選んだ。このバスは萩を発車し、
途中何箇所かに立ち寄りながら岩国までやってくるので発車が遅いのだ。
小倉駅の旅行センターでバスを予約し、それでも時間が余ったので駅前をぶらぶらして時間をつぶす。
この小倉駅は、コンコースにモノレールが乗り入れてくるのが特徴だ。
■ 小倉15:53発〜下関16:07着 5566M 415(4)
小倉駅に戻り、下関行きの普通列車に乗り込む。いよいよこの列車で、5日間過ごした九州を離れる。
関門トンネルより先は直流電化となるので、この区間を走る列車は交直流電車の415系限定となる。
小倉を発車し、巨大な操車場の線路を掻き分けて門司に着く。
列車は門司を発車すると、ゆっくりとした速度でトンネルへと入っていく。
このトンネル入り口が交流と直流を分けるデッドセクションとなっている。
列車がトンネルに入りきると、一気に速度が上がりあっという間にトンネルを抜ける。
トンネルを抜けてすぐ、鉄橋で川のような水路を抜ける。
これは実は海で、関門トンネルの出口は彦島という本州の突端の島にある。
しばらく走り、昔ながらの風情が残る下関のプラットホームに到着した。
■ 下関16:29発〜宇部新川17:24着 3844M 105(2)+123(1)
下関ではすぐに山陽本線の列車に接続するが、この後宇部線直通電車が来るので、それを待つ。
その間、駅構内を歩いてみる。改札口や地下通路は昔のままの姿だった。
今度の列車は、宇部線用の105系と123系を連結した3両編成で、当然ながら全車両ロングシートだ。
さっきの115系に乗っておけばよかったと少し思いながら乗り込む。
下関を出た列車は、海沿いに走るかと思いきや海はまったく見えない。むしろ山の中をずっと走っている感じだ。
トンネルで小山を抜ける合間合間に町があり駅がある。
しばらく走って小野田に着く。これで4日前に乗り残した山陽本線末端部を乗車し、
神戸から下関までを完乗したことになる。
宇部に着き、宇部線に入る。今度は宇部線の乗り残し区間である宇部〜居能間に乗車する。
宇部から3駅で宇部新川に着いた。
■ 宇部新川17:42発〜宇部17:52着 1849M 105(2)
宇部新川でしばらく待つ。宇部新川の駅舎は木造の大きなもので、内部はがらんとしている。
がらんとしているばかりでベンチも無いので、券売機の前で立って列車を待つ。
駅前にはそこそこ店などもあるようだ。この駅はもともと宇部駅を名乗っており、今は宇部駅の名は山陽本線の駅に譲ったが、
こちらの方が今でも町の中心部だ。ただ、山陽本線の宇部駅には降り立っていないので、
どちらの駅前が栄えているかは分からない。
再び宇部線に乗り、宇部駅に戻る。
■ 宇部18:04発〜徳山19:13着 564M 115(4)
この旅行もそろそろ終わりが近づいてきた。山陽本線の普通列車に乗り、一路東を目指す。 乗車している間に日が暮れた。小郡、防府を過ぎ、徳山で下車する。
■ 徳山19:18発〜岩国20:43着 2246D キハ40(2)
徳山からは山陽線に乗り続けてもいいのだが、折角なのでまだ乗っていない岩徳線に乗車する。
車両はJR西日本独特のリニューアルを施されたキハ40である。
櫛ヶ浜で山陽本線を離れ、岩徳線に入る。外は真っ暗でもはや何も見えない。だが、どの駅もホームが非常に長いのが分かる。
岩徳線は山陽線のショートカット路線として生まれ、一時期まで山陽本線を名乗っていた。
そのためかつては長編成の列車も走っており、そのためにホームも長い。
だが、その後勾配が急などの理由で本線の座を再び明け渡してしまい、
やってくる列車は今や2両程度のローカル列車のみである。
そのため、ホームだけは立派だがやってくるのはローカル列車ばかりという、
御殿場線や関西本線と並ぶ「幹線からの転落路線」の一つとなっている。
ちなみに、山陽新幹線、山陽道、国道2号線といった輸送の動脈は山陽線ルートではなく岩徳線ルートを通っており、
在来線以外の交通網はいまだにこちらが主流である。
途中、周防高森の駅で行き違いのため長時間停車する。
この駅は2面3線構造だが、真ん中のホームには線路が無い。構内には人気が無く、
薄暗いホームに立っているとなんだか寂しくなる。
車内の客も、徳山を出た頃にはそこそこいたはずだが、今やほとんどおらず寥々としている。
薄暗い山間部を抜け、ようやく岩国に着いた。あとは東京に帰るのみだ。
■ 岩国21:25発〜浜松町8:05着 防長交通 萩エキスプレス
岩国の駅前に降り立つと、小雨がぱらついていた。この5日間天候には恵まれたので、
旅行を通じて初めての雨だった。
駅前のファーストフード店で時間をつぶした後、バス乗り場でバスを待つ。同じ高速バスに乗る客は5人ぐらいのようだ。
やがて、時刻どおりにバスがやってきた。席に座るとまもなく寝てしまい、起きるともう浜松町に着く寸前だった。
途中道が空いていたせいか、浜松町のバスターミナルには随分早く着いた。
延べ10日間にも及ぶ北海道、九州遠征で、実に3500kmもの路線を乗りつぶした。これはJR全線の20%近くにも及ぶ。 おかげで走破率は一気に80%の大台に乗った。また、JR北海道、九州の全路線を完乗したのだった。