最終更新日:2021/5/9

3セクと駅弁で巡る東北・北海道:三日目―特急サロベツで最果て・根室へ

目次

2006/4/30

函館駅前〜五稜郭公園入口 函館バス

五稜郭公園前〜函館駅前 函館市交通局

 朝6時過ぎ、目を覚ます。前日までの疲労が溜まっている上、 風邪気味で体が重い。が、何とか起き出してバスで五稜郭に向かう。 五稜郭に来るのはおよそ10年ぶりである。以前登った五稜郭タワーの横に、 営業を開始したばかりの新タワーができていた。 新タワーは旧タワーよりずいぶん高さを増したようだが、営業時間外で登ることはできなかった。 城跡をぶらぶらした後、市電で函館駅へ戻った。


函館の新たな名物、新五稜郭タワー。


五稜郭には建物は残っておらず、石碑にも「五稜郭跡」との記載が。


五稜郭から函館駅まで、久々に函館市電に乗車。


真新しい函館駅舎を改めて観察。入口付近には親子(?)を象ったオブジェも。

函館8:30発〜札幌11:47着 スーパー北斗3号

 

 函館駅から、スーパー北斗で札幌を目指す。この日は所定7連のところ1両増結されて8両編成である。 ゴールデンウィークだが、自由席は割に空いている。
 函館を発車し、しばらく市街地を走ると七飯を通過する。 ここから函館本線は二手に分かれ、渡島大野などの市街地を走る線と山手をバイパスする線とに分かれる。 下り特急はバイパス線を走る。七飯を過ぎ、右に急カーブを描きながら一気に高度を上げる。 眼下にはまだ雪の残る市街地が見える。振り子式の車体はカーブで大きく傾き、まるで離陸直後の飛行機のようだ。 バイパス線は山の中を進むため、山の切れ目では眺望が楽しめた。このへんで早速、函館駅で購入した弁当を食べる。
 やがて、車窓に小沼が見えてくる。 しばらく走ると大沼公園駅に着く。ここでは、名物の大沼だんごの積み込みがあり、車内販売が行われる。 早速購入したので、あとで食べようと思う。
 大沼公園を過ぎると、駒ケ岳の西麓を進む。線路は単線になり、 途中駅はどこも長い側線を備えている。特に途中の姫川駅などは、 周囲に人家もなくほとんど信号所同然である。
 森を発車すると、今度は一転して海岸を走る。 森から先、国縫の少し前までの間、線路のすぐ目の前に内浦湾が見える。 この日は天気があまりよくなく、海は鉛色に見える。 また、このあたりは複線と単線が入り混じっており、めまぐるしく変化する。 時折現れる漁村と海を眺めていると、長万部に着く。
 長万部では、函館本線が左へ急カーブで分かれていく。 列車は静狩まで海岸線をまっすぐに走る。すると、目の前に大きな山が見えてきた。 ここから、難所として知られる礼文華を超える。 長いトンネルのわずかな明かり部分に、小幌駅がある。 周囲に集落はおろか外界とを結ぶ道路すらなく、秘境駅として知られている。 その後もしばらくトンネルが続いた後、洞爺に到着。 洞爺湖温泉に近いだけあって、観光客が数人乗ってきた。
 伊達紋別を過ぎ、やがて東室蘭に到着。久しぶりの大きな町だけあって、一気に客が乗り込んでくる。 しばらく走ると、再び海が見えてきた。が、森付近で見た何もない海岸ではなく、建物が多く目に入る。 線路のすぐ横に国道が走っており、国道沿いの商店が多い。 このあたりは北海道随一の港湾・工業地帯だけに賑やかだ。
 やがて、列車は苫小牧に到着。ここでは札幌に出かける人が各ドアに10m近く並んでおり、 すべての席が埋まりデッキにも人があふれる。 横の席にも女性が座った。苫小牧を出て、沼ノ端まで長い長い直線区間を走ると、あたりは原野となる。 室蘭本線と複雑に分岐しているようで、線路がどこをどう走っているか分からないぐらいだ。 やがて、右に新千歳空港の滑走路が見えてくるとまもなく南千歳に着く。 千歳まで来ると札幌まで市街地がずっと続いているように思うが、 恵庭から北広島にかけては原野が広がっており、北海道の広さを実感する。
 ビルの立ち並ぶ新札幌を過ぎ、函館本線と合流すると まもなく苗穂の車庫が見えてくる。特急型のキハ183などが休んでいるのが見えた。 まもなく線路は高架となり、札幌駅前のビルが多数見えてきた。 これだけビルを見るのは、おそらく東京を出て以来だな、と思っているうちに札幌駅に着いた。
 この後は、5時間半列車に乗り続ける。30分少し待ち時間があるので、弁当などを買い込む。 どうも風邪気味なので、駅前の薬局で葛根湯も購入した。


「スーパー北斗」は今日も盛況で、1両増結されている。


キハ281系には"FURICO"のロゴも。


函館駅構内には真っ黒なDE10が牽引する謎の臨時列車も停車中。


客車はSL列車などで使われる旧型客車だった。


森から長万部にかけて、列車は海沿いぎりぎりを走る。

札幌12:20発〜稚内17:50着 サロベツ

 

 再び駅に戻ると、既にこれから乗る列車が入線していた。 稚内行きのサロベツ号は4両編成で、普段より1両増結されている
 いよいよ5時間半の長丁場が始まる。 札幌を出てしばらくは都市近郊の風景が続く。駅の間隔も短い。 江別を過ぎると街が途切れ、田畑が目立つようになる。 やがて最初の停車駅、岩見沢に停まる。岩見沢から先は直線区間が続く。 特に美唄から砂川にかけては20km近く直線が続く。 車窓は、田畑と住宅、国道沿いの店舗が入り混じった風景がつづく。 滝川、深川と停車するうち、周囲に山が迫ってきた。 列車は深川と旭川の間の難所、カムイコタンを通過する。 が、難所はトンネルで通過してしまうため風景はよく見えない。
 13時54分、旭川に着く。2分停車し、いよいよ宗谷本線に入る。 この宗谷本線は一度乗車したものの、そのときは夜行列車で通過してしまったので 当然車窓は見ていない。そこで、今回は昼間に乗車してみることにした。 宗谷本線は本線と名乗っているものの、実態はローカル線で、 名寄から先は定期特急が一日3本、普通列車は5本しかない。 特急列車3本のうち2本は新型のキハ261、残りはキハ183で運転される。 今回はキハ183で最北の地・稚内を目指す。
 旭川を発車し、旭川の市街を高架で通過する。新旭川の駅で石北本線と分岐し、 しばらく走ると、旭川駅構内から移転した運転所がある。 構内には冬季に除雪のため使用するラッセルヘッドが多数並べて留置されている。 その様子は何ともシュールで、印象に残った。 長山を出ると市街が尽き、蘭留で平地が尽きた。蘭留を出た列車は、塩狩峠を目指して うねうねとカーブしながら高度を上げていく。 下の方に田畑を見下ろしながら、残雪の残る森の中を進む。 残雪の合間にフキノトウがいくつも頭を出しているのが見える。 5月を目前に控え、北の大地にもようやく春の息吹が訪れつつあるということか。
 塩狩峠のサミットに位置する塩狩駅を過ぎ、今度は一気に坂を下る。この峠を境に、石狩川の水系から天塩川の水系に入る。 この先、列車は天塩川に沿って延々と進むことになる。峠を抜け、田畑と街が車窓に繰り広げられる。 途中和寒、士別に停車し、名寄に到着。名寄は宗谷本線沿線では最大の町で、この駅を境に列車の本数も一気に減る。 駅構内は広く、検車庫などが多数あるが、深名線や名寄本線の集まる鉄道の要衝からただの途中駅に転落した今、 それらの施設がどのくらい利用されているかは分からない。
 昔ながらの木造駅舎が残る名寄にしばらく停車した後、発車。 名寄を出ると右手が山、左手に天塩川が見えてくる。 列車は川沿いのわずかな土地を進む。川の向こうは田畑が続く。 次の停車駅は美深。かつて、日本一の赤字線として知られた美幸線が 分岐していた駅だ。美幸線は美深から南へ走っていたようで、翌日その跡を車内から確認することができた。
 美深を出ても似たような風景が続くが、平地にあるのは田畑ではなく牧草地が増えてきた。気候が悪く作物が作れないのだろう。 酪農のサイロなども見え、北海道らしい。名寄から45分で音威子府に着く。ダイヤ上、 音威子府では上り特急と行き違い、すぐに発車することになっている。が、上り特急が10分ほど遅れているという。 待ちぼうけの間、ホームに降りて周囲を観察する。北辺の地はまだ雪解けには程遠く、構内の側線は完全に雪をかぶっている。 ホームには丸太を利用した木製のSLが置かれている。駅舎は意外に新しく、中には有名な駅そばの店もあるが、 先ほど駅弁を食べたばかりだし、いつ列車が来るか分からないので今回は食べなかった。


「サロベツ」は、「北斗」などにも使われるキハ183貫通型での運行。


よく見ると、車体側面は結構ボコボコになっている。


対向列車の遅れのため、音威子府でしばらく停車。ホームの屋根は木製で古めかしい。


音威子府は木材の生産地ということで、丸太で作ったSLがホームに置かれている。国鉄時代からありそうな古めかしいもの。

 結局10分ほど遅れて音威子府を発車。音威子府を出ると周囲にはいよいよ何もなくなる。 蛇行する天塩川沿いを列車は進む。 線路以外の人工物は何もない。川幅は広く、青みがかった水がゆっくりと流れている。 そんな茫洋とした風景が佐久まで延々と続く。 一方、山手に目を移すと、森の木々の下に残雪とフキノトウ、それに枯れ草が坊主頭のように集まったものが見える。 一般に「ヤチボウズ」と呼ばれ、この先何度も見ることになる。
 列車は天塩中川に到着。さほど大きな集落ではないが、 無人地帯を通り抜けた後なのでほっとする。ホームには昔ながらの木造駅舎も健在だ。 列車は再び人口の希薄な土地を進む。 車窓には川沿いの平地の牧草地が目に入るばかりで、建物は少ない。 途中の駅にはわずかばかりの集落があることが多いが、 雄信内のように駅前に集落すらない駅もある。もはや廃止になってもおかしくないような駅だが、 交換施設があるためかろうじて生き残っているのだろう。
 やがて、列車は幌延に着く。2003年に渡道した際、バスに乗り換えるために利用した駅で、懐かしい。 だが乗り降りする人は少なく、人気はない。幌延を出てしばらくすると、 線路沿いに板張りの簡素なホームと駅名標の枠が見えた。 何かと思ったが、2006年3月に廃止された南下沼駅の跡だったようだ。やがて列車は豊富に停車。 このあたりはサロベツ原野に近く、6月は原生花園に花が咲き観光客で賑わうが、列車からは見えない。 その代わり、はるか向こうに利尻島の島影が見えた。その形から、利尻富士とも呼ばれる光景である。
 列車はいつしか天塩川沿いを離れ、兜沼あたりからは丘陵地を進む。 線路は勾配を上り下りしながら進む。稚内に近づき、 いよいよラストスパートだ。抜海を過ぎてしばらく走ると、 突然左手に日本海が見え、その向こうにやや霞んではいるが利尻富士が見えた。 崖沿いに「利尻富士」の看板が立ち、景勝地となっている。 列車もやや徐行してくれ、じっくりと見ることができた。
 その後、さらに丘陵地を抜けると市街地に入る。 ビルなどが見えてくると南稚内駅に到着。気づけば時刻は6時前となり、 夕暮れが迫ってきた。長距離を駆け抜けた列車は、 くたびれたとばかりに稚内の市内をゆっくりと走り、終点の稚内駅に滑り込んだ。 長旅を終えてホームに降り立ち、「日本最北端の駅」の碑を撮影するなどした後改札を出る。


川幅いっぱいに水が流れる天塩川。


日本海に浮かぶ利尻島。


長旅を終えてたどり着いたのは、日本最北端の駅。

 稚内を訪問するのは2度目である。前回は時間もなく、 あまりに寒くて駅からほとんど出られなかったが、今回は一泊するのでたっぷり時間がある。 ホテルにチェックインした後、街をぶらついてみた。 が、飲食店や商店は少なく、人もあまり歩いていない。 宗谷岬などの観光地までは遠く、市内は見るべきところもないので、 バスで「稚内温泉 童夢」へ行くことにした。
 バスは駅前を出て、ノシャップ岬をぐるりと回る形で海沿いの道路を進む。 最北の地だけあって海風がすごく、自動ドアが開いてしまうかと思うほどだった。 温泉は地元の人が多く利用しているようで、案外賑わっていた。 再びバスで駅前に戻るも、入れそうな飲食店がないので 仕方なくコンビニで食事を購入してホテルで食べた。