2006/4/30
■ 函館8:30発〜札幌11:47着 スーパー北斗3号
朝6時過ぎ、目を覚ます。前日までの疲労が溜まっている上、 風邪気味で体が重い。が、何とか起き出してバスで五稜郭に向かう。 五稜郭に来るのはおよそ10年ぶりである。以前登った五稜郭タワーの横に、 営業を開始したばかりの新タワーができていた。 新タワーは旧タワーよりずいぶん高さを増したようだが、営業時間外で登ることはできなかった。 城跡をぶらぶらした後、函館駅へ戻った。
函館の新たな名物、新五稜郭タワー。
函館駅から、スーパー北斗で札幌を目指す。この日は所定7連のところ1両増結されて8両編成である。
ゴールデンウィークだが、自由席は割に空いている。
函館を発車し、しばらく市街地を走ると七飯を通過する。
ここから函館本線は二手に分かれ、渡島大野などの市街地を走る線と山手をバイパスする線とに分かれる。
下り特急はバイパス線を走る。七飯を過ぎ、右に急カーブを描きながら一気に高度を上げる。
眼下にはまだ雪の残る市街地が見える。振り子式の車体はカーブで大きく傾き、まるで離陸直後の飛行機のようだ。
バイパス線は山の中を進むため、山の切れ目では眺望が楽しめた。
早速、函館駅で購入した弁当を食べる。函館名物の鰊みがき弁当である。ニシンも数の子も好きなので、
両方ともたっぷりと入っており非常に嬉しい。
やがて、車窓に小沼が見えてくる。
しばらく走ると大沼公園駅に着く。ここでは、名物の大沼だんごの積み込みがあり、車内販売が行われる。
早速購入したので、あとで食べようと思う。
大沼公園を過ぎると、駒ケ岳の西麓を進む。線路は単線になり、
途中駅はどこも長い側線を備えている。特に途中の姫川駅などは、
周囲に人家もなくほとんど信号所同然である。
森を発車すると、今度は一転して海岸を走る。
森から先、国縫の少し前までの間、線路のすぐ目の前に内浦湾が見える。
この日は天気があまりよくなく、海は鉛色に見える。
また、このあたりは複線と単線が入り混じっており、めまぐるしく変化する。
時折現れる漁村と海を眺めていると、長万部に着く。
長万部では、函館本線が左へ急カーブで分かれていく。
列車は静狩まで海岸線をまっすぐに走る。すると、目の前に大きな山が見えてきた。
ここから、難所として知られる礼文華を超える。
長いトンネルのわずかな明かり部分に、小幌駅がある。
周囲に集落はおろか外界とを結ぶ道路すらなく、秘境駅として知られている。
その後もしばらくトンネルが続いた後、洞爺に到着。
洞爺湖温泉に近いだけあって、観光客が数人乗ってきた。
伊達紋別を過ぎ、やがて東室蘭に到着。久しぶりの大きな町だけあって、一気に客が乗り込んでくる。
しばらく走ると、再び海が見えてきた。が、森付近で見た何もない海岸ではなく、建物が多く目に入る。
線路のすぐ横に国道が走っており、国道沿いの商店が多い。
このあたりは北海道随一の港湾・工業地帯だけに賑やかだ。
やがて、列車は苫小牧に到着。ここでは札幌に出かける人が各ドアに10m近く並んでおり、
すべての席が埋まりデッキにも人があふれる。
横の席にも女性が座った。苫小牧を出て、
沼ノ端まで長い長い直線区間を走ると、あたりは原野となる。
室蘭本線と複雑に分岐しているようで、線路がどこをどう走っているか分からないぐらいだ。
やがて、右に新千歳空港の滑走路が見えてくるとまもなく南千歳に着く。
千歳まで来ると札幌まで市街地がずっと続いているように思うが、
恵庭から北広島にかけては原野が広がっており、北海道の広さを実感する。
ビルの立ち並ぶ新札幌を過ぎ、函館本線と合流すると
まもなく苗穂の車庫が見えてくる。特急型のキハ183などが休んでいるのが見えた。
まもなく線路は高架となり、札幌駅前のビルが多数見えてきた。
これだけビルを見るのは、おそらく東京を出て以来だと思ううち札幌駅に着いた。
この後は、5時間半列車に乗り続ける。30分少し待ち時間があるので、弁当などを買い込む。
どうも風邪気味なので、駅前の薬局で葛根湯も購入した。
「スーパー北斗」は今日も盛況で、1両増結されている。
函館名物の「鰊みがき弁当」。
こちらは大沼公園駅の名物「大沼だんご」。
■ 札幌12:20発〜稚内17:50着 サロベツ
再び駅に戻ると、既にこれから乗る列車が入線していた。
稚内行きのサロベツ号は4両編成で、普段より1両増結されている
いよいよ5時間半の長丁場が始まる。
札幌を出てしばらくは都市近郊の風景が続く。駅の間隔も短い。
江別を過ぎると街が途切れ、田畑が目立つようになる。
やがて最初の停車駅、岩見沢に停まる。岩見沢から先は直線区間が続く。
特に美唄から砂川にかけては20km近く直線が続く。
車窓は、田畑と住宅、国道沿いの店舗が入り混じった風景がつづく。
滝川、深川と停車するうち、周囲に山が迫ってきた。
列車は深川と旭川の間の難所、カムイコタンを通過する。
が、難所はトンネルで通過してしまうため風景はよく見えない。
車内で、札幌駅弁の昼食をとる。このあたりでそろそろキワモノ(?)
をということで「北海道日本ハムファイターズ ホームラン弁当」
である。「ライバルを食う」というコンセプトで、おかずはエビフライ(中日)、たこやき(阪神、オリックス)など、
ファイターズの対戦相手にちなんだものとなっている。
なお、ファイターズが勝った日の翌日はおまけとしてプロ野球チップスがもらえるそうで、
この日はおまけをもらうことができた。
13時54分、旭川に着く。2分停車し、いよいよ宗谷本線に入る。
この宗谷本線は一度乗車したものの、そのときは夜行列車で通過してしまったので
当然車窓は見ていない。そこで、今回は昼間に乗車してみることにした。
宗谷本線は本線と名乗っているものの、実態はローカル線で、
名寄から先は定期特急が一日3本、普通列車は5本しかない。
特急列車3本のうち2本は新型のキハ261、残りはキハ183で運転される。
今回はキハ183で最北の地・稚内を目指す。
旭川を発車し、旭川の市街を高架で通過する。新旭川の駅で石北本線と分岐し、
しばらく走ると、旭川駅構内から移転した運転所がある。
構内には冬季に除雪のため使用するラッセルヘッドが多数並べて留置されている。
その様子は何ともシュールで、印象に残った。
長山を出ると市街が尽き、蘭留で平地が尽きた。蘭留を出た列車は、塩狩峠を目指して
うねうねとカーブしながら高度を上げていく。
下の方に田畑を見下ろしながら、残雪の残る森の中を進む。
残雪の合間にフキノトウがいくつも頭を出しているのが見える。
5月を目前に控え、北の大地にもようやく春の息吹が訪れつつあるということか。
塩狩峠のサミットに位置する塩狩駅を過ぎ、今度は一気に坂を下る。この峠を境に、石狩川の水系から天塩川の水系に入る。
この先、列車は天塩川に沿って延々と進むことになる。峠を抜け、田畑と街が車窓に繰り広げられる。
途中和寒、士別に停車し、名寄に到着。名寄は宗谷本線沿線では最大の町で、この駅を境に列車の本数も一気に減る。
駅構内は広く、検車庫などが多数あるが、深名線や名寄本線の集まる鉄道の要衝からただの途中駅に転落した今、
それらの施設がどのくらい利用されているかは分からない。
昔ながらの木造駅舎が残る名寄にしばらく停車した後、発車。
名寄を出ると右手が山、左手に天塩川が見えてくる。
列車は川沿いのわずかな土地を進む。川の向こうは田畑が続く。
次の停車駅は美深。かつて、日本一の赤字線として知られた美幸線が
分岐していた駅だ。美幸線は美深から南へ走っていたようで、翌日その跡を車内から確認することができた。
ここで、札幌で購入したもう一つの駅弁を開く。札幌駅に古くからあるという「石狩鮭めし」だ。
シンプルながら期待を裏切らない味だった。
美深を出ても似たような風景が続くが、平地にあるのは田畑ではなく牧草地が増えてきた。気候が悪く作物が作れないのだろう。
酪農のサイロなども見え、北海道らしい。名寄から45分で音威子府に着く。ダイヤ上、
音威子府では上り特急と行き違い、すぐに発車することになっている。が、上り特急が10分ほど遅れているという。
待ちぼうけの間、ホームに降りて周囲を観察する。北辺の地はまだ雪解けには程遠く、構内の側線は完全に雪をかぶっている。
ホームには丸太を利用した木製のSLが置かれている。駅舎は意外に新しく、中には有名な駅そばの店もあるが、
先ほど駅弁を食べたばかりだし、いつ列車が来るか分からないので今回は食べなかった。
「サロベツ」は、
「北斗」などにも使われるキハ183貫通型での運行。
札幌で購入した「北海道日本ハムファイターズ ホームラン弁当」と「石狩鮭めし」。
結局10分ほど遅れて
音威子府を発車。音威子府を出ると周囲にはいよいよ何もなくなる。
蛇行する天塩川沿いを列車は進む。
線路以外の人工物は何もない。川幅は広く、青みがかった水がゆっくりと流れている。
そんな茫洋とした風景が佐久まで延々と続く。
一方、山手に目を移すと、森の木々の下に残雪とフキノトウ、それに枯れ草が坊主頭のように集まったものが見える。
一般に「ヤチボウズ」と呼ばれ、この先何度も見ることになる。
列車は天塩中川に到着。さほど大きな集落ではないが、
無人地帯を通り抜けた後なのでほっとする。ホームには昔ながらの木造駅舎も健在だ。
列車は再び人口の希薄な土地を進む。
車窓には川沿いの平地の牧草地が目に入るばかりで、建物は少ない。
途中の駅にはわずかばかりの集落があることが多いが、
雄信内のように駅前に集落すらない駅もある。もはや廃止になってもおかしくないような駅だが、
交換施設があるためかろうじて生き残っているのだろう。
やがて、列車は幌延に着く。
2003年に渡道した際、バスに乗り換えるために利用した駅で、懐かしい。
だが乗り降りする人は少なく、人気はない。幌延を出てしばらくすると、
線路沿いに板張りの簡素なホームと駅名標の枠が見えた。
何かと思ったが、2006年3月に廃止された南下沼駅の跡だったようだ。やがて列車は豊富に停車。
このあたりはサロベツ原野に近く、6月は原生花園に花が咲き観光客で賑わうが、列車からは見えない。
その代わり、はるか向こうに利尻島の島影が見えた。その形から、利尻富士とも呼ばれる光景である。
列車はいつしか天塩川沿いを離れ、兜沼あたりからは丘陵地を進む。
線路は勾配を上り下りしながら進む。稚内に近づき、
いよいよラストスパートだ。抜海を過ぎてしばらく走ると、
突然左手に日本海が見え、その向こうにやや霞んではいるが利尻富士が見えた。
崖沿いに「利尻富士」の看板が立ち、景勝地となっている。
列車もやや徐行してくれ、じっくりと見ることができた。
その後、さらに丘陵地を抜けると市街地に入る。
ビルなどが見えてくると南稚内駅に到着。気づけば時刻は6時前となり、
夕暮れが迫ってきた。長距離を駆け抜けた列車は、
くたびれたとばかりに稚内の市内をゆっくりと走り、終点の稚内駅に滑り込んだ。
長旅を終えてホームに降り立ち、「日本最北端の駅」の碑を撮影するなどした後改札を出る。
川幅いっぱいに水が流れる天塩川。
日本海に浮かぶ利尻島。
長旅を終えてたどり着いたのは、日本最北端の駅。
稚内を訪問するのは2度目である。前回は時間もなく、
あまりに寒くて駅からほとんど出られなかったが、今回は一泊するのでたっぷり時間がある。
ホテルにチェックインした後、街をぶらついてみた。
が、飲食店や商店は少なく、人もあまり歩いていない。
宗谷岬などの観光地までは遠く、市内は見るべきところもないので、
バスで「稚内温泉 童夢」へ行くことにした。
バスは駅前を出て、ノシャップ岬をぐるりと回る形で海沿いの道路を進む。
最北の地だけあって海風がすごく、自動ドアが開いてしまうかと思うほどだった。
温泉は地元の人が多く利用しているようで、案外賑わっていた。
再びバスで駅前に戻るも、入れそうな飲食店がないので
仕方なくコンビニで食事を購入してホテルで食べた。
2006/5/1
■ 稚内7:10発〜旭川10:44着 スーパー宗谷2号
もう5月というのに、最北の地の朝の空気は冷たい。
ホームにいるのも寒いので、いそいそと列車に乗り込む。
今日は、まずスーパー宗谷号で宗谷本線を引き返す。
スーパー宗谷号は最新型のキハ261が使われ、車体傾斜装置を備える。
所定4両のところ今日は6両編成に増強されていた。
自由席は2両付いているが、客は少なく先頭車には5人ぐらいしか乗っていない。
昨日の経験からみても名寄まではほとんど乗ってこないと予想されたことから、
座席を一脚回転させ、「ボックスシート」を作って脚を伸ばす。
車窓は昨日一通り見たので、視点を変えるべく列車の先頭部に出てみる。
JR北海道の特急車両は国鉄型を除いてどれもそうだが、
先頭の貫通路のドアのすぐ前に立つことができる。ここだと立ちっぱなしではあるが、先頭部分からの眺望を楽しめる。
ちなみに、運転台は貫通路の2階にある。
そんな訳で、しばらく貫通路に立って景色を眺める。天塩中川から音威子府までの
天塩川沿いの区間であるが、川原を通っているのかと思いきや、線路を引く幅もないらしく桟道のようなものを組んで
その上を走っている。雪覆いや雪崩よけの柵も多く、この地を鉄道が走ることの難しさを思い知る。
が、先頭部ゆえ隙間風が入り寒く、そんなに長くはいられなかった。30分ほどで退散する。
名寄では駅弁の積み込みが行われる。JR北海道の特急は、座席のポケットに駅弁のメニューがあり、
事前に販売員に頼んでおくと、積み込んだ駅弁を持ってきてくれる。
名寄を出ると、予約しておいたニシンカズノコ弁当が届けられた。
名寄からは乗客も増え、速度も一気に上がる。
どうやら車体傾斜機能など、この車両の本領を発揮するのは名寄以南のみのようだ。
昨日キハ183がのろのろと通過した塩狩峠も今日はすいすい通過していく。
宗谷本線の主役、キハ261系気動車。
稚内までは、東京から寄り道せずに来ても乗車キロは1500kmを超える。
キハ261では貫通路から景色を眺めることができる。
名寄駅弁の「ニシンカズノコ弁当」。
稚内から3時間半で旭川に戻った。
とりあえず改札のほうに向かうと、改札前で駅弁の立ち売りをやっている。
この売り子の男性が非常にいい声をしており、
駅構内によく響いている。駅ビルでも弁当は売っているのだが、この立ち売りの男性から買おうと思う。
久々にやってきた旭川の駅前を少しうろついた後、改札に戻ると先程の立ち売り台がなくなっている。
撤収してしまったのかと周囲を見回すと、
線路の向こうのホームのエレベータから立ち売り台と男性が現れるのが見えた。
どうやら、到着する列車に合わせて場所を変えているようだ。男性から無事弁当を買い、次の列車に乗り込む。
旭川で購入したのは「旭岳べんとう」。
海鮮系の駅弁に飽きてきたので幕の内にしてみた。890円にしてはなかなか充実していると思う。
また、近年見なくなったプラスチック容器にお湯を注ぐ形のお茶が旭川では健在であった。
旭川駅で購入した駅弁とお茶。
■ 旭川11:20発〜網走15:09着 オホーツク3号
次は、札幌始発のオホーツク号網走行に乗る。
列車は1両増車の5両編成だった。先頭車の自由席に乗り込むと、
かなり空いている。そういえば旭川で降りる人が多かったし、旭川より先はあまり乗客が多くないのかもしれない。
この「オホーツク」は、道内でも最も見放された系統で、車両も一番お古が使われており、キハ183でも初期車である
非貫通型の先頭車はこのオホーツクでしか見られない。
見放された列車という現実を目の当たりにしてしまった感がある。
旭川を発車し、しばらくはまっ平らな田園地帯を走る。
やがて石狩川が寄り添ってきて、川沿いをうねうねと進むようになるが、
周囲には田畑も多く、本州でも見られそうな景色が続く。
だが、上川を出ると景色が一変する。
車窓に家屋は見えなくなり、時折併走する国道が見える以外は
森林と雪解け水の流れる沢が見えるのみとなる。
ところが、そんな光景を打ち破るものが目の前に現れ始めた。
旭川からオホーツク海岸の紋別に向けて建設中の高速道路である。
道路はずいぶん出来上がっており、この先ずっと車窓に立ちはだかるのだった。
以前乗ったときはこの区間の自然に目を奪われたものであるが、
非常に残念である。
列車は、険しい勾配を速度を落として登っていく。
このあたりは完全な無人地帯ゆえ、上川から遠軽にかけては
普通列車が一日一本しかない。もっとも、このあたりは人口が少なすぎて多くの駅が既に廃止されてしまった。
上川から北見峠までの区間には、天幕・中越・上越の3駅があったが、
いずれも廃止されている。このうち天幕はすでに跡形もないそうだが、
中越と上越は信号所として健在で、駅舎も残っていて撮影することもできた。
特に上越は「標高六三四米上越駅」という看板すらそのまま残っていた。雪もまだかなりあり、5月とは思えない。
長いトンネルで峠を越えると、下りに差し掛かり列車はようやく速度が上がる。
トンネルの先にも奥白滝という廃駅があるが、これも信号所として残っており駅舎もあった。次の駅は上白滝。
これはまだ現役の駅で、駅前には家もいくつかある。だが、やってくる列車は一日一本という極限状態のダイヤである。
白滝、丸瀬布と過ぎるにつれ集落も増えてきた。やがて、遠軽に到着する。
遠軽は途中駅ながらスイッチバック構造のため、特急もしばらく停車する。
もちろん昔からずっとスイッチバックだった訳ではなく、
かつては行き止りの先に名寄本線が延びており、紋別のほうまで線路がつながっていた。
遠軽まで来るとこの列車での旅も半分に達したことになる。
遠軽を出て、生田原を過ぎたあたりから再び列車は峠越えに挑む。
タコ部屋労働などの悲劇で知られる常紋トンネルで峠を越える。
峠を過ぎ、留辺蕊からは畑作地帯を真っ直ぐに進んでいく。遠軽からちょうど一時間で北見に到着。
雪の多い地方らしく、北見市内の線路を立体化する際、線路が地下化されていた。
北見はデパートなどもある都会で、ここで半分以上の客が下車する。
網走まで行く客は少ないようで、ただでさえ空いていた先頭車はがらがらになった。
北見を発車すると、しばらくは北見市街を走る。
町が途切れると車窓には再び畑が見えてきた。
このあたりはたまねぎの産地らしいので、たまねぎ畑だろうか。
美幌を過ぎ、空港のある女満別を過ぎると、
左手に網走湖が見えてきた。湖岸の林の下は湿地帯となっており、可憐な水芭蕉が群生している。
水芭蕉だけでなく、残雪・ヤチボウズ・フキノトウの「3点セット」も見ることができる。
最後の通過駅である呼人を過ぎても、網走湖岸を走る。
湖岸を離れ、網走刑務所の横を通り過ぎるとようやく、終点の網走に到着する。
この日は朝の稚内から旭川、網走までずっと曇っている。
網走では一時間ほど時間があるが、網走駅は市街から離れている上、
天気も悪いので待合室でテレビを見て待つ。
キハ183の最初期車である非貫通型。直線的なフォルムが特徴。
上川を出ると荒涼とした景色が続く。
■ 網走16:15発〜釧路20:06着
網走で一時間待ち、今日最後の列車に乗る。
今度の列車は釧網本線経由の釧路行きで、ど派手なラッピングを施されたキハ54と、
キハ40の2両編成だ。(なお、このキハ54は後に踏切事故に遭遇し、廃車されてしまった。)
車内は何人か高校生が乗っているぐらいで乗客はそれほど多くなく、なぜ2両編成なのかと思う。
列車は網走の市街の外縁部をかすめつつ、右へとカーブする。
しばらく進むと、最初の駅である桂台に着く。
この駅は学校に近いらしく、短いホームの上にぎっしりと学生がいる。
外は雨は降っており、みな傘を差している。
多くの高校生で満員になった列車は、トンネルで市街地を抜けてオホーツク海岸に出る。
海岸との間には砂浜や荒地があるだけで、こんな風景を見ながら通学できる高校生がうらやましい。
もっとも、彼らはおしゃべりや携帯電話いじりに夢中で車窓など誰も見ていないが。
藻琴、北浜と木造の駅舎が続く。北浜はレストランが併設され、
鉄道ファンには有名な駅だ。北浜を出ると濤沸湖と海の間のわずかな陸地を進む。
このあたりには原生花園があり、
観光用の臨時駅がある。その後も、浜小清水、止別と停車しつつ海沿いを走る。
止別からは10km以上も駅もない無人の地を走る。
10分以上かかって、ようやく知床斜里に到着。この駅はその名の通り知床への玄関口となっており、
人口も多いようでいっせいに学生が下車する。
混んでいた車内も一気に空席が目立つようになってきた。
知床斜里では25分も停車する。この駅では後部一両を切り離すが、
特に列車の交換を待つわけでもないのにそんなに停車するとは、何とものんびりしている。
高校生たちは気にする様子もなくおしゃべりに興じている。
その内容をふと聞いていると、女の子のグループのうち一人が、
某アイドルグループのコンサートを見に母親と札幌まで出かけたという話をしていた。
仲間たちは羨望の目で見ていたが、確かにここから札幌だと6時間以上はかかるし、
立派な「旅行」と呼べるぐらい時間がかかる。
こういった土地での生活は、
東京−大阪間ですら2時間半で行けてしまうという意識が染み付いている私などには想像も及ばない。
25分待ってようやく発車する。長らく寄り添ってきたオホーツク海を離れ、一面の畑の間を進む。
途中、清里町という駅がある。小海線にも清里駅があるが、同じぐらい清楚な所だなと思う。
緑駅を過ぎると、平野が途切れ峠越えに差し掛かる。だが、もう日が大分暮れてきてしまい外は次第によく見えなくなってきた。
相変わらず、木々の足元にフキノトウがいっぱい生えているのが見える。
峠を越えて川湯温泉に着く頃には、もうすっかり日が暮れていた。
この駅、後日訪れたのだが駅に足湯が併設されており面白い。家の明かりも見えない闇の中を列車は進み、標茶に着く。
この駅で上り列車と交換するのだが、10分ほど遅れているとのこと。途中で動物か何かとぶつかったのだろうか。
人気のない標茶駅の構内を眺めつつぼんやりと待つ。
結局、10分遅れで標茶を発車する。右手には広大な釧路湿原が見えているはずだが、
当然真っ暗である。明日は昼間は時間があるので、ノロッコ号で湿原を見ようか、
それとも根室本線で久しぶりに根室に行こうかと
考える。結局、釧路には10分遅れで到着した。
道東・道北を中心に活躍するキハ54。
この日の夕食は網走で買ったかにめし。椎茸のスライスが乗り、ご飯が炊き込みご飯という「北海道標準スタイル」のかにめしだった。
2006/5/2
■ 釧路11:01発〜根室13:08着 快速ノサップ
この日は10時過ぎに釧路のホテルを出た。前日まで厳しい日程が続いたので、この日は久々に朝寝坊である。
釧路駅に行き、弁当を買って快速ノサップ号の停車するホームへ向かう。結局、この日は根室へ行くことにした。
同じ時間帯にノロッコ号が発車するため、駅には観光客が多くいた。
釧路を発車し、しばらく釧路市街を走った後、
別保駅からはいきなり原生林の中を進む。線路のすぐ横を沢が流れ、ここにもフキノトウがびっしりと生えている。
そんな森林地帯を15分ほど走り、ようやく上尾幌に着く。交換のためだけに存在しているような駅で、駅前は何とも寂しい。
さらに進み、門静を過ぎると厚岸湾沿いを走る。次第に集落が目立つようになってくると、まもなく厚岸に到着する。
沿線最大の街である厚岸でまとまった数の客を降ろし、発車。
厚岸から先は厚岸湖、続いて湿原の真っ只中を進む。
数km先まで何もない湿原の中を、真っ直ぐに線路が引かれている様は見事であった。
湿原にはまたしてもヤチボウズ・フキノトウが見える。
この旅は、つくづく残雪・ヤチボウズ・フキノトウの「3点セット」に尽きる旅だったなと思い返す。
湿原は糸魚沢を通過してもまだしばらく続いた。
その後は、牧場と林の入り混じった寂しい場所が続く。
茶内、浜中と停車するが、どちらもあまり人気がなく寂しい。
やがて、厚床に到着。かつては標津線が分岐しており、
駅弁すら売っていたという駅だが、今ではそれが信じられないぐらい寂れている。
中国地方の備後落合も寂しい分岐駅だったが、標津線が現存していたらそれに並ぶぐらい寂しい分岐駅といえただろう。
厚床を過ぎるといよいよ完全な無人地帯となり、無人の荒野に出る。でこぼこの荒野の向こうに、ちらりと海が見えた。
海の向こうには自然のままの根室半島の姿が見える。北海道でしか見られない大自然だ。このあたりの海岸は風が強いらしく、
落石付近では海沿いに風車が建てられていた。
昆布盛を出ると再び原生林の中を走る。このあたりは野生動物の出没が多く、
動物との衝突を避けるため派手に警笛を吹く音が聞こえる。
西和田、花咲と通過するうちに家や商店が増え、根室に近づいてきた。
日本最東端の駅である東根室を過ぎると列車は左へ曲がり、終点根室に着く。
駅前にカニを売る店が続く独特の光景は相変わらずだった。
釧路を発車してしばらくすると、原生林の中を進む。
釧路で購入した「釧路湿原弁当」を食しながら車窓を見つめる。特に湿原らしいおかずはない模様。
広い湿原をまっすぐに進む線路。北海道ならではの光景だ。
日本最東端に近づくにつれ、景色は荒涼としてきた。
■ 根室13:50発〜釧路16:13着
40分ほど根室に滞在した後、乗ってきた列車で折り返す。釧路に戻った後は普通の観光旅行をしたので旅行記は省略するが、 その後さらに北海道でつごう4泊し、北海道を満喫したのだった。