2006/5/1
稚内7:10発〜旭川10:44着 スーパー宗谷2号
もう5月というのに、最北の地の朝の空気は冷たい。
ホームにいるのも寒いので、いそいそと列車に乗り込む。
今日は、まずスーパー宗谷号で宗谷本線を引き返す。
スーパー宗谷号は最新型のキハ261が使われ、車体傾斜装置を備える。
所定4両のところ今日は6両編成に増強されていた。
自由席は2両付いているが、客は少なく先頭車には5人ぐらいしか乗っていない。
昨日の経験からみても名寄まではほとんど乗ってこないと予想されたことから、
座席を一脚回転させ、「ボックスシート」を作って脚を伸ばす。
車窓は昨日一通り見たので、視点を変えるべく列車の先頭部に出てみる。
JR北海道の特急車両は国鉄型を除いてどれもそうだが、
先頭の貫通路のドアのすぐ前に立つことができる。ここだと立ちっぱなしではあるが、先頭部分からの眺望を楽しめる。
ちなみに、運転台は貫通路の2階にある。
そんな訳で、しばらく貫通路に立って景色を眺める。
天塩中川から音威子府までの天塩川沿いの区間であるが、川原を通っているのかと思いきや、
線路を引く幅もないらしく桟道のようなものを組んでその上を走っている。
雪覆いや雪崩よけの柵も多く、この地を鉄道が走ることの難しさを思い知る。
が、先頭部ゆえ隙間風が入り寒く、そんなに長くはいられなかった。30分ほどで退散する。
名寄では駅弁の積み込みが行われる。JR北海道の特急は、座席のポケットに駅弁のメニューがあり、
事前に販売員に頼んでおくと、積み込んだ駅弁を持ってきてくれる。
名寄を出ると、予約しておいたニシンカズノコ弁当が届けられた。
名寄からは乗客も増え、速度も一気に上がる。
どうやら車体傾斜機能など、この車両の本領を発揮するのは名寄以南のみのようだ。
昨日キハ183がのろのろと通過した塩狩峠も今日はすいすい通過していく。稚内から3時間半で旭川に戻った。
(旭川駅で駅弁購入)
旭川駅構内で785系などの車両を眺めた後、
とりあえず改札のほうに向かうと、改札前で駅弁の立ち売りをやっている。
この売り子の男性が非常にいい声をしており、
駅構内によく響いている。駅ビルでも弁当は売っているのだが、この立ち売りの男性から買おうと思う。
久々にやってきた旭川の駅前を少しうろついた後、改札に戻ると先程の立ち売り台がなくなっている。
撤収してしまったのかと周囲を見回すと、
線路の向こうのホームのエレベータから立ち売り台と男性が現れるのが見えた。
どうやら、到着する列車に合わせて場所を変えているようだ。男性から無事弁当を買い、次の列車に乗り込む。
旭川で購入したのは「旭岳べんとう」。
海鮮系の駅弁に飽きてきたので幕の内にしてみた。
また、近年見なくなったプラスチック容器にお湯を注ぐ形のお茶が旭川では健在であった。
旭川駅には785系が停車中。全面の表示灯がフルカラーLEDに交換されていた。
「スーパーホワイトアロー」は札幌から「エアポート」に転じて、新千歳空港へ直通するようになった。
旭川11:20発〜網走15:09着 オホーツク3号
次は、札幌始発のオホーツク号網走行に乗る。
列車は1両増車の5両編成だった。先頭車の自由席に乗り込むと、
かなり空いている。そういえば旭川で降りる人が多かったし、旭川より先はあまり乗客が多くないのかもしれない。
この「オホーツク」は、道内でも最も見放された系統で、車両も一番お古が使われており、キハ183でも初期車である
非貫通型の先頭車はこのオホーツクでしか見られない。
見放された列車という現実を目の当たりにしてしまった感がある。
旭川を発車し、しばらくはまっ平らな田園地帯を走る。
やがて石狩川が寄り添ってきて、川沿いをうねうねと進むようになるが、
周囲には田畑も多く、本州でも見られそうな景色が続く。
だが、上川を出ると景色が一変する。
車窓に家屋は見えなくなり、時折併走する国道が見える以外は
森林と雪解け水の流れる沢が見えるのみとなる。
ところが、そんな光景を打ち破るものが目の前に現れ始めた。
旭川からオホーツク海岸の紋別に向けて建設中の高速道路である。
道路はずいぶん出来上がっており、この先ずっと車窓に立ちはだかるのだった。
以前乗ったときはこの区間の自然に目を奪われたものであるが、非常に残念である。
列車は、険しい勾配を速度を落として登っていく。
このあたりは完全な無人地帯ゆえ、上川から遠軽にかけては
普通列車が一日一本しかない。もっとも、このあたりは人口が少なすぎて多くの駅が既に廃止されてしまった。
上川から北見峠までの区間には、天幕・中越・上越の3駅があったが、
いずれも廃止されている。このうち天幕はすでに跡形もないそうだが、
中越と上越は信号所として健在で、駅舎も残っていて撮影することもできた。
特に上越は「標高六三四米上越駅」という看板すらそのまま残っていた。雪もまだかなりあり、5月とは思えない。
長いトンネルで峠を越えると、下りに差し掛かり列車はようやく速度が上がる。
トンネルの先にも奥白滝という廃駅があるが、これも信号所として残っており駅舎もあった。次の駅は上白滝。
これはまだ現役の駅で、駅前には家もいくつかある。だが、やってくる列車は一日一本という極限状態のダイヤである。
白滝、丸瀬布と過ぎるにつれ集落も増えてきた。やがて、遠軽に到着する。
遠軽は途中駅ながらスイッチバック構造のため、特急もしばらく停車する。
もちろん昔からずっとスイッチバックだった訳ではなく、
かつては行き止りの先に名寄本線が延びており、紋別のほうまで線路がつながっていた。
遠軽まで来るとこの列車での旅も半分に達したことになる。
遠軽を出て、生田原を過ぎたあたりから再び列車は峠越えに挑む。
タコ部屋労働などの悲劇で知られる常紋トンネルで峠を越える。
峠を過ぎ、留辺蘂からは畑作地帯を真っ直ぐに進んでいく。遠軽からちょうど一時間で北見に到着。
雪の多い地方らしく、北見市内の線路を立体化する際、線路が地下化されていた。
北見はデパートなどもある都会で、ここで半分以上の客が下車する。
網走まで行く客は少ないようで、ただでさえ空いていた先頭車はがらがらになった。
北見を発車すると、しばらくは北見市街を走る。
町が途切れると車窓には再び畑が見えてきた。
このあたりはたまねぎの産地らしいので、たまねぎ畑だろうか。
美幌を過ぎ、空港のある女満別を過ぎると、
左手に網走湖が見えてきた。湖岸の林の下は湿地帯となっており、可憐な水芭蕉が群生している。
水芭蕉だけでなく、残雪・ヤチボウズ・フキノトウの「3点セット」も見ることができる。
最後の通過駅である呼人を過ぎても、網走湖岸を走る。
湖岸を離れ、網走刑務所の横を通り過ぎるとようやく、終点の網走に到着する。
この日は朝の稚内から旭川、網走までずっと曇っている。
網走では一時間ほど時間があるが、網走駅は市街から離れている上、
天気も悪いので待合室でテレビを見て待つ。
キハ183の最初期車である非貫通型。直線的なフォルムが特徴。
上川を出てしばらく進んだところにある中越信号場。近年まで旅客営業をしていたこともあり、駅舎が残っている。
その先にある上越信号場は国鉄時代に駅が廃止されたが、駅舎は健在。
網走16:15発〜釧路20:06着
網走で一時間待ち、今日最後の列車に乗る。
今度の列車は釧網本線経由の釧路行きで、ど派手なラッピングを施されたキハ54と、
キハ40の2両編成だ。(なお、このキハ54は後に踏切事故に遭遇し、廃車されてしまった。)
車内は何人か高校生が乗っているぐらいで乗客はそれほど多くなく、なぜ2両編成なのかと思う。
列車は網走の市街の外縁部をかすめつつ、右へとカーブする。
しばらく進むと、最初の駅である桂台に着く。
この駅は学校に近いらしく、短いホームの上にぎっしりと学生がいる。
外は雨は降っており、みな傘を差している。
多くの高校生で満員になった列車は、トンネルで市街地を抜けてオホーツク海岸に出る。
海岸との間には砂浜や荒地があるだけで、こんな風景を見ながら通学できる高校生がうらやましい。
もっとも、彼らはおしゃべりや携帯電話いじりに夢中で車窓など誰も見ていないが。
藻琴、北浜と木造の駅舎が続く。北浜はレストランが併設され、
鉄道ファンには有名な駅だ。北浜を出ると濤沸湖と海の間のわずかな陸地を進む。
このあたりには原生花園があり、
観光用の臨時駅がある。その後も、浜小清水、止別と停車しつつ海沿いを走る。
止別からは10km以上も駅もない無人の地を走る。
10分以上かかって、ようやく知床斜里に到着。この駅はその名の通り知床への玄関口となっており、
人口も多いようでいっせいに学生が下車する。
混んでいた車内も一気に空席が目立つようになってきた。
知床斜里では25分も停車する。この駅では後部一両を切り離すが、
特に列車の交換を待つわけでもないのにそんなに停車するとは、何とものんびりしている。
高校生たちは気にする様子もなくおしゃべりに興じている。
その内容をふと聞いていると、女の子のグループのうち一人が、
某アイドルグループのコンサートを見に母親と札幌まで出かけたという話をしていた。
仲間たちは羨望の目で見ていたが、確かにここから札幌だと6時間以上はかかるし、
立派な「旅行」と呼べるぐらい時間がかかる。
こういった土地での生活は、
東京−大阪間ですら2時間半で行けてしまうという意識が染み付いている私などには想像も及ばない。
25分待ってようやく発車する。長らく寄り添ってきたオホーツク海を離れ、一面の畑の間を進む。
途中、清里町という駅がある。小海線にも清里駅があるが、同じぐらい清楚な所だなと思う。
緑駅を過ぎると、平野が途切れ峠越えに差し掛かる。だが、もう日が大分暮れてきてしまい外は次第によく見えなくなってきた。
相変わらず、木々の足元にフキノトウがいっぱい生えているのが見える。
峠を越えて川湯温泉に着く頃には、もうすっかり日が暮れていた。
この駅、後日訪れたのだが駅に足湯が併設されており面白い。家の明かりも見えない闇の中を列車は進み、標茶に着く。
この駅で上り列車と交換するのだが、10分ほど遅れているとのこと。途中で動物か何かとぶつかったのだろうか。
人気のない標茶駅の構内を眺めつつぼんやりと待つ。
結局、10分遅れで標茶を発車する。右手には広大な釧路湿原が見えているはずだが、
当然真っ暗である。明日は昼間は時間があるので、ノロッコ号で湿原を見ようか、
それとも根室本線で久しぶりに根室に行こうかと
考える。結局、釧路には10分遅れで到着した。