西を目指して(その1)

 2008年のゴールデンウィークは、まず「新線開業、おおさか東線」 に書いたとおり関西に帰省しておおさか東線を乗りつぶし、 その後は今里筋線に初乗車するなどしつつしばらく実家に滞在した。そして4月30日からは、大阪からさらに西を目指す旅に出た。 今回の旅の主目的は、JR九州の特急や観光列車にじっくり乗車することだ。これまでは乗りつぶしなどに主眼を置いた、乗換えばかりの 慌しい旅が多かったので、今回は本来あるべきゆったりとした鉄道の旅に主眼を置くことにした。
 とはいえ、遠い九州に地に脚を伸ばすとついつい欲が出るもので、各地の鉄道に無理して乗ろうとして やっぱり慌しい旅行になってしまったのだった。

目次

2008/4/30

新大阪9:11発〜岡山9:57着 ひかり(レールスター)453号

 実家から列車を乗り継いで、スーツ姿のビジネスマンが目立つ新大阪駅に降り立つ。 関係のない話であるが、実家からは阪急の某線に乗って大阪に出てきたのであるが、列車が空いていてびっくりした。 GWの中日、しかも乗ったのが最後尾の車両ではあるものの、梅田行きの優等列車で座っている人と立っている人が同数程度という 混み具合だった。東京ではおよそ考えられないが、東京の列車の混み方が異常なだけでこちらが本来あるべき姿といえよう。
 切符を持って有人改札を通る。今回使う乗車券は東京から大阪、出雲市、博多、宮崎を経て阿蘇にまで至る 長大なもので、通常サイズの券面には経路が収まりきらず、18きっぷと同サイズの横長なものとなっており自動改札を通らない。 そのため、どこの駅でも有人改札を通る必要がある。ちなみに、あまりに経路が複雑なせいか、旅行会社で発券してもらうのに 30分近くを要した。あんまりやってると業務妨害になりそうだ。最初は阿蘇→二日市の片道乗車券と合わせて 連続乗車券にしようかとも思ったが、もし頼んでいたら旅行会社のお姉さんはパニック状態になっていたに違いないので、 しなくて正解だった。

 レールスターの発車する20番線に行くと、発車10分前だというのにまだドアは開いていなかった。 レールスターは自由席が3両しかなく、うち1両は喫煙車なので実質自由席は2両しかない。各ドアには結構長い列ができているので、 慌てて並ぶ。発車5分前になってようやくドアが開き、窓側ではないものの無事座ることができた。 乗車時間が一時間に満たないので、最悪立って行ってもいいやと自由席にしたので、座れれば贅沢は言わない。
 新大阪を発車し、しばし別れることとなる関西の町並みをぼーっと眺めていると、列車は六甲トンネルに入る。 山側と海側で眺めが対照的な新神戸を発車。乗ってくる人はそこそこ多く、ここで車内の空席はほとんど埋まった。 普段ならここらへんでやおら駅弁を取り出すところだが、今日は実家で朝食をしこたま食べてきたので、全く食欲がない。 むしろ、食べすぎで気持ち悪いぐらいだ。
 六甲トンネルを抜け、途中併走する新快速を追い抜きつつ姫路、相生と通過。 あっという間に岡山に着いた。


今回の旅で用いる乗車券。下の切符は阿蘇→二日市の片道乗車券。


この旅の第一走者はひかりレールスター。

岡山10:05発〜松江12:35着 やくも7号

 岡山で下車し、在来線乗り場へ向かう。知らないうちに駅が大改装されて構内自由通路ができていた上、駅の番線表示が大幅に変わっていて (昔は在来線が5番線から始まっていたのが1番線からに変わっていた)大いにあせったが、無事やくも号に乗り継ぐ。 途中駅弁売り場があったが、やっぱり買う気がせず素通りする。
 やくも号に乗り込むと、新聞や雑誌片手に乗り込んだ車内にはビジネスマンの姿が目立つ。今の期間ゴールデンウィーク休暇となっている 企業はやはり多くないようで、観光客はあまりいない。岡山を出ると、山陽本線を快走して倉敷へ。 途中、北長瀬という新駅ができていたが、やはり駅間は長く結構時間がかかった。倉敷からは90度カーブして北上する。 いきなり高梁川の渓谷を走る。渓谷といっても水をいっぱいにたたえた幅の広いもので、池か何かのように見える。 山陽新幹線、井原鉄道の鉄橋をくぐり、総社を通過。以前早朝に一度だけ乗車した吉備線の線路が見える。 このあたりは総社の市街をしばらく進む。
 ここで、車内販売が回ってきた。が、販売員の姉ちゃんは、こういうのもなんだが いかにも地元の人という感じで、方言丸出しな上声も低く、先程の新幹線の販売員と比べていかにも野暮ったい。 が、在来線の販売員はこういう方が合うのかもしれない。
 しばらくすると市街が途切れ、高梁川沿いにわずかな耕地と農家があるのみの 鄙びた光景に変わる。この辺は複線化されているが、上下の線路が時々大きく離れる。やがて列車は備中高梁に到着。 駅前に人はおらず、何台かバスが停車しているのが見える。備中高梁からは単線となり、地形も険しくなり、 狭い川原を国道と線路だけが占めるようになる。が、護岸はコンクリートで塗り固められており、あまり美しくはない。 途中、上り「やくも」と行き違いのため運転停車をしつつ、北上する。線路はずっと単線だが、 途中の井倉のあたりだけ突然変異のように線路の付け替えと複線化が実施されていた。
 列車は新見に着いた。初めて来たときは鉄道の要衝としては寂しい町だと感じた新見だが、改めて見てみるとそれなりの市街を形成している。 ただ、駅の裏手は山が広がるばかりで寂しい。新見を出ると、山の中を急な勾配でどんどん上っていく。 かつてSLが走っていた頃、新見から次の駅の布原にかけては撮影の名所として知られたという。381系電車は勾配を苦もなく上っていくが、 SLは大量の煙を出しながらあえぐように登ったことだろう。その布原の駅を通過するが、粗末なホームが列車一両分しかないような駅だ。 この駅は伯備線の列車は停車せず、芸備線に直通するディーゼルカーのみが停車する。次の備中神代で芸備線が分岐する。 線路には雑草が生え、何だかか細い線路である。
 そういえば、新見を出たところでまた例の車内販売の姉ちゃんが回ってきた。 が、ワゴンにはさっきなかった弁当が積まれている。おそらく新見で積み込んだのだろう。 そんなに大きな駅でもない新見だが、どうやら駅弁を作っているようだ。
 備中神代からはいよいよ併走する道路もなくなり、渓流と山の緑しか目に入らなくなる。 渓流を上り詰め、トンネルを抜けるとやや開けた耕地に出た。山陰側に抜けたのだ。今度は日本海に注ぐ日野川に沿って下っていく。 最初は細かった川だが、下るほどに川幅が広くなっていく。 途中には川面からそう離れていない川原のような所を走る箇所もあり、大水で線路が流されたりしないか心配になる。
 そろそろ米子が近づいてきた頃、「右側の車窓に大山が見えます」という観光案内が入った。伯耆富士の名の通り、きれいな形の山である。 それにしても列車の観光案内、久しぶりに聞いた気がする。
 伯耆大山で山陰本線と合流し、大河に変貌した日野川を渡ると、 まもなく米子に着く。山陰地方の主要駅は高架化された駅が多いが、ここ米子は昔ながらの風情が良く残っている。 また、米子から分岐する境線はゲゲゲの鬼太郎で観光誘致を図っているが、米子駅には「ねずみ男売店」なるものまで現れ、 ますますエスカレートしているようだった。
 米子を発車し、しばらく走ると一瞬ではあるが中海が見えた。 さらに進むと、運河のような水路が見えた。どうやらこれは中海と宍道湖をつなぐ川であるようだ。 そんな光景を見ていると、高架の松江駅に到着した。岡山からちょうど二時間半であった。


やくも号で「寄り道」、西へ行くはずがなぜか北を目指して松江で下車。

 松江にやってくるのは、中学の修学旅行以来のことだ。まずは高架下の商店街を覗く。すると、米子の駅弁屋さんの 売店があった。正式の駅弁ではないが、名物の五右衛門寿司が入った弁当があったので買ってみる。 これから、一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅に向かうのだが、一時間弱ほど時間がある。そこで、バスに乗って 松江城へ寄り道してみることにした。天守閣に登る時間はなかったが、お堀越しに城を見ることができた。

 まだ時間に余裕があるということで、城山公園を横切って南下、松江しんじ湖温泉駅まで歩いた。 次の電車は13時30分ごろと思っていたので、13時20分過ぎに駅が見えてきた時には「これは余裕だな」と思い、 携帯電話で電話をしつつのんびりと歩いた。が、駅に入ると発車ベルのような音がする。列車の案内板を見ると、 目の前で列車が出ようとしているではないか。写真はおろか切符を買う余裕もないまま慌てて列車に乗り込む。 よく確認していなかったのだが、次の列車は13時27分発だったのだ。次の列車は1時間後なので、危ないところだった。


お堀に囲まれた松江城。お堀には観光船が行き交っていた。

松江しんじ湖温泉13:27発〜川跡14:12着 一畑電鉄

 そんな訳で慌てて乗り込んだ電車だが、車内は空いていた。車両は元京王の5000系で、片開きのドアが古めかしい。 発車すると、いきなり車窓に宍道湖が見えてきた。この日は風が強いせいか、宍道湖は湖と思えないほど波立っていた。 しばらくして湖から離れ、松江イングリッシュガーデン前に着く。この駅は以前もっと長い名前で、日本一長い駅名として知られていたが、 諸事情あって今の駅名に変更されている。長江駅辺りから再び宍道湖岸に出る。
 それにしても途中の駅はどれも小さい。交換駅以外は小さな待合室と吹きさらしのホームが一本あるのみである。
 しばらく走って列車は再び湖岸を離れ、山側へとカーブする。すると左手から線路が合流し、列車は一畑口駅に到着。 一畑電鉄には特に目立った勾配はないが、ここ一畑口駅ではスイッチバックをする。かつてはここから一畑薬師の門前まで線路が延びており、 その名残としてスイッチバック構造となっている。駅前には小さな商店が一つあるだけの寂しい駅ではあるが、 一畑電鉄の見所の一つとなっている。
 スイッチバックを終え、再び列車は走り出す。一畑口から先は宍道湖は見えなくなった。 山側に目を転じると、出雲大社まで続く山並みがそびえている。途中、「湖遊館新駅」という変わった名前の駅がある。 「〜駅」の部分までが正式な駅名なので、湖遊館新駅駅と呼ぶことになる。
 車内は相変わらずのんびりしていて、2両編成に乗客は10人弱。 ロングシートの車両ではあるが空いているのでさっきの駅弁を食べることにする。

 弁当を食べ終わると、列車は雲州平田に到着。 車庫や駅ビルを備えた立派な駅で、松江以来久々に駅員配置駅を見た。美談と書いて「みだみ」と読む 面白い名前の駅を過ぎ、川跡に到着。ここで乗り換えである。


宍道湖はさすがに大きく、対岸が見えない。


駅弁には五右衛門寿司、かに寿司、おこわが入っていて、米子駅弁のいいとこ取りとなっている。

川跡14:16発〜出雲大社前14:27着 一畑電鉄

 川跡では出雲大社前に行く支線に乗り換える。ホームの向かい側に停車しているので乗り換えは楽だ。 川跡から10分ほどで出雲大社前駅に到着。向かいのホームには、コンテナを連結した旧型車両が停車していた。

 折り返しの列車までは30分ほど時間がある。ここまできたのだから是非出雲大社を参拝しておきたい。 駅を出てしばらく歩くと、3分ほどで神社の入り口に着く。ここからの参道が結構長く、なかなか本殿にたどり着かない。 やや小走りで進み、ようやく立派なしめ縄のついた建物にたどり着くと、立て看板に「御仮殿」とある。奥にもっと立派な 本殿があるのだろうと思い、とりあえずこれをスルーして(おい)奥へ進むと、なぜか長い行列が見えた。 さらに奥に行くにはこの行列に並ばねばならないようだ。そんな時間はないので先程の「御仮殿」でお参りして引き返す。 後で調べると、この「御仮殿」がいわゆる拝殿であるようだ。また、 本殿の参拝は限られた日にしかできないらしく、しかもTシャツやジーンズは禁止ということで、 思いっきりドレスコードに引っかかる服装をしていた私が参拝するのは無理だったようだ。
 先程の件があるので列車の時刻を気にしつつ急ぎ足で駅に戻る。最後は時間が余ったので駅舎を観察してみる。 決して大きくはないが、ステンドグラスをはめ込んだ瀟洒なデザインである。


オレンジ色の小さな車体。京王の車両が来るまでは主力だったのだろう。


相当古い建物だと思われるが、屋根のカーブがモダンである。

出雲大社前14:55発〜川跡15:06着 一畑電鉄

川跡15:09発〜出雲市15:18着 一畑電鉄

 今乗ってきた列車で出雲大社前から川跡に戻る。川跡には構内踏切が健在で、遮断機代わりの鎖を駅員さんが掛けるという 古典的な方式が健在だった。案内放送も老駅員の肉声であった。

 乗り換えた出雲市行きは車内が2ドア転換クロスシートに改造されていた。一畑電鉄には特急や急行列車もあるようなので、 そちらに優先的に使われているのだろう。川跡を出てしばらく走ると、横から線路が併走してくる。 何かと思ったがどうやら山陰本線のようだ。出雲科学館パークタウン前という、これまた長い名前の駅を過ぎ、終点出雲市に到着。
 JRの駅に行くと、蕎麦屋兼駅弁屋の店舗があった。ここには名物出雲そばの駅弁があるが、作り置きができないため、 確か予約が要るのではなかったかなと思いつつ、作れるかどうか聞いてみる。残り時間が10分弱であることを売り子のおばちゃんに伝えると、 厨房に確認したうえで「できます」との返事。5分と経たないうちに弁当が出来上がった。


川跡駅に行き交う車両。

出雲市15:30発〜新山口18:51着 スーパーおき5号

 今度の列車は「スーパーおき」。この5号は鳥取から新山口までを走破するかなりの長距離ランナーである。 かつての「まつかぜ」を彷彿とさせるが、食堂車つきだったというまつかぜとは違い、この列車はわずか2両編成で車内販売すらない。 何だか高速バスのようなノリの列車である。
 それでも、発車してみると新型車両だけあって走行性能はさすがに良い。 列車は最初の通過駅である西出雲を通過。電化区間の尽きるところで、駅横の車庫にはサンライズ出雲が留置されている。 いつも品川の車庫で見る285系がこんなところに停まっているのを見ると、当然のこととはいえ妙な感じである。

 しばらく走って、小田のあたりから日本海岸に出る。道路などさえぎるものはないので、海がよく見える。 ごつごつした岩が転がっているが、砂浜もあり夏なら泳げそうだ。走っていて気づいたが、 山陰本線のこのあたりは高速化対応がなされており、どの駅も一線スルー構造となっている。 やがて一旦海から離れて、大田市に到着。ここから指定席に乗ってくる人も案外いた。 世界遺産となった石見銀山の最寄り駅らしく、その垂れ幕が目立つ。
 大田市を過ぎると海はあまり見えなくなる。このあたりはリアス式海岸になっておるためか、 海沿いでありながら山の中をかき分けるように進む。 やがて、古びた鉄橋で江の川を渡る。まもなく三江線の線路が合流し、江津に到着。 これまでの車窓は比較的寂れていたが、江津から浜田にかけては割と都市化が進んでいるようで家や工場が目立つ。 やがて浜田に到着。車両基地なども備える要衝の駅だが、鉄道だと本社の大阪からえらく時間のかかる山陰地方の最奥部だけあって、 駅の雰囲気は昔から変わっていなさそうだ。 浜田では上り特急との行き違いのため2分停車するようなので、ホームの自動販売機に走り、水を買う。 列車には自動販売機もないので、水を買うのも一苦労だ。
 浜田から再び海を見つつの旅となる。ただ、途中の三保三隅は 山の中にある静かな駅だった。海の向こうに小さな島が見える。調べてみると、高島という日本海に浮かぶ無人島のようだ。
 やがて列車は益田に到着し、支線である山口線に入る。とはいっても山口線のほうが山陰本線の益田以西よりも歴史は古く、 山陰本線のほうが右にカーブしていった。山口線に入って運転士が交代するとともに、運転の仕方も大きく変わった。 速度が遅いのである。山口線は高速化工事の対象から外れており、 駅の一線スルー化もされていないため、駅の手前ではがくっと速度が落ちる。
 川沿いにうねうねと登り、最初の停車駅である日原へ。今の錦川鉄道である国鉄岩日線はこの日原を目指していた。 それにしても特急停車駅と思えないほど静かな駅ではある。列車はさらに坂を上り詰め、ちょっとしたトンネルを抜けて津和野に着く。 津和野は一応名の知れた観光地だが、小さな町だった。駅構内には転車台がある。SLやまぐち号はこの駅で折り返すため、 そのために利用するのだろう。残念ながらこの日はSLは運転されておらず、駅に観光客の気配はない。
 津和野駅を発車すると、線路の脇に古い町並みが見える。小京都と呼ばれている訳も分かる。しばらくすると線路は長いトンネルに入り、 峠を越える。この山口線は短い路線ながら2回も峠を越えるのが特徴だ。今走っているのは阿武川という萩のあたりに注ぐ川の水系だ。 山口県でよく見られる黄色いガードレールが目立つ。列車はしばらく盆地を走った後、長門峡のあたりから再び渓流沿いを登る。 各駅には駅名が右から左に書かれたレトロな駅名標がある。SLの観光客用に置かれたもののようだ。
 再びトンネルで峠を越えると、もう山口は近い。県庁所在地である山口、温泉旅館が目立つ湯田温泉に連続して停車する。 いずれも乗り降りする人は多くなく、新山口を目指す人が多いようだ。出雲市から3時間近く乗車してきたが、 途中浜田で若干の入れ替わりがあったぐらいで乗客の乗り降りは多くなかった。指定席は6割ぐらい埋まっていたので、 山陰地方から新山口、そして九州を目指す客が案外多いようだ。
 湯田温泉から10分で終点の新山口に到着。もう7時近いが まだ空は明るい。


車内では出雲市駅で購入した蕎麦駅弁を食べる。 蕎麦は茹でたてだけあってコシがあった。 コンビニなどのざるそばと違って、食べると蕎麦の香りが口に広がった。


長旅を終え、新山口駅1番線に佇むキハ187。

新山口19:01発〜小倉19:22着 ひかり(レールスター)475号

 新山口からは再びレールスターで西を目指す。1号車の自由席に乗り込むと、列車は空いていて窓側の席も選び放題だった。 乗ってしまうとあっという間に厚狭、新下関と通過し、新関門トンネルに入る。トンネルの中で減速を開始し、ほどなく トンネルを抜けて小倉の町が見えてきた。まもなく小倉に到着。
新幹線のコンコースから一旦在来線のホームに出てみる。 久々に九州まで来たので、JR九州の特急型車両でも観察しようかと思ったが、停車しているのは東京で見慣れた415系(今は見られないが) ばかりなので、あきらめて改札を出る。
 例の切符を持って有人改札を通ろうとすると、若い女性の駅員さんが「途中下車ですね」といって途中下車印を押してくれた。 途中下車の際は切符に途中下車印を押すというのが本来改札で行うべき措置なのだが、実際に途中下車印を押してくれたのは この旅行中この人が最初で最後だった。

小倉20:30発〜企救丘20:49着 北九州高速鉄道

 小倉駅前のビジネスホテルに荷物を置き、小休止の後再び駅に出る。 今日はまだ時間があるので、北九州のモノレールに乗車してみようと思う。 モノレールは小倉駅のコンコースから発車する。 コンコースにはホームと線路がすっぽりと収まるように配置されており、面白い。
 「阪九フェリー」の広告が施された車両に乗り込む。帰宅ラッシュの時間だが立つ人はほとんどいない。 小倉を発車してすぐに平和通に停車。駅間は500mもなさそうだ。 平和通を出てようやく下り線に転線し(それまでは上り線を逆送していた)、 南下する。その後は特に見所もなく、一部では都市高速の高架下を進む。住宅街がやや尽きてきたところで、企救丘に到着。

志井公園20:57発〜小倉21:20着

 企救丘駅からJR日田彦山線の志井公園駅までは歩いてすぐらしいので、帰りはJRで小倉に戻ることにする。 駅の案内板に従って階段を下りると、目の前に明るい大きな建物が見えた。 あれが駅かと思って駆け寄ると、全然関係のない建物 (しかもよりによって某新興宗教の会館)だったので大いにあせったが、 その先に小さな駅舎が見えた。駅は無人で、駅の周辺には電気はほとんどついておらず真っ暗であった。
 切符を買ってホームに下りると、部活終わりの高校生がたむろしていて何だか不気味だ。 すぐにやってきた列車で小倉に戻る。 途中の城野で日豊本線の特急を先に通すなどしたため、モノレールより余計に時間がかかった。
 小倉駅には、駅そばならぬ駅ラーメンのスタンドがあった。匂いにつられて思わず入る。 九州らしいとんこつラーメンを食してホテルに戻った。

2008/5/1

小倉6:38発〜門司港6:52着

 翌朝、早朝の小倉駅から門司港行きの電車に乗り込む。門司港は以前一度だけ訪問したが、そのときはすぐに折り返してしまったので 駅の外を含めてじっくり観察することが目的だ。まだ朝早いのだが高校生で混みあう列車に乗って門司港へ。
 門司港の名物であるレトロな駅舎を観察する。みどりの窓口だけは新しく、自動ドアまで備えていて違和感がある。 外に出て、駅の裏手の九州鉄道博物館へ。今回の旅行では時間が合わず入館することはできなかったが、外から中の様子を観察する。 その後、駅周辺の洋館などを観察し、岸壁から関門橋を見て駅に戻る。
 駅の二階はちょっとしたギャラリーとなっており、 開業当初の駅の様子などの写真があった。明治時代の写真を見ると、客車が今の半分ぐらいの長さしかなく、時代を感じさせる。 興味深いものとして、関門トンネル開通時の新聞記事のコピーがあった。今と違って開業のお祝いムードはなく、特急「櫻」の廃止や 貨物列車の増強など、戦時下の切迫した雰囲気が伝わってきた。


門司港の象徴であるレトロな駅舎。

門司港7:25発〜黒崎7:54着 きらめき1号

 門司港からは特急で黒崎へ向かう。そんな短い距離で特急とは贅沢な気もするが、JR九州の特急料金は安く、25km以下の 自由席特急料金は何と300円である。門司港から黒崎まではぎりぎり25kmに納まるので、これは特急を使わない手はないと思い、 「きらめき」号に乗る。783系特急型車両の編成を後ろから順に眺めていくと、かもめ編成、みどり編成、 そしてハウステンボス編成とつながっている。普段長崎本線では見られない編成だ。一番前の車両に乗り込むと、 さすがに誰も乗っていなかった。
 門司、小倉、戸畑と停車しながら進む。これだけ乗っても同じ北九州市内なのだから驚きだ。 最近は広域合併でとんでもなく広い市が増えたので珍しいことではないが。


朝食代わりの「無法松べんとう」。ご飯がおこわなので腹が膨れる。

黒崎駅前〜筑豊直方 筑豊電鉄

 黒崎駅を出て、筑豊電鉄の乗り場へ急ぐ。エスカレーターなどを乗り継いで歩くと、結構時間がかかった。 既にホームに列車が到着していたので、乗る。車両は2両編成で、学生などで結構混みあっている。 運転士のほかに列車には車掌が乗務し、両替などの業務を行う。また、料金の収集も車掌が行うようだ。
 黒崎を発車し、すぐに(おそらく200mぐらいで)西黒崎に到着。次の熊西まではかつての路面電車の線路を引き継いでいるので 駅間が短いが、それ以降は郊外電車並みの駅間になった。駅間が長い分列車は結構飛ばす。最高速度は60km/h程度だが、 吊り掛け式の路面電車なのでそれ以上のスピード感がある。福岡を目指す高速鉄道として構想されたというだけある。
 ところで、列車には2人の車掌が乗務していたが、見習いと指導員という関係のようで、基本的には見習いの人が一人で業務をしていた。 見習いだけあって結構危なっかしく、車両前方に両替をしに行くうちに駅についてしまったり(指導員が代わりに車内放送をしていた)、 発車しかけの列車のドアを開けたり(慌てて列車が急停車した)と、色々ハプニングがあった。
 筑豊香月を過ぎたあたりから市街地が途切れ、田畑が目立つようになった。たくさんの小学生を乗せてとことこ進み (途中駅で大挙して降りていった。何だったのだろうか?)、遠賀川を古びた鉄橋で渡って、終点の筑豊直方に到着。 将来博多方面に延伸する際、前方にある筑豊本線を乗り越えることを意識していたのか、高架駅となっている。
 直方からは筑豊本線で折尾に引き返すことにしている。筑豊直方駅からJRの直方駅までは徒歩10分ほどということで、歩く。 途中、非常に寂れたアーケード街を歩いた。地方にありがちな「シャッター通り」で、営業している店の方が少なそうだった。 新しい店もなく、何かそこだけ時が止まっているかのような光景だった。が、のんびり歩いていると時間がなくなってきた。 駅に着くともう発車1分前である。昨日の「乗り遅れ未遂」が頭をよぎる。大慌てで切符を買い、ホームへダッシュする。

直方8:44発〜折尾9:07着

 ホームへ向かうと、乗る予定の気動車が停まっている(これから乗る列車は、電化された直方付近には珍しい気動車なのだ)。 だが、ホームの電光掲示板を見ると、とうに発車したはずの列車が表示されている。乗った列車も全然発車しないので、 本当にこの列車でいいのか不安になる。そこで運転士に尋ねると、この列車でいいとのこと。結局、2分遅れで直方を発車した。 ちなみにこの日は、篠栗線内での車両故障の影響でダイヤが乱れていたようだ。
 列車は空いていた。途中から乗ってくる人も少なく折尾に到着。古びた折尾の駅を観察してみる。直方方面から鹿児島本線の直通する列車は 駅本屋とは別の「離れ」のようなホームから発車するのが面白い。とはいえ利便性は良くないので、駅の改造工事が行われ、 今の状態は解消されることになるようだ。
 折尾といえばかしわめしの駅弁も名物だ。改札横の売店で一つ買い求める。 また、立ち売りも健在で、立ち売りをする販売員の姿も見られた。


門司港に負けないぐらいレトロな折尾駅舎。

折尾9:32発〜博多10:02着 ソニック10号

 今回の旅の目的の一つは、JR九州の個性的な特急型車両に乗車することである。先程は783系「きらめき」に乗ったが、 今度は折尾からソニック号で博多をめざす。時刻表を見ると今度の列車は5両編成とのことで、混んでいないか心配だったが、 電光掲示板を見ると7両で来るようだ。連休で編成を増強しているのだろうか。
 やってきたソニック号の自由席に乗り込む。リニューアル後に乗車するのは初めてだ。 入り口付近のブルーメタリックの内装は健在だったが、客室内は白基調に変更され、ド派手だった座席の「耳」も大人しい色に変わっていた。 車両中央付近に残っていた窓側の席に座ると、シートピッチがそこだけ妙に広いことに気づく。 改装前のソニックには「センターブース」という団体客向けのボックスシートがあったのだが、それが撤去され普通の座席に変更された名残のようだ。 座ってみると、意外に乗りごこちがいい。特に「耳」の部分が頭をホールドしてくれ、頭の位置が落ち着く。 デザイン性ばかりでなく、機能的にもしっかり考えられている点が素晴らしい。

 列車は振り子式なので、車体を激しく揺らしながら進む。トイレに行くのも一苦労だ。折尾から わずか30分、乗り心地を味わう間もなく博多に着いた。


内装は白ベースに変更され、落ち着きが増した。ガラス張りの貫通路は以前のまま。


以前より濃いブルーの装いに変更されたソニック号。

博多10:17発〜大分13:13着 ゆふいんの森3号

 次に乗車するのは、JR九州の観光列車としては古い歴史を持つ「ゆふいんの森」である。 何故か焼きたてのパンの匂いが立ちこめる博多駅のホームから、ゆふいんの森号に乗り込む。 車内はハイデッカー構造となっており、入り口から階段を3段ほど上がって座席にたどり着いた。 早速車内を観察してみる。乗車した3号車前方はフリースペースとなっており、木製の机・いす・本棚が設置されている。 本棚には時刻表や湯布院観光ガイドが並んでいた。さらに前のほうに行き、2号車に行くとカフェテリアがある。 カウンターにはダンボールなどが並び、客室乗務員が準備をしていた。車内の床は木張りとなっている。JR九州の特急車には採用例が多いが、 このゆふいんの森登場時には画期的なことだったに違いない。

 一通り観察し終えたところで博多を発車する。乗車率は5割程度といったところで、平日としてはまずまずだ。 発車してしばらく、客室乗務員の女性がマイクを片手にやってきた。車両の入り口のところにマイクを差す口があり、 そこにマイクを差し込んでご挨拶。このあたり、列車というより観光バスのノリに近い。
 座席のポケットにはカフェテリアで注文できる食事のメニューあった。見てみると、列車のカフェテリアとは思えないほど メニューが豊富だ。鳥栖を発車したところで営業を開始するというから早速行ってみる。 行ってみると、早くもカウンターには行列ができている。一番手間のかかりそうなあんかけ焼きそばを頼む人が多く、 客室乗務員は忙しそうだった。どうも処理能力を超える数の客が集まってきているようで、しばらくすると カフェテリアは人であふれかえる状態になってしまった。
 そんな中、車内でのみ販売するという(後日、博多駅で見たような気もするが)「ゆふいんの森弁当」とみかんジュースを購入。 さっき買った「かしわめし」が残っているが、せっかく列車名を冠した弁当なのだからその列車内で食べないのは野暮というものだろう。

 列車は久留米から分岐し、筑後川沿いをまっすぐ進む。南側には同じような高さの山並みが続く。耳納山脈という名前であるとの 案内が入る。途中、田主丸、うきはといったそこそこの規模の駅があるが、観光列車だけあって地元客は眼中にないのか、通過していく。 しばらくすると、両側の山が迫ってきて、筑後川沿いの谷を登っていく。しばらくして左から線路が寄り添ってきた。 昨日少しだけ乗った日田彦山線である。やがて列車は夜明駅を通過する。ここにやってきたのは2003年の九州乗りつぶし以来だ。 前回と比べて、駅周辺の様子に変わりは無いようだった。
 夜明からしばらく走ると日田に着く。久大本線沿線では最大の都市だけあって、 乗り降りする人は多い。相変わらず5割程度の乗車率を保ったまま日田を出る。日田を出るとますます細い渓流に沿って進む。 次の停車駅である天ヶ瀬を出てしばらくすると、右手に滝が見えるということで列車は減速した。見ると、三段ぐらいの 結構大きな滝が見えた。すると、間髪いれずに「慈恩の滝」という紙を持った客室乗務員がやってきた。 滝そのものよりも、わざわざ紙を準備しておくあたりの準備周到さに感心してしまった。
 しばらくするとやや土地が開け、目の前にテーブルマウンテンのような山が見えてきた。 この山はその形から「切株山」というのだという。確かに、切株の形だなと納得した。 このあたり、普通に乗車しているだけだと気づかずに通過してしまうことだろうし、案内してくれるとありがたい。 やがて列車は豊後森に到着。今はどこにでもあるような寂れたローカル駅だが、かつては機関区もあったという。 駅の横に、かつての機関区で使われた扇状庫が残っている。ガラスも割れており、保存というより放置といった状態だ。
 このあたりで、「ゆふいんの森」のボードと乗務員の帽子を持って客室乗務員が回ってきた。 「乗車記念の写真を撮りませんか」という 趣向のようで、子供連れの客などが撮影していた。さすがに一人で取ってもらうのは恥ずかしいので辞退したが、 JR九州の観光列車では同じようなサービスをやっているらしく、翌日何度も目にした。
 豊後森の次は、豊後中村に停車。この駅は臨時停車のようで、 最近観光客が押し寄せているという九重夢吊橋への最寄り駅だからという理由のようだ。 だが、吊橋までは駅からバスで50分もかかるらしく、ここでわざわざ降りて吊橋へ行くという人はいないようだった。 その次の野矢を通過すると列車は峠越えに差し掛かる。ここからにわかに天候が怪しくなってきた。霧雨が降っているようで、 車窓は真っ白で遠くにあるものは何も見えない。いくつかのトンネルで峠を抜けると、小雨の降る湯布院に到着する。 さすがに降りる人が多く、残る乗客は半分以下となった。
 湯布院を過ぎても、相変わらず天気が良くなく山にはガスがかかっている。 以前ここを通ったときは快晴で、由布岳がきれいに見えたのを 良く覚えているが、この日は全く見えなかった。全く見えないせいか、普段ならあるであろう観光案内放送もなかった。 湯布院を出てしばらくたったタイミングで、何故かおしぼりが配布された。途中忙しくて配る暇がなかったのだろうか?
 湯布院から下るにつれて天候は回復し、霧も晴れてきた。高架化工事が進む大分駅に到着する。


発車を待つ「ゆふいんの森」。


高級感が漂う車内アコモ。


1200円と高価なだけあって、具沢山なお弁当。

大分13:18発〜宮崎16:20着 にちりん13号

 大分ではわずか5分の連絡で次の列車に乗り継ぐ。ここから宮崎まで、にちりん号に乗車する。 しかも、奮発してグリーン車を予約しておいた。しかも車両はこの区間には珍しく783系である。 グリーン車は最前部にあり、前面展望が売りとなっている。ただし指定された席は3列目のため、座席越しの眺望となる。 客席に入ると、親子連れが一組いるだけだった。
 大分を発車し、まずは大分市内をまっすぐに走る。 しばらくすると、先ほどの久大本線と寄り添って流れる大分川を渡る。線路は単線ながらスピード感はなかなかのものだ。
 大分を発車してすぐ、検札が来た。だが今回は少しややこしい交渉をせねばならない。 大分から宮崎までは207kmで、200kmを越えるとグリーン料金は2450円と一気に高くなる。だが、大分から宮崎の手前の佐土原までなら 200kmを超えないため1530円、指定席に比べて1000円ほどの上乗せで済む。これならちょっと奮発してグリーン車でもいいかという気になる。 だが、このままだと佐土原から宮崎までは特急券がない状態となってしまう。特急券を買う際、一部区間はグリーン車、残りは自由席という 買い方は可能で、特急料金を通算することが可能だ。自由席特急料金で比較すると、200km未満の場合と200km超の場合の差額は 210円なので、その差額を払えばいいものと思われる。
 だが、使用を開始した特急券を変更できるかは分からないし、 もしかしたら、佐土原〜宮崎間の自由席券を新たに買えといわれるかもしれない。その場合も、料金は300円なのでたいした差ではないが、 どんな対応をされるか気になる。そもそもこんな乗り方自体「セコい」乗り方なので、なんとなく気まずいものがある。
 そんなことを気にしつつ車掌さんに申告すると、 差額210円を払えばよいとあっさり認めてくれた。しかも、宮崎までグリーン車に乗り続けていいという。 「1A,1Bは誰も来ないはずですから、誰か来た場合はそっちに座ってください」とのこと。 正規の料金を払っている人に申し訳ないのでやっぱり自由席に移ろうと思っていたが、面倒なので結局ご好意に甘える形で グリーン車に居座ってしまった。
 が、後になって改めて時刻表の営業案内を眺めていると、 別府〜宮崎間は乗車キロが200kmを超えていても200km未満のグリーン料金が適用されるそうだ。つまり、わざわざ佐土原までの グリーン券を買う必要はなかったわけだ。
 列車はやがて街から山間部に差し掛かる。しばらく行くと幸崎を通過する。かつてはこの幸崎までが電化され、 ここから先は非電化区間だったという境界の駅だったが、非常に静かな駅だ。ここから列車は何もない山奥を延々と進む。 佐伯ぐらいまではずっと海沿いを進むのだろうと思っていたので意外だった。ちなみに、この山越えで佐賀関半島を横切っているようだ。 その後も山の中を進み、ようやく海が見えてきたと思ったら臼杵に到着。石仏で有名な町で、ホームにも石仏風のモニュメントがある。
 臼杵を出ると、しばらく海沿いを走るが再び長いトンネルに入る。トンネルを抜けると海沿いの街・津久見に着く。 このあたりで見える海は一面の海原という感じではなく、海を挟んですぐ向こうに陸地が見える。 リアス式海岸で海岸線が入り組んでいるからだろう。海を眺めつつ、身を乗り出して前面展望を見つつ、そして 折尾で買った弁当を食べつつ進む。

 列車はやがて佐伯に着く。2年前はフェリーでここまでやってきたが、今回は列車であっさり通過する。 ここから先は日豊本線でも有数の閑散区間で、普通列車は一日に片手で数えるほどしか通らない。 リアス式で険しい海岸線を避け、山間部を走るため沿線人口が少ないのだ。それでも直川あたりまでは人の気配があるが、 そこから先は全くの無人地帯で、国道が併走するのみとなる。この日は天気が今ひとつで小雨が降っており、 山並みは霧にけぶっている。こんな日に無人地帯を通るとなんとも不気味で、早く抜けてほしいと思う。
 そういえば、グリーン車には例の親子以外誰も乗ってこない。車内販売もこなければ客室乗務員もいない。 大分以南の日豊本線は九州でも見捨てられた区間で、そういったサービスはないようだ。 それでも、客室乗務員の細やかなサービスが受けられる 鹿児島本線あたりの特急と同じグリーン料金を徴収されるわけで、理不尽な気がしないでもない。 まあ、もともと本州よりグリーン料金は 格段に安いので文句は言えないが。
 車窓はますます山深くなり、ほぼ無人地帯の重岡駅に停車。ここで上り特急と行き違う。 重岡あたりでサミットを超えたようで、ここからは下りとなる。 寄り添う川は次第に太さを増し、延岡の手前ではすっかり大河となっていた。 列車はようやく無人地帯を越え、延岡に到着。延岡からは大きな荷物を抱えた賑やかなおばちゃんが指定席に乗り込んできた。 宮崎空港にでも行くのだろうか。だが、グリーン車には誰も乗り込んでこない。「1A,1Bは空いている」との先程の車掌さんの弁によれば、 他の席には途中から誰か乗ってきそうなものだが、何だか変だ。ここから先、延岡ほど大きな町はない。
 相変わらず放置された高千穂鉄道の車両を見やりつつ、延岡を出発。 延岡を出てすぐ、五ヶ瀬川を渡る。2年前、この辺を歩き回ったので懐かしい。そういえばこのあたりで、 「にちりん」が竜巻で横転した事故があったなと思いつつ、南延岡に着く。旭化成の企業城下町で、複雑に張り巡らされた パイプラインが駅から見える。一部のパイプラインは線路の上をまたぐように延びている。
 列車は時折海を見つつ、南下する。まもなく日向市に到着。高架化され、以前とは装いを一新していた。 さらに進むと、古びた高架橋が見えてくる。かつてのリニアモーターカー実験線の跡だ。 海岸線がまっすぐで、かつ何もないのでこの場所が選ばれたのだろう。山手には断崖、海側はすぐ海が広がっている。 とはいえ、本当に何もないわけではなく、地図を確認すると崖の上には集落もあるようだ。
 小丸川、一ツ瀬川と、川幅の広い川を渡ると佐土原に着く。結局、グリーン車には最後まで誰も乗ってこなかった。 どうやら、1A,1Bが空いているというのは、車掌が管理する「調整席」(予約が重複したときなどに案内する席)という意味であり、 そこだけ予約が入っていないという意味ではなかったようだ。 件の親子連れに遠慮したというのもあったが、これなら先頭の1A席に座ってしまえばよかったなと思った。 最後は高架橋を渡り、南国らしく派手な内装の宮崎駅に到着した。

 宮崎では1時間強時間があるので、駅の外に出てみる。宮崎の街を歩くのは初めてだが、それほど時間もないので 今はやりのスポットということで県庁まで歩いてみる。県庁は古い建物というだけで大して見所はなかったが、結構観光客は多かった。


折尾で購入したかしわめし。 かしわめしだけでなくおかずも豊富でボリュームがある。かしわめしのほうは、鶏肉が結構濃い味付けだったのが意外だった。 とはいえ有名な駅弁だけあって、さすがに味は上々だった。


宮崎に着いた783系特急にちりん。 列車はここからさらに先、宮崎空港を目指す。

宮崎17:32発〜鹿児島19:32着 きりしま13号

 バスで宮崎駅に戻り(まだ床が木張りの車両だった)、駅構内を歩く。駅構内には駅弁屋があるが、 腹いっぱいで買う気が起きないので、名物の青島ういろうを買う。300円ちょっとだったと思うが、結構量が多かった。 本日最後の列車は、鹿児島中央行ききりしま号である。ローカル特急らしく3両の短い編成である。 禁煙自由席の2号車は、発車までに窓側の席がほぼ埋まった。見たところ、通勤帰りの客が多そうだ。

 宮崎を出て、次の南宮崎でさらに客を乗せる。驚いたのは、南宮崎で早くも降りる客がいたこと。よく考えると、 宮崎〜宮崎空港間はどの特急も特急料金不要なので別に普通のことなのだった。
 清武を過ぎ、ちょっとした山越えとなる。このあたりの農村を以前見たときは、天気が良かったこともあいまって 桃源郷のように見えたものだが、今日は天気が悪いせいか薄暗く、何だか寂しい光景に感じられた。 そんな地帯を抜け、都城に到着。昔ながらの雰囲気の駅だ。ここで下車する人は結構多かった。 その次は一転して近代的な高架駅である西都城。志布志線の廃線跡を確認することができた。
 再び山に入り、秘境駅にランキングされそうな大隈大河原を通過。寂しげな山岳地帯を進み、霧島神宮に停車。 特急停車駅としてはあまりに寂しい駅だが、案外乗り降りする人はいた。山を駆け下り、国分・隼人・加治木と連続停車。 ホームで普通列車を待つ学生たちを尻目に、列車は進む。この先、鹿児島までは桜島と錦江湾が見える絶景ポイントだが、 時間が時間だけに何も見えない。絶景は明日のお楽しみである。鹿児島駅に着いたところで、下車した。


「きりしま」の車両は、グリーンのタイプとハウステンボス号のような派手なタイプがある。

鹿児島〜高見橋 鹿児島市交通局

 鹿児島駅は鹿児島駅の代表駅かと思いがちだが、ターミナル機能は隣の鹿児島中央駅に譲っており、実質的にはただの中間駅である。 とはいえ、駅前には市電が乗り入れてきている。今日の宿は鹿児島中央から程近い高見橋電停の近くなので、 そこまで市電に乗ってみることにした。
 鹿児島駅前からしばらく走り、鹿児島位置の繁華街である天文館を通過する。 デパートがいくつもあり、鹿児島はこんな大都市なのかと驚いた。今まで鹿児島は列車で通過するばかりだったが、意外だった。 高見橋電停で下車し、投宿。