2015/8/12
東京8:40発〜仙台10:15着 はやぶさ7号
仙台10:40発〜小牛田11:25着
東京駅はお盆の帰省客で混雑していた。これから乗車するはやぶさ7号は、発車5分前になってもドアが開かず、多くの客が列をなして待っている。
その横に停車していた「はくたか」も、多くの客を乗せて発車していった。
発車3分前にようやく列車に乗り込む。デッキには早くも立ち客が出る。
この指定席を取ろうと思い立ったのは発車の2日前、当然全席満席であり、えきねっとで空席が出ていないかをしつこく確認して何とか指定席を確保した。
それでも窓際のE席が取れたのは幸いだった。当然ながら、大宮駅ではすべての座席が埋まった。
この日はやや曇りがちで、秩父や日光の山々は見えなかった。那須塩原を過ぎるといくつもトンネルを通過しつつ、福島県から宮城県へと進む。
周囲にビルが急に増えてきたところで減速、やがて仙台駅に到着する。
仙台にやってきたのは東日本大震災以降初めてである。
仙台では仙石線や東北仙石ラインとの接続が悪く、東北本線と石巻線を乗り継いで女川に向かう。
東北本線の小牛田行きはE721系と701系の4連だったが、これもお盆のせいか混んでいた。セミクロスシートのE721系の方に乗る。
その後も続々と客が乗ってきて、立ち客も出る状況で仙台を出発。
仙台を発車して、しばらくは市街地を進む。仙台車両センターの脇を過ぎるとだんだん田舎びてきて、利府支線と分かれる岩切に到着。
しかし、ここで降りる客は案外多くなかった。陸前山王、国府多賀城と短いペースで停車するが、
塩釜を過ぎると急に間隔が長くなり、隣の松島までは10分近くかかる。この辺では、すぐ横に仙石線が寄り添ってくる。
また、トンネルの合間に松島が拝め、車窓的にはなかなか面白いところだ。
松島から先は平野となり、一面の水田の中を進む。やがて、終点の小牛田に到着。
意外にも、車内の客は最後まで多かった。どうも一ノ関方面に乗り継ぐ客が多いらしい。
小牛田11:33発〜女川12:49着
小牛田は東北本線から陸羽東線、石巻線が分かれるターミナルだ。
小牛田までやってきた客はここで3方向へ分かれることになるが、石巻線に乗り継ぐ客はそれほど多くなく、
2両のキハ110の座席が軽く埋まる程度の客しかいない。これから、2003年以来12年ぶりに石巻線に乗ろうと思う。
一ノ関方面からの列車がやや遅れていたため、数分遅れで小牛田を発車。
引き続き水田の中を進む。2つ目の涌谷ではもともと3分停車することになっているが、発車時間を過ぎてもなかなか発車しない。
どうしたのだろうと思っていると、ディーゼル機関車に牽引された貨物列車がやってきた。ローカル線ではとうに絶滅したと思っていた貨物列車だが、
ここ石巻線ではまだ健在なのだった。
前谷地で気仙沼線(ただし、途中の柳津までの運転)と分かれ、途中駅で石巻に向かう客を少しずつ乗せながら進む。
夏休みだからか、乗客は案外若者が多い。鹿又という駅を過ぎると、高速道路が寄り添ってくる。整備が進みつつある三陸道だ。
津波で被災した気仙沼線や大船渡線はいまだに本格復旧の見通しは立っていないが、
三陸道は着々と整備が進んでいるようで、力の入れようが違うことを実感させられる。
やがて周囲が市街地となり、仙石線と合流すると石巻駅に到着する。
駅構内も津波で浸水したと聞くが、少なくとも車窓からはその痕跡は見当たらなかった。
石巻では10分ほど停車するが、この間に乗客はほとんど入れ替わる。女川方面に向かう客もそれなりに多く、座席は一通り埋まる。
石巻を出ると、程なく古い鉄橋で北上川を渡る。この時、列車は大きく減速する。震災の影響で橋の耐久力が落ちているのだろうか。
トンネルで山を越え、その名も「万石浦」という駅を過ぎると、列車は万石浦に沿って進む。
万石浦は細い水道を介して海とつながっている入江で、水面は穏やかでまるで湖のようだ。
外海と直接つながっていないため津波の被害は少なかったようだが、地震の影響で地盤沈下が起き、対策として堤防がかさ上げされていた。
浦宿を出ると万石浦と分かれ、山へと分け入っていく。最後は短いトンネルを超えて、終点の女川に到着。
女川13:20発〜石巻13:47着
女川駅は、周囲を山の囲まれた高台に再建されていた。
かつて線路はここからもう少し海沿いの方まで延びていて、駅から少し歩くとすぐに海にたどり着くことができた。
12年前に訪れた時も、海まで歩いたことを覚えている。
しかし、太平洋に面している女川は津波で甚大な被害を受けた。
女川駅周辺もビルが押し流され、駅に停車していた気動車が数十mも流されてしまった。テレビでも何度も紹介されていたので、
覚えている方も多いだろう。
震災から4年以上が経ち、被害の痕跡は消え、町の再建も着実に進みつつあるようだった。
駅前には温泉施設を備えた立派な建物ができ、駅周辺には商店街の建設が進んでいた。
津波で押し流された低地は軒並みかさ上げが進み、駅から浜辺まではずいぶん距離が遠くなったと感じられた。
工事の進む駅周辺を一通り歩いた後、折り返しの列車で石巻に戻る。
帰りは若者のグループなども乗り、行きよりも混んでいた。
石巻13:58発〜仙台15:03着
石巻からは、いよいよ本題の仙石東北ラインに乗る。仙石線は直流電化、東北本線は交流電化と電化方式が違うので、
仙台地区の既存車両ではこの2線を直通することはできない。そこで、HB-E210系という気動車が投入された。
これはハイブリッド気動車といって、従来車のようにディーゼルエンジンで直接車輪を駆動するのではなく、
エンジンで発電機を回して、その電力で電車同様モーターを回すようになっている。そのため、起動時などは電車並みに静かだ。
車内はE721系のようなセミクロスシートだが、意外と混んでいた。そこで、先頭のロングシート部分に座る。
その後も石巻線から乗り換えてきた客で混雑は増し、座席が7割がた埋まったところで石巻を発車する。
石巻を発車し、しばらくは市街地を進む。この辺りの駅は乗客が多いためが、ほぼ各駅に停車する。
次第に座席も埋まり、立つ人も出てきた。やがて、自衛隊の松島基地の脇にある矢本に到着。
このあたりからあたりは水田が目立ってくる。
陸前小野を過ぎると、列車は真新しい高架を進む。そして、高度を上げながら真新しい橋で鳴瀬川を渡る。
ここから先は、津波で浸水した野蒜地区を避けて線路の付け替えが行われた。
野蒜といえば、たまたま居合わせた205系が津波の直撃を受けて流された映像を記憶している方も多いだろう。
その現場を避けるように野蒜駅は高台の上に再建された。まだ駅を作っただけといってもいい状況のようで、
駅前にはわずかな空き地と山林が広がるばかりである。
その次の東名も移転したが、駅の周囲の開発はまだまだであるようだった。次の陸前大塚からは従来の線路に戻り、
松島湾沿いを進むが、ここも堤防のかさ上げが行われていた。
しばらく走ると松島の市街に入り、高城町に停車する。
高城町から、いよいよ新設の連絡線に入る。列車は駅を出てしばらく仙石線の線路を進むと、
連絡線との分岐点の前でいったん停車。信号が変わって再び走り始めると、連絡線上で再び停車する。
連絡線は4両編成がすっぽり収まるほどの長さがあった。東北本線、仙石線どちらかのダイヤが乱れた場合、
列車がここで時間調整をできるようにするためだろう。しばらく停車後、再び信号が変わって東北本線に進入する。
ちなみに、この分岐点は松島駅の構内扱いとなっているが、松島駅のホームからは離れており、列車が松島駅に停車することはない。
あとは東北本線を進み、仙台へ戻る。途中駅からの乗車は多く、最後はラッシュ時並みの乗車率となった。
お盆だからか、家族連れの客がやたらと多かった。
仙台15:30発〜東京17:04着 こまち22号
仙台からは「こまち」で東京に戻る。これも予約を取ろうとしたときは満席だったが、幸運にも座席を確保できた。
E6系に乗るのは初めてだったが、
実際に乗ってみると、座席そのものは先程の「はやぶさ」と変わらないものの、シートピッチが明らかに狭い。
車両が在来線規格とあって、シートピッチも在来線特急並みであるようだ。
東京〜仙台間など、「はやぶさ」「こまち」が併結して走る区間では、なるべくはやぶさ編成の方を選ぶほうがよさそうだ。
ともかく、1時間半の乗車で東京へ帰着。仙台では今冬、地下鉄の新線が開業予定であり、また乗りにいかねばならない。
2016年春に開業する北海道新幹線とセットで乗りに行ければと思うが、実際に行けるのはいつになるだろうか。