最終更新日:2021/1/4

JR九州完乗:三日目―日田彦山線・久大本線・豊肥本線・肥薩線、ジグザグ南下

目次

2003/3/12

博多6:32発〜原田7:04着 2325M 415(4)

 前日までの疲れからか、ドリームにちりんの車内では実によく眠った。途中、小倉で方向転換するときと、 数年前新線に切り替わったスペースワールド付近を通過する時に目を覚ましたぐらいで、あとは全く記憶が無い。
 そんなわけで朝6時過ぎに博多駅に降り立ったが、休む間もなく次の列車に乗る。 まずは筑豊本線の乗り残し区間を消化するため、鹿児島本線の普通列車で原田に向かう。

原田7:07発〜桂川7:33着 6622D キハ125(1)

 やや古びた原田駅のプラットホームに降り立つと、目の前に単行の気動車が停車していた。 筑豊本線の桂川行きである。「原田線」とも呼ばれる筑豊本線のこの区間は列車の本数が非常に少なく、 乗りつぶしプラン作成のちょっとしたネックとなった区間だ。 ただ、昔から寂れていたわけではなく、昔はこの区間をブルートレインが走るなど、 筑豊本線の一部として機能していたようだ。だが、筑豊の炭鉱が寂れた上、 筑豊と博多を直結する篠栗線が開業して以来、この区間は貨客の流動から外れてしまい、今の形になったのだろう。
 原田を発車し、人気の少ない山中を走る。途中の駅もホームは長いものの屋根も無く、うらぶれた感じが出ている。 やがて、冷水峠をトンネルで通過する。朝もやのせいか、トンネルには水蒸気がたまっている。 原田から30分足らずで桂川に着いた。


筑豊本線末端部は、わずか1両のキハ125で運転される。

桂川7:46発〜新飯塚7:56着 2622M 813(3)

 山間の小駅といった感じの桂川駅で少し待ち、筑豊本線で東へ向かう。 今度の列車は通勤通学の人たちでそこそこ賑わっており、今まで乗ってきた原田線の閑散ぶりが嘘のようだ。 新飯塚の駅で再び乗り換える。


一部の813系もブラックフェイスに装いを改め、篠栗線に投入された。

新飯塚8:18発〜田川後藤寺8:42着 1541D キハ140(1)

 新飯塚からは後藤寺線に乗る。 かつて筑豊には、筑豊本線、鹿児島本線、日田彦山線に絡まるように無数の支線が存在した。 炭鉱の衰退と国鉄改革によりそのほとんどが姿を消すか三セクに転換したが、 後藤寺線はその支線群の数少ない生き残りとしていまだ健在である。 おそらく、主要都市である田川と博多方面を短絡する路線として重要性が認められたからだろう。
 新飯塚を出て、しばらくは丘陵の合間をとぼとぼと進む。が、路線の半分ほどまで来た所で短いトンネルを抜けると、 異様な光景が目の前に現れた。巨大なセメント工場が山を削り、あたり一面がセメントの粉で真っ白になっている。 しばらく走ると工場に隣接して駅があるが、駅舎やホームも何だか白っぽいように見えた。 周囲に民家などはあまりなさそうだったが、公害などの問題はないのかと思うほど異様な光景だった。 平凡な路線に突如そんな光景が現れたので、妙に印象に残った。

田川後藤寺9:13発〜日田10:17着 933D キハ147(2)

 田川後藤寺では少し時間があるので、構内をうろついてみる。駅舎は小ぶりながら新しく、 液晶ディスプレイを用いた発車案内板もあった。プラットホームは昔ながらで、 普段せいぜい2連ぐらいの列車しか来ないであろう日田彦山線のホームは非常に長く、かつての栄光がしのばれる。 また、この駅は日田彦山線、後藤寺線だけでなく第三セクターの平成筑豊鉄道も乗り入れており、その専用ホームもあった。
 やがて2両編成のキハ40がやってきたので、乗る。午前の中途半端な時間帯だけあって車内は空いていた。 列車は筑豊に別れを告げ、南へと進む。彦山川に沿ってどんどん上っていき、彦山駅に着いた。 彦山駅は彦山神社という由緒ある神社の玄関口で、駅舎が朱塗りになっているなどその雰囲気を醸し出している。 が、駅には全く人影が無く、朱塗りの建物が何だか不気味に見えた。
 彦山を出ると川はより険しくなり、山が迫ってきた。やがて、長い長いトンネルに入る。 この区間が開通したのは戦後になってからのことなので、トンネルも長大である。 このトンネルの開通で日田彦山線が全通し、北九州と日田地方が結ばれたのだが、 やはり九州の中心である博多を経由しないせいか流動が少なく、どちらかというと地味な線区となっている。
 トンネルを抜けると、今度は一気に下りとなる。途中、大行司、宝珠山、夜明とユニークな駅名が続く。 夜明から久大本線に乗り入れ、日田へ。下車した客は病院通いのお年寄りなどが多い。 日田では20分ほど待ち時間があったが、急遽東京に電話したりせねばならず、落ち着かなかった。


田川後藤寺で発車を待つ平成筑豊鉄道の車両。

日田10:40発〜湯布院11:33着 7001D ゆふいんの森1号 キハ72(4)

 日田駅のホームで待っていると、「ゆふいんの森」号が入線して来た。 この列車に使われる車両は、国鉄末期からJR初期に流行した「ジョイフルトレイン」の流れを汲んでおり、 ハイデッカー、木張りの内装、パーサー乗務、売店コーナーつきと、とにかく豪華な列車となっている。 このような豪華車両が定期列車として用いられている例は他社ではあまり無いが、 JR九州では他にもいくつかこのような観光列車を走らせている。
 そんな列車に乗り込むと、車内だけでなく貫通路部分もハイデッカーになっているため、 ドアの目の前に高さ数十センチの通路が現れる形となる。こんな列車に乗るのは初めてだ。観光客の目立つ車内に乗り込み、 筑後川沿いに走る線路から車窓を眺める。もっとも、車両のインパクトが強烈過ぎて、 車窓はあまり印象に残っていない。ちなみにこの列車は全車指定席となっており、 指定席券が無いと乗車できない。そのため、夜行列車の座席と共にこの列車の指定席は真っ先に確保した。 この列車に乗りそこなうと、このあとのプランががたがたになってしまうのだ。
 トンネルで分水嶺を抜けると、この列車の終点の由布院に着く。日田からは一時間弱だった。 途中車内を色々覗いたりしていたので、列車の乗り心地を十分満喫とはいかなかった。


由布院の山々をバックに、ゆふいんの森号を写す。

湯布院11:40発〜大分12:40着 4853D キハ31(1)

 由布院駅からは普通列車で大分を目指す。今度の列車はキハ31の単行。国鉄末期に投入された車両で、 新幹線0系から流用した転換クロスシートを備えている。さっきの特急はそこそこ客がいたが、 みな由布院を目指していたようで、こちらに乗り継いでくる人はあまりいなかった。
 由布院を発車した列車は、S字を描くように蛇行しながら下っていく。 途中、正面に雄大な由布岳が見える場所もあった。しばらく下り、南由布を過ぎるとあとは大分川沿いに淡々と下る。 ちょうど一時間で大分に着く。今日は1時間程度の短い乗車ばかりで乗換えが多く、せわしない。


大分駅では、今回乗車することのなかった特急「ソニック」を目撃。

大分13:11発〜熊本15:51着 74D あそ4号 キハ185(3)

 大分駅で駅弁や土産を買った後、別府からやってきた特急「あそ」に乗り込む。 車両はJR四国から購入したというキハ185で、グリーン車はついていない。 せっかくグリーン車に乗り放題の切符を持っているのだが、 昨日も今日も夜行列車以外グリーン車に乗る機会が無く、勿体無い。
 朝から何も食べていないので、発車するとまず駅弁を食べる。買ったのは椎茸弁当で、 その名の通り大分名産の椎茸を中心とした弁当なのだが、椎茸のぬか漬けというのが入っていて、これが妙な味がした。
 駅弁を食べると、夜行続きで睡眠不足が続いているため、急激に眠気が襲ってきた。 途中、「荒城の月」のテープが停車中に延々と流れる豊後竹田あたりまでは辛うじて記憶があるが、 その後はずっと夢の中で、目が覚めると阿蘇山や立野のスイッチバックはとうに通り過ぎ、 もう熊本の近くだった。豊肥本線でも最も景色の良い区間を見事に見逃してしまった。


乗り心地のよさからか(?)、あそ号では熟睡してしまった。

熊本16:06発〜三角16:54着 541D キハ47(2)

 熊本からは三角行きに乗車する。これから乗る三角線は短いながらもプラン作成上結構厄介で、 主に八代方面への接続が悪く大いに悩まされた。今回のプランのように久大本線、豊肥本線、 肥薩線と九州横断路線を走破する途中に三角線を持ってくるのが一番効率がいいのだが、組み込むのに大いに苦労した。
 学校帰りに生徒を乗せて熊本駅を発車し、まずは鹿児島本線を宇土まで南下する。 宇土でいよいよ三角線へ入り、西へと方向を変える。しばらくすると海沿いぎりぎりの所を走り出した。 このまま海沿いを進むのかと思っていたら、途中からいきなり高度を上げ始めた。 海からやや離れた山の中にある赤瀬駅を出るといきなりトンネルに入る。 こんな小さな半島を進む路線で峠越えを経験するとは思わなかった。次の駅は石打ダム。 確かにダムがあってもおかしくない山の中だ。あとは坂を駆け下り、再び海沿いに出ると終点の三角に到着。
 三角は天草への玄関口となる港町だ。最近は天草まで道路が開通し、 玄関口としての機能は低下しているようだが、駅前には客待ちのタクシーが何台も待機し、 運転手が列車を降りた客に声をかけている。こんな光景は最近なかなか見られなくなった。 そんな玄関口らしい光景をしばし見ていたが、折り返し時間はわずか6分しかない。 駅員さんにやや気恥ずかしい思いで豪遊券を見せ、列車に戻った。

三角17:00発〜宇土17:37着 542D キハ47(2)

 今乗ってきたのと同じ車両で、宇土まで引換す。同じ光景をまた見なければならないというのが盲腸線乗りつぶしの宿命だ。 ぼんやりと島原湾を眺めていると、日が暮れてきた。

宇土17:51発〜八代18:12着 5361M 815(2)

 夕暮れが迫る宇土駅でしばらく待つ。この駅は昔ながらの駅舎がまだ残っており、 そこを学生たちが時折通過していく。
 やがて、八代行きの普通列車がやってきたので乗り換える。 やってきたのは815系で、車内はロングシートだ。乗車してみると車内は真新しく、 内装もJR九州の他の新型車両と同様非常に凝っていて、関東や関西の通勤電車に乗りなれていると非常に斬新に見える。 だが、ロングシート車が熊本近辺の割と長距離の普通列車の大半を占めているのは事実で、 苦情は出ないのかなと思う。同じくロングシート主体の、東北地方の701系は色々言われているのに対し、 この815系に対する不評は全くといっていいほど聞かないが。
 八代に着く頃には6時を過ぎ、すっかり暗くなっていた。

八代18:16発〜人吉19:33着 1245D キハ140(1)

 八代駅の肥薩線乗り場は、駅舎から妙に離れた場所にあった。乗り換え時間が少ないので、急ぎ足になる。
 八代を発車し、しばらく鹿児島本線の海側を走る。そのうち、単線の鹿児島本線が肥薩線を乗り越していった。 肥薩線のほうが鹿児島本線より先輩格にあたることの何よりの証拠である。 やがて、列車は谷いっぱいに流れる球磨川の崖っぷちを走る。 もう暗くて風景は見えないが、対岸には明かりは全くといっていいほど無い。時折集落が現れると、駅があって列車が停車する。 こんな球磨川の渓谷を1時間以上も延々と走り、人吉に着いた。

人吉19:38発〜吉松20:38着 1247D キハ31(1)

 人吉では、先ほど久大線で乗ったのと同じキハ31が待っていた。 ただ、今度の列車は転換クロスシートの部分に畳を敷き、簡易お座敷列車になっている。 この区間は乗客は少ないものの、車窓は素晴らしいためこのような仕様になっている。
 わずかな地元の人と、数名の鉄道マニアを乗せ人吉を発車する。 最初の停車駅は大畑。スイッチバックで有名な駅だ。少し停車するので駅舎を見に行くが、 闇夜に浮かぶ古い駅舎は幽霊屋敷のようでなんとも不気味だった。 車内では観光列車らしく、自動放送で沿線の観光案内が流れる。 日本三大車窓と呼ばれる眺望についても説明があったが、闇夜で見られないのが残念だ。 途中、山の神トンネルというトンネルの解説があった。 終戦直後、ここでは列車事故があって復員軍人がトンネル内で多数犠牲になったという。 こんな夜中にそんな話を聞かされ、何だか背中が薄ら寒かった。

吉松21:04発〜西鹿児島21:56着 2937D キハ58(2)

 吉松でしばらく待ち、西鹿児島行きに乗り換える。もはや外は何も見えない。 がらがらの車内で、ただひたすら西鹿児島に着くのを待つ。

西鹿児島23:45発〜博多5:46着 92M ドリームつばめ 787(7)

 西鹿児島に着いた時点では、これからの行動をどうするかをまだ決めかねていた。 案としては2つあり、一つは西鹿児島で宿泊する案。ただし、これだと明日の予定がかなり詰まってしまう。 もう一つは、この後のドリームつばめで寝ながら博多へ向かう案。疲労はたまるが、明日の予定には余裕が出来る。 かなり悩んだが、体力的にまだ大丈夫そうなのと(若いな)、 宿代がもったいないというのもあって、結局夜行に乗ることにした。
 ということで、2度目のドリームつばめに乗る。 西鹿児島を出て伊集院に着いたところで、昨日乗り残した鹿児島本線の末端区間を完乗した。 それだけ確認し、眠りにつく。