最終更新日:2021/1/4

九州完乗:二日目―豪遊券でグリーン車堪能&指宿枕崎線・吉都線・日南線に乗る

目次

2003/3/11

博多0:06発〜伊集院5:41着 91M ドリームつばめ 787(7)

 いよいよ「豪遊券」を使う時が来た。早速「ドリームつばめ」のグリーン車に乗車、豪遊券の効力を遺憾なく発揮する。 実はグリーン車に乗車するのはこのとき初めてだったため、非常に楽しみだ。 ドリームつばめは787系での運転で、グリーン車は先頭車の半室となっている。 乗車してみると、グリーン車だけあって座席は非常にどっしりしたもので、 リクライニング角度も十分、夜行高速バス以上に快適だ。毛布のサービスもあり、これなら快適な夜が過ごせそうだ。 この列車は鳥栖や大牟田あたりへの終列車にもなっており、最初のうちは通勤客で結構込み合うのだが、 グリーン車は混雑とは無縁で、とても静かだ。乗客は座席が半分埋まる程度いる。
 という訳で、発車してすぐはグリーン車の乗り心地に酔いしれていたが、 流石に疲労がたまっており、久留米を過ぎたあたりで眠ってしまった。


今夜の宿となる「ドリームつばめ」。

伊集院5:47発〜枕崎7:30着 鹿児島交通バス

 目を覚ますと、伊集院に到着する5分ほど前だった。 程なくセットしておいた携帯のバイブが鳴り始めた。 個人的な話だが、中学校以来毎日のように通学や通勤で電車を利用しているのに、 今まで寝過ごしたことは2、3回しかない。 その2、3回もせいぜい1駅か2駅乗り過ごしただけで、うち1回は徹夜明けだった。 よく笑い話で中央線で寝過ごしてしまい高尾とか大月とかに行ってしまったという話を聞くが、 何故そこまで寝過ごすか全く理解できないでいる。
 話が逸れたが、とにかく伊集院で下車。この日は指宿枕崎線完乗をすべく、バスで枕崎へ向かう。 このバスのルートには、元々鹿児島交通という私鉄が走っていた。 地方の私鉄ということで経営基盤が弱く、既に廃止されてしまったが、 ルート的にもなぜ国鉄に組み入れられなかったのかと思う。 指宿枕崎線に編入されていればきっと生き残っていたであろう。
 伊集院の駅頭のバス停でバスを待つ。バス停には5人ぐらいの客が居た。 ぱっと見た所、地元の人と完乗目当ての鉄道ファンがほぼ半分といった感じだ。 もう春分が近いというのに、この時間でも外は真っ暗だ。さすが南九州は日の出が遅い。 しかも、朝とはいえ鹿児島というイメージからは程遠い寒さで、息が白い。
 発車時間間際にようやくやってきた路線バスに乗り込み、枕崎を目指す。バスはいきなり山の中に入ると、 峠を越えて東シナ海沿岸に出る。この辺でようやく外が明るくなってきた。
 しばらく平地を走り、「伊作駅」というバス停に着いた。 おそらく鹿児島交通の駅跡であろう。鉄道施設は何も残っていないようだが、 バス停の周りは広場となっており、おそらく元は駅前広場だったと思われる。
 さらにしばらく進むと、今度は「加世田駅」というバス停に着いた。 加世田は鹿児島交通の拠点駅で、かつてはここから支線が分岐していた。 ここは拠点だけあって広場も伊作駅より広く、かつて使われていたであろうSLも飾られている。 鹿児島交通の記念館もあるようだ。 今まで乗り降りも少なかったバスにも、加世田でようやくまとまった乗車があった。
 加世田を出るとバスは再び山越えにかかる。 バスだと難なく進めるが、鹿児島交通の古気動車では苦労しただろうなと思わせる勾配だ。 枕崎では乗り継ぎがぎりぎりなので気をもんだが、ほぼ定刻に着いた。地方のバスは都会と違って概して時間が正確だ。

 枕崎の駅舎は鹿児島交通によって建てられたもので、 指宿枕崎線が比較的最近(昭和40年代)に開通した時点よりはるかに前から存在していた。 つまり、後から延びてきた指宿枕崎線が、廃止された鹿児島交通の駅舎をそのまま拝借してしまっている形になる。 駅舎は見た目も古いが中も相当なもので、土間に古めかしい木のベンチが置かれていた。まるで映画のセットのようで、 ある意味貴重な存在だったが、最近取り壊されてしまったそうだ。


枕崎駅前には、灯台を模したオブジェが立つ。



国鉄開通より前に建てられた枕崎駅舎。中もとてもレトロ。

枕崎7:37発〜西鹿児島9:59着 1330D キハ147(2)

 駅舎からホームに向かおうとすると、丁度列車が到着したばかりのようで 高校生が怒涛のように駅舎から出てきた。逆にこれから列車に乗る生徒はそれほどいないのか、車内は空いていた。
 最果ての駅に着いた余韻に浸る間もなく列車は発車した。 列車は頴娃あたりまでずっと海沿いに走るが、海岸より若干内陸に入ったところを走るので、 海はあまり見えない。乗り降りもさほど無いまま進むと、やがて前方に開門岳が見えてきた。 この山は標高900mちょいのそれほど高くない山だが、周りに山が無いのでとても高く大きく見える。
 頴娃を過ぎると、海に張り出した開門岳と、内陸の池田湖の間の平地を進む。 残念ながら池田湖は車窓からは見えなかったが。 この区間にはJR最南端駅の西大山駅がある。板張りの質素な無人駅だが、最南端を示す立派な白い碑が立っている。 ただし現在、日本最南端駅の称号は沖縄に開通したゆいれーるに取られてしまった。 碑には、「最南端」という字の上に取ってつけたように「JR」と書かれているらしい。
 西大山からしばらく走り、崖に張り付くような山川駅に到着。 狭苦しい駅だが、鹿児島からの列車の多くが折り返す駅である。 次の指宿駅は温泉で有名な沿線一の拠点駅で、乗客も一気に多くなった。
 指宿を出ると、国道と寄り添いながら鹿児島湾にへばりつくように走る。 末端区間よりも、この区間の方が海を眺めるには良いようだ。 が、途中の喜入のあたりで風景は一変する。海岸が大きく埋め立てられ、巨大な銀色のタンクが何十個も現れた。 ここは世界最大の石油の備蓄基地だそうだ。 確かに、中東からのタンカーがたどり着きやすい場所を考えると、この喜入ということになるだろう。
 鹿児島湾から離れるといよいよラストスパートになる。 このあたりは鹿児島のベッドタウンで、鹿児島市内に買い物にでも行く人たちが続々と乗ってくる。 南鹿児島のあたりでは市電と併走しつつ、西鹿児島駅に到着した。
 西鹿児島駅は新幹線開業に向けた改築が急ピッチで進められており、既に新幹線ホームが姿を現していた。 また、駅改札から外に通じる大階段も完成していた。


砂利敷きのホームにぽつんと立つ駅名標。


南のさいはての駅に佇むキハ40。


枕崎を出てしばらく走ると開聞岳が目に入る。


西大山駅に立つ「日本最南端の駅」の碑。

西鹿児島10:21発〜都城11:37着 6006M きりしま6号 485(3)

この後は、一日かけて宮崎県内の全路線を乗りつぶす。 西鹿児島からは、特急きりしまに乗車。グリーン車乗り放題の「豪遊券」だが、 残念なことにきりしまにはグリーン車が連結されておらず、 指定席に乗る。この旅行では、「あそ」「きりしま」などグリーン車の無いローカル特急や、 そもそも普通列車しかないローカル線を利用することが多く、豪遊券の効力を十分に発揮できていない気がする。 (でも、ドリーム号に3回も乗れば十分か。)
 西鹿児島を出てしばらくすると、列車はトンネルと通って鹿児島に到着。 同じ市内の駅なのに間にトンネルがあるというのも妙だが、 このトンネルで鹿児島城の城山を抜けているらしい。
 西鹿児島駅に比べると人気の少ない鹿児島駅を過ぎてしばらくすると、 列車は海と断崖の間のわずかなスペースを走るようになる。鹿児島湾の向こうに大きな桜島が見え、景色が良い。 それにしても、こんな海沿いの断崖を進む電化幹線というのはあまり思いつかない。 ぱっと思いつくのは函館本線の札幌と小樽の間ぐらいだ。 そんな断崖の合間のわずかな平野に竜ヶ水の駅がある。かつて土石流で列車が埋まる災害があった所だ。 テレビで遭難した人のドキュメントをやっていたので良く覚えている。 崖に造られた真新しいコンクリートの土留めが生々しい。
 そんな難所を過ぎると平地をしばらく走り、隼人、国分という割と大きな駅を過ぎる 。国分を過ぎると霧島高原の裾野に分け入る。 しばらく走ると辺りは深い木立となり、道路や家など人工物が全く見えなくなった。 予想外に幻想的な光景に出くわし驚いた。 そんな所を延々と走り、ようやく国分の次の駅の霧島神宮を通過。国分からは10km以上も離れている。 霧島神宮を過ぎても山深い景色が続く。平地に抜けるとまもなく高架駅の西都城に停車。その次の都城の駅は地平だった。
 九州では、「西」とか「南」と付く駅の方が「本家」よりも立派だったりすることがあるが、ここもそうなのだろうか。


この頃、九州では国鉄時代のリバイバルカラーが色々な車両に施されていた。 この日の特急きりしまも国鉄色で、JNRマークもご丁寧に再現。


通常の「きりしま」はこのような派手な塗色になっている。

都城12:08発〜吉松13:37着 2947D キハ140(1)

 都城で一旦途中下車し、吉都線を乗りつぶした後に乗るバスの停留所を確認しておく。 何せバスへの乗り継ぎ時間は4分しかないので、タイムロスは許されない。
 バス停を確認した後、吉都線の吉松行きワンマンカーに乗車。平日の昼間とあって閑散としている。 吉都線は今でこそ寂れたローカル線だが、かつては熊本と宮崎を結ぶ急行「えびの」が走っていた。 さらに昔、今の鹿児島本線や日豊本線が全通する前は、 博多と宮崎・鹿児島といった南九州を結ぶ唯一のルートだった。人吉・吉松間の山越えが険しかったこともあり、 鹿児島本線や日豊本線の全通と共にその役目を譲ったが、 今では九州自動車道・宮崎自動車道が肥薩線・吉都線と同じルートで走っている。 こちらの方が路線長が短くて済み、勾配をあまり苦にしない自動車道にとっては合理的なルートなのだろう。
 そんなかつての幹線だが、車窓は平凡な丘陵が続き、正直それほど面白いものではない。 めぼしい観光地も無く、乗客も少なくて気だるい雰囲気が漂う。
 夜行の疲れもあって一時間半のうち半分以上を寝て過ごし、吉松に到着。肥薩線と吉都線の分岐駅だが、人気が無い。 駅前に出てみても住宅が広がっているだけで大した店も無い。誰も居ない待合室には、畳が敷かれてあった。 疲れたときの仮眠には丁度良いだろう。


吉都線の列車には、昔懐かしいサボがいまだに健在。

吉松14:00発〜都城15:27着 2928D キハ140(1)

 今乗ってきたキハ140単行で都城に引き返す。車窓も平凡だし、ただただぼんやりと過ごす。 都城駅での乗り継ぎがうまくいくか心配だったが、 列車は無事定刻に到着。バス停へと急ぐ。


吉松駅には、沿線の観光地を示す看板があった。 真ん中の車両はキハ40のつもりなのだろうが、東武の8000系にしか見えない。

都城15:31発〜志布志16:45着 鹿児島交通バス

 バスには無事乗り継ぐことができ、バスで日南線の終点の志布志へ向かう。このバスもかつて存在した志布志線の代行バスだ。 鹿児島県は廃止された路線が多いところで、鹿児島交通・志布志線・大隅線・山野線・宮之城線と5つもある。 これらが残っていれば、九州乗りつぶしにはもう1日多く要していただろう。
 都城を出たバスはまず、隣の西都城駅前を経由する。駅が高架なので、まるで東京の埼京線あたりの駅前のようだ。 バスは郊外に出てしばらく走り、「末吉駅」バス停に到着。 ここは志布志線の拠点駅のひとつで、今でもこの駅までのバスは多い。
 末吉からは山の中に入り、沿線人口は少なくなる。 やがて、バスの走る道の横に志布志線の廃線跡を利用したサイクリングロードが寄り添うようになった。 と言っても、サイクリングロードに廃線跡を示す看板などは無いが、 そもそも廃線跡は中途半端に狭いのでそのまま道路には転用できないし、 他には使い道が無いので勾配の緩さを利用してサイクリングロードにするぐらいしか用途が無い。 そんな訳で、ちょっと田舎の方にあるサイクリングロードは大抵が廃線跡だ。サイクリングロードを見ながら走ると、 「〜駅」というバス停がいくつか現れる。もちろん志布志線の駅の跡だ。
 そんな山間部をしばらく走ると、 バスは急勾配を登り始めた。勾配を登り終わると、山の上が切り開かれて新しい住宅などができていた。 突然変異のような光景に驚いたが、鉄道だったらこういう所に線路を通すことはできないだろう。 その点バスは機動力があるなと思う。
 やがて志布志の町に到着。志布志は、かつては3つの路線が交わるターミナルで、機関区などもあったというが、 今は残る路線は日南線1つとなり、盲腸線の終点に転落してしまった。それを示すかのように、バスは駅を経由してくれず、 国道上にあるバス停からは駅まで3分ほど歩かねばならなかった。
 駅は白いペンション風の小さな建物に建て替えられ、ホームは1面1線しかない。 かつての広大な敷地は、古い車両が置かれた鉄道公園と スーパーマーケットに転用されていた。そのスーパーで夕食を買い、駅の中の待合室で1人、列車を待った。


志布志駅は小さな駅舎に建て替えられていた。

志布志17:36発〜南宮崎20:05着 1948D キハ31(1)+40(1)

 しばらくすると、宮崎方面からの列車がやってきた。 ステンレスのキハ31と黄色く塗装されたキハ40という凸凹編成だ。 空いていたので、キハ40のボックスシートに座った。
 夕暮れの志布志駅を発車し、列車は太平洋沿いに北上する。このあたりの海岸は険しい崖になっているようで、 車窓からは所々高い位置から海面が見下ろせた。串間からは山の中に入り、南郷からは再び海沿いに出るが、 その頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。車窓に見えるという「鬼の洗濯板」などは見えなかった。
 夕暮れの車内でぼんやりすること2時間あまり、宮崎空港線との分岐駅の田吉に到着。 分岐駅とは思えないごく普通のローカル駅だが、 この後宮崎空港線に乗るにはここで乗り換えるのが早いと思われた。 ところが旅行のプランをしていると、宮崎空港からの列車は割りと遅くまであるのに対し、 宮崎空港へ向かう列車は夜7時半頃に終了してしまうことを知った。その時間以降は出発便が無いからだろうが、 プラン時は大いに焦った。プランの大変更も一時は考えたが、 南宮崎から空港へのバスは遅くまであることを知り、そちらを利用することにした。 ということで、一旦田吉駅を素通りし南宮崎へ向かう。 南宮崎では窓口でこの後乗るホームライナーの券を買ってから外へ出た。


日南線のキハ40は、前面にイルカをあしらい、塗装は黄色という独特のもの。


反対側にはステンレス製でやや小柄なキハ31が連結され、ちぐはぐな編成となっている。

南宮崎発20:15発〜宮崎空港20:30着 宮崎交通バス

 南宮崎の駅を出ると、流石に県都だけあって結構開けていた。 ただ、ローカル線に乗りまくって寂しい土地ばかりを巡っていると、 東京とは比べるべくも無い地方都市でも大都会に見えるので、開けていると感じただけかもしれない。
 駅前には立派なバスターミナルがあり、各方面へのバスが多数出ている。ただ、これはどこの地方都市でも言えることだが、 20時を回ると人気が急に少なくなる。それは宮崎も同じのようで、バスターミナルにはあまり人がいない。
 多数あるバス停から空港行きのバス停がなかなか見つからず焦ったが、どうにか発見しバスに乗り込む。 バスは観光バスタイプで、どうやら南宮崎から空港を経由して都城へ向かうようだ。 バスは立派な国道を進む。途中いくつかのバス停に停まり、 通勤客を降ろしながら空港へと向かう。空港までの所要時間は15分だった。
 空港は1階が出発ロビーになっているが、既に出発便は終了していて、 航空会社の人がカウンターの後片付けをしている以外は人気が無い。 することも無いのでロビーの椅子に座ってぼんやりしていた。

宮崎空港21:21発〜南宮崎21:26着 3714M ホームライナー 485(5)

 宮崎空港駅は1面2線の高架駅で、関西空港や成田空港とは違い空港ビルの外にある。 やがて、「にちりん」用と思われる485系5連が回送でやってきた。 この列車が折り返し延岡行きのホームライナーとなる。ホームライナーは東京と同様ライナー券(300円)が必要だが、 宮崎空港から宮崎まではライナー券なしで乗れる。宮崎空港に乗り入れる特急列車についても同じ扱いをしている。
 空港を出た列車は高架上をしばらく走る。車窓には格納庫などの空港の施設が見える。高架を降りるとカーブして日南線に合流し、 先程通った田吉に到着。あっけないが、これでも1路線完乗となる。こんなにあっけない完乗は初めてだ。

南宮崎21:29発〜都城22:19着 3913M ホームライナー 485(3)

 南宮崎では慌しく都城行きのホームライナーに乗り換える。 もう9時を回っているが、これから日豊本線の乗り残した区間、南宮崎〜都城間に乗車する。 列車は「きりしま」に使われる485系3連だが、列車は空いており、先頭車の前の方には誰もいなかった。 そこで、クロスシートを回転させてボックスシートを作って脚を伸ばした。
 列車は一部の駅を通過し、1駅ごとに停車する。 停車すると通勤客がぱらぱらと降りていく。背広を着たサラリーマン風の人が多い。 都城までは50分で到着。志布志経由だと4時間半も掛かったから、随分早い。

都城22:37発〜南宮崎23:38着 6854D キハ58(2)

 今日3度目の都城駅に降り立ち、しばらく待つと、南宮崎行きの終列車が入ってきた。 電化区間にもかかわらず、運用の都合からかやって来た車両は古めかしいキハ58の2連だった。 乗ってしまうともはやすることも無い。疲れからか呆然と席に座っていた。

南宮崎23:40発〜博多6:19着 5092M ドリームにちりん 783(5)

 人気の無い南宮崎駅にはドリームにちりん号が停車していた。わずか2分の連絡なのであわててグリーン車に乗り込む。 とても重厚なイメージのあった787系のグリーン車に比べて、こちらの783系はより軽快なイメージだ。 座席の座り心地の良さは変わらない。 宮崎を出て次の停車駅の佐土原ぐらいまでは起きていたと思うが、疲れからか程なく寝てしまった。