九州完乗(その1)

 前回の北海道旅行からわずか数日後、今度は九州を乗りつぶすべく西へと出かけた。
 3月9日の夜、別の用事を済ませた後に新快速で姫路まで移動し、姫路のカプセルホテルに宿泊した。 何故大阪でも岡山でもなく姫路に宿泊したのかはあまり覚えていないが、大阪だと翌日関西地区のラッシュに引っかかるし、 9日中に岡山までたどり着くのは厳しかったためだと思う。
 九州までの移動には18きっぷを、九州内での乗りつぶしには今は無き「豪遊券」を使用した。
 3月10日から13日までおよそ100時間、風呂にも入らず(反省・・・) 電車に乗りっぱなしという過酷な旅行だった。今思うとこんな旅行は二度とできないし、 したくも無いと思う。しかし、今では忘れられない思い出となった。

目次

2003/3/10

■ 姫路10:04発〜相生10:22着 1413M 115(4)

 姫路から岡山に向かう方法として、(1)新幹線、(2)在来線、(3)相生まで在来線、相生から新幹線、の3案を前もって立てていた。 その日起きた時間によってどの案にするか決めようと思っていたのだが、結局3番目の案に落ち着いた。 この案だと新幹線のみで行くより姫路を30分早く出ないといけないのだが、特急料金がかなり安く済むというメリットがあった。 新幹線の自由席特急料金は、100キロを過ぎると急に跳ね上がるからだ。
 姫路から赤穂線経由で岡山に向かう列車に乗る。途中の網干では223系や221系などの関西圏の通勤電車の車庫が見えた。 ここを過ぎると関西圏を離れ、中国地方という実感がぐっとしてくる。
 わずか18分で下車し、新幹線に乗り換える。


40Nリニューアル塗装が施された115系で、 5日間に及ぶ長旅が始まった。

■ 相生10:47発〜岡山11:07着 617A こだま617号 0(4)

 相生は、新幹線停車駅とは思えないほど静かでこじんまりとした駅だった。この日使用していたのは18きっぷだったため、 いったん改札を出て新幹線の乗車券・特急券を券売機で購入する。
 ホームでしばらく待つと、0系の4連がやってきた。東海道新幹線ではこだま号でも何でも必ず16両、 東北新幹線でも最短の編成はMaxの8連だから、ずいぶん短く感じられる。 乗車すると、座席はグリーン車から捻出したと思われる2&2シートに換装されていた。 東海道新幹線ではとっくに引退した0系も、山陽ではまだまだ現役で頑張りそうだ。 座ってみると座席は元グリーン車だけあって広々としており、肘掛も広く座り心地は抜群だったが、 折角の豪華なシートを味わう暇もなくわずか20分で岡山に到着した。

■ 岡山11:11発〜小郡16:29着 5351M 115(4)

 岡山ではわずか4分の乗換えで在来線の列車に乗り継がねばならない。 目的の列車は在来線改札のすぐ横の6番線発だから、 新幹線ホームからは割と近いものの、あまり駅構造を把握していない駅なので油断できない。 到着の随分前からドアの前に居座り、ドアが開くや否やかなりの速さでダッシュした。 途中在来線への乗り継ぎ改札がわからず戸惑ったが、何とか発車2分前ぐらいにホームにたどり着いた。
 ホームで待っていたのは115系3000番台だった。この車両は115系でありながら117系のような2扉転換クロスシート構造となっている。 これから乗る列車で小郡まで延々5時間強揺られることになるので、どんな車両が来るか心配していたのだが、本当にラッキーだった。 この車両なら5時間乗り通しても全然苦痛ではない。
 座席の3割ぐらいが埋まる程度の乗りで岡山を出発。わずか3駅ながら20分近く要して倉敷着。 実は倉敷までは高校生の頃に乗車したことがある。 その時は大阪梅田の金券屋でばら売りの18きっぷを買い、在来線で岡山と倉敷に行ったのだった。 その時は倉敷の美観地区をぶらぶらした記憶がある。そのため、山陽本線は倉敷から先が未乗となっている。
 山陽本線は神戸から下関まで瀬戸内海沿いを走るが、 海がまともに見られるのは須磨から明石の間や、宮島口から徳山までの間などわずかである。 倉敷を過ぎると新幹線乗換駅の新倉敷、金光教の総本山の金光などを通るが、見えるのは何の変哲もない平野ばかりだ。
 単調な平野をしばらく走るといきなり線路が高架になり、福山に到着。 この駅は新幹線の高架が在来線の上に覆いかぶさるように 2層式の高架となっている。京成線の青砥駅と同じような構造だ。 赤羽の埼京線ホームも新幹線の高架下にあるが、このような構造は新幹線停車駅では唯一の存在ではないか。 駅を発車すると、駅の横に福山城があった。城の横というのは江戸時代から市街地化していて、 SLの騒音や煙に対する懸念から線路を引くことに対し反対運動が起き、 結局線路が城付近を大きく迂回することになるケースが多い。 その結果駅付近が栄え、城の周りの市街地が衰退することが多いのだが、福山の人は先見の明があったのだろう。
 福山では快速サンライナーからの乗り換え客が乗車した。 福山を過ぎても海は見えず、単調な風景に飽きてきた頃ようやく海が見えてきた。 右手に山、左手に海という場所をしばらく走ると、尾道駅に停車した。 尾道には来たことがなかったが、「坂の町」と言われる理由が分かった。結構急な斜面の上に町ができているのだ。 尾道から一駅で糸崎着。糸崎は留置線などがあり運転の拠点駅のようだが、 町の中心はあくまで尾道であり、糸崎駅の周辺はかなり寂しい。 糸崎の次は三原に停車。ここも高架駅で、呉線が分岐していく。この駅でしばらく停車した。


この日乗車したのは広島オリジナルカラーの115系(右)。三原駅で撮影。

三原から先は、海沿いの土地を呉線に明け渡して、山陽本線は山の中を走り出す。川沿いの狭い平野を縫うように走る。 同じ中国地方の芸備線や伯備線の南部に似た車窓だ。途中、山陽新幹線の高架と直角に交差する。 こちらは川の形に忠実に曲がりくねって線路が引かれているが、 新幹線は地形を無視して真っ直ぐに線路が引かれているからだろう。
 山の中の開けた盆地のような所に出ると、西条の町に到着。最近は広島のベッドタウンとなっているようだ。 西条を過ぎ、八本松から瀬野にかけては急勾配が続く。 「セノハチ」と呼ばれ蒸気機関車の難所として知られたが、電車からだと大した勾配とは感じられなかった。 海田市で呉線と合流し、ようやく広島に到着。ここでほとんどの乗客が入れ替わる。 列車もいつの間にか快速になっていて、広島周辺の数駅を通過していた。
 広島を出るといくつかの川を渡りながら走り、横川着。ここで可部線が分岐するのが見えた。 横川を過ぎ宮島口に近づくと、広電の線路と海が見えるようになって来た。 宮島口のあたりではしばらくの間海岸線を走る。いったん海から離れ、岩国着。 ここで快速区間は終わり、乗客も減った。岩国では岩徳線と分岐する。昔は岩徳線のほうが山陽本線を名乗っており、 今の柳井周りの山陽本線は岩徳線の勾配を避けるためのバイパスとして後から作られた。 赤穂線や呉線も同じ経緯で作られたはずだが、柳井周りのバイパス線だけが何故か山陽本線を名乗るようになり、 岩徳線は支線に転落してしまった。
 そんな経緯から、岩国から徳山にかけては山陽本線で数少ない海が見られる区間になっている。 ただ、自然のままの海岸は少なく、海沿いの巨大な工場の方が目に付く。中には煙突から赤い炎を出し続けているものもあり、 爆発しないだろうかと心配になる。
 徳山を過ぎると、この列車の旅もラストスパートとなる。5時間余りをかけ、ようやく小郡に到着した。 しかし、中には小郡どころか岡山〜下関を走破する普通列車もあるというから凄い。


広島を過ぎると海が見える場所が結構ある。

■ 小郡16:54発〜宇部新川17:40着 1849M 105(2)

 小郡では山口線の列車を見るなどして時間をつぶした後、宇部線の列車に乗る。 学校の合宿か何かがあるのか、旅行姿の学生が多い。 線路図を見ると宇部線は海沿いを走るかのように書かれているが、 実際は海は見えず、山とも平野ともつかない丘陵を列車は淡々と走る。
 宇部線の列車はワンマン仕様の105系だが、このワンマン改造がえらく大胆で、 乗務員室扉の1mぐらい後ろに運賃箱が置かれている。 新製のワンマン列車は、乗務員から運賃箱が見えるよう乗務員室のすぐ後ろに乗降扉を設置するが、 この105系は国鉄時代の車のため、運転台と扉の間に2席分ぐらい座席があったものと思われる。 その座席も撤去されている。 しかも、車内の暖房が異様に暑く、尻が低温やけどするのではないかというほどだった。 足の下にかばんを置いていたのだが、 熱でビニールの部分が柔らかくなっており、少し変な匂いがした。
 そんなぱっとしない車に小一時間揺られ、居能に着く。 ここからは次に乗る小野田線が分岐しているが、このあたりの中心駅である宇部新川まで一旦行くことにした。

■ 宇部新川17:45発〜雀田18:00着 1241M 123(1)

 宇部新川からは123系という元荷物電車を改造した1両編成の列車に乗る。この123系はJR東日本や東海にもいるが、 JR西日本の車両はドアが車体の前方と中間の2箇所に偏っている妙な配置だった記憶がある。 しかし、乗った車両はちゃんとドアが車端にあった。よく見ると窓枠もプラスチック製の新しい物に交換されているし、 きっと最近リニューアルされたのだろう。 3月15日のダイヤ改正以降は、この123系が後で述べるクモハ42を置き換える予定となっている。 車窓は宇部線と代わり映えしないまま雀田着。


ダイヤ改正以降、クモハ42の代わりに本山支線を走る123系。

■ 雀田18:02発〜長門本山18:07着 1329M 42(1)

 雀田駅では、三角形のホームを挟んだ反対側に長門本山行きの列車が停まっている。 このホームの雰囲気、鶴見線の浅野駅とそっくりだ。 小野田線と鶴見線は運行形態といい雰囲気といいよく似ている気がする。
 長門本山行きの車両はクモハ42という形式で、今や全国のJRで唯一現役の戦前生まれの電車だ。 前にも書いたように、この車両は3月14日をもって引退することになっている。 実はこのクモハ42に乗ることが、九州完乗と並んで大きな目的だった。 引退数日前とあって、平日ながらかなりの数の鉄道ファンが集結していた。 車体の写真を撮りまくる者、走行音を録音する者など、皆思い思いに行動していた。
 列車は2分の接続ですぐに発車する。釣り掛け式独特の重厚なモーター音を響かせてクモハ42は動き出した。 そういえば、この車両が引退すると、JRの線路から釣り掛け式の電車が消えることになる。 (電気機関車だと残っているのかもしれないが) 列車は松林や田畑の中を進み、わずか5分で長門本山に到着した。


数日後に引退を控えたクモハ42。綺麗な茶色に塗装され、大事にされているのが分かる。


車体にはリベット、車内には木製の椅子。 どちらも今や貴重なアイテムだ。

■ 長門本山18:35発〜雀田18:40着 1242M 42(1)

 長門本山ではしばらく折り返し時間があるので、改めて車内を観察してみる。 当然製造された頃と比べると色々改造がなされているが、 椅子が木製であったり、内装に使われる金具が古めかしかったりして、やはり戦前の車両なんだと感じる。 駅に張られていたクモハ42の紹介文を読むと、この車両は関西の急行電車(今で言う快速)として活躍していたそうだ。 ということは、今の221系や223系のご先祖(?)に当たるということか。次に長門本山の駅前を観察してみる。 が、駅前には質素な駅舎(というか屋根)と傾きかけた小さな商店があるだけで、あとは普通の民家ばかりである。
 長門本山に到着した鉄道ファンの集団は、ほぼ全員折り返しの電車に乗るようだ。 また、長門本山駅や沿線の田畑などから車両を撮影していた人もいるようで、 折り返し便の方が混雑していたかもしれない。そういった人たちに混じって、 ごくわずかだが高校生など地元の人も駅を利用していた。きっと普段は乗客もまばらで静かな路線なのだろう。
 そうこうしている間に発車時刻となった。ちなみにこの列車が本山支線の最終列車となり、 車両の入庫のため宇部新川まで行くのだが、小野田線の残り部分を完乗するため雀田の駅で乗り換えた。 雀田で乗り換える鉄道ファンはわずかだった。

■ 雀田18:42発〜小野田18:59着 1243M 123(1)

 雀田からはまた123系に乗る。もうかなり日が暮れてきており、外はよく見えない。 小野田線はどの駅も駅間が短く、都会の私鉄のようだ。 雀田から小野田までは約7km、15分で到着した。

■ 小野田19:16発〜小郡19:43着 3558M 115(4)

 小野田からは山陽本線で一旦小郡まで戻る。 九州方面に行くなら直接在来線で下関に向かう方が早いが、山陽新幹線の小郡以西が未乗のため、 これに乗車するため一旦小郡まで戻る。やってきたのは115系4連、この辺の標準の車両だった。

■ 小郡20:03発〜博多20:41着 389A ひかり389号 700(8)

 小郡からは今日2度目の新幹線に乗車。やってきたのはJR西日本ご自慢の「ひかりレールスター」だ。 この車両は大阪〜福岡間の航空機に対抗するため投入され、指定席は全て2&2シートになっている他、 ACコンセントの付いた席があったりする。 しかし、この日は自由席に乗車したため、シートの幅は通常の700系と同じであった。
 すっかり日が暮れてしまい、あたりは真っ暗だ。そういえば、山陽新幹線の小郡以東の区間に乗車したのも夜だった。 山陽新幹線といえばトンネルが多い。何個かトンネルを通過するうちに、 新下関を通過。駅を通過した直後から長い新関門トンネルに入り、トンネルを抜けると小倉に停車。 小倉を過ぎ、九州でも人口の多い地域に入るが、相変わらずトンネルは多い。 同じ山陽新幹線の新神戸〜新大阪間のようだ。しかしさすがに新幹線は早く、小郡からわずか30分余りで博多に到着。 岡山から小郡まで5時間も掛かったのが嘘のようだ。


先ほど乗車したクモハ42と対照的なハイテク車両、700系レールスター。黄色い塗装が 従来車との違いとなっている。

■ 博多20:48発〜香椎20:57着 3366M 813(6)

 姫路からはるばる博多まで到着したが、のんびりはしていられない。 これから3日間豪遊券を使うが、それだけの期間では九州全土を乗りつぶすことはできないため、 残りは前後の2日で消化しておく必要がある。今夜は博多から「ドリームつばめ」に乗車するが、 それまで3時間ほどあるため、まずは手近な香椎線を乗りつぶすことにする。
 香椎線は香椎で鹿児島本線と、長者原で篠栗線と接続している。そこで、 ラッシュで混雑する(と言っても東京や関西ほどではないが)鹿児島本線の快速でまずは香椎へ向かう。

■ 香椎21:01発〜西戸崎21:19着 752D キハ47(2)

 香椎駅の香椎線乗り場は鹿児島本線と別ホームになっており、跨線橋で乗り換える。 ホームにはすでに列車が到着しており通勤客が乗り込んでいた。 香椎線のうち香椎〜西戸崎間はすべて福岡市内で、ベッドタウンとなっているのだろう。
 香椎線は鹿児島本線の山側をしばらく走った後、鹿児島本線を乗り越えて海側に出る。 その間に九産大前という鹿児島本線の駅があり、 それが時刻表の路線図にもきちんと描かれているのが面白い。列車はしばらく走ると海ノ中道と呼ばれる砂州を走り出した。 外は暗いが、目を凝らすと両側が海になっているのが確認できた。 西戸崎に到着すると、沢山いたはずの通勤客はほとんど下車してしまっており、車内に人影はまばらだった。

■ 西戸崎21:24発〜宇美22:13着 757D キハ47(2)

 西戸崎の駅前は人影もまばらで、真っ暗だった。駅前をちらりと見ただけで折り返しの列車に乗ったが、他に客はいない。 列車は海を離れ、内陸部へと進んでいく。香椎線は元々、沿線の炭鉱で掘り出された石炭を西戸崎へ運ぶために作られた路線だ。 これからは運炭のルートとは逆に進むこととなる。
 しばらく車内は閑散としていたが、他線と接続する香椎・長者原では通勤客が乗り込んできて、数駅で下車していく。 終点の宇美駅も、ごく普通のベッドタウンの駅という趣だった。

■ 宇美22:28発〜長者原22:44着 5766D キハ47(2)

 宇美からは再び折り返す。このように起点・終点とも他の線との乗換えがない線はJRでは香椎線だけだろう。 長者原駅では香椎線と篠栗線が立体交差しており、線路は繋がっていないようだ。

■ 長者原22:46発〜博多22:58着 6569H 817(2)

 篠栗線の列車とは2分の接続なので、急いで乗り換える。半年前に乗ったばかりの篠栗線で博多に戻る。
 博多駅では1時間強待ち時間があったが、博多駅は待合室がなく、この時間では店も開いておらず、ホームに出ると寒いので、 仕方なくコンコースをぶらぶらした。さすが九州の中心地だけあって、この時間でも雑踏していた。


夕闇に馴染むブラックフェースの817系。

■ 博多0:06発〜伊集院5:41着 91M ドリームつばめ 787(7)

 いよいよ「豪遊券」を使う時が来た。早速「ドリームつばめ」のグリーン車に乗車、豪遊券の効力を遺憾なく発揮する。 実はグリーン車に乗車するのはこのとき初めてだったため、非常に楽しみだ。 ドリームつばめは787系での運転で、グリーン車は先頭車の半室となっている。 乗車してみると、グリーン車だけあって座席は非常にどっしりしたもので、 リクライニング角度も十分、夜行高速バス以上に快適だ。毛布のサービスもあり、これなら快適な夜が過ごせそうだ。 この列車は鳥栖や大牟田あたりへの終列車にもなっており、最初のうちは通勤客で結構込み合うのだが、 グリーン車は混雑とは無縁で、とても静かだ。乗客は座席が半分埋まる程度いる。
 という訳で、発車してすぐはグリーン車の乗り心地に酔いしれていたが、 流石に疲労がたまっており、久留米を過ぎたあたりで眠ってしまった。


今夜の宿となる「ドリームつばめ」。

2003/3/11

■ 伊集院5:47発〜枕崎7:30着 鹿児島交通バス

 目を覚ますと、伊集院に到着する5分ほど前だった。 程なくセットしておいた携帯のバイブが鳴り始めた。 個人的な話だが、中学校以来毎日のように通学や通勤で電車を利用しているのに、 今まで寝過ごしたことは2、3回しかない。 その2、3回もせいぜい1駅か2駅乗り過ごしただけで、うち1回は徹夜明けだった。 よく笑い話で中央線で寝過ごしてしまい高尾とか大月とかに行ってしまったという話を聞くが、 何故そこまで寝過ごすか全く理解できないでいる。
 話が逸れたが、とにかく伊集院で下車。この日は指宿枕崎線完乗をすべく、バスで枕崎へ向かう。 このバスのルートには、元々鹿児島交通という私鉄が走っていた。 地方の私鉄ということで経営基盤が弱く、既に廃止されてしまったが、 ルート的にもなぜ国鉄に組み入れられなかったのかと思う。 指宿枕崎線に編入されていればきっと生き残っていたであろう。
 伊集院の駅頭のバス停でバスを待つ。バス停には5人ぐらいの客が居た。 ぱっと見た所、地元の人と完乗目当ての鉄道ファンがほぼ半分といった感じだ。 もう春分が近いというのに、この時間でも外は真っ暗だ。さすが南九州は日の出が遅い。 しかも、朝とはいえ鹿児島というイメージからは程遠い寒さで、息が白い。
 発車時間間際にようやくやってきた路線バスに乗り込み、枕崎を目指す。バスはいきなり山の中に入ると、 峠を越えて東シナ海沿岸に出る。この辺でようやく外が明るくなってきた。
 しばらく平地を走り、「伊作駅」というバス停に着いた。 おそらく鹿児島交通の駅跡であろう。鉄道施設は何も残っていないようだが、 バス停の周りは広場となっており、おそらく元は駅前広場だったと思われる。
 さらにしばらく進むと、今度は「加世田駅」というバス停に着いた。 加世田は鹿児島交通の拠点駅で、かつてはここから支線が分岐していた。 ここは拠点だけあって広場も伊作駅より広く、かつて使われていたであろうSLも飾られている。 鹿児島交通の記念館もあるようだ。 今まで乗り降りも少なかったバスにも、加世田でようやくまとまった乗車があった。
 加世田を出るとバスは再び山越えにかかる。 バスだと難なく進めるが、鹿児島交通の古気動車では苦労しただろうなと思わせる勾配だ。 枕崎では乗り継ぎがぎりぎりなので気をもんだが、ほぼ定刻に着いた。地方のバスは都会と違って概して時間が正確だ。

 枕崎の駅舎は鹿児島交通によって建てられたもので、 指宿枕崎線が比較的最近(昭和40年代)に開通した時点よりはるかに前から存在していた。 つまり、後から延びてきた指宿枕崎線が、廃止された鹿児島交通の駅舎をそのまま拝借してしまっている形になる。 駅舎は見た目も古いが中も相当なもので、土間に古めかしい木のベンチが置かれていた。まるで映画のセットのようで、 ある意味貴重な存在だったが、最近取り壊されてしまったそうだ。


枕崎駅前には、灯台を模したオブジェが立つ。


国鉄開通より前に建てられた枕崎駅舎。中もとてもレトロ。

■ 枕崎7:37発〜西鹿児島9:59着 1330D キハ147(2)

 駅舎からホームに向かおうとすると、丁度列車が到着したばかりのようで 高校生が怒涛のように駅舎から出てきた。逆にこれから列車に乗る生徒はそれほどいないのか、車内は空いていた。
 最果ての駅に着いた余韻に浸る間もなく列車は発車した。 列車は頴娃あたりまでずっと海沿いに走るが、海岸より若干内陸に入ったところを走るので、 海はあまり見えない。乗り降りもさほど無いまま進むと、やがて前方に開門岳が見えてきた。 この山は標高900mちょいのそれほど高くない山だが、周りに山が無いのでとても高く大きく見える。
 頴娃を過ぎると、海に張り出した開門岳と、内陸の池田湖の間の平地を進む。 残念ながら池田湖は車窓からは見えなかったが。 この区間にはJR最南端駅の西大山駅がある。板張りの質素な無人駅だが、最南端を示す立派な白い碑が立っている。 ただし、日本最南端駅の称号は沖縄に開通したゆいれーるに取られてしまった。 碑には、「最南端」という字の上に取ってつけたように「JR」と書かれていた。
 西大山からしばらく走り、崖に張り付くような山川駅に到着。 狭苦しい駅だが、鹿児島からの列車の多くが折り返す駅である。 次の指宿駅は温泉で有名な沿線一の拠点駅で、乗客も一気に多くなった。
 指宿を出ると、国道と寄り添いながら鹿児島湾にへばりつくように走る。 末端区間よりも、この区間の方が海を眺めるには良いようだ。 が、途中の喜入のあたりで風景は一変する。海岸が大きく埋め立てられ、巨大な銀色のタンクが何十個も現れた。 ここは世界最大の石油の備蓄基地だそうだ。 確かに、中東からのタンカーがたどり着きやすい場所を考えると、この喜入ということになるだろう。
 鹿児島湾から離れるといよいよラストスパートになる。 このあたりは鹿児島のベッドタウンで、鹿児島市内に買い物にでも行く人たちが続々と乗ってくる。 南鹿児島のあたりでは市電と併走しつつ、西鹿児島駅に到着した。
 西鹿児島駅は新幹線開業に向けた改築が急ピッチで進められており、既に新幹線ホームが姿を現していた。 また、駅改札から外に通じる大階段も完成していた。


南のさいはての駅に佇むキハ40。


西大山駅に立つ「日本最南端の駅」の碑。

■ 西鹿児島10:21発〜都城11:37着 6006M きりしま6号 485(3)

この後は、一日かけて宮崎県内の全路線を乗りつぶす。 西鹿児島からは、特急きりしまに乗車。グリーン車乗り放題の「豪遊券」だが、 残念なことにきりしまにはグリーン車が連結されておらず、 指定席に乗る。この旅行では、「あそ」「きりしま」などグリーン車の無いローカル特急や、 そもそも普通列車しかないローカル線を利用することが多く、豪遊券の効力を十分に発揮できていない気がする。 (でも、ドリーム号に3回も乗れば十分か。)
 西鹿児島を出てしばらくすると、列車はトンネルと通って鹿児島に到着。 同じ市内の駅なのに間にトンネルがあるというのも妙だが、 このトンネルで鹿児島城の城山を抜けているらしい。
 西鹿児島駅に比べると人気の少ない鹿児島駅を過ぎてしばらくすると、 列車は海と断崖の間のわずかなスペースを走るようになる。鹿児島湾の向こうに大きな桜島が見え、景色が良い。 それにしても、こんな海沿いの断崖を進む電化幹線というのはあまり思いつかない。 ぱっと思いつくのは函館本線の札幌と小樽の間ぐらいだ。 そんな断崖の合間のわずかな平野に竜ヶ水の駅がある。かつて土石流で列車が埋まる災害があった所だ。 テレビで遭難した人のドキュメントをやっていたので良く覚えている。 崖に造られた真新しいコンクリートの土留めが生々しい。
 そんな難所を過ぎると平地をしばらく走り、隼人、国分という割と大きな駅を過ぎる 。国分を過ぎると霧島高原の裾野に分け入る。 しばらく走ると辺りは深い木立となり、道路や家など人工物が全く見えなくなった。 予想外に幻想的な光景に出くわし驚いた。 そんな所を延々と走り、ようやく国分の次の駅の霧島神宮を通過。国分からは10km以上も離れている。 霧島神宮を過ぎても山深い景色が続く。平地に抜けるとまもなく高架駅の西都城に停車。その次の都城の駅は地平だった。
 九州では、「西」とか「南」と付く駅の方が「本家」よりも立派だったりすることがあるが、ここもそうなのだろうか。


この頃、九州では国鉄時代のリバイバルカラーが色々な車両に施されていた。 この日の特急きりしまも国鉄色で、JNRマークもご丁寧に再現。

■ 都城12:08発〜吉松13:37着 2947D キハ140(1)

 都城で一旦途中下車し、吉都線を乗りつぶした後に乗るバスの停留所を確認しておく。 何せバスへの乗り継ぎ時間は4分しかないので、タイムロスは許されない。
 バス停を確認した後、吉都線の吉松行きワンマンカーに乗車。平日の昼間とあって閑散としている。 吉都線は今でこそ寂れたローカル線だが、かつては熊本と宮崎を結ぶ急行「えびの」が走っていた。 さらに昔、今の鹿児島本線や日豊本線が全通する前は、 博多と宮崎・鹿児島といった南九州を結ぶ唯一のルートだった。人吉・吉松間の山越えが険しかったこともあり、 鹿児島本線や日豊本線の全通と共にその役目を譲ったが、 今では九州自動車道・宮崎自動車道が肥薩線・吉都線と同じルートで走っている。 こちらの方が路線長が短くて済み、勾配をあまり苦にしない自動車道にとっては合理的なルートなのだろう。
 そんなかつての幹線だが、車窓は平凡な丘陵が続き、正直それほど面白いものではない。 めぼしい観光地も無く、乗客も少なくて気だるい雰囲気が漂う。
 夜行の疲れもあって一時間半のうち半分以上を寝て過ごし、吉松に到着。肥薩線と吉都線の分岐駅だが、人気が無い。 駅前に出てみても住宅が広がっているだけで大した店も無い。誰も居ない待合室には、畳が敷かれてあった。 疲れたときの仮眠には丁度良いだろう。


吉都線の列車には、昔懐かしいサボがいまだに健在。

■ 吉松14:00発〜都城15:27着 2928D キハ140(1)

 今乗ってきたキハ140単行で都城に引き返す。車窓も平凡だし、ただただぼんやりと過ごす。 都城駅での乗り継ぎがうまくいくか心配だったが、 列車は無事定刻に到着。バス停へと急ぐ。


吉松駅には、沿線の観光地を示す看板があった。 真ん中の車両はキハ40のつもりなのだろうが、東武の8000系にしか見えない。

■ 都城15:31発〜志布志16:45着 鹿児島交通バス

 バスには無事乗り継ぐことができ、バスで日南線の終点の志布志へ向かう。このバスもかつて存在した志布志線の代行バスだ。 鹿児島県は廃止された路線が多いところで、鹿児島交通・志布志線・大隅線・山野線・宮之城線と5つもある。 これらが残っていれば、九州乗りつぶしにはもう1日多く要していただろう。
 都城を出たバスはまず、隣の西都城駅前を経由する。駅が高架なので、まるで東京の埼京線あたりの駅前のようだ。 バスは郊外に出てしばらく走り、「末吉駅」バス停に到着。 ここは志布志線の拠点駅のひとつで、今でもこの駅までのバスは多い。
 末吉からは山の中に入り、沿線人口は少なくなる。 やがて、バスの走る道の横に志布志線の廃線跡を利用したサイクリングロードが寄り添うようになった。 と言っても、サイクリングロードに廃線跡を示す看板などは無いが、 そもそも廃線跡は中途半端に狭いのでそのまま道路には転用できないし、 他には使い道が無いので勾配の緩さを利用してサイクリングロードにするぐらいしか用途が無い。 そんな訳で、ちょっと田舎の方にあるサイクリングロードは大抵が廃線跡だ。サイクリングロードを見ながら走ると、 「〜駅」というバス停がいくつか現れる。もちろん志布志線の駅の跡だ。
 そんな山間部をしばらく走ると、 バスは急勾配を登り始めた。勾配を登り終わると、山の上が切り開かれて新しい住宅などができていた。 突然変異のような光景に驚いたが、鉄道だったらこういう所に線路を通すことはできないだろう。 その点バスは機動力があるなと思う。
 やがて志布志の町に到着。志布志は、かつては3つの路線が交わるターミナルで、機関区などもあったというが、 今は残る路線は日南線1つとなり、盲腸線の終点に転落してしまった。それを示すかのように、バスは駅を経由してくれず、 国道上にあるバス停からは駅まで3分ほど歩かねばならなかった。
 駅は白いペンション風の小さな建物に建て替えられ、ホームは1面1線しかない。 かつての広大な敷地は、古い車両が置かれた鉄道公園と スーパーマーケットに転用されていた。そのスーパーで夕食を買い、駅の中の待合室で1人、列車を待った。

■ 志布志17:36発〜南宮崎20:05着 1948D キハ31(1)+40(1)

 しばらくすると、宮崎方面からの列車がやってきた。 ステンレスのキハ31と黄色く塗装されたキハ40という凸凹編成だ。 空いていたので、キハ40のボックスシートに座った。
 夕暮れの志布志駅を発車し、列車は太平洋沿いに北上する。このあたりの海岸は険しい崖になっているようで、 車窓からは所々高い位置から海面が見下ろせた。串間からは山の中に入り、南郷からは再び海沿いに出るが、 その頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。車窓に見えるという「鬼の洗濯板」などは見えなかった。
 夕暮れの車内でぼんやりすること2時間あまり、宮崎空港線との分岐駅の田吉に到着。 分岐駅とは思えないごく普通のローカル駅だが、 この後宮崎空港線に乗るにはここで乗り換えるのが早いと思われた。 ところが旅行のプランをしていると、宮崎空港からの列車は割りと遅くまであるのに対し、 宮崎空港へ向かう列車は夜7時半頃に終了してしまうことを知った。その時間以降は出発便が無いからだろうが、 プラン時は大いに焦った。プランの大変更も一時は考えたが、 南宮崎から空港へのバスは遅くまであることを知り、そちらを利用することにした。 ということで、一旦田吉駅を素通りし南宮崎へ向かう。 南宮崎では窓口でこの後乗るホームライナーの券を買ってから外へ出た。


志布志駅は小さな駅舎に建て替えられていた。


日南線のキハ40は、前面にイルカをあしらい、塗装は黄色という独特のもの。

■ 南宮崎発20:15〜宮崎空港20:30 宮崎交通バス

 南宮崎の駅を出ると、流石に県都だけあって結構開けていた。 ただ、ローカル線に乗りまくって寂しい土地ばかりを巡っていると、 東京とは比べるべくも無い地方都市でも大都会に見えるので、開けていると感じただけかもしれない。
 駅前には立派なバスターミナルがあり、各方面へのバスが多数出ている。ただ、これはどこの地方都市でも言えることだが、 20時を回ると人気が急に少なくなる。それは宮崎も同じのようで、バスターミナルにはあまり人がいない。
 多数あるバス停から空港行きのバス停がなかなか見つからず焦ったが、どうにか発見しバスに乗り込む。 バスは観光バスタイプで、どうやら南宮崎から空港を経由して都城へ向かうようだ。 バスは立派な国道を進む。途中いくつかのバス停に停まり、 通勤客を降ろしながら空港へと向かう。空港までの所要時間は15分だった。
 空港は1階が出発ロビーになっているが、既に出発便は終了していて、 航空会社の人がカウンターの後片付けをしている以外は人気が無い。 することも無いのでロビーの椅子に座ってぼんやりしていた。

■ 宮崎空港21:21発〜南宮崎21:26着 3714M ホームライナー 485(5)

 宮崎空港駅は1面2線の高架駅で、関西空港や成田空港とは違い空港ビルの外にある。 やがて、「にちりん」用と思われる485系5連が回送でやってきた。 この列車が折り返し延岡行きのホームライナーとなる。ホームライナーは東京と同様ライナー券(300円)が必要だが、 宮崎空港から宮崎まではライナー券なしで乗れる。宮崎空港に乗り入れる特急列車についても同じ扱いをしている。
 空港を出た列車は高架上をしばらく走る。車窓には格納庫などの空港の施設が見える。高架を降りるとカーブして日南線に合流し、 先程通った田吉に到着。あっけないが、これでも1路線完乗となる。こんなにあっけない完乗は初めてだ。

■ 南宮崎21:29発〜都城22:19着 3913M ホームライナー 485(3)

 南宮崎では慌しく都城行きのホームライナーに乗り換える。 もう9時を回っているが、これから日豊本線の乗り残した区間、南宮崎〜都城間に乗車する。 列車は「きりしま」に使われる485系3連だが、列車は空いており、先頭車の前の方には誰もいなかった。 そこで、クロスシートを回転させてボックスシートを作って脚を伸ばした。
 列車は一部の駅を通過し、1駅ごとに停車する。 停車すると通勤客がぱらぱらと降りていく。背広を着たサラリーマン風の人が多い。 都城までは50分で到着。志布志経由だと4時間半も掛かったから、随分早い。

■ 都城22:37発〜南宮崎23:38着 6854D キハ58(2)

 今日3度目の都城駅に降り立ち、しばらく待つと、南宮崎行きの終列車が入ってきた。 電化区間にもかかわらず、運用の都合からかやって来た車両は古めかしいキハ58の2連だった。 乗ってしまうともはやすることも無い。疲れからか呆然と席に座っていた。

■ 南宮崎23:40発〜博多6:19着 5092M ドリームにちりん 783(5)

 人気の無い南宮崎駅にはドリームにちりん号が停車していた。わずか2分の連絡なのであわててグリーン車に乗り込む。 とても重厚なイメージのあった787系のグリーン車に比べて、こちらの783系はより軽快なイメージだ。 座席の座り心地の良さは変わらない。 宮崎を出て次の停車駅の佐土原ぐらいまでは起きていたと思うが、疲れからか程なく寝てしまった。