最終更新日:2021/5/9

3セクと駅弁で巡る東北・北海道:五日目―最果て根室でゴール&その後の旅路

目次

2006/5/2

釧路11:01発〜根室13:08着 快速ノサップ

根室13:50発〜釧路16:13着

 この日は10時過ぎに釧路のホテルを出た。前日まで厳しい日程が続いたので、この日は久々に朝寝坊である。 釧路駅に行き、弁当を買って快速ノサップ号の停車するホームへ向かう。結局、この日は根室へ行くことにした。 同じ時間帯にノロッコ号が発車するため、駅には観光客が多くいた。
 釧路を発車し、しばらく釧路市街を走った後、 別保駅からはいきなり原生林の中を進む。線路のすぐ横を沢が流れ、ここにもフキノトウがびっしりと生えている。
 そんな森林地帯を15分ほど走り、ようやく上尾幌に着く。交換のためだけに存在しているような駅で、駅前は何とも寂しい。 さらに進み、門静を過ぎると厚岸湾沿いを走る。次第に集落が目立つようになってくると、まもなく厚岸に到着する。 沿線最大の街である厚岸でまとまった数の客を降ろし、発車。
 厚岸から先は厚岸湖、続いて湿原の真っ只中を進む。 数km先まで何もない湿原の中を、真っ直ぐに線路が引かれている様は見事であった。 湿原にはまたしてもヤチボウズ・フキノトウが見える。 この旅は、つくづく残雪・ヤチボウズ・フキノトウの「3点セット」に尽きる旅だったなと思い返す。 湿原は糸魚沢を通過してもまだしばらく続いた。 その後は、牧場と林の入り混じった寂しい場所が続く。 茶内、浜中と停車するが、どちらもあまり人気がなく寂しい。
 やがて、厚床に到着。かつては標津線が分岐しており、 駅弁すら売っていたという駅だが、今ではそれが信じられないぐらい寂れている。 中国地方の備後落合も寂しい分岐駅だったが、標津線が現存していたらそれに並ぶぐらい寂しい分岐駅といえただろう。
 厚床を過ぎるといよいよ完全な無人地帯となり、無人の荒野に出る。でこぼこの荒野の向こうに、ちらりと海が見えた。 海の向こうには自然のままの根室半島の姿が見える。北海道でしか見られない大自然だ。このあたりの海岸は風が強いらしく、 落石付近では海沿いに風車が建てられていた。
 昆布盛を出ると再び原生林の中を走る。このあたりは野生動物の出没が多く、 動物との衝突を避けるため派手に警笛を吹く音が聞こえる。 西和田、花咲と通過するうちに家や商店が増え、根室に近づいてきた。 日本最東端の駅である東根室を過ぎると列車は左へ曲がり、終点根室に着く。 駅前にカニを売る店が続く独特の光景は相変わらずだった。40分ほど根室に滞在した後、乗ってきた列車で折り返す。


昨日に続いてキハ54に乗車。


根室本線の列車ながら"SENMO LINE"のロゴが。特に区別なく運用されているらしい。


隣のホームには釧網本線を走るノロッコ号が停車中。


釧路を発車してしばらくすると、原生林の中を進む。


山中にひっそりとたたずむ上尾幌駅。駅名看板が妙に多い。


厚岸を出てしばらくすると、線路は広い湿原をまっすぐに進む。北海道ならではの光景だ。


霧多布半島の玄関口の浜中駅。


かつては標津線が分岐していた厚床駅はひっそりとしていた。


物置のような駅舎はぽつんと立つ初田牛駅。周囲には人家もない「秘境駅」。


日本最東端に近づくにつれ、景色は荒涼としてきた。


釧路から2時間で終点の根室に到着。


今回の旅で日本最北端・最東端の両駅を訪問した。

2006/5/3〜6

 釧路に戻った後はさらに北海道でつごう4泊し、北海道を満喫した。 基本的には普通の観光旅行だったので詳細な旅行記は省略するが、途中で乗車した列車や、 目にした鉄道関連の施設を中心に紹介する。

川湯温泉駅

 根室に行った翌日、レンタカーで釧路湿原や摩周湖を回った後、夕刻に釧網本線の川湯温泉駅に立ち寄った。 特に狙ってはいなかったのだが、偶然にも数少ない列車がやってきたので、構内で列車を撮影する。 その後、駅のすぐ近くにある硫黄山に立ち寄る。 地面の小さな穴から硫黄分をたっぷり含んだ蒸気が吹き上げる奇妙な光景が見られた。


周囲に全く人工物のない摩周湖を展望台から眺める。


夕暮れの川湯温泉駅。無人駅であった。


タイミングよくやってきたキハ54の普通列車。


駅近くの硫黄山からは常に大量の蒸気が噴出する。

釧路周辺の鉄道施設

 阿寒湖近くの温泉で一泊した後、標津や厚岸をクルマでぐるっと回った。 そのあと釧路市内に戻る途中、見たことのない奇妙な線路を見つけた。 路面は光っているので今も使われているようだが、どう見てもJRの線路ではない。 調べてみると、これは「太平洋石炭販売輸送臨港線」という路線で、 日本に唯一残った釧路市内の炭鉱で採れた石炭を運ぶ鉄道であるらしい。 2006年時点ではJR線とは接続していなかったようだ。
 その後釧路市内を抜ける途中、JRの釧路車両所の前を通りがかった。 構内には、かつて札幌〜釧路間の「おおぞら」で使用されていたキハ183系の2階建てグリーン車が、 連結されて放置されていた。比較的新しい車両のはずだが、 札幌〜釧路間の特急を俊足のキハ283系で統一することとなったため用途を失い、結局このまま廃車されてしまったそうだ。


自動車で標津から厚岸に向かう途中発見した、標津線の廃線と思しき橋台の跡。


つい2日前に通ったばかりの厚岸駅を外から見る。


偶然通りかかった太平洋石炭販売輸送臨港線の線路。


市街地を通っているが、旅客営業はしていないらしい。


車両所に放置されるキハ183系2階建てグリーン車。

「スーパーおおぞら」で釧路から札幌へ

 釧路に戻った翌日、駅前の和商市場で定番の「勝手丼」を食べた後、 「スーパーおおぞら」に乗車して札幌に向かった。
 ちょうど昼時だったので、途中の池田駅で名物の「ステーキ弁当」を予約しておいた。 電話で乗車する号車を伝えておくと、係の人がドアの所まで運んできてくれた。 「スーパーおおぞら」の車窓は釧路から白糠にかけては海沿いを、帯広近辺の広大な十勝平野を、 新得から先は険しい日高山脈の中を走り、車窓は変化に富んでいるが、同行者は随分退屈だったらしい。


和商市場で、どんぶり片手にいろんな店を巡って作った勝手丼。


釧路から札幌まで、キハ283系「スーパーおおぞら」に乗車。


側面のロゴはキハ281系のものとは微妙に異なる。


札幌到着の翌朝、駅で通勤型気動車のキハ201を目撃。本数が少ない割に、渡道の際は毎回出会う気がする。


キハ201系は731系電車との連結が可能で、切り離しを行うシーンを見かけた。


札幌ではなぜか北大に行き、広い校内で飼われている牛を眺めた。

小樽の北海道鉄道記念館跡

 札幌に一泊した翌日、夜の飛行機で東京に戻る前に小樽へ向かった。 小樽市内をぶらぶらと歩いたのだが、その途中に北海道鉄道記念館の前を通った。 鉄道専門の博物館として古くから知られる存在だったが、 運悪く訪問直前の2006年3月に閉館してしまい、入場することはできなかった。 仕方がないので柵の外から内部の車両をいくつか撮影した。 その後記念館は「小樽市総合博物館」と名前を変えて再オープンし、 私も2012年8月にようやく訪問することができた。


小樽行きの快速列車は観光客で混んでいた。


北海道鉄道記念館の跡を外部から撮影。ED75が放置されている。


同じく特急型のキハ80も放置されていた。


ディーゼル機関車の脇には、何やらブルーシートを被った部品も放置されていた。

私鉄乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

会社名路線名乗車区間キロ数
由利高原鉄道鳥海山ろく線羽後本荘〜矢島23.0
秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線鷹巣〜角館94.2
合計117.2