最終更新日:2020/12/6

阪急バスで山越えの旅―路線バスで北摂山地を行ったり来たり

 唐突な話で恐縮だが、皆様は「阪急バス」と聞いてどんな路線を思い浮かべるだろうか? 関西に土地勘のある人でも、阪急電鉄沿線の住宅密集地を走る姿しか思い浮かばないのではないだろうか。
 しかし、意外にも阪急バスには険しい山間部を進む路線が数多く存在するのである。 大阪平野はだだっ広い関東平野と違って、三方を山に取り囲まれている。大阪市中心部から少し北に進み、 箕面や川西、宝塚あたりまで行くと、険しい山々にぶち当たる。阪急バスは、それらの山々にひっそりと存在する集落や、 バブル期に無理やり山を切り開いて作ったベッドタウンを結ぶバス路線を走らせているのである。
 2014年2月のある日、大阪に出向く機会があったため、 これまで近くに住んでいながら、乗る機会のなかったそれらの路線に乗ってみることにした。


 路線バスは鉄道と違ってルートがわかりにくいため、 今回旅したエリアの大雑把なバス路線図を作成した。赤線が今回乗車したバス路線、黒線がその他の主要バス路線、 灰色の線が鉄道路線、□が鉄道駅、○が主なバス停である。

目次

2014/2/10

新大阪〜千里中央〜大阪国際空港

大阪国際空港9:15発〜宝塚9:40着 阪急バス

 朝一番の新幹線で新大阪に降り立ち、御堂筋線の乗り場へ向かう。 改札口で、都内のコンビニで準備しておいた引換券を差し出し、「スルっとKANSAI 2Dayパス」に換えてもらう。 3800円のこのパスを買うと、関西の私鉄・バスが2日間乗り放題となる。今回乗るバスは総じて運賃が高く、 こういったフリー切符が欠かせない。今回は実質1日分しか利用しないが、それでも十分元が取れる。
 新大阪から千里中央を経由し、大阪モノレールで大阪空港に向かう。 ここから宝塚に向かわねばならないのだが、素直に阪急電車に乗るのはつまらない。 そこで、大阪空港から宝塚に向かうバスに乗ることにした。これから始まるバス乗りまくり旅の「前座」といったところだ。
 大阪空港から宝塚までは、都市部の路線バスとしてはかなり長い部類になるのだが、 このバスは空港アクセスとして使われることを想定しており、 途中の池田・川西・伊丹市内はほとんど停車せずにバイパスをぶっ飛ばす。 単なる街中の路線とは一味違う路線だ。
 前置きが長くなったが、バスは空港ターミナル前で5名ほどの客を拾ってから発車。 空港を出るとすぐ、中国道の側道のようなバイパスに入る。バスなのでスピードは遅いが、 バス停や信号がほとんどなく、路線バスとは思えないほどスムーズに走る。
 あっという間に猪名川を越えて兵庫県に入り、引き続き飛ばす。途中、加茂小学校前、野里と数少ない途中の停留所で停まると、 数人の客が乗り込んできた。阪急の駅から遠いこれらの地域から、宝塚に出る需要もそこそこあるようだ。 さらに走って宝塚IC付近で中国道と別れると、あとは単なる幹線道路で宝塚市街を抜ける。 バス停の頻度も通常並みに増えた。とはいえ道は空いており、ほぼ定刻に宝塚に到着した。


北大阪急行・ポールスターに乗って新大阪から千里中央へ。


大阪国際空港から最初のバスに乗って、宝塚へ向かう。

宝塚9:50発〜武田尾9:58着

 まだ関西に住んでいたころ、JRの宝塚駅は古めかしい駅舎が健在で、阪急の高架駅に比べて随分みすぼらしかった。 しかし今ではいくつもの店舗を備えた立派な橋上駅舎となり、いっぱしのターミナル駅の顔をしている。 そんな宝塚駅から下りの各駅停車に乗る。ラッシュを過ぎた下りとあってガラガラで、最後尾車両は貸し切り状態だった。
 宝塚を出て、次の生瀬に来ると周囲に山が迫ってくる。生瀬からは長大トンネルが連続し、 トンネルを快走するうちに武田尾に着く。武田尾は「秘境駅」として有名で、 宝塚からほど近い立地ながら周囲にほとんど民家はない。ホームからは、ただ武庫川の渓谷が見えるのみである。 駅員もおらず、出口にはICOCAの簡易タッチ機のみが置かれている。 ここで降りるのは初めてなのだが、予備知識があってもこの光景には面喰らう。
 そんな無人の武田尾駅だが、何人か駅から乗車する人がいる。どこから来たんだろうと周囲を観察していると、 駅近くの武田尾温泉からの送迎バスがやってきた。この時間帯は、温泉帰りの客が結構いるようだ。


武田尾駅で降りると、ホームの目の前に武庫川の渓谷が見える。


武田尾駅のホームの半分はトンネルの中にあり、まるで地下鉄のよう。


ホームのもう半分は武庫川の橋梁上にある。その先には険しい山が。

JR武田尾10:18発〜上佐曽利10:42着 阪急田園バス

 武田尾駅の小さな駅前広場に、阪急バスカラーのバスが1台停まっている。意外にも、割と新しい床の低いバスだった。 乗り込むと、先客はおばさん一人だった。発車までしばらく待つも、乗客が増えることなく発車する。
 これから乗るバスは、阪急田園バスという阪急バスの子会社が運営している。 今では単なる子会社にしか見えないが、この会社は宝塚市北部の西谷地区と市街地を結ぶ目的で作られた。 西谷地区からは武田尾駅に1時間に1本ほど、宝塚駅に一日数本のバスが出ている。
 JR武田尾を出たバスは、まずは川沿いを走る。しばらくすると「武田尾」というバス停がある。 似たような名前で紛らわしいが、ここには旧武田尾駅舎がそのまま残っていた。 国鉄時代、福知山線は武庫川の渓谷沿いを走っており、その時の遺構がまだ残っているのだった。
 さらに少し走ると川沿いを離れ、山へ分け入っていく。 この先の道はすさまじかった。自動車1台が何とか走れるか、という急カーブかつ急勾配の道を、 バスは人間業とは思えないスピードで進んでいく。ローカルバスに何本か乗ってきた私でも、ここまでの悪路は初めてだ。 いくら毎日の仕事とはいえ、ベテランの運転士さんの技量には恐れ入る。 また、途中には数軒の民家があるくらいで、あとは横に沢が流れる鬱蒼とした林の中を進んでいく。 そんな区間が延々10分近く続いただろうか。
 ただ、途中には新名神の工事現場もあり、その個所では秘境感が失われていた。 また、水害対策のためだろうか、一部の区間では道路沿いの沢に堤防を作る工事が進んでいた。 堤防工事の方は今後もどんどん実施されるかもしれない。もっとも、道路の拡幅は行われていないようだったから、 道の狭さは今後も変わらないだろうが。
 そんな区間を抜けると、宝塚市中心部から来た県道と合流し、 あとは2車線の田舎道を淡々と進んでいく。田んぼの間に民家が点在するごく普通の光景だ。 そういえば、武田尾から乗ってきたおばさんは2つ目ぐらいの停留所で降りてしまい、 バスは貸し切り状態となってしまった。西谷地区の中心部と思われる(その割に商店などはほとんど無かったが)西谷支所前、 多くのバスが折り返す東部を過ぎ、終点の上佐曽利に到着。 ここは西谷地区の最深部(本当はこの奥にもう一つバス停があるが、そこまで行くバスは一日1〜2本)で、 集会所の前にバスの折り返しスペースがあった。


武田尾駅前の狭いロータリーで発車を待つ上佐曽利行き。

林田口11:20発〜日生中央11:40着 阪急バス

 さて、上佐曽利から先はバスがないが、単純に折り返すのはつまらない。 上佐曽利から2kmあまり北東に歩くと、隣の猪名川町の六瀬という集落に出られる。 ここからは日生中央と、猪名川町北部の杉生やその先の篠山町の後川を結ぶバスに乗れるので、これを利用することにした。
 小雪がちらつく中、六瀬までの道を歩く。最初のうちはまともな2車線道だったが、 程なく車がすれ違うのがやっと、という狭い道になる。 それでもあっという間に市境となる峠を越え、あとは下りとなる。下り坂が多かったお蔭か、 20分余りで林田口バス停にたどり着いた。バス停付近にはコンビニがあり、軽食を買ってバスを待つ。
 やってきたバスは、一番後ろに乗車口がある古いタイプの車両だった。 阪急バスの車両については全然詳しくないが、私が関西にいた90年代半ばごろまではほとんどがこのタイプの車両だった記憶がある。 しかし、今では車体の真ん中に乗車口がある低床タイプの車両ばかりになり、 古いタイプはここと豊能町内で完結する路線でしか見かけなかった。 近年、大阪府の市街地で排ガス規制が行われるようになったことが影響しているのかもしれない。
 車内には10人弱の客がいた。やはりというか何というか、揃いもそろってお年寄りばかりである。 バスは、割と通行量の多い県道を進む。途中には立派な道の駅もある。阪神間から篠山や園部へ抜ける道として需要が多いようだ。 西谷地区と同じく、田舎の光景が続く。途中、屏風岩というバス停がある。 付近にはその名の通り、川沿いに切り立った高さ15mぐらいの崖があった。 崖の前には茶店もあり、ちょっとした観光地となっている。
 バスはやがて、紫合(ゆうだ)というバス停に着く。ここは保健センターという副名称がついており、 病院通いのお年寄りが大挙して降りていった。紫合でバスは左に曲がり、能勢電の日生中央駅に向かう。 かつて、この路線は紫合から南へまっすぐ進み、川西能勢口や池田に直通していた。 特に川西能勢口へは割と最近まで直通しており、川西のバスターミナルで「篠山町後川」という行先を見ることができた。
 紫合からは典型的な郊外ニュータウンの光景となり、程なく日生中央に着く。およそ10数年ぶりの訪問となるだろうか。 関西には珍しく、小雪がちらついていた。


上佐曽利から六瀬まで、こんな道を20分あまり歩いた。


日生中央に到着したバス。車両はやや古いタイプだった。

日生中央11:49発〜川西能勢口12:09着 能勢電鉄

川西能勢口12:13発〜池田12:15着 阪急電鉄

 日生中央からは、久々の乗車となる能勢電に乗る。 が、車両の方は相変わらずぼろぼろの元阪急2000系列で、思わず苦笑する。 能勢電は車両を阪急の中古で賄うのが通例だが、2000年頃から阪急の方の車両更新が滞り、 それに合わせて能勢電の車両も置き換えが進んでいない。阪急の方はここ数年ようやく新車が入るようになってきたが、 能勢電も早めに何とかしてほしいものだ。
 車窓の方は特に見るものもなく、川西能勢口に到着。阪急宝塚線に乗り換える。 こちらは一転して真新しい9000系がやってきた。これに1駅乗り、池田で下車する。


久々に乗車した能勢電。塗装は数年前にマルーンに戻った。


乗り換えた阪急宝塚線の車両は、新製間もない9000系。

池田12:30発〜中止々呂美12:55着 阪急バス

 池田は、宝塚から箕面にかけての阪神間北部では古くから栄えた町で、かつては地域の中心地だった。 もっとも、駅前は近年(といっても昭和の末期)再開発され、機能的なショッピングモールやバスロータリーが整備されている。
 そんな駅前から少し外れたところに、時代がかったバスセンターがある。 長距離のバスがまだ健在だった昭和の頃は、ここはこの地域のバスのハブ的存在だったという。 池田市の北にある能勢町、豊能町、猪名川町、そして川西を経由して南の伊丹、尼崎、更には梅田や千里中央にまで至る路線が発着していた。 しかし今では途中で系統が分離され、池田市北部の伏尾台や久安寺へのバスが中心となっている。
 バスセンターには、10人ほどが列を作っていた。伏尾台行きのバスを出すと、豊能町の中心部である余野を経由して、 亀岡市との境の牧に向かうバスが入線してきた。 このバスターミナルから出る現在唯一の長距離路線で、走行距離は10数キロになる。直線距離だと池田から梅田に出るより遠い。
 立ち客が少し出るほどの混雑で池田を発車する。乗客は案外若い人も多い。 まずは池田市内を北上する。植木で有名な細河地区を過ぎると、だんだん山の中に入っていく。 吉田橋バス停で伏尾台への道と分かれ、いよいよ本格的な山越えとなる。しばらく山の中を進むと、 久安寺バス停に着く。その名の通りの大きな寺院と、結構大きなマンションがあり、かなりの客が下車した。 需要が多いだけあって、ラッシュ時は久安寺止まりのバスも走っている。
 久安寺を過ぎるといよいよ周囲には何もなくなり、川っぷちの狭苦しい道を急カーブを繰り返しながら進んでいく。 途中、発電所前というバス停があるが、周囲には一切建物はなく、バス停の標柱も最近見かけなくなった旧式のもので朽ちそうになっている。 しばらく進んでいくと、急に人工的な高架橋が現れる。千里中央へとつながる箕面有料道路である。 はっきり言ってこの辺はバイパスをわざわざ作るほど開発が進んでいる場所ではないが、 このあたりに新名神のインターができる予定であり、その暁には箕面有料道路が市街地へのアクセス道路となる予定である。
 新名神の工事現場を過ぎると、中止々呂美バス停に着く。バスはこの先まだまだ山中を進み余野に向かうが、 この先の道は一度通ったことがあるし、余野には後で行く予定なので、いったんここで下車する。下車する人は結構多かった。


池田の古めかしいバスターミナルで発車を待つ牧行き。

中止々呂美12:58発〜白島13:08着 阪急バス

かやの中央13:45発〜千里中央13:55着 阪急バス

 中止々呂美で下車すると、目の前には真新しい道路が山の上へと向かっている。この先には、箕面森町という新興住宅街がある。 下車した客はみなそちらへと向かっていった。その箕面森町からは、箕面有料道路を通って千里中央に向かうバスが出ている。 これは他所者の単なる思い付きなのだが、池田からのバスを箕面森町経由にし、千里中央へのバスと相互に接続させるといいと思う。 池田から箕面森町へのアクセスが良くなるし、余野方面から千里中央に出るのも便利になると思う。
 バス停で数分待つと、坂の上からバスがやっていた。高速走行に対応した、座席の多いタイプの車両であったが、 車内は空いており乗客は4、5人しかいない。ちなみにこのバスは、何故か2Dayパスでは乗車できない。 バスは今来た道をしばらく進んだ後、有料道路に入る。 長い長いトンネルを法定速度を守ってゆっくりと走り、トンネルを抜けるとそこは箕面の市街地だった。分かっていてもやっぱり違和感がある。
 トンネルを抜けてすぐの白島バス停で下車する。このバス停の近くに、みのおキューズモールというショッピングモールがある。 実家の近所ながら今まで行ったことがなかったので、昼食を摂りつつ少し歩いてみる。特に目立った点はなかったが、 この付近には、昔から計画だけはあった北急の延伸線の終点が作られることがついに決定したので、その暁には街の中心として栄えるのだろう。 しばらくぶらぶらした後、シャトルバスで千里中央に向かう。このバスは2Dayパスが使えた。


みのおキューズモールからのシャトルバスは、千里中央の駅はずれのヤマダ電機付近に到着。

千里中央14:18発〜余野15:04着 阪急バス

 千里中央は、その名の通り北摂と呼ばれる大阪府北部の真ん中に位置し、 豊中、吹田、茨木、箕面の各方面に数多くのバス路線が出ている。乗り場の数も10を超え、おそらく阪急バスの管内でも最も多い。 そんな中、これから乗るバスは千里中央を発着する路線でもおそらく最長距離を誇る路線である。 これから乗るバスは、先程トンネルで通り抜けた険しい山を越え、山間部のいくつかの集落に立ち寄りながら余野へ向かうのだ。 人で賑わう千里中央から人里外れた山中へ、非常にギャップの激しい路線である。
 かやの中央からのバスは駅の北はずれのヤマダ電機付近に止まった上、これから乗るバスの乗り場を探すのに手間取り、 10分近くもさまよってしまった。ようやく余野行きのバス乗り場にたどり着くと、すでに10人以上の客が列をなしていた。 さすが終点まで1時間を要する長距離路線だけあって、待つ人も気合が入っているということか。
 強風が吹く寒い乗り場にバスが入ってきたのは発車時間の直前であった。しかも列の先頭がどこなのか今一つあいまいで、 バスに客が乗り込む際は盛大に列が崩れてしまった。それでも何とか運転席直後の席を確保。車内には立ち客もいるが、 まさか余野までずっとこんな状態なのだろうか。
 千里中央を出たバスは、片側3車線もある新御堂筋を北へ快走する。大規模な倉庫群がある新船場を抜け、先程通った白島に着く。 さらに北に進んで目の前に山が迫ってくると、山沿いに敷かれた道路を東へと進む。 外院という箕面市北部の住宅街を抜け、粟生団地という大きなロータリーを備えたバス停に到着。 ここまでで結構な数の客が降り、立つ人はいなくなった。ここまでは普通の住宅街を進むばかりで、長距離系統のバスに乗っているという感じはしない。
 だが、ここから先の道はすごかった。バスはやおら山の方へ向かったかと思うと、平地が全くない渓谷沿いを10分近く延々と走り続けた。 道は一応2車線だが、カーブや勾配がものすごく、こんな道を大型の路線バスが速度を緩めずに走っているのが信じられなかった。 しばらく走り、クリーンセンターというゴミ処分場を過ぎたあたりから、ようやく平地も見られるようになるが、何せ土地が狭いので棚田が多くみられる。 大阪府内、しかも千里中央から程近い所でこんな光景が見られるとは思わなかった。
 そんな山道を抜けると、茨木市の泉原という集落に出る。大きな集落ではないが、何せ家を見るのが久し振り、という感じなので何だかほっとする。 集落内ではお年寄りが何人か下車していったが、梅田にあるデパートの紙袋をぶら下げている人もいた。 ここから最寄りの大都会というと梅田なので不思議ではないのだが、何だか不思議な感じがする。 また、泉原では茨木市駅からのバスと合流する。
 その次の千提寺口バス停付近には、10階建てほどの大きなビルが急にあらわれ驚かされる。どうやら老人ホームらしい。 また、ここでは茨木市からのバスと再び分かれる。向こうは北西にある忍頂寺というバス停へ向かう。忍頂寺へはこの後行く予定だ。 ここから先は山林と田畑、集落が入り混じる光景がしばらく続く。人の入らない田んぼは雪をかぶっている。 しばらく走って阪急バスの営業所が見えたかと思うと、 バスは急に大規模なニュータウンを走り始める。あまりにも唐突な車窓の変化に驚いてしまった。 ここは希望ヶ丘といい、大阪府北部の山間部にあるニュータウンの中でも最大規模を誇る。よくもまあスゴイ所に街を作ったものだと思ったが、 桔梗が丘とか西神中央とかから大阪市内に通うことを考えれば、そこまで凄まじい立地ではないのかもしれない。 希望ヶ丘四丁目と三丁目バス停で残った客がガサガサっと降りた。泉原で降りる人はお年寄りばっかりだったのに対し、こちらは若い人も多かった。 そして、車内には私一人が残された。希望ヶ丘を抜けると、車窓は山村の風景へと逆戻りする。程なく、終点の余野に到着。 だだっ広いバスロータリーに降ろされた。


険しい山を越え、余野に到着したバス。後ろには残雪が見える。

余野15:11発〜忍頂寺15:35着 阪急バス

 余野は豊能町の中心部にあり、周囲には役所や小中学校、病院、スーパー、コンビニが揃う。 先程、希望が丘をとんでもない場所だと書いたが、余野まではクルマですぐの距離なので、実はそこまで不便ではないのかもしれない。
 余野のバスロータリーでは、一台のバスが発車を待っていた。日生中央まで乗ったのと同じ古いタイプのバスだ。 このバスは、これまで通ってきた希望ヶ丘の北側をぐるっと回り、忍頂寺に向かう。 乗客は誰もおらず、貸し切り状態で発車する。ロータリーを出て少し走ると、町役場やスーパーの前に別のバス停がある。 ここも余野のバス停で、3人ほどのお婆さんが乗ってきた。余野バス停は2か所に分かれており、基本的にはロータリーを発着するが、 役場前を通る便はこちらにも停車する。ただし、池田から牧へ向かう便はロータリーは通らない。
 余野を出たバスは、山間部をのんびりと走る。道は基本的に2車線が確保されているが、 勾配やカーブが多く、しかもこれまであまり見なかった雪が道に積もっている。 バスはチェーンを巻いているので安心だな、と思っていると、トラックが派手にスリップして脱輪し、道をふさいでいた。 バスはその脇を恐る恐る進んでいく。しばらく進むとお婆さんたちが降りてしまい、バスは再び貸し切り状態になった。 途中のバス停で男性が一人乗ってきたが、それ以外は乗客のないまま終点の忍頂寺に到着した。


忍頂寺行のバスは年季が入っている。字幕式の表示機が残るバスはすっかり少なくなった。

忍頂寺15:54発〜車作16:04着 阪急バス

車作16:17発〜阪急茨木16:50着 阪急バス

 忍頂寺は余野と同じく、広いバスロータリーと小さな待合室を備えている。 バスロータリーには阪急茨木行きのバスが待っていて、接続を取った後発車していった。 今回はこのバスには乗らず、東の車作(くるまつくり)という集落に向かうバスに乗る。このバスはこれまで乗ってきたバスの中でもかなり本数が少なく、 一日4往復しかない。ちなみに、この系統は例のバスロータリーには入らず、少し離れたバス停から発車する。 行ってみると、バスが通るとは思えない狭い路地にバス停がぽつんと立っていた。
 バス停の周囲にはガソリンスタンド一軒といくばくかの民家があるのみで、 商店や飲食店の類はない。20分余り待ち時間があるが時間をつぶす場所もなく、冷たい風が吹く中仕方なく外で待たざるを得なかった。 ようやくやってきたバスはまたも無人で、先程のバスに途中から乗ってきた男性と共に乗り込む。
 今度のバスは、比較的険しい山の中を進む。途中には乗用車でもすれ違うのがやっと、という箇所も見られた。 途中、忍頂寺小学校前というバス停があり、小学生が3人乗ってきた。このバス、どうやら小学生の通学バスという需要があるようだ。 途中の道は相変わらず長閑だが、とある集落には「廃棄物処分場反対」というような看板がいくつも建っていた。 今日通ってきたところは都心から非常に近い山間部ゆえ、途中の道には処分場が確かに多くみられた。
 そうしているうち、やがてバスは終点の車作に到着。ここで車内放送があり、このバスがそのまま阪急茨木まで直通するとのこと。 また寒い屋外で待たずに済み、ほっとした。それにしても、車作バス停は標柱、屋根、ロータリーとすべてが新しく、 これまでのバス停とは明らかに異質である。てっきり、忍頂寺のようなところを想像していたのだが。
 車作を出たバスは、これまでの山道とはうって変わって非常に整備された府道を進む。道路はまっすぐで、 今すぐにでも4車線に拡張できそうなスペースがかなりの区間で確保されている。 途中の生保というバス停などは、真新しいニュータウンのような所にあった。
 実は後で調べたところ、車作から生保にかけての区間は、安威川ダムの建設に伴い水没する集落を避けて道路を引き直した区間である。 生保バス停付近の宅地も、水没する家々の移転地であるらしい。道路が妙に立派なのは、新名神のインターがこのあたりにできる (といってもICそのものは泉原の方に近く、アクセス道路の出口が生保付近にできる)ため、 アクセス道路として整備されているようだ。いずれにしても、田舎びた山道を期待していた私としてはやや残念だった。
 バスは真新しい府道を快走し、だんだんと山から平野部に降りていく。周囲には大きなマンションも見られるようになる。 名神高速の下をくぐる頃には普通の住宅街となり、国道171号とJRを越えると、あとは茨木市の中心部をぐるぐると走り、終点の阪急茨木に着く。 悪路を走るバスに長いこと揺られていたので、さすがに疲れた。


狭い路地にぽつんと立つ忍頂寺のバス停。その後方には・・・


忍頂寺はTigers村、だったらしい。


真新しい車作バス停で小休止する阪急茨木行き。