関西近郊JR乗りつぶし(その1)―和歌山線・桜井線・奈良線など

 大阪平野は、どこまでも続くかと思うほど広い関東平野と違って、 北を能勢山地、東を生駒山地、南を和泉山地に囲まれていて平野の面積は狭い。 また、その後ろにはさらに丹波高地、鈴鹿山脈、紀伊山脈といった深い山々が控えている。
 そんな地形や、関東と比べて人口などが少ないこともあって、 関西では都心をちょっと離れただけで、 2両編成の電車や単行のディーゼルカーが行き交うのどかなローカル線に接することができる。 正月に帰省した折、18きっぷを使って関西近郊のローカル線を乗りつぶしに出かけた。

目次

2002/1/2

天王寺11:24発〜鳳11:38着 2121H 221(4)

 天王寺駅には大阪環状線や大和路線の列車が発着する地下ホームと、 阪和線の始発列車が発車する地上ホームとがある。 その地上ホームに行き、始発の阪和線快速電車に乗る。 停車していたのは221系の4連。以前阪和線快速に乗車した時は103系だったのだが、最近になって221系が使われるようになった。 それにしても、都心の電車なのに4連とは短い気がする。 京都線や神戸線は7連か8連が普通なので、それに見慣れると余計にそう感じる。
 天王寺を発車した電車は、都心を抜けて住宅街の中を進む。 しばらく走り、堺市、三国ヶ丘と停車する。三国ヶ丘は掘割の中にあり、その上を南海高野線がまたぐ。 東京でいえば下北沢のような構造の駅だ。 その次の停車駅は鳳。ここでまずは下車する。

鳳11:45発〜東羽衣11:48着 103(3)

東羽衣11:53発〜鳳11:56着 103(3)

 鳳は電車区がある駅で、構内には何本もホームがあり広々としている。 その一角から、阪和線の羽衣支線が発着している。その乗り場へ行くと、羽衣線専用の103系3連が発車を待っている。 字幕は「羽衣線」となっている。
 鳳を発車し、しばらくすると線路が高架となる。かつては海水浴場があり、 リゾート地だったという羽衣の町並みを高架から見下ろしていると、程なく列車が減速し、東羽衣に到着した。 所要3分ほどで、何ともあっけない。
 東羽衣は予想に反して高架の駅だった。ただし、高架化から随分時間が経っているようで、 駅は古びている。この駅は南海の羽衣駅と接しているが、駅のホームは高い壁で囲われていて、 外の様子は見えない。折り返し時間が短いので、駅の外には出ずそのまま折り返した。

鳳12:09発〜和歌山12:56着 4137M-4537M 223(8)

 鳳に戻って、しばらく待つと関空・紀州路快速がやってきた。 これから和歌山に向かうので、紀州路快速の編成に乗る。 紀州路快速は関空開港からしばらくしてから設定された列車で、阪和線沿線から大阪駅への直通列車として人気がある。 そのせいか、先程の快速より編成は倍の長さにもかかわらず、列車は混んでいた。
 鳳を出ても、住宅街を進む。阪和線は高架化がほとんどなされておらず、 多数の踏切を横切りながらかなりの高速で列車は走る。踏切事故が起きないか心配になる。 また、各駅停車が快速などを待避する駅は、いわゆる2面4線の構造になっている。 これは国鉄の路線にはあまり見られず、私鉄で多く見られる配線だ。 阪和線は阪和鉄道という私鉄として建設されたので、その名残だろう。
 やがて、列車は日根野に着く。ここで関空快速と切り離され、4両の身軽な編成で和歌山を目指す。 日根野を出ると、車窓には田畑が目立ってきた。と同時に、和泉山脈の山々が接近してきた。 和泉鳥取を出ると、いよいよ列車は山越えに掛かる。無人の渓谷をうねうねと曲がりながら通過し、 長いトンネルを越えて和歌山県に入る。紀ノ川の鉄橋を渡ると、終点の和歌山に到着。


紀州路快速で使用される223系。京都・神戸線の車両とはラインカラー等が異なる。

和歌山13:13発〜和歌山市13:19着 8241M 105(2)

和歌山市13:23発〜和歌山13:29着 8240M 105(2)

 和歌山からは、和歌山線に乗って奈良方面を目指すことにしている。 が、その前に和歌山から和歌山市に至る紀勢本線の末端部に乗車することにする。
 紀勢本線は、和歌山県から三重県まで、紀伊半島をぐるりと半周する路線だが、 その和歌山側の起点は阪和線と交わる和歌山市と思われがちである。 だが、本当の起点は南海線の和歌山市駅である。以前は、南海線から紀勢本線に乗り入れて白浜などに行く列車もあり、 名実ともに紀勢本線といって良い状態だったが、 今では和歌山市〜和歌山間は区間列車が行き交うだけの支線と化している。
 105系2連の列車に乗り、和歌山を発車。阪和線と分かれて左にカーブし、 町外れの住宅街を進む。程なく、紀和に到着。この駅はすさまじい駅で、 2階建てのかなり大きな駅ながら外見はぼろぼろで、しかも改札口もない無人駅だった。 広い構内は側線が全て剥がされ、雑草が生えた空き地が広がっている。
 紀和は、今の和歌山線のかつてのターミナルで、和歌山の中心部に最初にできた駅だった。 その後南海線の和歌山市駅ができた後も、それなりに重要な地位を占めていたが、 今の阪和線ができて国鉄のターミナルが和歌山駅に移ると没落し、 今や休日の昼間は一時間に一本しか列車が来ない寂しい駅に転落してしまった。 駅周囲はそれなりに市街が広がっているにもかかわらず、これだけ寂れているというのがますます悲惨だ。
 そんな紀和を出てさらに進むと、南海線と合流して和歌山市駅に着く。 和歌山市駅は南海のターミナルだけにJRの扱いは小さく、駅の片隅にちょこんと停まった。 改札も南海と共有だが、キセル等を防ぐためかJRホームの手前には改札機があった。 ここでも折り返し時間がわずかなので、駅から出ることもなく折り返す。

和歌山13:50発〜王寺16:21着 456M 105(2)

 和歌山に戻り、急いで昼食を摂って和歌山線の列車に乗る。 和歌山線の列車はまたしても105系2連だった。この105系は常磐線を走っていた103系を改造した車両で、 4ドアロングシートの通勤型電車である。車両にはトイレもついておらず、 こんな列車で王寺まで2時間半も揺られねばならないとは先が思いやられる。 ただし、和歌山から王寺までは阪和線・大和路線経由だと1時間半ほどで行けるため、 この列車に終点まで乗る人は実際にはまずいないだろう。
 乗り込んだ列車は混んでいた。座れないかと思うほどだったが、何とか2両目に席を確保する。 実はこの選択は正しく、この列車はワンマン運転なので2両目のドアは基本的に開かず、 おかげで寒い思いをせずに済んだ。
 和歌山を出た列車は、紀ノ川に沿って進んでいく。紀ノ川は、日本列島を貫く中央構造線に沿って流れる川で、 下流部はまっすぐに流れている。そのため、車窓はやや単調だ。田んぼの間をまっすぐ進み、 紀ノ川を渡ると岩出に到着。ここでは割と多くの人が降り、車内は随分空いてきた。
 粉河を過ぎても、相変わらず河岸の平地をまっすぐに進んでいく。やや山が迫ってきたところで、 南海高野線との交点である橋本に到着。
 橋本を出ると、次第に山が迫ってきて、線路は時折川沿いに押し出されるような形となる。 その上を、国道の高架が線路を押しつぶすかのように通過していく。まもなく、列車は五条に着く。 五条は、和歌山線の運行上節目となる駅で、ここから先は列車本数がおよそ半分となる。 この列車は五条で10分ちょっと停車した後さらに先まで行くが、五条からなぜか車掌が乗り込んできた。
 が、ここで問題があった。車掌乗務列車では、2両目を締め切るといったことはしない。 しかもこの105系はドアを半自動にする機能がないため、五条で停車している間ドアが開きっぱなしになり、寒い。 車掌もその辺は認識したようで、一旦ドアを閉め、列車に乗る人が現れるたびにドアスイッチを操作してドアを開けていた。 ローカル線は長時間停車も多いのだから、半自動機能ぐらいつけて欲しいものだ。
 列車は五条を出ると紀ノ川を離れ、山越えを始める。最初の停車駅は、 関西で唯一のスイッチバック駅として知られる北宇智だ。列車は一旦駅構内の引込み線に入った後、 バックしてホームへと進入した。見たところ、 SLならともかく電車ならばスイッチバックにする必要はない程度の勾配と思われるので、 ここのスイッチバックをそのままにしているのは工事が面倒だからだろうか、と思う。
 北宇智を出ると、列車は山の中をさまようように進む。相当長い距離を進み、 ようやく近鉄吉野線との乗換駅である吉野口に到着。さらに山の中を進み、ようやく奈良盆地に降りると、 まもなく高田に到着。
 高田は和歌山線から桜井線が分岐する駅だが、桜井線は後回しにし、和歌山線を王寺まで乗りとおした後、 王寺から桜井線直通列車に乗るつもりにしていた。が、列車は高田の駅をなかなか発車しない。 この日は風が強く、架線にビニールが引っかかったとかで発車は5分ほど遅れた。 王寺での乗り換え時間は1分しかないので、少し心配になる。
 結局遅れは回復することのないまま、終点の王寺に到着。 ポイントを渡って低速で構内を進み、ホームに差し掛かったところで、隣のホームの105系電車が発車していった。 字幕を見ると「奈良」。これから乗ろうとしていた列車だ。見事に乗り継ぎに失敗してしまった・・・。


画像で見えている先頭部分以外は、常磐線の103系を流用した105系。

王寺16:25発〜奈良16:39着 412K 221(?)

 王寺で下車すると、「奈良方面にお乗換えの方はお急ぎください」との放送が流れている。 隣のホームを見ると、大和路快速が発車を待っていて、手旗を持った駅員が乗り換え客がいないか見ている。 慌てて隣のホームに移動し、後先考えずに列車に乗り込んだ。
 車内で時刻表を繰ると、奈良ではぎりぎり桜井線の列車に接続することがわかった。 これに乗れば、さっきの乗りそこないをリカバーできそうだ。
 程なく、奈良に到着。王寺で発車待ちをしたので、乗り継ぎ時間はほとんどない。 慌てて乗り換える。

奈良16:42発〜王寺17:50着 561M 105(2)

王寺17:57発〜大阪18:32着 3445K 221(?)

 桜井線の列車はまたしても105系だった。奈良を出てすぐに日が暮れてしまい、見るものがなくなった。 車内を見ると、お札や縁起物を抱えた人が多い。 すっかり忘れていたが、今日は1月2日だ。沿線に寺社が多い桜井線には初詣客も多く集まるのだろう。
 途中、三輪の駅近くではライトアップされた三輪大社の鳥居が見えた。 ここでもまた初詣客が何人も乗ってきた。
 やがて、先程通った高田駅に到着。ここからはさっき通った線路を再び通って王寺へ。 王寺からは大和路快速で大阪へと戻った。

2002/1/4

北新地11:34発〜木津12:35着 1534M 207(7)

 三が日が明けたこの日は、東京へと戻る。 この日も例によって普通列車を乗り継いで東京へと戻る予定だが、昨日乗れなかった学研都市線、奈良線と、 未乗のまま残っている美濃赤坂支線を乗りつぶしていくつもりだ。
 まずは学研都市線に乗るべく、北新地駅に向かう。この駅は大阪駅から南に離れており、 大阪駅の北にある阪急梅田駅からはかなり離れている。地下鉄一駅分はあるのではないかと思うほどだ。 たっぷり15分ほど歩いてようやくたどり着いた。
 完成直後に乗車して以来、久しぶりの乗車となる東西線で大阪を離れる。 京橋で地上に出て学研都市線に入ると、列車は快速運転となり、住宅街を快走する。 学研都市線には、長尾から京橋まで一度だけ乗車したことがある。その時は夜だったので、実質初めて乗るといっていい。
 東寝屋川を過ぎたあたりから、沿線に徐々に田畑が目立ってくる。と同時に、右手には生駒山脈が迫ってきた。 まもなく、長尾に到着。2面3線構造の典型的な国鉄タイプの駅だ。 以前はこの駅より先は非電化だったという。しかし、今では最新の207系電車が行き交う近代的な路線に変わった。
 長尾の次は松井山手。JRになってからできた新しい駅で、ここが終着となる列車も多い。 非電化だった頃の名残だろうか、この松井山手では後ろ3両が切り離され、さらにこの先は線路も単線になる。 しかし、この先も改良が行われているようで、横にはもう一本線路を引く余裕があった。 また、京田辺駅は駅の改良工事中だった。この直後の2002年3月には、列車の切り離しを行う駅が京田辺に変わった。
 次の同志社前は、学生の利用が多くこの駅までの列車も多い。 しかし、駅舎は廃車となった583系電車の車体を改造したものだ。 何だか、貨車を駅舎代わりにしている田舎の駅のようだ。
 同志社前からは、近鉄京都線と併走する。車窓にちらちらと線路が見える。 しかし、周囲には家は少なく、2本も線路を引くのがもったいないぐらいだ。 そんな所を走り、終点の木津に到着。

木津12:49発〜京都13:26着 2628M 221(4)

 木津駅は昔ながらの佇まいを残していて、ホームには大きくて古びた待合室がある。 その待合室で寒さをしのぎつつ、次の列車を待つ。
 やってきたのは最近になって設定された「みやこ路快速」だ。 JR西日本では、民営化直後に「大和路快速」が登場して以来、 「紀州路快速」「丹波路快速」と、「〜路快速」と付く列車が次々と登場している。 これらの列車に共通しているのは、転換クロスシート車両が使われている点。 「みやこ路快速」も、221系で運転される。
 クロスシートに座り、京都へ向けて北上する。最初のうちは、先程乗った学研都市線の末端部と似た風景が続く。 学研都市線は木津川の西岸、こちらは東岸という違いはあるが、家は少ない。
 だが、途中の城陽からは風景が一変し、家が増えてくる。 城陽、宇治と停車するにつれ乗客は増え、立つ人も出てきた。 その割に、線路は単線でスピードはあまり出ない。併走する近鉄京都線や京阪宇治線は複線なので、見劣りがする。 JR西日本は、京都・神戸線では複々線という恵まれた線路条件を生かして高速ダイヤを引き、 阪急や阪神などの並行私鉄に対し優位に立っているが、この奈良線では私鉄の後塵を拝している感が否めない。
 六地蔵を出ると、いよいよ京都市内に入る。京都市内では京都の手前の東福寺にしか停まらないが、 今日は伏見稲荷に行く初詣客のために稲荷駅に臨時停車するという。 稲荷駅に停車すると、確かに乗り降りする人は多かった。
 臨時停車があったので、京都駅到着は1〜2分遅れた。次に乗る長浜行き新快速への乗り換え時間は2分しかない。 慌てて次の列車に乗り換える。

京都13:28発〜米原14:18着 3324M 223(8)

米原14:28発〜大垣14:58着 222F 117(4)

 琵琶湖線のホームに着くと、新快速はまだ来ていなかった。 どうやら向こうの方がより遅れていたようだ。
 新快速で米原に向かい、米原からはこの時期はいつも混む大垣行き普通列車に乗る。 大垣ではすぐに新快速に連絡するが、そちらには乗らず一旦駅を出て時間をつぶす。

大垣15:30発〜美濃赤坂15:37着 1219F 117(4)

美濃赤坂15:47発〜大垣15:53着 1218M 117(4)

 大垣で下車したのは、東海道線の支線である美濃赤坂支線に乗車するためだ。 美濃赤坂支線は主に貨物輸送が目的で作られたはずだが、 天下の大幹線たる東海道線にぶら下がる零細な盲腸線という対比が妙で、前々から乗ってみたいと思っていた。
 駅のホームに戻ると、美濃赤坂行きは117系だった。117系は名古屋地区の快速用として、 国鉄時代に鳴り物入りで導入されたが、2ドアで乗り降りに時間が掛かるせいか既に第一線を退いており、 ラッシュ時の快速列車が主な仕事場となっている。そのため昼間は仕事がなく、 大垣〜米原間や美濃赤坂支線でアルバイトをしているようだ。
 大垣を発車して東海道線をしばらく逆行すると、いくつかの線路が分かれる信号所がある。 この信号所では美濃赤坂支線と、垂井駅を経由せず関ヶ原に向かう短絡線が分岐している。 その信号所で本線と分かれ、列車は右に大きくカーブする。そのカーブの途中に荒尾駅がある。 ホームは一本しかなく、駅舎はおろか屋根すらない。当然、無人駅である。 東海道線の駅としては、おそらく最も簡素な駅だろう。
 荒尾を出て、単線の線路を進み、終点の美濃赤坂に到着。 駅構内には貨物用の施設や側線が多くあり、広い。 すぐに折り返すつもりなので、荷物を置いて外に出た。ホームには雪が積もっている。 ここは関ヶ原に近く、雪が多いのだろう。雪が残る通路を歩いて駅舎に向かうと、 中には人はいない。ここは貨物の要員は(おそらく)いるものの、改札などをする駅員はいないようだ。
 古びてはいるもののそこそこ立派な駅舎をしばらく眺め、列車に戻る。 が、置いておいた荷物がない。周囲の人に聞くと「車掌が持っていった」とのこと。 慌てて乗務員室に行き、荷物を取り戻した。 ちょうどアメリカ同時多発テロの直後でもあり、鉄道会社も不審な荷物などに過敏になっている時期だったようだ。
 再び列車に乗り、大垣に戻る。

大垣16:03発〜豊橋17:24着 2242F 313(4)

豊橋17:26発〜浜松17:58着 188F 211(3)

浜松18:11発〜静岡19:22着 794M 211(6)

 あとはいつも通り、東京に向けて列車を乗り継いでいくだけだ。 大垣から3時間を掛け、ようやく静岡に着く。

静岡19:34発〜東京22:40着 366M 373(9)

 静岡からは、東海道線の普通列車を乗り継ぐ際に毎回利用する373系使用の普通列車に乗る。 実は今回の行程は、この列車をに乗り継げるよう逆算してプランした。 やはり特急型車両に乗っていると、貧乏旅行をしているとは思えない。 静岡から3時間で、東京駅に到着。

乗車記録

今回の乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
阪和線鳳〜東羽衣1.7
紀勢本線和歌山市〜和歌山3.3
和歌山線王寺〜和歌山87.9
桜井線奈良〜高田29.4
片町線長尾〜木津18.6
奈良線京都〜木津34.7
東海道本線大垣〜美濃赤坂5.0
合計180.6

乗りつぶし状況

 総キロ数走破キロ数走破率総路線数走破路線数路線走破率
旅行前19860.910878.754.77%1716236.26%
旅行後19860.911059.355.68%1716739.18%