2016/5/2
■ 東京8:40発〜仙台10:15着 はやぶさ7号
朝8時半、東京駅へとやってきた。本来なら通勤客でごった返すはずの時刻だが、
今日は連休の狭間の平日とあって心持ち通勤客が少ない。
今日はまず、「はやぶさ」で仙台へと向かう。よくよく考えると、2015年8月に仙台に行った時と全く同じ時刻の列車だ。
あの日と同じく、発車数分前になってようやく清掃が終わり、ドアが開く。ただ、前回は盆の真っ只中で満席だったのに対し、
今回は通路側の席が全て埋まらない程度の混雑だ。
東京を発車し、埼京線と競り合いながら大宮に到着。ここから一気にスピードを上げて北上する。
宇都宮を過ぎると周囲に霧が立ち込めてきた。この日の東北南部は曇り気味で、どんよりとした中を進む。
やがて、仙台に到着。駅前は霧雨が舞い、やや肌寒い。
■ 仙台10:21発〜八木山動物公園11:25着 仙台市交東西線
今回あえて仙台で途中下車したのは、昨年12月に開業した地下鉄東西線に乗るためだ。
地下鉄の新線開業は全国的に見ても2010年代に入って初めてで、また今後数年はない見込みだ。
私鉄全線完乗のタイトルを守るためにも、是非乗っておきたい。
仙台駅の1階から地下通路に入ると、東西線の改札がある。ここで840円の一日乗車券を買う。
そこそこ高いが、仙台から東西線の終点まで乗ると一乗車300円もするので、十分元が取れる。
改札を通ると、長い長いエスカレーターでホームへ。東京の大江戸線あたりを思わせる長さだ。
ちなみに、この東西線は小型車体でリニアモータ駆動という点でも大江戸線と似ている。
すぐにやってきた列車で、まずは西端の八木山動物公園に向かう。列車は4両編成で、座席はほとんど埋まっっている。
平日のこの時間にしてはそこそこ乗っている。
車両の内装はどことなく横浜のグリーンラインに似ているが、同じ仙台の南北線と同じく、
ドア窓が卵型になっているのが特徴的だ。
仙台の繁華街に位置する青葉通一番町を過ぎ、大町西公園を出ると線路はいきなり地上に出て、広瀬川を渡る。
広瀬川はこの辺りで深い谷を刻んでいるため、このような線形になっているようだ。
御茶ノ水あたりの丸ノ内線と似た状況だ。その先の川内、青葉山の各駅はいずれも東北大学のキャンパスに近く、
多くの学生が下車していった。これだけ仙台駅から近いと、福島や一ノ関辺りからなら通学も可能そうだ。
青葉山から八木山動物公園までは、Z字を描くような不思議な線形となっている。
八木山動物公園はかなり標高の高いところにある(136.4mで、地下鉄では一位なのだとか)ので、
高さを稼ぐためにあえて迂回させているのだろうか。
その八木山動物公園駅は「ベニーランド」という遊園地の近くで、子連れ客が何人か下車していった。
また、駅前には幹線道路やバスロータリーもあり、交通結節点にもなっているようだ。
■ 八木山動物公園11:33発〜荒井12:49着 仙台市交東西線
■ 荒井11:33発〜仙台12:49着 仙台市交東西線
八木山動物公園から折り返して、今度は東端の荒井に向かう。
仙台まで折り返すと、列車は何度もカーブを繰り返しながら南東へと向かう。
2つ先の連坊までの間に5つも直角カーブがあるという不思議な線形になっているのだが、
小型車体の東西線は苦もなく進んでいく。
やがて終点の荒井に到着。周囲にバスロータリーはあるが、店舗はほとんどない。
駅前にも関わらず空き地や畑が目立ち、まだまだ発展途上といったところだ。
この辺りは海に近く、東日本大震災で甚大な被害を受けた地区も近い。
駅の中には「311メモリアル交流館」という施設もあるが、あいにく休館日で中は見られなかった。
折り返して仙台駅に戻り、再び新幹線乗り場に向かう。
■ 仙台11:54発〜奥津軽いまべつ13:47着 はやぶさ13号
仙台から再び「はやぶさ」に乗る。仙台を出てしばらく走り、古川辺りまで来ると、
周囲は北上川沿いの田園地帯となる。田んぼには既に水の張られているものもあって、
連休明けぐらいには田植えが始まりそうな気配だ。
盛岡では編成前方の「こまち」を切り離す。もはや見慣れた光景だが、ギャラリーの数は意外に多かった。
(かくいう自分も見に行ったのだが…)盛岡を出ると、左手にまだ雪の残る岩手山が見える。
だが、しばらくすると列車は長い長いトンネルに入る。盛岡から新青森にかけてはトンネル外の区間の方が少なく、
八戸〜七戸十和田間以外はほぼずっと真っ暗である。数少ない地上区間も防音壁に眺めが遮られることが多い。
八戸、新青森と停車するが、降りる客は案外多くない。新青森からの乗客も多くて、
窓側の席の多くが埋まったまま新青森を発車する。乗車率の低さが指摘される北海道新幹線だが、
この列車に限ってはまずまずの乗車率だった。
さて、ここからいよいよ北海道新幹線である。
新青森を出て、これまでもあった車両基地を過ぎると真新しい高架に入る。
まずは、津軽半島のやや内陸寄りを真っすぐに北上する。
右手には津軽湾と、津軽線沿いにある民家が見える。
これまでは、単線の津軽線を右往左往しながら函館へと向かっていたのが、今や新幹線ですいすいと北上できるのだから、
有難い時代になったものだと思う。
しばらくするとトンネルに入り、スピードが落ちる。左右から在来線の線路が合流してきて、三線軌条となる。
ここからは、かつて「津軽海峡線」という在来線だった区間を拝借する形で新幹線を通している。
在来線の旅客列車は廃止されたが、貨物列車はまだ残っており、新幹線が全力で走ると貨物列車に追いついてしまうし、
風圧で貨物が飛ぶ恐れもある。そのため、最高速度は140km/hに制限されている。
東北新幹線内の走りに比べるといかにも遅く、もどかしさを感じる。
やがて、奥津軽いまべつに到着、下車する。かつての海峡線の津軽今別駅や、
津軽線の津軽二股駅と同じ位置に建設された駅だ。ここで降りるのは2003年に津軽線の乗りつぶしに来て以来、13年ぶりだ。
駅は大きく様変わりしていたが、当時もあった道の駅は健在だった。また、周囲の建物の少なさも変わっていない。
新幹線の停車駅とはとても思えないようなロケーションの駅だが、乗降客は案外多かった。
駅の改札口から外に通じる通路からは、駅構内の様子が見渡せる。列車からはよく見えないが、
新幹線ホームを囲むように在来線の線路がある。貨物列車が新幹線を待避できるよう、側線もある。
この通路は線路の上にあるが、線路自体は高架上にあるので、通路から外に出るにはかなりの高さを降りなければならない。
道の駅に行くには一旦外に出た後、さらに通路を歩く必要がある。
■ 青函トンネル記念館14:50発〜体験坑道14:58着 青函トンネル竜飛斜坑線
■ 体験坑道15:27発〜青函トンネル記念館15:34着 青函トンネル竜飛斜坑線
そんな奥津軽いまべつで下車したのは、近くにある「青函トンネル記念館」を訪れるためだ。
青函トンネル記念館は青森側のトンネル建設基地の跡に建てられたもので、ケーブルカーで旧・竜飛海底駅の近くまで行くこともできる。
北海道新幹線に乗る前に、ぜひトンネルを間近で眺めてみようと思って寄り道することにした。
近いとはいっても駅から記念館までは20km以上離れているし、バスも本数が少なく使いづらい。
そこで、一連の鉄道旅では初となるレンタカーを使っていくことにした。
道の駅でクルマを借り、出発する。途中、海沿いを走るところもあって眺めが良いが、
集落の中では意外と道が狭く、運転時に気を抜いていられない。やはり、列車から景色を眺める方が気楽だ。
30分ほどで記念館に到着。
記念館に入り、ケーブルカーの乗車券を買う。発車まで少し時間があるので、併設されている記念館を見る。
こちらはそれほど特筆すべきものはなかったが、トンネルの貫通式で実際に使ったという酒を入れる桝なども残されており、
当時の熱気が伝わってくる。
時間になったので、ケーブルカーに乗る。オレンジ色の、それほど大きくない車体だ。
このケーブルカーは着席での乗車しか認めていないようで、30余りある車内の座席はほぼ埋まった。
時間になると坑道に降りるトンネルのゲートが轟音を立てて開いた後、ケーブルカーはトンネルを降りていく。
海面下140mまで、7分ほど掛けて淡々と降りていく。
トンネルを降り切ったところで、外に案内される。出てすぐのところに、20台ほども自転車が置かれている。
これはトンネル保守員が用いるものらしい。
このケーブルカーはトンネルの保守用として実際に使用されているようで、
帰りの便には作業員の人が便乗していた。自転車置き場を出ると、軌道が引かれたトンネルがある。
どこに向かうのかは不明だがこれが非常に急で、今でも使っているのだろうかと思う。
坑道内は湧き水で床のほとんどが濡れており、空気も湿っぽい。
坑道内には、実際に建設に使用した機材が置かれており、音声により建設の歴史について説明がある。
トンネル建設の歴史はは異常出水との闘いの歴史であり、地盤を強化しつつ20年以上かけて建設が行われたという。
一通り見終わると、旧竜飛海底駅につながるトンネルがある。海底駅の廃止された今は柵がされているが、
かつては海底駅から見学コースに来ることができた。今でも、運がよければ新幹線や貨物列車の通過音が聞こえるらしい。
20分余りの見学を終え、地上に戻る。見学できる部分は、トンネル全体からみればわずかな割合に過ぎないが、
逆に青函トンネルの壮大さを実感できた。これは単に列車で通過するだけでは、なかなか実感できないものだと思う。
記念館を出て、時間が余ったので竜飛岬の方にも行ってみる。聞いていた通り、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑もあった。
ここからの竜飛漁港の眺めは素晴らしかった。そのはるか向こうには北海道の姿も見える。
よくぞあんな遠くまでトンネルを掘ったものだと思ってしまう。
レンタカーで駅まで戻り、道の駅で買い物などをした後、改札口を通る。ふと見ると、
財布の中にあるはずのクレジットカードがない。航空券などはそのカードで買っているので、
どこかに忘れたのだとしたらこの後かなり面倒なことになる。そういえば、道の駅でレンタカーを借りたときにカードを使った。
その時の係員のおじさんはあまり慣れていないような感じで、カードを返し忘れた可能性がある。
道の駅に戻って確認したいが、歩いて2、3分はかかる。列車が出るまで5分ほどしかない。次の列車は2時間後だ。
しかし、ここで確認しなかったら後悔すると思い、全力ダッシュで道の駅に戻る。だが、カードはないとのこと。
仕方なく、再びダッシュで駅に戻る。とりあえず新函館北斗に着いたらカード会社に電話するしかないなと思う。
途中、エレベータに乗っている間にもう一度財布の中を見ると、普段物を入れない奥の方にカードが入っていた。
以前、新八代から新幹線に乗った時にもこんな騒動があったなと自分自身に呆れながらもダッシュし、どうにか新幹線には間に合った。
青函トンネル記念館のケーブルカー。遊戯用ではなく、一応鉄道要覧にも載っている。
トンネル風を防ぐため、ホームと線路との間にはふだん柵が下ろされている。
体験坑道には自転車が多数留められている。どれも新しく、保守作業員が日常的に使っているようだ。
このような薄暗くて長いトンネルを結構時間をかけて歩き回った。
■ 奥津軽いまべつ17:01発〜新函館北斗17:51着 はやぶさ21号
とんだ騒動があったが、奥津軽いまべつから北海道新幹線の乗りつぶしを再開する。
今度の列車は乗車率10%程度の閑散ぶりで、席も選び放題だった。
列車はいくつかトンネルを抜けると、立派な坑口を持つ青函トンネルへと入る。
相変わらず最高速度は抑えられており、トンネルを抜けるのに25分ほども掛かる。
しかし、20年以上を掛けてトンネルを掘り抜いた人たちのことを考えると、
多少の遅さに文句をつけることが浅ましくも感じられる。もっとも、トンネルの壁を5分も眺めていると飽きてきて、
早く外に出てほしいと思ってしまったが。
25分かけてトンネルを抜け、しばらく走ると在来線と分離して木古内に着く。
先程の奥津軽いまべつもそうだが、ホームの幅が非常に狭く、ホームドアの内側の空間は1mほどの幅しかない。
乗客の少ないことを見込んで、極力予算を削ったということか。
木古内を出ると、防音壁の合間からだが津軽海峡が見える。また、しばらく走ると大きな石の塊のような函館山も見えた。
新幹線には珍しく、要所要所で観光案内放送が入るのも北海道新幹線の特徴だ。
函館山を横に見るうち、列車は左へと大きくカーブする。17時51分、時刻通りに真新しい新函館北斗駅に到着した。
新幹線は空いているように見えたが、下車する観光客の数は案外多く、エスカレーターは客でごった返していた。
次の列車まで少し時間があるので、駅の中を眺める。店舗の数はそれほど多くない。
駅の外もまだ開発途上のようで、レンタカーの営業所以外に目立つ建物はなかった。
■ 新函館北斗18:11発〜札幌21:48着 北斗19号
新函館北斗からはキハ183の「北斗」に乗り、4時間近くを掛け一気に札幌に向かう。
これまでの乗り継ぎで一番の長丁場だ。
指定席に並ぶ客は案外多く、外国人観光客の姿も目立つ。一方、自由席はガラガラで、
運転席の真後ろの席を難なく確保できた。途中から夜になってしまうが、信号がよく見えたりしてなかなか楽しい席だ。
新函館北斗を発車し、しばらく走ると左手に湖が見えてくる。これが大沼小沼の小沼の方で、
しばらく湖岸沿いを走ると大沼駅を通過。ここで、海沿いの渡島砂原を回る線と分かれる。
その後しばらくは駒ケ岳西麓の勾配の多い区間をゆっくり進んでいく。途中の東山という駅は、
周囲に何もないところにポツンと存在する。北海道にはこういう駅が数多い。
しばらく駒ケ岳を右手に見ながら進み、駒ケ岳が後ろに離れると森に着く。ここでは渡島砂原回りの線路も合流する。
森から先は複線となって、長万部辺りまで噴火湾沿いを進む。もうほとんど日は暮れているが、海は何とか見える。
やがて、多くのホームや側線を抱える長万部に到着。いくつものポイントを通過しながらホームに進入する。
ここで倶知安方面へ向かう函館本線と分かれ、しばらく海沿いを走行した後、長いトンネルに入る。
これは礼文華と呼ばれる難所で、海岸線が急峻なためトンネルで山を越える線形となっている。
途中、秘境駅として有名な小幌駅のホームも見えた。一時は今春での廃止が決まっていたが、
自治体の資金援助で生きながらえたという。
トンネルを抜け、海沿いに下ると洞爺に着く。もう遅い時間帯だが、すれ違う列車が意外に多いことが分かる。
特に多いのが貨物列車で、鉄道が本州と北海道を結ぶ物流の大動脈であることを実感する。
東室蘭の一つ手前の本輪西という駅では、立派なイルミネーションを施された吊り橋が見えた。
どうやら、室蘭駅の方に渡るための橋のようだ。前からこんな橋があっただろうかと思ってしまった。
東室蘭ではかなりの乗客があり、閑散としていた自由席が一気に埋まった。その先の苫小牧でも乗車が多く、
窓側の席はほぼ埋まった。そういえば、このあたりで「優駿浪漫」のロゴが付いた日高本線専属車両を見かけた。
日高本線は未だに復旧の目途が立たないようだが、だぶついた日高線用車両を有効活用しているということか。
苫小牧を出ると太平洋岸から離れ、内陸を北上して札幌に向かう。途中の南千歳あたりまで周囲は原野が続くため、
車窓は真っ暗である。千歳から先は札幌の都市圏に入るため、建物が目立ってきた。
途中、前を行く普通列車に行く手をふさがれ徐行運転をしたりもしたが、ほぼ定刻に札幌に到着。
朝からずっと乗り詰めで、さすがに疲労を覚える。
■ 西4丁目22:25発〜すすきの22:33着 札幌市交通局
ようやく札幌に着いたが、のんびりはしていられない。
これから、札幌の市電に乗りに行こうと思う。札幌市電は大通に近い西4丁目と、すすきのを結ぶ路線だった。
ただし最短距離ではなく、札幌市街の南西をぐるっと回る形で結んでいた。
しかし2015年に、西4丁目とすすきのを最短で結ぶ新区間ができ、環状運転が始まった。
その新規開業区間に乗るのが、今回札幌まで足を伸ばした理由の一つである。
札幌駅前のホテルにチェックインした後、時計台やテレビ塔、大通を眺めながら西4丁目電停まで歩く。
しばらく待つと、10人ほどの客が並んだ。そこに市電が到着する。意外と車内の客は多く、30人ぐらいの客が下車した。
市電沿線は主に住宅地のはずだが、この客はどこから来たのだろうか。
西4丁目を発車し、駅前通りを南下する。次の電停は狸小路。札幌で一番賑やかなアーケードで、この時間でも人通りは多い。
そこから少し進むと、すすきの電停に到着する。ゴールデンウィークのさなかだからか、こちらも人出は多い。
夜のすすきのに来るのは久しぶりなので、ちょっと歩いてみる。「無料案内所」などという妖しい看板も目立つが、
疲れていて到底行く気はしない(疲れていなくても行かないが…)。軽く食事をして、ホテルに戻る。明日も朝は早い。
2016/5/3
■ 札幌7:00発〜釧路11:00着 スーパーおおぞら1号
翌朝、今度は「スーパーおおぞら」の始発に乗り、一気に道東の釧路に向かう。
この日の札幌は日中20度以上に気温が上がるとの予報だったが、朝方はまだ肌寒い。
今日は3連休の初日であるためか、朝6時代ながらも駅は人出が多い。
列車の方もなかなかの盛況で、新札幌を出た時点で空席は1両に5個程度であった。
列車は札幌を出て、南千歳までは昨日来た道を折り返す。
南千歳からは石勝線に入る。石勝線は駅が少ない分、行き違いのための信号所がやたらと多く、
次の追分までの間に早くも2つも信号所がある。こんなに必要なのかと思うが、
ダイヤ乱れ時に柔軟な運用を図るために必要なのかもしれない。
信号所の前後のポイントは、雪除けのためのドームに覆われているのも特徴だ。
追分の先の川端から、いよいよ山深くなる。列車は夕張川に沿ってぐねぐねとカーブしながら進む。
石勝線は昭和末期に開業した比較的新しい路線で、トンネルを駆使して極力直線的に線路が引かれている。
しかし、追分〜新夕張間だけは既存の路線を流用したため、カーブが多い。
この区間は駅から信号場に降格になったものも多い。
新夕張で夕張行きの線路と分かれ、トンネルの多い区間に入る。沿線は占冠周辺以外、ほぼ無人地帯である。
トンネルの合間から時折だが、渓流が見える。最初のうちは日本海に注ぐ夕張川の水系だが、
途中から太平洋に注ぐ鵡川水系に変わる。占冠を過ぎ、数少ない人工物である道東道と時折交差しながら進むと、
トマムに着く。巨大なホテルが立ち並ぶリゾート地だが、乗降客はいない。レンタカーで来る客が多いのだろうか。
トマムを出てしばらくすると、列車は新狩勝トンネルに入る。トンネルに入ってすぐに、
富良野方面から来た根室本線と合流する。注意深く聞いていると、ポイントを通過する音がするので分かる。
トンネルを抜けると、列車はジグザグにカーブしながら十勝平野に下っていく。はるか下の方に十勝平野の丘陵が見える。
トンネルを抜けてすぐの信号所で、富良野方面へ向かう普通列車とすれ違う。その次の広内信号所は、
珍しく3本線路のある構造となっていて、札幌行き特急との行き違いと、帯広方面への普通列車の追い越しを一気にやってのける。
勾配を降り切ると新得に到着。十勝平野の外縁にあるのどかな町だ。
新得からはしばらく十勝平野を進む。線路も直線になり、勾配も緩やかになる。
しかし、列車は石勝線で力を使い果たしたとばかりに、直線をやや流して走る。
この辺の線路では、枕木を木製からコンクリ製に交換する工事が盛んに行われていた。函館本線で貨物列車が脱線した時、
木製枕木が槍玉に挙がっていたから、その影響だろうか。
列車はやがて帯広の市街に入り、高架の帯広駅に到着。沿線屈指の都市だが、降車する客は案外少ない。
釧路まで乗り通す客が多数派のようだ。その後もしばらく十勝平野を走り、池田の手前で3号車のデッキに向かう。
この池田ではステーキ駅弁が名物となっており、電話で予約すれば列車まで持ってきてくれる。
(時間によっては車販への積み込みもあるんだろうか?)受け取った弁当はできたてで、
早速ステーキをいただく。1080円の駅弁にしてはなかなかボリュームがある。
弁当を食べているうち、浦幌あたりで十勝平野が尽き、列車はちょっとした山越えに差し掛かる。
石勝線をパワフルに走っていた頃の勢いは最早なく、ローカル列車のようにゆっくりと峠を通過する。
峠を過ぎてしばらくすると列車はいよいよ太平洋岸に出る。と同時に、晴れから曇りに変わり、霧も出てきた。
その後もいったん内陸に入ると天気が晴れたので、海沿いだけ霧が出るらしい。
厚内から白糠にかけては、断続的ではあるが比較的長く海沿いを走る。海は鉛色で荒れており、まるで冬の日本海のようだ。
白糠を過ぎると釧路まではあと少しだ。海沿いにも工場など人工物が増えてきた。
札幌から4時間かけ、ようやく釧路に到着する。たっぷり乗ったという気がするが、この後すぐに別の列車に乗らねばならない。
■ 釧路11:13発〜根室13:22着 快速ノサップ
「スーパーおおぞら」を降りて隣のホームに向かうと、2本の列車が待っていた。
釧網本線の塘路に向かう「ノロッコ号」と、花咲線の根室行きだ。
2006年に釧路に来た時もどちらに乗るか悩んだものだが、今回も前回と同じく後者を選択した。
これから5時間ほど掛け、根室を往復する。なかなかハードというか、阿保らしい行程だ。
根室行きの列車はいつも通りのキハ54単行で、車内は元特急用の簡易リクライニングシートを装備している。
窓側の席が一通り埋まったところで、釧路を発車。最初のうちは釧路の近郊なので、頻繁に停車する。
武佐という駅はホームの長さが短いらしく、車両の後ろ半分がはみ出す形で停車した。
その次の別保を過ぎると周囲は無人地帯となる。釧路までの区間はどんなに寂れたところでも、
道路や農地など何らかの人工物があったが、
ここは鉄道設備以外の事項物は本当に何も見えない。ここで早くもエゾシカと遭遇する。
列車はけたたましく警笛を鳴らしながら進む。
また、水場にはヤチボウズの群生が見られる。一瞬、生首が大量に並んでいるように見えなくもない。
15分ほど走ってようやく上尾幌に着く。しばらく農村地帯を走った後、厚岸の手前で海沿いに出る。
とたんに空が曇ってきた。ちなみにこの辺りは厚岸湾の中にあるため、先程見たほど海は荒れていない。
やがて、沿線最大の駅である厚岸に到着。下車する人は意外に少なく、根室前で行く長距離客が多いようだ。
厚岸を出ると、しばらく厚岸湖に沿って走った後、湿原の真ん中を進む。
釧路湿原のような大規模なものではないが、北海道でしか見られない雄大な車窓だ。
2006年の同じ時期に来たときは、残雪・フキノトウ・水芭蕉がとにかく目についたものだが、
今年は残雪は全くなく、フキノトウや水芭蕉は成長が進んでしまっていた。たまたまなのか、温暖化の影響なのかは分からない。
しばらく進むと、茶内に到着する。ここでは上り列車と交換するが、その上り列車が30分も遅れているという。
朝方発生した地震の影響とのことだった。そのため、ここでしばらく待ちぼうけを食らう羽目になった。
仕方ないので、外に出て駅周辺をぶらぶらする。こんな駅で降りることも今後ないだろうから、ある意味貴重な経験だ。
駅前には商店がいくつかある他、民家も結構あって、この列車の沿線では割と大きい方の駅だと思われる。
30分遅れでようやく茶内を発車し、列車は浜中、厚床と停車する。この辺りは大規模な牧草地が多く見られる。
ホルスタインが群れている光景も何回か見た。さすがは酪農で有名な根釧台地だなと思う。
厚床はかつて標津線が分かれていた駅で、広かったであろう構内の跡地や、標津線の廃線跡がまだ残っていた。
厚床の次の初田牛を過ぎると牧草地も尽き、低木がまばらに生えるだけの荒涼とした荒れ地が目に付くようになる。
途中の落石あたりで再度太平洋岸に出るが、この辺は非常に霧が濃く、眼下にかろうじて波打ち際を確認できたに過ぎなかった。
以前乗ったときは、海に突き出した落石岬が鮮明に見えたのだが。ちょっと残念だった。
このあたりまで来ると気温が低いせいか、水場には水芭蕉が咲いていた。
西和田を過ぎると農地や家が増え、だんだんと根室の市街地に近づいてくる。
日本最東端の東根室駅を過ぎると列車はくるっとカーブし、終点の根室に到着。
結局遅れはほとんど回復しなかった。運転士さんは慌ただしく折り返しの準備をしているようだった。
列車が折り返すまでほとんど時間がないので、駅前に立って辺りを見回してみる。
以前来た時とほとんど景色は変わっていないようだった。
DE10がけん引する「ノロッコ号」。かつて知床斜里〜網走間で乗ったことがある。
こちらは客車の方。加古川線の103系がこんな感じだったような。。
■ 根室13:32発〜釧路15:51着
根室では本来10分ほど時間があるはずだったが、結局ほとんど何もできないまま折り返す。
今度は5〜6人しか乗客がおらず、空いていた。
帰りはさすがに見るものもないので、駅弁を食べたり旅行の記録をつけたりして時間をつぶす。
途中、上尾幌の先ではまたもエゾシカに出くわした。しかも、その数は尋常ではない。合わせて20頭ぐらいは見ただろうか。
シカを撥ねてしまうとお互い不幸なので(事故処理でさらに列車が遅れる可能性が高い)、
無事通過することを祈る。幸い、ぶつかることはなかった。茶内での遅れを引きずり、結局釧路には10分少々遅れて到着した。
■ 釧路駅前17:40発〜釧路空港18:25着 阿寒バス
■ 釧路空港19:10発〜羽田空港20:55着 AIRDO 74便
釧路では少し時間が余った。駅前の和商市場で土産を買ったりして時間をつぶしたが、それでも時間が余った。
しかし、釧路の駅前は飲食店なども少なく、無為に過ごさざるを得なかった。
ようやくやってきた連絡バスで空港に向かう。国道を大楽毛駅のあたりまで東に走った後、北上する。
途中、道路の看板を見ると「道東道」の文字が見える。もう釧路まで高速が伸びていたのかと思う。
駅前から40分ほどで空港に着いた。
釧路から羽田まではAIRDOで15000円弱、2時間ほどで到着する。
東京から釧路まで列車で30000円、丸一日以上かけてやってきたのが馬鹿馬鹿しくも思えてくる。
もう年齢も年齢なので、2日間もハードな乗り回しはやるものではないと実感した。
今後はただ列車に乗るだけの旅から、普通の観光も交えた旅行に方針転換を図ろうかな、とも思った。
どうせなら家族も連れて行ってやりたいが、そうなると列車に乗る時間の割合をもっと下げねばならないだろう。
ますます鉄道から縁遠い旅になってしまいそうだ。
ともかく、北海道新幹線の乗りつぶしは無事終わった。いつでも乗りに行ける関東・関西の通勤路線や、
わざわざそれだけのために乗りに行く気がしない地下鉄・モノレール・路面電車の類を除くと、
次の新線開業は2022年度の北陸新幹線・九州新幹線(長崎ルート)になりそうだ。
それまで、しばし列車旅も休止ということになるかもしれない。