2005/1/1
大阪10:42発〜福井12:28着 4015M サンダーバード15号 681(9)
この日は大阪駅到着が時間ぎりぎりだったため、
自由席特急券を購入して列車に飛び乗ったのは出発わずか2分前だった。
ちなみに乗車券は事前に買っておいたのだが、いろいろ紆余曲折があった。
実は福井に行った翌日に東京に戻る予定だったため、以下のような組み合わせで乗車券を買うつもりだった。
大阪市内→九頭竜湖 \4310
九頭竜湖→(山科経由)横浜市内 \9560
つまり、帰りは九頭竜湖から湖西線経由で山科まで乗車し、
山科〜大阪間の運賃を別途支払い、翌日は大阪〜山科間を別途支払えば新幹線に乗れる。
大阪〜山科間の運賃はは820円だから、1640円追加するだけで良いことになる。
ところが、大阪駅のみどりの窓口できっぷを買おうとすると、越美北線がバス代行になっているからとの理由で上記の乗車券は発行できず、
大阪駅発着の乗車券でないとダメとのこと。
バス代行を含むとはいえ正常に運行している訳であり釈然としなかったが、
災害地へ物見遊山をしにいく後ろめたさからこちらが折れ、大阪から九頭竜湖までの往復きっぷを買うことにした。
このときはどの程度運賃に差が出るか計算していなかったので妥協したのだが、
後から計算すると大分高いきっぷを買わされていたようだ。
計算してみると、
大阪市内⇔九頭竜湖(往復) \8620
大阪市内→横浜市内 \8190
となり、実際にかかった運賃は16810円、計画していた経路だと15510円だから、
1300円損した計算になる。それくらいどうでもいい気もするが、もっと窓口で粘っておけば良かったとも思う。
(後で調べたところ、今回のような不通区間を含む乗車券、
特にJR複数社にまたがるものは鉄道会社側の方針で発行されなかった事例があるようだ。
今回の越美北線のケースも、JR西日本管内で完結する場合しか発売しないという方針だったのかもしれない。)
そんな経緯で乗車したサンダーバードだが、実は681/683系に乗るのはこれが初めてだ。
乗ってみると、まあ普通の特急型車両だったが。
この日はJR西日本の正月乗り放題の切符が発売されており、
自由席は混んでいるかなと思っていたが、さすがに元日とあって立つ人は出なかった。
サンダーバード15号(10時台でもう15号というのも驚きだが)は、京都を出ると福井までノンストップだ。
武生や鯖江はともかく、敦賀まで通過してしまう列車は結構珍しいと思う。
京都を出ると東山・逢坂山をトンネルで超えて西大津へ。湖西道路と寄り添いながら湖岸の住宅街を走り比叡山坂本を通過。
ここから比叡山の山すそへと分け入りトンネルに入る。トンネルとトンネルの間に温泉街で有名な雄琴の駅がある。
湖西線建設の際、雄琴の温泉街の反対があり雄琴を避けるように線路が引かれる現在の線形になったそうだ。
線路は湖岸に戻り堅田を通過。堅田は一部の雷鳥が停車するが、この列車は当然通過だ。
ベッドタウン建設のため設置された小野を過ぎると車窓は鄙びてくる。
志賀、比良といったあたりに来ると周りは田んぼしかなくなるが、
これらの駅はスキー場への最寄り駅となっているため、冬場は一部の新快速が臨時停車する。
近江舞子のあたりから琵琶湖が見え始め、山が迫ってくる。
列車は湖岸の険しい斜面をトンネルで避けて走る。トンネルを抜けるとまた平野に戻る。安曇川によってできた沖積平野だ。
その平野の中心市街である近江今津を過ぎると、あたりに雪が積もり始めた。
マキノを過ぎ、北陸線との合流地点である近江塩津を通過。ここは屋根のないホームが見事に真っ白だった。
空の色も、京都あたりでは快晴だったのが今やどんより灰色だ。近江塩津からいくつかのトンネルを抜け、
敦賀を通過。この駅は駅全体がカーブしているため、やや低速で通過する。敦賀を通過するといきなりトンネルに突入。
長さ約10kmにも及ぶ北陸トンネルだ。
長い長いトンネルを抜けると、南今庄の駅があるが、この辺は山深いためか相当雪が積もっているように見える。
ここからは福井平野を下っていく。武生、鯖江といった中都市を過ぎ、
越美北線の分岐点である越前花堂を通過。「はなどう」ではなく「はなんどう」と読む。
何気に難読駅だ。越前花堂を過ぎると、先日氾濫を起こし、越美北線の鉄橋を押し流した足羽川を渡る。
北陸線の足羽川鉄橋は何とか無事だったようだが、TVのニュースでは鉄橋の付近も浸水している様子が流れていた。
足羽川を越えると福井駅に到着。横には京福電鉄から転じたえちぜん鉄道のカラフルな車両が停車している。
このときは駅の高架化工事中で仮設ホームとなっていたが、古い駅本屋はまだ残っていた。
きっとこれも高架化が完了すると取り壊されるのだろう。
福井13:02発〜越前東郷13:17着 727D キハ120(1)
福井では30分ほど待ち時間があったため、売店でかにめしを購入してホームへ向かう。
ただし、これほど余裕のある乗り換えはこれから先ない。
九頭竜湖ではわずか5分で折り返すし、福井に戻るとわずか3分で特急に乗り換える予定だ。
実は、越美北線は12月にダイヤが変更され、
これから乗る727Dと1727Dの時刻が繰り上げられた。
これにより、従来九頭竜湖で長時間に渡り車両が滞留していたのが、すぐに折り返すように改められた。
車両運用の面だけでなく、自分のように終点ですぐ折り返す人間にとっても便利になった。
越美北線の乗り場には既にキハ120単行の一乗谷行きが入線していた。
時間が余っているので、発車20分前に乗り込み駅弁を食べる。
買ってきた「かにめし」は、各地の駅弁大会にも登場する有名な駅弁で、
カニの出汁で炊いたご飯にカニ肉がふんだんに乗っている。
だが、ショーケースで冷やされていたせいか米がやや固く、風味も少し足りない感じだった。
電子レンジで暖めればもっとおいしかっただろう。
車内の乗客は徐々に増え、発車する頃には座席がほとんど埋まるほどになっていた。
正月というのに予想以上に乗客が多い。
福井を出た列車はまず北陸線を走る。足羽川を渡ると南福井駅という貨物駅がある。
かつて越美北線はこの南福井で北陸本線と分岐している扱いになっていたが、
貨物駅で分岐しているというのが複雑なためか、越前花堂が両者の分岐点になった。
越前花堂駅では、本線とはすこし離れた粗末なホームに停車した。
しかも駅の裏には草生した側線と工場が広がっており、殺伐とした眺めだ。
そんな暗い印象の越前花堂駅を出ると、急カーブで本線と別れ、田んぼの中をひたすらまっすぐに走る。
田んぼの中にぽつんと佇む小駅の六条・足羽を過ぎると越前東郷に到着。
列車はこの次の一乗谷駅まで行くが、一乗谷駅と代行バスの走る国道が離れているため、
越前東郷がバスとの乗換駅になっている。駅前の小さな広場には「代行バス」の張り紙の付いた京福バスが停まっていた。
空は相変わらずどんよりとしている。
越前東郷13:19発〜美山13:39着
越前東郷を出た代行バスは、駅前の狭い道を抜け、越美北線の踏切を越えると、
左折して足羽川を渡る。この橋を渡る手前に代行バスの一乗谷駅があった。
橋から見た限り、足羽川は氾濫を起こすような大きな川には見えなかった。
橋を渡ると、バスは川沿いの国道を進む。さっきから雪が降っているのだが、
代行バスの初老の運転士は国道を飛ばす飛ばす。
雪道の運転には熟練してるだろうから大丈夫だとは思うが、ちょっと心配だ。
バスは越美北線の路盤に沿って走るようになった。
目の前に鉄道の鉄橋が見えた。この鉄橋は無事だったようだ。しかしもう少し進むと、豪雨で崩壊した鉄橋が見えた。
越美北線の厳しい現実に引き戻される光景だ。災害から半年ほど経つが、まったく手を付けられた痕跡はなかった。
バスは越前高田・市波のバス停を過ぎるが、乗り降りする客はいない。バスは相変わらず高速で走っている。
ここからは越美北線が川の反対側を走るようになった。無事な鉄橋もあったが、流出してしまった鉄橋もあるようだ。
最後のバス停である小和清水でも乗り降りはなく、バスの終点の美山に着いた。
美山13:42発〜九頭竜湖14:32着 1727D キハ120(2)
美山ではキハ120の2両編成が待っていた。
越美北線には5両のキハ120が配置されているが、うち3両が美山側に取り残された。
その分車両が余っているのだろうか。逆に福井側は車両不足で、
ラッシュ時などはキハ58などが救援で運用入りしていたようだ。
美山を出た列車はさらにぐんぐんと登っていく。人家はますます少なくなってきた。やがて列車は短いトンネルを越えた。
足羽川と九頭竜川を分ける水系を超えたのだ。ここからは一気に下りになり、大野盆地に入り周りも開けてきた。
やがて沿線最大の町である越前大野に着いた。この越前大野にはかつて、先ほど見た京福電鉄が乗り入れていた。
しかし、この越美北線の開業と引き換えに廃止となってしまった。越前大野では多くの乗客が降り、車内はだいぶ空いてきた。
外は結構雪が降っている。
越前大野を出ると引き続き盆地を走り、盆地から再び山へ分け入った所が勝原駅だ。
ここまでは割と古い時代に作られた路線で、自然の地形に沿って線路が引かれていたが、
勝原から先は鉄建公団によって割と最近作られたため、
トンネルの連続となる。勝原からは長いトンネルで越前下山に着いた。
いよいよ、長かった乗りつぶしの旅も最後の1区間を残すのみとなった。
越前下山からはさらに長いトンネルに入る。トンネルを抜けると、
雪で真っ白になった渓谷が見えた。列車はゆっくりとスピードを落とし、
駅に進入する。やがて、列車はゆっくりと駅に停車した。
福井ではあれほど乗客がいたのだが、この駅で降りた乗客はわずか数人だった。
これまで全国の数千ものJRの駅を通過してきたが、これが最後の駅となった。
しかし、そんな感慨にふけるにはこの駅は余りに寂しい。
わずかな乗客たちはさっさと散ってしまった。割と新しい駅舎に設けられた観光案内所は正月だからか営業しておらず、
駅舎には誰一人いない。駅前に出てみるが、音もなくただ雪が降るのみだ。
喜び、満足感、寂しさ、そういった感情がこみ上げることは全くなく、恐ろしく静かな駅前に立ち尽くすだけだった。
九頭竜湖14:37発〜美山15:25着 1730D キハ120(2)
九頭竜湖での折り返し時間はわずか5分しかない。
キハ120にはトイレがないため、駅のトイレに行った後、駅の写真を撮るともう発車時間となってしまった。
わずかな乗客を乗せ列車は九頭竜湖を後にした。
列車の中で、乗りつぶしを達成したという事実を噛み締めてみた。
今は亡き宮脇俊三氏は、乗りつぶしを達成した後、時刻表を読みふける力が出なくなってしまったそうだ。
しかし、自分はそのような気分にはならなかった。これまで、乗りつぶすことを優先する余りに、
夜中に通過してしまったり、車内で眠ってしまったりして車窓を見ることができなかった路線が沢山ある。
他にも、手付かずの大自然を堪能できる根室本線や宗谷本線、木次線の三段スイッチバック、肥薩線のループなど、
もう一度乗りたい路線はまだまだある。
これからは、未乗か既乗かを気にせず自由にプランニングして、そういった路線に思う存分乗れる。
深夜に盲腸線を往復するなど、やりたくもない事をせず夜の街でゆっくり食事することもできるだろう。
そして、日本にはまだまだ乗車していない私鉄が沢山ある。私鉄まで乗りつぶそうとは今の所思っていないが、
機会を見つけて乗車したいと思う。そして、海外の鉄道にも乗車してみたい。きっと自分にとって、
JR完乗はゴールではなく、あくまで通過点なのだろう。
これまでの旅は、JRの線路という決められた線の上を、一日中動き回る「線」の旅だった。
しかしこれからは、列車を降りて自動車・バス・徒歩で車窓から見えない場所へ行く、
「面」の旅をしたい、そう思った。
これから先、今までのような気ままに旅をする時間は減ってしまうことが予想される。
それでも、旅に対する情熱だけ衰えさせず持ち続けたいと思ったのだった。
そんなことを考えるうち、列車は越前大野に戻った。
先程通ったときは雪が降っていたのだが、雪はやみ太陽すら覗いていた。
美山15:28発〜越前東郷15:48着
美山では再び代行バスに乗り換える。
代行バスは行きと同じく京福バスの車両だったが、運転士は先程とは異なり中年の人だった。
この運転手も相変わらず飛ばしていた。
これぐらい出さないと定時で走れないのだろうか?
バスの車窓から改めて鉄橋の流出現場を見る。こんな静かな川が鉄橋を押し流してしまうのだから自然は恐ろしい。
沿線の住宅の被害は相当なものだったのだろうと想像する。
越前東郷15:50発〜福井16:03着 730D キハ120(1)
越前東郷から再びキハ120に乗る。福井での乗り継ぎはぎりぎりなので、 この列車が遅れると困ると思っていたが、どうやら大丈夫そうだ。 10分ちょっとで福井着。よくよく考えると、 県庁所在地からわずか10分列車に乗るとあんなに田んぼが広がっているというのも、すごい話だ。
福井16:06発〜大阪18:06着 4034M 雷鳥34号 485(9)
大慌てで跨線橋を渡り、北陸本線ホームへ行く。すぐに485系国鉄色の特急「雷鳥」が入ってくる。
元日の夕方の大阪行きという乗客の少なそうな条件に加え、
この列車は金沢始発なので自由席はがらがらだった。
あと数年で消えるという国鉄色485系の特急なので、
じっくり乗らなければと思っていたのだが、車掌から自由席特急券を買うと
すぐにぐっすりと眠ってしまった。やはり国鉄型は、性能こそ新型車両に劣るものの、
車内の落ち着きは新型車両の及ぶ所ではないと思う。
目が覚めると、もう新大阪だった。大阪駅に着くとすっかり日が暮れていた。
大阪駅で乗客を降ろした特急「雷鳥」。
この光景が見られるのもこの先長くないだろう。