最終更新日:2021/2/15

山口・九州乗りつぶし:四日目―九州新幹線と三セク3線乗車&フェリーで帰京

目次

2004/8/20

人吉5:44発〜湯前6:24着 くま川鉄道

 そして翌朝、まだ日の明けきらない人吉駅にやってきた。一連の旅行もいよいよ最終日となったが、 今日も予定が詰まっている。JR九州唯一の未乗線区である九州新幹線や、前回景色を見そびれた肥薩線に乗りつつ、 3つの三セク路線を乗りつぶす。そして、最後はフェリーで一気に川崎まで戻る予定となっている。

 人吉駅から、まずはくま川鉄道に乗る。その名の通り球磨川沿いの盆地を走る鉄道だが、 川からはやや離れたところを走るので景色はごく平凡である。すっかり開発された盆地をまっすぐに進む。 がらがらの車内でぼんやり車窓を見ていると、次第に日が明けてきた。6時24分、湯前着。


湯前の駅舎。国鉄時代からの風情ある建物が使われている。


駅名標には周囲の観光案内も。

湯前6:31発〜人吉7:16着 くま川鉄道

 7分の滞留で人吉に戻る。今度の列車は先程と違い、途中駅から続々と高校生が乗り込んでくる。 夏休みではあるが、補習や部活動があるのだろう。学校のあるときはもっと混んでいるに違いない。
 途中ですれ違った編成はかなり長い編成だった。 湯前で折り返し、学校への通学輸送がピークを迎える列車に充当されるのだろう。 その中に、妙な車両を見つけた。キハ120タイプの軽快気動車ではなく、JRのキハ32が挟まっているのである。 帯は他の車両と同じく赤と青に張り替えられていた。
 後で調べると、この車両はJRから転属したようだ。 以前、急行「くまがわ」が走っていた頃は、その車両がラッシュ時に助っ人としてくま川鉄道に入線していたのだが、 「くまがわ」が廃止となってしまい、その代替としてキハ32が転属したということらしい。
 列車は人吉に近づくほどに客を集め、この後乗る肥薩線と合流するとまもなく人吉に到着。


松浦鉄道でも見かけた、JRのキハ120と同仕様の車両が使用されている。こちらは赤と青の帯が入る。

人吉7:20発〜吉松8:18着 1251D キハ40(1)

 人吉では4分しか乗り換え時間が無い。大慌てで次の列車に乗り込んだ。 乗り込んだ列車は、観光列車「いざぶろう・しんぺい」用に改造されたキハ40である。内装が和風になっているほか、 車両中間に展望デッキが設けられている。この時間帯は観光列車としてではなく普通の列車として 運転されるため指定席は無いが、途中の駅での下車観光の時間は少しながら設けられている。
 人吉を出ると、列車はぐんぐんと坂を上っていく。周囲は深い緑となり、険しい地形となる。 この車両はキハ40系列の中でも、エンジンを強力なものに交換された車両なのだが、それでも結構苦しい。
 やがて列車は、ループ線の途中にある大畑駅に到着。このあたりの線形は明治時代から変わっておらず、 一度スイッチバックをしないと駅を出られない。 今やわずかな普通列車しか通らないことだし、このまま改良はされないだろう。 割と最近までは、熊本から肥薩線経由で宮崎に行く急行列車が走っていたのだが。
 スイッチバックを終え、大畑の駅を見下ろしながら列車はさらに登っていく。 矢岳を出ると、いよいよ県境のトンネルを越え、 列車は宮崎県に入る。しばらくすると、日本三大車窓と言われたえびの盆地の眺めが見られるスポットで一旦停車する サービスがあった。次の真幸はこれまたスイッチバック駅で、行きつ戻りつしながら通過する。
 真幸を出ると、あとは吉松に向けて坂をどんどん下っていく。宮崎県から鹿児島県に入り、吉松着。


観光列車「いざぶろう・しんぺい」に使われる専用車両。


ホームから眺める大畑駅。屋根などは真新しく、近年改装されたことが伺える。


大畑駅の駅名標には何故か梅が描かれる。


矢岳駅の駅窓口の跡には、昔懐かしいステッカーが残る。


真幸駅の全景。ホームは砂利敷きのままである。

吉松8:27発〜隼人9:19着 4227D キハ40(1)

 吉松では隼人行きの普通列車に乗り継ぐ。 先程と同じキハ40の単行だが、こちらの車内は従来どおりのものである。 乗客は10人ほどで、ボックスシートが軽く埋まる程度である。
 吉松を出ると、田んぼや雑木林が広がるのどかな所を走る。最初の停車駅は栗野。今は平凡な途中駅だが、 かつてこの駅から山野線というローカル線が分岐していた。車窓からもその廃線跡が見て取れた。
 と、ここでちょっとした事件が起きた。車両の前の方で、年配の男性が高校生に対し何やら怒鳴っている。 そうこうしているうちに大隈横川の駅に着き、この駅で待機していた警察官に高校生は連行されていった。 警察がいたということは、何か犯罪行為があったのだろうか。
 そんな事件があったものの、車窓は至ってのどかだ。 車窓には昔ながらの農家が残り、駅舎やホームも古きよき時代の風情を残している。 宮崎といいこの線といい、南九州のJR駅はタイムスリップしたかのように国鉄時代の色香をとどめていて感心させられる。
 隼人に着くころには少し乗客も増えてきた。ここで鹿児島中央行きの普通列車に乗り換える。


吉松の駅名標はJR九州仕様ではなく、国鉄時代の古いものが残る。


吉松で発車を待つキハ40。2日目に山陰本線で乗って以来、久々の遭遇。

隼人9:24発〜鹿児島中央10:07着 6935M 817(2)

 国鉄時代の面影が残る南九州であるが、車両は確実に入れ替えが進んでいて、 やってきた列車はぴかぴかの817系であった。 ワンマン運転を行うために導入された車両で、2日前に筑豊本線で乗車して以来だ。革張りの転換クロスシートに座る。
 隼人から鹿児島中央にかけては、錦江湾沿いを走り、海や桜島を眺められる絶景スポットだ。 ここを通るのは2度目だが、この景色は何度見ても楽しいものだ。 車窓を存分に堪能し、西鹿児島から名前を改めた鹿児島中央駅に到着した。
 一年ぶりにやってきた鹿児島中央駅は、新幹線の開業に伴って大きく変化していた。 駅の入口には大階段ができ、真新しい駅ビルには観覧車が回っている。そんな中変わらない光景もある。 駅前には路面電車が乗り入れていて、多くの人が乗り込もうとしていた。
 そんな真新しい鹿児島中央駅で、これから乗る九州新幹線のきっぷと駅弁を買い、新幹線ホームへと向かう。


筑豊本線、長崎本線に続き、3度目の乗車となる817系。


新幹線開業で見違えるようになった鹿児島中央駅。


駅前の商業ビルの屋上には観覧車が。


同じ九州の長崎や熊本と同じく、鹿児島にも路面電車が健在。

鹿児島中央10:45発〜新八代11:24着 6F つばめ6号 800(6)

 鹿児島中央からは九州新幹線に乗って新八代に向かう。九州新幹線を乗りつぶすことは、 この旅行の最も重要な目的といっていい。
 ホームに上がると、まもなく列車が入線してきた。東海道新幹線と同じく白ベースの車体だが、 車体には赤いラインが施され、力強い「つばめ」の文字が躍っている。ちなみに、ここ鹿児島中央は終端の駅で 通過列車が来ることはないのだが、ホームにはゲートが設置されていた。そのため車体を撮影することは難しい。
 一通りエクステリアを観察した後、車内に入る。車内は「レールスター」と同じく2列+2列の座席配置で、 座席はゆったりしている。内装もJR九州らしく凝っており、椅子は木のフレームに和風の織物という組み合わせ、 カーテンは木のすだれ、床はタイル模様、電話室の前には暖簾、 洗面台の前には縄暖簾と、他社の新幹線車両とは一線を画している。
 そんな内装を眺めているうちに、新幹線は鹿児島中央を発車した。 列車は既存の線路と直角方向に走り、すぐに山に突っ込む。 その後はトンネルや深い山が続き、あまり見るべきものは無い。列車は川内にのみ停車し、新八代に向かう。
 車内で、鹿児島中央で買った駅弁を食べる。鹿児島名物の豚を使った「とんこつ弁当」である。 骨ごと炊かれた豚の角煮がたっぷり入っており、食べごたえがあった。
 弁当を食べ終わると、もう新八代は間近だった。鹿児島中央を出て40分、あっという間である。 乗車時間があまりに短いので、この列車では車内販売も営業していない。
 新八代で降りると、目の前に博多行き「リレーつばめ」が待機している。そちらには乗らず、改札口へと向かう。


所々につばめのマークが入る九州新幹線800系。


「つばめ」の巨大なロゴや、大きな号車表示など、JR九州らしい独特のセンスが光る。


800系の座席と、電話室の前の暖簾。他の新幹線車両にない独特の個性を放つ。


新八代の新幹線ホームには「リレーつばめ」が乗り入れ、対面乗り換えが可能。


車体側面の「つばめ」のロゴは「リレーつばめ」に変更された。

新八代11:46発〜熊本12:16着 5332M 815(2)

 真新しい新八代駅に降り立ったが、周囲には高い建物は全く無い。新八代は新幹線開業に合わせて新しくできた駅で、 このあたりの開発はまだまだこれからなのだろう。だだっ広い駅前広場をとぼとぼと歩き、在来線の乗り場へ向かう。 在来線の乗り場はやや離れていて、途中屋根も無いところを歩かねばならないなど、同じ会社の駅とは思えない立地だ。
 暑い在来線ホームでしばらく待ち、八代からやってきた普通列車に乗る。一面の水田の中を北上し、熊本に向かう。


開業直後の九州新幹線はまだ列車本数も少なく、1時間に2本のシンプルなダイヤだった。


いかにも新幹線駅舎、という感じのする新八代駅。


在来線の駅舎は新幹線駅とは別れており、サイズもコンパクト。

熊本13:31発〜肥後大津14:01着 1451M 815(2)

肥後大津14:05発〜立野14:21着 435D キハ200(2)

 熊本では1時間ちょっと時間があったが、熊本駅は熊本の市街から離れているし、 おまけに暑いしで駅から出る気がしなかった。 結局、近くの古本屋で時間をつぶすなど、あまり実りあることはできなかった。
 熊本からは、豊肥本線の普通列車で肥後大津を目指す。3日前に乗ったばかりなので、車窓は特に見ずぼんやり過ごした。 肥後大津からは非電化区間となり、ディーゼルカーに乗り換える。それとともに、車窓から家並みが消え険しい山が迫ってきた。 列車は10分ちょっとで立野に到着。このまま乗り続けると、スイッチバックで阿蘇駅へと向かうが、そちらには行かず立野で下車する。


昨日に引き続き、2両編成の815系に乗車。


木造の古い三角屋根が残る熊本駅のホーム。

立野14:35発〜高森15:06着 南阿蘇鉄道

 立野からは、南阿蘇鉄道に乗る。南阿蘇鉄道はその名の通り、阿蘇のカルデラの南部を横断する鉄道である。 本来の計画では、カルデラの東端の高森から阿蘇の山々を突き破り、 この後乗る高千穂鉄道とつながって延岡に抜ける予定だったが、 高森から先は線路が延びることなく終わった。
 立野駅の南阿蘇鉄道乗り場に行くと、予想外に多くの人が列車に乗っている。 どうやら、高森方面から到着したトロッコ列車でやってきて、 高森へと折り返す観光客らしい。席を探し、何とかロングシートに座ることができたが、最終的には立つ人も多く出た。 観光列車を走らせるのは結構なのだが、在来の列車に支障が出ないよう増結をしてもらいたいものだ。
 列車は立野を出て、短いトンネルを抜けた後、ここまでの豊肥本線と平行して流れていた白川を鉄橋で越える。 この鉄橋は日本の鉄道線でも有数の高さを誇り、 また周囲に人工物も無いことから、南阿蘇鉄道最大のビュースポットとなっている。 当然列車はここで徐行し、見事な景色を楽しませてくれた。
 その後いくつかトンネルを抜けると、南阿蘇の 盆地に出る。ここから先は地形はほぼ平らで、周囲には田んぼが広がっている。 3日前にも見た阿蘇五岳を裏側から眺めつつ進む。
 途中、「阿蘇下田城ふれあい温泉」「南阿蘇水の生まれる里白水高原」と、舌をかみそうなほど長い名前の駅が連続する。 後者の方は現在、日本一長い駅名となっている。ちなみに前者はその名の通り駅前に温泉施設があるが、 後者は周囲に何もない寂しいところだ。その後も阿蘇の高原を進み、高森に到着。列車は結局終点まで混んでおり、疲れた。
 ちなみに、今の高森駅は高千穂への延伸までの間、集落の近くに駅を置くために暫定的に作られた。 そのため、この終端から先に線路が延びる予定という訳ではなかったようだ。


南阿蘇鉄道のディーゼルカー。京急に似たような塗装の車両がいなかったっけ?


高森駅から終端を眺める。


高森駅の構内には古びたSLが残されていた。


瀟洒な山荘のような高森駅舎。

高森16:07発〜高千穂17:18着 宮崎交通

 先に述べたように、高森から高千穂までの鉄道は未成に終わったわけだが、その間を路線バスが3往復走っている。 とは言っても高森が起点ではなく、熊本と延岡を結ぶバスが高森や高千穂を経由するだけである。そのため、 どちらの街でもバス乗り場は駅から離れている。
 とりあえず、高森のバス停を探して歩く。 Webで情報収集をしていた際、国道沿いにバスがあると読んだ気がしたので、まずは国道へ歩く。 暑い中を10分ほど歩くと、国道沿いに観光案内所があったのでそこでバスの位置を聞くと、どうやら駅の近くらしい。 見事に間違えていたようだ。仕方なく、駅へと戻る。高森には未成線のトンネルを活用した観光施設などもあり、 時間があれば行こうと思っていたが、そんな時間はなくなってきた。
 高森中央バスターミナルは、駅前通りをまっすぐ3分ほど歩いた所にあった。 待合室もあり、そこそこ立派なターミナルだ。 こういう都市間バスに途中から乗ることは今まであまり無く、満員で乗車を拒否されたらどうしようかと思っていたが、 バスは空いていた。そんな心配は無用だったようだ。
 高森を出たバスは、まずはつづら折りの坂を登っていく。 阿蘇の外輪山を抜けると、今度は無人地帯を進む国道をかなりのスピードで駆け抜ける。 沿道に家などは少なく、途中の馬見原や五ヶ瀬町役場前バス停付近に集落がある程度だった。 そんな道を延々一時間走り、高千穂のバスターミナルに着いた。
 高千穂鉄道の高千穂駅は、高千穂の市街地からやや離れた高台にある。 そのため、バスターミナルから駅までは10分以上も延々と坂を登らねばならなかった。 重い荷物を抱えて坂を登るのは体力的になかなか辛いものがあった。


南阿蘇駅は町はずれの高台にあり、バス停からかなり歩かされた。駅の奥は車庫になっている。

高千穂18:07発〜延岡19:21着 高千穂鉄道

 駅では30分ほど時間があるので、待合室に座る。 最初は人が少なかったが、ぽつぽつと人がやってきて最終的には10人ほどになった。 発車が近づいても改札はなかなか始まらない。 発車5分前ぐらいに、緑や黄色に塗られた観光用の車両を含む列車がやってきた。 これらの車両は貸切のようで、中の乗客はビールなどを飲んで宴会をしている。 (あとで、この乗客は沿線の役場の人達だと分かった。) 観光用の2両に、一般用の気動車1両を増結し、3両で高千穂を発車した。 連結などに時間が掛かったため、発車はやや遅れた。
 高千穂を発車し、次の駅である天岩戸(しかしすごい駅名だ)を過ぎると、列車は高千穂橋梁に差し掛かる。 この橋梁は水面からの高さが実に100m程もあり、これはもちろん日本一の高さである。 列車は観光サービスのため、橋の中間で一旦停車した。窓から眺めると、水面がはるか下に見える。 迫力に圧倒されるとともに、この橋をメンテナンスする人は大変だなとも思う。
 橋梁を過ぎると、トンネルが多くなる。このあたりは昭和40年代に鉄建公団の手で造られた区間なので、 トンネルなどの近代工法を多用し直線的なルートを取っている。 トンネルの合間からは深い渓谷がはるか下のほうにあるのが見える。 そんな区間を抜けると、日之影温泉の駅に着く。日之影周辺は平らな土地が少ないらしく、 川っぷちのわずかな土地に駅と国道と温泉がひしめいていてかなり狭苦しい。
 日之影温泉からは戦前に造られた区間なので、五ヶ瀬川の近くを進む。 川の流れも美しいのだが、高千穂と延岡を結ぶ国道がはるか頭上を時折通り抜けていき、驚かされる。 経営が苦しいといわれる高千穂鉄道をあざ笑うかのように頭上を通り抜けていく高規格の国道は、何とも不気味に感じられた。 地を這うように進む高千穂鉄道に、何だか肩入れしたくなるのだった。
 沿線には住宅も少なく、周囲に本当に何もない「秘境駅」とも呼べる駅も散見された。 上水流あたりまで来るとようやく人の気配がしてくるが、ここで列車は一旦五ヶ瀬川から離れ、山の中を進む。 地形的に川沿いを進むのが難しいのだろう。しばらくすると大分流れが緩やかになった五ヶ瀬川と再合流するが、 再び川から離れる。このあたりまでくるともう延岡はすぐ近くだ。と同時に、日が随分傾いてきた。 この辺は実は織り込み済で、日没は大体19時頃なのでちょうど延岡に着く頃に真っ暗になるだろうということは調べてきてある。 その予想通り、ちょうど延岡に着く頃に日が暮れた。

 その後、高千穂鉄道は豪雨災害により甚大な被害を受け、実質的に廃線に追い込まれた。 (地元では被害の少ない日之影〜高千穂間を観光鉄道として再開することを目指しているようだが、難しいようだ。) 高千穂鉄道の見事な車窓をもう楽しむことができないのは残念である。


山峡の駅に車両が集結し、束の間の賑わいを見せる。


甘木鉄道の甘木駅と同じく、高千穂駅にも謎のキャラクター(?)が2体いた。


終点・延岡の駅名標。高千穂鉄道の駅名標には楽しげなイラストが入る。


日の暮れた延岡駅に到着した高千穂鉄道の気動車。

延岡19:42発〜日向市20:04着 757M 817(2)

 高千穂鉄道を乗りつぶし、今回の旅行の目的はほぼ達した。あとは東京に戻るのみである。 しかしここ延岡は交通の便がかなり不便で、東京へ行くには大分か宮崎の空港に行くか、小倉に出て新幹線に乗るかしかない。 いずれにしても、この時間からその日のうちに東京に戻ることは不可能だ。
 そんな中、隣町の日向から川崎港へ向かうフェリーが出ている。これに乗船して一気に東京に戻ることにしていた。 まずは日豊本線の普通列車に乗り、日向市に向かう。この時間帯の地方都市の列車にありがちだが、車内はがらがらだった。

日向港22:00発〜川崎港17:30着 マリンエキスプレス

 日向市駅で下車すると、駅前にかなり大きなスーパーがあるのを発見した。これ幸いとばかりに、 今晩や翌朝の食糧を買い込む。
 タクシーでフェリー乗り場に向かうと、乗船手続きがもう始まっていた。 手続きを済ませ、2等寝台にもぐりこむ。先程スーパーで買ってきた弁当を食べた後、船内を探検する。 デッキやサロンスペース、自動販売機などのフェリーに必ずある施設を眺めつつ歩いていると、 ある部屋で人だかりができている。その部屋には、船内唯一のテレビが置かれていて、オリンピックの中継が映し出されている。 おりしも柔道の決勝が行われていて、日本選手が金メダルを獲得するたびに見ている人たちから大きな拍手が起こった。 その場の見ず知らずの人たちとの妙な連帯感が、船の旅の思い出として印象に残っている。
 翌朝、疲れから朝遅く目を覚ますと、操舵室の見学ツアーをやるという。当然、参加する。 中を見てみると、全く知識のない船の機器だけにどう使うのか分からないものが多い。 それにしても、営業中のフェリーの操舵室を完全に開放してしまうとは何とも豪快である。 飛行機などとは違って変な操作をされても即沈没という恐れはないとはいえ。
 その後、寝台でごろごろしたりしていると、もう到着まで30分ほどとなった。 デッキに出てみると、前方には港湾のクレーンや工場の煙突が林立している。東京に戻ってきたんだ、と実感する。
 長いと思っていた割に短かったフェリーの旅を終え、下船する。長い長い桟橋の通路を歩き、 川崎駅へのバス乗り場へ行くと、バスが出たばかりだというのにバス停には長蛇の列ができている。 その列には並ばず、川崎駅とは逆方向に歩いた。一つ前のバス停に戻って、空いているバスを捕まえようという算段である。 10分ほど歩くと、バス乗り場が見えてきた。看板を見ると、浮島バス停とある。 東京湾アクアラインのバスの一部が川崎浮島バス停を経由するので名前だけ走っていたのだが、 こんなところにあったのかと思う。
 無人のバス停で10分ほど待ち、無事始発のバスに座ることに成功した。フェリー乗り場のバス停には先程にも増して長蛇の列。 してやったりの気分になったのだった。ただ、現在では川崎港を発着するフェリーはなくなってしまい、 この技を使う機会はなくなってしまったが。


長旅の最後は、日本屈指の長距離フェリーで締めくくる。


川崎港に到着したフェリー。水色のタラップから下船する。

JR線乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
伯備線総社〜新見53.7
美祢線厚狭〜長門市46.0
山口線新山口〜益田93.9
山陰本線江津〜幡生、長門市〜仙崎221.7
九州新幹線新八代〜鹿児島中央137.6
合計552.9

累積乗車キロ数

 総キロ数走破キロ数走破率総路線数走破路線数路線走破率
旅行前19860.919255.596.95%17116596.49%
旅行後19860.919808.499.74%17117099.42%

私鉄乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

会社名路線名乗車区間キロ数
平成筑豊鉄道伊田線直方〜田川伊田16.1
糸田線金田〜田川後藤寺6.8
田川線行橋〜田川伊田26.3
西日本鉄道大牟田線宮の陣〜大牟田38.3
甘木線宮の陣〜甘木17.9
甘木鉄道甘木線基山〜甘木13.7
松浦鉄道西九州線有田〜佐世保93.8
くま川鉄道湯前線人吉〜湯前24.8
南阿蘇鉄道高森線立野〜高森17.7
合計255.4

(高千穂鉄道は乗車後に廃止されたため、集計せず)