最終更新日:2021/1/5

JR東海完乗:三重に残る2つのローカル線、名松線・参宮線に乗る

 北海道、九州に続いて四国のJR路線も乗りつぶし、残る未乗線区は本州のJR3社の路線に絞られた。 このうち、JR東海の路線は東京と大阪の間にあり、もともと路線数も少ないことから順調に乗りつぶし、 残る路線は名松線と参宮線のみとなった。
 JR東海の路線にはもともと行き止まりの路線が少なく、名松線と参宮線ぐらいである。 その2線が最後まで残ったのはある意味自然なことだったのだろう。 ともかく、その2路線を制覇しに帰省先の大阪から日帰りで出かけた。

目次

2003/5/1

鶴橋11:55発〜名張13:02着 近鉄

 まずは名松線を制覇すべく、近鉄鶴橋駅に向かった。 名松線はその名の通り近鉄大阪線の名張と松阪とを結ぶべく造られた路線である。 名張には関西線の伊賀上野からの鉄道が延びていたので、それと接続する意図があったのかも知れない。 松阪から路線を延ばし、伊勢奥津まで到達したものの、同じく松阪から名張に至る近鉄大阪線が開業したため、 伊勢奥津から先は未成のまま終わった。その未成区間を、一日3往復のバスが結んでいる。 それに乗って伊勢奥津を目指そうと思う。
 前置きが長くなったが、ともかく近鉄で名張を目指した。 鶴橋から急行に乗る。この急行、名張より先の青山町が終点で、走行時間は1時間半近くにも及ぶが、 シートは全てロングシートである。ただし、トイレは付いている。 ロングシートで1時間強揺られ、名張に到着。

名張駅前13:10発〜奥津駅前14:20着 三重交通バス

 名張の駅を降りると、駅前の広場に伊勢奥津行きのバスが停車していた。 運行するのは三重交通で、神戸市交通局のような緑色の塗装が目立つ。マイクロバスではなく、 通常の路線バスと同様の大型車だ。
 5,6人の客を乗せ、名張を発車。しばらく名張の市街を走ったあと、いきなり山道を進む。 しばらく進むと、いきなりダムが現れた。人家もないダム湖岸の道をしばらく進む。
 さらに進むと、太郎生という川沿いの集落に出る。この集落を進む道が本当に狭く、道が一車線分しかない。 乗用車が来たらどうするんだろうと思っていると、本当に対向車が来てしまった。 結局バスは行き違いのできるところまで20m程もバックし、ようやくやり過ごすことができた。
 太郎生の集落を抜けると、道路は三重県から奈良県の御杖村というところに入る。 古びた集落の点在する道を進むと、今度は三重県の美杉村に入る。県境が入り組んでいてなかなかややこしい。 さらに進むと、バスは国道を外れて集落内の細い道を進み始めた。 どこに行くのだろうと思っていると、バスは伊勢奥津の駅前広場に到着した。 名張を出て一時間ちょっと、なかなか内容の濃いバス旅だった。
 時間が余ったので、伊勢奥津駅を観察してみる。 駅は当然のことながら無人で、ホームは一本あるのみである。 駅舎は古めかしく、駅名を右から旧字体で書いてあるあたりが特徴的だ。 SLが使っていた給水塔も残っている。一通り見終わったあと、今度は周囲の集落を探索してみる。 山間の小さな集落であり、店は雑貨屋と電気屋が一軒ずつある程度だった。


木造で古風な伊勢奥津駅舎。


伊勢奥津駅構内の様子。奥にはSL用の給水塔と、乗ってきた路線バスが見える。

伊勢奥津15:15発〜松阪16:32着 410C キハ11(1)

 駅に戻ると、やがて一両の気動車がやってきた。これが折り返し松坂行きとなる。 乗客は少なく、わずか3人ほどを乗せて伊勢奥津を発車した。
 伊勢奥津を出ると、列車は雲出川という川に沿って進む。水の流れは少ないが谷は険しく、 周囲にほとんど人家はない。並行する道路も一車線のか細いものである。 そんな渓谷をゆっくりと下り、最初の駅である比津に到着。周囲にはわずかな家々があるだけの寂しい駅だ。 比津を出ても、相変わらず並行する道路は細く、車もほとんど通らない。無人の谷を列車だけが進んでいく。 このような所に鉄道を引く必要があったのだろうか、と思う。
 だが、この細い並行道路が名松線を救った。名松線は国鉄末期、他のローカル線と同じく廃止対象に指定された。 しかし、並行道路のみ整備を理由に廃止を免れたのだ。 名松線の存続危機はこの時ばかりではなかった。廃止の話が出る前、雲出川が氾濫して大きな被害を被ったのだ。 しかしその頃はまだ廃止の議論は出ておらず、無事復旧された。 そしてJRとなった今、隣のJR西日本で可部線北部が廃止されたりする中、 JR東海が比較的経済的余裕があるからか廃止の話は特に聞こえてこない。つくづく、名松線は運のいい線だと思う。
 やがて列車は伊勢八知に到着。ここからは周囲に人家が少しだけ増えるが、 相変わらず渓谷に沿って列車は下る。伊勢鎌倉、伊勢竹原と停車し、名松線の中心駅である家城に到着。
 家城はこの線で唯一の交換可能駅で、駅員も配置されている。 ふとホームに目をやると、大きな梃子がホーム上にあり、その下の線路際にはワイヤが這っている。 この駅には、今やめったに見なくなった腕木式信号機がまだ健在なのだった。 梃子を動かすことによって、ワイヤを通して信号が切り替わる仕掛けとなっている。
 家城を出ると、山も低くなり周囲には水田が目立ってくる。すっかり山から降りてきたという感じだ。 伊勢川口から先は近鉄と並行する形となる。車窓からは向こうの線路は見えなかったが、 一志駅では近鉄の川合高岡駅とすぐのところまで近づくため乗り換えも可能だ。 しかし、この乗換えを日常的に使う人はまずいないだろう。 やがて紀勢本線、近鉄と合流し松阪に到着。



伊勢奥津に到着したキハ11。


家城駅のホーム上に存在する、方向切り替えのための梃子。


梃子の下にはワイヤが張られていて、写真左手にある転轍機と連動している。

松坂16:45発〜宇治山田17:01着/17:03発〜鳥羽17:17着 近鉄

 これで、残すは参宮線のみとなった。しかし、参宮線は本数が一時間に1〜2本と少なく、 接続もよくない。そこで、本数の多い近鉄で参宮線の終点である鳥羽に向かうことにした。
 近鉄の各駅停車に乗り、まずは宇治山田を目指す。 近鉄の幹線とはいえこの区間の各駅停車は少なく、1時間に2本しかない。 列車は平野を快走し、15分で宇治山田に到着。
 宇治山田は開業時に建てられた高架駅で、伊勢神宮の玄関口だけに造りは立派で風格がある。 その片隅の行き止まり式のホームに列車は停車した。ここ宇治山田で賢島行きの各駅停車に乗り換える。 この列車はワンマン運転を実施しており、先頭には運賃箱が設置されている。
 宇治山田を出ると、列車は深い山の中を進む。これから乗る参宮線は比較的海沿いを走るのに対し、 近鉄は山の中をショートカットするためだ。しばらく山の中を走ると参宮線と合流し、 鳥羽に到着する。

鳥羽17:23発〜松阪18:06着 8942D みえ22号 キハ75(2)

 近鉄の鳥羽駅は観光地の玄関口らしく、構内に土産物店などがあって賑やかだ。 一方、その横に併設されたJRの乗り場は人もおらずがらんとしていて、 うらぶれた感がある。そのJRのりばで切符を買い、改札を通る。
 鳥羽からはキハ75を使用する快速みえに乗車する。 わずか2両の編成ながら、車内は転換クロスシートである上、 出入り口と客室の間には仕切り壁が設けられ、落ち着いた車内という印象がした。 また、一部の座席は指定席となっており、優等列車としてささやかながら近鉄特急に対抗しようという意気込みが感じられる。
 鳥羽を発車し、最初のうちは伊勢湾に沿って進む。臨時駅である池の浦シーサイド付近では海岸ぎりぎりのところを走るため、 景色がよい。ここを過ぎると、あとは田園と家が混じる普通の風景が続く。 しばらく走り、伊勢市に到着。伊勢神宮の玄関口であるが、伊勢神宮に行ってきた、というような観光客は乗ってこない。 あくまで乗客は地元の高校生などが主体で、地域輸送に徹している感がある。
 伊勢市を出て、宮川、田丸と通過していく。ここは交換可能な駅で、 2面のホームに挟まれる形で上下の線路が引かれているという、典型的なローカル線の駅の配線だ。 旅情があるが、旧態依然といった感も否めない。 キハ75は俊足を飛ばしてどんどん進み、あっという間に参宮線の起点、多気に到着した。
 多気は一度下車したことがあるが、2路線の分岐駅とは思えない寂しい駅である。 その印象は今回も変わらなかった。多気を出て紀勢本線を進み、松阪へ。ここで近鉄に乗り換え、近鉄特急で大阪に戻った。


快速みえには新型気動車のキハ75が使われる。

JR線乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
名松線松阪〜伊勢奥津43.5
参宮線多気〜鳥羽29.1
合計72.6

累積乗車キロ数

 総キロ数走破キロ数走破率総路線数走破路線数路線走破率
旅行前19860.917052.385.86%17113578.95%
旅行後19860.917124.986.22%17113780.12%