1999/1/15
池袋22:58発〜北鴻巣23:57着 2861M 211(10)
北鴻巣0:02発〜高崎0:53着 985M 115(11)籠原-115(4)
池袋始発の高崎線に乗り北鴻巣へ。本来なら素直に赤羽から「ムーンライトえちご」に乗ればいいのだが、 ご存知のとおり18きっぷで日付をまたがる列車に乗るときは、日付が変わった後の最初の停車駅から料金が有効となる。 ムーンライトが日付をまたいで最初に停車する駅は高崎であるため、 大宮からムーンライトに乗ってしまうと、1月15日から18きっぷを使うためには、 18きっぷの他に大宮〜高崎間の乗車券が必要となる。 そこで少しでも安く上げるために、先行する普通列車に乗り、日付の変わる北鴻巣で一旦下車して、 改めて18きっぷで乗車し1月15日のスタンプを押してもらったのだった。このおかげで、1000円以上節約することができた。
高崎1:30発〜村上6:05着 3763M ムーンライトえちご 165(6)
高崎からはムーンライトえちごへ。車両は165系だが椅子はグリーン車の
廃車発生品に交換されており、高速バス以上に快適だ。
高崎では急行「能登」を通すため30分ほど停まる。車内はほとんどの乗客が寝静まっていた。
列車は高崎を出た後、新前橋でまた長時間運転停車する。このあたりで眠ってしまった。
起きると新潟に着いていた。ここで方向転換するので椅子の向きを変える。
乗客は新潟や長岡で降りたのかだいぶ減っているようだ。
村上までまた寝て過ごす。
村上6:08発〜酒田8:32着 821D キハ47(4)
村上で濃紺の新潟色を纏った国鉄型気動車4連の列車に乗り換える。
ここは交直セクションを越える区間だが、交直流電車ではなく気動車で運転されている。
冬の日本海を見るのは初めてだったが、冬らしく空は薄暗く、
海は鉛色で、空からは小雪が降っている。人気の無い寂しい海岸を進むと酒田着。
酒田では駅そばを食べつつ次の列車を待つ。駅前はすっかり雪景色だった。
酒田9:41発〜秋田11:39着 539M 701(3)
酒田から青森までは、ロングシートの701系の旅が続く。
北国なので、ドアにはボタンがついており、駅に停車中であってもこれを押さないと
ドアは開かない。
地元の人はこのボタンの使い方を心得ていて、降りるときはドア内側の「閉」ボタンを押しながら下車していく。
そうしないとドアが開きっぱなしになり中が寒いのだ。
見た感じ、村上から乗り継いできている人が数人はいるようだ。
とはいっても東海道線のムーンライトながらのような民族大移動という感じではない。
秋田では外をぶらついてみる。このあたりは北海道に比べれば暖かいはずだが、
厚着をしていてもかなり寒く感じる。この先のことを考え、
駅前のイトーヨーカドーで帽子と手袋を買い込む。
秋田13:38発〜青森17:10着 657M 701(3)
秋田からの列車も701系3連。しかも結構混んでいる。18キッパーが影響しているのだろうか。
秋田から能代、大館と進みいよいよ青森県に入る。弘前からはどっと人が乗りこんで来た。
青森県の主要都市を結ぶ便なので客が多いのは当然だが、
その割に列車の本数が少なすぎる気がする。
青森に着いた頃はだいぶ暗くなってきていた。
青森18:09発〜函館20:39着 3131レ 50(5)
青森からは客車快速「海峡」に乗る。ロングシートに座り疲れたので、カーペット敷きの升席に座らせてもらう。
連絡船の時代と同等のサービスを提供するため作られたらしい。
津軽線内は低速だし、客車である上に雪が降っているので走行音はとても静かだ。
雪には走行音を吸収する効果があるそうだ。
いよいよ青函トンネルに入る。だがあたりはもう暗いし、
トンネルを示す青色の電灯でしか青函トンネルであることが分からない。
トンネルを抜け江差線内に入るとまた静かになる。外は暗いし何だかうら寂しい気持ちになる。
そして、東京からおよそ丸一日をかけていよいよ函館に到着した。
函館に着いたものの、食事をする場所が見当たらない。駅前の商店街はほとんど人もいないし、店も閉まっている。一旦駅に戻り、
朝市のほうに歩いていくと回転寿司屋があったのでそこに入る。
時間が時間だったため、観光客はおろか普通の客もほとんどいなかった。
食事を済ませたものの、まだまだ時間がある。外は寒いし、
時間つぶしができる店も無いので、仕方なく駅の待合室に座る。函館駅は近年改築されたが、
当時は昔ながらの古臭い駅で、駅の中にはキオスクと時代遅れの食堂ぐらいしか店が無かった。
椅子には路上生活者と思しき人が何人もいた。函館は深刻な不景気に直面しているという話を思い出した。
駅には張り紙があり、「午前1時以降駅を閉鎖します」と書いてあった。その時間以降彼らはどうするのだろう?
列車が来るまでの時間がずいぶん長く感じられた。
1999/1/16
函館23:30発〜札幌6:30着 快速ミッドナイト 6981D キハ27(3)
ようやくミッドナイト号の改札が始まり、椅子席に乗り込む。ミッドナイト号にはカーペット席と椅子席があるが、 前者のほうが人気で、18きっぷシーズンには売り切れとなることが多い。この日も売り切れで、仕方なく椅子席に乗った。 疲れからか座るとあっという間に寝てしまった。
札幌〜小樽 小樽〜小樽築港
札幌には着いたのは早朝だったため、店もほとんど営業していない。そこで時間を稼ぐため、先に小樽まで移動することにした。
小樽までは711系の普通列車に乗った。普通列車用の車両ながら造りは急行用とほぼ同じだ。
小樽でもまだ朝早かったため、駅の中のロッテリアで時間をつぶす。高校生が続々と駅から出てきていた。
9時過ぎぐらいにようやく観光を始めた。どこを観光したかはあまり覚えていないのだが、まず小樽運河に行った。その途中妙に細長い空き地を
見つけたのだが、これが手宮線の後であることは後に知った。
その後は、小樽築港のマイカルをぶらぶらした。そこの1階で食べた回転寿司が妙に旨かったことを覚えている。
小樽築港〜札幌
その後札幌に戻り、観光をした。これも何をしたかはほとんど覚えてないのだが、
ススキノのラーメン屋で夕食をとったのは覚えている。
その後札幌駅でミッドナイトを待ったのだが、札幌駅は北海道らしくなく風が吹き通しのため寒く、我慢できずに札沼線の列車に乗り、
適当な駅で折り返して寒さをしのいだ。
1999/1/17
札幌23:30発〜函館6:30着 快速ミッドナイト 6980D キハ27(3)
再びミッドナイト号に乗り込む。カーペット車に乗り込む。
この車両の構造は船の2等船室と同じで、枕と毛布が用意され、
全員が枕木と平行方向に並んで寝る。この日は割と利用者が多く、一人当たりの幅は50cmも無かった。
今はこの車両は廃車され、ミッドナイト号自体も廃止されてしまったが、
もし仮に現存したとしても、こんな列車で旅行しろといわれても拒否するだろう。
しかし当時は抵抗無く横になり函館までぐっすり眠った。
3泊目の夜行から降り、函館に着いた。函館から帰る方法は3つあった。
1つは、今来た道を戻り「ムーンライトえちご」で東京に戻る方法。
2つ目は、青森から東北本線を乗り継ぐ方法。普通列車だけでは当日中にたどり着かないだろうが、
新幹線で「ワープ」すれば何とかなる。3つ目は飛行機でまっすぐ東京に帰る方法。
当初は当然1つ目の方法で帰るつもりで、「えちご」の指定席も用意していた。
ところが、3日連続の夜行でかなり疲れていたため、
ここから延々とロングシートを乗り継ぎまた夜行に乗るのはかなり苦しいと考えられた。
当時は、まだスカイメイトが使える年齢だったため、飛行機に乗ったとしても1万円ちょっとの出費ですむ。
飛行機の最終便が取れれば、函館市内をゆっくり観光してから帰ることができる。
そう思い立ち、ANAに電話したところ羽田線はまだ空きがあったので、やはり飛行機で帰ることにした。
時間的余裕ができたので、しばし函館観光を楽しむことにした。まずは駅の横の朝市に行き、ウニ・イクラなどが乗った朝市丼を食べた。
値段は張ったが海産物の本場なのでうまかった。
その後、函館市電の一日乗車券を買い、路面電車とバスを乗り継ぎ函館空港に行き、最終便の予約をした。その後また市内に戻り、観光。
何を見たかはやっぱり覚えていない。
再び空港に戻り、飛行機で東京に戻ったのだった。
当時の「ミッドナイト」の指定席券。カーペット車(2号車)の場合席番は指定されないようだ。(画像は一部加工しています)