最終更新日:2021/6/5

中・四・九 夏の海:二日目―特急「南風」と宿毛フェリーで九州上陸

目次

2006/8/11

岡山5:34発〜清音5:58着

 この日は井原鉄道に乗車後、特急「南風」で一気に高知県の宿毛に向かい、 フェリーで九州に上陸するつもりだ。乗り継ぎの都合上、朝5時34分の列車に乗らねばならない。
 5時に目を覚ますと、朝なのに異様に室内の温度が高い。ホテルの建物が安普請のせいだろうか? ともかく、時間がないので大急ぎで出発の準備をし、駅へ急ぐ。早朝の岡山駅は人気がなくがらんとしている。 朝まで遊んだ若者のグループが一組いるぐらいだ。 駅弁屋も開いていないので、飲み物だけを購入して列車に乗り込む。
 やってきた列車は、赤穂線方面からやってきた2連の列車だ。 クリーム色を基調としたJR西日本のリニューアル車共通のカラーリングだが、 車内は昔ながらのボックスシートのままである。 前面の運転台は後から取り付けられたもので、103系のような切妻型となっている。 この列車はこの先伯備線に入り、米子まで延々と走る長距離列車である。
 岡山を出て、まずは山陽本線を快走して倉敷に着く。 倉敷からは山陽本線と別れて伯備線に入るが、いきなり街中から風景が変わり、 高梁川と山に挟まれたがけっぷちの様なところを走る。 土地が狭いからか、上下線で大きく線路の位置が違う(片方がトンネルを通過する) 箇所もある。山陽道や山陽新幹線をくぐり、左から井原鉄道の橋梁が合流すると清音に着く。


切妻型の変な前面の115系。

清音6:07発〜神辺7:15着 井原鉄道

 清音は井原鉄道と伯備線の分岐点だが、 井原鉄道の列車は基本的に清音の先の総社まで乗り入れるため、清音を始発とする井原鉄道の列車は少ない。 今回はその数少ない清音始発の列車に乗る。 既に列車は到着していて、部活で学校に行くと思われる高校生など3、4人が既に車内にいた。 車両の外では、運転士さんが自ら雑巾で窓などを拭いていた。 さすが3セク線の運転士はJRと違い何でもやる。
 清音駅を出ると、伯備線より一段高い位置まで上った後、先程見た鉄橋で一気に伯備線と高梁川をまたぐ。 川を渡ってすぐの所に川辺宿の駅があるが、辺りは水田が多く人家はあまり無い。 列車は真新しい高架を進み、吉備真備駅へ。吉備真備といえば、 遣唐使で唐に渡った人物だが、ここはその出身地なのだろう。
 列車はその後も小田川沿いの田園地帯を淡々と進む。 線路は基本的に新しい高架橋の上に作られているが、所々盛土の上を進んだりもする。 また、トンネルや擁壁のコンクリートは、高架橋のそれに比べて黒ずんでいる。 この井原線は、国鉄時代に工事が開始されながら国鉄再建に絡んで途中で工事が中断した路線なので、 建設時期の違いが工法やコンクリートの色づきの違いに現れている。
 しばらく走り、矢掛駅に到着。駅前には日本家屋のような立派な駅舎がある。ここは矢掛町の中心で、 高架橋からは家並みの広がる町内の様子が見渡せる。 だが、わずかな高校生が乗り降りするだけで相変わらず車内に客は少ない。
 その後も時折トンネルを交えながら川沿いをさらに進み、早雲の里荏原駅へ。 ここには井原鉄道の車両基地が設けられている。 この列車もここでしばらく停車し、1両増結を行う。 停車時間に駅前をうろついてみたが、駅前にいくつかオブジェが置かれているぐらいで、 駅前に人の気配はない。ここまではワンマン運転だったが、この駅から車掌が乗り込んできた。
 一駅走り、井原に到着。ここは井原線最大の駅で、駅舎も大きく立派なものだ。 ここでも時間調整のためにしばらく停車した。どれぐらい乗ってくるのかと思っていたが、せっかく増結したのに乗ってくる客はまばらだ。 おそらく学校期間中は福山に通う学生で賑わうのだろうが。
 井原を出ると、いずえ、子守唄の里高屋とユニークな駅名が続く。 相変わらず列車は山間の田園地帯を高架で直線的に進む。 駅はどれも高架橋の上に作られているが、どれもホームは短く簡易な造りだ。 同じような時期に作られた宮福線やほくほく線の駅とよく似ている。
 湯野を出ると、左に大きくカーブし福塩線と合流して神辺に到着。 神辺駅には井原鉄道とJR線との乗換え口があるが、早朝は開いていないようで、 一旦外に出てJR線の乗り場まで回り道をする必要があった。 その時、井原鉄道の改札でJR線の切符を買ったのだが、食堂の食券のような切符が出てきて驚いた。 3セクでは時折見かけるが、こんな切符でJR線に乗れるのか不安になった。


井原鉄道の列車は単行ワンマン、車体はJR西日本のキハ120にそっくりな軽快気動車で、車内はセミクロスシートとなっている。


側面には会社のロゴが配される。ラインカラーは4色に分かれており、なかなか複雑だ。

神辺7:23発〜福山7:36着

 神辺駅にやってきた列車は105系の4連。黄色と青の派手なカラーリングが特徴だ。車内は通勤客で結構混んでいる。 もうお盆休みに近い時期だが、会社に行く人はまだ結構多いようだ。その割に井原鉄道では通勤客を見なかったが・・・
 列車は神辺の次の横尾を出ると、川沿いの狭苦しい所を行く。先程乗った伯備線と風景がそっくりだ。 並行する道路には車が多い。通勤の車なのだろう。福山は人口45万を擁する大都市なので、通勤する人の数も地方都市の割に多い。
 終点の福山駅は、新幹線と在来線が2層に重なった高架駅となっている。東京で言えば赤羽駅のような構造だ。


イエローの派手なカラーリングの105系で福山へ。


高架ホームからは、福山城が間近に見えた。駅からこんなに近い所に城があるというのは珍しい。

福山8:11発〜岡山8:28着 ひかり444号

 福山駅では30分近く時間が余ってしまった。だが、早朝ということで店もほとんど開いておらず、 構内の椅子にぼんやりと座って慌しい通勤通学客を眺めるぐらいしかすることがない。
 福山からは新幹線で一気に岡山に戻る。 岡山までは普通列車でも1時間と少ししか掛からないので、 至近の普通列車に乗れば8時48分に岡山に着き、これから乗る「南風3号」に辛くも間に合う。 だが、岡山まで新幹線に乗れば、南風の特急料金に乗り継ぎ割引が適用され半額となるため、 トータルの費用は変わらない。そこで、今回は新幹線利用とした。
 朝から2時間以上掛けて岡山から福山まで辿り着いたが、 新幹線だとわずか17分で戻れてしまう。まるで今まで見ていたビデオテープを一気に巻き戻しているかのようだ。 先程通った伯備線の線路をちらりと見ると、間もなく岡山に到着。


岡山に到着した「レールスター」こと700系。


地味ながらも側面には「RailStar」のロゴが。

岡山8:50発〜宿毛13:56着 南風3号

 岡山からは特急「南風」に乗り換え、高知県の西の果ての宿毛を目指す。 5時間を越える長旅となるため、弁当やお茶を買い込んで旅に備える。 出雲市行き特急「やくも」や高松行きマリンライナー、 津山線の気動車など雑多な車両が停まる岡山駅の一角に、南風号は停車していた。
 指定された席は1号車だが、この車両はグリーン車と普通車の合造車で、 普通席は5列ほどしかなくやや狭苦しい。 シートは特急列車としては珍しくレザー張りとなっていた。 これは合造車のみの特徴であるらしい。
 お盆だけあって、指定席はほぼ完全に埋まった状態で岡山駅を発車。 岡山駅を出るといきなり単線となって、山陽本線とオーバークロスする。 これから走る宇野線は一部を除いて未だに単線で、 四国への直通列車の増発に伴いダイヤは飽和状態となっている。 そのため、この特急も通過駅で運転停車を強いられた。 岡山からしばらく離れると、田んぼのど真ん中を走る区間も多く 部分複線化は容易だと思うのだが、特に工事をしている様子は見られなかった。
 茶屋町からは宇野線と離れて瀬戸大橋線に入る。 ここからは瀬戸大橋開業と共に新規に作られて路線で、線路規格もよく当然複線である。 列車は人が変わったように飛ばし始めた。それにしても日差しが強い。 カーテンを開けて外を見ていると顔が焼けてしまいそうだ。 児島でJR西日本から四国へ乗務員交代し、高速道路と合流して鷲羽山トンネルをくぐると、いよいよ瀬戸大橋だ。
 瀬戸大橋は大小様々な島を踏み台にして海を渡るが、 島の中には与島のように駅を設置してもいいのではと思うほど大きなものもあれば、 はるか眼下にわずかな土地が小さく見えるだけのものもある。真っ青な海には船が行き交っている。
 橋の構造を見てみると、線路の左右には微妙なスペースがある。 瀬戸大橋は将来新幹線を通すことができるようスペースが確保されていると聞いたことがあるが、 そこまでのスペースがあるようには見えなかった。
 瀬戸大橋を渡り終えると、工場地帯が続く埋立地を走る。 ここで、坂出方面に向かう線路と宇多津・多度津方面に向かう線路に分かれる。 高松から多度津へ向かう予讃線と合わせ、京葉線の二俣新町付近のようなデルタ線を形成している。
 このデルタ線は、実は前から気になっていた。JRの乗りつぶしをする際、 このデルタ線のうち児島〜坂出と坂出〜宇多津は乗ったが、児島〜宇多津は乗車していなかった。 が、このデルタ線全体が戸籍上は宇多津駅構内の扱いとなるため、 時刻表巻頭の路線図を乗りつぶしの規準としていた私は、この近辺を完乗扱いとしていた。 実際に乗ってみて、このデルタ線の全景を車窓から見届けたので問題ないと思っていたが、 児島〜宇多津にも乗らないと完乗と見なさない流儀の人もいて、やはり気にはなっていた。
 その疑惑の区間をあっさりと通過し、宇多津に到着。 宇多津ではしばらく停車し、高松から来た編成を後部に連結する。 丸亀に停車し、高架を降りると多度津に到着。このあたりは主要駅が多いため、立て続けに停車する。 多度津は松山方面へ向かう予讃線と高知方面に向かう土讃線を分ける重要な駅だが、 昔ながらの平面交差となっている。 田んぼが広がりのんびりとしたムードの讃岐平野を南へ進み、琴平着。
 琴平からは非電化となり、地勢もやや険しくなるが、 まだまだ本格的な登りという感じはしない。 だが、讃岐財田駅を過ぎた辺りからいっそう山深くなった。 香川と徳島の県境を長いトンネルで一気に超える。トンネルを越えて少し行った所に、 スイッチバックの駅として名高い坪尻駅があるが、 2000系気動車はカーブや勾配をものともせず突き進んでいくため、 駅やその周辺の様子をよく確認できぬまま通過してしまった。
 坪尻を出ると列車は一気に吉野川沿いの平地まで駆け下りる。 車窓から、吉野川とその沿岸の町が見える。線路は「つ」の字のカーブを描くようにして、 吉野川沿いに徳島から延々と登ってきた徳島線と合流して阿波池田に至る。 阿波池田を出ると、吉野川の渓谷沿いを走る。 大歩危・小歩危あたりの険しい渓谷も当然見事だが、とんでもない斜面の上に作られた集落も見事だ。 傾斜40度はあろうかという斜面の上に田畑や家を作り暮らしているのだが、 なぜわざわざそんな所に、と思ってしまう。
 そんな渓谷の様子を眺めようと思っていたが、列車はしばしば川を渡るので、 川の位置が車窓の右へ左へと移動してしまう。そこで、デッキに出て車窓を見ていたのだが、 デッキの屋根に大きなカマキリが2匹も止まっていた。いったいどこから入ったのだろう。
 大歩危を過ぎると、一旦川沿いを離れて長い大歩危トンネルで難所を抜ける。 土砂崩れが多すぎて川沿いに線路を通しておくのは危険だと判断されたのだろう。 その後も延々と渓谷を走り、大杉に着く。 今日の南風は宇多津からの増結車を含めて6両の長い編成であるため、 今いる一号車はホームにかからずドアカットされていた。
 大杉からはますます山が険しくなり、トンネルが続く。 川の上に駅がある土佐北川や繁藤を通過すると、ようやく吉野川から離れる。 その次の新改駅も坪尻と並ぶ秘境として知られるが、よく分からぬまま通過。 しばらく走ると、はるか下に町が見えてきた。 一気に坂を駆け下り、土佐山田に到着。ここまでずっと山奥を進んできたが、ここからようやく平地となる。 ごめん・なはり線との合流駅の御免を過ぎ、まもなく高知に到着。
 高知では多くの客が降りたが、乗ってくる人もそれなりに多く、 自由席はごった返している。ここでは4分停車するので、 駅弁でも買おうかと思って外に出たが、この日は列車が遅れており、 宇多津で増結した後ろ2両を切り離すとすぐに発車ベルが鳴った。 ホームも混雑しており、結局売店に辿り着けず、何も買えなかった。
 高知を出ると、しばらく平地が続くのかと思っていたが、 朝倉の辺りから周りを山に囲まれるようになった。 同時に、高知市内から伊野へ至る土佐電鉄の線路が寄り添うようになった。 あちらの軌道は単線で、古びていて頼りない。 伊野を過ぎると、山の間をしばらく進み佐川に着く。高知から窪川、 宿毛へ至る線路は海沿いに引かれているものと思っていたが、 実際は海沿いを進む区間はほとんどない。それだけ、海岸線は地勢が急なのだろう。
 佐川を過ぎると、長いトンネルを抜けて須崎に着く。 須崎は海沿いの街だが、海沿いを走るのはこの辺りだけで、列車は再び山に入る。土佐久礼を過ぎると、 道路も家もない寂しい山の中を進む。この辺りで夕立が降り始めた。強い雨が降り、 遠くの方に雷が光っているのも見える。山越えを終えるとまもなく窪川に着く。 この駅に着く頃には夕立はやんでいた。帰省の客が何組も下車していく。 この駅では12分も停車するので、駅舎の中の売店へ行きお菓子と飲み物を購入した。
 窪川で長かった土讃線が終わり、土佐くろしお鉄道に入る。 若井までは四万十川と並行して走る。若井を出てしばらくすると、山の中でいきなり線路が分岐する。 ここは予土線が分岐する信号所で、向こうは四万十川に沿って進むのに対し、 こちらはループ線で一気に高度を下げる。 ただし、ループ線はほぼ全体がトンネルの中にあるためその様子はよく分からなかった。
 土佐佐賀駅は無人駅のようだったが、全ての特急が停車する。 そのため、特急列車にしては珍しく車掌が切符の回収を行っていた。 土佐佐賀を過ぎると、久しぶりに海が見えてきた。黒っぽいごつごつした岩が波に洗われる、荒々しい海岸だ。 途中、「海の王迎」という妙な名前の駅がある。くろしお鉄道は、駅名標が全て木で作られているのが特徴だ。
 再びトンネルを抜け、しばらく走るとようやく中村に到着。 岡山から実に5時間近くを要した。大きな町だけに、ここでかなりの客が下車する。 隣の席に岡山からずっと座っていた親子連れもここでようやく下車した。 鉄道マニアならともかく、一般人が5時間も列車に乗り続けるのは辛いだろうと思う。 しかし、この中村には空港もなく、この特急ぐらいしか交通手段はない。
 中村を出て、近年開業した宿毛線に入る。乗車時間も5時間を越え、流石に早く着いてほしいと思うようになってきた。 宿毛線は新しい線だけあって、高架とトンネルで直線的に線路が引かれている。 長いトンネルを抜け、東宿毛駅を通過するとようやく、終点の宿毛に到着する。


「南風」は2000系気動車の4両編成だが、車体にはアンパンマンのキャラクターがド派手にペイントされている。


瀬戸大橋から眼下に見える瀬戸内海。


窪川駅で小休止の間、高地域の普通列車を撮影。


土佐佐賀付近では、海底が隆起してできたと思われる荒々しい海岸が見える。


「南風」は宿毛駅にようやく到着。帰省客などが次々に下車する。

宿毛駅14:00発〜片島岸壁14:12着

 宿毛駅の滞在時間は5分しかないが、この先食料が手に入れられる場所はないため、 大慌てで食料を買う。駅の高架下で農協か漁協の直売会をやっていたので覗いてみる。 野菜や魚に並んで、アジの姿寿司を売っていたのでこれを買う。 駅前のバス停に行くと、片島岸壁の表示を出したバスがやってきた。 このバスは佐伯行きのフェリーが発着する岸壁に行くバスで、数名が乗車した。
 バスはしばらく2車線の道を走るが、 やがて1車線の怪しい道を進むようになった。 バスから見た限り、宿毛の町はあまり大きくないように感じた。(町全体を見たわけではないので分からないが)


宿毛駅は特徴的な形の駅舎を持つことで知られていたが、2005年の列車衝突事故で駅舎は失われてしまい、今は平凡な終着駅となってしまった。


駅舎の端の方を見ると、事故で失われた部分を建て直しているのが分かる。

宿毛港15:00発〜佐伯港18:00着 宿毛フェリー

 宿毛のフェリーターミナルは、プレハブの掘っ立て小屋のような簡素なものだった。 乗船券を買い、その掘っ立て小屋でフェリーの乗船時刻を待つ。 この佐伯行きのフェリーは、親会社の倒産などの事情により、 しばらく運休していた時期があった。 最近復活したものの、本数は以前ほど多くなく、船内サービスも削減されたようだ。 かつては宿毛を深夜に出て佐伯に未明に着く便は、 夜明けまで船内で休憩できたのだが、そのサービスも無くなってしまったようだ。
 乗船時刻になり2等船室に乗り込む。それほど混んではいないものの、 帰省する家族連れなどでそこそこ賑わっている。桟敷にごろ寝して、3時間をぼんやりと過ごした。
 佐伯港に着き、下船口に行くと既に下船を待つ人が並んでいた。 実は、今度の延岡方面行き特急は18時16分発で、乗り継ぎ時間に余裕がない。 みんなそれに乗り継ごうとして急いでいるのだろう。 18時ちょうどに出口の扉が開くと、客が一斉に走り出した。 客たちは船の前に止まっていたタクシーに向かって走り出した。
 が、事前に道を調べておいた私は小走りで駅の方に向かった。 途中道に迷いそうにもなったが、発車5分前には無事駅に到着した。


宿毛から佐伯に向かうフェリー。けっこう大型である。


船内は昔ながらの桟敷席。左下に見える黒い塊は無料で使える枕。


船内で賞味したアジの姿寿司。330円とは思えない立派なサイズ。

佐伯18:16発〜延岡19:16着 にちりん21号

 佐伯からの特急券を買い列車に乗ろうとすると、大雨のため5分以上列車が後れている旨放送があった。 確かに先程から街中を見ていると、路面が非常に濡れている。せっかく港から急いだのに意味がなかった。
 遅れてきた特急列車に乗り込む。 列車は485系3連で、JR九州らしく真っ赤に塗られている。車内はシートの柄が派手なものに取り替えられているなど、 原形はとどめているものの随所に九州らしさが現れている。 自由席車は帰省客が多かったが、何とか窓側の席に座ることができた。
 佐伯を出ると、列車はぐんぐん山の中へと入っている。 佐伯から延岡までの県境越え区間は「宗太郎越え」とも呼ばれているが、 途中駅の利用が少ないため普通列車の本数は少なく、区間運転を除けば普通列車は一日3本しかない。 それゆえ車窓は人里離れた山の中が続く。 直見、直川といったあたりまではまだ所々家があるが、 そこを過ぎると国道が併走する以外人工物は何も見えなくなる。特に宗太郎駅付近は何もないところに忽然と2面のホームが現れ、 雨の降った直後ということで霧も立ち込めており、何だか不気味だった。
 何もない山中を長々とさまよい、北川ぐらいまで来るとようやく人の気配がしてきた。 と同時に、日も暮れてきた。延岡に着く頃にはすっかり日が暮れていた。
 2003年春以来、3年ぶりに降り立った延岡の駅前では 盆踊りが行われていた。この盆踊りが何だか妙で、何度か前を通りかかったとき常に同じ曲で踊っていた。 しかもその曲は関西や関東では聞いたことのない曲であった。 この辺りではこの曲でずっと踊り続けるのが流儀なのだろうか。 ホテルに荷物を置き、食事を求めて延岡の町をぶらぶら歩いたがめぼしい店がなく、 結局その日は盆踊り会場の屋台でフランクフルトと焼きそばを買って部屋で食べるという妙な夕食となった。


延岡に到着すると、すっかり日が暮れていた。