最終更新日:2021/5/30

中・四・九 夏の海:一日目―北近畿タンゴ鉄道、若桜鉄道と餘部鉄橋

 2006年の夏休みは、幸運にも3日間用事の無い日ができたため、 どこかに出かけることにした。出発は8月10日の朝、 タイムリミットは13日の昼に大阪着。この年のGWは北の方に出かけたこともあり、 行き先は西日本とすんなり決まった。
 次に乗りたい路線を列挙してみると、まずは未乗3セク線の北近畿タンゴ、若桜、土佐くろしお、井原、錦川の各鉄道に、 JR完乗時に寝ながら通過し、その後乗車機会の無い日豊本線南部と肥薩おれんじ線区間と山陰本線東部、 2004年に台風の影響で乗りそびれた島原鉄道、 何度乗っても楽しい肥薩線や木次線、余裕があれば熊本電鉄や広電・一畑電鉄等の私鉄。 あと、宿泊地は博多や広島・鹿児島といった都会に設定し、 日が暮れた頃には宿泊地に着くようにして夜は街をぶらぶらして美味いものでも食いたい、と思っていた。
 ところが実際にプランを練ってみると、3セク各線に島鉄・日豊線ぐらいで手一杯で、 しかも宿泊地に着くのは深夜といういつものパターンになってしまったのだった。
 さらに頭を悩ませたのが切符で、周遊きっぷの九州ゾーン券を使おうとしたが、 九州へは四国から船で渡るので使用不可。特急を多用せざるを得ないため18きっぷもダメで、 普通切符を経路どおりに延々と買うしかなかった。 (このおかげで、前章に書いた会津若松行きが実現した訳だが) もっとも、JRの乗車券は遠距離逓減制のため、JRの運賃は東京-大阪間を単純往復する場合の倍程度で済んだが、 それ以上に痛かったのが途中に乗る各私鉄の運賃で、 ボディーブローのように財布の所持金を奪って行ったのだった。

目次

2006/8/10

新横浜8:10発〜京都10:11着 のぞみ9号

 この日は京都から山陰本線に乗り、北近畿タンゴ鉄道を乗りつぶして餘部鉄橋を観察し、 更に若桜鉄道に乗車して最終的には岡山に向かう。岡山に着くのは深夜というハードなスケジュールだ。
 8月10日朝の新横浜駅は、帰省客と出張客とが入り乱れごった返していた。 この駅の改札横の駅弁売り場はただでさえ狭くて人が多いのだが、 この日は売り場に辿り着くのも困難なほどの混みようだった。まるでバーゲンセールのようだ。
 混雑したホームから新幹線に乗りこむ。到着したのは500系で、 独特の先頭形状と円形の車体断面が特徴だ。 しかしその円形の断面ゆえ、車内の快適性には難があるというのが定説となっている。 窓ガラスもカーブしており、酔いやすいという声もある。 が、今回たまたま乗り継ぎのタイミングが合い、 普段乗る700系に飽きていたというのもあって乗車してみることにした。これが2度目の乗車だ。
 指定されたのはA席で、3列席の窓側だ。 B席とC席は既に埋まっている。自分の席まで行き、荷物を網棚に上げようとした。 が、500は断面が丸いゆえ、網棚が大きく内側にせり出している。 しかも隣の席には人が座っている。ということで、荷物を上げるのに 背中を大きくそらさねばならず、腰を痛めそうになった。
 何とか荷物を置き、購入した駅弁を賞味する。 買ったのは「日本の味博覧」。愛知万博の記念弁当として発売され、 気に入っている弁当だ。おかずは純和風の繊細な味付けで、季節感のある食材を使っているのが良い。 ご飯の量が少なめなのに対し香の物が豪華なのが特徴で、 この日は大きな南光梅と新生姜が入っていた。


新横浜駅に入線する500系。


横から見ると、他の新幹線と比べ車体の断面が丸くなっているのが分かる。

京都10:25発〜宮津12:18着 はしだて3号

 ちょうど2時間で京都駅に到着。混雑するコンコースを抜け、 駅ビル西側の山陰線のりばを目指す。思えば、かつて関西に住んでいて、 これだけ全国の鉄道に乗っているにもかかわらず、この乗り場から乗車するのはわずか二度目だ。 大阪に住んでいると福知山線という選択肢もあるので、 亀岡や園部にでも用が無い限り、京都口の山陰線は縁がない路線だ。
 ホームに着くと、これから乗る「はしだて3号」は ようやく車内清掃が終わり乗客が乗り込み始めたところだった。もう発車まで5分ぐらいしかないのだが、随分慌しい。 山陰線は京都市内が未だに一部単線で、ダイヤに余裕が無いのだろう。
 停まっている電車は183系直流型特急車だが、 「あずさ」や房総特急で走っていたような生まれながらの直流車ではなく、 交直流車の485系から交流機器を取り除いた改造車だ。 その証拠に、屋根上のパンタグラフを支える碍子が巨大で、元交直流車であったことが分かる。 そんな訳で、外装は塗り替えられているものの車内は相当年季が入っている。
 帰省客が多いためか、指定席はほぼ満席の状態で京都を発車した。 京都を出ると山陰線はすぐ単線となる。複線化を目指しているというが、 京都駅構内から東海道線との分岐点辺りまでは線路の両側にビルが建て込み、用地が確保された形跡もない。 線路を2層式にでもしないと複線化はまず無理な気がする。 東海道線と離れ、梅小路の電車区からの連絡線と合流すると丹波口までは複線で、 丹波口〜二条間は単線であるものの既に複線化工事が始まっているようだった。 丹波口から二条にかけては高架区間となっており、京都の町が良く見渡せる。 京都の中心部を高架で走るのは私鉄を含めてもこの区間だけなので、独特の眺めだ。
 地下鉄と接続する二条で多くの客が乗り、席がほぼ埋まった。 二条から花園までは複線で、花園から嵯峨嵐山までは高架複線化工事がたけなわであった。 嵯峨嵐山を出てしばらく嵯峨野観光鉄道と線路を共有した後、長いトンネルに入る。 トンネルのわずかな明かり区間に保津峡駅があり、 保津川の渓谷に張り付くように設けられた旧保津峡駅がある。(こちらは現在嵯峨野観光鉄道の駅となっている。) そのロケーションや駅の構造が、福知山線の武田尾駅にそっくりだと感じた。
 トンネルを抜けると、のどかな盆地の風景となる。 盆地の中心にあるのが亀岡駅で、こちらもロケーションが福知山線の三田駅とそっくりだ。 だが、三田駅ほどベッドタウン化が進んでいないためか、やや野暮ったい印象を受ける。 亀岡を出ると山々の間の狭い耕地を縫うように進む。 あたりはすっかり田園風景だが、そんな中でも所々で複線化工事が行われている。 どうやら計画だと園部までの複線化を目指しているらしく、 実現すればこのあたりも家が立ち並ぶかも知れない。
 そんな所を30分ほど走ると、園部に到着。一部の列車を除き、 この駅を境に京都側と福知山側で車両の運用が分かれている。 そんな運転上重要な駅だが、普通列車がとなりのホームに2本停まっているものの、人気はまばらだ。
 この園部から先は、つい10年ほど前に電化されて区間で、 編成も2連と短い列車が多い。線路沿いの平野も狭くなり、 人跡も少なくなってきた。大きな建物としては、 鍼灸大学前という駅の前に立派な大学のキャンパスができていたぐらいだった。
 さらに進むと、渓谷が随分急になった。車窓からは川面がはるか下に見える。 こんな絶景が見えるとは予想外だった。渓谷沿いの区間はしばらく続いた。
 それにしても、今乗っている区間と福知山線は似ている点が多い。 大阪や京都を出ると、最初は街中を進み、街を抜けると渓谷(武庫川・保津川)沿いの区間を付け替えたトンネルに入り、 途中に秘境駅(武田尾・保津峡)があり、それを抜けると小都市(三田・亀岡) があり、しばらく盆地を走り、運転の拠点駅(篠山口・園部)をでると渓谷沿いに走り、 福知山に抜ける。どちらもこんな感じだ。 もっとも、両方の線は近い所を並行して走っているので、ある意味当然なのかもしれない。
 新幹線で弁当を食べてからそんなに経っていないが、 京都で買った駅弁を食べているうちに、舞鶴線との分岐点である綾部に到着。 この列車は後部に「まいづる」号を連結しているため、 この駅で切り離しとなる。切り離し作業を見に行くと、 「まいづる」側の先頭車はかつて「スーパー雷鳥」に組み込まれていた改造先頭車だった。 この福知山界隈には妙な改造先頭車が多いが、この車両も一角を占めている。
 舞鶴から4連になった列車は、つい先日高架化された福知山駅に到着。 しばらく停車した後、いよいよ北近畿タンゴ鉄道宮福線に入る。 福知山を発車すると地上に降り、高架化から取り残されたタンゴ鉄道の普通列車専用ホームからの線路と合流する。 普通列車だけ冷遇されているようで何だか可哀想だが、何年か後にはこれも高架化されるとのこと。
 列車は高規格の線路を今までにない高速で走る。 宮福線は20年ほど前にできた比較的新しい線で、かなりの高規格を誇る。 2両分ぐらいしかホームがない小さなローカル駅をいくつか過ぎると、長いトンネルに入る。 この山が福知山と宮津を遮ってきた大江山だ。トンネルを抜けると宮津までは田畑の広がる川沿いの土地を進む。 短いホームのローカル駅をびゅんびゅん通過するうちに、国鉄時代と変わらない古びた姿の宮津駅に付いた。


年季が入った特急「はしだて」「まいづる」。写真には「まいづる」編成の方が写っている。


「スーパー雷鳥」から転じた切妻型の先頭車。


「はしだて」編成の方向幕。「北近畿タンゴ鉄道経由」の表記が入る。


座席の枕カバーには「ビッグXネットワーク」の文字が。

宮津12:21発〜西舞鶴12:53着 北近畿タンゴ鉄道

 「はしだて」号はその名の通り宮津の次の天橋立まで行くが、 北近畿タンゴ鉄道の宮津線を乗りつぶすため宮津からは西舞鶴行きの普通列車に乗り換える。
 陸橋を渡って駅舎横のホームへ行くと、水色の一両編成の気動車が停まっていた。 車内は転換クロスシートが並んでおり、ローカル線の普通列車としてはなかなか立派な装備だ。 乗客は10人程度で、土地の人らしい老人が多い。
 3分の連絡で宮津を発車すると、まもなく車窓に若狭湾が広がる。 砂浜ではないもののきれいな海で、浜辺で遊んでいる人もいる。 宮津からしばらくは海水浴に適さない入り組んだ海沿いを走るが、 しばらくすると200m程のビーチに沢山の人がいる光景が目に入った。 まもなく丹後由良の駅に到着。あのビーチは由良海岸といい、海水浴場としてそこそこメジャーなようだ。
 丹後由良を過ぎると線路は海岸線から離れ、川を遡るように走る。 途中駅では2、3人づつ人が乗ってくる。夏休みだけあって、老人だけでなく中高生の姿も目立つ。 いくつかのトンネルを抜け、やがて舞鶴線が寄り添ってきて、西舞鶴駅に到着。


北近畿タンゴ鉄道の普通列車用車両。


人で賑わう丹後由良の海水浴場。


西舞鶴駅の駅舎は近年建て替えられたらしく、真新しい。

西舞鶴13:03発〜天橋立13:44着 北近畿タンゴ鉄道

 西舞鶴では一度出場し、最近建てられたと思しき立派な駅舎の写真を撮ったあと、 改めて天橋立までの切符を購入して入場した。 駅に入って気付いたが、どうやら今乗ってきた車両が折り返すのではなく、 車庫から出てきた別の車両が今度の列車になるようだ。 乗車してみると、舞鶴線から乗り継いできた観光客らしい若い女性などで混んでいて、 3分の2ぐらい席が埋まっていた。
 西舞鶴からは何事もなく今来た道を折り返す、と思いきや予想外の事態が起こった。 乗車していると、さっきの特急列車に比べて妙に車内が暑いことに気付いた。 最初はエンジンの直上に乗ってしまったせいだと思っていたが、 やがて車内放送があり、冷房装置が起動しないとのこと。仕方なく乗客は窓を開け始めた。 こんな所で非冷房車に乗る羽目になるとは思わなかったが、窓を開けると案外涼しい。 特にトンネル走行中に入ってくる冷気は冷房の風より冷たく、非冷房車も案外つらくないものだと感じた。 ちなみに、宮津の手前あたりで冷房はようやく復旧した。
 車内は丹後由良で観光客が降り若干空いたものの、 宮津で大量に中学生が乗ってきて通路まで埋まってしまった。この列車は豊岡行きなので、 このまま豊岡まで乗り続けてもいいが、車内は混んでいるし、 今まで行ったことのない天橋立にも立ち寄りたいので、 予定通り天橋立駅で途中下車することにした。
 そんな訳で駅の周辺を30分ばかり歩いてみたが、 あまりに暑いので旋回橋を越えて天橋立の入口あたりまで歩いただけで戻ってきてしまった。どうやら天橋立の全貌を見るには、 ケーブルカーなどで山の上に登らねばならないようだが、そこまで行く時間も気力もなかった。


車窓には写真のような風光明媚な海岸が続く。


天橋立は日本三景の一つ。他の二つは既に行ったことがあるので、これで全て踏破した。


駅と天橋立の間にある旋回橋が回る様子。

天橋立14:30発〜城崎温泉15:46着 タンゴディスカバリー1号

 天橋立駅で珍しい硬券の特急券と乗車券を買い、ホームに行く。 ホームには「タンゴエクスプローラ」が留置されていた。しばらく待ち、やってきた列車に乗り込む。 やってきたのは京都から西舞鶴経由でやってきた2両編成の特急「タンゴディスカバリー」号で、 北近畿タンゴ鉄道の新型気動車で運転される。 この車両に乗るのは、以前新大阪から三田まで乗車したとき以来2度目だが、 青緑色の独特の塗装で、JRのボロ特急より内装・外装共にはるかに立派だ。 車両の先頭部がガラス張りになっており、前方・後方の車窓がよく見渡せるのが特徴だ。
 自由席車両乗り込んでみると、帰省客が多いせいか混んでいる。 窓側の席は全然空いていないので、仕方なく通路側に座った。 タンゴ鉄道宮津線は、これから先急峻な海岸線を避けて内陸を進む。 そのため、ここから先は山越えが多くなる。
 天橋立を出た列車は、1駅通過して野田川、丹後大宮、峰山、網野と立て続けに停まる。 もはや特急列車とは呼べない停まりっぷりだ。 野田川駅などは、駅前に田んぼが広がっている。特急停車駅とは思えないのどかな駅だ。 峰山や網野では続々と帰省客が降り、混んでいた車内は一気にがらがらになった。
 列車は久美浜から快速となる。京都府と兵庫県の境となる峠を越え、 数年前に大氾濫を起こした円山川を渡ると、山陰本線が合流してきて、 タンゴ鉄道の終点・豊岡に到着。乗ってきた列車は豊岡から進行方向を変え、 城崎温泉まで直通する。豊岡までは列車の最後尾に座っていたので、期せずして最前列の席を確保することができた。 次の列車は豊岡始発なので、当初は確実に座るために豊岡で降りようかと思っていたが、 計画を変更して城崎温泉までこの列車に乗ることにした。
 豊岡で地元客を乗せ、車窓に113系3800番台の珍妙な顔を見ながら発車。 途中唯一の通過駅である玄武洞で運転停車をし、終点城崎温泉に到着した。
 待ち時間の間に駅弁を買い、駅前をうろついてみる。 駅のすぐ横に外湯があるが、この日は定休日だった。湯治場らしく浴衣姿の人も結構居たが、 慣れない服装のせいか財布を落としている人がいて、拾って渡す一幕もあった。


北近畿タンゴ鉄道の看板特急、タンゴエクスプローラ。


タンゴエクスプローラは、車両全体がハイデッカー構造になっているのが特徴。


同じく天橋立駅で待機する福知山線経由の特急「文殊」。


ごつごつとした大きな碍子が、元交直流車両の証し。


もう一つの看板特急、タンゴディスカバリーに乗って城崎温泉へ。


毛筆体の大きな駅名看板が特徴的な城崎温泉駅。

城崎温泉16:11発〜餘部16:55着

 これから乗る列車は豊岡始発で、席があるか不安だったが、 何とかドア横のロングシート部分に座ることができた。 城崎温泉から先の山陰本線は、はるか先の米子付近まで非電化区間が続く。 何故電化区間が城崎温泉で途切れているのか前から疑問だったが、 駅を出るとすぐに口径の狭そうな古いトンネルが立て続けに現れた。 電化するにはトンネルを改修する必要がありそうで、疑問が何となく解けた気がした。
 ローカル駅に停まるごとにぽつぽつと下車があり、 車内が落ち着いてきた所で、城崎温泉駅で買ったかにめしを食しつつのんびり過ごす。 やがて、沿線で比較的大きな町である香住に到着。だが、ここで突如として静寂が破られた。 何と某旅行会社のツアー客が大挙して乗ってきたのだ。 2連の気動車はたちまち通路にまで立ち客があふれるほどの混雑となった。 おそらく香住から餘部駅まで乗車し、餘部鉄橋を見学するのだろう。 最近は餘部鉄橋も廃止が近づき、報道される機会が増えているのかもしれないが、 観光ツアーが押しかけるようになっているとは思わなかった。
 香住から2駅走り、その餘部鉄橋を通過する。 橋の下には餘部の集落が見渡せる。瀬戸大橋など、最近作られた巨大な橋に比べるとその高さはそれほどでもないが、 明治時代にこれほどの橋が造られたというのは驚きだ。
 結局、餘部駅でツアー客は全員下車した。 ワンマン運転なので全員が先頭車から下車するため、かなり時間を食った。
 餘部駅は集落から離れた山の中にある静かな駅として知られているが、 降りてみると先ほどのツアー客がホームに集結し、ガイドの解説を聞いている。 こんな状況では山間の長閑な雰囲気などあったものではないので、 一団が移動するまでしばらく待合室で待つことにした。
 しばらく待った後、集落への坂を下りてみる。 駅と集落を結ぶ重要な道のはずだが、ハイキングコースと同レベルの道で、 道の横の斜面が所々崩れていたりする。勾配もかなり急で、お年寄りにはかなり厳しい道だ。 しかし、道からは餘部鉄橋の構造をじっくり見ることができる。鉄橋を横から見ると、 まるで寄木細工のように鉄骨を組んでいる様が分かる。坂を降り切った所の民家の軒先では、 餘部鉄橋を撮影した写真を無人販売していた。民家の横には、鉄橋の橋脚が立っている。 近くで見ると、その鉄骨は意外なほど細く、よくこんな大きな橋が支えられるなと思った。 しかし、その鉄骨にはかなりの傷みが見られ、建て替えの必要性があるというのも分かる気がした。
 橋に沿って少し歩くと、観光バスが2台停まっていて、先ほどのツアー客が乗り込んでいる。 どうやらここで客を回収するらしい。集落から駅への坂はかなり急なので、 ある意味合理的な行程だといえるだろう。その後、橋が見渡せる位置へ行き、 列車を撮影するなどした後、あの急な坂を上って駅へと引き返した。


途中の鎧駅は、駅のすぐ裏が海になっている。


餘部駅到着直前、鉄橋の上からの眺め。


最近では観光名所となりつつある餘部鉄橋。普段は静かなはずの餘部駅だが、観光ツアーの客でごった返す。


餘部駅の周辺は山に囲まれ、列車がいなくなると静寂に包まれる。


橋梁を横から見る。寄木細工のように精密に組まれた鉄骨が美しい。


橋脚を真横から見ると、組まれた鉄骨がまるで万華鏡のようだ。


橋の土台部分。近くから鉄骨を見ると、さすがに老朽化の様子が見られる。


足元から橋を眺める。橋の下はスカスカなのが分かる。


橋の足元ぎりぎりまで民家が立て込んでいる。


地方の小さな漁村に、巨大な橋脚が溶け込む不思議な光景。


餘部鉄橋を渡る上り列車を地上から撮影。こうして見ると随分高いところを走っていると感じる。

餘部17:51発〜浜坂18:08着

 餘部駅に戻り、「お立ち台」と呼ばれる橋を見渡せる撮影名所で写真を撮った後、やってきた列車に乗り込む。 今度の列車は観光客も少なく、空いていた。 列車は峠を長いトンネルで越えると、浜坂へ向けて下っていく。


餘部駅建設の際、地元民が勤労奉仕を行なったということで、その様子を示す壁画が残されている。


駅から鉄橋を眺める。海岸の眺めが見事である。


お立ち台から見た鉄橋全景。


駅に進入してきたキハ40。これに乗って駅を後にする。

浜坂18:18発〜鳥取19:04着

 浜坂は兵庫県内では最後の拠点駅で、普通列車は全てこの駅で系統分離されている。 ここからは、今や鳥取地区でしか見られない貴重なタラコ色(国鉄色)のキハ40に乗車する。 今度の列車は前の列車よりさらにガラガラで、2両目には自分以外に1人しか客がいない。
 浜坂から2駅目に居組という山間の秘境駅があり、昔ながらの木造駅舎が残っているが、 大分日が暮れてきたこともあり、お化け屋敷のように見える。 乗降客もないまま居組を発車。この居組が兵庫県最後の駅で、ここから先は鳥取県となる。 が、ガラガラの車内で足を伸ばしていると眠気が襲ってきた。 気付くと街中を高架で駆け抜けていた。鳥取駅の目前まで来てしまったようだ。


タラコ色のキハ40で兵庫県から鳥取県に入る。

鳥取19:53発〜郡家20:06着

 鳥取駅では次の列車まで50分もある。実は餘部で途中下車せずまっすぐ鳥取まで来れば、 18時13分発の「スーパーいなば」に乗れて、 20時には岡山に着けたのだが、若桜鉄道に乗ろうとすると、 これから述べるような厳しい行程を取らざるを得なかった。
 鳥取駅で弁当を買い、待合室でテレビを見るなどして時間をつぶした後、智頭急行の大原行き普通列車に乗る。 学校や会社帰りの客を乗せて3駅走り、郡家で下車する。


鳥取まで乗り入れてきた智頭急行の車両で郡家へ。

郡家20:10発〜若桜20:40着 若桜鉄道

 郡家駅では、ホームの向かい側に若桜行きの単行列車が待っていた。 今乗ってきた列車から十数人が若桜鉄道の列車に乗り継いだ。郡家を発車してすぐ、八頭高校前駅に停車する。 若桜鉄道の利用客を増加させるために新設された駅で、郡家からの運賃は60円と鉄道の運賃としては日本一安いそうだ。
 もはや真っ暗で車窓はほとんど見えないが、川沿いに田んぼが広がっているのは分かる。 しばらく進むと、後ろの山が高くなり、川沿いの田んぼの面積が狭くなってきているのが分かる。 谷が次第に急になっているのだろう。 駅に停まるごとに人が降り、終点の若桜まで残ったのはわずか3人だった。運転士に運賃を払い外に出る。


前面部に「さくら1号」の表記が入る若桜鉄道の車両。

若桜20:46発〜郡家21:16着 若桜鉄道

郡家21:20発〜鳥取21:34着

 外に出て駅舎を見てみると、なかなか古めかしい。 国鉄時代から全く変わっていないのだろう。入口に大きな時計がかかっているのが特徴だ。 写真を撮り、乗ってきた列車に再び乗り込む。すると、駅員さんに奇異の目で見られてしまった。盲腸線の乗りつぶしでは、 わずか数分で折り返すような乗り方をしばしばしなくてはいけないのだが、 そうすると駅員や乗務員に変な目で見られてしまう。 こればかりはなんともしようがない問題だ。
 若桜からの車内ではもはや見るものもない。窓を開ければ、 窓ガラスの反射がなくなりもう少し景色が見えるかと思い開けてみたが、 あまり変わらないばかりか風が冷たいので、やめてしまった。 結局、終点まで誰も乗ってくることはなかった。


夜9時近くとなり、真っ暗な若桜駅舎。滞在わずか6分で折り返す。

鳥取21:47発〜岡山23:40着 スーパーいなば92号

 再び鳥取駅に戻り、岡山行きのスーパーいなばに乗り込む。 この列車は06年3月改正から走り始めたのだが、 その経緯には寝台特急「出雲」廃止が深くかかわっている。「出雲」を廃止する際、 廃止以降も残る「サンライズ出雲」が通らない鳥取県や兵庫県北部の自治体が「東京行きの夜行列車がなくなると困る」とJRに抗議した。 仕方ないので、JRは「サンライズ出雲」と鳥取県を結ぶ連絡列車を走らせ、「出雲」の代替とすることにした。 その連絡列車がこれから乗る「92号」なのだ。 鳥取駅にも、この92号とサンライズ出雲を乗り継いで東京に行ける旨を記したパンフレットが置かれていた。
 そんな訳で、この列車の利用者に自由席を飛び乗りで利用しようとする人などほとんどおらず、 自由席はガラガラだった。乗っていたのは、中年の男性と2人連れの外国人だけ。 関係ないが、この旅行中外国人観光客が列車に乗っているのをしばしば見かけた。 JAPANレールパスを片手に、乗り鉄をやる外国人マニアが押しかけているのだろうか?(そんなはずないか)
 岡山に着いたのは夜11時40分。駅は既に閑散としていた。駅から徒歩5分のホテルに泊まり、 速攻で眠りについた。明日は5時半の列車に乗らねばならない。


深夜の鳥取駅で発車を待つ「スーパーいなば」。2連のコンパクトな編成だ。