2005/8/12
新大阪11:04発〜三田11:43着 タンゴエクスプローラー1号
新大阪からは、特急でまずは神戸市の北に位置する三田へ向かう。
三田ぐらいなら普通は快速列車で行ってもよさそうだが、新幹線との乗継だと特急料金が半額となることもあり、
贅沢に特急利用とした。
新大阪駅の在来線ホームに向かう。しばらく待つと、4両編成のグリーンの気動車が入線してくる。
北近畿タンゴ鉄道に直通するタンゴエクスプローラー号だ。
三田へ向かう特急というと通常なら電車特急の「北近畿」号だが、一日数回タンゴエクスプローラー号が走る。
が、この車両、ドアの横の「タンゴエクスプローラー号」の文字が妙に取ってつけたような感じだ。
よくよく見ると、車端部には「TangoDiscovery」の文字もある。
後で調べると、福知山線のATS-P導入の関係で、
嵯峨野線を経由するタンゴエクスディスカバリー号の車両と一時的にコンバートされていたらしい。
そういえば以前、宝塚駅で黄土色の気動車を見たことがあるから、
そちらが本来のタンゴエクスプローラー号なのだろう。車両を観察してみると、列車は2連×2の4両編成のようだ。
運転台直後の窓が大きく、展望が良いのが特徴的だ。
自由席は新大阪発車時点で結構混んでいたが、大阪駅でさらに乗ってきて、
立つ客も出たようだ。大阪を出ると宝塚までノンストップかと思いきや、
尼崎に停車するのでややずっこける。これでは快速と停車駅が大して変わらないではないか。
尼崎を出て、鉄橋で東海道線と分かれ大きなカーブをゆっくりと通過する。
すると、青いビニールシートで覆われたマンションが車窓から見えた。
この所のテレビニュースで見慣れた、あの脱線事故の現場である。
献花台や警備員の姿も見え、生々しい。ここまで旅行気分で車窓を楽しんでいたが、気分が重くなる。
思い思いにくつろいでいた車内の乗客たちも、このときばかりは言葉を失っているようだった。
事故現場付近を恐る恐るといった速度で通り過ぎた特急列車は、
その後一気にスピードを速めて塚口、伊丹と通過する。やがて車窓に猪名川の堤が見えてきた。
この辺は実家にも近く、久々に帰ってきたんだという実感がわく。
川西池田を通過し、阪急平井車庫の横を通り抜けると、線路はいきなり高架になる。
この区間、実家近くながら10年近く乗っていなかったので、意外だった。
宝塚でもさらに乗客がある。宝塚からは険しい山の中を進む。
とはいってもほとんどトンネルであり、景色はあまり見えない。トンネルを抜けると三田駅に着いた。
三田11:53発〜鈴蘭台12:37着 神戸電鉄
神戸電鉄に乗車するのはおよそ10年ぶりだ。ホームへ行くと、
新しいホワイトの車両とやや古びたアルミ車両が停車している。新しいほうがウッディタウン行き、
古い方が新開地行き準急だ。準急といっても通過するのは終点近くの数駅だけで、実質各駅停車に近い。
三田を出た列車は、田舎とニュータウンが入り混じったようなところを進む。
途中乗客はあまりなく、車内は空いている。なんとも気の抜けたような雰囲気が続く。
そんな雰囲気を打ち破るように、立派なニュータウンが現れた。
神戸市北区の中心である岡場に着く。さすがに乗客が多く、車内も混んできた。
ここからの車窓はすごかった。勾配が半端でない。
神戸電鉄は最大50パーミルだかの勾配があり、車両にはそれに対応する特殊装備がなされていると聞いていたが、
確かにそこいらの鉄道ではありえない勾配だった。有馬口を過ぎてもどんどん登ると、
峠を越えたのか一転して転がるように坂を下っていく。
やがて、北神急行との乗換駅の谷上に着く。
この駅、以前は北神急行との間に改札があったような記憶があるが、改札はなくなり北神急行の列車が同じホームに
停車する形になっていた。北神急行経由のほうが三宮に早く着くので、多くの客が乗り換えて行った。
谷上を出ても激しいアップダウンが続く。
途中「山の街」という駅があるが、このあたりの地形をよく表していると思う。坂を下りきったところで鈴蘭台に到着。
鈴蘭台12:44発〜三木13:18着 神戸電鉄
鈴蘭台で、粟生線に乗り換える。今度は3両編成で、車内の混み具合はまあ普通。
粟生線はこれまで乗ってきた三田線・有馬線と違って単線だ。
鈴蘭台駅を出ると、いきなり急勾配と急曲線を進む。
次の鈴蘭台西口駅は距離的には近いが、高低差はかなりのものだと思う。
しばらく走ると、街から急に山中に風景が変わる。途中の山を切り開いて、神鉄の車庫も設けられている。
途中、広野ゴルフ場前という駅があり、本当に駅のすぐ横にゴルフ場がある。
なんだかバス停のような駅名だ。その後は田んぼと家の混じる車窓が続く。
とても神戸の近郊とは思えない、ローカル線のような佇まいの三木上の丸駅を過ぎると、川幅の広い川を渡り三木に着いた。
三木13:38発〜厄神13:50着 三木鉄道
神戸鉄道の三木駅と、三木鉄道の三木駅との間は、三木の町を挟んで大きく離れている。
駅前広場も何もなく、そっけない感じの神鉄三木駅を出て、
しばらく川沿いに歩く。やがて、三木鉄道の駅へ向かう橋が現れるので、とことこと歩く。
距離にして1km弱といったところか。一応バスもあるようだが、
コミュニティーバスのようなもので本数は多くないようだ。
いかにも国鉄のローカル線の駅、といった佇まいの三木駅に着く。発車まであと7、8分あるので、
色々観察してみるが、駅員が何人かいる以外は人の気配が感じられない。
車内に乗り込んでも、客は自分以外に老夫婦一組とおばさん一人しかいない。
土曜の昼間とはいえ、あまりに寂し過ぎる。
三木駅を発車し、すぐに高木駅に着く。意外にも、ここで老夫婦が下車した。
こんな近距離でわざわざ列車を利用するとは驚きだ。
その後も、田んぼの合間に民家が散在する所を進む。
駅は、国鉄時代からある古いものと、簡素なホームがあるだけの新しいものが交互に現れる。
どこの駅も、周囲に民家は多くなく、乗り降りする客もない。
それでも列車は、一つ一つの駅に丹念に停車し(停車すると言っても、ドアも開けずに5秒停車ぐらいで
どんどん発車していたが)、乗らずもがなのマニア一人とまともな客一人を乗せて進んでいく。
乗っていて何だか空しさがこみ上げてきた。
三木鉄道はもと国鉄三木線で、その頃は加古川線と直通していた。
もし三木線がJRに残留していれば、加古川までの直通運転が行われていたはずだ。
加古川からは、今をときめく新快速で三宮や大阪まで一本で行ける。
そうなれば、速度が遅く運賃の高い神鉄より速く、安く三宮や大阪に行けるはずだ。
結局、加古川線から運行面でも運賃面でも切り離されてしまった時点で三木鉄道の命運は尽きていたのではないか。
乗っていてそう思った。
厄神13:54発〜粟生14:06着
厄神からは加古川線に乗る。厄神駅には加古川線の車庫があるようで、 ホームから様子が見えた。やがて緑色の103系がやってきたので、乗る。 JR西日本お得意の改造で新車並みになった車両に揺られ、粟生へ。
粟生14:12発〜北条町14:34着 北条鉄道
粟生駅はJR、神戸電鉄、そして北条鉄道の3つが乗り入れている。
JR、私鉄、そしてローカル線という組み合わせは、八高線、東武、秩父鉄道が乗り入れる
寄居駅と似ている。駅の雰囲気も地形的にも似ている気がする。
JRのホームに隣接して横に北条鉄道の乗り場がある。紫色のやや新しい車両だ。
既に数人が乗車している。先程の三木鉄道よりは客の数は多い。
暑い中、10人ほどの客を乗せ粟生を発車。車窓は田畑が続き、あまり見るべきものはない。
途中駅はどこも一面しかホームのない小さな駅で、終点の北条町まで交換施設はない。わずか24分で、終点の北条町に着いた。
駅には車庫が併設されており、古びたレールバスが留置されていた。
あまり使われていない様子で、予備車扱いなのだろう。
北条町の駅は予想外に真新しく、立派なバスターミナルも併設されていた。
さて、ここからは粟生に折り返して神戸電鉄で三宮に向かうつもりだったが、
車窓も大したものはなかったし、今来た道を折り返すのもつまらない。そこで、姫路へ抜けるバスを利用することにした。
バスが出るまで時間があるので、駅前の真新しいビルに併設された図書館に行って涼んだ。
北条町15:02発〜野里15:38着 神姫バス
北条町を出たバスは、姫路へ向けて田畑の間をどんどん進んでいく。 途中、姫路セントラルパークの横を通ったようだ。子供の頃バスで来たことはあるが、 途中の道は当然見覚えはなかった。が、ところどころ道路が混んでおり、やや遅れているようだ。 途中、播但線の野里駅の前をバスが通るので、そこで電車に乗り換えることにした。
野里15:56発〜姫路16:03
野里駅はローカル線らしからぬ高架駅だった。やや混んでいる播但線の赤い103系に乗って、 姫路へ向かい、姫路からは新快速で三宮に向かった。