2007/3/24
藤沢0:01発〜小田原0:36着
金曜日の深夜、藤沢駅へとやってきた。これから乗る「ムーンライトながら91号」は先日のダイヤ改正により、
横浜発車時刻が23時台となった。その次の停車駅は小田原なので、横浜以東からこの列車に乗ろうとすると、
18きっぷ1回分と別に小田原までの乗車券が必要となる。
横浜〜小田原間でも950円もするから馬鹿にならない。そこで、先行する普通列車に乗り、小田原から「ながら」に乗ることにした。
先行する列車が0時を迎える藤沢から18きっぷを使い始めることにより、運賃を節約できる。
12時少し前に、改札できっぷに日付印をもらう。上りの横浜方面の列車が既に終了しているのには驚いた。
東京どころか、大船にすらもう行くことはできないとは。
0時1分発の小田原行きは、山手線の遅延などで5分以上遅れてやってきた。
金曜の夜だけに混んでいるかと思ったら、さすがに藤沢まで下ると大分客も減りあっさり座れた。
平塚まで来ると車内はがらがらになった。
小田原に着くと、「ながら」に乗ると思われる客がかなり待っていた。何だかマニア風の客が多い。
小田原0:55発〜大垣5:55着 ムーンライトながら91号
0時50分着の「ながら」号に乗り込む。指定席券は発売当日に売り切れていただけあって、車内は満席であった。
着席し、寝る姿勢を整えたもののなかなか発車しない。
山手線が遅れたため、もう一本後の東海道線の小田原止まりの列車を待つようだ。
結局20分近く遅れて発車した。ただ、この後静岡で20分ほど停車するので、それを食いつぶせば定刻に戻るだろう。
熱海を過ぎ、丹那トンネルを越えて三島、沼津と停まる。この辺りで寝ようと思ったのだが、眠れない。
目を閉じてぼんやりしていても、富士川、安倍川、大井川と大河を越えていくのが分かる。
時間だけがむなしく過ぎていく。
予想通り静岡で停車時間をつぶして定刻運転に戻り、浜松では先行する定期ながらを見かける。
浜松では定期ながらが先行するが、豊橋で臨時ながらに追い抜かれる。
それにしても、夜遅いのに車掌さんは車内を動き回っている。
途中駅ではちょくちょく客の出入りがあるので、
指定席券を持たない客がいないか見回っているようだ。
現に、明らかに指定席券を持っていなさそうな客をちょくちょく見かけた。
浜松の前後で車掌さんの動きを観察していると、ここでいきなり指定席券をチェックされた。
小田原を出てすぐ回ってくるかと思ったのだが、
回ってこなかったのだ。もしかすると、座って目を閉じていたので、寝ているものと判断され飛ばされたのかもしれない。
結局ほとんど一睡もできぬまま豊橋に着く。ここで車内を改めて見回すと、2席とも誰も座っていない椅子がある。
豊橋を過ぎればもう大丈夫だろうと思って、そちらに移った。2席使って横になると、やはり圧倒的に寝やすい。
途中どこかの駅で運転停車しているのを確認した以外は全く意識のないまま名古屋に着いた。
名古屋では客の入れ代わりが多く、目が覚めてしまった。ここから大垣までは結局起きていた。
名古屋を過ぎると、客が続々と前の方に歩いていく。この列車は大垣駅の1番線に着くので、階段は前の方にある。
この後の乗換えで席を確保するため、みな階段近くへ移動しているのだった。
マニアが多い分、みなその辺を心得ているようだ。
臨時ながらに乗るのは初めてで、定期便を含めても5、6年ぶりの乗車であったが、乗車した印象は正直あまり良くなかった。
年のせいか(?)眠れなかったというのもあるが、
浮浪者や濃いマニアが多く、車内の雰囲気はお世辞にも良いとはいえなかった。
以前乗った時は学生風の人が多かった気がするのだが、最近は定期便もこんな感じなのだろうか。そうだとしたら、
一般人(特に女性)にはあまり薦められたものではなくなってしまったといえる。
それとも、臨時便にマニアが集中していたのだろうか。また、子供連れの客が多かったのも意外だった。
こんな列車に子供を乗せるのは、治安上も教育上も問題があるのではという気もしたが。
東海道線では普段まず見ない国鉄特急色の〔ムーンライトながら91号〕。
大垣6:00発〜米原6:34着
大垣に着くやいなや、客が一斉に階段へとダッシュし始めた。
まるで土砂崩れのようにとなりのホームへ客が流れていく。
接続する姫路行きの各駅停車は何と4連だった。降りたドアの位置が悪く、
ちょっと出遅れてしまったのだが何とか席は確保できた。結局、席は一瞬で埋まった。
立ち客がかなり出た状態で大垣を発車する。10両編成の客を4連に突っ込むのだから当然であろう。
ながらからの乗り継ぎ客は仕方ないとしても、地元の人は迷惑だと思う。
美濃赤坂、新垂井へ分岐する線路、関が原の戦いの案内看板、伊吹山など、全てがもはや見慣れた光景だが、
乗っている車両が223系というのは新鮮だ。調べると、大賀〜米原間の列車のうち223系で運用されるのはこの1本だけのようだ。
米原6:49発〜敦賀7:38着
米原では、到着したホームの向かいに大阪方面行きの新快速が停車している。ほとんどの客がそちらに殺到するのを尻目に、
階段を通って敦賀行きに乗り換える。
敦賀行きは521系の2連。敦賀までの直流化に合わせて投入された新車だ。
ただ、車内の造りは223系と全くといっていいほど変わらないため、あまり新鮮さはない。
部活の学生などが乗り、そこそこ混んだ状態で発車。JR東海、西日本の様々な車両が留置された電車区を抜け、坂田、田村と停車。
どちらも無理矢理ホームを8連対応にしているため、ホームが細長い。長浜からはつい最近直流化された区間に入る。
架線柱も新しいものに交換されたようだ。細いH型鋼で、何だか安っぽい。
米原から木ノ本までは全駅とも駅舎が改築されており、真新しかった。
木ノ本を出ると琵琶湖の湖岸の水田地帯を抜け、トンネルで山を越える。
余呉駅のあたりからは余呉湖がちらりと見えた。
やがて左手に高架の線路が見えた。大津から琵琶湖の西岸を通ってきた湖西線だ。合流すると間もなく近江塩津に着く。
駅があるだけで周りに家などは少なく、信号所のような趣だ。
駅を出てしばらくは複々線のような形だが、しばらく走ってようやく合流し、
滋賀、福井県境の長いトンネルに入る。
トンネルを抜け新疋田駅を出ると上下線が分かれ、上り線がよく分からない方向へとカーブしていく。
この区間は急勾配のため、上り線だけループとなっている。結局、車内はそれなりに混んだまま敦賀に到着。
左手からは小浜線が合流してくる。向こうもついこの間まで非電化だった訳で、
ここ数年で敦賀もすっかり様変わりしたものだと思う。
列車は敦賀駅の端の方の4番線に着いた。改札へ向かう通路からは随分離れているが、
新快速など敦賀止まりの列車は基本的にここに停まるようだ。
敦賀行きの521系。
敦賀7:42発〜武生8:12着
敦賀では4分しか乗り換え時間がないが、朝から何も食べていないので、改札外の弁当売り場へダッシュし食料を確保する。
何とか間に合って乗り込んだのが、国鉄色475系の福井行き。国鉄色化はここ数年いろんな所で行われていて、
455系列の国鉄色は前に九州でも見た気がする。
乗り込むと、ボックス席は既に埋まっていたのでデッキ横のロングシートに座る。
敦賀を出ると、程なく最近新設された交直セクションを通るはずだが、
車内灯が消えることはなく乗っていても全然気付かなかった。
そしてすぐに長い長い北陸トンネルに入る。今日はこの後も名だたる長大トンネルをいくつも通る予定だ。
この間に駅弁を食べる。
購入したのは「鯛の舞」。以前、同様の駅弁の廉価版を食べたことがあるが、
それよりもこちらの方が鯛が肉厚で柔らかい気がする。
この駅弁、立派な木の箱に収められシールで封がされるなど、
どうやらお土産用として持ち帰ることを念頭に置いている気がする。
駅弁として買うなら、安い方でいいかなという気がする。
北陸トンネルを抜けてすぐの寂しい田園地帯にぽつんとあるのが南今庄。意外にも数人が乗車してきた。
その後は今庄などで乗客を乗せながら武生に着いた。
敦賀駅では古めかしい国鉄色の列車が待っていた。
敦賀駅弁の「鯛の舞」。
武生新8:27発〜福井駅前9:05着 福井鉄道
武生からは一旦北陸本線を離れ、福井鉄道で福井へ向かうことにする。
以前、JR完乗に心血を注いでいた頃には考えられない行動だが、
ここ数年はこういったローカル私鉄になるべく乗車するようにしている。
乗ってみると独特の「味」があることが多い。
武生駅を出て、福井鉄道の駅を探すが駅前には見当たらない。確か駅を出て右手のはずだと思いながら、
駅前のスーパーに沿って100mほど歩くと駅が見えてきた。
武生ではなく「武生新」と名乗るだけあって、JR駅からは微妙に離れているようだ。
券売機できっぷを買い、鋏を入れてもらってホームへ向かう。今度の列車は、福井鉄道では数少ない「急行」で、
車両は名鉄からやってきた路面電車タイプだった。おそらく、岐阜市内線で走っていたものだろう。
近年この車両が大量に導入され、オリジナルの古い大型車(路面電車ではなく、普通鉄道サイズの車両)が大分淘汰されたようだ。
わずかに残る大型車も、ラッシュ時中心の運用になっているようだ。駅ホームからはJRの列車がよく見える。
武生新を発車し、最初の駅が西武生。ここは福井鉄道の車庫となっている。
古い機関庫や赤錆た留置線など、いかにも地方私鉄らしい。
列車は単線の線路を結構な速度で走る。実際には大して速くないのかもしれないが、
揺れはすごかった。椅子から投げ出されそうなほどだ。
列車は西鯖江・家久と停まる。どちらも駅の周りに人気はなく、乗降客はわずかだ。
沿線は田園地帯で、大きな集落は少ない。
やがて列車は西鯖江に着く。こちらは「鯖江新」ではなく「西鯖江」なのが謎だが、
とりあえずこの駅はJRの駅からは離れているようだ。
鯖江は武生と同レベルの大きさの街のはずだが、西鯖江の駅前はこじんまりしている。
西鯖江を出ても相変わらず田園地帯を進む。
途中、一瞬高台の上を走った以外は平地を淡々と進む。
途中駅のおよそ半分が交換可能駅となっていて、一部を除き一線スルーとなっている。
そのため、通過駅では右側の車線を通ることもあった。また、ポイント上には必ず雪覆いがあるところが雪国らしい。
対向列車とのすれ違いは結構頻繁で、福井駅までに5回ぐらいはすれ違っただろうか。
中には生え抜きの大型車や、名古屋市地下鉄からの転属車もあって、あちらに乗りたかったなとも思った。
鯖江を出ると、通過する駅の割合が増えた。
途中には、ハーモニーホールという大きなホールの真横にある「ハーモニーホール」駅や、
ベルというショッピングセンターの横にある「ベル前」など、妙な名前の駅があるが、急行はあっけなく通過していく。
やがて、福井新の駅に到着。ここからは鉄道線から軌道線に入る。
福井新を出ると列車は左に急カーブし、道路上に出た。
道はすいており、広い道路をすいすい進んでいく。やがて、市内を流れる足羽川を渡る橋の手前でまた大きくカーブし、
道路とは別の鉄道専用の橋を渡った。どうやら橋の掛けかえを行っているようで、
新しい橋ができればまた道路橋と同じ橋を渡るのかもしれない。
やがて、市役所前駅に差し掛かる。すると右手から単線の線路が合流してきた。
すると、運転士はいきなり後部の運転台に移動し、
列車は逆向きに走り始めた。しばらく走ると、福井駅前に到着。
どうやら、どの列車も福井新〜市役所前〜福井駅前〜市役所前〜田原町という経路で運転されるようだ。
こんな変わった経路で走る鉄道というのも珍しい。
福井駅前電停は本当に駅の目の前ではなく、徒歩3分ほどの場所にあった。
しばらく歩くと、真新しい高架駅となった福井駅が見えた。
2005年の正月に越美北線に乗りに来た時はまだ地平だったから、変わりように驚かされる。
福井駅前電停に停まる列車。この列車は路面電車タイプなので違和感はない。
福井9:18発〜芦原温泉9:35着
駅弁を買い列車に乗り込む。
少し遅れてやってきたのは、国鉄史上屈指のゲテモノ車両といわれる419系だ。
寝台電車の583系を無理矢理改造した代物で、
種車の面影が随所に見られる、というかデッキを撤去しロングシートを設置した以外はほとんど何も変わっていない。
この車両、ドアが特急時代のままで狭いため乗り降りにやたら時間が掛かる。この時も乗客が降りきるのに1分は掛かった。
そのため、敦賀近辺や糸魚川辺りの閑散区間中心に運用されている。乗ってみると、やはり古さを感じる。
種車が古い上、改造からもう随分経っている。
九州や東北の兄弟車はもう随分前に引退したが、この車は引退の話は聞かない。
ただ、特急型だけあってボックスシートのシートピッチはかなりのものだ。男四人で座っても余裕がありそうだ。
そんな車内をくまなく観察し、強引な改造っぷりを観察しているともう芦原温泉に着いてしまった。
芦原温泉からは特急で小松まで行き、小松始発の普通列車で金沢に行くことにしていたが、
金沢で中途半端に時間が余ってもすることがないし、
そもそも眠いので歩き回る気がしない。そこで、芦原温泉で普通列車を待つことにした。
30分ほど到着が遅れるが、金沢から先の乗り換えには影響はない。
ホームのベンチに座り、ひっきりなしにやってくる特急を観察しながら弁当を食べた。
購入したのは福井名物「かにめし」の豪華版「焼きかにめし」。カニの足が4つも乗っている豪華版だ。
味は見た目の想像通りだが、ご飯が結構粘り気が強く固かった。おこわかと思ったほどだ。
以前、かにめしを食べた時も同じような感じだったので、ここの駅弁の特徴なのかもしれない。
JRの現役車両でも屈指の「ゲテモノ」419系。こちらは後付けで設置した運転台で、通称「食パン」と呼ばれる。
こちらは583系時代からのオリジナルの運転台。
福井駅弁「焼きかにめし」。
芦原温泉10:02発〜金沢11:23着
芦原温泉からの普通はまた475系だった。空きボックスがまだあったのでそこに座る。細呂木、牛ノ谷と停まる。
この辺りは福井と金沢の県境となっていて、山がちで人家も少ない。牛ノ谷を出るとやや長いトンネルで峠を抜ける。
峠を越えると大聖寺、加賀温泉、動橋、粟津と停まる。この辺りは山中、山代、片山津、粟津といった温泉地が沿線にあり、
最近できた加賀温泉以外の各駅からは温泉街へ向かう鉄道があったが、全て廃止されている。各駅でその痕跡を見ようとしたが、
よく分からなかった。
加賀温泉で特急を待避し、小松に着く。
小松は言うまでもなく「コマツ」の企業城下町で、駅も高架化されていた。
このあたりは小松空港にも近く、着陸しようとする全日空機が大きく見える。小松辺りまでくると車内は大分混んできた。
2ドアデッキつきの475系ではやや苦しいかと思うぐらいだ。列車は畑と家が入り混じる平地を淡々と進む。
割と川幅の広い手取川を渡り、美川に到着。ここでまた特急の通過待ちをする。やがて、横に国鉄色485系が停まった。
が、特急はなかなか発車しない。車内放送があり、前方の踏み切りが異常を示しているとのこと。結局、5分ほど遅れて発車した。
加賀笠間を出て、松任に到着。ここからまた混むのかと思ったら、意外にも降りる人が多い。事実上初めて乗る路線なので、
客の流動がなかなか読めない。松任といえば松任工場を真っ先に思い浮かべるが、駅からはよく見えなかった。
松任ではまた特急を待避し、西金沢へ。北陸鉄道石川線の駅がちらりと見えた。石川線には昔一度乗ったことがある。
もう10年以上前だが、既に元東急のステンレス車が投入され近代化されていた。
犀川を渡ると高架となり、金沢駅へ到着。結局美川で発生した5分遅れは縮まらなかった。
金沢に来たのはおよそ10年ぶりだ。その頃既に高架化されていたが、
駅前に巨大なガラス張りのドームと鉄骨で組んだ鳥居のようなものができていた。
時間があるので、北陸鉄道の駅を見てみたりみやげ物店を覗いたりして時間をつぶした。
金沢12:05発〜高岡12:42着
金沢駅は屋根が完全に覆われ薄暗い。何となく札幌駅に雰囲気が似ているような気がする。
今度の列車は413系で、415系を2ドアにしたような車両だ。金沢どまりの特急の接続を待って発車。
金沢を出ると右手に、真新しい高架が見えてきた。北陸新幹線の高架だ。
北陸新幹線開通などずっと先のことだと思っていたが、
もう高架橋が出来上がっているのだった。ただ、ここ以外には新幹線関連の建物は見られなかった。
金沢駅北の留置線を過ぎ、東金沢、森本、津幡と停まる。津幡は七尾線との分岐駅だが、とても静かだ。
津幡を出ると、列車は山の中に入る。ここから倶利伽羅峠を越え、一気に能登半島を横切る。山の中をうねうねと進み、
倶利伽羅駅に到着。山の中の寂しい駅だが、意外にも乗客がいた。
倶利伽羅峠を長いトンネルで抜け、石動に到着。
石動は北陸新幹線が通る予定だが、何か建設しているふうには見えなかった。博多駅と紛らわしい福岡、西高岡を過ぎると高岡着。
高岡12:45発〜氷見13:13着
高岡では3分しか乗り継ぎ時間がないため、大急ぎで氷見線のホームへ行く。車内は合宿帰りと思われる学生で混んでいた。
高岡を発車した列車は一駅目の越中中川でさらに学生を乗せ、下町のような所を進む。
次の能町は側線が多数あり、ぱっと見貨物駅のようだ。
越ノ潟へむかう万葉線の下をくぐり、化学工場や桟橋を見ながら進む。
まるで臨港線のような光景だ。伏木を出ると、列車は左に急カーブする。
越中国分を出ると、目の前に一面の海が広がる。
海面まではわずか数mで、さえぎるものは何もない。まるで海の上を進んでいるかのようだ。
しばらくそんな所を走った後、海から少し離れると雨晴に着く。駅前には砂浜と松林が広がる。その後は海沿いに松林があり、
海は見えなくなった。しばらく走って氷見着。
乗車した2両の気動車のうち1両は、「忍者ハットリ君」のペイントが施された車両だった。
氷見13:21発〜能町13:43着
氷見を訪れるのも随分久しぶりだが、8分であっけなく折り返す。
帰りの列車は空いていたので、海を再びじっくり眺めた。海を見ながら金沢で買った弁当を食す。
能町で、並行する万葉線に乗るため下車する。この駅には一応駅舎があり、有人駅かと思っていたのだが、
実は無人駅だった。その辺を勘違いしていたため、ワンマン列車なので無人駅では先頭のドアから出ないといけないのだが、
後ろのドアから出てしまった。まあ不正乗車ではないのでいいか・・・
購入したのは「加賀の四季」。中身はごくごく普通の幕の内だが、
トレーや仕切りを極力使わないを盛り付けに細やかさを感じる。
新能町13:54発〜高岡駅前14:11着 万葉線
能町駅を出て、万葉線の走る道路の方へ歩く。踏切を渡り、5分ほどで新能町電停辿り着いた。
この区間の万葉線は路面電車となっていて、道路上に設けられた、幅1mもない安全地帯の上で列車を待つ。
時刻表を見ると、今度の電車には低床連接車であるアイトラムが使用されるらしい。
時刻表にちゃんと運用が書かれているのが面白い。
しばらく待つと、真っ赤な車体のアイトラムがやってきた。
車内の乗客は5、6人程度だった。道路は空いており、順調に進む。
途中の江尻駅は目の前にジャスコがあり、親子連れが降りていった。
2つ次の広小路からは、なんと線路が単線になった。道路部分も4車線から2車線となり、一気に狭くなる。
単線をしばらく走ると、ホームのない待避所のような所があり、
対向列車とすれ違った。路面電車なのでATSがある訳ではなく、どうやって制御しているのだろうと思う。
途中の坂下町駅は、(高岡大仏口)という愛称がついている。車窓から大仏が見えないか、と探したが見当たらなかった。
片原町駅を出ると、左右に2度直角にカーブし、高岡の駅前に出た。福井鉄道と違い、今度は本当の駅前だった。
高岡の駅舎は2階建ての昔ながらのものだった。建て替えの進む福井や富山と違い、しばらくはこのままのようだ。
万葉線の新型車両「アイトラム」。
高岡14:22発〜富山14:39着
今度の電車も413系だった。広い砺波平野を進み、高山線と合流して神通川を渡ると間もなく富山に到着した。 富山駅では、廃止になった富山港線用のホームをつぶして仮設ホームを建設中だった。高架化工事の準備だろう。 長い通路を通って、富山駅の北口に出る。改札口が1つしかないシンプルな出口で、岡山駅の北口のようだ。
富山駅北15:00発〜岩瀬浜15:24着 富山ライトレール
出口を出ると、心配していた雨が降り出していた。幸いまだ本降りではなかったが。
雨の中、出口の目の前にある富山ライトレールの乗り場へ急ぐ。路面電車用の乗り場が2線設けられている。
流石にまだ真新しく、線路には芝生が植えられて美しい。
今度の列車は45分発のはずだが、45分になっても列車は一向に現れない。
しばらくすると放送が入り、列車が少し遅れているとのこと。
だが、理由や遅れの程度については何の説明もないので、どうすればいいかが分からない。
仕方ないので、ただひたすら待つ。
3時前になってようやく列車が来た。乗客をいっせいに降ろし、待ちくたびれた感のある乗客を乗せる。
降りる客も乗る客も多い。車内の座席は埋まり、立ち客も出た。新しいだけあってバリアフリー対策も万全で、
車椅子の乗客も補助板なしに乗降できていた。
気になる遅れの原因だが、乗務員さんの説明によると、強風のため
踏み切りと信号機に誤作動が発生しているとのこと。確かに風は強いが、そんなもので踏み切りや信号機が壊れるというのも謎だ。
富山の駅前を発車し、列車は道路の真ん中に設けられた単線の線路を進む。左にカーブして、インテック本社前という駅に着く。
時折急なカーブがあるため、列車はスピードを落としながら進む。専用の橋で川を渡ると、ブレーキが掛かり低速で左へ急カーブした。
ここで軌道線から、もと富山港線の鉄道区間に入る。その分界点にあるのが奥田中学校駅で、0キロポストがあるのが見えた。
奥田中学校前から先は、もと富山港線の線路を走る。車両とホームが変わった以外景色は変わらない。
が、やはり踏み切りに異常があるとのことで、踏み切りの手前では大幅に減速して運転していた。
しばらくはそんな感じで進んでいたが、粟島駅の手前で急に停車してしまった。
見ると、場内信号が赤になっている。どうやら本当に信号の調子が悪いらしい。やれやれと思っていると、
一分ほどして信号が青に変わり、駅構内に進むことができるようになった。
どうやら、交換駅で信号の調子が悪いようだ。
粟島駅でもしばらく信号が変わらなかったが、何とか青信号が出て出発する。
相変わらず徐行しながら進むが、城川原駅の手前で再び赤信号で停止してしまう。
見ると、赤信号が着いたり消えたりしている。こんな光景を見るのは初めてで、
もうだめかなと思ったが何とか青信号が出て城川原に停車。
この有様を見て、途中駅で折り返すことを真剣に考え始めていた。この線であまり深入りすると、
富山駅に戻るのが遅れ今後の行程に影響を及ぼしかねない。が、そんなに大きく遅れているわけでもないし、
最悪岩瀬浜からタクシーを使えばどうにかなるだろうと思い、このまま予定通り岩瀬浜まで行くことにした。
城川原でもしばらく発車できなかったが、
2分ほど停まってようやく発車。左手に、2001年に富山港線に乗りに来た時に泊まった健康ランドが見えた。
まだ営業しているようだ。
それにしても、城川原を過ぎても乗客は多い。ダイヤ乱れの影響もあるだろうが、地元の人にしっかり根付いている印象を受ける。
JR時代は一時間に一本程度だったのが15分間隔となり、運賃も200円均一となって分かりやすくなった。
さらに、期間限定だが平日閑散時と休日は運賃が半額の100円となっており、非常に気軽に利用できる。
鉄道ファンとしてはJR時代の、475系がのんびりと走る
うらぶれた雰囲気も懐かしいが、こういう変化は喜ぶべきだろう。
列車は、その後も徐行や停止を繰り返しながらも何とか走った。
大広田では3度目の交換を行う。東岩瀬は踏み切りを挟み上下線のホームがずれている変わった配置の駅だ。
JR時代は競輪開催時のみ営業する臨時駅だった競輪場前を過ぎ、運河を渡ると終点岩瀬浜に到着した。
駅前からは電車と連絡するフィーダーバスが発車し、岩瀬カナル会館という観光施設もあるようだった。
以前来た時は真夜中だったので何も見えなかったが、こんな所だったのかと思う。
アイトラムの色違いにも見える、富山ライトレールの車両。
岩瀬浜15:31発〜富山駅北15:55着 富山ライトレール
岩瀬浜には結局15時半頃着いた。客を入れ替えてすぐさま折り返し、31分発となる。 途中の競輪場前で競輪帰りの客が乗ってきた事もあり、帰りの便も結構乗客が多く盛況だった。 帰りの便も時折減速や停止があったが、 ほぼダイヤどおりに進み富山駅まで戻った。
富山16:16発〜新魚津16:54着 富山地方鉄道
富山駅の構内を抜け、反対側にある富山地方鉄道の乗り場へ行く。JRの乗り場に比べて若干人が少ない。
乗車券と100円の特急券を買い、改札を抜ける。白っぽいカラーの新しい電車と、
黄色と緑のカラーリングの古めの電車が止まっている。
車内は両方とも転換クロスシートだが、白い車両が有料特急、黄色が各駅停車らしい。
どうやら、特急料金は設備ではなく停車駅の少なさに起因するものらしい。
列車に乗り込むと、2両編成ながら空いていた。1両目に乗っている客は10人もいない程度だ。
しばらくJRと併走した後、最初の駅である稲荷町を通過する。この駅で不二越線と分岐する。
ちょうど阪急の十三のような感じの駅だが、十三と違ってホームは古びていて人もいない。
稲荷町を出ると、単線の線路を特急らしいかなりの高速で走り始めた。JRと比べて線路の整備が悪いので、
速度の割に激しく揺れる。スピード感はなかなかのものだ。常願寺川を渡り、田んぼの中を真っ直ぐに進む。
やがて列車は寺田に到着。ここはアルペンルートの拠点・立山駅へ向かう線が分岐する駅だが、
その割には家も少なく、あまりに寂しい。
客の出入りもほとんどない。また田んぼの間を高速で飛ばし、上市に到着。前方を見ると、行き止まりになっている。
どうやらここでスイッチバックするようだ。山間部ならともかく、こんな平地でスイッチバックとは驚いた。
上市では若干客が降り、車内の客はより少なくなった。そこで、運転台後ろの銘板を見てみる。
日本車両製で、昭和54年製造となっている。
地方鉄道は大手私鉄のお古の車両を使っていることが多いが、ここは自己発注となっている。今は無くなってしまったが、
以前はJRから特急が直通するなど、観光路線として栄えていたのだろう。
が、この列車はオフシーズンであることを考えても客が少なく寂しい。
今日これまで乗ってきた地方鉄道がどれもそれなりに健闘しているのを見てきただけに、余計に寂しく感じる。
上市を出てしばらくすると、北陸本線と併走する。しばらく併走し、中滑川に停車。が、JRの駅はない。
次の滑川は、JR・地鉄ともに駅があり乗換えが可能だ。が、特急は停車しない。
その後、両者はずっと併走するが、地鉄は駅があるがJRは駅がない、あるいはその逆という状況が長く続いた。
次の特急停車駅は電鉄魚津だが、ここもJRの駅はない。次の停車駅の新魚津がJRとの乗換駅となっており、ここで下車した。
この後地鉄は黒部市内を通って宇奈月温泉へ向かうが、この先JRと乗り換えできる駅はないので注意が必要だ。
新魚津のホームは狭い島式ホームで、改札に駅員が一人ぽつんといるだけの寂しい駅だった。
JRとの連絡通路も人気がない。
富山駅で発車を待つ、富山地方鉄道の特急車両。
魚津17:21発〜直江津18:51着
魚津ではしばらく時間があるが、店もあまりないので駅前のコンビニを覗いたりして暇をつぶす。
駅の観光パンフレットを見ると、魚津から富山湾の向こうの富山の町並みを見たときに蜃気楼という現象が起きるそうだ。
つまり蜃気楼は富山ではなく魚津の名物なのだ。
風の強いホームで列車を待つ。特急はくたかがものすごい勢いで通過していく。
時刻表を見ると、魚津を通過するはくたかはこの一本だけのようだ。
ようやくやってきた列車に乗り込む。今度は475系だった。黒部を過ぎると、前方に山脈が見えてくる。
この山脈が日本海に落ち込むところが親不知で、列車はここを通過する。
進むにつれて平地が狭くなり、越中宮崎あたりで集落が尽きた。ここから親不知の難所を越える。
以前は海沿いを走っていたそうだが、今はトンネルの連続である。大分暗くなってきたが、親不知駅からは目の前に海が見えた。
海の上を北陸道の高架が走っている。なかなか苦しいルートだ。何故トンネルではなく敢えて海の上に道路を通したのか気になる。
再び長いトンネルを抜け、やがて糸魚川に到着。駅構内を見ると、大糸線を走るグリーンのキハ52が留置されている。
糸魚川から部活帰りの学生が乗ってきて、泊あたりからずっと静かだった車内が賑やかになった。
糸魚川を出ると、デッドセクションを通り交流区間から直流区間へと移る。
敦賀のデッドセクションと違い、今度は車内が真っ暗になった。
同じ475系でも、デッドセクションで電気が消える車両と消えない車両があるのだろうか。
学生たちはそんなことにはお構いなしにおしゃべりに興じている。東京あたりで同じことが起きたらそうは行かないだろう。
彼らにとって電気が消えるのは「日常」なのだ。
しばらく走ると、またトンネルの連続となる。トンネルのわずかな明かり区間にある能生で、
特急通過待ちの為にしばらく停まる。ホームに出て街を眺めてみた。が、コンビニが一軒ある以外明かりはほとんどない。
下車した学生が去った無人のホームには雨が降りしきっている。
失礼ながら、こんな駅で取り残されたらさぞかし心細いだろうなと思う。
特急北越を通した後、能生を発車。長い長い頚城トンネルに入る。
トンネル駅として有名な筒石に停車。マニア風の男が一人乗ってきただけだった。
いくつものトンネルを抜けると、北陸本線の終点・直江津に到着。駅舎から遠い行き止まりのホームに停車した。
ホームに新潟色や長野色の115系が停車しているのが見える。駅名標も東日本仕様で、東京に近づいてきたんだなと思う。
直江津19:06発〜越後湯沢19:59着 はくたか21号
この時間に直江津から東京までその日のうちに帰るには、
越後湯沢から新幹線を使わなければならず、それならば乗り継ぎ割引を使って特急はくたかに乗り、先を急ぎたい。
そこで、はくたかと新幹線を乗りついて高崎に行き、高崎から普通列車に乗ることにしていた。
が、前夜ろくに寝ていないこともあり、疲労がピークに達している。そこで、大宮まで新幹線に乗ってしまうことにした。
きっぷを買い、はくたかに乗り込む。9両編成と長い編成で、自由席も空いていた。
車両は北越急行の車両だが、681系にしては新しい。
どうやら、最近1編成だけ増備された683系8000番台のようだ。
もはや外は何も見えないが、トンネルが連続しているのは分かる。
今日は丹那トンネル、北陸トンネル、頚城トンネルと名だたる長大トンネルを立て続けに通ってきた。
この先にも大清水トンネルが待ち構えている。まるでトンネルを巡る旅をしているようだ。
車内で、4度目の駅弁を食べる。
電車に乗っていると、大して動いてもいないのに妙に腹が減る。
今回の駅弁は「甘えび寿司」。中のエビは駅弁のものとは思えないほど柔らかくて甘く、
人気の駅弁となっている理由が分かる。
六日町から上越線に入り、越後湯沢を目指す。車窓にスキー場のナイター営業の明かりが見える。
北陸地方では雪を全く見なかったが、
ほくほく線に入ったあたりから残雪が見えた。それでも例年に比べると少ないのだろう。
加賀温泉駅弁の「甘えび寿司」。
越後湯沢20:08発〜大宮20:54着 Maxとき348号
越後湯沢に着き、新潟からのMaxときに乗り換える。
この列車は越後湯沢を出ると大宮まで停まらない。車両は12連のE1系だった。
E1系というと、自由席の2Fはリクライニングしないことで不評だ。そんなこともあり、あえて1Fに座った
が、疲労のあまり大宮まで熟睡してしまった。リクライニングの有無などもはや関係なかった。
大宮駅の在来線乗り場に行くと、もう9時近いというのに今はやりの駅ナカショップに人が群がり、大繁盛していた。
つい2時間少し前、あの寂しい能生駅のプラットホームにいたのが信じられない気がした。
家に帰り、疲労のあまり昼まで寝て目を覚ますと、テレビが報道特番に切り替わりただならぬ雰囲気となっている。 見ると、石川県で震度6強の地震が発生したという。昨日の今日なので、これには流石に驚いた。 少なくとも鉄道関係の被害はほとんど無かったのが救いだが、北陸本線は夕方まで止まっていたそうなので、 もし出発が一日ずれていたら芦原温泉あたりで途方に暮れていたことだろう。本当に紙一重だった。