2006/12/30
淀屋橋〜出町柳
まずは京阪電車の起点・淀屋橋へとやってきた。京阪は実家から割と近いのに長いことご無沙汰で、
久々に京阪特急で京都に向かうことにした。淀屋橋で始発の特急をしばらく待ち、2階建て車両の上階に座る。
ここに乗っていると、料金不要の列車に乗っている感じがしない。
東京だとグリーン料金を取られそうだ。2階からの展望を楽しんでいると、あっという間に終点の出町柳に着く。
伝統の鳩マークも誇らしげな京阪8000系。
出町柳〜鞍馬〜丹波橋
出町柳からは、叡山電鉄に乗車する。叡山電鉄は出町柳を出て北山に分け入り、
鞍馬寺で知られる鞍馬に至る路線である。ちょうど関東の箱根登山鉄道と似た小ぶりなサイズの車両で運転される。
出町柳を出て、まずは京都市内を進む。このあたりは京都大学など大学が多く、下宿用のアパートが目に付く。
主要道路を大きな踏切で豪快に渡りつつ、列車は進む。
宝ヶ池で八瀬比叡山口方面行きと分かれると、目の前に北山が迫ってくる。
平地から山の中に少し分け入ったところで、京都精華大前に着く。
さすがは土地の狭い京都、すごいところに大学があるものだと思う。
さらに進むと、深い森の中を進むようになる。このあたりから周囲には積雪が見える。
貴船神社の最寄り駅である貴船口まで来ると、周囲の家々の屋根は真っ白である。
京都市内からの距離はわずかなのに、こんなに積もっているのかと驚いた。
貴船口の次は終点の鞍馬。駅舎は木造で昔風のものだった。駅前には古い列車のカットボディーが置かれていた。
今回は乗ってきた列車ですぐに折り返すが、もうちょっといい季節に、もう一度観光に来たいなと思った。
鞍馬駅の構内には雪が積もっている。
丹波橋〜橿原神宮前〜吉野口
叡山電鉄と京阪を乗り継いで丹波橋に戻り、近鉄の乗り場に向かう。
改札口の切符売り場で、丹波橋から吉野口までの特急券を買う。
実は丹波橋から吉野口までは直通の特急は走っていない。それもそのはず、
橿原神宮前を境に手前が標準軌、以降が狭軌となっているため、そもそも物理的に列車が直通することはできないのだ。
しかし、こういった場合でも、近鉄では途中駅で乗り継ぐことを前提に通しの特急券を買うことができる。
当然料金も通算されるので、特急券を別々に買うよりお得だ。
こういった乗り継ぎは、大和八木や伊勢中川においても可能だ。
乗り込んだ特急列車は、空いていた。丹波橋から京都盆地・奈良盆地をまっすぐに飛ばし、
あっという間に橿原神宮前に着く。橿原神宮前からは吉野線の特急に乗り換える。
今度の列車はかなり古いようで、デッキと座席との間に仕切りのないタイプだった。
吉野線は単線で、周囲は山がちで線形も悪いためスピードはあまり出ない。
そんな線路をゆっくりと進んで、吉野口に到着。ここでJR和歌山線に乗り換える。
吉野線の特急はわずか2両の編成。
吉野口〜橋本
吉野口の駅は乗り降りする人もなく、静まり返っていた。それでも改札口は有人で、切符を渡して外に出る。
駅の外を少し歩くと、名物駅弁である柿の葉寿司を売る商店を見つけた。折角なので一つ購入する。
それにしてもこの駅、全国の駅弁販売駅の中でも最も寂しい駅ではないだろうか。
しばらく待って、和歌山線の列車に乗る。車両は105系。4ドアロングシートの車両だ。
常磐線から千代田線乗り入れるために作られた103系1000番台を改造した車両で、
かなり年季が入っている。かなり長い距離を走るのに4ドアロングシートで、トイレもなく古くて乗り心地も悪いということで、
ファンにはいたく不評な車両だ。が、今回乗ってみるとトイレが設置されていた。
それ自体は改善なので喜ぶべきなのだが、まだこの車両を使うつもりなのかよという気もする。
ともかく、そんな105系に乗る。途中、まもなく廃止になる北宇智駅のスイッチバックを見つつ、橋本へ。
和歌山線の105系先頭車は、千代田線から転用した代物。
橋本〜極楽橋
橋本からは南海高野線で高野山に行ってみる。
この路線の橋本以南はかなりの山岳路線で、特殊な対策を施した専用車両(通称ズームカー)しか入線できない。
そんな路線に、特急「こうや」号ではじめて乗ることにしようと思う。
列車を待つ客には外国人もいる。高野山が世界遺産に指定され、海外からの観光客も増えているようだ。
やがてやってきた「こうや」は、オフシーズンだけに空いていた。
車内は枕カバーがピンク色で、よく目立つ。車内販売員も乗務しているようだ。
橋本を発車し、まず180度カーブしながら紀ノ川を渡る。四国の阿波池田のあたりを思い出す豪快な線形だ。
その後は順調に勾配を登る。
高野下のあたりから列車の速度が下がった。床下からはフランジのきしむ音がし続けている。
カーブと勾配がものすごい。車窓を見ると、はるか下の方に渓谷が見える。
そんな険しい渓谷を縫うように列車は進む。渓谷沿いの鉄道にはいくつも乗ってきたが、
ここまで険しいのは初めてだ。匹敵するのは大井川鉄道の井川線ぐらいだろうか。
真っ赤な帯が目に付く「こうや」号の車両。
極楽橋〜高野山〜難波
そんな線路を延々と走り、ようやく極楽橋に着く。
極楽橋は鉄道線と鋼索線を乗り継ぐための駅で、駅周囲には人家どころかまともな道路すらない。
そんな極楽橋で鋼索線に乗り換え、高野山駅へ。
高野山駅まで来ると標高もかなりのもので、気温もぐっと下がる。空気は刺すように冷たい。
どうやら氷点下であるようで、路面は凍っている。
駅前から路線バスに乗り、バス専用道路を通って高野山の中心部に向かう。
高野山に関して予備知識は特に仕入れてこなかったので、適当に歩く。
これほど深い山の中に、忽然と大きな都市が現れる点が興味深かった。
しばらく散策した後、極楽橋まで戻り、再び「こうや」号で難波まで戻った。
汐見橋から岸里玉出までは以前に乗ったので、これで高野線を乗りつぶしたことになる。
高野山の玄関口らしい風情の高野山駅。
2004/8/13
岸里玉出〜汐見橋
ここでついでに、2004年に乗車した岸里玉出〜汐見橋間(通称汐見橋線)についても紹介しておきたい。
この区間は高野線の一部で、汐見橋はかつて大阪側のターミナルだった。しかし、
次第に都心に近い難波を発着する電車が増えていき、今や汐見橋線は20分に1本
(その後30分に1本)の線内列車が折り返すだけのローカル線に成り下がってしまった。
この日、岸里玉出からわずか2両編成の汐見橋行きに乗った。夜18時過ぎだったが、車内の客はそれほど多くない。
住宅や団地、町工場が立ち並ぶ大阪の下町をしばらく走ると、横に巨大な阪神高速の高架橋が並走してくる。
終点の汐見橋は、すぐ脇に高架橋が迫るこじんまりとした駅だった。
駅舎の中には、昭和30年代のものと思われる沿線観光案内がボロボロのまま放置されているなど、
時間が止まったかのような駅だった。そして駅前には商店もほとんどなく、あっけなく千日前線で帰るしかなかった。
このように存続意義の怪しくなってきた汐見橋線だが、
南海本線と梅田方面を繋ぐ「なにわ筋線」の一部として活用する構想があったという。
しかし、なにわ筋線は結局難波経由と決まり、汐見橋線の行く末はますます不透明感を増してきている。