2005/8/28
この日は、開通したばかりのつくばエクスプレスに乗車すべく出かけた。
■ 北千住〜土浦〜つくば〜秋葉原
この日はつくばエクスプレスの開業5日目で、
まだまだ混雑していることが予想される。そんな中往復で乗車するのは大変なので、
まずは北千住から常磐線で土浦に出て、土浦からはバスでつくばに向かった。
つくば駅は開業記念のイベントが行われ、人でごった返していた。
実はつくばに来るのは初めてなのだが、予想以上に開けた街だという印象を受ける。
つくばから秋葉原行きの快速に乗る。沿線はまだまだ開発途上といった状況で、
列車は無人の荒野を駆け抜けていく。都心に近づくと一旦地下に入り、地上に出るともう北千住であった。
北千住からはひたたび地下を進み、終点の秋葉原に到着。
駅では開業記念のパスネットを売っているなど、開業フィーバー冷めやらぬといった感じであった。
2005/9/18
この日は、西東京・埼玉方面の未乗路線を制覇すべく出かけた。 この日乗車したのはモノレール・長大トンネル・ローカル私鉄と非常にバラエティに富んだ面々となった。
■ 多摩センター〜上北台〜武蔵大和
この日最初にやってきたのは多摩センターである。
これから、一度も乗ったことのない多摩都市モノレールの乗車しようと思う。
モノレールの駅は、今後の町田方面への延長を意識してか京王や小田急の駅からはやや離れた位置にある。
アルミ製の車体が特徴的なモノレールに乗り、多摩センターを発車する。
起伏の多いニュータウンを進み、「中央大学明星大学」という妙な名前の駅を過ぎると、
列車はいきなりトンネルに入った。周囲は完全な山林で、モノレールが走るにはおおよそ似つかわしくない風景だ。
次の多摩動物公園を過ぎると、京王動物園線の線路を眼下に見ながら進む。
相変わらず周囲は起伏が多いが、見事に開発されびっちりと家が立ち並んでいる。
京王線の駅と車庫を見下ろしつつ高幡不動を過ぎ、しばらく平地を進む。
長い橋梁で多摩川を渡ると、まもなく立川に着く。駅が立川北・立川南と、
JRの駅を挟んで2つ設置されているのが面白い。
立川を出て、自衛隊の基地を見つつ住宅街を北上していくと、終点の上北台に着いた。
この駅は他の鉄道路線との連絡はない。
野球開催時は西武球場への直行バスがあるが、この日はそれも出ていない。
駅前のバス停を見てみると、西武多摩湖線の武蔵大和へのコミュニティバスというのがあるので、
それに乗ることにした。この日は地元でお祭りがあるらしく、
車内は結構にぎやかだ。
■ 武蔵大和〜西武球場前〜西所沢〜飯能〜西武秩父
武蔵大和から多摩湖線に一駅乗り、西武遊園地駅へ。
ここからは「レオライナー」の愛称を持つ西武山口線に乗る。
遊園地の遊戯施設のような独特の車体に乗り込み、西武遊園地や西武ライオンズの練習場などを眺めているうちに、
西武球場前駅に着く。
野球の試合がなく閑散としている西武球場前から狭山線に乗り西所沢へ。
さらに池袋線に乗り換え、飯能へと向かう。
飯能からは西武秩父行きの普通列車に乗る。
飯能から先は山間部を走り、完全なローカル線と化すため、
車両も2ドアクロスシートの4000系となる。
東飯能で八高線と交差すると、列車はいよいよ山の中へと進んでいく。
が、しばらく進むと山中には不釣合いな真新しい建物が見えてきた。
西武の武蔵丘車両基地である。どうやら池袋から飯能までの沿線には、車庫を作るだけの土地は既にないようだ。
それ以降は、延々と山の中を進む。途中の駅では何度か交換のために長時間停車するのもローカル線らしい。
途中に交換施設があるほど長い正丸トンネルを抜けると、まもなく西武秩父に到着する。
■ 御花畑〜三峰口
西武秩父駅は秩父の玄関口らしい立派な駅であるが、
最初に秩父へ線路を伸ばしたのは秩父鉄道である。
その秩父鉄道の秩父駅は西武秩父からはやや離れており、隣の御花畑駅のほうが近い
ちょっとした商店街のようなところを歩き、御花畑駅に向かう。
御花畑から三峰口行きの普通列車に乗る。
車両は元国鉄の101系を譲受したもので、本家JRの101系なき今まで唯一残る101系である。
列車はしばらく秩父の市街を進んだ後、田畑や雑木林が入り混じる盆地を進む。
線路の規格が良くないせいか、スピードは結構遅く、それでもよく揺れる。
途中の影森という駅には、貨物の側線が多数ある。
この秩父鉄道はいまでも石灰石の貨物輸送が盛んであり、大きな収入源となっている。
やがて、列車は終点の三峰口に着く。その名のとおり三峰神社への玄関口で、
休日は参拝客やハイカーで賑わう。列車の到着に合わせて、神社へ向かうバスが発車していった。
木造の古めかしい駅舎でとりあえず帰りの乗車券と急行券を買うと、
これが何と硬券であった。駅舎といい、まるで時が止まったかのようだ。
時間が余ったので、駅の裏手にある鉄道公園に行ってみることにした。
駅構内を横断する踏切を通って公園に行ってみると、
秩父鉄道で働いていた電気機関車や貨車が10台ほど留置されていた。
この手の車両はあまり詳しくないのだが、運転台にも立ち入ることができ興味深かった。
昔ながらの木造駅舎が健在な三峰口駅。
駅の構内には引退した貨車や機関車が留置され、自由に見学可能。
■ 三峰口〜寄居〜小川町〜池袋
三峰口からは急行「秩父路」に乗って寄居まで戻る。
急行「秩父路」はJRの急行同様急行券が必要で、使用されているのは元国鉄の165系。
デッキつきで車内にはボックスシートが並ぶ。車内は空いており、ゆうゆう一ボックスを占領できた。
秩父を出てしばらくすると、荒川の渓流に沿って列車は進む。
川下りで有名な長瀞も、この途中にある。
また、途中荒川を古い鉄橋で渡るのだが、ここはSL撮影の名所としてポスターなどでもよく見かける。
渓谷から関東平野に車窓が転じたところで、寄居に到着する。
寄居は秩父鉄道と東武・JRが交わる駅だが、3社のホームは陸橋でつながっており、
間に中間改札もない。そのため、先程買った秩父鉄道の硬券を持ったまま東武東上線に乗り込んだ。
東上線は通勤路線という印象が強いが、寄居と小川町の間はローカル線に近く、
列車もワンマン運転である。寄居を出て、雑木林の中をしばらく進むと小川町に到着。
ここで池袋行きの急行に乗り換える。しばらくするとすっかり日が暮れた。
池袋の駅では、例の硬券を差し出して運賃を精算した。
大都会の駅で硬券を差し出すという稀有な体験をしたのだった。
ただ、せっかくの硬券があっさり回収されてしまったのは残念だった。
国鉄165系を改造した、急行「秩父路」用3000系。
2005/10/16
この日は、茨木県内の鉄道各線が乗り放題の「ときわ路パス」を利用して、 関東鉄道に乗車した。
■ 取手〜下館〜水戸〜北千住
関東鉄道常総線は、取手から関東平野を北へまっすぐ伸びる路線である。
取手付近は市街地化が進んでいて、複線化がされているほどなのだが、
今でもこの路線は非電化である。電化により、近くにある地磁気測定所へ影響するのを避けるためらしい。
実際に乗ってみると、取手付近は確かに住宅が目立つが、
守谷あたりからは一面の田畑となる。
下館からは水戸線で水戸に出て、「フレッシュひたち」に乗るなどして帰宅した。
2006/1/9
この日は、東武伊勢崎線系統の全線が1日乗り放題となる「お休みきっぷ」を利用して、 東武鉄道に乗車した。
■ 浅草〜東武日光〜栃木〜足利市〜太田〜館林〜北千住
まずは浅草から快速に乗り、東武日光に向かう。
当初の予定では、東武日光から足尾に抜けるバスに乗車して、わたらせ渓谷鉄道に乗る予定だった。
だが、このバスの乗り場が分からず(いろは坂などに向かうメジャーなバスとは異なる場所に乗り場があった)、
乗り遅れてしまった。バスは一日2本しかなく、次の便は夕方である。
しばし途方に暮れたが、栃木まで戻って両毛線に乗り換え、足利へ向かった。
JRの足利駅から東武の足利市駅は渡良瀬川を挟んで離れているので少し歩き、
足利市から太田へ出て、東武小泉線に乗った。
東武小泉線には吊り掛け式の5000系が最後の活躍をしている。
今や貴重になった吊り掛けサウンドを楽しみ、館林から北千住へと戻った。
2006/6/4
6月のある休日、無性に列車に乗りたくなった。しかし、18きっぷのシーズンでもなく、
かといってあまりお金を掛けたくない。そこで、東京近郊区間内の「大回り乗車」を実行することにした。
大回り乗車とは、近郊区間内では運賃を最短経路で計算できるという制度を利用し、
何時間も大回りで列車に乗り続けることで、鉄道ファンの間では以前から有名だ。
近年、Suicaの利用可能範囲が広まった関係で東京近郊区間も拡大し、両毛線や水戸線までが含まれるようになった。
そこで、大回り乗車で八高線・両毛線・水戸線といった関東平野の限界に位置する路線に乗車し、
広い関東平野を一周してみることにした。
■ 八王子〜高麗川〜高崎
今回の大回りの出発は八王子である。
八王子を出て関東平野を時計回りにぐるりと回って、横浜まで行く予定だ。
関東平野を本当に一周するなら、横浜から茅ヶ崎に出て、相模線経由で八王子まで戻ってくるべきだが、
そこまでの時間もないので省略することにする。
まずは、八高線に乗って高麗川を目指す。車両はつい最近投入された205系である。
山手線で走っていた中間車を改造し、運転台とドアの半自動ボタンを取り付けた代物だ。
列車は単線の線路を結構な速さで進む。拝島を過ぎ、米軍基地の横を抜けると箱根ヶ崎。
ここを過ぎると周囲には山が目立ち始める。早くも関東平野の外縁に来たという感がある。
列車は時折交換のため長時間停車しつつ進む。
八高線の205系は、元山手線の車両を改造したもの。
やがて列車は高麗川に到着。ここは電化区間の北限で、ここからは気動車でさらに北上する。
東京近郊区間では唯一残った非電化区間だ。
JR東日本標準型の気動車であるキハ110に乗り、北上する。
列車は程よく空いており、八王子で買った駅弁を開いたりしていると、東京近郊とは思えないほど旅情がある。
途中、竹沢という駅で列車交換のため長時間停車した。
時間があるので駅舎を眺めてみたが、なかなか古めかしく印象的だった。
やはり、関東近郊とは思えない。
そんなのんびりとした旅がしばらく続いたが、群馬藤岡あたりからは地元の若者がどんどん乗ってきた。
高崎方面に遊びに行くのだろうか。それなりに混みあった状態で高崎に到着。
高崎駅に到着した八高線のキハ110。
■ 高崎〜小山〜友部〜我孫子
高崎からは両毛線に乗る。が、至近の列車は伊勢崎行きで、しかもロングシートの107系だったので見送る。
次の小山行きは115系が来た。ボックスシートに陣取り、発車。
両毛線は、先程までの八高線と違い関東平野を取り囲む山々からは若干離れたところを走る。
そのため車窓も平板で、時折東武の各線と交差する以外は特徴は少ない。
そんな車内でぼんやりと過ごし、終点の小山に到着。両毛線のホームは新幹線の高架下にあり、
昼間でも薄暗い。
高崎線から撤退した115系だが、高崎以北ではまだその姿が見られる。
小山からは水戸線に乗る。水戸線は両毛線に比べて本数が少なく、下手をすると1時間以上も待たされるが、
今回は非常に乗り継ぎがよかった。水戸線も最初は平坦な関東平野を進むが、
下館を過ぎたあたりからは南に筑波山が迫り、地勢もやや険しくなる。
このあたりの途中駅はどこも乗降客が少なく、非常に静かである。
ここは本当に東京近郊なの?、という先程と同じ感想を抱いてしまった。
それでも笠間あたりからは客も増え、常磐線と交わる友部に到着した。
友部からは常磐線の普通列車で我孫子に向かう。
写真の稲田駅などは、古びた駅名標といい何とも味がある。
■ 我孫子〜成田〜千葉〜蘇我〜東京〜横浜
我孫子駅に降り立つと、千代田線・小田急線直通の唐木田行き電車が停車していた。
ああ、ようやく東京に戻ってきたんだなと思う。
が、ここからは再び東京に背を向けるように成田線で成田を目指す。
やってきたE231系に乗車し、我孫子を発車。列車は単線の線路をかなりの速度で飛ばし
(単線のローカル線とは思えないぐらい速かった)、東我孫子へ。
この駅は駅舎もホームの屋根もないというすごい駅で、我孫子の隣にこんな駅があるのかと驚かされた。
が、出口には取ってつけたようにSuicaの読み取り機が設置されている。
今乗っている新型のE231系といい、駅の雰囲気にマッチしていない。
木下、安食など、難読駅が目立つ途中駅を通り過ぎ、成田に到着。113系の普通列車で千葉に向かう。
成田駅には常磐線のE231系も乗り入れる。
千葉から総武線快速に乗れば東京に戻れるが、関東平野の外縁にこだわってきた以上、
やはり京葉線で東京に向かわねばならないだろう。
ということで蘇我に出て、京葉線の快速で東京に向かう。京葉線は沿線に普通の住宅が少なく、
コンビナートや倉庫、巨大ショッピングセンター、ディズニーランド等、
他の通勤線ではあまりお目にかからないような施設が目立つ。個人的には結構好きな路線である。
東京に到着した後、東海道線で横浜に出てこの旅を締めくくった。
2006/12/30
この日は帰省のついでに、関西の私鉄が乗り放題となる「スルッとKANSAI2Dayパス」を利用し、 まだ乗車したことのない関西の私鉄路線に乗りに出かけた。
■ 淀屋橋〜出町柳〜鞍馬〜丹波橋
まずは京阪電車の起点・淀屋橋へとやってきた。京阪は実家から割と近いのに長いことご無沙汰で、
久々に京阪特急で京都に向かうことにした。淀屋橋で始発の特急をしばらく待ち、2階建て車両の上階に座る。
ここに乗っていると、料金不要の列車に乗っている感じがしない。
東京だとグリーン料金を取られそうだ。2階からの展望を楽しんでいると、あっという間に終点の出町柳に着く。
伝統の鳩マークも誇らしげな京阪8000系。
出町柳からは、叡山電鉄に乗車する。叡山電鉄は出町柳を出て北山に分け入り、
鞍馬寺で知られる鞍馬に至る路線である。ちょうど関東の箱根登山鉄道と似た小ぶりなサイズの車両で運転される。
出町柳を出て、まずは京都市内を進む。このあたりは京都大学など大学が多く、下宿用のアパートが目に付く。
主要道路を大きな踏切で豪快に渡りつつ、列車は進む。
宝ヶ池で八瀬比叡山口方面行きと分かれると、目の前に北山が迫ってくる。
平地から山の中に少し分け入ったところで、京都精華大前に着く。
さすがは土地の狭い京都、すごいところに大学があるものだと思う。
さらに進むと、深い森の中を進むようになる。このあたりから周囲には積雪が見える。
貴船神社の最寄り駅である貴船口まで来ると、周囲の家々の屋根は真っ白である。
京都市内からの距離はわずかなのに、こんなに積もっているのかと驚いた。
貴船口の次は終点の鞍馬。駅舎は木造で昔風のものだった。駅前には古い列車のカットボディーが置かれていた。
今回は乗ってきた列車ですぐに折り返すが、もうちょっといい季節に、もう一度観光に来たいなと思った。
鞍馬駅の構内には雪が積もっている。
■ 丹波橋〜橿原神宮前〜吉野口〜橋本
叡山電鉄と京阪を乗り継いで丹波橋に戻り、近鉄の乗り場に向かう。
改札口の切符売り場で、丹波橋から吉野口までの特急券を買う。
実は丹波橋から吉野口までは直通の特急は走っていない。それもそのはず、
橿原神宮前を境に手前が標準軌、以降が狭軌となっているため、そもそも物理的に列車が直通することはできないのだ。
しかし、こういった場合でも、近鉄では途中駅で乗り継ぐことを前提に通しの特急券を買うことができる。
当然料金も通算されるので、特急券を別々に買うよりお得だ。
こういった乗り継ぎは、大和八木や伊勢中川においても可能だ。
乗り込んだ特急列車は、空いていた。丹波橋から京都盆地・奈良盆地をまっすぐに飛ばし、
あっという間に橿原神宮前に着く。橿原神宮前からは吉野線の特急に乗り換える。
今度の列車はかなり古いようで、デッキと座席との間に仕切りのないタイプだった。
吉野線は単線で、周囲は山がちで線形も悪いためスピードはあまり出ない。
そんな線路をゆっくりと進んで、吉野口に到着。ここでJR和歌山線に乗り換える。
吉野線の特急はわずか2両の編成。
吉野口の駅は乗り降りする人もなく、静まり返っていた。それでも改札口は有人で、切符を渡して外に出る。
駅の外を少し歩くと、名物駅弁である柿の葉寿司を売る商店を見つけた。折角なので一つ購入する。
それにしてもこの駅、全国の駅弁販売駅の中でも最も寂しい駅ではないだろうか。
しばらく待って、和歌山線の列車に乗る。車両は105系。4ドアロングシートの車両だ。
常磐線から千代田線乗り入れるために作られた103系1000番台を改造した車両で、
かなり年季が入っている。かなり長い距離を走るのに4ドアロングシートで、トイレもなく古くて乗り心地も悪いということで、
ファンにはいたく不評な車両だ。が、今回乗ってみるとトイレが設置されていた。
それ自体は改善なので喜ぶべきなのだが、まだこの車両を使うつもりなのかよという気もする。
ともかく、そんな105系に乗る。途中、まもなく廃止になる北宇智駅のスイッチバックを見つつ、橋本へ。
和歌山線の105系先頭車は、千代田線から転用した代物。
■ 橋本〜極楽橋〜高野山
橋本からは南海高野線で高野山に行ってみる。
この路線の橋本以南はかなりの山岳路線で、特殊な対策を施した専用車両(通称ズームカー)しか入線できない。
そんな路線に、特急「こうや」号ではじめて乗ることにしようと思う。
列車を待つ客には外国人もいる。高野山が世界遺産に指定され、海外からの観光客も増えているようだ。
やがてやってきた「こうや」は、オフシーズンだけに空いていた。
車内は枕カバーがピンク色で、よく目立つ。車内販売員も乗務しているようだ。
橋本を発車し、まず180度カーブしながら紀ノ川を渡る。四国の阿波池田のあたりを思い出す豪快な線形だ。
その後は順調に勾配を登る。
高野下のあたりから列車の速度が下がった。床下からはフランジのきしむ音がし続けている。
カーブと勾配がものすごい。車窓を見ると、はるか下の方に渓谷が見える。
そんな険しい渓谷を縫うように列車は進む。渓谷沿いの鉄道にはいくつも乗ってきたが、
ここまで険しいのは初めてだ。匹敵するのは大井川鉄道の井川線ぐらいだろうか。
真っ赤な帯が目に付く「こうや」号の車両。
そんな線路を延々と走り、ようやく極楽橋に着く。
極楽橋は鉄道線と鋼索線を乗り継ぐための駅で、駅周囲には人家どころかまともな道路すらない。
そんな極楽橋で鋼索線に乗り換え、高野山駅へ。
高野山駅まで来ると標高もかなりのもので、気温もぐっと下がる。空気は刺すように冷たい。
どうやら氷点下であるようで、路面は凍っている。
駅前から路線バスに乗り、バス専用道路を通って高野山の中心部に向かう。
高野山に関して予備知識は特に仕入れてこなかったので、適当に歩く。
これほど深い山の中に、忽然と大きな都市が現れる点が興味深かった。
しばらく散策した後、極楽橋まで戻り、再び「こうや」号で難波まで戻った。
汐見橋から岸里玉出までは以前に乗ったので、これで高野線を乗りつぶしたことになる。
高野山の玄関口らしい風情の高野山駅。
■ 岸里玉出〜汐見橋(2004/8/13乗車)
ここでついでに、2004年に乗車した岸里玉出〜汐見橋間(通称汐見橋線)についても紹介しておきたい。
この区間は高野線の一部で、汐見橋はかつて大阪側のターミナルだった。しかし、
次第に都心に近い難波を発着する電車が増えていき、今や汐見橋線は20分に1本
(その後30分に1本)の線内列車が折り返すだけのローカル線に成り下がってしまった。
この日、岸里玉出からわずか2両編成の汐見橋行きに乗った。夜18時過ぎだったが、車内の客はそれほど多くない。
住宅や団地、町工場が立ち並ぶ大阪の下町をしばらく走ると、横に巨大な阪神高速の高架橋が並走してくる。
終点の汐見橋は、すぐ脇に高架橋が迫るこじんまりとした駅だった。
駅舎の中には、昭和30年代のものと思われる沿線観光案内がボロボロのまま放置されているなど、
時間が止まったかのような駅だった。そして駅前には商店もほとんどなく、あっけなく千日前線で帰るしかなかった。
このように存続意義の怪しくなってきた汐見橋線だが、
南海本線と梅田方面を繋ぐ「なにわ筋線」の一部として活用する構想があったという。
しかし、なにわ筋線は結局難波経由と決まり、汐見橋線の行く末はますます不透明感を増してきている。
ひっそりとした汐見橋駅に到着した2両編成の列車。