2009/7/18
この日は18きっぷの通用開始前だが、ちょっと気になる臨時列車があるので乗りに出かけた。 その名は「横浜ベイエリア号」。常磐線方面から桜木町・石川町を経て鎌倉に至る臨時急行列車だ。 今時急行列車というのも珍しいが、その経路が凄い。 常磐線から武蔵野線に入り、府中本町から貨物専用の武蔵野南線に入り鶴見に抜け、 鶴見からは高島線という貨物線を経由して桜木町に至る。 特に高島線はここ数年団体列車を除く旅客列車が設定されておらず、この機会を逃すといつ乗れるか分からない。 そんな「隠れた未乗線区」に乗るべく、西国分寺へと向かった。
西国分寺9:36発〜鎌倉11:25着 横浜ベイエリア号
西国分寺駅の武蔵野線乗り場にやってきた。普段ここから発車するのは府中本町行きのみで、
主に府中競馬場に向かう客が列車を待っている。そんな中、鉄道マニアの姿がちらほら見られる。
ホームでも「今度の鎌倉行きは急行券が必要です」といった放送も流れ、
普段来ない列車がやってくることを伺わせる。
やがて、ホームに485系特急型車両がやってきた。勝田区の波動用車両である。
余談だが、先頭車は当初北海道に投入されたという珍車1500番台である。
一応急行列車なのだが、前面幕はなぜか「特急」となっていた。
車内はリニューアルされ、座席が嵩上げされたハイデッカー仕様となっていた。
窓と椅子の位置が微妙に合っていない以外はなかなか快適な車両だ。
乗客はやはり鉄道マニアが目立つが、茨城方面から横浜を目指す行楽客もいて、
ちゃんと列車の設定意図通りの利用もあるのだった。
列車は府中本町を出ると、武蔵野南線に入る。南武線と併走しつつ多摩川を渡り、長いトンネルに入る。
京王相模原線の稲城あたりで地上に出た以外はずっとトンネルの中を進む。
前の席のおばちゃん曰く、「随分大きな山を越えてるのね。」・・・いやいや、トンネルの上はずっと住宅地です。
ようやく長いトンネルを抜けると、梶ヶ谷貨物ターミナルに着く。
コンテナの並ぶ貨物駅の脇を通り過ぎると、また長いトンネルに入る。
トンネルを出ると、横須賀線と合流して新川崎駅に至るのだが、その手前で列車は停車してしまった。
横須賀線の列車が何台か通過したところでようやく発車し、東海道本線や東海道貨物線と合流し、鶴見駅に着く。
走行しているのは東海道貨物線なのでホームはないが、ここで乗務員が交代する。
鶴見でも列車は延々と運転停車する。横を京浜東北線の列車が次々と通り過ぎていく。
あっちに乗れば早く桜木町に着くのに、と思いつつ見送る。
ようやく鶴見を発車し、横浜羽沢駅を経由して東戸塚に至る東海道貨物線と分岐すると、
いよいよ列車は高島線に入る。京急と第一京浜をまたぎ、キリンビールの工場の脇を抜けると、
線路は工場地帯に突入する。列車はこれまでと打って変わってゆっくりと走る。
高島線は普段からそれほど貨物列車も通らないので、保線が十分行われていないのだろうか。
途中何箇所か貨物駅があるが、側線は赤錆びていて使われている形跡はない。
やがて、車窓に真新しい商業施設が見えてきた。
横浜駅の海側を通過しているようだ。このあたりから線路が複線から単線に変わった。
みなとみらいの一帯をトンネルで抜け、地下鉄高島町駅のあたりで根岸線に合流する。
合流地点の手前でしばし停止した後、桜木町に到着。ここで半分以上の客が降りた。
桜木町を出て、関内を通過し石川町に停車する。普段、関内を通過する列車はないのである意味新鮮だ。
石川町でさらに乗客を降ろし、北鎌倉まで無停車で走行する。
先行する各駅停車につかえてしまうため、速度はゆっくりだ。
大船でまた運転停車し、乗務員が交代する。
根岸線ホームから横須賀線に入る短絡線(この線も普段は滅多に使われない)に入り、
北鎌倉に停車した後、終点の鎌倉に到着する。
なお、西国分寺から鎌倉までおよそ2時間掛かった。
これを新宿経由(中央線・湘南新宿ライン)で行くと1時間20分(乗り換え時間除く)で行ける。
という訳で、所要時間的には不利ではあるが、
特急型車両でのんびりくつろぎながら行く旅というのは記憶に残るだろう。
普段は通勤電車しかやってこないホームの案内板に、見慣れない「急行」の文字が。
鎌倉に到着した「横浜ベイエリア号」。字幕は「回送」に変更されてしまっている。
2009/7/23
この日は前々からやるつもりでなかなかできなった、東武線の乗りつぶしをやろうと思う。
東武鉄道は群馬・栃木に零細な支線を抱えており、なかなか手を出せずにいた。
自宅から群馬・栃木までの行き帰りには18きっぷを利用し、運賃を節約することにした。
なお、東武線に通用するフリーきっぷはないと思っていて、結局全区間普通運賃を払ったのだが、
「ふらっと両毛 東武フリーパス」というのがあって、今日の行程だと若干運賃が安くなったようだ。
久喜10:15発〜館林10:48着 東武鉄道
新宿から湘南新宿ラインに乗り、久喜へとやってきた。
大宮からでも随分距離のある久喜だが、駅前には立派な商業ビルもあり、東武との乗換駅として賑わっている。
そんな久喜から、まずは群馬県館林を目指す。
ホームに下りると、既に太田行き普通列車が発車を待っていた。6両編成と予想外に長い。
この久喜は以前は単なる途中駅だったのだが、半蔵門線からの直通急行の終点が久喜と定められると、
多くの列車が久喜で系統分離され、乗り換え駅となった。
乗車した太田行きも、半蔵門線直通列車の到着を待って発車する。
それにしても、この久喜で田園都市線の8500系を見ると、分かっていても違和感がある。
座席があらかた埋まるほどの乗客を乗せ、久喜を発車。
東京からはかなり離れているのだが、沿線には家並みが広がる。
加須で多くの客が降り、秩父鉄道と接続する羽生を過ぎると、利根川を渡り群馬県に入る。
ここまで来ると沿線には水田が目立つ。やがて、列車は館林に到着した。
ここで早くも乗り換える。
館林11:11発〜西小泉11:29着 東武鉄道
館林駅は橋上駅化工事のためごちゃごちゃしていた。
小泉線の乗り場に行くと、ホームの手前にカウンターがあって「乗車券を拝見します」と掲示があった。
小泉線内は無人駅が多いので、「関所」を設けているのだろう。
小泉線は、館林から分岐するローカル線で、昼間は1時間に1本しか列車が走らない。
列車の編成も2連と短く、大手私鉄の路線と思えないほどのローカル感が漂う。なお、
佐野線や桐生線のような単なる盲腸線ではなく、途中の東小泉から太田に抜ける「支線の支線」が存在する。
発車時刻になってもそれほど乗客は増えぬまま、館林を発車する。
1時間に1本のローカル線だけに、さぞかし沿線は田舎なのだろうと思っていたが、
周囲は完全な住宅地である。これほど乗客が少ない路線とは思えない。
とはいえ、途中から学生が乗ってきたりして少しは乗客が増えた。
また、所々複線化の用地が確保されているように見えたが、これを活用することはあるのだろうか?
やがて、列車は東小泉に着く。向かいにはこの後乗車する赤城行きが停車している。
どうやらこの列車が西小泉で折り返してくるのを待って発車するようだ。
結局、周囲の住宅街が尽きぬまま西小泉に着く。
どうも、沿線の住宅街の規模に比べて列車の本数が少なすぎる気がする。みんな自家用車に流れているのだろうか。
西小泉は意外にも有人駅であった。駅舎はローカル線の終点にしてはそこそこ大きい。
ホームでは学校帰りの生徒が何人も列車を待っていた。
わずか2連の8000系。東武のローカル支線の主力車両である。
小泉線の終点、西小泉。ローカル線の末端部にしては随分立派な駅舎だ。
西小泉11:34発〜東小泉11:38着 東武鉄道
東小泉11:38発〜赤城12:16着 東武鉄道
東小泉に折り返し、小泉線から桐生線に直通する赤城行きに乗車する。こちらも2連と短い。
引き続き住宅街の中を進み、太田に着く。3面のホームを備えた立派な高架駅であった。
桐生線に入っても、相変わらず住宅街を進む。しばらく進むと、赤城山麓の山並みが目の前に見えてきた。
この桐生線には特急「りょうもう」も一時間に一本乗り入れ、
伊勢崎線の太田以西よりもこちらの方が実質本線格となっている。
やがて、列車は新桐生に着く。一見、桐生市の代表駅のような駅名だが、
市の中心部であるJRの桐生駅とはかなり離れていて、駅周辺も住宅地が広がるばかりである。
新桐生を出発し、両毛線の線路を低速でまたぐと、右から線路が寄り添ってくる。
わたらせ渓谷鉄道の線路で、見てみると確かに非電化である。
やがて、わたらせ渓谷鉄道との乗換駅である相生駅に到着。ここで乗り換えれば足尾方面に向かうことができる。
わたらせ渓谷鉄道と別れると、すぐに別の線路が寄り添ってくる。
前橋と桐生を結ぶ上毛電鉄である。合流してすぐの所に上毛電鉄の駅があるが、
こちらにはホームはない。上毛電鉄は編成が短いせいか、ホームも短い。
しばらく上毛電鉄と併走し、やがて終点の赤城駅に到着した。
赤城駅は東武と上毛電鉄の共同使用駅で、ホームと駅舎は構内踏切でつながっている。
駅舎は比較的新しく、正面から見ると「赤城駅(おおまま)」と書いてある。
この駅は旧大間々町の代表駅であるため、それが分かるように「おおまま」と書いてあるのだろう。
小ぎれいな赤城駅舎。「おおまま」という文字が見える。
赤城12:27発〜西桐生12:37着 上毛電鉄
さて、これから伊勢崎線の末端部を乗りつぶすべく伊勢崎に向かいたい。
伊勢崎に行くにはいくつかルートがあって、太田、桐生、前橋のいずれかを経由すればよい。
今回は、一番所要時間の短い桐生経由で行くことにした。
まずは、上毛電鉄線に乗って西桐生に向かおうと思う。西桐生はJRの桐生駅に程近い。
駅で乗車券を買い、やってきた列車に乗り込む。車両は井の頭線で活躍した3000系である。
前面窓が側面に回り込んでいない、旧スタイルの車両を久しぶりに見た。
列車に乗り込むと、自転車を積み込んでいる客がいて驚いた。
他の中小私鉄にも見られるが、上毛電鉄ではサイクルトレインを実施しているようだ。
赤城を発車し、列車はかなり短い間隔で駅に停車しつつ進む。
運転士は中小私鉄では珍しい女性運転士であった。見かけによらず(?)豪快に飛ばしていた。
赤城から10分で終点の西桐生に到着した。赤城とは対照的に、古めかしい洋館風の駅舎だ。
上毛電鉄の車両は、元京王3000系をそのまま利用したもの。
古風な屋根が特徴的な、上毛電鉄西桐生駅の駅舎。
桐生13:28発〜伊勢崎13:46着
桐生駅近くのショッピングモールで食事をした後、高架駅であるJR桐生駅から両毛線に乗り、伊勢崎に向かう。
やってきたのは115系だった。部活帰りなのか、学生の姿が目立つが混雑はそれほどでもない。
上毛電鉄とは対照的にこちらは駅の間隔は非常に長い。
桐生から前橋まで、両毛線だと6駅しかないのに対し、上毛電鉄だと20以上も駅がある。
桐生を出るとしばらく複線区間が続くのだが、列車は何故か右側を進む。
左側の線路は車両基地に入るための線のようだ。
しばらくすると下新田という信号所があり、ここでわたらせ渓谷鉄道と分岐する。
また、車両基地もこの信号所付近にあり、京浜東北線から引退した209系が留置されていた。
次の駅である国定では、ポイントを左に渡って外側の3番線に停車した。
両毛線に優等列車はないので、このホームを使う機会は普段は皆無であろう。
いわゆる「錆取り」のために、この列車をあえて3番線に入れているのかもしれない。
桐生から3駅で伊勢崎に到着する。
伊勢崎駅は高架化工事中であった。そのうち、桐生のような高架駅に変わるのだろう。
伊勢崎13:54発〜太田14:19着 東武鉄道
ここ伊勢崎は、東武伊勢崎線の終点である。
東武電鉄の屋台骨ともいえる伊勢崎線の終点がどんなところか、一度見てみたいと思っていたのだが、
駅前風景は地味で、ちょこちょこと商店があるぐらいである。
JRと東武の乗り場の間には改札がなく、代わりにICカードのタッチ機がある。
東武線内ではSuicaを利用するので、タッチしてみるとエラーになってしまう。
そこで一度改札外に出て、改札口でSuicaをタッチし、改めて先程のタッチ機にタッチしてみると、
見事通ることができた。Suicaに入場記録がないのがいけなかった(JR線内は18きっぷ利用だったので)ようだ。
ホームでは3両編成の列車が発車を待っていた。この路線も昼間は1時間に1本しか列車がないが、
乗車率は良い。学生だけではなく、ビジネスマン風の乗客も目立つ。
車窓には相変わらず住宅と、そして大きな工場も目立つ。途中の木崎駅前には、サッポロビールの大きな工場もあった。
そのせいか、ビジネスマンが頻繁に乗り降りする。3両編成の列車の座席はほとんど埋まった状態が続く。
どうもこの路線、需要の割に列車本数が少なすぎて、その分乗客を失っているのではないかという気がする。
もうちょっと増発しても罰が当たらないと思うのだが。
伊勢崎から25分で、太田に戻ってきた。太田から先はワンマン運転ではなくなるので、乗換えとなる。
発車を待つ8000系3連。東武にしては珍しいハイフン入りの車両番号を持つ。
伊勢崎駅は高架化工事の真っ最中である。
太田14:24発〜館林14:48着 東武鉄道
太田駅で降りると、向かいのホームに30000系6連が停まっていた。
以前は地下鉄・東急乗り入れに活躍していた車両だが、先頭車同士の連結部分がデッドスペースとなることがネックで、
混雑の激しい田園都市線を抱える東急に嫌われ、今では一部車両を除き東武線内のみで活躍している。
太田を出ても、列車は住宅街を進む。途中足利市付近ではちょっとした山に押し出される格好で、
利根川沿いを走る。足利市付近は高架化されているので、川の流れがよく見えた。
足利市を過ぎると車窓には田んぼが目立ってきた。
東京に近づいているはずなのに風景が田舎びてくるというのは不思議な感じがした。
20分ちょっとで館林に戻ってきた。館林以南の伊勢崎線は乗車済みなので、これで伊勢崎線は乗りつぶしたことになる。
地下鉄直通の任を解かれた30000系。群馬県内のローカル運用にも活躍する。
館林15:13発〜葛生15:46着 東武鉄道
館林駅からは小泉線の他にも、佐野線というローカル線が出ている。
こちらもワンマン運転で、ホーム手前に「関所」があるのも小泉線と同じだ。
列車は3両編成で、8000系なのだが車両番号にハイフンが入った妙な番号となっている。
この車両は最近3連に改造されたらしく、
8000系は車両が多いので新しい番号を振る余地がないせいかこのような車番となっている。
館林を発車すると、相変わらず住宅地を走る。が、少し走ると水田も目立ってきた。
渡良瀬川を渡り、水田地帯を進むと佐野市という駅に着く。
JRの佐野駅とは離れており、「JR乗り換えの方は次の佐野でお降り下さい」との放送が流れる。
佐野市を出ると、列車は180度カーブしながら佐野駅に到着する。
佐野で行き違いのためしばらく停車した後、列車は北へと進む。
進むにつれ、前方には山々が迫ってきた。田沼あたりからは山々の間を縫うように進み、
終点の葛生に到着した。
葛生はかつて石灰石輸送の拠点として栄えた駅で、ローカル線の終点の割には非常に広い構内を持つ。
また、駅の終点寄りにも線路が続いている。
今では時折旅客列車がやってくるだけだが、駅は有人駅で活気がある。
広い構内を持つ葛生駅だが、駅舎は案外小さい。
葛生15:57発〜佐野16:15着 東武鉄道
佐野16:22発〜栃木16:37着
葛生から佐野まで折り返し、今度は両毛線に乗る。 両毛線、佐野線共に本数はかなり少なく、 わずか7分の待ち時間で乗り換えられるのは非常に運がいいといえるだろう。 再び115系に揺られ、高架の栃木駅に着く。
栃木16:55発〜東武宇都宮17:34着 東武鉄道
栃木からは宇都宮線に乗車する。
宇都宮線は正式には栃木の次の新栃木から日光線と分岐しているが、
宇都宮線の列車の多くが栃木まで乗り入れてきている。
8000系の4連に乗り、東武宇都宮を目指す。
新栃木から宇都宮線に入り、またしても住宅街を行く。
そろそろ帰宅ラッシュの時間だけに、乗客もそこそこ多い。
「おもちゃのまち」というユニークな駅名の駅があるぐらいで、車窓は至って普通だ。
途中、車窓には田畑が目立っていたが、
江曾島あたりからは宇都宮の通勤圏になるのかマンションやアパートが目立ってきた。
やがて、終点の東武宇都宮に到着。
この駅に到着する列車の本数はさほど多くないが、駅にはデパートも併設されておりとても賑やかなところだ。
宇都宮の官庁街にも近く、周囲は繁華街となっている。
これで、東武の北関東の全路線を乗りつぶしたことになる。
帰りは、バスでJR宇都宮駅に出て、湘南新宿ラインで帰宅した。
2009/7/24
昨日、東武線の北関東地区の路線をすべて乗りつぶしたが、
都内にわずかながら未乗の線が残っている。曳舟から分岐する亀戸線と、
西新井から分岐する大師線である。どちらも非常に短い線なので簡単に乗りつぶすことができる。
そこで両線を乗りつぶすべく、総武線に乗って亀戸へと出かけた。
亀戸14:48発〜曳舟14:56着 東武鉄道
亀戸は錦糸町の隣の駅で、駅ビルもあってなかなか賑やかな駅だ。
そんな亀戸駅の片隅に、東武亀戸線の乗り場がある。
ホームは総武線の盛り土の脇にひっそりと存在しており、
列車も2両編成と短い。ただし、運転間隔は10分と短い。
亀戸を発車した列車は左へと大きくカーブした後、住宅密集地を進む。
駅の間隔は非常に短く、駅を発車するとあっという間に次の駅に着いてしまう。
途中には大きな通りと平面交差する箇所もあり、渋滞を発生させていた。
そんなことを観察していると、あっという間に曳舟に着いてしまった。
亀戸からわずか4駅しかなく、あっけない。
都心近くを走りながらわずか2連の亀戸線。後ろの土手の上には総武線が走る。
曳舟14:58発〜西新井15:09着 東武鉄道
西新井15:12発〜大師前15:14着 東武鉄道
曳舟から東急5000系の急行に乗り、西新井に着いた。
ここからいよいよ東武最後の未乗線である大師線に乗る。
大師線は西新井と大師前のわずか1駅分しかない短い支線である。
そのため大師前駅には改札がなく、西新井駅の中間改札がその代わりをしている。
またまた2両編成の列車に乗って西新井を出ると、すぐに地平から高架線に上がる。
高架の上をノロノロと進むと、すぐに西新井に到着した。
西新井は普段それほど乗降があるとは思えない駅だが、ホームは非常に広々としている。
おそらく初詣の時などは非常に賑わうのだろう。
自動改札機のない改札口を出て、西新井大師まで歩いてみたが、人の気配はなく静かだった。
それでも門前の茶屋は何軒か営業していて、名物の草団子を販売していた。
さらに歩いて環七通りに出ると、池袋行きの都営バス乗り場があったのでそれに乗って帰宅した。
今回東武線を乗りつぶしたことで、大手私鉄と呼ばれる16社の路線を全て乗りつくしたことになる。
全部あわせて一応2840km程あるので、全て乗りつぶすのはやはりそれなりに大変であった。
立派な高架駅ながら、非常に静かな大師前駅。
2009/7/27
この日は、銚子電鉄に乗るために千葉へ向かった。
銚子電鉄といえば資金難をカバーするためにぬれ煎餅を通信販売するなど、
時折話題になる鉄道会社だ。その路線長は10kmにも満たず、
確かにこのクルマ社会のご時世に生き残っているのが不思議なほど小規模な鉄道会社である。
東京から近いのでそのうち行こうと思っていたのだが、銚子というのは近いようで遠い場所にあり、
なかなかその機会がなかった。そこで今回、訪問してみることにした。
東京10:55発〜千葉11:36着
まずは総武快速線で千葉に向かう。
もうラッシュを過ぎているので電車は空いているが、
旅気分を出すためにグリーン車に乗車することにした。
車内で、東京駅で購入した「宮城まるごと弁当」を食べる。
東京駅では、東日本管内の駅の駅弁を購入することができ、非常に駅弁の選択の幅が広いのがありがたい。
今日買ったのも、本来は仙台の駅弁である。
ほとんどの食材に宮城県産を使っているそうで、おかずが多く食べ応えがあった。
本来は仙台駅弁の「宮城まるごと弁当」。
千葉11:42発〜成東12:33着
千葉で総武本線の列車に乗り換える。
乗車した列車は高崎から転属してきた211系の5連で、。
車内は3ドアロングシートである。昼下がりとあって車内は空いていた。
千葉を発車し、しばらく住宅街を走る。
そのうち住宅が尽きてきて、四街道から先は丘陵と田んぼが入り混じった千葉独特の風景となる。
佐倉で成田線と分かれ、しばらく単線の総武本線と複線の成田線が併走する。
一応本線を名乗っているが、空港アクセスを担う成田線よりも実質は格下である。
佐倉を出ると周囲はますます田舎びてくる。
途中の日向駅は、カプセルのような小さな駅舎があり、その手前にSuicaの読み取り機がある。
てっきり無人駅かと思っていたら、その小さな駅舎の中には駅員がいた。
やがて、列車は成東に着く。ここは東金線との乗り換え駅でもあり、構内は広い。
1番ホームに接して木造瓦葺きの立派な駅舎があり、一昔前にタイムスリップしたかのような気分になる。
列車は成東止まりなので、ここで乗り換える。
北関東から千葉に転じた211系。原色を用いた派手な塗装に変わった。
駅舎からホームに張り出した屋根が古めかしい成東駅。
成東12:43発〜銚子13:35着
ホームで10分ほど待つと、特急「しおさい」が入線してきた。
当然ながら18きっぷでは特急に乗れないのだが、この特急は成東から普通列車に「化ける」ので、
18きっぷで乗ることができる。たまたま乗り合わせたのではなく、この列車を狙ってきたのはいうまでもない。
車内は意外と混んでいたが、窓際の席を確保できた。
成東を出ると、右手には田園、左手には丘陵という風景が続く。
途中の駅は古びた駅舎が多く残り、国鉄時代から変わらないと思われる駅名標も健在であった。
国鉄の駅名標といえば、宮崎あたりでも多く見かけた。
やはり中央である東京から離れるほど、こういうものが残っているのかと思う。
やがて列車は丘陵地帯に分け入る。倉橋、猿田といった駅は山の中にあった。
松岸で先程分かれた成田線と合流し、終点の銚子に到着する。
銚子にやってくるのは2001年以来2度目である。
構内の様子はあまり変わっていなかったが、前に来てからもう8年も経ったのかと思う。
初めて乗車する、房総向けE257系。夏場だからかそこそこ盛況だった。
銚子13:44発〜外川14:03着 銚子電鉄
銚子駅に着き、銚子電鉄乗り場に向かおうとすると、
旗を持った添乗員に連れられた観光ツアー客が同じホームに向かおうとしている。
またしてもツアー客に出くわしてしまった。こんな所にまで出没しているのか、と半ば呆れてしまった。
銚子電鉄の乗り場は、JRの島式ホームの片隅に間借りするような形で位置している。
ホームには1両の小さな電車が停車している。車両は小さく、座席はほとんど埋まっていた。
残り少ない座席に腰掛けると、例のツアー客などがぞろぞろと乗り込んできて、
車内は立ち客が多数出るほどの混雑となった。
電車は当然ながら非冷房で、この日は天気が良かったこともあり車内は暑苦しい。
銚子電鉄は、JR銚子駅から犬吠埼の方へと進む小さな私鉄で、
これまで何度も経営危機に見舞われてきた。それでも募金などもあって何とか危機を乗り越え、
最近では駅で濡れ煎餅を販売するなどの経営が話題を呼び、観光客の乗車も増えているという。
銚子駅を発車すると、列車は大きく車両を揺らしながら進む。
経営が苦しいだけあって保線が十分でないのだろう。少し走ると、周囲には大きな工場が広がる。
工場からは穀物のような匂いがしてくる。特産の醤油工場のようだ。
やがて、最初の駅である仲ノ町に停車。ここからも乗客が乗ってきて、列車はさらに混んだ。
この駅には車両基地があるらしいのだが、車内から見るとただの留置線しか見えなかった。
仲ノ町を出るとなぜか線路際に樹木が立ちふさがり、車窓には木しか見えなかった。
電鉄直営の鯛焼き屋がある観音、本銚子と停車する。地元の客が結構乗り降りしており、
ローカルな需要がそれなりにあるのは喜ばしいことだ。
しばらくすると、車掌が車内に巡回してきた。車内では普通乗車券の他に、
往復割引乗車券と、「弧廻手形」という全線フリーきっぷが販売されている。
外川ですぐに折り返してもJR線との接続が悪いため、犬吠で途中下車することにし、
弧廻手形を購入した。なお、弧廻手形を買うとおまけとして濡れ煎餅を1枚貰える。
本銚子を出ると、車窓には畑が広がるようになる。「海鹿島」というユニークな駅などを眺めつつ進む。
駅舎はどれも小さく、年季が入っている。保線状況のせいか、直線区間でスピードを出すと非常に良く揺れる。
そうこうしている間に、列車は犬吠に到着。大きな駅舎を備えた駅で、犬吠埼への最寄り駅でもある。
ここで例の団体客も下車し、車内は一気に空いた。
犬吠から1駅進み、終点の外川に到着する。
外川駅も、年季の入った木造駅舎が健在だった。駅の外れには、なぜかイベント用のトロッコ車両が留置されていた。
折り返しまで時間があるので、駅の外をぶらついてみる。
外川の街は坂が多く、坂の下の方には海岸が見える。典型的な港町だ。
駅には観光マップも設置されており、散策する人も多いのだろう。
オレンジと紺の派手な塗装が印象的な、銚子電鉄の車両。
小さな駅舎に比べて妙にでかい「外川駅」の文字。
外川14:23発〜犬吠14:25着 銚子電鉄
犬吠14:52発〜銚子15:09着 銚子電鉄
外川駅に戻り、車両を観察してみる。車内の銘板を見ると元丸の内線方南町支線の車両を改造したとある。
この車両は元を辿ると銀座線で使用されており、車両のサイズは銀座線の車体限界に合わせてあり、
JRなどの車両に比べると2まわりぐらい小さい。
この車両の小ささが、逆に銚子電鉄にフィットしていると判断されたのだろう。
車内には、第三軌条のデッドセクションで停電した時に光る非常灯も残っていた。
犬吠駅で下車し、犬吠埼まで歩いてみる。海岸に到着し、海を眺めると結構荒れていた。
有名な灯台は遠いし有料なので入らず、駅に引き返した。
犬吠の駅舎は南欧風というか、なかなか小じゃれたデザインとなっている。
駅では濡れ煎餅や干物などの土産物を販売しており、ちょっとした観光センターの様相を呈していた。
次の列車に乗り、銚子に戻る。先程は列車が混んでいて気付かなかったが、
本銚子のあたりからは銚子の市街地と、その先にある港が木々の間から見えた。
海外のリゾート地のような、瀟洒な駅舎を持つ犬吠駅。駅前には廃車体を利用したレストランがある。
犬吠駅から少し歩くと、太平洋に面する犬吠埼がある。
銚子15:19発〜千葉17:14着
銚子からは成田線経由の千葉行きに乗る。今度は113系の4連だった。
車内は空いており、ボックス席に腰掛けて千葉へと向かう。
成田線の車窓は、右手に利根川が形成する平地、左手が丘陵地帯というパターンがそれこそ延々と続く。
どれくらい続くのだろう、と思っていると右から鹿島線が合流してきて、香取に着く。
香取では鹿島神宮行きの列車と接続する。
香取を出ても似たような車窓が続くが、久住あたりからは丘陵地帯に入るためカーブが増え、
スピードが落ちる。やがて、目の前に巨大な高架橋が見える。
今建設中の成田高速鉄道である。よく見ると左側の高架橋は茶色く、右側は真新しい。
左側は元々成田新幹線用として作られ、今では成田線空港支線が使用しているため年季が入っているのだ。
空港からの支線と合流し、成田に到着。成田からは流石に乗客も増え、千葉に着く頃には随分混雑してきた。
千葉からは再び総武快速線に乗って帰宅した。
房総の主力、113系で千葉に戻る。この車両が見られるのもあとわずか。