2003年4月以降に完乗した路線です。
讃岐平野を東に走った後、讃岐山地を越えて徳島に至る。 高松と徳島を結ぶ幹線で特急も走っているのだが、全線単線というのがなんとも長閑だ。
牟岐と言われても県外の人間にはピンと来ないが、沿線にある町の名前である。 阿佐海岸鉄道の甲浦まで行けば室戸岬を経て奈半利に抜けるバスがあるので、 乗りつぶしの際には活用できる。
かつては零細な盲腸線だったが、 予讃線のバイパス路線へと変貌し特急が行き交うようになった。 意識していないと予讃線の一部としか思わないまま通過してしまう。
瀬戸大橋線と接続し、高松と松山を結ぶ幹線。四国では数少ない電化路線でもある。 が、路線の大半が単線で車窓も田畑が目立つ。伊予長浜経由の支線は海が間近に見え景色が良い。
宇和島を出るとすぐ四万十川の水系に入り、川沿いを延々と走る。 南部は開業が比較的新しいことから、鉄橋で川を豪快に何度も渡る。
多度津から高知までの間に峠を二回越える。車窓からは切り立つ山肌が見え、四国山地の険しさを実感する。 高知より先も意外なほどに山越えが多い。
まっすぐに流れる吉野川に沿ってまっすぐに走る。そのせいか車窓も単調になりがちではある。 わずか2両編成の特急「剣山」が走る。
渦潮で知られる鳴門へ向かう路線。明石海峡と鳴門海峡に橋ができた結果、 鳴門はローカル線の終点から四国の玄関口へと変貌した。
今まで生き残っているのが奇跡といえるほど寂れたローカル線。 家城から伊勢奥津までは雲出川の渓流ぎりぎりのところを走る。
沿線に伊勢や鳥羽といった観光地が控えるが、並行する近鉄に完全に客を奪われてしまっている。 池の浦付近で海沿いを走り、ここが唯一の見所か。
乗り潰しの際は美濃赤坂支線などの支線群がネックとなる。 それ以外は本数も多く、大都市近郊では快速列車も走っていて乗りやすい。 普通列車で東海道を行くのもたまにはいいものだ。
可部以北の非電化区間が廃止され、大田川の渓谷沿いを走る風光明媚な車窓は過去のものとなった。 残った可部以南は元私鉄らしく急カーブが多い。
短い線ながら、途中気仙沼線、仙石線の二路線と交わる関係で区間列車が多く、 路線内を走り通す列車は少ない。前谷地あたりで見られる一面の田んぼが印象的。
一ノ関から気仙沼にかけては、ぐにゃぐにゃと曲がった線形となっており、 かつての政治的駆け引きの名残と言われる。乗っているとどの方向に走っているのか分からなくなる。 末端部では海沿いを走る。
完全に夜間に通過してしまったため、どんな車窓か分からず。ダム湖なども見え景色はいいらしい。
同じく、夜間に通過しためどんな車窓か分からず。首都圏から遠い上、 平凡な盲腸線なのでなかなか再訪の機会がない。
秋田新幹線の通り道であるが、新幹線に乗っているのを忘れるぐらい深い山奥を行き、 景色も素晴らしい。10月に乗車した時は、見事な紅葉を見ることができた。
山形、秋田新幹線を通すため一部で改軌が行われた結果、路線は寸断され全線を走り通す列車はない。 板谷峠、大釈迦峠など、いくつもの難所を通過する。
芭蕉の句でも有名な最上川に沿って進む。川幅が広く雄大だ。 舟で川下りをすることができるらしく、列車からも舟が見えるかも。
沿線に目立った観光地はなく、地元の通勤通学に徹している。 「フルーツライン」の愛称の示すとおり、沿線には果樹園が目立つ。
水郷を行く線らしく、短い線ながら長い橋が多い。また、高架区間が多く眺めがよい。 終点の鹿島サッカースタジアムは試合開催時しか営業せず、普段はJR車両がやってこない変な駅。
成田を境に、実質は3つの区間に分かれる。セキュリティチェックが物々しい成田空港駅に比べ、 松岸あたりは何とも長閑で、対比が面白い。
寂れたローカル線ながら、蕎麦屋併設の亀嵩や寺社風の出雲横田など、個性的な駅が多い。 見所は一日三本しか列車のない山越え区間で、出雲坂根の三段スイッチバックがクライマックスである。
三原を出てしばらくすると、目の前に瀬戸内海の眺めが繰り広げられる。 この区間の眺望が一番素晴らしい。広島口は完全に通勤路線だが、そこそこ海も見える。
完全に夜間に通過してしまったので、車窓は分からず。府中以南は私鉄買収線のため電化されている。 数ある陰陽連絡線の中でも最も地味な線区である。
全国屈指のローカル線で、最も寂れた区間では一日三本しか列車が来なかった。 全線江の川沿いを走るが、案外起伏が多く宇津井駅などは高い高架線上にあった。
近年「ゲゲゲの鬼太郎」で乗客誘致を図っており、車体や駅の装飾はアニメのキャラで溢れている。 終点境港は駅に隣接して隠岐へのフェリー乗り場があり、航路連絡路線の役割もある。
広島〜三次間はそこそこ列車本数があるが、それ以外は極めて少ない。 備後落合は、たまにわずかな乗り換え客が来るだけの「日本一寂しい乗り換え駅」。
これまた夜間に通過してしまった。中国山地の路線は、落石の恐れのある箇所で大幅な徐行運転をする。 当路線ではそれでも落石事故が発生してしまった。経営環境の厳しさが伺える。
日の出前の早朝に通過したため、車窓分からず(またかよ)。 太多線や東金線と並び、地味さではJRでも五指に入る。
瀬戸大橋線の一角をなす北部と、盲腸線と化した南部とで明暗が分かれる。 そんな北部も車窓は割と長閑で、いまだに単線区間が多く残っている。
かつては関西と鳥取を結ぶ役割を担っていたが、智頭急行にその役目を奪われた。 鳥取口では、智頭急行と若桜鉄道の二社から列車が乗り入れる。
姫路から新見まで延びる長い線だが、運転系統は途中で寸断されている。 中国山地の線区はどれも車窓が似たり寄ったりで、この線もこれといった特徴はない。
姫路付近は電化され、都市近郊路線である。北部は山がちであるものの車窓に特徴はない。 この線で出色なのは新型のキハ189で運転される特急「はまかぜ」だろう。
新三田以南は近代化され、長編成の通勤電車が行き交う。一方篠山口以北は短い編成の列車ばかりで、 ローカル線の様相を呈する。同じ路線でここまで落差があるのも珍しい。
路線図をみると小浜線と一体であるかに見えるが、別の線である。 かつて重要な港であった舞鶴港を結ぶ路線としていち早く建設され、電化も小浜線に先駆けて行われた。
小浜線沿線は三方五湖などのある風光明媚な所であるが、同時に原発銀座でもある。 至って長閑なローカル線であるが、電力会社の補助金で電化が行われた。
言わずと知れた北陸の大動脈であり、日本一の在来線特急銀座であったが、 北陸新幹線開業で金沢以東は3セクに移行し、特急も走らなくなった。 関西在住時代に米原〜近江塩津間に乗る機会がなく、全線完乗がこんなに後回しになってしまった。
中国山地の線区では一番の出世頭で、唯一の電化路線である。 下りのサンライズ号は早朝に伯備線を通過するので、個室寝台で山越えの車窓を楽しむという珍しい体験ができる。
中国山地路線のうち、最も西に位置する。列車本数は少ないが、 かつて貨物輸送が盛んであったことから地方交通線ではなく幹線の扱いを受けている。
山口や津和野など観光地が多く、特急やSLも走るなど割と華やかな路線である。 それほど長い線区でもないのに、途中二度も峠越えがある。
長距離客車鈍行が近年まで残り、電化も遅れていたことから「偉大なローカル線」と呼ばれていたが、 今はほとんど全線で高速特急が走り、車両も新型が増えている。西部では海が見える区間が多い。
豪雨災害により約3年間不通となっていたが、2007年に復活。 真新しい鉄橋が災害の生々しい痕跡となっている。九頭竜湖からは長良川鉄道の美濃白鳥まで近いが、 間に公共交通機関はないのでタクシー等を使わないと移動できない。
かつての城東貨物線を旅客線に転用した路線。 学研都市線と関西本線を短絡するが、現時点では一日数本の直通快速を除いて両線には乗り入れない。 新大阪からうめきた、なにわ筋線に至る未開業区間が開業すれば、さまざまな系統の列車が乗り入れもっと賑やかになるだろう。
2010年12月に新青森までの全区間が開業。車窓は単調であるが、「こまち」「つばさ」との連結運転など、 他の新幹線にはないバラエティに富んだ運用が見られる。
2011年3月に全線開業し、九州の大動脈へと変貌を遂げた。 JR西日本と共通仕様のN700系はやや個性に乏しいが、800系の方はJR九州らしい個性的な車両で、 観察しているだけで楽しい。
かつて「長野新幹線」と呼ばれていたが、長野〜金沢間の延伸に伴い改称。 かつての難所・碓氷峠や親不知も楽々と通り抜ける。トンネルが多いものの、合間からは浅間山や立山連峰などの山々が望める。
かつてはJR最長の線区だったが、東北新幹線延伸で一部が三セクに移行したため最長線区ではなくなった。 車窓には東北の素朴な田園風景が続く。利府支線は巨大な新幹線基地の横を走る。
2016年3月に新函館北斗までの区間が開業。貨物列車とすれ違う関係上、青函トンネル内では減速を強いられる。 景色が見える区間は多くないが、陸奥湾や函館山が見える。今のところ乗車率は芳しくないようで、札幌までの開業が待たれる。