山越えローカル線の旅

 毎年10月になると、「秋の18きっぷ」こと「鉄道の日フリーきっぷ」が発売される。 「鉄道の日フリーきっぷ」の利用期間、は夏や冬の休暇の時期と違って列車の混雑がそれほど激しくなく、 ゆったりと旅ができるので、結構重宝するきっぷである。
 この切符を使い、東京から少し離れた位置にある長野・富山・新潟・福島の各県をぐるりと回るようにして、 2日間の乗りつぶし旅行に出かけることにした。 とはいえ、当時は学生。初日は夜行列車に乗り、宿泊はホテルではなく健康センターで済ますという、 2日間にしては結構過酷なものだった。

目次

2001/10/7

東京23:43発〜豊橋4:22着 391M 373(9)

 深夜の東京駅から、「ムーンライトながら」に乗車する。 この列車には関西に帰省する際に何度も乗っているが、今回は途中の豊橋で下車しなければならない。 豊橋発車は5時ごろなので、それまでに確実に起きておく必要があるほか、 それまでにしっかりと睡眠をとっておく必要がある。 だが、列車に乗ってすぐに寝られるものでもなく、結局しばらく寝られなかった。
 翌朝、例によって豊橋に着く直前で綺麗に目が覚めた。 豊橋では30分ほど停車するので、車内でしばらく休んでいてもよいが、 そのまま寝てしまうと悲劇なので、下車することにした。 駅前のコンビニで朝食を買い、飯田線のホームで食べつつ列車を待つ。

豊橋6:00発〜天竜峡9:24着 501M 119(2)

 これから乗車するのは、飯田線の始発下り列車である。 車両は119系という、国鉄末期に造られた飯田線専用の車両だ。 始発なので列車は空いており、ボックスシートを1つ占領して足を伸ばす。
 豊橋を出て、豊川、本長篠と進むうちに、山がだんだんと迫ってきた。 本長篠を出ると周囲に平地がなくなり、渓流沿いを進む。 途中、まっ平らな岩の上を水がたっぷり流れている。まだ飯田線の序盤ながら、 いきなり見事な光景に接することができて嬉しくなる。
 そんな渓流を過ぎ、まもなく中部天竜に着く。ここは天竜川に作られたダムで有名なところで、 駅を発車してすぐにダムの施設が見られる。施設内ではダムから落ちてきた水が煮え湯のように泡を立てていて、 ダイナミックだ。なお車内は相変わらず空いていて、 どこかから乗ってきた4、5人連れの家族連れがいるほかはわずかな客しかいない。
 そして、ここから先は飯田線の最大の魅力である秘境地帯を進むのだが、 ここで思わぬ魔の手が襲ってきた。「睡魔」である。 何せ前夜は夜行列車でろくに寝ていないのだからどうしようもない。 結局、目を覚ますと列車はもう終点の天竜峡に着いていて、車内はもぬけの空だった。

天竜峡9:36発〜辰野12:37着 1423M 119(2)

 寝ぼけ眼のまま、天竜峡で列車を乗り換える。飯田線北部を走破し、辰野に至る列車である。 飯田線北部も、南アルプスの山並みや「Ωカーブ」と呼ばれる急カーブなど、 見所は結構ある。しかし、またしても睡魔に襲われ爆睡・・・。結局、目覚めるともう辰野が近かった。
 わざわざ列車に乗りにきておきながらここまで車内で熟睡するとは、 何のために来たのか全く分からないが、まあ東京からも近いしまたいつか来れるさ、 と開き直るしかなかった。

辰野13:00発〜塩尻13:21着 161M 123(1)

 飯田線の列車は、辰野を出ると全列車が中央本線の支線に入り、岡谷へと向かう。 辰野からは岡谷へ向かう線の他に、塩尻に向かう支線も分岐している。 ちなみに、この時点では両方の支線とも未乗車であった。
 この後乗車する大糸線との接続を考えると、両方の支線に乗ることはできないが、 どちらか一方の支線に乗ることは可能だ。そこで今回は、列車本数が少なく、 乗車するのがより困難そうな辰野−塩尻間に乗車することにした。
 乗降客が少なく、静かな辰野駅でしばし待ち、塩尻行きの列車を迎える。 列車はわずか1両編成で、元は荷物電車として製造された車両を改造している。 赤い塗装が特徴で、「ミニエコー」の愛称を持っている。2ドアながら車内はロングシートで、 20人は座れようかという長いシートが壮観だ。
 辰野を発車すると、列車は単線のか細い線路を進む。 周囲は完全に山で、人家はあまり見えない。 ここが少し前まで特急「あずさ」が走る幹線だったというのが信じられないほどの寂れようだ。 途中の信濃川島などは、周囲にわずかな集落があるばかりの寂しい駅だった。 次の小野を出ると、列車は長いトンネルを抜け、カーブを描きながら松本盆地へと下る。 まもなく、みどり湖経由の本線と合流し、見慣れた塩尻駅に着いた。 なんだか、裏道を通ってきたような気分であった。

塩尻13:29発〜松本13:43着 437M 115(6)

 塩尻からは普通列車で松本に移動する。松本では時間があるので、昼食をとることにした。 信州といえば蕎麦が名物だ。そんな信州ならば、立ち食い蕎麦であっても美味いに違いない。 そんなことを考えて、大糸線乗り場にあるスタンドで蕎麦を食べたが、 つゆがぬるくて薄い不味い蕎麦が出てきてがっかりしたのを覚えている。

松本14:03発〜信濃大町14:51着 4231M 127(4)

 松本からは大糸線に乗る。大糸線は松本から北上して日本海岸の糸魚川に至る路線で、 それほど長くない路線ながら、南小谷を境にJR東日本と西日本に分断されている変わった路線だ。 乗車するのは始めてである。
 ロングシートとボックスシートを折衷したようなシート配置の127系電車に乗り、松本を発車する。 列車はやや混んでいて、空きのあるボックスシートに何とか座れた。 松本を出て、最初は篠ノ井線と併走する。その併走区間が終わらないうちに、最初の駅である北松本がある。 篠ノ井線の方にはホームはない。
 大糸線の信濃大町までの区間は、私鉄路線として開業した。そのため、 駅の間隔が国鉄生え抜きの路線に比べて短いという特徴がある。 普通列車は、あまり乗客もないような小さな駅にも丹念に停車をしつつ進む。 しばらく走ると、車窓には田畑が目立ってくる。そんなのどかな光景を見ながら走ること小一時間、 信濃大町に到着した。ここで乗り換えである。

信濃大町14:54発〜南小谷15:56着 1337M 127(2)

 信濃大町で、南小谷行きの列車に乗り換える。車両はまたしても127系だが、 こちらは割と空いている。
 信濃大町を出ると、松本盆地から離れて山の中を進む。 このあたりは湖が多く、車窓からも湖が見える。最初に見えるのは木崎湖で、湖岸には 「海ノ口」という駅がある。駅からはトレッキングにでも出かけていたと思われる人が乗ってきた。 次に、青木湖が見える。この湖岸にはヤナバスキー場前という、いかにも大糸線らしい名前の駅がある。
 さらに進むと、白馬に着く。八方や栂池といった著名なスキー場があることで知られるが、 この日はさすがに雪は降っておらず、スキーリゾートといった感じはせず、ただの田舎町にしか見えなかった。
 その後も国道に寄りそいながら山の中を進み、終点の南小谷に着いた。周囲には家などはあまりなく、 電化区間の終点となる運転場の拠点駅にしては随分寂しい駅だと感じた。

南小谷16:14発〜糸魚川17:05着 439D キハ52(1)

 南小谷から北の大糸線は非電化区間となり、管轄もJR西日本へと変わる。 今度の糸魚川行きは3つあるホームの真ん中に位置する2番線から発車する。 駅に着くと既に列車は入線していた。車両はキハ52という、現存する気動車の中でも最古参のもので、 車内にも古めかしい部品が随所に見られる。
 車内でしばらく待ち、発車。しばらく走ると、車窓に広い川幅を持つ姫川が現れた。 この姫川は暴れ川で、1995年には大糸線の橋梁などを押し流し、2年間に渡って大糸線は不通を余儀なくされた。 大糸線が不通である旨の記載は、当時の時刻表にも記載されており、 その頃から時刻表を「愛読」していた私はよく覚えている。
 それにしても、姫川の川原には2mあろうかという巨岩がいくつも転がっている。 以前の豪雨で流されてきたのだろう。そんな危険な川でありながら、 川原とそう高さが変わらないような所を走る箇所もある。 また、よく見ると川を渡る橋梁の橋桁が一部妙に新しい。これも豪雨災害で流されたのだろう。
 さらに進むと、川と線路、そして並行する国道以外何も見えなくなった。 国道の方は、雪覆いなどを厳重に設置しており、この地の厳しさを表している。 そんな険しい場所を延々と下り、根知あたりからようやく平地が少し見えてきた。 終点の糸魚川に着く頃には、随分日が暮れてきた。

糸魚川17:16発〜魚津18:06着 566M 419(3)

 糸魚川からは北陸線に乗り、一路西を目指す。 やってきたのは419系。寝台特急電車である583系を無理やり普通列車用に改造した珍車で、 妙に幅の狭い出入り口や、寝台を格納するために低い天井、トイレや洗面台を撤去した跡のデッドスペースなど、 色々な部分に特徴がある。この車両に乗るのは3回目だが、やはり強引な改造ぶりに驚かされる。
 糸魚川を出て、すっかり川幅の増した姫川を渡る。程なく、長いトンネルに入る。 そのため、海岸近くを走っているはずだが、海の見える区間は少ない。 だが、親不知や市振の駅付近では日本海がよく望めた。 ただし、親不知では目の前に北陸自動車道が立ちふさがっていた。
 越中宮崎を過ぎると海岸から離れ、富山平野を進む。 しばらく平野を走り、魚津で列車を降りた。

魚津18:18発〜高岡18:46着 1058M 北越8号 485(6)

 今日は、この後高岡に向かい城端線を乗りつぶす予定だ。 先程の普通列車で高岡に向かってもよいのだが、そうすると高岡19時6分発の列車に乗れなくなる。 この列車に乗れないとこの後の予定が消化しきれないので、魚津から特急に乗って高岡に急ぐことにした。
 魚津駅の券売機で乗車券と特急券を買い、やってきた特急「北越」に乗る。 車両はJR東日本の485系だ。途中、富山にのみ停車して走ること30分で、高岡に着いた。

高岡19:06発〜城端19:59着 347D キハ40(1)+58(2)

 高岡駅は妙な構造の駅だ。まず、駅舎の目の前には一見ホームのようなものがあり、線路も引かれているが、 これは実は乗り場ではない。また、普通は駅本屋から近い方のホームに若いホーム番号を振るのだが、 高岡駅では駅舎から最も離れた城端線乗り場が1・2番ホームとなっている。
 そんな乗り場から、城端線の列車に乗る。車体はどぎついワイン色となっており、 汚れは目立たないものの色あせが激しそうだなと思う。 夕方の帰宅ラッシュとあって列車はやや混んでいた。といっても、各ボックス2人ぐらいの乗りである。
 高岡を発車し、闇の中を進む。時間が時間だけに、車窓は望むべくもない。 それにしても、この列車は振動がすさまじい。走行中、椅子や窓ガラスがバリバリと音を立てている。 走行中に車両が分解してしまうのではないかと思うほどだ。
 そんな老朽車両に乗ること50分で、終点の城端に着いた。最初は結構いた乗客も、 途中駅でどんどん下車して行き、城端に着く頃には随分減っていた。

城端20:06発〜高岡20:51着 350D キハ40(1)+58(2)

高岡21:00発〜富山21:17着 467M 413(3)

 城端ではすぐ折り返すので、車内で発車を待っていた。 すると、通りかかった車掌が怪訝そうな目でこちらを見ている。 鉄道の日きっぷを提示し、「城端線に乗りに来たので、すぐに折り返します」というと、 車掌はああそうですか、と言いつつ苦笑しながら去っていった。 いわゆる盲腸線の乗りつぶしでは、すぐに折り返してしまうことが多いのだが、 えてして駅員や乗務員に変な目で見られてしまうので、取り繕うのに毎回苦慮してしまう。
 再びボロ気動車に乗って高岡に戻り、そこから北陸本線の普通列車で富山に戻った。

富山21:21発〜岩瀬浜21:39着 1157M 475(3)

 富山からは、いよいよ今日最後の路線となる富山港線に乗車する。 富山港線は元私鉄路線で、交流電化路線が多い北陸地方では異色の直流電化となっている。 そのため、かつては首都圏などで走った旧型国電が配置されていたが、 今では北陸本線の交直流電車が走るようになった。
 人気のない富山港線乗り場に向かうと、急行型の475系が停車していた。 地方都市の夜9時ともなると帰宅客も少なく、車内は寥々としている。 東京だとこのくらいの時間でも列車や駅は人でいっぱいなので、違和感を感じる。
 列車は富山を発車し、闇の中を途中駅に一つ一つ停車しながら進んでいく。 この富山港線も元は私鉄であり、駅の数は北陸本線に比べて随分多い。 そんな路線が、かつて急行列車として長距離を駆け回った475系で運行されているというのも妙な話だ。 終点の岩瀬浜までは富山から10kmにも満たないため、20分ほどであっさり到着してしまった。

岩瀬浜21:47発〜城川原21:53着 1158M 475(3)

 岩瀬浜に到着後、車内で発車を待っていると、またしても車掌に声をかけられた。 鉄道の日きっぷを見せ、そのまま城川原まで折り返す旨を伝えると、 「城川原まで行くのね。じゃあ途中の駅の放送はしないから。」とのこと。 周囲を見回すと、他の乗客はいないようだった。これは確かに車内放送の意味がないな、と思う。 ただし、発車直前に老女が一人乗ってきて、結局車掌は車内放送をしていた。
 駅舎はあるものの、無人の城川原駅で下車する。駅前には健康ランドがある。 健康ランドといえば大きな風呂やサウナを思い浮かべるが、大型の健康ランドには仮眠ができる施設もあり、 貧乏旅行者の間ではメジャーな宿泊手段として知られているらしい。 私はそういう事情は知らなかったのだが、インターネットで情報を仕入れてやってきた。
 とりあえず風呂に入り、仮眠部屋で寝る。ただし、いびきなどがうるさく、寝心地はあまりよくない。 客層も微妙で、言い方は難しいが、競輪場とか競艇場とかと似たような客層、といえば理解しやすいだろうか。 個人的にはプライバシーが確保できないとどうも安眠できない性質なので、 せめてカプセルホテルでないと厳しいな、と感じた。

2001/10/8

城川原6:33発〜富山6:42着 1122M 475(3)

 6時ごろ起床し、朝風呂に入ってから出発する。 城川原の駅に着くと、駅舎でシュラフを畳んでいる人がいた。 確かにこの駅舎、古いが扉を閉め切れるし、作りつけの長椅子もあるので駅寝には適しているかもしれない。 (ただし、富山ライトレールに移管された際に取り壊されてしまった。)
 城川原からまたしても475系に乗り、富山に向かう。

富山6:47発〜直江津8:36着 527M 419(3)

 富山からは直江津行きの普通列車に乗る。車両は昨日も乗車した419系。 変な車両と散々書いたが、元特急型だけあってボックスシートはゆったりしており、 座ってしまえば快適そのものだ。
 富山を出て富山平野をしばらく快走し、昨日も通った親不知のあたりを再び走る。 富山から1時間ちょっとで、昨日乗換えをした糸魚川に戻る。 糸魚川を出るとしばらく海岸沿いを進むが、浦本から先は長い長いトンネルが続く。 駅の部分だけが辛うじて地表に出ているといった感じで、景色はほとんど見えない。
 途中、筒石という駅がある。トンネルの中にホームがあるという変わった駅として有名だが、 実際に来るのは初めてだ。見てみると、ホームが想像以上に狭く、かつ暗くて驚いた。 それでもホームには駅員がおり、安全は確保されているようだ。 今回は無理だが、いつかこの駅で下車してみたいものだと思う。
 長いトンネルの連続を抜けると、程なく直江津に着く。ここでまた乗り換えである。

直江津8:41発〜長野10:00着 3344M 115(3)

 直江津からは長野行き快速列車に乗る。115系3連とやや短い編成で、 車内にはそこそこ乗客がいた。仕方ないのでロングシート部分に座る。
 直江津から先の信越本線には、以前乗車したことがある。 その時に車窓も見たので、少し油断してしまい車内で寝てしまった。 目が覚めると、豊野まであと数駅、というところまで来ていた。 見ると、車内は随分混雑している。立ち客も結構いる。長野に向かうのに便利な列車だからであろうが、 こんなに混むものかと驚いた。
 新潟・長野県境の高原地帯を抜け、列車は豊野に着く。 これから乗る飯山線はこの豊野から分岐する。 しかし、豊野で乗り換えると時間が余るし、長野まで出て昼食の駅弁でも仕入れようと思ったので、 この列車で終点の長野まで向かうことにした。
 だが、混雑のためか列車は2分ほど遅れており、長野での乗り換え時間は3分ほどしか残らなかった。 しかも、飯山線の乗り場は駅の端の方にあり、最後の方は走って乗り換える羽目になった。

長野10:05発〜越後川口12:43着 131D キハ110(1)

 長野からは、飯山線の越後川口行きに乗る。 飯山線は、長野から信濃川を延々と下って、小千谷の近くの越後川口に至る路線だが、 途中目だった山越えなどもなく、JR東日本のローカル線でもやや地味な存在だと思う。 車両はJR東日本標準のキハ110であった。
 長野を出た列車は、新幹線の高架と併走しつつ進む。北陸新幹線は現在長野以南しか走っていないが、 長野駅の北に車両基地があるためにそこまで線路が延びている。 もちろん、北陸新幹線の金沢までの延伸後は本線となる予定だ。
 のどかな高原地帯を進んで豊野に着き、ここからいよいよ信越本線から離れて飯山線に入る。 少し進んだところに、立ヶ花という小さな駅があるのだが、この駅を見て「あっ」と思った。 中学生の頃、志賀高原にスキーをしに行った際、この駅の上に架かる橋をバスで通過したのだが、 その際目に入ったこのちっぽけな駅が妙に印象に残り、10年近くたっても記憶していたのだ。 駅の佇まいは当時と変わらず、千曲川沿いの狭い川原にホームが一本あるだけであった。
 列車はうねうねと蛇行する千曲川を時折見つつ進み、飯山に到着。 飯山は信越本線が通るのを忌避し、結果として鉄道から見放されて衰退した歴史を持つが、 将来的に北陸新幹線がこの飯山を通過することが予定されている。 今はローカル線の中間駅に甘んじているが、新幹線開通の暁にはようやく本線の駅となることになる。
 飯山を出ても、相変わらず千曲川に沿って沿って進む。それは新潟県に入り、 川の名前が信濃川に変わっても同じである。失礼ながら、やや単調な車窓である。 このあたりはかなりの豪雪地帯らしいので、冬に訪れると違った車窓が見えるのだろうか、と思う。
 そんなけだるい雰囲気を打ち破るかのように、突如立派な高架橋が現れた。 特急「はくたか」が通るほくほく線の線路である。まもなく、十日町に到着。 地平の飯山線に対し、ほくほく線のホームは高架上にそびえ立っている。 新幹線の駅と、併設された在来線の駅ほどの格差を感じさせる。
 十日町を過ぎてしばらくすると、信濃川の屈曲が激しくなり地形も険しくなる。 そのため、トンネルが増えた。やがて、上越線と合流して終点の越後川口に到着。

越後川口12:47発〜小出13:00着 1737M 115(4)

 越後川口駅の狭くて暗い地下道を通って、上越線の乗り場に向かう。 程なく、上越線の上り列車がやってきた。 飯山線も上越線も列車の本数は少ないのだが、今日の乗り継ぎでは両者がわずか4分の接続で絶妙に繋がる。 また、この先の小出でも、一日3本しか列車のない只見線と8分の接続で繋がることになっている。 この一連の乗り継ぎを発見した際は、思わず小躍りしたものだ。
 越後湯沢から3駅、11分で小出に到着した。

小出13:08発〜会津若松16:59着 432D キハ48(2)

 小出駅は、周囲にちょっとした集落があるだけの静かな駅だ。 この駅から、新潟・福島県境の山岳地帯を越えて会津若松に至る只見線が分岐している。 只見線は日本屈指の過疎ローカル線として知られ、特に県境の区間はわずか3往復しか列車がない。 一説には国鉄末期の廃線候補に挙げられたが、並行道路が冬季不通になるという理由で生き残ったという。 沿線は山深くかつ豪雪地帯であり、今でも道路は冬季通行止めになるという。
 それゆえこの路線に乗る地元の人は多くなく、車内の客は多くが鉄道マニアと見受けられた。 昼間に発車する只見線の列車は実質これ一本なので、首都圏からマニアが多く乗りに来るようだ。 中には子供連れなどもおり、親子共々カメラを片手に乗車している。 車両は標準的な気動車であるキハ40だが、非冷房車であるようで、一部の窓が開け放たれている。
 小出を発車し、列車は川沿いに勾配を登っていく。 沿線には家は少なく、途中駅の駅舎は小さく、ホームには屋根もない。 駅名標も簡素で、まるで道路標識のような独特の形をしている。 やがて、列車は入広瀬に着く。ここが新潟県側の最後の集落といっていい。 入広瀬を出ると、列車は無人の山中を分け入るように進んでいく。
 だが、ここでまたしても魔物に襲われた。睡魔、である。 眠りから覚めると、列車は只見に着こうとしていた。峠越えの車窓を見事に見逃してしまったことになる。
 列車は只見に停車したまま動きを止めてしまった。 対向列車が遅れているとかで、しばらく停車するようだ。そこで、駅を出て周囲を散策してみた。 この辺ではそれなりの集落なのだろうが、駅の周囲はひっそりとしていて、 随分寂しいところだと感じられた。
 只見を出ると、会津蒲生、会津塩沢、会津大塩、会津横田、会津越川と、「会津」が頭に付く駅が連続する。 どの駅も本当に利用者があるのかという程の小さな駅で、中にはホームが1両分しかない駅もある。 列車は2両編成なので、当然ドアカットが行われていた。 やがて、越後川口に到着。町役場もある大きな駅だ。このあたりでは只見川はダム湖となっており、 ホームの目の前には緑色のダム湖の水面が広がっている。
 その後もダム湖は続き、会津宮下あたりからは次第に川と線路が離れ始める。 会津柳津を出ると線路は只見川から完全に離れ、列車はトンネルを通って会津盆地に降りる。 盆地に降りて最初にあるのが会津坂下で、ここまでくると会津若松はもう近い。
 列車が遅れたため、車掌は乗客に対して乗り継ぎの案内をしている。 隣の老人は、会津若松での1時間程の乗継時間の間に食事をしたかったらしいが、 車掌に「すみませんが、お弁当か何かで済ませてください」と言われていた。
 列車は夕暮れの会津盆地をまっすぐに突き進み、西若松に着く。 西若松では、鬼怒川方面からやってきた会津鉄道と合流する。一応只見線の方が本線格で、 会津鉄道が合流してくる形ではあるが、列車の本数は会津鉄道のほうがずっと多い。
 西若松から2駅で、終点の会津若松に到着。結局、到着は30分ほど遅れた。

会津若松18:06発〜郡山19:15着 1238M 455(3)

 会津若松に着けば、あとはもう東京に戻るのみだ。 元急行型の455系のボックスシートに落ち着き、郡山を目指す。 磐梯山を見つつ、カーブを左右に曲がりながら猪苗代湖を目指すうちに、日が暮れた。 約一時間の乗車で、郡山に到着。

郡山19:40発〜黒磯20:47着 2152M 455(6)

 郡山から先も455系に乗り、黒磯へ。 黒磯からは普通列車を乗り継ぎ東京を目指したが、都内に帰り着く頃には23時を過ぎていた。

乗車記録

今回の乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
飯田線豊橋〜辰野195.8
中央本線辰野〜塩尻18.2
大糸線松本〜糸魚川105.4
城端線高岡〜城端29.9
富山港線富山〜岩瀬浜8.0
北陸本線富山〜直江津117.8
飯山線豊野〜越後川口96.7
只見線会津若松〜小出135.2
合計707.0

乗りつぶし状況

 総キロ数走破キロ数走破率総路線数走破路線数路線走破率
旅行前19860.99889.049.79%1715330.99%
旅行後19860.910595.953.35%1715934.50%