最終更新日:2021/2/15

山口・九州乗りつぶし:一日目―「サンライズ」で西へ、美祢線・山口線乗車

 2004の夏は、関西に帰省したあと用があって一度東京に戻り、再び西へと向かった。 西へ向かったのは他でもない、残り少ない未乗線区に乗車するためだ。西日本に大量に残っていた未乗線区も、 こつこつ乗りつぶして伯備線、美祢線、山口線、山陰本線、越美北線のみとなった。 加えて、2004年3月に九州新幹線も開通した。 これらのうち、先頃の水害で不通となった越美北線を除く5線区を今回乗りつぶす。
 しかし、それだけだと2日もあれば乗り終えてしまうので、九州の3セク線にも乗車することにした。 九州のほうは当初おまけのつもりだったのだが、 プランを考えていくうちに九州パートの方が規模が大きくなり、どちらがメインだか分からなくなった。 夏の旅行ということで大雨などの心配を当初よりしていたが、やはりちょっとしたハプニングがあった。

目次

2004/8/16

東京22:00発〜出雲市10:04着 4031M サンライズ出雲 285(14)

 夜の東京駅、東海道線乗り場の10番線に向かう。そこには出雲市・高松行きの「サンライズ出雲・瀬戸」が停車していた。 今宵は、サンライズ出雲号で一路出雲市を目指す。一番リーズナブルな個室であるソロを予約しておいた。 早速、車内に入る。通路は車両の中央に設けられ、その両側に個室がある構造となっている。個室は2層構造となっていて、 今回は1階の個室に乗車する。サンライズに乗るのは2度目だが、木目調の内装で高級感がある。 浴衣と寝具のセットされた個室に入ると、わざわざ外に出かけるのもおっくうになる。 明日は一日予定が詰まっているし、夜中で外も見えないので早々に床に就く。
 翌朝、目を覚ますと岡山の近くまで来ていた。もうすっかり外は明るくなっている。 程なくして岡山に到着し、ここで出雲号と瀬戸号を切り離すためしばらく停車する。停車時間の間に売店に行き、 岡山名物の祭ずしを朝食用に購入した。
 岡山を出て、倉敷から伯備線に入る。倉敷を出ると、線路はいきなり太い川沿いを走る。あたりは山がちで、家屋は少ない。 しばらく走り、街に入る。程なく総社に到着。この総社から新見までが、伯備線の未乗線区となる。 まだ朝早いが、個室のベッドに寝そべりながら車窓を見つめる。 列車は相変わらず家屋の少ない高梁川沿いをうねうねと曲がりながら登っていく。 思えば、寝台列車でこんな渓流を見られるというのは珍しい。おそらく今ではこのサンライズ出雲だけではないだろうか?
 列車はやがて新見に着く。伯備線の主要駅だが、非常に寂しい町だ。 新見からはさらに山深くなり、併走する県道ぐらいしか人工物は見えない。 やがて、短いトンネルに入る。このトンネルで、山陽と山陰を分ける分水嶺を越える。 木次線などと違って、非常にあっけなく分水嶺を越えてしまった。 山陰側に出ても、同じく渓流に沿って列車は下っていく。 ところで伯備線といえば振り子式の381系が特急列車として走っているが、 今乗っている寝台電車285系には振り子機能がない。そのため、振り子式の特急やくもより伯備線内で20分ほど余計にかかる。 そんなことを知っていると、心なしか列車の速度が遅いように感じられた。
 やがて列車は山陰本線と合流し、米子に到着。 前回「出雲」に乗車したときは、機関車の付け替えのため米子でずいぶん停車したが、 サンライズ出雲はあっけなく発車する。しばらく走ると、島根県の県都松江に到着。 松江を出るとちらちらと宍道湖を見つつ、木次線との分岐駅である宍道に到着。ここまでくると出雲市はもうすぐだ。
 東京駅を出ておよそ12時間で、高架の出雲市駅に到着した。


サンライズ号の前面。「Sunrize Express」の金文字が光る。


サンライズ出雲号 出雲市行きの字幕。 当時は山陰本線経由の出雲号が残っていたため、区別のために「伯備線経由」の文字が入る。

2004/8/17

出雲市10:10発〜益田12:21着 3453D アクアライナー キハ126(2)

 サンライズでの長い旅を終えたが、休むまもなく次の列車に乗り換える。 益田行き快速列車で、向かい側のホームに既に停車していた。 出雲市までサンライズより先行するが、出雲市でサンライズを待って発車する。
 出雲市から先は、日本海沿いを走る。ごつごつした岩がむき出しの荒々しい海岸だ。ところどころ砂浜があって、 泳いでいる人もいる。日本海というと、以前冬の羽越本線に乗った時に見た鉛色の寒々しい海が印象に残っていたが、 さすがに真夏だけあって海は青く、明るい印象を受けた。
 列車は一駅ごとぐらいに停車しながら進む。新型気動車だけあって、なかなかの快速だ。座席もボックスシートで座り心地が良いし、 木目調の内装も落ち着いているしで、なかなか好印象だ。やがて列車は江津に到着。三江線との乗換駅だ。 ここからいよいよ山陰本線の未乗区間に入る。相変わらず日本海を望みながら浜田、三保三隅と駆け抜け、終点の益田に着いた。 出雲市から益田までは相当な距離があるが、列車が速いので時間を感じさせなかった。
 益田で列車を待つ間に、昼食を買う。駅弁は置いていなかったが、売店でちょっとした弁当を売っていたので、買う。


長距離を走り通した快速アクアライナー。


いかにも地方ローカル線の主要駅、といった佇まいの益田駅。

益田13:07発〜長門市14:51着 1575D キハ120(1)

 益田駅の側線には、特急「いそかぜ」で用いられるキハ181系特急型気動車が停車していた。 益田から先の山陰本線では唯一の優等列車だ。 益田以西は近代化から取り残され、新型特急車両やアクアライナーは走っていない。
 益田からはキハ120の普通列車に乗る。車内はロングシートなので、前面展望が望める先頭の席に座る。 列車は先程に引き続き日本海岸を走る。途中ちょっとした山越えがあり、島根県から山口県に入る。 キハ120もかなり新しい車両なので、先程の快速ほどではないが走りは軽快だ。
 やがて、東萩に到着。「東」と付いているが萩市の中心駅で、市中心部や松蔭神社にも近い。 乗り降りする客も多かった。その次の駅は萩駅だが、こちらは東萩に比べて随分寂れており、ホームには屋根もない。 萩を出ると、また日本海岸に出る。沿線に家は少なく、寂れた光景が続く。山陰本線の末端部分まで来たんだなあと感じる。
 長門市では1時間待ち時間がある。今日はこの長門市に宿泊する予定なので、今のうちにチェックインを済ませておく。 長門市は駅前に若干店があるぐらいで静かな駅だ。そんな駅なので宿を探すのは苦労し、普通のホテル検索サイトでは 見つからず、いろいろ検索してようやく駅裏手のホテルを探し当てた。その宿に行くと、時間が時間だけに 他の客もフロントの人もおらず閑散としていた。
 チェックインし、しばし部屋で休む。 この日はオリンピックの真っ只中で、丁度体操男子団体で金メダルを取ったというのでそのニュースをテレビで見ていた。 本当は仙崎まで歩いてみようと思っていたのだが、暑いしテレビに見入ってしまったしで結局あきらめ、列車で行くことにした。


益田駅で出番を待つキハ181。


17時間近い怒涛の移動の末、山口県西部の長門市駅に到達。

長門市15:51発〜仙崎15:55着 1627D キハ120(1)

 古びた跨線橋で駅舎の方に戻り、列車に乗り込む。これから山陰本線の支線である長門市〜仙崎間に乗車する。 一両編成の気動車は、民家の裏をのろのろと走り、程なく仙崎に到着した。 仙崎は青海島を目の前に臨み、また最近では金子みすずという作家のゆかりの地ということで観光地化され、 臨時列車なども来るようになった。 そんな影響からか、駅は日本家屋風に改築されていた。


長門市からはキハ120の仙崎行きに乗車。


キハ120の車番をよく見ると、JR西日本オリジナルのフォントから国鉄型と同じフォントに書き換えられている。何故だろうか。

仙崎16:01発〜厚狭17:18着 734D キハ120(1)

 乗ってきた列車は仙崎から折り返し美祢線経由の厚狭行きとなるので、仙崎を散策する間もなく乗り込む。 乗客はほとんどおらず、がらがらのまま発車する。
 列車は長門市から美祢線に入る。 美祢線は石炭や石灰石の輸送で栄え、幹線に指定されているが、旅客輸送の面ではただのローカル線と化している。 また、数ある陰陽連絡路線の最西端に位置している。そんな美祢線だが、車窓の面ではあまり見るべきものはない。 温泉旅館が建つ長門湯本を過ぎると、ひたすら山の中をうねうねと進む。途中、南大嶺付近では 廃線跡が見えた。大嶺へと進む支線の跡で、JR移行後しばらくは残っていたはずである。 厚狭に着く頃には、大分日が傾いてきた。


中国地方では数少ない、行き止まり式の終着駅である仙崎駅。


観光開発に合わせ、日本家屋風に改装された仙崎駅。


行き止まりの向こうには港が広がっている。

厚狭17:26発〜新山口17:59着 570M 115(4)

 厚狭からは山陽本線で新山口に戻る。薄暗くはなってきたもののまだ景色は見える。 山陽本線は山陰本線と違って海はまったくといっていいほど見えない。というより、山の中を進んでいる状態だ。 30分ほどで、小郡から名を改めたばかりの新山口に到着した。


厚狭に到着した時点で、だいぶ日が傾きつつある。

新山口18:05発〜山口18:27着 657D キハ47(3)

 新山口からは山口線に乗車する。山口線といえばSLも走っているなど観光路線だが、これから乗車するのは普通列車、 しかも夜中という味気ないものだ。まずは山口行きの区間運転列車に乗る。学校帰りの生徒が目立つ列車に揺られること 20分ほどで山口に到着。車窓は家やビルが目立ったが、山が近くに迫ってきた。
 山口では時間が余ったので、駅の外を歩いてみた。山口は県庁所在地ではあるが、駅前通りにはビルなどは少なく、 あまり県庁所在地という感じはしない。駅もどこにでもあるような2面3線のホーム配置で、裏手には林が広がっていた。


山口駅に到着したキハ40。もう夕暮れが近い。


レトロな名所案内を併記した山口駅の駅名標。

山口19:00発〜益田20:48着 2549D キハ40(1)

 一両ぽっきりのキハ40は、すっかり日が暮れた山口駅を発車する。山口線は2度峠を越える勾配の多い路線で、 非力なキハ40は車体を震わせてのろのろと峠を越えていく。ディーゼルカーでこれだから、SLはもっと苦労することだろう。 車窓は真っ暗闇なので、ボックスシートで脚を伸ばしてただただぼーっと過ごした。

益田20:50発〜長門市22:33着 1583D キハ120(1)

 山口線を完乗し、再び山陰本線の益田に戻ってきた。が、ここから再び山陰本線で西へ進み、宿泊地の長門市に戻らねばならない。 ロングシートのキハ120では脚を伸ばしてくつろぐこともできず、車窓も見えず最後の方はかなり辛いものがあった。 夜10時半、ようやく長門市に到着。明日も早いことだし、宿に戻ると即座に寝ることにする。