中国地方乗りつぶし(その1)

 2003年に入って立て続けに北海道・九州・四国・東海・東日本のJR各社線を乗りつぶし、 残るはJR西日本の路線のみとなった。 しかし、JR全線の4分の1を占める西日本の路線がまだ半分ほど残っているとあって、まだまだ先は長い。
 JR西日本の路線のうち、手付かずなのが北近畿地方と、山陽本線・新幹線を除く中国地方の路線だ。 特に中国山地には普通列車しか走らないローカル線が多く、中には日に何本かしか列車のない線もある。 路線網も入り組んでいて、フリーきっぷの類も18きっぷ以外ない。 乗りつぶすには非常に厄介な地域なのだ。そのため、乗りつぶしも一番後回しになっていた。
 その中国地方を、年末の休暇を利用して一気に制覇しようと目論んだものの、 プランニングは難航を極めた。寝台特急「出雲」で28日朝に山陰に向かい、 30日夜には京都に向かわねばならないという制約条件の下でプランを練ったが、 どう頑張っても中国地方を全線制覇するのは無理で、 結局山口県内の路線と伯備線の一部は次回に回すことにした。 そんな訳で、3日間に及ぶ過酷な旅のスタートである。

目次

2003/12/28

■ 横浜21:35発〜宍道10:42着 7レ 出雲

 大きな荷物を抱え、夜の横浜駅へとやってきた。 この日は年末とあって、忘年会帰りの客などで東海道線下りホームはごった返している。 そんな中、ホームには大きな荷物を抱えた客も散見され、 まもなく長距離列車がやってくることを予期させる。
 しばらく待つと、特急「出雲」の入線を知らせる放送が流れ、 機関車に牽かれ、青色の古色蒼然とした客車がホームに滑り込んできた。 客車の折り戸が開き、早速列車に乗り込む。「日常」から「非日常」へと切り替わる瞬間だ。 「これから旅が始まるんだ」と、胸が高まる。
 今夜の宿は、寝台特急「出雲」B寝台の上段である。 「出雲」は、伯備線を経由する「サンライズ出雲」と違い、京都から山陰本線を進む。 山陰本線は今でこそ電化が進んでいるが、まだ非電化区間も残っていることから、 京都以西ではディーゼル機関車DD51が牽引する。 DD51が牽引するブルトレは今や貴重で、ここと北海道でしか見られなくなった。 なお、山陰本線は今まで全く乗車したことがなく、夜行列車での通過となってしまうものの、 今回の「出雲」乗車で宍道までの区間を一気に乗りつぶせることになる。
 開放型B寝台に乗るのは初めてではないが、 上段は初体験である。この日は流石に年末とあって列車が混んでいて、上段しか確保できなかった。 荷物を抱え、梯子を使ってえっさほいさと上段のベッドへ登る。 通路の屋根裏に広い荷物スペースが確保されており、大きなかばんも余裕をもって収納できる。
 ひとしきり車内を探索した後、寝台へと戻る。 いかんせん上段のベッドには窓が一切なく、カーテンを閉め切ってしまうとすることがない。 翌日以降のハードなスケジュールを考慮し、早々に寝ることにした。

 翌朝、目覚めると列車は一面の銀世界の中を走っていた。 景色を見るべく、今はフリースペースとなっている元食堂車に行く。 時刻表と見比べると、今はどうやら香住を過ぎたあたりを走っているようだ。 ということは、もうすぐ有名な餘部鉄橋を通過するはずである。
 車窓に目を凝らしていると、列車がトンネルを抜けた瞬間、眼下に集落と鉛色の日本海が広がった。 「これが餘部鉄橋か」と思ったが、それほど地面からの高さは感じなかった。 土木技術の進んだ現代、この鉄橋より高い橋梁はいくらでもあるし、 これまでの旅行でそういった橋梁からの眺めに慣れてしまったからだろう。 しかし、明治時代にこれほどの鉄橋が造られたというのはすごいことだと思う。 当時の人からするとものすごい車窓だったに違いない。
 しばらく走ると、浜坂に到着する。 この駅からは車内販売員が乗車し、駅弁の販売も行われる。 実はこれを狙ってフリースペースで待っていたのだ。 駅弁は幕の内と「かにずし」を各10個ずつぐらいしか積み込んでいないので、うかうかしているとなくなってしまう。 早速「かにずし」を購入した。同じことを考えている人は結構いて、駅弁はよく売れていた。
 しばらく雪景色を眺めた後、寝台に戻り買ってきた弁当を食す。 弁当は鳥取駅から運んでいたようで、正式名称は「元祖かに寿し」である。 この手のカニを使った寿司駅弁は日本海側を中心に結構見られるが、それを最初に発売したのは鳥取駅だそうで、 「元祖」と名乗っているのはちゃんと理由があってのことのようだ。 早速食べてみると、酢が結構利いており、食べた瞬間はカニの味がしないほどだ。 しかし、飲み込んだ後にはカニの風味がほのかに残り、かに寿しとはこういうものなのかと妙に納得した。
 弁当を食べ終わると、列車は鳥取に着いた。下段や向かいの客は鳥取までに皆下車してしまったらしく、 ボックスを丸々占領することができるようになった。 そこで、下段のベッドに座って少し車窓を眺めたが、まだ寝足りない気がしたので再度上段に戻って眠った。 景色を見ないのは少しもったいない気もしたが、今後に体力を温存しておきたいので寝た。
 目が覚めると、列車はまもなく米子に着くところだった。 米子では長時間停車するので、ホームに出てみる。すると、前方に人だかりができている。 何だろうと思って行ってみると、機関車の付け替えを行っていた。 ここまで牽引してきたのはDD51のはずだが、付け替え後の機関車もDD51であった。 何のためにこういうことをしているのかは分からない。
 米子を出ると、車内はさらにがらがらであった。 米子や松江に行くには、この客車「出雲」より、電車特急の「サンライズ出雲」の方が所要時間も短く、 設備も新しい。客車「出雲」は兵庫県北部や鳥取県内の利用が多いのだろう。
 島根県に入り、県庁所在地の松江を過ぎると下車の準備をする。 程なく、宍道に到着。約半日を過ごした寝台を後にし、ここで下車する。


車内で賞味した「元祖かに寿し」。


米子では機関車の付け替えが行われる。

■ 宍道11:13発〜備後落合13:58着 1447D キハ120(1)

 宍道は寝台特急の停車駅にしては静かな駅で、駅舎も小さい。 そんな駅ではあるが、山陰本線と木次線の分岐駅で、駅の構内はそれなりに広い。
 そんな駅の片隅のホームで、木次線の備後落合行きが発車を待っている。 木次線は中国地方でも屈指のローカル線で、特に出雲横田〜備後落合間は一日3往復しか列車が走っていない。 実はこれから乗る11時13分発の列車が、宍道から備後落合へ向かう最初の列車だったりする。 乗りつぶしの最初にいきなり「大物」に出くわした訳である。
 1両編成の列車に乗り込むと、車内にはそこそこ人がいる。 地元の人半分、旅行者(鉄道マニア)半分といったところだ。 宍道駅を発車すると、列車はいきなり無人の山中を進む。 いきなり山深い無人地帯を進むので、驚かされる。
 この木次線は宍道湖の湖畔から、内陸の出雲横田や出雲坂根を目指していて、 近くには同じような経路の斐伊川というのがある。 ところが、木次線はその斐伊川とはあまり併走せず、そっぽを向くかのように全然違う場所を進んだりする。 そのせいか、線路は地図上では非常にぐにゃぐにゃしている。 宍道から木次までは特にその傾向が強い。ただし、沿線の集落の多いところを選んで進んでいるせいか乗客は多く、 この区間は一日10本程の運転本数が確保されている。
 宍道から30分ほどで木次に着く。線名の由来となる拠点駅で、鉄道部や車庫も併設された木次線の心臓部である。 周囲はのどかな山村といった風情だ。 ここでは、後ろ一両に回送車が増結された。車両運用の都合だろうか。 列車の混雑の方は相変わらずで、一両で必要十分といった乗車率である。
 木次を出ると、風景も次第に山地へと切り替わってきた。 下久野を出ると、次の出雲八代との間に長いトンネルがある。このあたりの駅はいずれも寂しく、 乗客が多そうな感じはしない。そんな中、異彩を放っていたのは亀嵩駅であった。 亀嵩駅は駅車内に蕎麦屋が併設されていることで知られている。 予約をすれば列車まで折り詰めを配達してくれるようで、予約したと思しき人も何人かいた。 丁度昼食時でもあり、知っておれば予約したのに、と思ってしまう。
 やがて列車は出雲横田に到着する。この駅では先程の回送車を切り離すためしばし停車する。 駅前に出てみると、駅舎は見事なしめ縄をまいた和風建築であった。 このあたりに有名な神社があるわけではなさそうで、なぜしめ縄なのかは不明だが、 ともかく駅前には門松も飾られ、ただのローカル駅とは思えない風情があった。 また、宍道を出たときには雪は見なかったが、このあたりまで来ると屋根に残雪が見られた。
 出雲横田からは木次線の最深部にいよいよ入る。 ここから先は一日わずか3往復という、日本一の超閑散区間である。 車内の鉄道ファンも気合が入ってきたようで、窓からビデオカメラを回す者もいる。 列車は、ますます山深くなった渓流沿いを慎重に進む。
 2車線の国道と併走しつつ10分以上進むと、出雲坂根駅に着く。 出雲坂根は天然水がホームに湧く駅と知られる。 ホームに下りてみると、ホームの片隅で確かに水が沸いていた。 ただし周囲には雪が積もっており、行くと転びそうだったので飲まずじまいだったが。
 出雲坂根駅を出ると、いよいよ木次線最大の名所、3段スイッチバックである。 まず列車は今来た方向へとバックし始める。今通ってきた線路とは別の、薄暗い森の中に敷かれた線路に進入し、 坂を登っていく。坂を上りきると、運転士が車内を通って反対側の運転台に移動し、 再び逆向きに発車する。
 ここから先の線路の形は圧巻で、270度の円弧を描くようにカーブしつつ高度を稼いでいく。 その頭上を、先程の国道の立派な高架橋が通り抜けていく。 あちらも「おろちループ」という愛称を持ち、地面を這う鉄道をまさに大蛇のごとく脅かすかのようだ。 ただ、国道の方も通過する車はほとんど見られなかった。
 ようやく難所を越えると、三井野原の駅に着く。廃止になったスキー場の跡が見られるばかりの寂しい駅だ。 三井野原を出ると、あとはカーブの多い急勾配を列車は慎重に下っていく。 出雲横田から1時間ほどをかけ、列車はようやく終点の備後落合にたどり着いた。


木次線用のキハ120。


しめ縄と門松が見事な出雲横田駅舎。

■ 備後落合14:01発〜三次15:12着 361D キハ120(1)

 備後落合駅は、芸備線と木次線の分岐駅である。 かつては両路線には急行列車が行き交い、この駅も乗り換え客で賑わったそうだ。 駅構内には蕎麦屋があり、駅前旅館もあったという。
 しかし、今や駅は無人駅であり、駅前の集落もほぼ無人であるという。 この駅にやってくる列車も一日数往復の普通列車ばかりである。 わずかな列車の乗り換え客で駅構内が時折賑わう点を除けば、 ローカル線の途中の無人駅と雰囲気は何ら変わりない。
 そんな備後落合駅では、わずか3分の接続で芸備線の三次行きに接続している。 逆方向となる芸備線の新見方面は明日乗るとして、まずは三次を目指す。 車両はキハ120、広島地区用の紫色の帯の車両だ。 備後落合を出た列車は、相変わらず山深い中国山地を進む。 周囲の人口は少なそうで、このあたりの列車の本数の少なさにも納得してしまう。
 それでも、備後西城、備後庄原と進むにつれてだんだんと周囲が開けてきて、客も増えてきた。 備後庄原を出たあたりから、遠くに高速道路の橋桁が見えてきた。 中国自動車道である。中国自動車道は関西と中国山地とを直結する高速道路だが、 その開業が芸備線や姫新線といった中国山地の亜幹線に与えた影響は大きく、 この芸備線もかつては優等列車がたくさんあったが、今ではほぼ壊滅状態となっている。
 そんな光景を見ながら進むこと1時間、列車は終点の三次に到着する。 この三次でも再び慌しい乗換えが待っているので、荷物を持って出入り口付近で列車の停車を待った。


残雪の残る備後落合駅構内。またもキハ120の旅が続く。

■ 三次15:13発〜広島16:24着 815D みよし5号  キハ58(2)

 三次駅ではわずか1分の接続で急行「みよし」に乗り換える。 「みよし」は、今や全国的に見ても貴重になった昼行の急行列車である。
 今や風前の灯となった急行列車であるが、その多くは本来特急型として作られた車両で運転されている。 ところが、「みよし」で使われているのは急行型気動車のキハ58。 外観のカラーリングだけは白ベースのものに変化しているが、 ボックスシートの並ぶ車内の内装は製造当時と全く変わっていない。 ボックスシートといっても、急行型のそれはゆったりとしており窓側にも肘掛けがある。 ここまで往年の急行列車の面影を残す列車は、全国的に見ても今や「みよし」だけであろう。 出入り口には「急行」のサボもかかっていて、これも昔ながらである。
 列車に乗り込むと、車内はそれほど混んでおらず、発車直前ながら空きボックスをゆうゆう確保できた。 三次市はそれなりの規模の町のはずだし、 やはり高速バスや自家用車に客が流れているのかと思った。
 三次を出ると、程なく車内改札がやってきた。18きっぷでは急行列車には乗れないので、 広島までの運賃と急行券を支払う。三次から先の車窓はやや単調である。周囲には田畑や農家が続き、 その向こうの山並みも高くもなく低くもなくといった感じだ。 また、峠越えや急勾配もないため、似たような景色が続く。
 列車は甲立、志和口などの途中駅に停まりながら乗客を集めていく。 それでも同じボックスに座る人はいない。広島市内に入ると、途中駅からの乗客は増えてくるが、 この急行は逆にそれらの駅を素通りして進んでいく。 下深川からは太田川沿いに進む。川向こうには秋に乗車した可部線が走っているはずだが、見えない。
 気動車が多数留置されている車両基地の脇を抜け、新幹線や山陽本線と合流すると、まもなく広島に到着する。 広島でも乗り換え時間はわずかしかない。慌てて次の列車の乗り場を探す。

■ 広島16:28発〜呉16:54着 5646M 115(4)

 広島からは呉線に乗って三原を目指す。呉線はこれまで乗ってきたローカル線とは違い、 電化もされていて本数も多い。特に広島から呉までの間は通勤需要も多く、 通勤型の103系が長編成で走っていたりする。 そんな呉線であるが、広島〜呉間の直通需要がかなり多いらしく、 広島から呉までノンストップの快速がかなりの頻度で走っている。 今回は、その快速でまず呉まで行こうと思う。
 広島駅で次の列車の乗り場を見つけると、そこには115系が発車を待っていた。 車内が転換クロスシートにリニューアルされた編成で、JR西日本独特のリニューアル色となっている。 223系のものとそっくりのクロスシートに無事に席を確保し、発車時間を迎える。
 広島駅を発車し、まずは山陽本線を進む。 山陽本線と呉線の分岐駅は海田市だが、その随分手前で呉線の線路は分かれていて、 複々線のような形がしばらく続いた。
 海田市からはいよいよ呉線に入る。坂駅を過ぎると、線路は海沿いに出る。 線路と海の間には太い道路が挟まっているものの、かなり長い間海を眺めることができる。 海の向こうの方には広島港の港湾施設や、おそらく廿日市あたりの町並みも見ることができる。
 途中には、呉ポートピアという駅がある。 呉ポートピアランドという遊園地が鳴り物入りでオープンした際に開業した駅だ。 呉ポートピアランドは数年前に閉園し、元祖である神戸ポートピアランドもなくなってしまったが、 駅名だけは今も健在である。
 呉線は単線であるので、駅進入時はポイントを通過するため速度が落ちる。 それどころか、なかには交換のため運転停車する駅まであるほどだ。 途中の駅はどれも規模が小さく、乗り降りする客も少なそうだ。 大胆なノンストップ快速が運転されている理由はその辺にもありそうだ。
 広島を出て走り続けること30分で呉に到着する。 列車はこの先の広までいくが、賑やかそうな呉で下車してみることにした。

■ 呉17:15発〜糸崎18:49着 950M 115(4)

 呉は戦前軍港として栄え、この駅を経由する東京発の夜行列車も走っていたという。 今ではごく普通の駅ビルが建ち、どこにでもありそうな都市近郊路線の駅といった趣だった。
 そんな呉駅で20分ほど待ち、やってきた糸崎行き普通列車に乗る。 実はこの列車は広島を始発とし、先程の快速の後ろを走っているので、 この列車に広島から乗り続けてもよかったのだが、 何となく快速の方に乗りたかったのでわざわざ呉でこの列車を待ったのだった。
 今度も車両は115系だったが、車内はリニューアルされておらず普通のボックスシートであった。 今度の方が乗車時間が長いので、先程の車両と逆だったらと思う。 しかし、車内の方はすぐにがらがらになったのでボックスシートで足を伸ばせ、 結果的にはどちらでもあまり関係なかった。
 呉を出ると列車は長いトンネルに入る。トンネルを抜け、広に到着。 ここから先は列車本数も減り、だんだんとローカル度が増してくるはずだが、 いかんせん日が暮れてきた。海沿いを走る区間もあるのだが、残念ながら何も見えなかった。 山陽本線と合流する三原を過ぎ、呉から1時間半で終点の糸崎に到着した。

■ 糸崎18:50発〜福山19:17着 1760M 103(4)

 糸崎ではまたも1分の連絡で次の列車に乗り換える。今日はこんな乗り継ぎばっかりだ。 こういう乗り継ぎはわずかな遅れで破綻するので一日に何度も繰り返すのは危険なのだが、 幸いにもこの旅行では列車の遅れには全くといっていいほど遭遇しなかった。
 糸崎で待っていた山陽本線の列車は、何とマスカット色の103系であった。 存在自体は知っていたものの、 首都圏や関西の国電区間を走る車両とこんな所で出くわすと流石に驚いてしまう。 ロングシートに腰掛け、夜の山陽本線を進む。乗車時間は30分ほどなのでどうということはないが、 駅間が5分も6分もかかる路線をロングシートで、というのは妙な感覚だ。
 また、103系の思わぬ弊害を蒙る客もいた。 隣に座っていた男の子が、トイレに行きたがっているのだ。 この辺を走る大概の列車にはトイレがついているが、この103系にはない。 結局、彼は福山まで我慢を強いられていたのだった。

■ 福山19:32発〜府中20:18着 271M 105(2)

 福山に到着し、いよいよ今日最後の乗車路線となる福塩線に乗る。 福塩線は数ある中国山地路線の中でも一際地味な路線だと思う。 優等列車が走っているわけでもないし、かといって超閑散路線というわけでもない。 また、沿線に著名な観光地もなく、鉄道ファンにもなかなか注目されない。
 そんな福塩線だが、唯一の特徴が南北で路線の性質が違う点である。 北半分はごく普通の非電化ローカル線だが、南半分は元私鉄であり、駅の数が多く電化もされている。 南半分には、今は黄色いカラーリングの105系が専用車両として走っている。
 高架の福山駅で、2両編成の電車が発車を待っている。 年末ということもあってか乗客は多くない。 もっとも、地方都市はラッシュの波が引けるのが早いので、 普段でもこの時間帯の列車はそれほど混まないと思うが。
 福山を出た列車は、住宅街と思われる灯りの中を進む。 ただ、東京や関西ほど灯りの数は多くない。 列車は途中駅に丹念に停車しつつ、乗客を吐き出していく。 終点の府中に到着すると時刻はもう8時を過ぎていた。 駅構内には小さいながらも車庫が併設されている。駅の構内は暗く、人の気配は少ない。


ド派手な黄色いカラーリングの105系。

■ 府中20:29発〜三次22:11着 1735D キハ120(1)

 府中からは、いよいよ最後の列車となる三次行きに乗る。 車両はまたもキハ120広島色である。車内は流石にがらがらで、乗客は5人いるかどうかといったところだ。
 府中を発車し、非電化区間に入る。暗くてもはや車窓は何も見えない。 途中、八田原ダムというのが沿線にあり、 これを避けるためにやたらと長いトンネルがあったことぐらいしか記憶がない。
 塩町で芸備線と合流し、昼間以来となる三次駅に到着する。 中国山地最大の駅であるが、もう時間が時間だけに駅構内は閑散としていた。 今日はこの三次で宿泊である。
 駅前を出て、人っ子一人いない道を歩く。 道路には薄く雪が積もっている。5分ほど歩いたところでホテルに到着。 昨日横浜を出て以来列車に乗りっぱなしだった訳で、さすがに疲れを覚える。