2003/10/4
新横浜7:50発〜広島11:39着 3043A のぞみ43号
新横浜から広島行きののぞみ号に乗り込む。土曜の早朝ということで空いていると思ったら、満席に近い状態だった。
やれやれと思っていると、名古屋で少し降り、京都で一気に客が減り、新大阪でガラガラになった。
東海道新幹線にはよく乗るので毎回思うが、京都を訪れる観光客は年々増えているように思う。
特にゴールデンウィークや、紅葉や桜の時期などは京都行きの貸切列車が仕立てられるほどで、
市内のホテルが全く取れないことも珍しくない。
この日も観光に適したシーズンなので観光客が多いのだろう。
新大阪を出ると新神戸、岡山、福山と停まるが降りる客ばかりでほとんど乗ってこない。
山陽区間のみの利用ならば、料金が高い「のぞみ」よりも、
安くて所要時間も大して変わらない「ひかりレールスター」の方が人気があるのだろう。
広島に着く頃には車内には3人ぐらいしか客がいなかった。
広島11:47発〜可部12:20着 755M 105(2)
広島駅の広い新幹線コンコースを抜け、在来線ホームへと急ぐ。
今度乗る列車は可部線の可部行きで、105系の2連で運転される。
105系には国鉄末期に新造されたタイプと、103系から改造されたタイプがあるが、
この時乗車したのは後者だった。後者はドア数が4つ(新造車は3つ)なので容易に見分けがつく。
広島駅を出た列車は、隣の横川駅まで山陽線の上を走る。横川までは高架の山陽新幹線が平行し、途中の鉄橋からは
広島中心部のビル群がよく見える。かなりの都会だ。
横川で山陽線と別れ、線路は単線となって急カーブを描きながら太田川を渡り、短いトンネルを抜ける。
急にローカルムードが出てきた。最初の駅の三滝では線路に山が迫っているが、
しばらく走ると平地になり住宅が広がっている。
途中駅は下祇園、古市橋など渋い駅名が多い。そして元私鉄らしく、
駅の間隔が短い。もっとも、沿線には住宅が密着しているのでこれぐらいの駅間がちょうど良いかもしれない。
大町でアストラムラインをくぐり、さらに山陽道をくぐって緑井へ。
ここは可部線の中心駅で、折り返し列車も設定されている。
緑井を過ぎると、太田川沿いの平野が狭まってくる。
このあたりでは川の対岸に芸備線が走っており、
芸備線の駅と可部線の駅の間を徒歩15分程度で乗り継ぐことができたりする。太田川を鉄橋で渡り、しばらくすると可部に到着。
2連と短い編成とはいえ、広島発車時点でほぼ席が埋まっており、乗客はそれなりに多かった。
列車の本数も多く電化もされていて、当然ながらこの区間は廃止の対象とはなっていない。
可部では三段峡行きの列車まで40分ほど時間があるので、駅前に出てみる。
まずは昔ながらの街が広がっている方の出口に出た。うろうろ歩いてみるものの、店は見当たらない。
唯一、個人経営の食料品店があったため、そこでパンなどを買う。次は、反対側の出口に出てみる。
こちらは国道が走っていて、三段峡に向かう方面は渋滞していた。
それほど探索したわけではないが、こちらの方が沿道に店などもありそうで賑やかだ。
こちらは別の日に三原駅で撮影した新造タイプの105系。改造タイプも塗装は同じである。
可部13:05発〜三段峡14:38着 237D キハ40(4)
20分ほどぶらぶらして駅に戻ると、三段峡行きの列車が入線してきた。
ここから先は列車の本数がぐっと少なくなるためか、
鉄道マニアの割合もぐっと濃縮されるようで、
可部までは全然見られなかった「その筋」と思われる人がホームに何人もうろうろしていた。
この日の三段峡行きは4連と長い。廃止間際の混雑を見越して増結しているようだ。
おかげで、列車に乗車した時点では1ボックスに1人ぐらいの混雑だった。
ところが、発車直前に広島からの列車が到着すると、大量の客が乗り込んできて、立ち客が出るほどの混雑となった。
自分のボックスにもおばさん3人連れが乗ってきた。
可部駅を発車すると、すぐに可部の市街を抜け、太田川沿いを列車は走る。
このあたりの太田川は激しく蛇行している。
そのため、可部線はところどころでトンネルを掘り、ショートカットする。
川のすぐそこまで山が迫っているので、集落はあまりない。駅の周辺に小集落があるぐらいだ。
可部までとは別の線のようなローカルっぷりだ。これでは廃止論が出るのもやむをえない。
可部線は元々、三段峡からさらに延びて島根県の浜田まで延びる予定だった。
そこまで延びていれば廃止を免れたかもしれないが、
三段峡から先はかなりの難工事となることが予想され、延伸は実現しなかった。
途中、津浪という駅がある。サザンの「TUNAMI」が流行っていた頃、
可部線の乗客誘致のためにTUNAMIと津浪を掛けてコンサート等のイベントをしていたという記事を見たのを思い出した。
しかし、失礼ながらサザンとか海といった単語が到底似つかわしくない山奥の駅だ。
車中で同じボックスに座ったおばさん3人組と少し話をした。
確か広島市内に住む人達で、可部線北部が廃止になるということを知り
お別れ乗車に来たとのこと。そんな話をしていると、
おばさん達は持ってきたおにぎりを食べ始めた。そのおにぎりが余ったらしく、
食べないかと強く勧められたが、そもそもさっきパンを食べたばかりだし、
せっかく広島まで来たのだし市内でお好み焼きでも食べようかと思っていたので、断ってしまった。
今思えば受け取るだけ受け取っておけばよかったと思うのだが、
断った後は何となく気まずい雰囲気となり、おばさん達との会話が途切れてしまった。
太田川沿いをひたすら走り、景色にも少々飽きてきた頃、列車は加計に到着した。
加計までは戦後すぐに開通した区間なのに対し、加計から先は昭和40年代に鉄建公団が造った区間だ。
そのため、加計までは沿線の家々と同じ高さを
列車が走り、踏み切りも多いのに対し、加計からは道路とは立体交差となり視点も高くなった。
線路も直線的になりトンネルも増えた。
可部から一時間半で三段峡に到着。当然ながら終点まで乗り通す人が多かった。
SLの置かれた駅前広場は観光客であふれている。
ここがこれほど賑わったのは久しぶりなのではないかと思う。
駅前には観光地らしく、ささやかながら土産物屋が2軒ある。
駅名にもなっている三段峡までは、徒歩で30分は掛かる。
可部に折り返す列車の発車時刻までは30分も無いので、見学コースの入口まで行くのにとどめた。
川はこのあたりでは深い渓流となっていて、この先には線路の引ける平地はなさそうだ。
実際、もし可部線が三段峡駅から先に延伸された場合、三段峡駅を出るとすぐトンネルに入る計画だったようだ。
いぜれにせよかなりの難工事であろうことは間違いない。
三段峡の駅名標。この駅名標もまもなくその役割を終える。
三段峡15:05発〜加計15:30着 246D キハ40(4)
賑わいを見せる三段峡駅から列車に乗り込む。乗ったのは先程と同じ編成だ。 いずれも黄色基調の広島色の車両で、見る機会の減ったキハ58も混ざっていた。 通常、この列車は加計止まりなのだが、この日はこの車両が可部まで直通するという。 車両の増結と共に臨時のダイヤが組まれているのだろうか。
黄色い塗装のキハ40は中国地方で広く見られる。この写真は後日新山口で撮影したもの。
加計15:51発〜可部16:48着 248D キハ40(4)
加計駅から広島へ向かう交通手段としては、可部線のほかに路線バスがある。 ただし、中国道などを経由する高速バスではなく、一般道を経由し途中の集落に立ち寄るため所要時間は可部線と大差ない。 駅前にバス停があるので時刻表を見ると、しばらくすると路線バスが来るらしい。 列車は混んでいるのでこちらに乗るかどうか迷ったが、 列車の方も座れないほどではないので素直に列車に乗り続けることにした。
可部16:58発〜大町17:18着 784M 103(4)
可部からは再び電車に乗る。今度は103系の4連だった。このまま広島まで行ってもよいが、 途中の大町という駅からアストラムラインという新交通システムが広島市中心部へ向けて走っている。 広島駅は市の中心から若干外れているので、 市内を散策するにはアストラムラインに乗るほうが都合がいい。ということで大町で乗り換える。
4連の103系は可部線の輸送力列車としてラッシュ時を中心に用いられる。
大町〜県庁前 アストラムライン
紙屋町〜広島駅 広島電鉄
アストラムラインは広島市北部の山間部に作られたニュータウンと市街とを結ぶ路線で、
大町より南は主に幹線道路の直上に軌道が敷かれている。もう随分昔だが、
アストラムライン建設時に橋桁が道路に落ち、かなりの死者が出たという事故を思い出した。
朝乗った可部線とは違い、視点がかなり高いので遠くまで見晴らしが利く。
太田川沿いの狭い平地に、幹線道路や山陽道と市街とを結ぶバイパス、
そして可部線と芸備線が密集して走っている。京阪間の山崎あたりの光景に近いものがある。
やがて軌道は地下に入る。市中心部は地下を走っているようだ。
新交通が地下を走るのは珍しい。地下をしばらく走り、県庁前に到着。
県庁前駅の周辺は、地下街が張り巡らされている。ただでさえ知らない街なのに、いきなり地下街に放り出され迷いそうになる。
地図を見ながら外へ出ると、ちょうど広島市民球場の裏手あたりに出た。この日の市民球場では広島−阪神戦が行われており、
ちょうど試合が終わった直後のようだった。試合直後にしては人が少ないが、10月ということでただでさえ消化試合な上、
この年は阪神が早々と優勝を決めてしまったため消化試合の期間が長かったからだろう。
ゲートが開いていたので、どさくさにまぎれて少しだけスタンドに入ってみた。
入った場所はバックネット裏付近だったのだが、狭いことで有名な球場だけあって外野のフェンスまでが非常に近く見えた。
広電の走る大通りの方に出ると、道のすぐ向かいに原爆ドームが見えた。
原爆ドームを訪れるのは十数年ぶりで、前回来たときの記憶は曖昧だが、
球場や百貨店が並ぶ街のど真ん中にそれがあるということがまず意外だった。
道路を渡り、すぐ近くまで行ってみる。
原爆ドームは、それが存在する場所や歴史的意義からだろうか、どんな芸術作品ですら持ち得ないだろうほどの
圧倒的な存在感を醸し出していた。しばらく呆然と眺めた後、辺りを見回すと自分と同じような観光客がドームの前に群がっている。
球場から出てきたと思われる、虎ハッピを着た若者3人連れも、ドームの前で立ち尽くしていた。
ドーム横の川を渡ると、広大な平和公園がある。
公園の中の資料館は、今回中に入らなかったものの昔より拡張されているようだ。
公園を一巡した後広電で広島駅に向かう。乗った電車は広電自慢の低床連接車だった。
乗ってみると編成の長さはかなりのもので、普通鉄道に負けないぐらいの輸送力がありそうだ。
それでも、後ろ乗り前降りという路面電車の原則は貫かれているのが面白い。
一番後ろに乗っていると、下手をすると降り遅れそうだ。
その後、広島駅構内のお好み焼き屋で広島焼きを食べて、新大阪行きの新幹線に乗った。