最終更新日:2021/3/7

おおさか東線と京都鉄道博物館―消えゆく103系・阪急3000系に出会う

 2008年に放出〜久宝寺間が部分開業したおおさか東線だが、 11年後の2019年3月におおさか東線が全線開業した。 今後、新大阪から既存の貨物線を経由してうめきた地区の新駅に乗り入れる計画はあるものの、 新線建設は一段落したこととなる。
 全線開業後の6月、新規開業区間に乗車すべく関西に出向くことにした。 メインイベントはおおさか東線に乗ることだが、 それ自体はすぐに終わってしまうので、ついでに京都・大阪・兵庫をあてもなくさまよい歩いた。

目次

2019/6/14

京都〜稲荷〜東福寺〜河原町

 早朝の新幹線で、京都にやってきた。ここから、久々に奈良線に乗る。 ホームに向かうと、そこにはうぐいす色の103系がいた。 今や絶滅寸前となり、ローカル線を除けば全国でもここでしか見られない車両となった。 車内に入ると、原型そのままの薄緑の化粧板がそのまま残っており、懐かしさを感じさせる。 予想外の出会いに驚きつつ、2駅乗車して稲荷駅で下車する。
 稲荷駅は、近年伏見稲荷大社が外国人観光客に人気ということで連日活況を呈しているらしいが、 古めかしい駅舎や、ホームにある旧ランプ小屋はそのままだった。 かつて京都〜山科間の東海道線は、東山にトンネルを掘るのを避けて南に大きく迂回しており、 この稲荷駅を経由していた。このランプ小屋は当時から残っているらしい。
 稲荷で下車した後は、珍しく普通の観光っぽいことをした。 まず、これまで来たことのなかった伏見稲荷に行き、千本鳥居などを見て回る。 そこから歩いて北上し、紅葉で有名な東福寺へ。以前来たときは紅葉シーズンで人手がすごく、 ゆっくり見られなかった記憶がある。この日はまだ午前中とあって空いており、 名所の通天橋もほぼ貸し切り状態だった。
 その後東福寺駅まで歩き、四条河原町に出て昼食をとる。


絶滅寸前のうぐいす色の103系に遭遇。


通勤ラッシュの京都駅で、221系と並ぶ103系。


世界から観光客が集まるようになった伏見稲荷の千本鳥居。まるでトンネルの中を歩くよう。


東福寺境内の渓谷の上に架けられた通天橋は紅葉の名所として知られる。

(京都鉄道博物館)〜河原町〜淡路

 次に、四条河原町からバスに乗って京都鉄道博物館に向かった。 京都鉄道博物館は、大阪の弁天町にあった交通博物館と、元々この地にあった蒸気機関車館を統合したものである。 統合前にはどちらも行ったことがあるが、京都鉄道博物館となってから来るのは初めて。
 エントランスを通ると、目の前には0系新幹線や、京阪神の快速として活躍した80系が並んでいる。 その脇には、先ほど乗ってきたばかりの103系もいた。つい数年前に大阪環状線から引退したばかりの車両で、 内装も先ほど乗ったのと似ており、まだ現役車両のようだ。
 奥に行くと、ついに乗る機会を逸したまま廃止となったトワイライトエクスプレスや、500系や100系新幹線、485系や583系など有名どころの車両が並ぶ。 その脇に、故障多発でわずか10年で廃車されたという悲劇のディーゼル機関車・DD54もいた。これは弁天町の頃から居たのを覚えている。 その後は展示を見て回った。この手の展示で見ていて面白いのは、物心つくかつかないかの頃のもの、 例えば国鉄末期の企画乗車券やパンフレット、導入初期の無骨な自動改札機、パタパタ式の行き先表示機などである。 あと、JRだけでなく関西大手5私鉄の展示コーナーも設けられていた。
 お子様が多いジオラマやシミュレータコーナーはさらっと通過し、屋上のテラスへ。 ここからは京都〜西大路間を走る在来線や新幹線の様子が一目でわかる。 各線路への列車の入線状況がモニタに表示されているのも面白い。
 最後に、元からあった機関車庫に向かう。こちらは以前とほとんど変化がないようだった。 個人的にSLには詳しくないので車種の違いなどはあまり分からなかったが、 それでも各種SLがずらりと並ぶ光景はやはり圧巻である。 また、一部の車両は運転台に入ることができる。運転台は狭く、窯の熱で暑い中ここでずっと働くのは大変だったのだろうと思う。 旧二条駅舎にある土産物を少し眺め、外に出る。
 この後おおさか東線に乗るため大阪に出た。JRで行くのが一番早いのだが、 あえて再び河原町に出て、阪急特急で淡路に向かった。


103系と今日二回目の遭遇。


500系新幹線に583系寝台電車に機関車と、各種車両がずらりと並ぶ館内。


扇形車庫にSLがずらりと並ぶ光景は今も健在。

JR淡路16:29発〜新大阪16:34着

 夕刻、高架化工事の進む阪急淡路駅に降り立った。 狭苦しい改札を抜け、JR淡路駅に向かう。両社の駅はやや離れており、商店街を5分ばかり歩かなければならない。 昔ながらの商店街をとぼとぼ歩くが、乗り換え客はほとんどいない。阪急沿線から新大阪に出るには、南方から御堂筋線に乗るルートもあるので、 乗り換え時間のかかる淡路経由は敬遠されているのだろうか。
 真新しいホームで列車を迎えると、やってきたのは相変わらずの201系。東京ではとうに消えた車両で新線には似つかわしくないが、 内装や乗り心地は悪くなく、あと10年ぐらいは働けそうだ。うめきた新駅開業の際はぜひ新車に入れ替えてもらいたいものだが。 淡路を出ると、阪急の線路と立体交差する。阪急淡路駅は高架化が進んでいて、京急蒲田のような二層構造の駅になる予定だ。 高架のおおさか東線を二層の線路がまたぐ形になるので、上の層はかなりの高さになりそう。 南吹田駅付近で大きく左にカーブし、東海道線の貨物線と合流。ほどなく、新大阪に到着する。


真新しいJR淡路駅の周辺は閑散としていた。

新大阪16:39発〜放出16:54着

 新大阪で折り返し、今度は久宝寺方面に向かう。JR淡路を過ぎると、淀川の橋梁を渡る。 かつておおさか東線が貨物線だった時代、この橋梁は単線分しか線路がなく、もう片方の線路は歩道橋として使われていたという。 その時代に一度歩いてみたかったと思う。淀川を越えてすぐ、城北公園通駅に到着。この辺はかなり家やマンションが密集しているが、 この駅ができるまでは鉄道空白地帯だったようで、新線の恩恵を最も受けた地域といえるだろう。 そのためか、乗降客は比較的多かった。
 鴫野で学研都市線と合流し、そのまま並走して放出に到着。 この駅ではおおさか東線と学研都市線を同じホームで乗り継ぐことができる構造となっており、 今回乗った列車も学研都市線の快速と連絡を取っていた。
 これで、JR線の全線完乗タイトルを取り戻した(本当は2017年に可部線の可部〜あき亀山間が開業しているのだが、 この区間は非電化時代に乗車していることを理由に、乗車済みの扱いとした)。 次は、九州新幹線(長崎ルート)か北陸新幹線(金沢〜敦賀間)となりそうだ。


11年ぶりにうぐいす色の201系に乗車。ヘッドマークは「関西本線開業130周年」のものだった。

放出〜JR伊丹〜阪急伊丹〜塚口〜梅田

 放出からはJR東西線・宝塚線の快速に乗り、一気に伊丹に向かう。 伊丹からは、おそらく数十年ぶりとなる伊丹市バスに乗って阪急伊丹駅へ。 ここに前来たのは、阪神大震災で崩壊した駅が再建された直後なので、約20年ぶりの再訪である。
 わざわざ伊丹に来たのは、現在1編成を残すのみとなり全廃間近となった阪急3000系に乗るためだ。 3000系は昭和30年代に建造が始まった古い車両で、本来ならもっと早く消滅していたはずなのだが、 バブル崩壊や阪神大震災の影響により阪急電鉄が経営不振に見舞われていたためか、 なかなか置き換えが進まず(1990年代半ば以降、ほとんど新車が作られない時期が10年以上続いた)、 つい最近まで本線でもよく見かけた。しかし、時代の流れには逆らえず今や伊丹線に最後の一本が残るのみとなった。 それほど思い入れがある車両という訳でもないが(むしろ、たまの乗車で出くわすとハズレ感が強かった)、最後の機会と思って乗りに来た。
 実際に今日運用に入っているのかもよくわからないまま乗り場に向かうと、まさに目の前で3000系が出ていった。 運用に入っているのが分かったのは良かったが、あまりにタイミングが悪い。 仕方なくホームで20分以上待って、塚口から折り返してきた3000系に乗る。 うるさいモーター音、金属バネでよく揺れる台車、色あせたシートモケットと、よく言えば昭和らしさが残る車両だ。 2020年をもって阪急からは引退してしまったようだが、実は能勢電鉄にはまだ同型が残っているので、実際に乗車することが可能だ。
 あとは神戸線で梅田に戻り、6月末に期限が迫っていたエクスプレス予約のグリーンプログラムポイントを消化してグリーン車に乗り (実はこれが今回の大阪行の目的だったりする)、東京へ戻った。


引退寸前の3000系だが、前照灯がLEDになるなど最後まで手入れはされていた。

JR線乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
おおさか東線新大阪〜放出11.0
合計11.0