最終更新日:2021/1/11

関西私鉄完乗―最後に残った2つのミニ私鉄、水間鉄道と紀州鉄道に乗る

 2011年は色々と忙しく、東北新幹線と九州新幹線を乗りつぶすべく日帰り弾丸ツアーを敢行した以外、 鉄道旅行に出かけることができなかった。そんな中、恒例の関西への帰省だけは何度かすることができた。 その際、関西に残る2つの未乗路線である水間鉄道と紀州鉄道を乗りつぶした。 ここではその様子を書こうと思う。

目次

2011/1/9

新今宮6:26発〜貝塚6:56着 南海電鉄 区間急行

貝塚7:10発〜水間観音7:24着 水間鉄道

 南海電鉄の区間急行に乗って、貝塚へとやってきた。 ここから、水間鉄道という小さな私鉄が出ている。今回はこれを乗りつぶそうと思う。
 水間鉄道は、南海のみと接続しているというロケーションにあることから、 てっきり南海との関係が深いのかと思っていたが、 今は資本的なつながりはなく、車両も南海ではなく東急のお古を使っている。 貝塚駅の駅舎も分かれていて、何となくよそよそしい感じがする。
 貝塚から、水間観音行きの列車に乗る。朝7時台の列車だというのに、 部活の試合にでも行くと思われる女子中高生が乗っていて車内は賑やかだ。 2両編成の座席がほとんど埋まった状態で貝塚を発車する。
 貝塚を出てすぐに90度カーブして南海の線路と分かれると、 あとは貝塚市街をひたすらまっすぐ進んでいく。途中、阪和線と交差するが双方とも駅はない。 水間観音までの間、車窓にはほとんど変化がなく、 強いていえば紀伊山脈が近づくにつれて若干の勾配が出てくるぐらいである。 貝塚からわずか14分で終点の水間観音に到着だ。
 終点の水間観音の駅舎は、その名の通り寺社風の趣きあるものだった。 ただ、朝早いせいか駅舎の中や駅前広場はがらんとしている。 このまま貝塚まで折り返してもいいが、バスで阪和線の和泉橋本へ出ることにする。 幸い、朝晩しか走らない和泉橋本行きのバスが割とすぐに連絡している。
 がらがらのバスで和泉橋本へ出て、あとは阪和線で大阪へと戻った。


お寺のような造りの水間観音駅。


水間鉄道の車両は地方私鉄でよく見かける東急7000系だが、関西では貴重な存在。

2011/11/27

新横浜6:18発〜京都8:11着 のぞみ1号

京都8:36発〜御坊10:41着 スーパーくろしお3号

 この日は朝一番の「のぞみ」で京都へとやってきた。 所用で関西へとやってきたのだが、昼過ぎまでは時間があるので、 これまでできていなかった紀州鉄道の乗りつぶしをやろうと思う。 紀州鉄道は地元・関西に残った最後の未乗線区で、これに乗ればついに関西の鉄道を完乗することになる。
 まずは特急「スーパーくろしお」で紀州鉄道の起点・御坊に向かう。 この特急の経路はなかなか面白く、吹田の手前から貨物線に入り、 新大阪から西九条へと短絡線経由で抜けるため、大阪駅を通らない。 その様子をしかと見届けようと、今回は「スーパーくろしお」のパノラマグリーン車、 それも最前列の席を予約しておいた。
 列車に乗ろうとすると、行き先の字幕表示が「紀伊勝浦」という見慣れないものになっていることに気付く。 この夏の水害で紀勢本線も甚大な被害を受け、紀伊勝浦〜新宮間はいまだに不通になっている。 もっとも、翌週には復旧して全線開通するとのことで、車内でもしきりにそのことを放送していた。
 先頭のグリーン車に乗車してみると、 運転台を挟んでいるので車両最前部からはやや離れているものの、展望はばっちりだ。 先客は老夫婦が一組いるだけだった。
 京都を発車し、まずは東海道線を下る。新快速並みの130km/h運転を期待したが、 時間が余っているせいか100km/hをわずかに超える程度の運転が続いた。 茨木を過ぎたあたりで列車はポイントを渡り、本線を跨いで右側に出る。 ここから先は貨物線を進む。右手には梅田から移転してくる吹田貨物駅を建設中で、 まもなく移転が完了しそうな雰囲気だった。近いうちに梅田貨物駅がなくなり、再開発されるのだろう。 貨物駅構内のポイントは複雑で、どこをどう通っているか分からないうちに新大阪に着く。
 新大阪を出ると、淀川を渡った後に本線と分かれ、梅田貨物駅に向かう。 淀川橋梁の上で、京都方面行きの「はるか」とすれ違う。 新大阪駅の配線の都合上、「はるか」「くろしお」用のホームは上下合わせて1本しかないため、 上下列車が干渉しないようなダイヤになっているようだ。巧みなダイヤに感心すると共に、 ダイヤ混乱時は整理が大変だろうなと思う。
 淀川を過ぎると阪急の三複線をくぐり、梅田貨物駅へと進入する。 大阪ステーションシティを横目に見つつ、単線の短絡線はなにわ筋を踏み切りで豪快に超えていく。 このあたりも近く立体化されるというが、一体いつ完成するのだろうか。
 西九条で環状線と合流し、普段は桜島線の列車が発着するホームを通過する。 ホームでは多数の家族連れやカップルが列車を待っている。USJに遊びに行くのだろう。 西九条を過ぎると、前に各駅停車がつかえるせいでノロノロ運転が続く。 新今宮で関西本線の線路に入るとようやく速度が出て、天王寺に着く。
 天王寺で多くの客を乗せ(といってもグリーン車の乗車率は2割ぐらいだったが)、ここから阪和線に入る。 高架線を100km/h程度で軽快に進んでいく。上り列車と次々にすれ違うが、頻度はそれほどではない。 今春のダイヤ改正で、このあたりの各駅停車は15分間隔に減便されてしまったためだ。 不便になったせいか、途中駅で列車を待つ人の数も大阪市内にしては少ない気がする。
 大和川を渡って堺市に入り、しばらくすると鳳を通過する。 ここからはようやく特急らしい走りとなり、コンスタントに120km/hを出すようになる。 鳳以南の阪和線は高架化がほとんど進んでおらず、線路のすぐ脇に住宅が迫っているし、 大きな道路と平面交差している。まずありえないことだが、車が誤って進入してきたらどうなるだろうかと思う。 特に東岸和田駅などはすぐ近くに主要道との平面交差があり、さすがに立体交差化の工事が始まっていた。
 日根野で関西空港線と分かれると、だんだん景色が田舎びてくる。 日根野から先の阪和線や紀勢本線に乗るのは実に9年ぶりである。 大阪の北のほうに住んでいると、泉州や和歌山は縁遠くなかなか行く機会がない。
 和泉鳥取を過ぎると、一気に上り勾配がきつくなる。 展望席だと、線形もそうだが勾配の様子が実によく分かる。 勾配の有無は、ふつうに座っていると案外分からないものだ。 いかにも渓流、といった場所にある山中渓を過ぎると長いトンネルを抜け、和歌山県に入る。 しばらくすると左手の下のほうに、紀ノ川沿いの平地が見えてくる。 紀ノ川を真新しい鉄橋で渡り、和歌山線と合流すると、和歌山に到着する。 ここまでで既に一時間半近く過ぎており、結構遠く感じる。
 和歌山を発車してすぐに、観光案内放送が入る。左手の山の上に紀三井寺が見えるそうだ (私の席からはよく見えなかった)。高架駅の海南を通過した所で、ようやく海が見えてくる。 もっとも、海よりも巨大な化学工場のほうが目立ち、大阪湾沿いの工業地帯はこんな所まで進出しているのかと思う。
 箕島あたりから海を離れ、有田川を遡っていく。 このあたりで、かなり大きな鳥(鷺?)を撥ねるというハプニングがあった。 目の前で目撃してしまったので息を呑んだが、あとでフロント部分を確認したところ、 血痕などは付いていなかったのでぎりぎりで回避できたのかもしれない。
 かつて有田鉄道が分岐していた藤並、そして醤油で有名な湯浅を過ぎると、 次々に山をトンネルで越えていく。結構カーブが多いので、振り子を駆使しているのかと思いきや、 線路に掲示された制限速度(おそらく普通列車と共通のもの)以上は出していないようだ。 おそらく、もっと線形の悪い紀伊田辺より先でないと振り子式の真価は発揮できないのだろう。
 しばらくすると平地に出て、御坊に着く。京都から2時間余り、思っていた以上に遠く感じられた。


期間限定の行先、紀伊勝浦行き。


パノラマグリーン車の座席はこのようにどっしりしたもの。


パノラマグリーン車から、運転台を眺める。


梅田貨物駅手前で阪急のガードをくぐる。


和歌山を過ぎると、車窓には巨大な化学工場が広がる。


御坊に到着した「スーパーくろしお」。

御坊10:59発〜西御坊11:07着 紀州鉄道

 御坊は紀勢本線でも運転上の拠点となる駅で、昼間の普通列車の起終点となっている。 この駅より北は117系4連、南は113系2連というのが標準的な編成のようだ。 どちらもどぎついエメラルドグリーンに塗られており、やや違和感がある。 駅周辺はあまり開けておらず、裏手には田んぼや山が広がっている。
 そんな御坊駅の駅本屋の脇に、紀州鉄道の乗り場がある。 乗り場には中間改札も券売機もなく、ただ時刻表が貼り付けられているだけである。 そんなホームでしばらく待つと、小さな古びた気動車が車体を激しく揺らしながら進入してきた。 線路の状態が相当悪いのであろう。颯爽と滑り込んでくる紀勢本線の列車とは対照的だ。
 しばらく停車して、5人ほどの客を乗せて発車する。意外にも若い人もいて、 地域の交通網としてわずかながら活用されていることが分かる。 御坊を出た列車は左にカーブし、住宅や田畑の間を進む。 速度は20〜30km/hしか出ていないのだが、揺れがものすごく、椅子から投げ出されそうになることもあった。 この路線で使われている気動車は「二軸車」といって、車輪が4つしか付いていない。 普通の鉄道車両は車輪が一両に8つあり、車輪が少ない分大型化できず乗り心地も良くない。 そのため、今や日本の旅客用車両としては紀州鉄道でしか使われていない。
 最初の駅は学門。入場券が受験生の験担ぎになるということで、一時期話題となった駅だ。 実際に来てみると、ホームが一本あるだけの粗末な駅だった。 ちなみに、この駅までは御坊から1.5kmしか離れていないが、列車の速度が遅いため4分も掛かった。
 学門を発車すると、すぐ目の前にもう次の駅が見えていて、思わず笑ってしまった。 陸上選手だったら、一度降りた列車に走って追いつくなんてことができるのではないか、と思ってしまう。 学門の次の駅は紀伊御坊で、ここには紀州鉄道で唯一、まともな駅舎があった。 紀伊御坊から先は御坊市の中心街を走り、踏み切りも多いが、遮断機が閉まるのは列車が通過する直前で、 よく事故が起きないものだと思う。
 学門と同じくシンプルな佇まいの市役所前を過ぎ、終点の西御坊に着く。 木造の古びた待合室で、数人の客が列車を待っていた。 駅の裏手に出ると、線路が終点より先の方まで続いている。 平成元年に廃止されるまでは、港の方まで線路が伸びていたらしい。 ただ、駅の目の前の川に掛かる橋がなくなっていて、もはや営業再開は難しそうだった。
 紀州鉄道に乗ってみた感想だが、どの列車にもコンスタントに乗客がいて、案外活用されているんだなと感じた。 とはいえ、全長2.7kmの短い路線であり、今のご時勢なら自家用車なりバスなりで十分代替できると思う。 それでもこの鉄道が生き残っているのは、鉄道会社の看板を欲しがった某不動産会社に買収されたためだろう。 元々この鉄道は御坊臨港鉄道という名前だったが、買収と同時に紀州鉄道という身の丈に合わない名称に改名された。


紀州鉄道の車両は、1980年代に多数製造された「レールバス」の生き残り。


素っ気ないホーム一本のみの学門駅。


紀州鉄道の駅名標は妙に駅名のフォントが大きい。


終点の西御坊駅は味のある古い木造駅舎が健在。


終点の線路は無造作に設置された柵で止められている。


廃線になった線路は、すぐ先で橋がなくなっており走行できなくなっている。

学問11:47発〜御坊11:51着 紀州鉄道

 そのまま御坊に折り返しても時間が余るので、線路沿いに歩いて御坊の方に戻りつつ、 途中駅を観察してみようと思う。学門までは駅の間隔も短いので、簡単に歩けるだろう。
 西御坊の駅前通りには商店街の看板が掛かっているが、 既にほとんどの商店は閉店しており、もはや商店街とはいえない状態になっている。 そんな通りをしばらく歩くと、市役所前駅に着く。さらに歩いて、図書館や小学校の脇を通り過ぎると、 紀伊御坊駅に着いた。列車のない時間だったので客は誰もおらず、駅員の姿もなかった。 紀伊御坊の駅前はちょっとした商店街になっていて、 ケーキ屋などもあってちょっと活気がある。 さらに市街地を歩いて、学門に到着した。ここまでわずか20分余りで歩けてしまった。 このまま御坊駅まで歩いてもよかったのだが、疲れそうなので学門からは列車に乗ることにした。 先程と同じ運転士が乗務する列車に揺られ、御坊に戻る。


日中ながら無人の紀伊御坊駅。


線路は草に埋もれ、やや廃線跡っぽくなっている。


JRが管理する御坊駅は、よくある地方の駅。

御坊12:06発〜新大阪13:50着 くろしお14号

 御坊からは再び「くろしお」に乗り、新大阪に戻る。 今度は自由席に乗ったが、白浜始発の列車の割に客は多かった。 その後も湯浅、藤並、箕島と停車するたびに乗車がある。 和歌山に到着すると、降車する客もいたがそれをはるかに上回る乗車があり、 車内の座席は8割方埋まった。
 13時50分、新大阪着。この列車は車内清掃の後、14時ちょうど発の列車として慌しく折り返すようだ。 やはり新大阪駅の線形の関係で、かなりタイトなやりくりを強いられているようだ。


御坊から新大阪に戻ってきた381系。

私鉄乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

会社名路線名乗車区間キロ数
水間鉄道水間線貝塚〜水間観音5.5
紀州鉄道紀州鉄道線御坊〜西御坊2.7
合計8.2