日本縦断 夏列車の旅(その4)

目次

2009/8/9

 この夏、東京から房総に向かう、珍しい名前の臨時列車が走ることになった。 その名は内房線に直通する「青い海」と、外房線に直通する「白い砂」である。 どちらも1998年までは夏場になると必ず海水浴臨として運転されていたが、 ここ数年は運転されていなかった。
 そんな両列車が、今年になって復活することになった。 車両はジョイフルトレインの「ニューなのはな」が使用され、全車指定席で運転される。 始発駅は今や総武快速線の列車がめったに入線することのなくなった両国である。
 「青い海」「白い砂」は、それぞれわずか2日ずつしか運転されないので、 何とか日程をやりくりして房総へと向かった。

横浜13:43発〜京急久里浜14:17着 京浜急行

 まずは横浜駅から京急に乗って久里浜に向かう。 クロスシートの2100系がくる快特を選んだはずなのだが、 列車到着直前に「本日に限り3ドア車で運転・・・」と放送が入った。 結局、やってきたのは3ドアロングシートの600系だった。
 ロングシートに腰掛け、車窓を眺める。 上大岡から先の区間は丘陵地帯であり、カーブも勾配も多い。 その区間を制限速度ぎりぎりの高速で飛ばす。 この区間、何となくだが阪急神戸線に線形が似ている気がする。
 久里浜線に入る堀ノ内からは各駅に停車し、京急久里浜に到着。 ここでバスに乗り換える。

京急久里浜駅14:28発〜東京湾フェリー14:37着 京浜急行バス

 久里浜駅からフェリー乗り場まではやや離れており、その間には連絡バスが走っている。 乗る予定のフェリーの出船時刻が迫っているので、途中渋滞に巻き込まれはしないかと冷や冷やしたが、 幸い予定通りフェリー乗り場に到着した。

久里浜港14:45発〜金谷港15:25着 東京湾フェリー

 乗り場に着くと、フェリーの出発まであと7分ほどになっていた。 過去に長距離フェリーに乗った経験からいうと、出発の少し前にタラップを外してしまうことが多い。 今回も急がないと乗れなくなるのではないかと思い、 慌てて切符を買って通路を走ろうとすると、係員に「あと6分もあるから急がなくていいよ」と言われた。
 近年の高速道路値下げの影響により、乗客が激減していると報じられた東京湾フェリーだが、 確かに夏休みの休日にもかかわらず船内は閑散としていた。 やはり相当の乗客が東京湾アクアラインに流れていることは否定できないようだ。 それでも船内の設備は充実していて、スナックなどを扱う売店があった。 飲み物も自販機で定価で売られており、なかなか良心的だと思う。
 久里浜港を出航し、背後の三浦半島が遠のいていくにつれ、前方には奇妙な形をした鋸山が近づいてくる。 途中、僚船2隻とすれ違った。今日は3隻体制での運行のようだ。 海上は涼しいかと思ってデッキに座っていたが、さほど涼しくないので途中から船内客席に座った。
 やがて、定刻に金谷港に到着する。 フェリーターミナルには立派なレストランや土産物店があって、観光客で賑わっている。 ただし、船に乗る客ばかりではないのかもしれない。


海上では僚船と2度すれ違った。

浜金谷15:57発〜両国17:37着 青い海2号

 フェリーターミナルから数分歩くと、浜金谷の駅にたどり着いた。 駅舎は木造の小さなもので、中には小さな待合室があるのみであるが、 ちゃんと駅員がいて切符も売っていた。
 ホームでしばらく待つと、臨時快速「青い海2号」がやってきた。 この「青い海」は、かつて内房線の臨時快速として夏季に運転されていたが、 ここ数年は設定されていなかった。今年になって久しぶりに設定され、 ジョイフルトレインである「ニューなのはな」で運転される。
 車内に入ると、客室にはボックスシートが並んでいる。 この「ニューなのはな」は、車内の座席をお座敷とボックスシートに切り替えることができる珍しい車両である。 そのためか、車内には畳の匂いがほのかに漂い、網棚や肘掛けが折りたたみ可能な構造になっているなど、 所々に妙な特徴が見られた。天井が高く、照明が和風であるのも特徴的である。 また、デッキ部分にはドアで区切られたデッドスペースがあった。お座敷時に使用する設備が格納されているのだろうか。
 指定された席に座ると、進行方向とは逆向きの席だった。ちゃんと順方向の窓側の席を調べて買ったはずなのだが、 どこでどう間違えたのだろうか。しかし、結局同じボックスに他の客は現れなかったため、 順方向に座っても特に問題はなかった。
 列車は浜金谷を出ると、しばらく海沿いを走る。 前方に富津岬が近づいてくると、海から離れ、君津を過ぎると丘陵地帯をトンネルで突っ切る。 列車は上総湊、佐貫町と停車した後、何故か蘇我まで停車しない。 特に、全特急が停車する木更津を豪快に通過してしまうのは、普段は見ることができない貴重な車窓である。
 蘇我を出ると、前方に不気味な黒い雲が迫ってきた。千葉に着く頃には周囲は豪雨となっていた。 どうやらこの日、千葉駅近辺では集中豪雨があり、東千葉駅は冠水してしまったという。 そのせいで総武本線はダイヤが乱れていたらしいが、内房線には特に影響はなく、定刻に千葉駅を発車した。
 あとは総武快速線をひた走り、錦糸町に着く。ここで下車する人も多かったが、 ここから先がこの列車最大の見所である。普段は列車が入線しない、両国駅の快速線ホームに入線するのだ。 両国駅手前でポイントを渡り、列車はゆっくりと両国駅3番線に到着した。 こういう機会でもないと入ることのできないこのホーム、 駅本屋との間の通路になぜか赤絨毯が敷かれていたのが印象的だった。


入口に花が飾られ、のんびりしたムードの浜金谷駅。


臨時快速に起用されたジョイフルトレイン「ニューなのはな」。普段は団体専用列車での運用が多い。


車内はボックスシートとなっているが、お座敷仕様に変更可能。


めったに列車が入線しない、両国駅の地上ホームに到着。

2009/8/20

 この日は、全国屈指の閑散ローカル線である只見線に乗りに行った。 只見線は奥会津の山奥を走る路線で、列車が少ない区間は一日わずか3往復しか列車が来ない。 冬場の降雪がすごく、並行道路が冬場通行止めになるという理由で廃線を免れたという伝説を持つほどである。
 JR乗りつぶしの過程で一度乗車しているのだが、 前に乗ったのは2001年で、しかもその時は半分寝ながら通過してしまった。 そこで今回は、しっかり起きて車窓を眺めようと思い、再訪問することにした。

赤羽8:07発〜宇都宮9:27着 快速ラビット

 新宿から埼京線に乗り、赤羽へとやってきた。 折りしも通勤ラッシュの只中にあり、到着する上り列車はいずれも大量の乗客を乗せている。 そんな中、宇都宮行きの快速ラビットに乗り、まずは宇都宮を目指す。
 これから乗るのは下り列車とはいえ、意外と混雑することを以前の経験から予測していたので、 グリーン券を事前に購入しておいた。しかし、到着した列車を見てみると割と空いている。 グリーン車は尚の事空いていて、階下席などはほとんど客がいない状態が続いた。
 列車は赤羽を出ると、浦和、大宮、蓮田、久喜、古河、小山と、 わずかな停車駅に停まりつつ関東平野を快走する。 停車駅の数だけ見れば、関西の新快速よりも少ないかもしれない。 結局、あっという間に宇都宮に到着した。

宇都宮9:32発〜黒磯10:21着

 宇都宮からは211系の5連に乗り換える。 この列車が意外と混んでいた。車内には大きな折りたたみ自転車を抱えた若者が目立つ。 もうお盆を過ぎたし、夏休みの混雑も落ち着いてきているのではないかと思ったが、そうでもないようだ。
 車内はオールロングシートなので、たまたま空いていた最後尾の2人掛けのシートに座り、 宇都宮で購入した駅弁を食べた。購入したのは「日光強めし」である。 湯葉やかんぴょうなど、栃木の名物が豊富で、ご飯の量も多いのが特徴だ。
 宇都宮から黒磯まではそれほど遠くなく、駅弁を食べたりしているとあっという間に黒磯に到着してしまった。 ここでまたしても乗り換えである。


宇都宮駅弁の「日光強めし」。

黒磯10:33発〜郡山11:37着

 黒磯は直流区間と交流区間の分かれ目であり、普通列車で旅しようとするとこの駅で必ず乗換えが生じる。 陸橋を通り、北へ向かう列車が発車する4番線へと向かう。 この通路を通るたびに、北へ向かうんだなと実感がする。
 今度の列車は、E721系の4連であった。 実はE721系に乗るのはこれが初めてである。 座席配置はセミクロスシートで、115系などの国鉄型車両に酷似したものだ。 内装はFRPが主体で、JR東日本らしいなと感じる。
 黒磯を発車すると、長らく続いた関東平野がようやく尽きる。 東京から関東の外に向かう路線のうち、 関東平野外縁までの距離が最も長いのが東北本線でなかろうかと思う。 最初の高久駅などはホームに屋根すらなく、ようやく関東を抜けたんだなと実感する。
 栃木県最後の駅である豊原は、民家もほとんどないような山中にあった。 このあたりは無人の山中を進み、いかにも県境という雰囲気がある。 福島県最初の駅である白坂まで来るとようやく市街地に出る。
 新白河・白河と停車するうちに、車内の乗客はだんだん増えてきた。 矢吹では若者を中心にかなりの乗客が乗ってきて、通路に立つ客も出てきた。 郡山に着く頃には結構な混雑となっていた。4連とそれなりに長い編成なのに、ずいぶん混雑するものだ。


南東北の新型車両、E721系。丸みを帯びた前頭部が特徴的。

郡山11:44発〜会津若松12:56着

 今度の磐越西線の会津若松行きは、719系4連だった。 車内は意外と混んでいて、窓側の席は全て埋まっていた。 719系といえばクロスシートの配置が独特であり、進行方向向きのシートはあまり多くない。 そこで、進行方向を向いたクロスシートの通路側に座ることにした。
 先程の列車からの乗継客を乗せ、結構な盛況で郡山を発車する。 しばらく郡山の市街地を進んだ後、安子ヶ島から先はだんだん上り勾配が急になってくる。 周囲に山が迫ってきたところで、磐梯熱海に到着。 有名な温泉地のようで、駅周囲には温泉旅館が何軒もある。 温泉の従業員用だろうか、線路周辺には巨大な駐車場がある。
 磐梯熱海を出ると、いよいよ本格な山越えとなる。 次の駅は中山宿。かつてはスイッチバック駅だったというこの駅だが、 今はホーム一本の簡素な駅へと変わっている。 中山宿で交換が行えないのを補うためか、少し先に交換可能な信号所が存在する。
 トンネルで中山峠を越えると、猪苗代湖畔に出る。 臨時駅の猪苗代湖畔駅の手前に、一瞬猪苗代湖が見えるスポットがあるのだが、今回は見逃してしまった。 猪苗代湖畔の広い盆地をひた走ると、列車は猪苗代駅に到着する。 この駅は猪苗代観光の拠点であるようで、多くの乗客が下車した。 おかげで車内が大分空いたので、列車の最後尾のロングシートに席を移す。
 引き続き広い農地の中を進み、再び山の中へと突き進む。 このあたりで、磐梯山が車窓に見えてくる。しかし山の上の方はガスがかかっており、よく見えなかった。 磐梯町駅の前後は勾配を稼ぐためか、線路がうねうねと屈曲しており面白い形をしているのだが、 車窓を見る限りはカーブが多いなと感じるぐらいであった。
 やがて会津盆地に降りてきた所で、広田に着く。ここまでくると会津若松はもう少しである。 12時56分、時刻どおりに会津若松に到着した。 一旦改札外に出て駅弁を購入した後、只見線へと乗り換える。


磐越西線専属となった719系には、 会津名物の赤べこをモチーフにしたキャラクターのイラストが入る。

会津若松13:08発〜小出17:42着

 会津若松からはいよいよ只見線に乗る。 列車が発車する4番線に向かうと、別の列車が停車していた。 会津鉄道・野岩鉄道を経由して鬼怒川温泉に向かう快速「AIZUマウントエクスプレス」である。
 これが発車すると、ようやく小出行きが入線してきた。 停車した列車に乗り込むと、空気が生ぬるい。 只見線の列車は、一部を除き未だに非冷房なのだ。 盆地で気温の高い会津地方で非冷房車に当たると、なかなか辛いものがある。 なお、列車は2両編成で、先頭車はロングシートであった。
 ボックスシートが全て埋まる程度の乗客を乗せ、会津若松を発車する。 しばらく若松の市街を進み、七日町・西若松と停車する。 途中駅からは学生などが乗り込んできて、立ち客も出るほどの盛況となった。 閑散線区として名高い只見線だが、会津若松近辺はそれなりに混むようだ。 列車の本数が少ないことも影響しているだろう。
 西若松で会津鉄道と分岐し、会津本郷・会津高田と無人駅に停車する。 只見線には「会津」とつく駅が非常に多く、車内放送では「会津」の部分を省略して、 「次は本郷です」といった案内をしていた。 無人駅に停車するたびに、数人の学生がぱらぱらと下車していく。
 会津盆地の平坦な田園地帯をひた走り、やがて列車は会津坂下に着く。 この駅は只見線と中間駅でも利用者の多い駅で、かなりの乗客が乗り込んできた。 自分の座っていたボックス席には、二人連れの中年女性が座った。
 列車はだんだんと山中に分け入るようになり、会津柳津からは只見川が寄り添うようになる。 走るにつれ、只見川は深い渓流となり車窓のはるか下のほうに見えるようになる。 一方、山側も傾斜が険しく、雪崩よけのために雪覆いが所々に設置されている。 途中、只見川を右へ左へと何度か渡る。鉄橋のはるか下に只見川の清流が見えた。
 やがて、列車は会津宮下に停車する。 この駅ではしばらく停車するため、駅を出て駅舎を観察するなどする。 しかし駅の内外にはこれといったものはなく、やや時間を持て余してしまった。
 発車時間の2時55分となっても列車は発車しない。 車内放送が流れ、「対向列車の遅れのため5分ほど発車が遅れる」とのこと。 ところがすぐにまた放送が流れ、「やはり発車します」と訂正された。 行き違い駅が急遽変更されたのだろうか。
 会津宮下を出ると、それまで急流だった只見川の様相が一変する。 ダムでせき止められ、湖のような様相を呈するようになる。 ボックスシートは相変わらず混んでいるので、 先頭車のロングシートに一時的に席を移して会津若松駅で購入した駅弁を食べる。 先頭車は割と空いていて、鉄道ファンが右に左に移動しつつ車窓を眺めている。 列車が空いている場合、ロングシート車の方が車窓を見るのに案外適しているのかもしれない。
 購入した駅弁は「会津のおばあちゃん」という変わった名前である。 この駅弁、製造元が会津若松から撤退したことから一時消滅していたのだが、 数年の時を経て復活したようである。 煮物の中に魚を煮たものがあったのだが、これはやはり川魚なのだろうか。
 ダム湖の幅が狭まり、ようやく川の流れが見られるようになったと思うと、 また次のダムが現れる、という流れが続く。 そのような景色を眺めるうち、列車が一時停車した。 しばらくして動き始めると、会津川口駅に到着する。 この駅で小出方面からの列車と行き違う。向こうの列車にも鉄道ファンが結構乗っているらしく、 車両にカメラを向けたりしている。
 会津川口でしばらく停車した後、発車する。 この駅から先は一日の列車本数が3本という、日本屈指の閑散区間に入る。 また、途中駅のホームは1両分しかなく、後ろの車両のドアは開かない。 オーバーランを警戒してか、駅進入は非常にゆっくりしたものとなった。 車窓には引き続き只見川が、その幅を頻繁に変えつつ見える。
 このように非常に日常の利用が少ない区間ではあるが、 途中の駅に着くたび、一人か二人の乗客が下車していく。 同じボックス席に座っていた女性も、この区間の駅で下車していった。 このあたりにはおそらくバスもなく、只見線が唯一の交通手段なのだろう。 本数の少なさから廃止も議論されたことがある只見線だが、 こうやって、一日3本しかないような列車を利用している地元の人がいるという事実を見てしまうと、 安易に廃止を議論できないと感じてしまう。
 時折只見川に流れ込む支流、もしくは本流を渡りながら進み、 やがて列車は只見駅に到着する。 ここでもしばらく停車するので、駅の外に出てみた。一軒の商店と、タクシーの事務所がある (逆に言うと、商店の類はそれしかない)駅前風景は以前と変わりなかった。
 只見を発車すると、いよいよ福島・新潟の県境にある六十里峠越えに挑む。 只見を発車してしばらくすると、これまで見たダムに比べても巨大な只見ダムがある。 そのダム湖をちらりと眺めたところで、列車は長いトンネルに入った。 トンネルに入ると、冷たい空気が物凄い勢いで全開の窓から入ってくる。 会津若松を出た頃はあれほど暑かったのだが、そういえば途中からは暑さをあまり感じなくなった。 今は逆に冷気のせいで寒いぐらいである。仕方ないので、窓を閉めることにする。
 長いトンネルを抜けると、雪覆いの下にある田子倉駅に着く。 この駅は只見線でも一番の「秘境駅」で、周囲は人家などの一切無い山中である。 こんなところに駅を造ったのが不思議なぐらいのロケーションである。 駅の近くに無料の休憩所があったが、誰が利用するのだろうか。 (・・・と思ったが、紅葉シーズンなどには列車でここを訪れる観光客も結構いるらしい。)
 田子倉を出ると再び長いトンネルに入る。 トンネルを抜けると、細い渓流に沿って列車は延々と下る。 周囲は深い森で、それこそ紅葉シーズンにはいい眺めとなるに違いない。 渓流を下りきると、やがて列車は大白川に着く。 静かな町だが、駅舎は2階建ての立派なものだった。 ここでまた会津若松行き列車と行き違う。
 大白川まで来ればゴールは近い。 名産の魚沼産コシヒカリの水田地帯を進むにつれ、川の幅が広がっていく。 最後は幅の広い魚野川をカーブしながら渡り、小出駅に到着する。


只見線のキハ40は、今やJRではほとんど見かけなくなった非冷房車である。


会津若松駅に復活した「会津のおばあちゃん」。


只見川にはダムが非常に多く、たっぷりと水を蓄えたダム湖が続く。


途中、一両分しかホームのない駅もいくつか存在する。


列車が到着し、ひとときの賑わいを見せる只見駅。

小出17:51発〜長岡18:26着

 小出は新幹線停車駅の浦佐に近いが、浦佐に向かう列車との接続は悪く1時間以上待たねばならない。 それよりは一旦長岡に出て、長岡から新幹線に乗る方が(金はかかるが)早く東京に帰れる。 長岡行き列車との接続はよく、10分程で列車がやってきた。
 夕暮れの中、魚野川に沿って列車は長岡を目指す。 このあたりの上越線は、「ムーンライトえちご」で寝ながら通過したのみで、昼間に乗ったことはほとんどない。 そのため車窓は新鮮に感じる。
 途中、越後川口駅がある。飯山線との乗換駅で、一度下車したことがあるが、 中越地震の時ずいぶん被害を受けているのをニュース映像で見た。 今はもちろん復旧していて、以前来た時とほぼ変わらない様子であった。
 川幅の広い信濃川に沿って進み、宮内で信越本線と合流すると、 まもなく長岡に着く。駅に着く直前にトイレに入ると、 トイレ部分に設置されている方向幕の「対照表」(行き先表示とコマ番号を表にしたもの)が張られていた。 トイレに対照表が張ってあるのは初めて見た。

長岡18:37発〜大宮19:47着 Maxとき344号

 ラッシュを迎えている長岡駅の構内を抜け、新幹線乗り場へと向かう。 これから乗るのは長岡・大宮間で途中越後湯沢にしか停車しない速達タイプの列車である。 そのため混雑が予想され、自由席だと座れないかもしれない。 そこで、携帯電話で指定席が取れる「モバイルSuica特急券」を利用し、指定席を取っておいた。
 携帯電話をタッチして新幹線改札を通過し、ホームに上がる。 自由席の乗車位置には予想通り長蛇の列ができていた。 やってきたE1系Maxに乗り込むと、車内は団体ツアーの乗客で混んでいた。 長岡から1時間ちょっとで、大宮に到着する。 これまでの鈍行列車の旅に比べると、何ともあっけない。
 しかし、最後の最後ではまってしまった。 大宮駅は新幹線と在来線の連絡口はあるものの、新幹線単独の出入り口はない。 「モバイルSuica特急券」は、新幹線から在来線に乗り換える際、 初乗り運賃がSFチャージされていないと改札を通れない仕様となっている。 しかし、その時SFチャージはほぼ0であり、改札で引っかかってしまったのだ。 乗り継ぐ予定の埼京線列車の発車時刻が迫ってきて大いに焦ったが、 見かねた駅員さんがチャージなしでも通してくれた。 この辺のノウハウを、Webページに載せないといけないなと思ったのだった。

2009/8/26〜29

 8月の終わり、4日ほど北海道に旅行に出かけた。 今回は鉄道旅行はなく、千歳までの往復は飛行機、道内の移動はレンタカーであったため、 旅行記は特に書かない。 ただ、新千歳空港から札幌までの移動は快速エアポートに乗ったし、 折角北海道に行ったのだからと札幌駅や日高本線の駅に立ち寄ったりはした。 その記録を簡単に書こうと思う。

新千歳空港〜札幌

 夕方の便で千歳に着いた後、快速「エアポート」に乗って札幌に向かう。 前回は使えなかったSuicaが使用できるようになっている点が目新しい。
 列車に乗り込むと、車内は結構混んでいた。 指定席であるuシートも満席であるようだった。 千歳で勤め帰りの人を乗せ、列車は札幌へと快走する。 乗っているのは転換クロスシート装備の721系なのだが、 既存の車両にあった客室とデッキを仕切る壁がなくなっており、 731系のような出入り口形状となっている。こんな車両があるとは知らなかった。 途中駅で少しずつ乗客を降ろし、札幌着。

 翌朝、早起きして札幌駅に向かい、入場券を買って構内に入る。 列車には乗れないが、せめて車両を観察しようと思う。
まずやってきたのは711系。国鉄時代に投入された北海道の電車のパイオニアだが、 相当ガタがきているのが見た目にも分かる。 次に見たのは学園都市線のキハ141。客車を気動車に改造したという珍車だが、 学園都市線の電化が先日発表され、この車両も失業の危機に瀕することになった。 次に札幌に来る時、これらの車両は生き残っているだろうか。
 その他初めて見るのは、「スーパーとかち」のキハ261や、 「スーパーカムイ」に列車名称が変わった(その割に車体のロゴは"SWA"のまま) 785系などであった。


快速「エアポート」の721系。


3ドア化改造を受けた711系。


学園都市線専属のキハ141。

日高本線

 その後はクルマで道内を旅した。鉄道ファンがこんなことを言うと他のファンに叱られそうだが、 北海道に限っては旅行するならクルマの方が圧倒的に便利である。 洞爺湖、支笏湖、登別、屈斜路湖、阿寒湖、知床、摩周湖・・・。北海道の観光地は、 どれも駅から遠く、バスかタクシーを使わないと行くことができない。 富良野や美瑛の景勝地もクルマでないと行けないし、今はやりの旭山動物園も駅からは遠い。 札幌、小樽、函館といった都市部を巡るならクルマなしでもよいが、 そうでないとクルマがないと極めて不便であることは否定できない。
 また、こんなことを言うとまた叱られそうだが、北海道の列車は本数が少なく、 気の向くままに途中下車なんてことは難しい。また、車窓は原野や森林が多く、 最初はよいがしばらくすると飽きてしまう人も多いだろう。
 その点、クルマで自ら運転して移動した方が飽きがこないし、北海道の広さを実感できる。 何より、気が向いたらいつでもクルマを停めて好きな所に立ち寄ることができる。 北海道は、何気ない道路の途中から絶景が見られるなんてことが多い。 また、本州と違って渋滞がほとんどないのもよい。

 話が長くなったが、そんな理由でクルマの旅をしていても、 やはり駅や線路が目に入ると気になるのが鉄道ファンの性である。 クルマで日高の方を旅していたのだが、国道に並行して日高本線の線路が伸びているのが見える。 所々駅も見えるので、気になる駅に立ち寄ってみることにした。
 まず寄ったのが清畠駅である。小さいけれどそこそこ立派な造りの待合室がある。 ホームが一本あるだけの駅で、線路から10m先はもう太平洋。 周囲には10軒ほどの小集落があるだけである。しかし国道からすぐの所にあるのでクルマでのアクセスは良く、 利用者は案外多いのではないかと思う。
 次に寄ったのが大狩部駅。この駅、国道から直接アクセスできる道がなく、 どうやって駅に行くのだろうと思ったが、国道をくぐる小さなトンネルを通ることで駅に行ける。 この駅は清畠よりももっと海に近く、ホームに立っていると波しぶきが顔に当たるほどだ。 海への距離が日本一短い駅といっていいだろう。 冬場海が荒れたら列車が運転できなくなるのではないかと思う。 待合室はブロック造りの小さなもので、周囲の家々は5軒以下。
 駅を観察していると、運良く苫小牧行きの列車がやってきたのですかさず撮影する。 大狩部を出た列車は、崖っぷちに引かれた線路の上をおそるおそるといった感じで走り去っていった。


10mほど後ろに海が広がる清畠駅。


大狩部駅は、線路の向こうがすぐ海である。


大狩部駅を発車した列車は、海沿いぎりぎりの線路を進む。