最終更新日:2021/1/11

東北新幹線と青森の私鉄―E2系「はやて」で青森の3私鉄を一気に巡る

 2010年12月4日、東北新幹線が新青森まで全通した。 国鉄の民営化や沿線自治体の反対など、紆余曲折を乗り越えての開通であった。 JR全線完乗者を標榜している私としては、当然乗りに行かねばならない。
 そこで、正月休みが終わりかけつつある1月5日に出かけるプランを立てたが、 そんな私にうってつけのきっぷを発見した。そのきっぷは「ふるさと行きの乗車券」といい、 いわゆる「高速1000円」に対抗して数年前から年末年始に発売されているものである。 以前は都内と目的地との間の単なる往復乗車券だったはずだが、 今年は青森県内のJR線などが乗り放題というおまけまでついて、11400円である(特急料金は含まず)。 東京〜新青森間の往復乗車券を普通に買うだけでも17760円だから、格段に安い。
 さらに、単に往復するだけではつまらないということで青森県内の私鉄にも乗車することにした。 心配なのは天候の乱れによるダイヤの乱れだが、幸いこの日は好天で予定通りに旅を進めることができた。

目次

2011/1/5

東京6:28発〜新青森10:01着 はやて11号

 朝6時前、まだ夜も開けきらぬ東京駅へとやってきた。 東北・上越新幹線乗り場は早くも忙しく、長野・仙台・新潟・新庄といった各方面への列車が次々に発車していく。 そんな中、発車10分前に新青森行きの始発「はやて」が滑り込んできた。 他の列車に比べて目的地はかなり遠いなと感じる。
 東京をがらがらの状態で発車し、上野を出たところで高架を走る。 この日は天気が良く、富士山や秩父の山々がくっきりと見える。 大宮を発車してしばらくすると、赤城山や男体山も見えてきた。 青森も晴れてくれると助かるのだが。
 仙台で半数の乗客を入れ替え、北上川沿いを北上する。 古川を過ぎて岩手県に入ったところで車窓に雪が見えるようになった。 特に盛岡のあたりはなかなかの積雪だった。車内放送では「山田線は積雪のため運休しております」との案内が入る。
 「はやて」は通常、盛岡で「こまち」との増解結を行うためにしばらく停車するのだが、 この列車は「こまち」を連結していないのですぐに発車してしまう。 盛岡の車両センターを過ぎると、高架線の壁が新しくなる。ここからは2002年に開業した区間だ。 雪深いいわて沼宮内を過ぎると、長いトンネルで一気に青森県へと入る。 やがて二戸に到着する。北に来たはずなのだが、盛岡に比べて積雪は少ないようだ。
 続いて八戸に停車し、いよいよ新規開業区間へと入る。緊張の瞬間だ。 列車は八戸市街に別れを告げるように左に大きくカーブすると、 長いトンネルに入る。新規開業区間はトンネルの割合が非常に大きく、 トンネルの合間に無人の雪原が見えるという状況が続く。
 やがて七戸十和田に停車し、青森市へ向かう客を少しだけ拾って進む。 七戸を出るとすぐに、八甲田トンネルへと入る。さすがに青函トンネルにはかなわないものの、 陸上トンネルとしては日本最長のトンネルだ。 トンネルの連続する区間を10分ほど走ると、青森の市街が見えてきた。 北海道の方向を目指すべく右(北)へと大きくカーブした後、終点の新青森駅に滑り込んだ。 新青森は今は終点だが、近い将来北海道新幹線の開業により中間駅となるはずである。 そのことを示すかのように、4線のうち中央の2線にはホームドアが設置されていた。
 これで、今日最大の懸案だった東北新幹線の乗りつぶしを無事終えることができた。 2015年度には津軽海峡を越えて新函館まで延び、東京から新幹線一本で北海道に上陸できるようになる。 今から楽しみである。


まだ夜も明けぬ中、東京駅で発車を待つ「はやて」。右側はやまびこ号。


E2系の行先表示についに「新青森」の文字が。


東京から3時間半かけてついに新青森に到着。

 

新青森10:11発〜大鰐温泉10:55着 つがる4号

 新青森駅は3階が新幹線、1階が在来線となっており、ほとんどの客は続々と在来線乗り場へ向かっていく。 10分ほどの待ち合わせで青森経由函館行き「スーパー白鳥」と、秋田行き「つがる」に接続する。 見た感じだと、大半の客が「スーパー白鳥」に乗り継ぐようで、「つがる」を待つ客は少ない。 ホームに降り立つと思ったほど寒くはないが、パウダースノーがホームの上を流れている。
 485系4連の「つがる」に乗り、新青森を発車する。この区間に昼間乗るのは実は10数年ぶりで、 車窓もほとんど覚えていなかったのだが、 列車は細い渓流に沿ってカーブを繰り返しながら峠を目指していく。 青森と弘前の間にこんな峠があるとは思わなかった。
 その間に車内改札があり、自由席特急券を買おうとしたのだが (本来は乗継割引になるよう、新幹線と同時購入すべきだったが、忘れていた)、 車掌さんに「ふるさと行きの乗車券」を見せても、 「これ、特急券要るんでしたっけ」といった具合で、現場にはあまり浸透していないようだった。
 長いトンネルを抜けて津軽平野に入ると、程なく弘前に着く。 弘前を出ると、再び川沿いを進んでいく。やや周囲の山が狭まってきた所で大鰐温泉に到着。 ここで下車する。


新青森の駅前。開発はまだまだこれからの様子。


4連に短縮され「つがる」として走る485系と警備員。


深い雪が残る大鰐温泉駅に到着。

 

大鰐11:30発〜中央弘前11:58着 弘南鉄道

 今日は折角青森まで来たので、青森県内のローカル私鉄三線を乗りつぶして帰ろうと思う。 全路線を乗りつぶしてその日のうちに東京に帰るのはかなりの難題だったが、 さんざん悩んで何とか案が見つかった。途中2回もタクシーを利用するという邪道な案である。
 大鰐からは弘南鉄道に乗り換えるが、30分ちょっと時間がある。 ちょっと駅前を散策してみようかと思ったが、歩道にはうずたかく雪が積もっていて、 普通の靴で歩くのは大変そうだ。結局ほとんど何もしないまま弘南鉄道に乗る。 弘南鉄道の大鰐駅はJRの駅舎の脇にあるが、跨線橋はJRと共有しており、 実質は同じ構内にある。
 弘南鉄道には弘南線と大鰐線の2路線がある。これから乗る大鰐線はJRと競合しており、 なかなか経営は大変そうだ。沿線に学校が多いため、その通学客が経営を支えているのだろうか。 車両はどちらも東急の7000系だが、内装はほとんど改修されておらずかなりボロボロである。
 発車の直前になって、若い女性のアテンダントが乗り込んできた。 後で知ったのだが、弘南鉄道ではえちぜん鉄道を参考にする形で、 アテンダントを乗務させるようにしたらしい。 ただ、えちぜん鉄道と違って切符を売るわけでもなく、乗客に声を掛けるわけでもなく、 手持ち無沙汰にしている時間帯が多く、いまひとつ役割が分からなかった。
 大鰐を出ると、先程奥羽本線から見た川の対岸を進む。山が迫っていて、川っぷちを走る箇所もあった。 ここを過ぎると、あとは津軽平野を淡々と進んでいく。周囲にはリンゴ畑や雪をかぶった田んぼが目立つ。 しばらくすると、高架橋で奥羽本線を跨ぐ。実はこの高架橋を先程JR側から見たのだが、 廃線跡かと間違うようなボロボロな橋であった。
 やがて、列車は津軽大沢に着く。ここは大鰐線の車庫がある駅だが、 側線には元東急の6000系が留置されている。今でも現役の車両は全国でもここにしかないというが、 屋根には雪が積もっており、運用された形跡はない。
 津軽大沢を出て、少しずつ乗客を乗り降りさせながら淡々と進んでいく。 途中には学校の名前が着く駅が多く、冬休みながら学生の姿をちらほら見かけた。 やがて、終点の中央弘前に到着。最終的にはそこそこの乗客を乗せての到着だ。


JRの駅舎に比べて小ぶりな弘南鉄道の大鰐駅。


JRの方は「大鰐温泉駅」だが、弘南鉄道は「大鰐駅」。


雪国らしく、雪かきを後付された元東急7000系。


横には青い帯を巻いた同型車が停まっていた。


裏通りにひっそりと佇む中央弘前駅。

 

弘前12:30発〜黒石12:58着 弘南鉄道

 中央弘前駅は地方私鉄らしい古びた駅だ。駅前には広場もビルもなく、 どこかの田舎駅で降り立ったかのようだ。駅前にはタクシーが止まっていたが、 ぼやぼやしているうちにどこかに行ってしまったので、弘前駅まで歩くことにする。 30分ほど時間があるし、幸い雪も降っていない。 歩道は除雪が行き届いているのに、歩くのに支障はない。
 弘前の町を歩くのは初めてだったが、道路沿いに商店が立ち並んでいたり大きなショッピングセンターがあるなど、 思った以上に都会であった。早足で歩いたので、15分ほどで弘前駅に到着した。 弘前駅も立派な橋上駅舎になっていて、青森駅よりも近代的だ。
 その弘前駅の一角から、弘南鉄道のもう一つの路線である弘南線が出ている。 自動券売機とLED式の行き先案内板を備えた近代的な改札口を通ると、 またしても元東急7000系車両が発車を待っていた。車内はロングシートがほとんど埋まり、 最後は立つ人も少し出る状態で弘前を発車する。
 列車は大鰐線と同じく、リンゴ畑の中を進んでいく。 館田という駅で列車交換をした。弘南鉄道の無人駅はホームしかない駅が多いが、 この駅は古びた駅舎が健在だった。 さらにしばらく進むと平賀という駅に着くが、この駅には地方鉄道らしからぬ立派な駅ビルが建っていて、 ホームはビルの1階に位置している。途中駅としては唯一の有人駅で、下車する客も多い。
 その後ものんびりとした車窓が続くが、乗っている私はのんびりとしていられなくなってきた。 列車はワンマン運転なので運転士が運賃の収受を行うのだが、 この時間にしては乗客が多いせいか列車は遅れ気味だった。 この先は時間に余裕がないのでやや焦る。結局、黒石に到着した時点で5分近く遅延していた。まずい。


中央弘前駅とは対照的に真新しい弘前駅。


大鰐線と全く同じ仕様と思われる、弘南線の車両。

 

川部13:26発〜五所川原13:55着

 黒石は弘前よりも奥羽本線の川部駅に近い場所にある。 これから五能線に乗って五所川原に行きたいので、弘前に戻るよりも直接川部に出たほうが時間が節約できる。 黒石から川部まではバスもあるが本数が少なく、やむなくタクシーに乗ることにした。
 乗車したタクシーは結構運転がとろくさく(スピードを出しすぎるとスリップの危険があるからかもしれない)、 気を揉んだが、15分あまりで川部に到着。何とか五能線の列車に間に合った。 なお、黒石と川部の間にはかつて国鉄の黒石線というのが走っていて、 弘南鉄道に移行後1998年に廃止となった。 何か痕跡が見えるかと思ったが、タクシーの車窓からは廃線跡などは全く確認できなかった。
 五能線の列車はこの時間にしては長い4両編成だった。 またしてもリンゴ畑の間を進み、30分ほどで五所川原に到着する。


国鉄時代の雰囲気が色濃く残る川部駅。


実は初めて乗車する五能線のキハ40。

 

津軽五所川原14:10発〜津軽中里14:57着 津軽鉄道

 五所川原は津軽鉄道の始発駅である。 津軽鉄道は本州では最北の私鉄で、JRや公営鉄道を除く純粋な私鉄の中では日本最北端に位置する。 また、近年は車内にダルマストーブを備えた旧型客車を「ストーブ列車」と称して冬場に走らせており、 テレビに取り上げられたりして有名になっている。
 今日のプランを組む際はストーブ列車のことは特に意識しなかったが、 たまたまそのストーブ列車に乗車できることになった。 折角の機会なので話のタネに乗車しておこうと思う。
 津軽鉄道の駅舎は、弘南鉄道の大鰐駅と同じくJRの駅舎の脇にある。 古びた窓口で乗車券とストーブ列車券を買う。どちらも硬券で出てきた。 ストーブ列車は以前は無料だったらしいのだが、何年か前から300円を徴収するようになった。 代わりに普段の列車に使われる気動車を連結するようにし、こちらには乗車券だけで乗れる。 ストーブ列車に乗車するのは観光客ばかりなので、まあ妥当な所だろう。
 津軽鉄道の乗り場に向かうと、既に列車が入線していた。 前から順に機関車、客車2両、気動車の順だ。機関車と客車は相当年季が入っており、 後ろの気動車は明らかに浮いている。また、客車のうち1両は開放されていないようだ。
 客車に乗り込むと、乗客は10人ちょっとしかおらず、空いているボックスも多数あった。 適当なボックスに座ると、程なく列車は発車した。 発車してすぐに、車内販売が回ってくる。ダルマストーブでスルメを焼き、 日本酒で一杯というのがこのストーブ列車の定番なのだが、 一人で日本酒というのもどうかと思い、リンゴを餡に使ったどら焼きをおやつとして買うのにとどめた。
 この津軽鉄道にも、弘南鉄道と同じく女性のアテンダントが乗務している。 この列車にも、中年の女性が乗務していた。この女性が、いかにも話好きなおばちゃんという感じで、 一つのボックスごとに随分長く立ち止まって会話をしていた。 観光列車なのだから、無愛想な人よりはこういう人の方がふさわしいのだろう。 漏れ聞こえた会話を聞くと、前の席の夫婦は名古屋から18きっぷで、 横の席の夫婦はニューヨークからそれぞれやってきたらしい。
 しばらくして、アテンダントさんが私のところに回ってきた。で、開口一番「乗り鉄の方ですか?」。 まあ間違っていないので、東京から日帰りでやってきたこと、 既に弘南鉄道を乗りつぶしたことなどを話すと、半ば呆れつつも驚かれた。
 アテンダントさんはお客さんと会話をしつつ、観光案内もこなしていく。 金木駅付近で見える太宰治の生家「斜陽館」や、 芦野公園駅の桜(地元では有名な花見スポットらしい)といった型どおりの案内だけでなく、 「この駅は歌手の吉幾三さんの出身地で・・・」というのもあった。 本人は「オラこんな村嫌だ」と出て行ってしまったが、今でも息子さんが住んでいるとのこと。
 その間に、車内を観察する。 ストーブ列車の目玉は当然ダルマストーブなのだが、燃料の石炭はすぐに切れてしまうらしく、 車掌さんが何度か継ぎ足しにやってくる。 車内は床や壁が全て板張りで、小野田線で乗ったクモハ42を思い出す。 またドアも手動で、極端な話走行中に開ける事も可能だ。(発車時に職員の人が閉めて回っていたので、 実際に空きっぱなしで走行することはない。) 今や旧型客車は貴重な存在で、これに乗れるだけでも価値がある。
 金木では斜陽館などに向かう観光客が降り、車内は閑散としてきた。 再びアテンダントさんと会話をする。話した内容を箇条書きすると以下の通りである。

 そんな話をしているうちに、終点の津軽中里に到着した。 五所川原で購入した硬券を記念にもらい、外に出る。


「ストーブ列車」をアピールする津軽五所川原駅。


ストーブ列車を牽引するディーゼル機関車。見た目はDD51に似ている。


今や貴重な旧型客車。塗色はぶどう色から鮮やかなツートンカラーに変わっている。


これが名物のダルマストーブ。木張りの床も目を引く。


座席回りもモケット以外は古めかしい雰囲気。


独特の香りがするニス塗りの床。


終点の津軽中里にて、年季の入った車体を撮影。

 

津軽中里15:16発〜津軽五所川原16:02着 津軽鉄道

 津軽中里の駅前は普通の住宅街で、あまり見るものはない。 寒いし、外を出歩く気もしないので駅のベンチで発車時刻を待つ。
 改札を入ると、既に機回しが完了していて、 機関車の後位に気動車、続いて客車が連結される形となっていた。 折り返しの列車で五所川原に戻る。今度は、料金不要の一般型車両に乗ることにする。 ごく普通の軽快気動車だが、やはり新しいだけあって乗り心地はよく、車内ではうとうとしそうになった。 行きにあまり見られなかった車窓を眺めるが、家と畑、雑木林が続くばかりであまり見るべきものはなかった。
 ふと前方を見てみると、機関車と気動車の両方に運転士が乗っている。 しかし、気動車の運転士はドアや車内放送を扱うだけのようで、運転操作はしていない。 しかし床下から機関の唸る音がしており、無動力で牽引されているという訳ではなさそうだ。 あの古い機関車と、比較的新しい気動車の組み合わせであるが、総括運転が可能らしい。
 途中で少しづつ客を拾って、終点の津軽中里に到着。 ここからは再びJRに乗り換えて、新青森へ戻る。


津軽中里駅はスーパーが併設しており、立派な駅舎になっている。


一般列車に使用される気動車。「走れメロス」の看板がついている。


一瞬廃屋のようにも見えた大沢内駅。

 

五所川原16:12発〜川部16:48着

川部16:50発〜新青森17:23着

 五所川原駅のホームで列車の到着を待つ。夕暮れ時とあって冷え込みが厳しくなってきており、寒い。 ようやくやってきた列車は2両編成で、そこそこ混雑していた。 今日は1月5日とあって、車内には帰省帰りの人が多くみられた。
 川部では絶妙な接続で青森行きの普通列車に接続する。 この普通列車は新青森開業に伴って増発された列車で、 この列車なしでは今日のプランはありえなかった。 乗車した列車は701系4連なのだが、首都圏の209系などと同じく床下機器が更新されていて、 走行音が以前とは変わっていた。夕暮れの中を走り、新青森へ。

 

新青森17:33発〜七戸十和田17:48着 はやて38号

 新青森で再び新作駅弁を買い求め、はやて号に飛び乗る。 今度は七戸十和田までの特定特急券を利用するので、空いている席に適当に座る。 正月明けとあって、ホームには故郷から東京もしくは仙台あたりへ戻る家族を見送る人が何人もいる。 車両が客車から電車、新幹線へと変化しても変わらぬ光景である。
 新青森から七戸十和田まで、わずか15分の間に猛然と駅弁を平らげて下車する。 この七戸十和田駅は、青森県内のもう一つ私鉄である十和田観光鉄道の終点・十和田市駅に程近く、 バスで30分ほどの距離である。だが、運の悪いことにちょうど良いバスがなく、 この日のうちに十和田観光電鉄に乗り、かつ東京に帰るには十和田市までタクシーを利用するしかない。
 しばらく駅を眺めた後、タクシーで十和田市に向かう。 タクシーは無人地帯をしばらく走る。こんな所を走っていて本当に今日中に東京に戻れるのだろうかと不安になってきた頃、 車はようやく十和田市内に入る。思ったより賑やかな所だ。 車の多い市内を抜け、20分強で駅に到着。かなりの出費を覚悟していたが、 何とか3600円ほどに収まった。


まだ夕方だが全く人気のない七戸十和田駅。


駅構内には、廃止になった南部縦貫鉄道の車両のオブジェが置かれている。

 

十和田市19:00発〜三沢19:26着 十和田観光電鉄

 十和田市駅は立派な駅ビルを備えた、地方私鉄の終着駅とは思えない近代的な駅だ。 だが、駅ビルに入居していたスーパーはしばらく前に撤退してしまったらしく、 ビルの中はわずかな売店などが残るのみで閑散としていた。
 そんなビルの中で30分近く時間をつぶした後、ようやく列車に乗り込む。 今度も車両は元東急7000系だったが、弘南鉄道の車両に比べ内装は新しく、 下回りもVVVFインバータに換装されていた。
 5名ほどの乗客を乗せて、十和田市を発車。 当然ながら車窓は良く見えないが、最初のうちは十和田市の市街地を、後半は畑の間を進んでいたようだ。 途中駅はほとんどがホームのみしかないシンプルなもので、古い駅舎も残っていないようだった。
 やがて前方に三沢駅の明かりが見えてくると、列車は急に速度を下げた。 最後はおよそ15km/hで延々2分ぐらい走り、ようやく三沢駅に到着した。 十和田観光電鉄の三沢駅は十和田市駅とは対照的に、時代がかった古い駅舎が健在だ。 駅の蕎麦店もいい味を出している。


昭和の頃から変わっていなさそうな十和田市駅の駅名標。


終点の三沢に到着した十和田観光電鉄の列車。


まるで映画のセットのような十和田観光鉄道の三沢駅舎。

 

三沢19:35発〜八戸19:55着 青い森鉄道

八戸20:01発〜東京23:08着 はやて42号

 十和田観光電鉄の駅を出て少し歩くと、真新しい青い森鉄道の三沢駅にたどり着く。 つい先月、JRから青い森鉄道に転換されたばかりで、 構内には「スーパー白鳥」や「つがる」などの乗車案内も残っていた。 しかし、この駅に特急列車が停車することはおそらく二度とないであろう。
 冷え込みの厳しいホームで少し待ち、八戸行きの普通列車に乗る。 701系の2連で、こちらもインバーターが改修されていた。 列車はまっすぐな線路を常時110km/hで疾走する。 特急列車だとあまりスピード感を感じないが、701系だと揺れと騒音がすごく、迫力がある。 列車は定刻どおり八戸に到着。無事に東京への最終「はやて」に間に合い、ほっとした。 売れ残っていた駅弁を買って列車に乗り込む。
 列車は順調に南下し、時刻どおり東京駅に到着。 最初に東京駅を出発してから実に16時間半あまりが経過していた。 今回の旅もなかなかハードであった。

 かくして東北新幹線の延伸区間を無事走破し、JR完乗のタイトルを奪還した。 次は九州新幹線の延伸がこの春に迫っているが、こちらは乗りに行けるだろうか。
 一方、私鉄の方も青森県の全路線を乗りつぶした。 この直後の1月9日には大阪の水間鉄道にも乗り、 青森から大阪までの間の私鉄は(上野公園のモノレールを除き)すべて乗りつぶしたことになる。


三沢駅はJRから青い森鉄道に移管され、駅名標も変わった。


もう来ることのない「白鳥」「つがる」の乗車案内。

 

JR線乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
東北新幹線八戸〜新青森81.8
合計81.8

私鉄乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

会社名路線名乗車区間キロ数
弘南鉄道弘南線弘前〜黒石16.8
大鰐線大鰐〜中央弘前13.9
津軽鉄道津軽鉄道線津軽五所川原〜津軽中里20.7
十和田観光電鉄十和田観光電鉄線三沢〜十和田市14.7
合計71.6