2007/7/6
新宿22:50発〜福井バスターミナル6:30着 京福バス
金曜の深夜、新宿新南口のバスターミナルは人でごった返している。この時間帯は夜行高速バスの出発ラッシュだ。
金沢、和歌山、神戸。様々な都市へとバスがひっきりなしに出発していく。
が、肝心の福井行きは出発時間になっても現れない。
このバスは東京駅八重洲口を出て新宿に立ち寄り、福井へ向かうのだが、都内の渋滞に巻き込まれ遅れているようだ。
結局、15分ほど遅れて発車。バスターミナルを出て高島屋の前を通り、明治通りに出る。
明治通りは地下鉄工事の影響か混んでいる。きっとここの渋滞に引っかかって
遅れていたのだろう。10分ぐらいかかって渋滞を抜け、甲州街道、山手通りを通って池尻に向かう。
山手通りは首都高の工事がたけなわで、現場を照らすライトがまぶしい。
池尻から首都高に入り、東名へ抜けるとあとはひたすら走るのみだ。ここで眠ってしまった。
目が覚めると、夜が明けていた。まもなく敦賀バス停に着くようだ。
東京を出たときの遅れはすっかり取り戻し、5分ほど早く到着したようだ。その後、武生、鯖江などに停車しながら福井へ向かう。
結局、福井のバスターミナルに着いたのは6時28分頃だった。
6時34分の越美北線に乗りたいのだが、バスターミナルは駅からやや離れているのでかなり苦しい。とりあえず
駅への道を小走りに走る。駅に着いたらもう発車3分前で、あわてて切符を買いホームへ向かう。
越美北線の乗り場はホームの外れにあるのでまたダッシュし、何とか間に合った。
2007/7/7
福井6:34発〜美山7:06着 723D キハ120(1)
越前大野行きの列車はキハ120の単行だった。ちなみにこの次の列車は9時台までない。
さすがにそんな時間まで待てないので、もしこの列車に乗れなかったら
路線バスで美山に向かおうと思っていたが、何とか間に合ってほっとした。
福井を出発し、北陸本線を一駅だけ走って越前花堂へ。相変わらずすぐ脇に産廃処分場などがあって場末な感じがする駅だ。
越前花堂を出発すると、急カーブで北陸本線と別れ、水田の中を進む。
六条、足羽を過ぎ、以前代替バスに乗り換えた越前東郷に着く。
交換用の線路を1本取り除いた構造の駅を見て、2年前にやってきた当時のことを思い出した。
「おつくねの町」という謎の看板も健在だった。
越前東郷からはいよいよ未乗区間となる。まずは今までと同じく田んぼの間を進む。
途中、代替バスで通った道が見えた。次の一乗谷は、ホーム一面の簡素な駅であるが、
2名の乗客が下車していった。一乗谷といえば戦国時代に朝倉氏が居を構えた場所で、
今では信じられないほど栄えていたのだそうだ。途中には、「朝倉踏切」という看板が立った踏み切りも見えた。
一乗谷を出ると、次第に周囲が山深くなる。列車は大きくカーブして真新しい鉄橋で足羽川を渡る。
災害で落橋した「第一足羽川橋梁」だ。その後しばらく川からやや離れた場所を走り、
「第二足羽川橋梁」に差し掛かる。この橋は無事だったようだ。
川には1m近い巨岩が転がっている。川の土手を修復する工事も行われている。
少し走ると、「第三足羽川橋梁」となる。これも水害で流された橋だ。
越前高田駅を過ぎ、田んぼの間を走ると、これまた落橋した「第四足羽川橋梁」を通過し、市波に着く。
市波を過ぎると、「第五足羽川橋梁」。これも水害で流された。
第一、第四、第五、第七橋梁は、トラス橋といって三角形を組み合わせた形の橋になっている。
災害前はトラスのない普通の桁橋だったようだ。
水害に強いように橋桁の数を減らしたと聞いたことがあるので、その影響だろう。
それにしても、短い区間で何度も川を渡っている。
この区間が開通したのは1960年と比較的新しいので
(戦前の技術だと橋を架けるのは非常に大変なので、線形を犠牲にしてでも橋を極力避ける)、
橋が多用されているのだろうが、それが仇となった形だ。
水害でも無事だった「第六足羽川橋梁」を過ぎ、小和清水へ。
この駅、「こわしょうず」とちゃんと読むのは結構難しいが、何度も通過するうちに覚えてしまった。
駅を過ぎると、災害で流された「第七足羽川橋梁」を渡る。
こうやって見ると、川を直角に渡っている橋はことごとく流されており、斜めに渡る橋は無事なことが多い。
よくわからないが、斜めに渡るほうが水の勢いを受けにくいのかもしれない。
そんな風に橋をつぶさに観察していると、美山に着いた。美山から先は以前鉄道線に乗車したので、
これで正真正銘の「完乗」である。
ひとまず下車し、外に出てみる。コンビニが併設されたログハウス風の駅舎は以前と変わりなかった。
帰りの切符を買おうかと思ったが、駅舎に駅員はいない。どうやら無人駅のようだ。
七夕ということで駅には笹飾りがしてある。
が、一分もすると折り返しの福井行きがやってきた。完乗の感慨に浸る間もなく慌しく折り返す。
真新しい鉄橋で足羽川を何度も渡る。
3年ぶりに美山駅での交換風景が見られるようになった。
美山7:09発〜福井7:43着 722D キハ120(2)
福井行きの列車は、中高生で混みあっていた。
彼らも不便な代替バスから解放され、さぞや通学が楽になったことだろう。
もっとも、不通になってから3年もたっているし、その間に中学にせよ高校にせよ代替わりしてしまっているはずだから、
バスなしでの通学自体が初体験という生徒も多いだろう。
福井に戻ると、一時間以上時間がある。この先の切符を買った後は、福井城の石垣に登ってみたり、
市内を走る福井電鉄の様子を眺めたりしていた。
旧塗装の大型車両が走っていたりもしたので、それを撮影するなどして時間をつぶした。
前回乗れなかった福井鉄道の大型車。路面を走っているとかなり違和感がある。
福井9:37発〜富山10:25着 4001M 681(3)+683(6) サンダーバード1号
越美北線に無事乗車し、今日の目的はほぼ達したと言ってよいが、
このまままっすぐ帰るのも何なので、高山本線を経由して東京に戻ることにする。
そのためにはまずは富山へ向かわねばならない。大阪始発のサンダーバードに乗車する。
この列車は京都を出ると福井、金沢、高岡にしか停車しない「速達便」だ。
とりあえず3両目の自由席に乗り込む。が、車内放送で気づいたが前3両は金沢で切り離されるという。
和倉温泉行きと富山行きが金沢で切り離されるのは知っていたが、
こういう分割パターンもあるとは知らなかった。とりあえずは今いる席に座っていく。
北陸本線にはこの春18きっぷで乗車したばかりだが、最速達便だけあって実に早い。
普通列車で何度も特急待避をしながら進むのとは雲泥の差だ。
松任を通過したあたりで、切り離し作業のため基本編成と付属編成の間の貫通路を閉鎖するという放送が入る。
金沢から先の席を確保するため、ここで基本編成の自由席に移っておく。
前3両は681系だったが今度の車両は683系で、内装がまだ新しい。
移った時点では窓側の席は空いていなかったが、金沢では予想通りかなりの下車があり窓側が空いた。
が、金沢から先はついうとうとしまい、窓側であろうが何であろうが余り関係なかった。
目を覚ますと列車は富山駅構内に差し掛かっていた。
車内で食べた福井駅弁「ままごっつぉ」。ごろごろと野菜が入っており食べ応えがある。
富山10:29発〜猪谷11:15着 856D キハ120(1)
富山駅の高山線乗り場はホームの外れのほうにあり、えらく歩かされた。
あまりに遠いので間に合わないかと思ったほどだ。
今度の列車もキハ120だ。この列車でJR西日本と東海の境界地点である猪谷に向かう。
サンダーバードからの乗り換え客を含め10人ほどの客を乗せ、
富山を発車する。単線の橋梁で神通川を渡ると、北陸本線と分かれる。
最初の停車駅は西富山。富山市の郊外といった感じのところだ。
この駅は交換可能駅だが、有効長がとても長い。プラットホームも8両分ぐらいはあるだろうか。
高山本線は、中京地方と富山を短絡しており北陸本線経由より
距離が短い。そのため、北陸トンネル開通や複線電化により北陸本線が改良される前は直通需要が多く、
以前は高山本線経由の夜行列車すら走っていたという。
だが、次第に北陸本線に輸送の主役を奪われ、
豪雨災害による一時的な現象ではあるがこの西富山には1両か2両編成の普通列車しか走らなくなってしまった。
使われなくなった長いホームからはそんな無常感が感じられた。
田んぼの間のまっすぐな線路を快走し、次の停車駅である速星に着く。
この駅の横には化学工場が併設されており、工場の構内には引込み線が延びていて、タンク車が何台も連なって停車している。
いかにも亜幹線らしい光景だ。しばらく田んぼの間を走り、越中八尾に着く。
おわら盆の日には各地から気動車がかき集められ、富山との間でピストン輸送が行われるが、
この時期はごく普通の駅である。この駅で何人か下車していった。
笹津を出ると、神通川の作った谷を進む。しばらくするとダムが見えてきた。
白い水が勢いよく流れ落ちている。ダムの先のダム湖はボート競技の練習場となっていて、
何台か練習しているのが見えた。楡川を出ると、長いトンネルに入る。
トンネルを抜けると再びダム湖が現れた。ついさっきまで富山平野を走っていたのだが、もうすっかり山の中だ。
その後いくつかトンネルを抜けると、猪谷に着いた。
猪谷駅に着き、乗ってきた列車を改めてみてみると、
隣に停まっている留置車両とカラーパターンが違っていることに気づいた。
どちらも赤、青、黄、緑といった色を使っているのだが、色の順番が微妙に違う。
一方、反対側に目を移すと、現在休止中の高山本線角川方面の線路と、二度と列車の走ることのない神岡鉄道の線路が見えた。
どちらも線路は赤く錆びており痛々しい。
キハ120は車両ごとに微妙に色が違う。
猪谷11:22発〜角川12:32着 代行バス
猪谷の狭い駅前広場には2台のバスが停まっていた。
一台は首都圏などで普通に見るのと同じサイズの車両、もうひとつは一回り小さいサイズのバスだ。
バスの運転手によると、大きいほうは角川まで直行し、小さいほうは途中の各駅に停車しながら進むという。
ここにくるまでまったく知らなかったが、多客時はこういう形で増発がなされているようだ。
個人的には小型バスで細い道を進むほうが面白そうだし、途中駅の様子も見てみたいのだが、
高山へ向かう客は直通バスに乗れと言うし、各停バスに乗る客も誰もいないので、何となく直通バスに乗ることにした。
もうすぐバス代行も終わることだし、こっちのほうがある意味貴重と言えるかもしれない。
運転席の真後ろの席に座ったので、運転席の運行表を見てみる。
どうやらこのバスは神岡を経由して飛騨古川のほうに向かう国道41号線経由で角川に向かうようだ。
41号線は実によく整備された道路で、バスは猪谷駅を出ると国道を快走する。
途中、廃止された神岡鉄道の廃線跡がちらちらと見えた。
神岡鉄道はトンネルが実に多く、奥飛騨の地下鉄と呼ばれていたほどであり、線路跡はあまり見えない。
おそらく乗車しているとトンネルばかりで景色はあまり見えなかっただろう。
その点、国道はトンネルがほとんどなく、高原川の渓谷を堪能できるため分があると言える。
途中、不要となった鉄橋や廃トンネルの入口、茂住駅や神岡鉱山前駅の跡が見えた。
神岡鉱山前駅の入口はおそらく現役時代とまったく変わらない佇まいだったが、
当然ながら入口にはシャッターが下ろされていた。
神岡の町を抜け、ヘアピンカーブで峠を越えると、角川駅の一駅南の飛騨細江駅付近に出る。
ここからバスはわざわざ北上し、角川駅に向かう。
直通バスだけでも飛騨細江か、飛騨古川あたりで列車と接続すれば所要時間が短縮できると思うのだが。
角川へ向かう国道は幅が狭く、1車線しかないところもある。
路面も荒れていて、ガクガクと揺れる。驚くほど細い橋を渡り、
角川駅の前に横付けになったのは12時半、所定より10分も早く着いた。
猪谷駅前に佇む代行バス。
バスで食べた金沢駅の牛肉弁当。やや肉が硬かった。
角川12:42発〜高山13:11着 1828D キハ120(1)
角川駅には早く着きすぎたため、待合室でしばらく待つ。
こんな駅に降り立つことは今後ないと思うが、よくよく見てみると駅舎は古めかしく、なかなかいい味を出している。
しばらく待ち、列車に乗り込む。キハ40の2両編成だ。
線路の北方を見てみると、車止めがされ線路は赤錆びている。ここを列車が走るようになるまで、
あと2ヶ月ほどの辛抱である。
列車は宮川沿いに高山盆地を南下する。列車は空いており、ボックスシートで足を伸ばしながら高山に向かう。
高山を訪れるのは十数年ぶりだ。時間があるので、町並み保存地区を歩いてみたりした。
みやげ物屋を冷やかしてみると、外見は昔風なのに中は立派なビルだったりして面白かった。
仮の終着駅となった角川で発車を待つ高山行き普通列車。
高山14:42発〜美濃太田16:24着 1032D ワイドビューひだ12号 キハ85(8)
高山駅に戻ると、特急の発車20分前だというのにもう人が集まりだしている。
そういえば、この辺に総本山があるらしい某宗教団体のバスも乗りつけていたし、
混むのかもしれないと思い、列に並んだ。発車10分前になり、改札が始まる。
今度の特急は5両で飛騨古川を出て、高山で3両増結する。そこで増結車両の自由席に並んだ。
飛騨古川から来た車両が停車した後、増結編成がやってきたので、乗り込んだのは発車ぎりぎりだった。
連結中に名物のみたらし団子でも買ってこようと思っていたのだが、その目論見は外れた。
混むかと思っていたが、実際は乗車率は30%程とがらがらだった。
高山を発車し、10分ほど走ると長いトンネルに入る。ここで日本海側の水系から太平洋側の水系に入り、飛騨川に沿って走る。
川を何度も何度も渡るため、川は車窓の左右に行ったり来たりする。空いているので、川を渡るたびに席を替わって川を眺めた。
乗っていて分かったが、駅のポイントは一線スルーにはなっていないところが多く、駅通過のたびに大きく減速することが多かった。
また、美濃太田までに3度特急列車と交換した。駅ではなく信号所で交換するケースもあった。
家もほとんどない渓谷をしばらく進んでいたが、久々に町が見えてきた。まもなく、下呂に到着。
乗車する客は少ない。有名な温泉街だけあって、ビルがいくつも建っている。
山の上に建つ巨大な旅館も見えた。下呂を過ぎると、また人家が少なくなる。
人が少ないせいか駅ではなく信号所が目立つ。このあたりでの一番の見所は、飛水峡の眺めだろう。
固そうな岩盤に幅1mほどの流れが切り込み、深さ数mの溝のようになっている。
飛水峡を過ぎると、平地が見えてきた。列車は、今まで減速を強いられていた分を取り返すかのように快走する。
が、美濃太田に着いたころには3分ほど遅れていたようだ。
ホームに入線してくる「ワイドビューひだ」。最近は高速バスに客を奪われ苦戦中だとか。
美濃太田〜鵜沼
新鵜沼〜犬山 名古屋鉄道
美濃太田に到着後、普通列車で鵜沼に出て、名鉄に乗り換える。
次の列車までやや時間が余ったので、新鵜沼駅のホームで行き交う列車を眺める。
新鵜沼は名古屋からやってくる特急の終点で、
青い空港専用特急「ミュースカイ」や、パノラマスーパーなどが停車している。
しばらくしてやってきた列車に乗り、犬山に向かう。
かつて道路併用橋だった犬山橋を渡り、モンキーパークモノレールを眺め犬山着。
空港特急にパノラマスーパー。名鉄の車両はとにかく個性的。
犬山〜平安通 名古屋鉄道・名古屋市営地下鉄
平安通〜八事〜上前津 名古屋市営地下鉄
栄〜名古屋 名古屋市営地下鉄
犬山からは、以前から何となく気になっていた小牧線に乗った。
小牧線は、長らく名古屋側の終点が上飯田という他線との接続が一切ない駅で、
通勤客が上飯田から1km程離れた地下鉄駅まで延々と歩くという妙な光景がテレビに取り上げられたりした。
しかし、近年になって地下鉄が上飯田から平安通まで伸び、
平安通での乗り換えは必要なものの小牧線はようやく都心に直結した。
その小牧線に乗って名古屋に向かう。
乗ってみると、車両だけは新しいものの、
小牧駅が地下鉄のように立派だった以外は、田畑が目立ち名古屋の郊外とは思えない眺めだった。
近年廃止になったピーチライナーの廃線跡も見えた。
かつての終着駅だった上飯田をあっさり通過し、平安通に着いた。
この後は名古屋市内をいろいろ巡り、
まもなく姿を消すとも噂される東海道新幹線の500系のぞみで帰った。
ピンク色の帯が印象的な小牧線の車両。
最後は500系に乗って東京に戻った。